1/9 東海道本線(静岡~三島)・伊東線駅めぐり
この日は静岡県東部の未訪問駅をめぐりました。
高田馬場4:38発山手線内回り0360G(クハE234-28)、品川5:10発東海道線小田原行き725M(モハE231-1531)、小田原6:22発東海道線熱海行き723M(クハE230-6012)、熱海6:49発東海道本線普通浜松行き425M(クハ210-5042)を乗り継いで静岡へ。静岡県の県庁所在駅で、以前新幹線で訪問していますが、在来線で改札を出るのは初めてです。在来線の駅は昭和54年10月に高架化されたもので、ホームは2面4線と県庁所在駅にしてはシンプルです。
静岡8:22発普通興津行き124M(クモハ313-2517)で東静岡へ。貨物駅だった国鉄東静岡駅が静岡貨物駅に移転した跡地を再開発して平成10年10月に開業した駅で、並走する新幹線をも跨ぐ自由通路には動く歩道も設置されています。駅周辺は静岡市の副都心として開発されており、静岡県コンベンションアーツセンターやタミヤサーキットなどがあります。
この日は空がくっきりと晴れており、駅自由通路からは富士山の美しい姿を望むことができました。
東静岡8:38発普通沼津行き738M(モハ313-2513)で草薙へ。明治44年4月に信号所として開設され、地元の請願によって大正15年4月に昇格した駅で、昭和30年に清水市に編入された旧・有度郡(→安倍郡)有度村の玄関口でした。日本武尊が草薙剣で火難を逃れた伝説ゆかりの草薙神社の最寄り駅です。平成28年9月に橋上化され、かつて旧駅舎があった側は「県大・美術館口」になり、北側の新幹線高架下に「学園口」が新設されました。それぞれ静岡県立大学・県立美術館、静岡サレジオ学園に由来します。
草薙8:58発普通熱海行き426M(クハ312-2312)で清水へ。平成15年に静岡市と合併した旧・清水市の代表駅で、昭和9年12月までは東海道江尻宿に由来する「江尻」を名乗っていました。合併直後の平成15年6月に現在の橋上駅舎が完成しています。昭和59年4月までは一日一往復の清水港線が分岐していました。「ちびまる子ちゃん」の作者・さくらももこさんの出身地であり、清水エスパルスの本拠地であることからそれにまつわる装飾が駅のあちこちに見られます。
清水9:19発普通熱海行き918M(クハ210-5037)で興津へ。東海道五十三次17番目の宿場・興津宿のあった旧庵原郡興津町(昭和36年清水市と合併)の駅で、昭和56年10月改築の駅舎は改札部分のみ天井の高い造りの平屋建てです。静岡方面からの列車の約半数が当駅で折り返します。この駅は以前に訪問済みですが、その時は窓口が閉まっていてスタンプを押せなかったので再訪しました。
興津9:40発普通沼津行き742M(クハ312-2323)で由比へ。東海道五十三次16番目の宿場・由比宿のあった旧・庵原郡由比町(平成20年の合併で静岡市清水区)の駅で、海と山に挟まれた狭い平地に所在しています。海に背を向けて建つ平たい駅舎は昭和54年3月改築で、温暖な土地らしく開放的な造りです。駅前は広場と道路を挟んですぐ斜面で、由比宿の中心からは結構離れています。
由比9:53発普通三島行き5744M(モハ313-2601)で蒲原へ。東海道五十三次15番目の宿場・蒲原宿のあった旧・庵原郡蒲原町(平成20年の合併で静岡市清水区)の駅で、蒲原宿と由比宿の大体中間にあたる旧堰澤村に設置されました。蒲原宿へは隣に後から新設された新蒲原駅の方が近いです。昭和42年2月改築の駅舎は一部2階建ての立派なもの。
蒲原駅から新蒲原駅にかけては古い建物が多く残っているので、しばらく散策。この快晴は富士山を見るにはちょうどいい天気でしたが、建物を撮る分には逆光になったり影落ちしてしまったりであまりありがたいとは言えませんでした。街歩きには曇りが一番いい天気かもしれません。
一時間ほど歩いて新蒲原へ。昭和43年10月に開業した駅で、蒲原宿の中心に近いため、利用者数は蒲原駅の倍以上ありますが、駅舎はこじんまりとしています。駅前ロータリーにはさくらえび漁百周年を記念して平成6年に設置された漁船「さくら丸」のモニュメントがあります。
新蒲原11:21発普通三島行き760M(クモハ313-2511)で富士川へ。平成20年に富士市に編入された旧・庵原郡富士川町の駅で、昭和45年6月までは「岩淵」を名乗っていました。岩淵は正式な宿場ではない間宿(あいのしゅく)で、駅は岩淵村の隣の中之郷村に設置されました。正式な宿場町である蒲原を差し置いての駅設置ということで当時は大いに揉めたそうです。中之郷村は駅開業の2か月後に岩淵村、木島村と合併して富士川村となり、明治34年に町制施行しています。駅舎は改称と同時に改築された半橋上駅舎で、エレベーターは設置されていません。反対側の東口は至って簡素です。
