まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

2/23 吹雪の函館本線駅めぐり(山崎・国縫・野田生・山越・中ノ沢・二股・八雲)

北海道駅めぐり6日目は、函館本線長万部周辺の未訪問駅を片付けました。

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早朝の長万部駅

雪のちらつく中、長万部を6:28発普通函館行き2840D(キハ40-835)で出発。

幾度もの改装を経て生き残ってきた長万部の駅舎も北海道新幹線開業の際に取り壊される予定で、余命もあと数年です。

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山崎駅

山崎で下車。内浦湾を目の前に望むことのできる、海沿いの小集落の駅で、有人駅時代の木造駅舎が減築されながらも残存しています。減築されたのは昭和62年1月ですが、元の駅舎の建築時期は不明です。駅舎の半分は作業員詰所として使用されています。

遅れてやって来る下り普通列車を待合室で待っていると、「今、中でバナナ食ってたんだよ。お腹空いた時にでも」と、詰所にいた除雪作業員のおじさんからバナナを2本頂きました。寒い時期だからこそ、人のやさしさが一層心にしみます。

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国縫駅

8分遅れの山崎7:27発普通長万部行き891D(キハ40-1809)で国縫へ。昭和62年3月に廃止された瀬棚線の分岐駅で、昭和14年12月改築の古い木造駅舎が残っています。支線の分岐駅だけあって駅舎は立派で、かつては急行も停車していましたが、平成26年度の一日平均乗降客数は8人と少なく、栄枯盛衰といった感じです。駅前の集落にもあまり人の気配はありません。

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国縫駅 跨線橋

下りホームへは跨線橋で結ばれていますが、この跨線橋がかなり年季の入ったもので、今どき珍しい床が板張りのままのものです。

小沢駅の跨線橋ほどではないにしろ貴重なものなので、このまま一日数人が利用するだけの忘れ去られた駅として朽ちてゆくのはしのびないと思います。

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山崎駅でもらったバナナを車中で

国縫8:43発普通函館行き820D(キハ40-1809)に乗車し、先ほど山崎駅でもらったバナナを、車窓に広がる内浦湾を眺めながら頂きました。

本来南国の植物であるはずのバナナですが、今後はバナナを見る度に冬の朝の函館本線を思い出すことになりそうです。忘れられない思い出になりました。

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野田生駅

野田生で下車。郵便局や中学校もある、比較的大きめの集落にある駅で、昭和34年までは「野田追」という表記でした。駅舎は昭和63年12月改築の簡素なものです。

次の列車までは約一時間、予定では次の列車までここに滞在する予定でしたが、地図を見たところ山越まで歩いて行けそうだったので、山越まで歩いて列車に乗ることにしました。

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山越集落

野田生を出たときは晴れていたものの、国道5号を山越へ向けて歩くうちに風がどんどん強くなってきました。ちょうど向かい風なので、雪が顔にあたって目も開けていられないほど。山越集落に入る頃には軽く吹雪と言ってもいいような状態になっていました。

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山越駅

無事山越駅に着けるか不安になりましたが、次の列車まで15分ほど残して何とか到着。駅舎内に逃げ込んで一息つきました。

平成元年改築の駅舎はかつてこの地にあった、日本最北の関所「山越内関所」を模したデザイン。中には関所を再現した模型も置かれています。駅名は開業時「山越内」でしたが、一年と経たずに改称されています。

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中ノ沢駅

山越10:37発普通長万部行き821D(キハ40-1803)で中ノ沢へ。明治37年に「紋別」として開業し、大正3年に改称された駅で、昭和62年1月にヨ3500形車掌車を転用した貨車駅舎に改築されています。デッキ部分の窓が埋められず3枚とも残っているなど、仕様としては宗谷本線の貨車駅よりも江差線の貨車駅の方に近く、やはり道南という感じがします。江差線にあった貨車駅のうち、同じくヨ3500形車掌車を転用した吉堀、桂岡、中須田は既に廃止されているため、道南においてはここが現役最後の車掌車駅舎です。

もっとも、仕様が違うとはいえ、道東や道北に行けばまだまだたくさん残っているのであまり希少価値を見出す人はいないでしょうが。

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そばの合田 カツ丼セット かけそば

引き続き、吹雪の中を一時間歩いて長万部へ。駅前の「そばの合田」のカツ丼セットで昼食。吹雪の中を歩いた後で食べたということもあるのでしょうが、これまで食べた中で一番美味しいカツ丼でした。衣のサクサク具合やタレのしみ具合がちょうど良かったです。

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二股駅

長万部13:18発普通倶知安行き2943D(H100-8)で二股へ。昭和62年1月改築の駅舎はワラ1型有蓋貨車の側面をくり抜いて出入口を設置したもの。北海道の貨車駅と言うと車掌車を種車とするものが目立つので、有蓋貨車を種車とするものは新鮮に見えます。

吹雪は沿岸部よりも一層激しく、視界が全然効きません。よくまあ列車が動いているなと思えるほどの悪天候です。案の定、次の列車は遅れてくるとの放送が入りました。

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二股駅に2938Dが到着

6分遅れで到着した二股13:59発普通長万部行き2938D(H100-1)で長万部へ。激しい吹雪のため徐行運転しているようで、警笛が聞こえてから列車がやって来るまでにだいぶ時間がかかりました。

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八雲駅

長万部で14:35発特急北斗12号函館行き12D(キハ261-1214)に乗り換えて八雲へ。

二見郡八雲町の玄関口で、特急を含めすべての列車が停車します。駅舎は昭和44年10月改築の鉄筋コンクリート造平屋建て。

北海道新幹線開通の暁には、町の中心部から離れたところに新八雲駅が建設される予定ですが、その時この駅はどうなるのでしょうか。

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蘭越駅で発車を待つ2953D

2分遅れの八雲16:04発特急北斗15号札幌行き15D(キハ261-1208)で長万部へ。長万部からは16:38発普通小樽行き2953D(H100-1)に乗車。

長万部を発車する前に「吹雪と強風のため途中の区間で速度が上昇しないことが見込まれます」との放送が入り、どうやら吹雪は先ほどよりもひどくなっている様子。

黒松内では吹き溜まりや倒木の箇所について指令センターに連絡し、3分遅れで発車。この日に限り発着番線を1番線に変更していた熱郛では6分、目名では7分と、進むにつれて遅れ時間が増えていきます。

