9/24 秋の北上線駅めぐり
この日は横手側から北上線の駅を巡っていきました。
横手を上り一番列車で出発。北上線の横手側には快速が通過する3駅があり、その全てを列車で一度に訪問しようとするなら横手に泊まるほかありません。
6:54着の小松川で下車。もちろん自分以外に誰も降りません。昭和25年に仮乗降場として開業し、翌年昇格した駅で、駅周辺には小集落と鉄道林しか見えません。
快速通過駅の一つであることから利用の少なさが窺われますが、ホームは鼻で彩られており、地元の人の愛着が感じられます。
8分遅れの小松川7:09発普通横手行き723D(キハ100-43)で矢美津へ。昭和38年に開業したカーブしたホームだけの駅で、周辺に建物は3,4軒ほどしか見当たりません。小松川同様の快速通過駅で、平成28年からは冬季通過となりました。そのため12月1日から翌3月31日までの間、列車は一本も停車しません。この手の冬季通過駅は数年そのままで営業したのちに廃止されるのが常で、この駅もそのうち廃止されるのではないかと注目されています。
矢美津7:46発普通北上行き728D(キハ100-43)で黒沢へ。県境の秋田県側にある駅で、大正10年11月に西横黒軽便線の駅として開業した当時の駅舎が現在も使われています。昨年の藤根駅改築により、北上線では唯一の木造駅舎となりました。
駅構内も広く、かつての栄華を感じさせます。
車両ドア故障のため38分遅れの黒沢8:32発普通横手行き727D(キハ100-36+キハ100-35)で平石へ。矢美津と同時に開業した駅で、矢美津と同時に冬季通過駅となりました。駅前には農家が一軒あるだけで、駅前の畑ではおばあさんが作業されていました。
すぐそばを国道107号線が通っているものの直接行き来できる車道はありません。
次の列車は快速で、平石には停まらないので隣の相野々まで歩いて向かいます。
雨が降る中、山の中の道を30分ほど歩いて相野々へ。平成17年に横手市と合併した旧平鹿郡山内(さんない)村の中心地にある駅で、周辺には商店なども多く見られます。平成8年改築の駅舎は「ポッポあいのの」という施設になっていて、内部には食堂も併設されています。横手焼きそばも食べれるそうで、事前に知っていたら昼時に訪問したのにと思いました。立派な駅で、委託の窓口もありますが、昨年度の1日の平均乗車人員は10人だそうで、今後が心配になります。
相野々10:43発快速北上行き3730D(キハ100-31)で和賀仙人へ。昭和37年12月、湯田ダム建設に伴う線路付け替えに伴い移転した駅で、平成11年11月に簡易駅舎に改築されています。駅名だけ聞くと仙人でも住んでいそうな深山幽谷のようですが、すぐそばを国道107号が通っており、大型トラックが頻繁に行き交っています。
駅ノートへの記入も済ませ、さて隣の岩沢駅へ行こうと歩きだしたとき、踏切が鳴り始めました。やってきたのは工臨列車。DE10 1187+チキ6107+チキ6159という編成で、8分ほど停車してから発車していきました。
発電所を遠くに眺めたりしながら40分ちょっと歩いて岩沢へ。国道107号線は交通量が多く、橋を渡るときなどはヒヤヒヤしっぱなしでした。
平成3年3月改築の駅舎は公民館との合築で、「水澤鉱山資料室」が待合室に隣接して設けられており、展示を見ながら時間を潰せます。心霊写真までも展示されているのには驚きました。ただし全部ご供養済みとのことなので見ても呪われる心配はありません。
駅前には赤とんぼの番がたくさん飛んでいて、水たまりに産卵していました。そんなすぐ干上がってしまいそうなところに産んでも子孫を残せないんじゃないかと思うのですが・・・ 自然というのは何とも残酷なものだなと思いました。
岩沢14:03発快速横手行き733D(キハ100-31)でゆだ錦秋湖へ。和賀仙人同様、昭和37年の線路付け替え時に移転した駅で、平成3年に「陸中大石」から改称されました。
駅舎は平成10年1月に盛岡支社でよく見るタイプの簡易駅舎に改築されています。
室内はそこそこ綺麗ですが、日当たりが良すぎて温室状態でした。
ゆだ錦秋湖14:30発快速北上行き3732D(キハ100-35+キハ100-36)で立川目へ。
平石・矢美津のちょうど2か月前に開業した駅で、待合室の造りがよく似ています。
駅前に簡易郵便局がありますが、そちらの表記は「竪川目」です。
コンビニに寄って飲み物も買いつつ30分ほど歩いて隣の横川目へ。朝の雨が懐かしくなるほどの暑さです。横川目は平成3年に北上市などと合併した旧和賀郡和賀町の中心地にある駅です。写真の建物は一見駅舎のように見えますが、「横川目地域ふれあいセンター」で、右手奥の談話室が駅待合室として開放されています。合築駅舎というよりは公民館に間借りした待合室と言った方が適当かも知れません。
