2/9 厳冬の根室本線・富良野線駅めぐり
北海道遠征3日目は、富良野周辺の駅を巡りました。
滝川を5:49発普通東鹿越行き2421D(キハ40-1745+キハ40-1824)で出発。途中の葦別で18分間の停車時間の間に後ろの車両を切り離し。その時間を利用して駅舎を撮影します。炭鉱で栄えた芦別市の代表駅で、昭和22年10月改築の木造駅舎が残っています。
芦別~富良野間は昨年11月21日に発生した橋梁破損事故のため、運休してバス代行となっていましたが、2月5日に無事復旧を果たしています。
6:54着の野花南で下車。山間の集落にある無人駅で、駅裏に貯木場があるなど林業で栄えてきたことが窺い知れます。駅ノートに最近の書き込みが無かったのでひょっとすると自分が復旧後初の訪問者かもしれません。
駅舎を撮っているとあまりの寒さに指がかじかんできたので昨日と比べてもだいぶ冷え込んでいるようです。
ちなみに野花南は俳優・水谷豊さんの出身地だそうです。
富良野での車両点検のため3分遅れてきた野花南7:59発普通滝川行き2424D(キハ40-1759)で上芦別へ。野花南のものを対称にしたような同デザインの駅舎は建物財産標によれば昭和57年12月31日改築。さすがに大晦日から新駅舎を使うとも思えないので、昭和58年の始まりと共に新駅舎を使用開始したのでしょうか。
開業は大正9年1月16日で、運休期間中に列車の来ない状態で今年1月16日に開業100周年を迎えています。
上芦別8:15発普通富良野行き2423D(キハ40-1824)で富良野へ。観光都市富良野の玄関口で、駅舎は昭和49年10月に改築されたものですが、タクシー乗り場の屋根のせいで写真を撮りづらいです。
日曜なので中を見ることができませんが、富良野線の列車まで一時間ほどあったので10分ほど歩いて市役所へ。昭和44年に建てられたもので、設計は道内で多くの公共建築を手掛けている岡田設計。
富良野9:58発普通旭川行き728D(キハ40-827+キハ40-826)で緑が丘へ。平成8年9月に開業した新しい駅で、待合室は地元住民や企業の寄付で建てられています。
駅名からして住宅街の駅と言った感じですが、やはり大都市郊外の駅と比べるとのどかな雰囲気です。
新興住宅地の中を15分ほど歩いて西御料へ。昭和33年に開業した駅ですが、平成11年11月に隣を走る国道の拡幅に伴ってホームが線路の反対側に移転しています。この駅の待合室も地元の寄付で建てられたものだそうで、室内には寄付者の名前が掲げられていました。
西御料11:42発普通富良野行き729D(キハ150-4)で西神楽へ。昭和17年まで「辺別(べべつ)」を名乗っていた駅で、平成元年に改築されています。
昭和43年に旭川市に編入された神楽地区の西部に位置し、駅前には小規模ながら市街地が形成されていて賑わいがあります。
西神楽12:05発普通旭川行き1754D(キハ150-6)で神楽岡へ。昭和33年に開業した駅で、周辺駅に比べると大きめの待合室がありますが、これも地元の寄付で建てられたもののようです。旭川の隣駅だけあって周囲には建物が密集しており、遠くにビル街も望むことができます。
神楽岡12:33発普通美瑛行き1755D(キハ150-6)で千代ヶ丘へ。旭川と美瑛の市境近くの集落にある駅です。平成元年改築の駅舎内には千代ヶ丘小学校の生徒がつくったリーフレットがありましたが、昨年閉校してしまったそうです。
千代ヶ丘13:19発普通旭川行き1756D(キハ150-6)で西瑞穂へ。昭和33年に開業した駅で、おそらく開業当時からのものと思われる扉のないトタン張りの待合室がホーム上にあります。同じホームだけの駅でも住宅地にあった駅と比べると随分ローカルムードが漂っています。
西瑞穂13:58発普通富良野行き731D(キハ150-3+キハ150-1)で北美瑛へ。山が迫ったところにあるホームだけの駅で、待合室は新しめですが、周辺駅と比べると小ぶりです。
北美瑛14:23発普通旭川行き732D(キハ150-4)で西聖和へ。雪原の中にポツンとある駅で、美瑛以北の駅の中だと特に利用者が少なそうな感じがします。一応旭川空港の最寄り駅ですが、この駅から歩いて利用する人はほとんどいないでしょう。
待合室はホームから少し離れたところにある駐輪場に併設されています。元は西瑞穂のようにホーム上に待合室がありましたが、安全上の観点から撤去され、その後地元有志によって駐輪場内に建てられました。「予算の都合上、それぞれの持ち寄った部材で作製致しましたので、あまり格好良くはありませんが、汚さずきれいに使用いただきますようお願い致します。」と貼り紙にありましたが、例え不格好でも利用者のためを思って作られた手作り待合室には心が温まります。富良野線は結構マイレール意識が高く、住民から愛されているようですね。
西聖和14:42発普通美瑛行き1757D(キハ40-721)で美瑛へ。観光都市・上川郡美瑛町の玄関口で、国内外からの多くの観光客で賑わっています。昭和27年改築の駅舎は地元の美瑛石を使って建てられたもので、重厚な印象を見る人に与えます。
美瑛16:07発普通富良野行き733D(キハ150-4+キハ150-6)で中富良野へ。ラベンダー畑で有名な空知郡中富良野町の中心地にある駅で、平成元年改築の駅舎には観光案内所が併設されています。訪問時には駅裏手でお祭りが行われていたようで、花火も打ち上げられていました。