蘭越には17:41着、蘭越倶知安間で緊急の除雪を行った影響で対向列車が遅れており、その到着を待って25分遅れの18時ちょうどに発車となりました。

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夜の倶知安駅

倶知安には23分遅れで18:36着、この日はSMART HOTEL KUTCHANに宿泊し、北海道駅めぐり最後の夜が暮れていきました。翌日最終日は駅めぐりよりもバスの旅がメインとなります。

2/22 厳冬の根室本線・石勝線駅めぐり(西庶路・庶路・音別・新大楽毛・大楽毛・白糠・トマム)

北海道駅めぐり5日目は、根室本線・石勝線の未訪問駅を片付けました。

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早朝の西庶路駅

釧路を5:41発普通新得行き2522D(キハ40-1756)で出発し、西庶路で下車。白糠郡白糠町最大の集落である西庶路にある駅で、周辺は住宅街。駅から直接は見えないものの、飲食店もあります。

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西庶路駅

駅舎は昭和50年代に改築されたと思われる、モダンなデザインのもの。細部が異なりますが、豊頃駅(昭和58年改築)と似たデザインです。駅舎の左隣にある詰所は旧駅舎を減築の上転用したもの。建物財産標には「昭和16年4月」とあったので、信号場としての開業時に建てられたものでしょう。今年の3月28日で開業80周年を迎えます。駅への昇格は昭和27年3月です。平成22年の映画「ハナミズキ」には「丹別(たんべつ)駅」として登場しました。

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庶路駅

西庶路7:10発普通釧路行き2571D(キハ40-1752)で庶路へ。大正4年に白糠村と合併して消滅した旧白糠郡庶路村の駅で、開業は明治34年7月と、西庶路駅より40年も古いです。駅の歴史から見ておそらくこちらが旧庶路村の中心だったのでしょうが、今となっては西庶路の方が集落も大きく、駅も西庶路の方が立派です。駅舎は昭和59年3月改築、西庶路と比べると随分コンパクトです。

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庶路駅 ホーム

交換設備が廃止されたのは分割民営化直前の昭和62年3月。廃止された対向ホームは今も残っており、国鉄仕様の駅名標も現存します。跨線橋の上からも駅構内を撮影したかったのですが、補修工事のため2月26日まで通行止めでした。

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音別駅

庶路7:37発普通音別行き2570D(キハ54-522)で音別へ。平成17年10月に釧路市と合併して飛び地となった旧白糠郡音別町の玄関口で、折り返し列車が朝夜2往復設定されています。特急通過駅でありながらみどりの窓口がありましたが、3月12日限りで営業を終了し、無人化されています。この駅については昨年訪問済みですが、その時は窓口が営業時間外だったので、無人化を前に今回再訪することにしました。スタンプを押して入場券と青春18きっぷを購入。折り返し列車には同業者が多く乗っており、一時は窓口に行列ができていました。

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新大楽毛駅

折返し音別8:28発普通釧路行き2575D(キハ54-522)で新大楽毛へ。釧路市の郊外に昭和63年11月に開業した駅で、長らくホームだけの簡素な駅でしたが、平成25年11月にログハウス風の待合室が設置されました。周辺は工場地帯ですが、住宅も多く見受けられます。

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大楽毛駅

20分ほど歩いて大楽毛へ。昭和24年に白糠郡白糠町から釧路市編入された大楽毛地区の玄関口で、戦前は軍馬の集散地として、戦後は本州製紙釧路工場の原料搬入・製品搬出駅として隆盛を極めました。平成元年10月改築の駅舎は釧路市大楽毛支所との合築。正面から向かって右手が市役所の支所で、中央の背の高い棟が駅待合室、左手はかもめ食堂という飲食店になっています。掲げられているメニューを見るとなかなか美味しそうでしたが、残念ながら営業時間外。当駅からの乗車を以て根室本線は全駅訪問達成となりました。

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白糠駅

大楽毛10:25発普通帯広行き2524D(キハ40-1740)で白糠へ。ここも昨年訪問済みですが、その時は夜で周辺の様子がよく分かりませんでした。白糠郡白糠町の玄関口で、昭和58年10月に廃止された白糠線の分岐駅。駅舎は昭和44年11月改築の鉄筋コンクリート造平屋建てで、屋根の上に掲げられた駅名がいい味出しています。

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老麺やはた しょうゆラーメンとチャーシュー丼

駅近くの老麺やはたが開くのを待って昼食。釧路からわざわざ通う人もいるほどの人気ラーメン店で、早い時間帯から賑わっていました。やさしい味わいの昔ながらの正統派醤油ラーメンと柔らかいチャーシューが美味しかったです。

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特急おおぞら6号

白糠11:43発特急おおぞら6号4006D(キハ283-19)に乗車。車窓を流れる小さな駅、その全てに一度は降り立っているのだと考えると不思議な感じがしました。

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トマム

石勝線に入り、トマムで下車。昭和56年10月、石勝線の開業と共に「石勝高原」として開業し、アルファリゾート・トマムへの下車駅として昭和62年に改称されました。

駅があるのは人跡稀な山の中で、駅周辺には星野リゾートトマム(旧アルファリゾート・トマム)以外に人工物は見当たりません。

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トマム

駅舎は下りホームの南千歳寄りに設置されていますが、待合室は狭く無人であまり使われている様子はありません。トマムリゾートへは跨線橋で直接結ばれており、かつては歩いてアクセスしたようですが、現在は跨線橋登り口に横付けされる無料送迎バスでのアクセスになっています。

この駅への下車を以て石勝線も全駅訪問達成となりました。

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特急北斗18号

トマム14:38発特急とかち8号札幌行き38D(キハ261-1218)で南千歳へ。南千歳からは16:07発特急北斗18号18D(キハ261-1207)で長万部へ。函館本線を特急で移動する機会はこれまでほとんど無かったのですが、特急に乗っても長万部はやはり遠く、北海道新幹線が切望されるのも分かるなと思いました。