そのため、時刻表や運賃表も待合室の外のホームに掲示されています。
横川目17:00発普通横手行き733D(キハ100-43)でゆだ高原へ。平成3年6月に「岩手湯田」から改称された駅で、その前年・平成2年3月6日に公民館との合築駅舎に改築されています。かつては駅舎正面が地元小学生の描いた絵で装飾されていたそうですが、今では無くなって少々寂しさを感じさせます。
ゆだ高原17:44発普通北上行き734D(キハ100-39+キハ100-31)で藤根へ。昨年10月29日より工事が始まり、今年3月15日に新駅舎が完成した駅です。「座禅草を取り入れたデザイン」がコンセプトだそうですが、すっかり日が暮れてしまってよく分かりません。
訪問時はホーム工事中でした。
藤根18:56発普通横手行き737D(キハ100-31+キハ100-39)でほっとゆだへ。和賀郡西和賀町の玄関口で、平成元年3月改築の駅舎は温泉施設を併設していることで有名です。平成3年6月に「陸中川尻」から改称されました。せっかくここまで来たのなら温泉に入るべきなのでしょうが、この後の行程でまた歩かねばならないので、せっかく風呂に入って身体を綺麗にしてもまた汗をかくのなら勿体ないと思い結局入りませんでした。もっと寒い季節なら間違いなく入ったでしょうが。
ほっとゆだ20:43発普通北上行き738D(キハ100-39+キハ100-31)で江釣子へ。日本一人口密度の高い村として知られ、平成3年の合併で北上市となった旧和賀郡江釣子村の駅で、周辺は住宅街となっています。駅舎は昭和55年3月に改築されたもので、どこかで見たことがあるような形だなと思いきや、花輪線柴平駅と瓜二つなのでした。但し、柴平駅とは入口に階段がないという点で異なります。
田んぼと住宅街の入り混じった夜の道を星を眺めながら40分歩き、柳原へ。終電は21:48なのでとっくに終わっていますが、一応夜の駅だけ撮って駅近くの快活CLUBE北上店へ。
9/23 秋の奥羽本線(新庄~秋田)駅めぐり
この日は予定では五能線の駅を巡りながら弘前まで移動する予定でしたが、折しも台風が秋田県に接近していたので予定を変更して奥羽本線の駅を巡ることに。
雨の秋田駅を5:54発普通新庄行き2428M(クハ700-36)で出発し、神宮寺で下車。
横手盆地に抜けるといくらか天気はマシになりました。
平成20年7月に改築された駅舎は跨線橋への階段も取り込んでいるので背が高く、変わった形をしています。正面から入ってすぐのところに簡易委託の窓口があり、まだ営業時間前なのに明かりが点いていました。
神宮寺6:49発普通秋田行き425M(クモハ701-28)で刈和野へ。平成17年の合併で大仙市となった旧仙北郡西仙北町の玄関口で、平成2年改築の駅舎は商工会議所との合築です。神宮寺同様に簡易委託の窓口が設置されており、辛うじて町の玄関口としての面目を保っていますが、とてもかつての特急停車駅とは思えません。
跨線橋には刈和野大綱引きの壁画が飾られていますが、跨線橋の狭さと暗さゆえに見にくいのが残念です。
刈和野7:21発快速秋田行き3427M(クモハ701-1)で四ツ小屋へ。4戸の農家が移住してきたことに由来する四ツ小屋地区にある駅で、秋田駅の隣駅とは思えないほど閑散としています。駅舎は信号場の詰所のような味気ない建物で、建物財産標の日付は「昭和43年9月」。平成12年までは開業当時の木造駅舎が使われていたらしいので、おそらく駅舎以外の用途に使われていた建物を転用したものでしょう。
四ツ小屋8:15発普通新庄行き2434M(クハ700-28)で大張野へ。森の中にあるホーム1面1線の駅で、ホームと駅舎の間に秋田新幹線の通過線があります。
ホームは通る人の少なさゆえにか蜘蛛の巣だらけで、待合室に入る時とホームの真ん中を歩いている時の2度引っ掛かりました。
駅舎は平成18年4月に改築されたもので、それ以前は貨車駅舎でした。駅前は元商店らしき民家が一軒あるのみで、それ以外に人家は見当たりません。秘境駅といった感じですが、意外と利用者はいるようで、訪問時はおばあさんを見かけました。
大張野8:42発普通秋田行き431M(クモハ701-104)で和田へ。秋田市に合併された旧河辺郡河辺町の玄関口です。「ふれあい交流館かわべ」との合築になった半橋上駅舎は平成15年2月改築。北口だけ見れば都会の駅とさして変わりはありません。
一方で橋上化前は駅裏だった南口の駅前には田んぼが広がっており、非常にのどかです。この光景に長野の信越本線今井駅を思い出しました。