中富良野17:05発普通旭川行き736D(キハ150-6+キハ150-4)で西中へ。雪原の中の小さな駅で、車両がはみ出してしまうくらい短い板張りホームの隣にこじんまりとした木造待合室が設置されています。平成23年11月設置の待合室内は隠れ家感があって不思議と落ち着きます。
西中17:27発普通富良野行き735D(キハ150-9)で富良野へ。この日は富良野駅近くのHOSTEL TOMARに宿泊しました。
2/8 厳冬の留萌本線駅めぐり
北海道遠征二日目は廃止の瀬戸際に立たされている留萌本線の全駅を巡りました。
旭川を5:18発特急ライラック2号札幌行き3002M(クハ789-205)で出発し、深川へ。
普通列車は6:28まで無いので特急に乗れる北海道フリーパスはやはりありがたいです。
深川からは5:44発普通留萌行き4921D(キハ54-506)に乗車し、6:10着の留萌で下車。普通列車とは言っても留萌までの間に石狩沼田と峠下の2駅にしか停車しません。
列車交換が行われ、上下列車が去ってしまうと早朝の駅はたちまち静寂に包まれます。
線内唯一の交換駅である峠下には大柄な木造駅舎が残っており、かつての栄華が偲ばれます。周辺には家が一軒もありませんが、除雪のために保線作業員さんが宿直されているため人の気配がないわけではありません。
駅舎を撮影していると続々と作業員さんたちの乗った車が到着し、除雪作業が始まりました。作業の邪魔になってはいけないし、外に出ていると寒いので待合室に入って駅ノートを読んでいきます。
待合室のホーム側の扉は取り外されて外に建てかけられていました。なぜ外されているのかと思いましたが、除雪作業が終わると作業員さんが除雪機を押し込んでまた扉をはめ込んでいたので、出し入れのためだったようです。
除雪作業が終わるころにはすっかり明るくなっていたので外に出てまた駅舎を撮っていると、作業員さんから「撮ってあげようか」と提案されたので、ご厚意に甘えて駅舎をバックに写真を撮っていただきました。
峠下7:12発普通深川行き4922D(キハ54-501)で北一已(きたいちやん)へ。どこまでも広がる雪原の中にある小さな駅で、早期に廃止となった深名線宇津内駅のものを移築したと伝わる木造駅舎が残っています。9月に車で来た時には室内は虫と蜘蛛の巣だらけでしたが、さすがにこの季節にもなればすっきりとしています。雪国の駅は季節を変えると全く印象が違うので面白いですね。
5分遅れの北一已8:09発普通留萌行き4923D(キハ150-5)で恵比島へ。車両前方のの扉が凍結して開かなくなったので後ろの扉をドアコック扱いで開けてもらって下車するという貴重な経験をしました。扉凍結でさらに発車が遅れたため4923Dは約10分遅れで発車していきました。
ドラマ「すずらん」の撮影のために建てられた明日萌駅のロケセットも雪を被っています。9月に車で来た時の記事でも説明しましたが、駅舎本体は右の小屋の方で、れっきとした貨車駅舎ですが、板で覆うことで木造の小屋らしく見せかけています。
9分遅れの恵比島8:45発普通深川行き4924D(キハ150-506)で真布へ。仮乗降場から昇格した、板張りホームと木造待合室だけの小さな駅です。利用者はほとんどいないでしょうが、しっかりと除雪されています。以前あった駅ノートは無くなっていました。
真布駅から雨竜郡沼田町の市街地を見るために少し遠回りして一時間ほど歩き、石狩沼田へ。簡易委託とはいえ線内の中間駅で唯一の有人駅ですが、訪問日は休日だったので窓口は営業していませんでした。駅舎は札沼線廃止後の昭和47年11月に改築されたもので、築48年を経て風格が出てきています。
さすがは「町」の駅だけあって、待合室では他の駅では見かけなかった利用客も何人か列車を待っていました。
石狩沼田10:10発普通深川行き4926D(キハ150-5)で北秩父別へ。仮乗降場から昇格した板張りホームと木造待合室だけの簡素な駅で、上り4本・下り2本しか停車しません。
訪問時はおじさん一人が黙々と除雪されていました。服装からして保線作業員ではなさそうですが、町の方から派遣されているのか、それとも住民の方でしょうか。
25分ほど歩いて秩父別へ。雨竜郡秩父別町の玄関口で、昭和29年までは「筑紫」を名乗っていました。昭和9年11月改築の木造駅舎はよく手入れされていて、待合室内にはストーブも置かれています。訪問時は地元のおじいさんが周辺の除雪をされていました。ストーブもその方が管理されているようです。
秩父別11:20発普通留萌行き4925D(キハ150-5+キハ54-501)で大和田へ。ロードサイド店舗やコンビニのある国道に背を向けた立地の駅で、駅舎は宗谷本線などでもおなじみのカラーの貨車駅舎です。9月に来た時は交換駅時代の痕跡がよく分かりましたが、今では全て雪に覆われてホームの形状すら分かりません。
大和田12:25発普通深川行き4928D(キハ54-501)で藤山へ。明治43年11月開業時の木造駅舎がコンパクト化されながらも残っています。古い駅舎ですが、地元の方が清掃してくれているのか中は綺麗で落ち着きます。9月に車で来た時の記事でも書いたと思いますが、駅名は駅開設に当たって土地を提供した実業家の藤山要吉氏に由来します。