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天ぷら店幹 天丼

長万部駅から雪の中を歩いて天ぷら店幹へ。昼だけ営業の店が多い長万部駅周辺で夜も開いてる貴重な飲食店です。天ぷら店を名乗っているだけあってやはり美味しい天丼でした。衣がサクサクで、これまで食べた天丼の中で一番美味しい天丼ではないかと思います。

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夜の長万部温泉

跨線橋を渡って駅裏の長万部温泉へ。この日は長万部温泉 もりかわ旅館に宿泊しました。

2/21 吹雪の富良野線・根室本線駅めぐり(美馬牛・美瑛・富良野・上富良野・幾寅・新得・幕別・札内・新富士)

前回からだいぶ間が空いてしまいましたが、北海道駅めぐり4日目、富良野線根室本線駅めぐりの模様をお届けします。

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朝の美馬牛駅

旭川を6:40発普通富良野行き723D(キハ150-2+キハ150-4)で出発し、美馬牛で下車。この日は日曜日なので下りはこれが始発列車。列車の行く手のレールはまだ雪に覆われています。列車の後方にも雪がこびりつき、北国の冬の厳しさが偲ばれます。

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除雪作業始まる

列車が行ってしまうと、駅舎から除雪作業員さんたちがぞろぞろと出てきて、除雪作業のため次々に線路へと下りていきました。北国の鉄道の安全運行はこうして支えられているのですね。

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美馬牛駅

美馬牛駅は観光地として名高い上川郡美瑛町の南部にある駅で、大正15年開業時のものと思われる木造駅舎が現役で使用されています。雰囲気は良いですが、コンパクト化されており、昔はもっと大きな駅舎だったようです。無人駅ですが、待合室内ではストーブが焚かれており、冬でも安心して列車を待つことができます。

また、この駅は「北の国から '89帰郷」のロケにも使用されました。

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美瑛駅

美馬牛7:53発普通旭川行き6724D(キハ150-13+キハ150-13)で美瑛へ。昨年にも訪問済みですが、名駅舎は何度見てもいいものです。名産の美瑛石をふんだんに使用した石造りの重厚な駅舎。

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富良野駅

美瑛8:21発普通富良野行き725D(キハ150-7+キハ150-16)で富良野へ。根室本線富良野線の接続駅で、駅舎は昭和49年12月改築。正面部分にバス停の屋根があるので写真を撮りづらいです。

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上富良野

折返し富良野8:12発普通旭川行き726D(キハ150-16+キハ150-7)で上富良野へ。空知郡上富良野町の玄関口で、みどりの窓口も設置されていますが、休日なのでお休みでした。昭和8年に改築されたと思われる、屋根の高い木造駅舎が残っており、リニューアルを受けながらも大切に使用されています。風除室のある造りや、傾きの急な屋根はいかにも北海道らしい雰囲気。

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代行バスで幾寅へ。

上富良野10:38発普通富良野行き727D(キハ150-6)で再び富良野へ。富良野駅前を11:02発の新得行き代行バス501便に乗り換え、幾寅で下車。501便は代行バスで唯一の快速便で、途中幾寅にしか停車しません。現在、長期運休により列車での訪問が不可能で、復旧の見込みもない、幾寅と落合に関しては訪問対象から外していますが、この501便を使えば効率よく訪問することができるので降りてみることにしました。ただし、訪問駅としてはカウントしません。

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吹雪の幾寅駅

バスを降りた時から幾寅駅は吹雪の中。味わい深い木造駅舎が吹雪に耐えている姿は実に絵になります。空知郡南富良野町の玄関口で、駅舎は昭和8年6月改築。高倉健さん主演の映画「鉄道員」撮影のため、映画に登場する「幌舞駅」としてレトロに改装されています。いわば「つくられたレトロ」ですが、昔ながらの駅を忠実に再現したこともあってか、作り物にありがちな「わざとらしさ」は感じられません。

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落合駅

5分遅れでやってきた幾寅12:13発代行バス103便に乗車。こちらは各駅+サホロリゾート前に停車する便ですが、乗客はほとんどいませんでした。幾寅を出てすぐ、南富良野高校付近に臨時停車して女子高生を下ろしてからは乗客は自分以外におじさん一人だけとなり、以降は乗り降りも無く狩勝峠を越えました。

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新得駅

幾寅を出たときは5分遅れていたのに狩勝越えで巻き返したのか、新得には定刻より4分早く13:09着。空知は吹雪いていたのに十勝に出ると一気に空も晴れ渡りました。

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幕別

新得13:48発特急おおぞら5号4005D(キハ261-1204)と帯広14:53発普通釧路行き2427D(キハ40-739+キハ40-1740)を乗り継いで幕別へ。中川郡幕別町の玄関口で、特急が停車しないながらもみどりの窓口がありますが、この日は休日なので営業していませんでした。前回訪問時との違いと言えば窓口が閉まっていることくらいで、前回訪問時に駅周辺も大方撮っているので、待合室で本を読んで過ごします。

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札内駅

幕別15:31発普通新得行き2552D(キハ40-1751+キハ40-1776)で札内へ。幕別町西部の大きな集落にある駅ですが、幕別よりむしろ帯広に近いため、帯広の郊外ベッドタウンのような趣です。駅舎は昭和49年12月改築で、今は亡き広尾駅と共通するものが感じられるデザイン。かつては駅舎内にコーヒーショップが入居していました。

ここも特急通過駅ながらみどりの窓口がありますが、休日で営業していませんでした。

札内への下車を以て根室本線のうち、十勝エリアの駅は全て制覇。札内一駅だけを残していたのがずっと気がかりでした。本数が多くて行きやすいところならともかく、本数が少なくて行きにくいところに一駅だけ未訪問駅を残していたりすると、なかなか厄介なので早めに片付けておくに越したことはありません。

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くじらザンギ

札内16:40発普通釧路行き2529D(キハ40-1768)を池田で乗り捨て、17:21発特急スーパーおおぞら7号釧路行き4007D(キハ283-11)に乗り換えて釧路へ。