ホームは相対式2面2線ですが、駅舎との間には秋田新幹線の交換設備があり、ちょうどタイミングよく秋田新幹線の離合を見ることができました。
新幹線が対向列車との行き違いで信号待ちをする光景はなかなかシュールではあります。
和田9:27発普通湯沢行き436M(クハ700-104)で峰吉川へ。ホームの配置は大張野と同じですが、昭和5年6月開業時からの駅舎が残っています。小さな駅舎ですが簡易委託の窓口があり、おじいさんが切符を売っています。
今回は時間がなく、じっくりと見ることができませんでしたが、今後も改築されずに残ってくれるのを祈るばかりです。
峰吉川9:58発普通秋田行き2433M(クモハ701-33)で羽後境へ。ちょうど島式ホームの反対側にはキヤ195が停車中。ところが、列車を降りようとしたところで、財布から小銭が零れる事態が発生。100円玉1枚が列車とホームの隙間から線路に落ちてしまいました。駅舎内の窓口にいたおばちゃんにそのことを伝えると「管理駅から駅員を呼んでこないといけないので拾うにはかなり時間と手間がかかる」とのこと。500円玉ならともかく100円玉一枚なので仕方なく諦めました。キヤの撮影代だと思うことにしておきましょう。まあその分、羽後境では入場券を買わなかったんですけど。(さすがに買う気なくした)
財布の買い替えを決意した瞬間でした。(ちなみにこの時使っていた財布はボックス型の財布で、どうしても小銭を入れるところに隙間が空きやすいのが難点です。ボックス型は二度と買うまいと固く誓いました)
気を取り直して駅を見ていきます。平成16年2月改築の駅舎は「まほろば唐松能楽堂」という能楽堂をイメージしたものだそうで、秋田杉がふんだんに使用されています。
旧仙北郡協和町の玄関口としてふさわしい立派な駅舎ですが残念ながら四ツ小屋にすら停まる快速列車には通過されています。
羽後境10:47発普通新庄行き2438M(クハ700-21)で一気に南下して県境を越えて山形県に入り、12:51着の泉田で下車。平成12年3月20日改築の小さな簡易駅舎のある駅で、構内にたくさん生えている薄が秋を感じさせます。跨線橋内には下から入り込んでしまったのかトンボや蛾がたくさんいましたが、彼らの多くは出られないまま死んでいくのでしょうか。
泉田13:02発普通秋田行き2443M(クモハ701-28)で院内へ。秋田県最南端の駅で、及位との間の県境区間は複線になっています。焼失した旧駅舎に代わって平成元年3月に建てられた駅舎は「院内銀山異人館資料館」との合築ですが、時間が無かったので資料館の方は行きませんでした。いずれ銀山跡と合わせて再訪したいものです。
院内13:56発普通新庄行き2440M(クハ700-37)で釜淵へ。簡易駅舎は昭和57年3月30日に改築されたもので、内部は薄暗いです。平成16年4月までは簡易委託の窓口がありました。
この後、駅前を撮ってから駅舎をもう一度正面から撮ろうとしましたが、ヤンキーが駅舎の真正面に座っていたので諦めました。おそらく迎えの車だろうし数分待てば迎えが来ていなくなるかなとホームを先に撮ることにしましたが結局滞在時間中にはいなくなりませんでした。
釜淵14:41発普通秋田行き2447M(クモハ701-38)で及位へ。難読駅名としてよく知られた駅です。駅舎は昭和57年12月20日に改築されたもので、釜淵のものと比べると丸みを帯びたデザインです。こちらも平成16年3月末まで簡易委託の窓口がありました。
駅前には小集落があるだけで、閑散としています。
及位15:48発普通新庄行き2444M(クハ700-11)で大滝へ。大正時代に開業した信号場をルーツとする駅で、対向ホームが草に埋もれながら残っています。平成22年3月改築の駅舎は2階建てで、1階がホームに、2階が駅前の道路に直結しています。広く清潔な待合室は2階、トイレは1階にあり、小さい駅ながらもなかなか立派な駅舎です。
集落が水害で集団移転したために駅周辺に人家は無く、秘境駅としても知られています。利用頻度が少ないためかトイレも綺麗でした。
大滝16:10発普通秋田行き2449M(クモハ701-37)で横手盆地へと戻り、醍醐へ。合併で横手市となった旧平鹿郡平鹿町にあった唯一の駅ですが、町の中心からは大きく離れています。駅舎は平成18年8月に改築されたもので、それ以前は貨車駅舎でした。
アリスのシングル「遠くで汽笛を聞きながら」のディスクジャケットには電化前の駅構内の写真が使われたそうで、駅舎内には歌詞が貼られていました。ジャケットの画像もあったのでそれを参考に同じ構図の写真を撮ってみましたが、当時とは変わりすぎていて同じ場所かどうか確証が持てません。