大きかったころの駅舎の基礎や開拓記念碑も雪に埋もれていました。
藤山13:42発普通深川行き4930D(キハ150-5)で幌糠へ。大和田同様の貨車駅舎です。かつては両隣に東幌糠(平成18年廃止)と桜庭(平成2年廃止)という仮乗降場上がりの小さな駅がありました。9月に車で来た時はその駅跡にも行きましたが、もちろん痕跡はほとんど残っていませんでした。この季節ならきっと駅跡への到達すら難しいでしょう。待合室には何故か「宇都宮⇔鶴田」の回数券の表紙が置かれていました。
幌糠14:03発普通留萌行き4927D(キハ54-501)で終点留萌へ。かつては羽幌線が分岐していたほか、留萌本線も増毛まで伸びていましたが、今では深川方面からの列車が折り返すだけの寂しい終着駅になってしまいました。
駅舎は昭和42年11月に改築された鉄筋コンクリート造2階建ての立派なもので、かつての栄華を感じさせます。折り返し深川行きの発車までは2時間近くあるので市街地を散策。
逆光ですが留萌市役所を撮影。残念ながら休日なので中は見れません。市役所の最寄りはかつては瀬越駅でしたが、平成28年12月に廃止されています。
留萌の市街地を歩いてみると港町らしく起伏に富んでいるのが分かります。写真映えしそうな坂もいくつか見つけましたが、この時間帯は逆光でした。
また歩きやすい暖かい季節に散策してみたいですが、果たしてその時まで留萌本線は残っているでしょうか。
留萌16:17発普通深川行き4932D(キハ54-501)で深川へ。函館本線と留萌本線の分岐駅で、平成7年までは深名線も分岐していました。駅舎は昭和35年6月に改築された鉄筋コンクリート造2階建てのもので、国鉄モダニズムを感じさせます。
ほんの数年前までこの手の駅舎は趣味者の中でも木造駅舎と比べるとてんで見向きもされませんでしたが、最近になってようやく注目されるようになってきました。
深川17:49発特急ライラック旭山動物園号9038M(クハ789-202)で滝川へ。根室本線の分岐する主要駅で、砂川や滝川と比べても構内や待合室が広く立派ですが、駅前はいまいち賑わいがありません。
宿泊先のホテルスエヒロに向かう途中、駅近くの高田屋で滝川名物のチャップ丼で夕食を取りました。
2/7 砂川・士別・旭川の市役所と函館本線旭川口3駅へ
今回からは一週間にわたる北海道遠征の模様をお伝えしていきます。
初日は成田空港からジェットスターGK101便で新千歳へと飛び、旭川方面へ。
往路は安いからという理由で成田からの早朝便を利用したのですが、これが安物買いの銭失いみたいなもので、おそらく2度と使うことはあるまいと思います。
成田出発が6時と早いので、前夜から成田駅前の快活クラブに宿泊し、始発列車で空港へと向かったのですが、快活がほぼ満席でマッサージチェアで寝る羽目になった上に、チェックアウト時にレジが故障して会計が長引くというトラブルがありました。
その上、空港第2ビル駅から第3ターミナルが恐ろしく遠く、搭乗まで時間の余裕が無かったのでもう少しで乗り遅れるところでした。
いくら安くても乗り遅れたら洒落になりませんし、成田まで行くのに想像以上に体力を削られるので、二度と使わないと思います。これからはちょっと高くても羽田からスカイマークかエアドゥを使うことにしましょう。
さて、本題に入ることにしましょう。GK101便は新千歳に少し遅れて到着。予定ではこの日は室蘭本線安平エリアの駅を巡るはずでしたが、乗り換えが間に合いそうにないので急きょ予定を変更。砂川・士別・旭川の市役所と深川~旭川間の途中駅を巡ることにしました。
新千歳空港8:15発快速エアポート81号3851M(クモハ721-3203)で札幌へ出て、9:00発特急カムイ7号2007M(モハ7899-1001)に乗り換え。今回は北海道フリーパスを使っているので特急にも自由に乗れます。
砂川で下車。砂川市の代表駅で、かつては歌志内線・上砂川支線が分岐していただけあって大きな駅です。洋館風の駅舎は平成元年10月に改築されたもの。
粉雪舞い散る中を5分ほど歩いて砂川市役所へ。駅から近い市役所は駅めぐりついでで簡単に来れるので助かります。現庁舎は昭和45年に竣工した4代目で、来年春に新庁舎が完成する予定。雪の中の市役所というのもまた北国らしさが感じられていいですね。
滝川駅に戻り、15分遅れの10:17発特急カムイ9号2009M(サハ788-1002)で旭川へ。宗谷本線への乗り換え時間を使い、駅前でバスを撮影。旭川駅に来るのはこれが初めてですが、想像以上に大都会でした。日本最北の大都市といった感じでしょうか、さすが北日本第4位の人口を誇る都市だけあります。
旭川11:30発快速なよろ1号名寄行き3221D(キハ40-829)で士別へ。士別市の代表駅で、特急を含む全列車が停車します。駅舎は昭和41年11月に改築されたもので、待合室内には売店もあります。
20分ほど歩いて士別市役所へ。昭和39年に竣工した古い庁舎で、新庁舎(右)がほとんど完成していたので、そう遠くないうちに役目を終えると思われます。
駅へ戻る時には別の道を通りましたが、小さいながらも歓楽街がありました。古い建物が多い辺り、ここも古くから栄えてきた街のようです。