釧路駅前の食事処「むらかみ」で夕食。おまかせ定食とくじらザンギを注文しました。鯨肉のザンギを食べるのは初めてですが、とても美味しかったです。

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新富士

夕食後、釧路19:26発普通新得行き2532D(キハ40-739)で新富士へ。東海道新幹線に同名駅ですが、歴史はこちらの方がはるかに古く、開業は大正12年12月。釧路貨物駅に併設された駅で、貨物ヤードの中に島式ホームがあります。夜に訪れてみると大自然の中の秘境駅とはまた違った不気味さが感じられました。

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夜の釧路に到着

3時間前に池田で乗り捨てた、新富士20:01発普通釧路行き2529D(キハ40-1768)に再び乗車し、釧路へ。一度乗り捨てた列車に時間が経ってからまた乗り込むとはなんとも不思議な感じです。この日は釧路駅から少し歩いたところにあるホテルに宿泊しました。

3月13日ダイヤ改正で廃止される18駅

北海道旅行記の途中ですが、ここで3月13日に行われるダイヤ改正で廃止される19駅を紹介してみたいと思います。今回のダイヤ改正ではJR北海道で18駅、JR東日本で1駅が廃止となる予定です。

特に廃止となる駅が多いのは宗谷本線で、12駅が廃止となります。JR北海道では平成28年3月のダイヤ改正より利用者数の少ない駅の整理を進めてきましたが、宗谷本線に関しては自治体との協議の関係もあってか駅の廃止が行われてきませんでした。

宗谷本線において今回廃止されるのは、南比布、北比布、東六線、北剣淵、下士別、北星、南美深、紋穂内、豊清水、安牛、上幌延、徳満の12駅です。恩根内と抜海の2駅については廃止報道が出ていたものの、地元の反対もあってひとまずは廃止を免れました。とは言え継続的な利用がない限り今後が安泰とまでは言えないでしょう。

では廃止予定駅を順に見ていきます。

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南比布駅(上川郡比布町) R2-6-29撮影

南比布駅は昭和30年に仮乗降場として開業、昭和34年に駅に昇格しました。田園地帯にある板切れホームの小さな駅ですが、待合室は平成26年12月に改築された新しいものでした。普通列車も一部が通過し、停車する列車は上下とも6本のみ。国道40号が目の前を通っており人家も何軒かありますが、それが利用には結びついていないようです。

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北比布駅(上川郡比布町) R2-6-29撮影

北比布駅は南比布駅と同時に開業し、同時に駅に昇格した、まさに双子の駅。ホームも同じように板張りで、待合室も同じデザインです。南比布駅が国道のオーバークロスの近くにあったのに対し、北比布駅は北海道らしい広大な田園地帯の中にあり、開放的な雰囲気でした。晴れていれば大雪山系の山々も望むことができるそうです。停車する列車は下り6本、上り4本。

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東六線駅(上川郡剣淵町) R2-6-26撮影

東六線駅は昭和31年に仮乗降場として開業し、分割民営化時に昇格した駅。待合室には「東六線乗降場 待合室」と掲げられていて味がありました。無機質な駅名が開拓地らしさを感じさせます。鉄道林に囲まれて鬱蒼とした雰囲気ですが、その外側には畑作地帯が広がっており、農家も数軒あります。停車する列車は上下とも4本。

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北剣淵駅(上川郡剣淵町) R2-6-29撮影

北剣淵駅は昭和34年に仮乗降場として開業し、分割民営化時に昇格した駅。東六線駅と同様、鬱蒼とした鉄道林に囲まれています。ホームから少し離れて木造の待合室がありますが、かなり老朽化しています。6月訪問時は定期利用者の姿を見かけましたが、おそらく卒業と同時に廃止になるのでしょう。停車する列車は下り4本、上り3本。

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下士別駅(士別市) R2-6-29撮影

下士別駅は南比布駅・北比布駅と同時に仮乗降場として開業し、同時に昇格した駅。ホームは板張りではなくプレコン製です。待合室は民家のような雰囲気ですが、平成5年の改修の際、前年に解体された近隣の民家の窓サッシを再利用したことが理由だそうです。他の廃止予定駅と比べると周辺に人家は多いものも、これも利用には結び付きませんでした。停車する列車は下り5本、上り4本。

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北星駅(名寄市) H27-12-23撮影

北星駅は昭和34年に開業した、板張りホームの駅。「毛織の北紡」の赤いホーロー看板が掲げられた木造待合室は鉄道ファンから人気がありました。平成27年12月時点では周囲に何軒か農家があり、あまり秘境という感じではありませんでしたが、その後離農したのか、廃止決定時点で周辺に住んでいるのは一人だけだったそうです。停車する列車は上下とも4本。

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南美深駅(中川郡美深町) R2-6-28撮影

南美深駅は昭和31年に仮乗降場として開業し、昭和34年に昇格した駅。板張りホームに背を向けるように背の高い木造待合室が建っています。駅ノートの書き込みによれば待合室は元々T字路の突き当りにあったものの、車が度々突っ込んでくることから現在地に移転したそうです。停車する列車は下り4本、上り3本。

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紋穂内駅(中川郡美深町) R2-6-28撮影

紋穂内駅は明治44年に鉄道院天塩線が恩根内まで開通した際に開設された駅。駅舎は昭和59年の無人化後に車掌車を転用した貨車駅舎に改築されています。待合室の壁には25年前の落書きが残っていました。駅前に人家は一軒のみですが、木々に遮られ駅から直接は見えません。停車する列車は上下とも4本。隣の恩根内駅も廃止予定でしたが、高校生の通学利用が見込まれることから廃止方針は撤回。美深町の維持管理による存続が決定しています。

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清水駅中川郡美深町) R2-6-27撮影

清水駅は昭和21年に仮乗降場として開業し、昭和25年に昇格した駅。交換設備を満ち、列車の交換も行われます。駅舎はおそらく昭和50年代に改築されたもの。周辺に人家はなく、駅前には倒壊して壁の一部だけになった牧舎の残骸があるのみです。