醍醐17:11発普通新庄行き2448M(クハ700-104)で横堀へ。令和おじさんこと菅義偉官房長官の出身地・旧雄勝郡雄勝町(現湯沢市)の玄関口です。駅舎は昭和34年7月に改築されたもので、待合室は広々としています。開業時の駅所在地は雄勝郡小野村で、小野小町誕生の地という伝説があることから、ホームには小野小町の顔出しパネルが置かれています。そういや磐越東線小野新町駅も小野小町誕生の地ということをアピールしていましたね。
横堀17:59発普通秋田行き2453M(クモハ701-11)で一旦終点の秋田まで行き、食糧を調達してから秋田21:00発湯沢行き458M(クモハ701-8)で折り返し横手へ。途中、対向列車が3分遅れたので四ツ小屋を4分遅れで発車し、横手にも3分遅れで到着しました。
この日は横手駅西口駅前に今年8月にオープンしたばかりの快活CLUBE横手店に宿泊しました。明日は北上線の駅を巡っていきます。
9/22 秋の羽越本線(鼠ヶ関~酒田)駅めぐり
この日は羽越本線の駅を巡りつつ新潟から秋田へ向かいました。
まだ暗い新潟を4:56発白新線快速村上行き3921M(クモハE128-128)で出発。終点村上で5:58発普通酒田行き821D(キハ47-518+キハ47-1513)に乗り換えてさらに北へと向かいます。
海を眺めながら県境を越えて山形県に入り、7:31着の羽前大山で下車。平成23年1月改築の駅舎は酒蔵をイメージしたデザイン。これは駅周辺に酒蔵がたくさんあることに由来するそうです。待合室内には酒蔵の店先でよく目にする杉玉もぶら下がっています。
新酒ができたことを知らせるものだそうで、駅舎内のものはまだ青々としていました。
羽前大山7:46発普通村上行き822D(キハ47-1519+キハ47-517+キハ47-515+キハ47-520)で小波渡へ。戦時中に開業した信号場が戦後に昇格した駅で、対向式ホームは駅構外の地下通路で結ばれている。下りホーム側にある駅舎は平成9年2月に改築されたもので、大きな屋根が特徴。待合室内の大きな窓からは漁村と海を望むことができます。
待合室内では立派なカラスアゲハが死んでいました。
次の列車まで時間があったので漁村の方も散策。
小波渡8:40発普通酒田行き823D(キハ111-202+キハ112-202)で三瀬へ。小波渡以南の駅と違って内陸部にある駅です。昭和56年11月改築の駅舎はいかにも新潟支社の駅と言ったスタイル。待合室内には地元の人が描いた絵が飾られていました。
三瀬8:52発普通鼠ヶ関行き220D(キハ47-1516+キハ47-522)で終点・鼠ヶ関へ。折り返しまでの30分ほどの時間を利用して駅を撮影。新潟・山形の県境付近にある駅で、駅名は白川関・勿来関と並ぶ東北の玄関口だった鼠ヶ関に由来します。
昭和61年10月改築の駅舎はヨットを模したデザインで、駅前には灯台型のモニュメントが設置されています。
平成16年に無人化されているものの、両方面からの終電が当駅で夜間停泊して初電となることから、駅舎の半分は乗務員宿泊所として使われているそうです。
鼠ヶ関9:52発普通酒田行き223D(キハ47-522+キハ47-1516)で五十川へ。海の近くにある島式ホームの駅で、駅前からホームへは平成11年完成の地下道で結ばれています。
Wikipediaの写真を見るとかつては地下道の代わりに跨線橋があったのが分かりますが、出入口部分はそのままのようです。
駅前にはホームにいた撮り鉄さんのものと思われる車が置いてありましたが、ナンバープレートを見る限り結構遠い所からいらっしゃったようです。
駅前には謎のホーム跡が残っており、おそらく複線化前の旧駅のホームだろうと思われるのですが、何故かホーム「上」にレールが敷かれています。本線とは繋がっておらず、保存車を置く台のようにも見えるのですが果たしてこれは何なのでしょうか。
五十川10:28発普通村上行き824D(キハ47-1518+キハ47-512)であつみ温泉へ。旧田川郡温海町の中心地にある駅で、駅名の通りあつみ温泉の玄関口です。みどりの窓口があり、特急やきらきらうえつも停車します。
集落より一段高い所にある駅舎は、昭和38年10月改築の国鉄モダニズムを感じさせるもので、平成23年1月にリニューアルされています。ネットで調べてみると駅近くに評判のいいラーメン屋があったのでそこで昼を頂こうと思いましたが、残念ながら臨時休業でした。
あつみ温泉11:27発普通酒田行き825D(キハ47-520+キハ47-515+キハ47-517+キハ47-1519)で東酒田へ。酒田市郊外の田園地帯にある駅で、駅舎は昭和34年1月改築。
この日は朝から曇っていましたがここに来て雨が降り始めました。