士別13:46発快速なよろ6号旭川行き3324D(キハ40-829)で旭川へ。平成22年10月に高架化されたガラス張りの立派な駅で、北の大都市の玄関口にふさわしい構えを見せています。内部は木材が多用されており、落ち着いた雰囲気です。
15分ほど歩いて旭川市役所へ。途中何度も信号に引っ掛かり、距離の割には時間がかかりました。昭和33年10月竣工の市役所総合庁舎は、巨匠・佐藤武夫の代表作の一つで、日本建築学会賞作品賞を受賞しています。佐藤氏は軍人だった父の転任に従って中学生の3年間を旭川で過ごしており、ゆかりの地に残る作品ということになります。
62年もの歳月雪に耐えてきた風格も感じられますが、デザインに関して言えばそれほど古さは感じさせません。同じく佐藤作品の矢板市役所や大津市役所もそうですが、やはり傑作は古びないんだなと思わされます。
旭川16:12発普通岩見沢行き2336M(クモハ721-3)で伊納へ。小さな集落にある寂しい駅ですが、駅前に人家があるので思っていたほど秘境感はありません。駅舎は昭和60年改築の貨車駅舎で、かつては学生の利用が多かったことから2台設置されていましたが、高校の閉校で利用者が減少したことから1台が撤去されています。今となっては利用者も少なく、廃止候補にも上がるほど。この駅もいつまで残るか分かりません。
伊納17:00発普通旭川行き2331M(クハ721-2)で近文へ。旭川市郊外の住宅街の中にある無人駅で、平成元年に改築されています。利用客はそこそこ多そうですが、函館本線の特急偏重ダイヤのために残念ながら本数はあまり多くありません。特急の一部列車を停めてもいいのではないかという気がしますが。
島式ホーム上には明治44年11月築の古い木造待合室が残されています。これで駅舎も古ければ完璧でしたが、待合室が残っているだけでもいい方でしょう。文化財になってもおかしくないくらい古い待合室内に暖房はありませんが、裸電球の灯りのおかげで暖かそうな雰囲気は出ています。
近文17:40発普通岩見沢行き2338M(クモハ721-2)で納内へ。平成11年改築の合築駅舎には深川市役所の支所が入居しています。それほど辺鄙な立地の駅ではありませんが、日没後の駅に人気は無く寂しげでした。まだ18時なのに深夜のような静かさです。
日も暮れてしまったので18:17発普通旭川行き2333M(クハ721-11)で旭川に戻り、セコマに寄るために遠回りしてからこの日の宿・オスパーコート宮前へ。
客室は昭和のワンルームマンションみたいな感じで、部屋のシャワーは壊れかけでしたが、大浴場は立派でした。ちょっと駅から遠いですが、値段が安いので貧乏旅行には欠かせない宿です。
2/4 播州一筆書き駅めぐり
山口県から帰ってすぐ、Twitterを見ていると今度は姫新線の西栗栖駅・東觜崎駅が改築されるとの情報を目にしたので、今度は姫新線へと出かけました。18きっぷのシーズン外なので100㎞を越えるように一筆書きの経路を組んだ切符で巡っていきます。
前夜22:30にバスタ新宿を出発した青春エコドリーム7号が三宮バスターミナルに到着したのは定刻より15分早い7:40。三ノ宮駅で姫新線・佐用・智頭急行・上郡経由で英賀保までの切符(2810円)を購入。
三ノ宮7:51発快速姫路行き711M(クハ221-67)、加古川8:40発新快速姫路行き3405M(サハ223-2031)、姫路9:08発普通播磨新宮行き1831D(キハ127-2)を乗り継ぎ、まずは播磨高岡で下車。
姫路市郊外の住宅街にある無人駅で、駅舎は民営化前後に改築されたと思われる簡素なものです。ちょうどラッシュが終わる時間帯でしたが、この駅でも結構下車客がありました。
播磨高岡9:34発普通余部行き939D(キハ127-1)で余部へ。姫新線の車両基地のある駅で、朝の時間帯を中心に折り返し列車が多数設定されています。駅舎は昭和5年9月開業時に建てられたもので、幾度も改修されてはいるものの、外壁の一部が下見板張りのまま残されています。
有人駅で、駅舎内にはみどりの窓口もありますが、駅裏手の西口は簡易イコカ改札機があるだけの簡素なものです。
余部9:57発普通播磨新宮行き1833D(キハ122-5+キハ122-3)で太市へ。昭和6年12月開業時に建てられた木造駅舎が残っており、外壁の一部は改修されているものの、扉は木製のままです。でも、残念なことに訪問時間帯は逆光。周辺駅が改築される中、この駅だっていつまでも安泰だとは思えないので近いうちに撮り直したいところです。
太市10:36発普通播磨新宮行き1835D(キハ122-4)で東觜崎へ。太市とほぼ同型の木造駅舎が残っていますが、2月10日より改築工事のため仮囲いを設置する旨の貼り紙がありました。訪問時は駅前にパトカーが停まっており、お巡りさんが若い女性に事情聴取したり、道路にかがみこんで調べたりしていました。漏れ聞こえてくる会話を聞く限り器物損壊事件か物損事故のようですが、邪魔になってはいけないと思い駅舎を思う存分撮るというわけにはなかなかいきませんでした。