宗谷北線においては貴重な交換駅ですので、駅としては廃止されても信号場として残ることでしょう。

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安牛駅(天塩郡幌延町) H27-12-22撮影

安牛駅は大正14年鉄道省天塩南線が幌延まで開業した際に開設された駅。昭和59年に無人化された後、貨車駅舎に改築されました。平成27年12月時点で外壁はボロボロ、駅前側は駅名の判読も不可能なほどでした。かつては駅前に集落が形成されていたものの、今は無人地帯で人家の一切ない駅前通りの奥に駅だけがポツンと存在しています。

停車する列車は上下とも3本のみ。

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幌延駅(天塩郡幌延町) R2-6-28撮影

幌延駅も安牛駅と同時に開業した駅。同じく貨車駅舎ですが、こちらはまだ傷みが激しくありません。駅前に人家は数軒あるのみですが、かつてはこちらが幌延町の中心で、幌延よりも活気があったそうです。安牛駅との間には南幌延駅があり、こちらは存続方針です。停車する列車は上下とも3本。

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徳満駅(天塩郡豊富町) H27-12-22撮影

徳満駅は大正15年、鉄道省天塩線が兜沼まで開業した際に開設された駅。周辺駅が貨車駅舎に改築される中、開業時の木造駅舎が遅くまで残っていましたが、平成11年にプレハブ駅舎に改築されています。この駅は当初、廃止予定駅として名前が挙がっていなかっただけに廃止決定は意外でした。とは言え、駅前の集落はほとんど廃屋で、住民はほとんどいないものと思われます。停車する列車は下り4本、上り3本。

 

石北本線では北日ノ出、将軍山、東雲、生野の4駅が廃止されます。平成28年3月ダイヤ改正では上白滝、旧白滝、下白滝、金華が廃止されており、これで石北本線は駅の整理がひと段落したと見ることができますが、瀬戸瀬、西女満別辺りは今後が怪しいかもしれません。

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北日ノ出駅(旭川市) R3-2-19撮影

北日ノ出駅は昭和35年に仮乗降場として開業し、分割民営化時に昇格した駅。ホームから少し離れてブロック造りの待合室があります。周辺には人家や工場などがあり、決して無人地帯ではありませんが、利用が少ない状態が続いてきました。停車する列車は下り4本、上り6本。

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将軍山駅(上川郡当麻町) R3-2-19撮影

将軍山駅は北日ノ出駅と同時に開業し、同時に昇格した駅。こちらもブロック造りの待合室がありますが、形状は随分と異なります。周辺は田園地帯で、農家が数軒あります。将軍山の駅名は、駅の目の前にある山に由来しており、屯田兵の入植にあたって永山武四郎将軍がアイヌの案内で山に登って入植地を決めたという逸話にちなんでいます。停車する列車は下り4本、上り6本。

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東雲駅(上川郡上川町) H30-8-16撮影

東雲駅北日ノ出、将軍山の両駅と同時に開業し、同時に昇格した駅。かつてはブロック造りの大きな待合室がありましたが、平成25年ごろに解体されて代わりに市販の物置(TYストックハウス)が待合室として置かれています。ホームはプレコンですが、入口の階段は枕木を再利用したものです。停車する列車は下り5本、上り6本。

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生野駅紋別郡遠軽町) H30-8-17撮影

生野駅は昭和21年に仮乗降場として開業し、分割民営化時に昇格した駅。プレコン製のホームがあるだけの簡素な駅です。かつては黄色いマイクロバスが待合室代わりに置かれていましたが、老朽化のため平成19年6月ごろに撤去されました。停車する列車は上り1本、下り2本。もっと利用者のありそうな駅も廃止になる中、よく今まで残ったものだと思います。

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南斜里駅(斜里郡斜里町) R2-6-24撮影

釧網本線では南斜里駅が廃止となります。昭和37年に開業した、田園地帯の中にあるホームだけの簡素な駅です。簡素すぎて時刻表を貼り付けるスペースすらないのか、駅名標に時刻表が貼られていました。周囲には農家が数軒あります。停車する列車は下り4本、上り2本。

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伊納駅旭川市) R2-2-7撮影

函館本線では伊納駅が廃止となります。明治31年、北海道官設鉄道上川線が旭川まで全通した際に信号場として開設され、明治33年に昇格された駅で、昭和44年の新線切り替え時に移設の上無人化されました。駅舎は昭和60年改築の貨車駅舎で、かつては車掌車が2両並べて置かれていましたが、そのうち1両は平成26年秋に撤去されました。

周辺に人家は少ないものの、平成23年までは石狩川対岸に北海道北都商業高校があったことから通学駅として多くの利用がありました。

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赤岩駅福島市) R2-10-7

JR東日本では、奥羽本線 赤岩駅が廃止となります。明治32年、奥羽南線が米沢まで開業した際に信号場として設置され、明治43年に昇格した駅です。平成2年、山形新幹線建設に伴う改軌工事に伴ってスイッチバックが廃止され、ホームが本線上に移設されました。利用が少ないことから平成24年12月より冬季通過となり、平成29年3月ダイヤ改正で通年通過となりました。最後に列車が停車したのは平成28年11月30日で、それ以来一度も列車の停車はありませんが、昨年10月時点で駅設備は構内踏切を除きそのまま残されていました。最寄りの集落までは未舗装の険しい道があるのみで、今回廃止になる駅の中では最も「秘境駅」の名にふさわしい駅でしょう。

 

以上、3月13日ダイヤ改正で廃止される18駅について紹介してきました。一度のダイヤ改正で廃止される駅の数が18にも上るというのは、路線廃止が伴わないものとしては史上最多でしょう。JR北海道の利用の少ない駅の整理も大方済んだ感がありますが、ひとまずの存続が決まった駅の中にも予断を許さない状況の駅は多いので、今後も注目していきたいと思います。

2/20 豪雪の根室本線(滝川口)駅めぐり(平岸・東滝川・赤平・滝川・金山・山部・布部・下金山)

北海道駅めぐり3日目は根室本線滝川口の未訪問駅を片付けました。富良野~東鹿越間についてはダイヤ改正での減便が予定されているので、この機会を逃すと訪問難易度がぐっと上がってしまいます。