かつての改札口には切符入れが設置されていますが、それを持つように駅員さんのイラストパネルが設置されているのが何ともかわいらしいです。
12:49 酒田行きのきらきらうえつが通過。18年に渡って当線で活躍してきたこの列車も9月29日限りで定期運行を終了しました。一度くらい乗ってみたかったのですが、結局一度も乗れずじまいでした。
東酒田12:55発普通村上行き826D(キハ47-1513+キハ47-518)で藤島へ。鶴岡市と合併した旧東田川郡藤島町の駅で、平成28年10月に現駅舎に改築されました。
緩く弧を描いたデザインの駅舎内には、空調完備の待合室と窓口が設置されており、合併されても「町の玄関口」らしい雰囲気を保っています。
藤島13:56発普通酒田行き225D(キハ111-202+キハ112-202)で西袋へ。駅舎は平成9年1月改築の簡易的なもので、駅裏の西口にも出口があります。
駅前には簡易郵便局くらいしかありません。
西袋14:14発普通224D(キハ47-1516+キハ47-522)で羽前水沢へ。駅舎に付いている建物財産標の日付は「平成25年12月5日」となっています。
駅構内から水澤化学工業水沢工場への専用線が伸びており、構内にコンテナも積まれていますが、平成26年5月にトラック輸送に切り替えられています。
羽前水沢15:15発普通酒田行き827D(キハ47-512+キハ47-1518)で砂越へ。平成17年に酒田市と合併した飽海郡平田町の駅で、ホーム上には「平田の里」と題されたブロンズ像が設置されています。
駅舎は平成24年12月に改築されたもので、窓口もありますが、平成26年4月に無人化されてシャッターが閉じられています。
16:16 新潟行ききらきらうえつが通過。駅構外の自由通路(跨線橋)から撮影しました。本当は階段の踊り場から撮りたかったのですが、そこは既に先客に撮られていたので斜め上からしか撮れませんでした。
砂越16:52発普通新庄行き160D(キハ112-217+キハ111-217)で北余目へ。昭和39年1月に開業した田園地帯の中の簡素な駅です。利用客の少なさゆえにかつては普通列車も一部が通過していました。
平成17年12月25日、当駅と砂越駅の間で特急いなほ14号が突風に煽られて脱線し、5人が死亡、32人が負傷した羽越本線脱線事故が発生しています。
この事故以来、風速規制が強化され、同年に起きた福知山線脱線事故の教訓もあって平成18年以降乗客が死亡する事故は発生していません。今後も同じ過ちが繰り返されないのを祈るばかりです。
北余目17:11発普通酒田行き163D(キハ111-220+キハ112-220)で酒田へ。北前船の寄港地として栄えた酒田市の代表駅で、駅舎は昭和34年1月改築。新潟支社と秋田支社の境界駅で、普通列車は全て当駅を起終点としています。
駅舎内のキオスクでおにぎりを買ってから17:50発秋田行き557M(クモハ701-25)に乗り換え。隣のホームには検測車East i-Eが停車していました。
終点秋田には19:36着。こちらもそう長くはないであろう男鹿線・五能線のキハ40を撮りながら時間を潰します。
乗ってきた557Mに30分ほど遅れてEast i-Eも秋田駅にやってきましたが、端っこの方に停まっていたので新潟方の顔が撮れませんでした。
この日は秋田駅直結のコミックバスターアルヴェ秋田駅東口店に宿泊しました。駅直結なのでとても便利でしたが、分煙が行き届いておらず、禁煙席にも臭いが流れ込んで来たのには閉口しました。
9/21 秋の信越本線駅めぐり
小千谷からは13:14発普通長岡行き1735M(クモハE129-16)で宮内へ。信越本線と上越線の分岐駅ですが、上越線の列車はすべて隣の長岡駅まで信越本線に直通しています。
駅舎は平成4年改築の半橋上駅舎ですが、駅前の木が成長して正面を覆い隠されてしまっています。
宮内13:36発普通柏崎行き1336M(クモハE128-116)で茨目へ。昭和38年に信号場として開業し、翌年駅に昇格しました。北口にある駅舎は信号場としての開業時に建てられたもののようです。相対式のホームは跨線橋で結ばれています。
南口に駅舎はなく、上りホーム上に平成11年設置の待合室があるのみです。
駅を撮っていると、雨が降り出してカエルが盛んに鳴きはじめました。
茨目14:29発普通長岡行き1335M(クモハE129-116)で塚山へ。ヨネックス創業の地として知られる旧三島郡塚山村(昭和30年に越路町となり現在は長岡市)にある駅で、平成27年6月に無人化されました。
平成17年12月に使用開始された駅舎は、中越地震で旧駅舎が損傷したことによって改築されたもので、設計は第一建設工業(株)。待合室内の座席は畳敷きになっています。