東觜崎11:18発普通播磨新宮行き1837D(キハ127-2)で播磨新宮へ。当駅を境に運行系統が分断される拠点駅で、姫路から当駅までは1時間に約2本の運転本数が当駅から先では2時間に1本程度にまで減少します。合併でたつの市となった旧揖保郡新宮町の玄関口で、駅舎は平成22年9月改築の立派な半橋上駅舎ですが、訪問時は閑散としていました。
播磨新宮11:58発普通上月行き3839D(キハ122-6)で千本へ。緩くカーブした片面ホームの駅で、駅舎は播磨高岡とほぼ同型。訪問時は作業員さんが配線工事をやっていました。次の列車まで2時間ほどあるので、歩いて3.6㎞離れた西栗栖へ向かいます。
45分ほど歩いて西栗栖へ。Twitterの情報では2/1朝の時点ではまだ駅舎が残っていたとのことですが、この3日間で解体されてしまったようで、訪問時には廃材の撤去作業中でした。昭和9年3月開業時に建てられたという木造駅舎はもはや影も形もありません。
改築工事自体は1月18日から開始だったそうで、正月にこの辺の駅も巡っておけばよかったと後悔しましたが、もう後の祭り。JR西日本はローカル駅の改築でいちいち発表しないので、改築を事前に知ることは困難です。今年になってからさらに改築のペースが上がっているようなので、こうなったからには改築されそうな駅を片っ端から見ていくしかありません。
西栗栖14:09発普通佐用行き847D(キハ122-4)で佐用へ。佐用郡佐用町の代表駅ですが、町名が「さよう」なのに対して駅名は「さよ」と読み方が異なります。
駅舎は智頭急行線の開業に備えて平成5年3月に改築された半地下構造のもので、写真の建物(待合室)に入って左手の階段を下ったところに改札口があります。
その構造ゆえに佐用町に大きな被害をもたらした平成21年の豪雨の際には水没して数日間運休をよぎなくされました。
智頭線上郡行きへの乗り換え時間が一時間以上あるので駅周辺を散策。駅前には佐用町役場があり、非常にアクセスが良いです。駅周辺には商店等も密集していますが、シャッターの閉まった店舗も目立ちます。
佐用15:36発普通上郡行き738D(HOT3501)、上郡16:04発普通相生行き1320M(クモハ115-1513)、相生16:18発新快速野洲行き3498M(サハ223-2108)で竜野へ。平成17年の合併でたつの市となった旧揖保郡揖保川町の駅で、明治39年12月に建てられたとされる木造駅舎が現役で使用されています。
駅名の由来となった城下町・龍野からは5㎞ほど離れており、そちらへは姫新線本竜野駅の方が便利です。正直、姫新線開業時に駅名を本竜野に譲ってこちらは「揖保川」とでもした方が良かったのではないかという気がします。
竜野16:53発普通米原行き972M(モハ223-2174)で網干へ。網干総合車両所があることから折り返し列車が多数設定されている運行拠点駅で、昭和53年3月に橋上化されています。網干の中心部からは3㎞離れており、そちらへは山陽電鉄網干駅の方が近いです。昭和9年までは網干港から当駅を経て本竜野・播磨新宮まで播電鉄道が走っていましたが、姫新線の開業に伴って廃止に追い込まれています。
網干17:19発普通野洲行き814T(モハ222-2007)ではりま勝原へ。平成20年3月15日に開業した新しい駅で、姫路市の市鳥・シラサギをイメージした白い屋根が特徴の橋上駅です。周辺には新興住宅地が広がっており、まだまだ発展しゆく街といった感じです。
はりま勝原17:37発普通米原行き816T(サハ220-48)で英賀保へ。大正2年2月開業時の駅舎が残る駅で、訪問はこれが3度目。一筆書きの旅はここで終了し、山陽網干線の西飾磨駅まで歩いていきます。
暮れゆく街を15分ほど歩き、西飾磨へ。相対式ホームの交換可能駅で、昭和62年に高架化されています。周辺は住宅街ですが、駅は無人でひっそりとしています。
西飾磨からは18:16発普通飾磨行き1860(6007)と飾磨18:22発直通特急阪神梅田行き9182H(5010)を乗り継いで神戸三宮へ。夕食を食べてからバスターミナルへ行き、21時ちょうど発の青春エコドリーム8号に乗車しました。
1/31 周防地方建築めぐり
山口遠征2日目は熊毛郡・大島郡・旧玖珂郡方面へと向かいました。
快活クラブを6時半にチェックアウトしてまずは上和字駅跡へ。東京と比べると明るくなるのが遅く、だいぶ西に来たんだなと感じられます。暗くて見通しがよくないので、飛ばしたりせずに60くらいで走っていたところ地元のめっちゃ飛ばす車に煽られました。
上和字駅跡はホームが残っており、客車やらバスやらが保存されていた時期もあったようですが、今は何もありません。せめて説明板くらいは欲しい所ですが。
上和字駅跡からさらに山奥へ分け入り徳地の旧役場へ。定礎によれば昭和36年12月20日竣工。設計は中村稔一級建築士、施工は高藤建設とまで細かく書かれており、役場オタクにとってはありがたい情報量でした。
峠を越えて新南陽の市街地へ入り、徳山・下松を越えて田布施へ。田布施町内では洋館2軒を撮影。役場も気になりますが、こちらは建て替え計画もないし、駅から徒歩圏内ので割愛。
続いて柳井市に入り、旧余田村役場へ。最近まで公民館として使われていましたが、今は空き家のようで、今後が心配されます。前にマイクロバスが停まっていたのと影が落ちてしまったのとで写真が残念な出来に。撮り直したいし中も見てみたいので解体されませんように。