ホームや跨線橋、駅前からは晴れていれば富士山の雄大な姿を目の前に見ることができます。静岡辺りと比べると大きな富士山で、さすが駅名に「富士」が入っているだけのことはあるなと思わされます。
富士川駅を出ると、列車は日本三大急流の一つ、富士川を渡ります。障害物が少ない状態で富士山を眺められるこの車窓は長い東海道本線の中で最も美しい区間の一つでしょう。
富士川11:44発普通沼津行き764M(クモハ211-5615)で東田子の浦へ。昭和30年に富士市と合併した旧・富士郡元吉原村の駅で、地元の費用負担によって昭和24年9月に新設されました。駅舎と富士山を絡めて撮ることができる貴重な駅です。角度によっては電線が被ってしまいますが、「富士山を最も美しく見ることができる駅」でしょう。
ズームして見ると富士山の表面に築かれたつづら折りの登山道までくっきりと見えます。富士山に雲がかからない晴れた冬の日にこそ降りてみるべき駅だと思います。
東田子の浦12:16発普通三島行き768M(クモハ313-2510)で原へ。東海道五十三次13番目の宿場・原宿のあった旧・駿東郡原町(昭和43年沼津市に編入)の駅で、武家屋敷風の木造駅舎があります。北向きに建てられている駅舎は晴れていればご覧のとおり逆光になるので、隣の東田子の浦駅とは逆に曇りの日に降りた方が綺麗に撮れるでしょう。
ホームは2面3線ですが、駅舎側の1番線は使われておらず、嵩上げもされていないため、2・3番線とは高さが違うのが容易に見て取れます。ホーム側からの駅舎を撮影していると地元のおじさんから「駅を撮ってるの?いい趣味だね」と話しかけられました。
3分遅れの原12:39発普通沼津行き1450M(クモハ313-2607)で片浜へ。分割民営化のわずか11日前、昭和62年3月21日に開業した駅で、同日に西焼津、海老名、西仙台ハイランド仮乗降場も開業しています。昭和19年に沼津市に編入された片浜地区(旧・駿東郡片浜村)にあり、周辺は沼津市郊外の住宅街が広がっています。
片浜13:25発普通三島行き778M(モハ210-5062)で三島へ。伊豆国の国府が置かれ、東海道五十三次11番目の三島宿で栄えた三島市の代表駅で、東海道新幹線と伊豆箱根鉄道駿豆線も乗り入れています。平成25年9月改築の駅舎は富士山を模したデザインだった旧駅舎のイメージを継承したものですが、写真で見比べてみると均整の取れたスタイルだった旧駅舎にはさすがに敵いません。有人改札にはsuicaの精算で常に行列が出来ており、さすがにTOICAとのエリア跨ぎ問題を解消するか、「suicaでエリア跨ぎをすると精算に並ぶことで無駄な時間を費やしてしまう」ということを大々的に周知すべきなのではないかと思います。また、新幹線側の北口との間には自由通路も設置されておらず、駅舎を建て替えた割にはあまり便利になっていないというのが現状のようです。
三島13:52発普通熱海行き1454M(クモハ211-5026)で熱海へ。熱海からは伊東線の駅をめぐっていきます。伊東線は伊東より先の伊豆急行線と相互直通運転を行っており、JRの路線でありながら多くの普通列車には伊豆急行の車両が使用されています。その中には展望車付きの2100系も含まれており、特別料金なしでも乗れるというのがこの路線の魅力でもありましょう。
熱海14:29発普通伊豆高原行き5649M(2156)で伊東へ。伊東線の終点ですが、多くの列車がこの先伊豆急行線内へ直通しています。伊東市の代表駅で、伊東温泉への下車駅であることから多くの観光客で賑わいを見せていました。昭和13年12月開業時に建てられた木造駅舎は天井の高い風格のあるもので、駅前の蘇鉄が南国風情を演出しています。三連休の中日ということもあってあまりの人の多さに疲れました。やはり有名観光地はオフシーズンの平日や早朝に行くのが良さそうですね。
伊東15:20発普通熱海行き5654M(8004)で網代へ。昭和32年に熱海市に編入された旧・田方郡網代町の玄関口ですが、駅自体は隣接する下多賀地区にあります。隣の地区にあるとは言っても網代温泉へは徒歩5分ほどとアクセスは良好。団体客を受け入れていた頃の名残で、駅舎外には団体用改札の跡が残されています。昭和10年3月開業時に建てられた木造駅舎は山の手の邸宅を思わせるような洋風デザインです。伊東延伸までの3年間は終着駅でした。