予定では15:05発直江津行き1338Mに乗って越後広田に行く予定でしたが、その1338Mは11分遅れて到着したので、越後広田駅の訪問は諦めました。
塚山15:23発普通長岡行き1337M(クモハE129-105)で越後岩塚へ。昭和20年3月1日に仮乗降場として開業し、その3か月後に駅に昇格した駅で、仮乗降場だった3か月間は定期券を持っている人しか利用できない駅だったそうです。
駅前より一段高い所に建つ駅舎は平成12年12月に改築されたものです。
ホームは対向式で、上りホーム上には昭和35年11月に建てられたブロック造りの待合室があります。平成25年11月17日、この待合室の壁が40歳無職の男によって放火されるという事件が発生したそうで、30~50センチ四方が黒く焦げたとのことですが、幸いにもけが人は出なかったそうです。放火犯は数十分後に北条駅で逮捕されましたが、これがもし燃えやすい木造待合室だったらもっと大変な事件になっていたことでしょう。
駅裏に見える立派な神社は宝徳稲荷大社という神社だそうで、伝説によれば起源は縄文時代に遡るんだとか。こんな立派な神社がすぐそばにある駅なんて放火したらバチが当たりそうな気がするんですが、放火犯は何も思わなかったんでしょうかね。
越後岩塚15:56発普通直江津行き1340M(クモハE128-116)で米山へ。日本海のすぐそばにある駅で、昭和61年11月改築の駅舎はJA柏崎米山支所と診療所との合築です。
築33年の割に古さを感じさせるのは海のそばという立地で痛みが激しいからでしょうか。開業時は「鉢崎(はっさき)」という駅名でしたが、昭和36年に現駅名に改称されています。ツイッターでレスバトルを繰り広げてた知事さんもこの駅と同じ名前でしたが、ハッピーメール事件で辞任しちゃいましたね。
米山16:54発普通長岡行き1341M(クモハE129-131)で安田へ。新潟産業大学付属高校の最寄り駅なので、平日はきっと学生の利用が多いと思われます。
駅舎は昭和33年12月改築の古いものですが、綺麗に塗り直されてるのでそこまで古さは感じさせません。内部には窓口もありますが、営業時間を終了していたのでスタンプは押せませんでした。
安田17:29発普通直江津行き1342M(クモハE128-129)で鯨波へ。米山駅ほどではありませんが、日本海にほど近い立地の駅です。2階建ての駅舎は昭和44年5月に建てられたもので、駅入口と待合室はホームと同じ高さの2階にあります。
1階はかつて観光案内所として使用されていたようですが、今は閉鎖されています。
駅名にちなんで外壁に描かれたクジラのイラストがかわいらしいですね。
鯨波駅で列車を待つうちに日が暮れ、18:13発普通長岡行き1343M(クモハE129-116)で長岡へ。乗り換え時間を利用してホームでコンビニ弁当を食べてから19:27発普通新潟行き461M(クモハE129-23)でこの日の宿泊地・新潟へ。
以前、てっけんサミットの際にも泊まった自遊空間新潟駅前店に投宿しました。
明日は羽越本線の駅を巡りながら秋田へと向かいます。
9/21 秋の上越線駅めぐり
北海道から帰ってきた2日後、今度は北海道東日本パスを使って新潟へと旅立ちました。
高田馬場を北に向かうときはお馴染みの4:48発山手線外回り始発403G(クハE234-16)で出発し、上野で5:13発高崎線高崎行き821M(クハE230-8062)に乗り換え。
高崎でおにぎりを買ってから上越線に乗り換えてさらに北上します。
実は渋川以北の上越線を普通列車で通るのは今回が初めてだったりします。ちょうど一年前にてっけんサミットの団臨列車で一応通ってはいるのですが、その時はあまり車窓を見てはいませんでした。
水上には8:17着。11分の乗り換え時間を利用して駅舎を撮影。駅舎は昭和26年に改築されたもので、平成13年に入口部分が増築されています。平成25年にリニューアルされていることもあってそれほど古さは感じさせません。駅前には温泉街があり、心を惹かれますが、今回は乗り換えのために立ち寄っただけなのであまりじっくりとは見れませんでした。
水上8:28発普通長岡行き1729M(クモハE129-101)で県境を越えて新潟県に入り、9:19着の塩沢で下車。平成17年の合併で南魚沼市となった旧南魚沼郡塩沢町の駅で、平成24年10月改築の駅舎は三国街道沿いの宿場町の面影を残す「牧之通り」をイメージした外観になっています。駅舎内には窓口もありますが、訪問時間帯はお休みでした。
塩沢9:35発普通水上行き1728M(モハE128-16)で岩原スキー場前へ。