南下して平生町へ。役場は昭和35年に竣工したもので、建て替え計画があります。
こうした鉄道のない市町村まで来れることを思えばやはり車の旅は便利だなと思いますが、やはり一人で運転していると疲れますし、何より綺麗な景色があってもそう簡単には撮れません。
平生からさらに室津半島西岸を南下して熊毛郡上関町へ。本土と橋で繋がっている長島に中心市街地があり、その狭い道の奥に年季の入った役場があります。ここまで窮屈な立地の役場をこれまで見たことがありません。
上関市街を見下ろす神社から写真を撮ってみましたが、実に絵になります。今回は役場とその周辺を見ただけでしたが、今度は泊りでゆっくりと来たいものです。
橋を渡って本土へ戻り、室津地区の道の駅上関海峡で休憩。本土側の上関町室津地区には四階楼という文化財がありますが、今回は外観のみ撮影。
今度来る時は室津に車を置いて船で渡ってみるのもいいかもしれません。
休憩の後は室津半島東岸をひたすら北上して大畠を目指します。西岸と比べると道が狭く曲がりくねっていますが、時折見える瀬戸内海が美しいので、退避スペースに車を停めて写真を撮ってみました。
途中、遠崎によって洋館を見てから大畠へ。平成17年に柳井市と合併するまでは独立した自治体で、合併まで昭和6年築の古い役場が使われていましたが、取り壊されて今は空き地です。
大畠からは橋を渡って周防大島(屋代島)へ。先程見た上関(長島)と比べると大きな島のためか、あまり島という感じはしません。みかん農園があちこちにあることもあってか、和歌山を思わせる景色です。
西屋代で廃校などを見てから、塩務局出張所跡へ。明治38年に建てられた回廊付きの建物で、廃墟化していますが、このまま朽ち果てさせるのはあまりにも勿体ないと思います。
海岸線に沿って西岸を南下し、沖浦へ。下見板張りの郵便局が旧道沿いにひっそりと残っています。道中、あちこちで工事が行われており、片側交互通行になっていました。
西安下庄でもいくつかの建物を見てから、東安下庄へ。平成の大合併で周防大島町になる前は大島郡橘町の中心だった街で、なかなか賑わいが感じられます。
Aコープでカフェオレと菓子パンを買って休憩を取りました。いい感じの街だったのでここも今度は泊りで来たいですね。
周防大島東岸を北上して島をほぼ一周し、再び橋を渡って大畠へ。神代郵便局を撮影してから今度は内陸の玖珂を目指して北上。瀬戸内海ともこれでお別れです。
峠を越えて玖珂市街地の狭い道を通り、玖珂の旧役場へ。旧役場は昭和35年、公民館は昭和41年竣工といずれも年季が入っており、近い将来、移転建て替えとなる予定です。
続いて、玖珂の隣町・周東へ。昭和36年10月竣工の役場は建て替え工事中で、正面入り口は封鎖されています。内部は満身創痍といった感じでしたが、建て替え前にギリギリ間に合って良かったと思います。
時刻は16時で、防府での車の返却時間までにはまだ余裕がありますが、渋滞等のリスクを考えて防府に直行します。
案の定渋滞に巻き込まれ、防府には予想より少し遅れて到着しました。とはいえまだバスの時間まで余裕があるので、車を返却してから防府市役所へ。業務時間が終わっているので中は見れませんでしたが、日没まで外観を撮影しました。中は今度鉄道で来る時にでも見ようと思います。
19:40発の帰りのバスは発車時刻より1分遅れて防府駅前に入線。道中渋滞に巻き込まれたようで、東京駅日本橋口には翌朝8:54に到着しました。
1/30 美祢・宇部を中心に建築めぐり
1月最後の2日間は山口県内をドライブして、役場や近代建築などを巡ってきました
前日夜19時半に東京駅八重洲南口を出発した防長バス萩エクスプレスが防府駅前に到着したのは定刻より15分ほど遅れの8時20分ごろのこと。
駅前のレンタカー営業所で車を借りて早速美祢方面へと出発します。
小郡までの国道2号線で渋滞に巻き込まれながらも、9:36に宇部市の山間にある東吉部郵便局跡に到着。平屋建ての古い郵便局が残っているはずでしたが、見当たらないので通りかかったお爺さんに尋ねてみたところ上写真の空き地のところにあったとのことでした。だいぶ前に解体されてしまったようです。
気を取り直して旧美東町の中心・大田へ。昭和30年5月竣工で建て替え計画のある旧役場や同じ道沿いの旧医院、県道沿いの農協などを撮影しました
山を越えて隣の旧秋芳町へ。旧役場や公民館、体育館などの公共施設が一か所に集まっていますが、老朽化等により再編計画があります。昭和32年11月竣工の旧役場はくたびれてはいるもののなかなか素晴らしいモダニズム建築でした
公民館は昭和44年3月竣工、こちらもモダニズム感溢れる建物ですが、残念ながら逆光。秋芳町には秋芳洞でも見にまた来ることがありそうなのでその機会にでも撮り直したいと思います。
秋芳町中心部から更に北上し、嘉万公民館へ。立地が立地だけに建築オタクの中でも注目されることのない建物ですが、市のHPでたまたま写真を見て気になったので訪問。
嘉万地区はだいぶ前から秋芳町の一部ですが、公民館には「数十年前は役場だった」と言われたら信じてしまいそうなほどの風格があります。
美祢市中心部の方へ向かい、旧伊佐郵便局へ。状態よく残っている戦前の郵便局で、現在は飲食店になっているようですが、訪問時は開店前で中から料理を準備していると思われる物音が聞こえていました。