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平岸駅

滝川を5:49発普通東鹿越行き2471D(キハ40-1736+キハ40-1714)で出発し、平岸へ。

赤平市にある駅で、炭鉱からの石炭積み出しで栄えた時期もありました。駅名はアイヌ語の「ピラケシ(崖の下)」から来ており、札幌市営地下鉄にも同名の駅があります。

駅舎は昭和58年ごろ改築。かつての札幌鉄道管理局管内では多く見られるタイプの駅舎です。ホームは千鳥配置の単式2面2線。

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茂尻駅

平岸6:38発普通滝川行き2470D(キハ40-1714)で茂尻へ。茂尻炭鉱までの岐線の分岐駅として開業した駅で、市街地を見下ろす高台にあります。駅前ターミナルから階段を上ったところにある木造駅舎はかつての栄華を偲ばせる立派なもの。内部に椅子などはなくがらんどうです。屋根からは立派な氷柱がいくつも下がっていました。

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滝川駅

茂尻7:07発普通滝川行き2472D(キハ40-729+キハ40-1727)で東滝川へ。大正2年11月に「幌倉」として開業した駅で、昭和29年11月に改称されています。駅舎は幌倉駅時代の昭和25年に改築されたもの。待合室には昔の幌倉についての説明やイラストが多く展示されていて賑やかです。童謡「めんこい仔馬」の作曲者・仁木他喜男が当地の出身であることから、駅前には顕彰碑が建てられ、駅舎内にはその歌詞が掲げられています。

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赤平駅

東滝川7:41発普通富良野行き2473D(キハ40-1714)で赤平へ。炭都・赤平市の代表駅で、かつては石炭の積み出しで大いに賑わいました。平成11年10月改築の駅舎は「交流センターみらい」との合築で、とても人口9600人の市の代表駅とは思えないほど立派です。もっとも早朝夜間は駅舎が閉鎖されるのでホームへは向かって右手の通路を通って行くことになります。

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滝川駅

赤平8:28発普通滝川行き2474D(キハ40-1711)で滝川へ。滝川市の代表駅で、構内も広く立派な駅ですが、駅前となると活気には乏しいと言わざるを得ません。
駅舎の背後に目立つ「スマイルビル」は昭和61年10月に西友滝川店としてオープンしたもので、レストラン街やボウリング場もある立派なショッピングセンターでしたが、平成15年8月末で西友が撤退してからは大手テナント不在の空きビルとなっています。

ダイソーも最近撤退したようで、まさに「生ける廃墟」といった感じでしたが3月末でついに閉鎖されてしまうようです。

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滝川駅前 スマイルビル

折返し東鹿越行きを待つ時間、他にすることとてないのでスマイルビルを見学しましたが、この時はまだ閉鎖は発表されていませんでした。大きなビルの中に今も営業中なのは学習塾くらいなもので、9割がた営業している気配がありません。駅前の便利な立地ゆえコンビニの一つでも入っていればまた違ったのかもしれませんが、この現状ではわざわざ不気味なビル内に入ってくる客もいないでしょうし、どうしようもないのでしょう。

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金山駅

滝川9:42発普通東鹿越行き2475D(キハ40-1727+キハ40-729)で金山へ。空知郡南富良野町の山間の集落にある駅で、かつては急行列車が行き交った幹線の駅らしく有効長の長い相対式ホームが残っています。青い屋根の木造駅舎が残っていますが、改築年は不明。隣の東鹿越から先は5年以上に渡って運休、3月ダイヤ改正からは列車も減らされるなど、この駅の未来は明るくなさそうです。

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山部駅

金山12:20発普通滝川行き2480D(キハ40-1727)で山部へ。昭和41年5月にふらの町と合併して富良野市となった旧空知郡山部町の駅で、元は独立した自治体だっただけあって駅前にはまとまった市街地が形成されています。昭和63年12月改築の駅舎は山小屋風。隣には旧駅舎の一部を再利用した倉庫が建っています。

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ふらのバス

次の列車までは1時間40分ほどあるので、4分遅れでやってきた12:48発ふらのバス西達布線で布部入口まで移動。乗車は約10分、運賃は270円。この区間ふらのバスだけでなく占冠村営バスも走っているので上手く組み合わせれば駅めぐりにも便利です。

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布部駅

布部入口から歩くこと10分で布部へ。ドラマ「北の国から」第一話に登場した駅で、駅前には倉本聰氏直筆の「北の国 此処に始まる」の看板がありますが、経年劣化で少し読みづらくなっています。駅舎は昭和2年12月開業時に建てられたもので、ドラマに登場した時と比べると減築や外壁の張り替えが行われ、入口部分の造りも変わっていますが、雰囲気は当時を留めています。

ホームは島式1面2線ですが駅舎側の線路は使われることなく雪に埋もれています。

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金山駅

布部14:26発普通東鹿越行き2477D(キハ40-729)で下金山へ。国道237号沿いの集落にある駅で、かつては東大演習林の中から伸びてきた森林鉄道による木材の積み出しが行われていました。国鉄末期に改築された駅舎からは平岸などの駅舎と共通するものが感じられますが、こちらは少し小ぶりでファザードのデザインも異なります。

この駅への下車を以て根室本線のうち滝川~東鹿越間は全駅訪問達成となりました。列車では行けない幾寅、落合は別として、北海道を代表する幹線の一つ根室本線の未訪問駅も残すところあと少しです。

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特急カムイ29号

下金山15:30発普通滝川行き2482D(キハ40-729)と滝川17:22発特急カムイ29号旭川行き2029M(サハ788-1007)を乗り継いで旭川へ。この日は旭川に宿泊しました。

2/19 豪雪の石北本線・函館本線駅めぐり(伊香牛・将軍山・北日ノ出・新旭川・愛別・奈井江・豊沼・光珠内・江部乙・茶志内)

北海道駅めぐり2日目は石北本線函館本線の駅を巡りました。

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発車を待つ4520D

夜明け前の薄明るい上川を6:06発普通旭川行き4520D(キハ40-834+キハ40-1747)で出発。2両目はかつて宗谷本線で急行列車に使用されていたキハ400の塗装を復刻したもので、運用は固定されていないはずですが運よく出会うことができました。