戦前に仮乗降場として開業し、戦後にスキー場が連合軍に接収されたことによって一度は廃止の憂き目にあうも、昭和27年に仮停車場として復活した駅で、昭和56年からは通年営業するようになりました。駅舎は何となく信号場上がりの駅にでもありそうな造りで、上りホームに接していますが、下りホームへ行くには一度駅の外に出て地下通路を通らなければなりません。
ホームは片面のものを2つ並べた造りで、上屋はありません。見るからに利用客の少なそうな駅(失礼)ですが、周辺にはそれなりに住宅も多く、地元利用者の姿も見かけました。
岩原スキー場前10:14発普通長岡行き1731M(クモハE128-116)で八色へ。訪問時、下りホーム長岡寄りで何やら工事が行われており、待合室内に作業員さんがいたので待合室内の写真は撮れませんでした。
昭和40年に開業した相対式ホームの無人駅で、各ホーム上に同じ形状の待合室がそれぞれ建っています。後で写真を見返して気付いたのですが、よく見ると上下ホームでそれぞれの表面が違いますね。上りホーム(奥)は点字ブロックなどが引かれて綺麗に整備されているのに対し、下りホーム(手前)は古いままです。
後で車内から見た感じ、どうやらこの時行われていた工事はホームの張り替え工事だった模様。下りホームの方が一足先に工事が完了していたから綺麗になっていたんですね。
八色10:37発普通越後湯沢行き8730M(クモハE128-101)で五日町へ。駅の裏手にセメント輸送の拠点だったセメントターミナルがあり、今は使われていないものの結構な存在感を示しています。ブロック造りの駅舎は、昭和34年9月26日の伊勢湾台風の被害を受けて全壊し、建て替えられたものだそうで、完成はその年の12月。内部は広めですが、平成26年7月に無人化されています。
五日町11:47発普通長岡行き8733M(クモハE128-4)で越後滝谷へ。駅舎は平成16年10月23日の中越地震で被害を受けて翌年に改築されたもので、被災前とほとんど同じ形状で再建されているそうです。特にこれといった特徴も見られない簡易駅舎のようで、実はそんな過去があったのですね。
越後滝谷12:44発普通越後湯沢行き1734M(クモハE128-107)で小千谷へ。錦鯉の街としてして知られる小千谷市の代表駅ですが、市の中心部は信濃川の対岸にあります。
大正2年の開業時は「東小千谷」を名乗っていました。これは当時すでに対岸の市中心部に魚沼鉄道(のち国有化されて魚沼線に)の小千谷駅(東小千谷駅より9年早く開業)があったためで、昭和7年7月15日に魚沼線の駅が「西小千谷」に改称すると、こちらの駅がその翌月に改称して小千谷駅となりました。
この駅も中越地震の際には大きな被害を受けたそうですが、幸いにも倒壊するようなことはなかったようで、昭和35年10月に改築された、国鉄モダニズムを感じさせる立派なコンクリ駅舎が今も使用されています。
上下ホーム共に上屋からはこんな電光表示がぶら下がっており、列車が接近すると点滅して光るようになっています。イラストの車両、どう見ても221系にしか見えないのでしょうが、上越線に221系は過去にも現在にも走ってないんですよね。
小千谷からは13:14発普通長岡行き1735M(クモハE129-16)で宮内へ。駅舎を撮ってから信越本線に乗り換えて柏崎方面へと向かいます。
【北海道ドライブ旅 エピローグ】9/18 スカイマーク深夜便で羽田へ
車を返却し、送迎バスで新千歳空港へ。ふっちょさんと一緒にお土産を見て回ってから、50分遅れの17:45発成田行きジェットスターGK110便(定刻16:55)で東京へと帰るふっちょさんをお見送り。
自分が乗る予定なのはスカイマーク深夜便なので、搭乗までだいぶ時間があります。
暇なのでターミナルビル内を探検して、国際線の方まで行ってみたりしてました。
夕食はターミナルビル内のラーメン屋で。食べたのは札幌ラーメンなんですが、実は今回の旅意外なことに札幌には行ってないんですよね。旭川や函館にももちろん行ってませんが。
夕食を食べた後は展望デッキに行ったりもしてましたが、時間が時間だけに仮眠も取ってました。アナウンスで目覚めると既に搭乗予定の便の搭乗案内中。慌てて保安検査場に向かいますが、飛行機に乗り慣れてないのでチケットの発券とかで戸惑いました。てっきり高速バスみたいに発券せずにそのまま乗れるもんだと思っていたので。
保安検査のために余裕をもって予定を組んでおかなければならないことなど、なんだかんだ面倒くさいことが多いので、多分社会人になっても飛行機に乗るのは北海道・沖縄・海外へ行くときくらいになりそうです。心配性だからというのもありますが。
無事保安検査を終え、0:10発羽田行きSKY702便に搭乗。