続いて美祢市役所・市民会館へ。平成の大合併までは2万足らずの人口しかなかった市とは思えないほど立派な公共施設が集中しており、炭鉱の街としてのかつての栄華が感じられます。ただ、今なお工業都市のため炭都特有の物悲しさのようなものはあまりありません。市民会館の隣にはC58と大嶺駅の駅名標が保存されていました
四郎ヶ原の旧浅山医院に寄ってから旧厚保郵便局へ。蔦に覆われ、自然に還りつつありますが、割れた窓から中を覗き込んでみるとカウンターなどが意外と綺麗に残っていました
ポツンと一軒家に出てきそうな狭い山道を抜けて厚狭の殿町児童公園へ。道中の山道では車の進路上で寝そべってしまった猫をおばあさんが拾い上げて避難させるまで待つなんてこともあり、見ていてほっこりとしました。
SLももちろん撮りましたが、ここに来た一番の目的は公園の近くにある旧図書館でした。軍人だった息子を航空機事故で亡くした山下美代蔵氏が御下賜金を寄付して建てた図書館で、現在は物置となって少し荒れています。
続いては旧楠町の中心・船木へ。まずは昭和37年に竣工したL字型の旧役場を見学。
市街地も少し歩きましたが、古い建物が多く趣のある街でした。
船木の中心市街地の外れには昭和36年に廃止された船木鉄道の終点・船木町駅の駅舎がバス会社の本社・営業所・待合室として残っています。昭和25年に建てられたとされるもので、増築されてはいますが、随所に駅舎時代の面影を残しています。
船木を後に、二俣瀬へ。昭和天皇の御大典を記念して建てられた旧役場が酒造会社に転用されて残っています。
宇部市中心部に入り、宇部市役所へ。昭和33年4月に竣工した巨大な市庁舎で、さすがに宇部は古くからの大都会だなと思わされます。現在裏手に新庁舎を建設中で、ホールには新庁舎の模型が置かれていました。
続いて市役所最寄りの琴芝駅へ。この駅の改築を聞きつけたのがこの遠征のきっかけでしたが、ちょうどいいフリーきっぷが無かったので、鉄道では行きにくいところと組み合わせてのドライブとなりました。駅舎内の貼り紙によれば2月中旬から6月下旬にかけて改築工事を行うようです。
どうやら宇部線にも改築ラッシュがやってきたようで、宇部市街地の東部にある常盤駅も改築中。待合所の撤去跡に新待合所を建設した後、2月28日から駅舎を撤去すると貼り紙にはありました。海を望む高台の駅で、簡素な駅舎ではあるものの、有人駅時代の窓口跡が残っています。
岐波駅も工事中。と言ってもこちらは改築というより改修で今の駅舎の骨格を残しつつ壁の一部を撤去する模様。駅舎の右半分は既に閉鎖されていました。
改築予定の宇部線3駅を見た後は阿知須総合支所へ。昭和44年5月竣工の旧役場は展望台が突き出た個性的なデザインで、地名の由来となったアジガモをモチーフとしているそうです。建て替えのために1月27日より仮庁舎に移転しており、中こそ見れなかったもののギリギリ間に合ったという感じでした。展望台は是非とも登ってみたかったのですが、昨年夏のイベントで開放された以外は基本的に立入禁止だったようです。
予定ではこの後、嘉川駅近くの洋館を見る予定でしたが、日も暮れてきたし雨も降ってきたしで断念。そのまま快活クラブ防府店に直行して宿泊しました。
1/25 都営大江戸線・三田線駅めぐり
この日は都営まるごときっぷを使い、都営大江戸線・三田線の駅を巡りました。
牛込柳町を7:48発光が丘行き743B(12-432)で出発し、まずは飯田橋へ。JR中央総武線やメトロ東西線・南北線との乗換駅ですが、今回はそれらの駅とは逆側の改札・出口を撮影。
飯田橋8:03発光が丘行き728B(12-118)で春日へ。都営三田線との乗換駅であるほか、メトロ丸の内線・南北線後楽園駅に隣接していて乗り換えができます。いっそ駅名を統一してしまえばいいのにと思うのですが、都営とメトロの場合こういう駅が多いですよね
春日からは三田線に乗車。春日8:23発白金高輪行き730T(6316-1)で大手町へ。東京メトロ4路線との乗換駅で、それぞれの路線で降りているので、もちろん来るのはこれが5回目、いい加減見るのも嫌になってくるような駅です。
大手町8:46発白金高輪行き850T(6334-8)で日比谷へ。地上部分は確かほとんど撮っていたように思うので今回は地下部分のみ撮影、地上の撮り残しはまあこの辺の建物を撮る時にでも撮ればいいでしょう。
日比谷9:00発白金高輪行き804K(3011)で内幸町へ。日比谷公会堂は日比谷駅ではなく当駅の目の前にあります。
内幸町9:14発急行日吉行き868T(6321-8)で御成門へ。東京タワーや増上寺、三田区役所の最寄り駅です。
御成門9:32発白金高輪行き856T(6336-4)で芝公園へ。その名の通り芝公園の目の前にある駅で、地名も芝公園です。
芝公園9:46発急行日吉行き940T(6324-8)で三田へ。昭和48年開業時から平成12年の目黒延伸までは終着駅でした。兵庫県民の私はついつい「さんだ」と読んでしまいそうになる駅名です。
三田10:00発日吉行き960T(6327-4)で目黒へ。白金高輪・白金台は以前、南北線ついでに訪問済みなので飛ばします。南北線との重複区間、訪問基準を満たすにはそれぞれの路線の列車を使い分けないといけないのですが、ちょうどいい具合に交互に来るのではないのがやりづらいところです。