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伊香牛駅

伊香牛で下車。上川郡当麻町の田園地帯の中にある駅で、昭和63年改築の駅舎はログハウス風。それほど大きな駅ではありませんが、夕方に一往復のみ当駅折り返し列車が設定されています。

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将軍山駅

30分歩いて隣の将軍山へ。分割民営化時に仮乗降場から昇格した駅で、普通列車も一部は停車しません。停車する列車は下り4本、上り6本。利用者が少ないことから3月13日ダイヤ改正での廃止が決定しています。この駅については平成27年12月にも訪問済みですが、その時は夜だったので明るい時間も見てみたいと思い再訪を決めました。

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将軍山駅 待合室

ホームから少し離れて建つブロック造りの待合室は下が砂利敷き。明かりは一切ないのであまり長居したくなるような環境ではありません。何故か車のシートと柔らかそうなソファーが置かれていますが、これも5年前と変わりありません。入口ドアは凍って閉まらず半開き状態でした。

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北日ノ出

将軍山7:26発普通旭川行き4522D(キハ40-1715)で北日ノ出へ。将軍山と同時に仮乗降場として開業し、同じく分割民営化時に駅に昇格しました。ここも5年前に訪問済みですが、廃止になるので再訪しました。この駅もホームから離れたところにブロック造りの待合室がありますが、形状は随分と異なります。

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北日ノ出駅 待合室

屋根が左右非対称で奥行のある将軍山と違い、北日ノ出の待合室は左右対称でこじんまりとしています。内部はきちんと片付けられていて、廃止予定駅と言えど地元住民の愛が感じられます。大きく掲げられた駅名はかつて「北日の出」と表記されていましたが、ひらがなの「の」の一部を削ってカタカナに書き換えられています。

北日ノ出では同業者一名も下車しましたが、お互い一方が駅の外観を撮っている間、もう一方は待合室内で大人しくするという感じに自然となったので、邪魔にならず気持ちよく撮影を済ませることができました。

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新旭川

北日ノ出8:14発普通旭川行き4524D(キハ150-1)で新旭川へ。ここも5年ぶりに再訪。宗谷本線と石北本線の分岐駅ですが、快速「なよろ」及び特快「きたみ」は停車しません。駅舎は大正11年11月開業時のもので、大幅に減築されていますが、それでも無人駅の駅舎としては結構な大きさです。旧事務室部分には除雪作業員さんが詰めており、その方々が管理してくれているのか、待合室の中心には石油ストーブが焚かれています。

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愛別駅

4分遅れの新旭川9:26発普通上川行き4523D(キハ40-1747+キハ40-834)で愛別へ。上川郡愛別町の玄関口で、昭和51年改築の立派な駅舎がありますが、平成15年4月に無人化されています。特急だけでなく特快「きたみ」も通過しますが、快速くらいは流石に停めてもいいのではないかという気がします。この駅への下車を以て石北本線も全駅訪問達成。平成27年12月に北日ノ出、将軍山、当麻、上川に降りたのが最初ですから達成までに5年2カ月かかったことになります。今は亡き上白滝や瀬戸瀬、生野など訪問難易度の高い駅が多かっただけに達成感もひとしおです。

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試運転中のH100-19+H100-18

旭川方面へ戻る列車を待っているとH100形「DECMO」の試運転がやって来ました。3月ダイヤ改正からはこの区間にも投入されます。営業運転開始に向けて最後の確認と言ったところでしょうか。

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旭川駅幌加内そば

10分遅れでやってきた愛別11:02発普通旭川行き4528D(キハ40-834+キハ40-1747)で旭川へ。途中、桜岡で特急大雪2号の通過待ちを行ったため旭川には23分遅れで到着しました。予定では特急ライラック22号に乗り継いで砂川に行きバスで上砂川へ向かう予定でしたが、それもご破算に。急きょ予定を組み直して函館本線の駅を巡ることにしましたが、函館本線の列車が出るまで一時間あるので駅舎内のそば屋で幌加内そばを食べました。

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奈井江駅

旭川13:00発特急ライラック24号札幌行き3024M(クハ789-206)と滝川13:36発普通岩見沢行き926D(キハ40-819+キハ40-1821)を乗り継ぎ奈井江へ。

空知郡奈井江町の玄関口で、簡易委託の窓口が設置されていますが訪問時は休止時間帯でした。駅舎は昭和50年12月改築で、同時期に建てられた愛別駅とは窓の隅の処理などに共通するものが見て取れます。

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豊沼駅

奈井江14:28発普通旭川行き2329M(クハ721-1)で豊沼へ。信号場から昇格した駅で、昭和39年改築の駅舎は珍しい高床式です。石狩川沿いの沼の多い土地のため水害を避けるべく高床式になったようですが、雪に対しても存分にその効果を発揮しています。

除雪のためにできた駅前の雪山では子供たちがそり遊びをしており、駅にはそのはしゃぐ声だけが響き渡っていました。

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光珠内駅

豊沼14:55発普通岩見沢行き2330M(クハ721-2009)で光珠内へ。昭和27年4月に仮乗降場から昇格した駅で、昇格時に建てられた木造駅舎が今なお現役です。入口部分の柱の形状が個性的ですが、これは建築当時からのものなのでしょうか。

ここも事務室には除雪作業員さんが詰めているようで、待合室との間の壁越しにラジオの音が聞こえてきました。

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江部乙駅

光珠内15:49発普通旭川行き2331M(モハ721-1009)で江部乙へ。昭和46年に滝川市と合併して消滅した旧空知郡江部乙町の駅で、昭和28年3月改築の駅舎はカラフルに塗られています。駅名表示はりんごの産地であることにちなんだデザイン。駅舎内の待合室はリニューアルされており、月に一回「駅カフェ」が開かれています。