0:07に動き出し、0:19:20に離陸、2:00に羽田に着陸しました。
飛行に時間を要したため5分ほど遅れての羽田到着となりました。
羽田空港国内線ターミナルビルは夜間閉鎖されるので、P1駐車場に移動し、エレベーターホールの待合室で仮眠。キャパは3人分しかありませんが、幸いにも先客はおらず。
寝ている間に他にも人がやって来て、起きたときには全部埋まっていました。
始発に乗るべく駐車場を出ると外にはこんな景色が。やっぱり朝はいいもんです。
羽田空港国内線ターミナル5:23発の京急線の始発で品川へ行き、品川5:48発山手線外回り401G(モハE235-107)に乗り換え、高田馬場に帰り着いたのは6:11でした。
【北海道ドライブ旅】9/18 夕張鉄道線の駅跡(新二岐駅・継立駅)を見た後、ご当地入場券を求めて道央を往く
6日間に渡る北海道ドライブ旅もこの日がついに最終日。夕張鉄道の駅跡を見つつ石狩平野に入り、その後は時間の許す限りご当地入場券を求めて平野内を走り回ります。
6:58にホテルを出発、意外と交通量の多い道道3号線で峠を越えて夕張郡栗山町へと向かっていきます。
7:21 新二岐駅跡に到着。道道沿いに個性的なデザインの駅舎が残っています。結構古そうなものに思えますが、戦後の建物で、改築は昭和29年とのこと。
それでも築65年ですから十分古い建物なんですけどね。
交通量の多い道道を渡って、反対側からも撮影。駅舎の特徴は何と言ってもこの左右対称な美しいデザイン。マンサード屋根に縦長の窓とその左右に配された丸窓は顔のようにも見えます。近くで見ると所々窓が割れるなど痛みが目立ちますが、何とか後世に受け継いでほしいものです。
7:35 引き続き道道3号線を進み、継立駅跡へ。駅舎は民間企業の工場事務所として今も現役です。外壁の感じを見る限り、相当手が加えられているのでしょうが、おおよそ駅らしい形は保っています。
8:23 道道3号線から国道234号線に入って室蘭本線沿いに南下し、道道10号千歳鵡川線に入って勇払郡厚真町のセイコーマート厚真店へ。浜厚真駅のご当地入場券を購入。
なおこのセコマは浜厚真駅から17㎞も離れているので、鉄道利用なら相当購入難易度が高かったようです。
ちなみに厚真町は昨年の地震で大きな被害を受けており、道道10号線もところどころで修繕工事中でした。
8:50 室蘭本線沿いに戻り、勇払郡安平町の早来駅へ。駅舎内の物産館に設けられたきっぷうりばでご当地入場券を購入。
9:13 道の駅あびら D51ステーションへ。今年4月にオープンした鉄道資料館併設の道の駅で、D51 320とキハ183-214が保存されています。
キハ183の方はクラウドファンディングによって保存されたものだそうで、デビュー当時の美しい姿を取り戻しています。
D51の方は、追分駅裏手の鉄道資料館から展示品と共に移設されてきたもの。鉄道資料館は、昭和50年に定期運行のSLが終焉を迎えた追分機関区があったことにちなむ施設で、道の駅のオープンに伴い閉館となりました。SLや貨車、展示品の数々は道の駅に移されていますが、スハ45-25だけは取り残されている模様。解体されずに移設されることを願わずにはいられません。
10:06 夕張郡栗山町の栗山駅へ。かつては室蘭本線と夕張鉄道が接続していた駅で、今も立派な駅舎やロータリーがそれなりに主要駅らしさを感じさせます。
窓口でご当地入場券を購入。
10:26 夕張郡由仁町の由仁駅へ。駅舎内の「ぽっぽ館 ゆに」でご当地入場券を購入。
10:55 長沼町を経由して北広島市の北広島駅へ。これまでに見てきた駅と比べると随分都会的で、やはり室蘭本線と千歳線の差を感じさせられます。
みどりの窓口でご当地入場券を購入。
11:20 千歳線沿いに南下して恵庭駅へ。みどりの窓口でご当地入場券を購入。
11:48 千歳駅へ。ここまで立派だともはや東京の駅と大差ありません。
1階と2階にそれぞれ改札口とみどりの窓口があり、ご当地入場券を売っていた2階の方はちょっと場所が分かりにくかったです。
レンタカーの返却時間が迫っていたので、ご当地入場券を求めての旅はこれで終了。セイコーマート千歳高台店でホットシェフの豚丼を買って昼食としました。
身近にセイコーマートのない東京に住んでいるので、ホットシェフのお弁当もしばらく食べることができません。(調べたら埼玉にはホットシェフのある店もあるらしいですね。羨ましい!)いずれ近畿に帰る人間としては、是非とも近畿地方にも進出してほしいところですが、どこでも食べれるとなればありがたみが薄れるでしょうしそれはそれでどうなのかなと思ったりもします。
12:55 千歳空港近くの営業所で車を返却。6日間での走行距離は1595㎞でした。