目黒10:16発赤羽岩淵行き982M(2205)と白金高輪10:23発西高島平行き1037T(6311-2)を乗り継いで春日へ。先程は撮れなかったホームや駅名標などを撮影してから、再び西高島平方面へ。
春日10:54発西高島平行き1055T(6333-7)で新板橋へ。JR埼京線板橋駅との乗換駅ですが、少し離れており徒歩5分ほどかかります。A1出口の見た目がなかなか良さげでした。
新板橋11:16発西高島平行き1031T(6316-2)で板橋区役所前へ。駅名の通り、板橋区役所の最寄り駅で、「前」というよりは「直下」にあり、A2番出口は区役所の建物と一体化しています。
板橋区役所前11:24発西高島平行き1059T(6328-1)で板橋本町へ。帝京大学およびその系列校の最寄り駅で、計画時の駅名は「大和町」でしたが、東武東上線と接続する計画があったため、そちらの大和町駅(現和光市駅)との混同を嫌ってこの駅名になりました。
板橋本町11:38発西高島平行き1053T(6335-1)で本蓮沼へ。計画時の駅名は「蓮沼」でしたが、東急池上線蓮沼駅との混同を避けるためにこの駅名になりました。
本蓮沼11:46発西高島平行き1061T(6327-8)で志村坂上へ。板橋区志村の中心部にある駅で、地下区間も当駅で終わりです。
志村坂上12:00発西高島平行き1165T(6309-1)で志村三丁目へ。この駅からは高架駅となります。駅舎は大きく立派ですが、駅前は狭く、パチンコ屋が隣接していてごみごみとした雰囲気です。
志村三丁目12:14発西高島平行き1103K(3262)で蓮根へ。島式ホームの高架駅で、タイル貼りの壁などに昭和の高架駅の雰囲気を色濃く残しています。
蓮根12:22発西高島平行き1107K(3005)で西台へ。車両基地の隣接している駅で、開業時は東口しかありませんでしたが、平成16年に西口が開設されました。
西台12:36発西高島平行き1167T(6329-8)で高島平へ。赤塚地区に所在するのに開業時は「志村」を名乗っていましたが、昭和44年に改称されました。
開業時は終着駅だっただけあって、2面4線の立派な高架駅で、波形の堂々としたホーム上屋がターミナル駅らしさを演出しています。駅前は言わずと知れたマンモス団地です。
高島平12:50発西高島平行き1143T(6304-2)で新高島平へ。昭和51年に開業した駅で、都営地下鉄で初めての自動改札機が試験設置された駅でした。巨大な高層団地の連なる駅前風景はSFチックなものを感じさせます。
新高島平13:03発西高島平行き1269T(6321-1)で西高島平へ。東京の地下鉄で最北端に位置する終着駅で、すぐ近くを和光市との境界が通っています。ホームは相対式で、あまり終着駅らしい雰囲気はありませんが、当初の計画ではさらに延びる予定だったことを思えばそれも頷けます。高架は駅から少し伸びたことろでぷっつりと途切れており、あっけなさのようなものを感じさせます。
西高島平からは13:18発日吉行き1354T(6333-1)で折り返して本蓮沼へ。先程は撮れなかった上りホーム等を撮影し、13:37発白金高輪行き1334T(6325-4)で板橋区役所前へ。
こちらでも未撮影箇所を回収し、13:47発白金高輪行き1356T(6336-8)で春日へ。
春日からは大江戸線の未訪問駅を制覇しつつ、未回収のスタンプを回収していきます。ここからは略記版となりますがご了承ください。
春日→本郷三丁目 1403光が丘行き1323B(12-746)
本郷三丁目→上野御徒町 1411光が丘行き1324B(12-441)
上野御徒町駅は初訪問。JR御徒町駅、銀座線上野広小路駅、日比谷線仲御徒町駅に隣接しており、乗り換えが可能です。
上野御徒町→新御徒町 1425光が丘行き1426B(12-716)
新御徒町→蔵前 1433光が丘行き1427B(12-456)
蔵前→両国 1441光が丘行き1428B(12-117)
両国→森下 1449光が丘行き1429B(12-627)
森下→清澄白河 1457光が丘行き1430B(12-367)
清澄白河→門前仲町 1505光が丘行き1431B(12-246)
門前仲町→月島 1514光が丘行き1432B(12-517)
月島駅は初訪問。有楽町線との乗換駅で、そちらで来たときには撮ってない部分を中心に撮影。月島区民センターが隣接しています。
月島→勝どき 1528光が丘行き1402B(12-677)
勝どきも初訪問。元々複雑な構造でしたが、大規模改修工事によってさらに複雑化していて実際に訪問しても一体どういう構造の駅なのか理解できませんでした。だいぶ疲れが溜まってきたので、一駅だけ残っている汐留駅はゆりかもめのついでに降りることにしてこの日はスルーすることに。でもようやく都営地下鉄駅めぐりも終わりが見えてきました。
勝どき→築地市場 1542光が丘行き1504B(12-652)
築地市場→都庁前 1550光が丘行き1505B(12-292)
都庁前→新宿西口 1618光が丘行き1616B(12-638)
新宿西口→東新宿 1626光が丘行き1617B(12-415)