無人駅ではあるものの、待合室にストーブも焚かれ暖かさが感じられる駅です。

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茶志内

江部乙16:49発普通岩見沢行き2334M(クモハ721-1)で茶志内へ。かつては炭鉱への専用鉄道も分岐する大きな駅でしたが、今では田園地帯の中の集落の駅といった風情でひっそりとしています。駅舎は昭和39年11月改築で、待合室内は地元の人によって清掃されており、古いながらも綺麗に保たれています。構内はかつて島式2面4線だったようですが、駅舎に一番近い線路が剥がされて2面3線となっています。

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滝川名物「チャップ丼」

茶志内17:59発普通滝川行き929D(キハ40-1821+キハ40-819)で滝川へ。この日は滝川に宿泊。宿へ向かう前に駅近くの高田屋の「チャップ丼」で夕食としました。

 

2/18 北海道百年記念塔と東風連駅へ

2月18日から一週間、極寒の北の大地で駅めぐりをしてきました。

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JAL501便

高田馬場4:48発山手線内回り0360G(モハE234-58)で出発し、品川5:15発快速特急羽田空港行き580A(1040)で羽田空港へ。6:30発JAL501便に搭乗し、雪景色の新千歳空港には8時前に着陸。

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森林公園駅

新千歳空港8:19発快速エアポート83号札幌行き3825M(クハ721-3222)と札幌9:10発普通岩見沢行き145M(モハ721-1009)を乗り継いで森林公園へ。

昭和59年8月に開業した、築堤上の高架駅で周辺は札幌でも屈指の人気住宅街です。駅名は野幌森林公園に由来します。今回、この駅に降りたのは駅そのものが目的ではなく、野幌森林公園内にある北海道百年記念塔を見るため。地図で見ると案外遠そうですが歩いて向かいます。

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住宅街の奥に聳える百年記念塔

googleの案内では東口の存在が無視されていたので西口から出てしまい、少し遠回りをしてから駅東側の住宅街へ。住宅街の奥にようやく百年記念塔が見えてきました。

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まるで雪山登山

あと少しと思いきや住宅街を抜けて公園内に入ったところで除雪された道が終了。どうやら雪の下には小川も埋もれているようなので注意して雪の中を進みます。気分はまるで雪山登山。

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北海道百年記念塔

それでも何とか開けたところに出てきました。雪に覆われた野原の真ん中に聳え立つ百年記念塔は、北海道開道百年を記念し、昭和43年11月に着工され、45年7月に完成した高さ百メートルのモニュメントです。設計は今金町出身の青年建築家、井口健氏(久米設計所属)

複雑な構造ゆえ老朽化が早く進み、維持費も嵩むことから解体が予定されています。建てられたのは高度経済成長期真っ只中、当時と比べて全体的に先細りな現代の日本ではこのような独創的な巨大建築はもう建てられることはないでしょうね。

代わりにまた巨大モニュメントを建てるならともかく、跡地に建つモニュメントがかなり小規模になるということにこの国の衰退が感じられ寂しい気持ちになってしまいます。

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江別駅

帰りはちゃんと除雪された歩道付きの道(こちらが最短ルートのようです)で森林公園駅に戻り、10:36発普通江別行き157M(クモハ721-4)で江別へ。江別市の代表駅で、札幌方面から来た列車の多くが当駅で折り返します。しかし市の中心はむしろ野幌駅周辺のようで代表駅の割に駅前は賑やかではありません。

駅舎は昭和47年12月改築の鉄筋コンクリート造平屋建て。平成13年の写真と見比べると入口部分の屋根が増築されています。

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名寄駅に停車するキハ40

江別11:01発普通岩見沢行き159M(クハ731-119)と岩見沢11:25発特急ライラック13号旭川行き3013M(クハ789-201)を乗り継ぎ旭川へ。この日、宗谷本線は低気圧の影響で名寄~稚内が終日運休、比布~名寄は午前中運休でした。駅めぐりをするには不安が大きい天候です。

旭川12:34発普通名寄行き325D(キハ40-730)は幸いにも動いてくれたのでそれに乗って名寄へ。3月改正から宗谷本線にもH100形が導入されるのでキハ40の活躍もあと少しです。

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東風連駅

名寄から40分歩いて東風連へ。名寄市郊外の田園地帯の中にある無人駅で、通過列車が多く、一日4往復しか停車しません。幸いにもダイヤ改正での廃止を免れましたが、来年3月に1.2㎞名寄寄りの名寄高校前に移設して「名寄高校前」として移転開業することが決定しています。1.2㎞も移転して駅名も変わるならもはや別の駅のような気がしますが、移転によって宗谷本線の利用が促進されるのならそれは喜ばしいことだと思います。ホーム、待合室共に平成11年の移設改良時に造り直された比較的新しいものなので、勿体ないような気がしますが、元より簡素な構造なので十分役目を果たしたと言えるでしょう。今の駅の姿が見られるのもあと一年、夏にもまた訪れてみたいものです。

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この日初の停車列車327D

15:40発普通音威子府行き327D(キハ54-527)で東風連を後に名寄へ。午前中の列車は運休だったので、これがこの駅に停車するこの日最初の列車となります。

他の駅は全て訪問済みなので、この列車への乗車を以て宗谷本線は全駅訪問達成となりました。停車列車の少ない駅ばかりで苦労させられた路線ですが、それだけに全て訪問した時の達成感は大きいです。もっとも訪問した53駅のうち12駅は来る3月13日ダイヤ改正で廃止となる予定で、全駅訪問の難易度自体は多少下がりそうです。

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旭川四条を発車する326D

名寄16:15発普通旭川行き326D(キハ54-504)で旭川四条へ。石北本線に乗り換えるだけなら終点旭川まで行ってもいいのですが、旭川駅なら今回の旅でこの後何度も訪れることになるのでそれもつまらないと思い、こちらを再訪することにしました。

大都会の中にある高架の無人駅で、とても単行のディーゼルカーばかりがやって来るような駅には見えません。待ち時間が30分以上あるので駅近くのセコマまで往復し、弁当を買って待合室で食べました。

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上川駅

旭川四条18:20発普通上川行き4531D(キハ54-504)で上川へ。この日は上川駅前の池乃屋旅館に宿泊。翌日は廃止予定の将軍山、北日ノ出を再訪しつつ石北本線の未訪問駅を片付ける予定です。