網代15:40発普通伊東行き1653M(8155)で宇佐美へ。昭和30年に伊東市に編入された旧・田方郡宇佐美村の駅で、宇佐美温泉への下車駅です。駅舎は網代などと共通の意匠が感じられる「兄弟駅舎」ですが、形状が異なります。
宇佐美15:58発普通熱海行き5656M(2157)で伊豆多賀へ。昭和12年に熱海町と合併して熱海市となった旧・田方郡多賀村の駅で、駅前から階段を上ったところに木造駅舎があります。階段上からは海を望むことができ、春には「桜の名所」として多くの人が集まります。駅前には煙草屋が一軒あるくらいで、地区の中心は坂を下ったところのようです。伊東線の駅の中では一番静かで落ち着いた駅でしょう。
伊豆多賀16:41発普通熱海行き1658M(8017)で来宮へ。東海道本線と並走する区間にある駅で、伊東線開業前は東海道本線の来宮信号場が存在していました。現在も東海道本線の電留線が駅と東海道本線の間に設置されており、熱海折返しの列車が回送されてきます。どうせなら来宮折返しにしてくれればいいのにという気がしますが、1面2線の小さな駅では折り返し駅に出来るだけのキャパがないのでしょう。ここの駅舎も洋風のお洒落なものですが、ファザードが妻面に設けられているのが線内の他の駅と異なります。伊東線は起点の熱海を除く全駅に木造駅舎が残されており、今後も末永く使い続けていってほしいものだと思います。
熱海市内も散策してみたかったのですが、日も暮れてきたので今日はこれでおしまい。来宮17:09発普通熱海行き5660M(8251)と熱海17:18発普通高崎行き1924E(クハE230-8037)と品川18:59発山手線外回り1633G(モハE235-72)を乗り継いで帰宅しました。
1/5 中央本線・東北本線駅めぐり
この日は18きっぷを使い、中央本線と東北本線の未訪問駅をめぐりました
高田馬場4:38発山手線内回り0462G(クハE234-28)、新宿5:16発快速高尾行き443T (クハE232-19)、高尾6:15発普通大月行き427M(クハ210-4)を乗り継いで大月へ。富士急行線が分岐する、大月市の代表駅で、東京方面からの直通列車もあることから、首都圏の西端といった感じのする駅です。富士山などを控える駅らしく、昭和3年11月改築の駅舎は丸太造りの山小屋風。数年前には再開発で取り壊されるという計画もあったようですが、結局計画の変更で生き延び、今なお現役で活躍しています。
徒歩5分ほどの大月市役所を撮影。北向きに建てられているので日中なら逆光気味になってしまいそうですが、山に囲まれた谷底の大月市街にはまだ日が当たっていないので難なく撮影できました。大月市役所は昭和34年に建てられた古いもので、老朽化が進んでいることから建て替えが計画されていますが、未だ具体化はしていないようです。
市役所から少し東に行ったところには、現庁舎が完成するまで使われていた大月市役所初代庁舎が農協の支店に転用されて残っています。大正時代に北都留郡広里村役場として建てられたと思われるもので、昭和8年の町制施行で大月町役場となり、昭和29年の市制施行を経て昭和34年まで使われていました。増築を重ねていますが、昔の役場らしい造りを残しています。ただ、農協大月支店は10月23日に笹子川支店と統合して移転したとの貼り紙が貼られており、この建物の将来が気にかかります。
大月駅に戻り、7:58発普通高尾行き1452M(モハ211-2)で猿橋へ。日本三奇橋の一つ猿橋の最寄り駅で、平成9年12月に橋上化されました。駅裏手の山の上には清水建設とJR東日本が開発した分譲住宅地「パストラルびゅう桂台」があり、エレベーターで結ばれています。平成18年まではシャトル桂台というモノレールのようなもので結ばれていましたが、故障によって廃止されてしまいました。
駅の北口側には旧ホームが残されています。煉瓦積みのかなり古そうなもので、おそらく明治35年の駅開業時に設置されたものでしょう。使われなくなったのはだいぶ昔のようで、ほとんど嵩上げされておらず、明治時代の客車に合わせたホームがいかに低かったかが窺えます。
猿橋8:21発普通高尾行き528M(モハ210-1010)に乗り、特急通過待ちの7分停車を利用して四方津駅を撮影。この駅は以前に訪問済みですが、改築されるとのことで再訪しました。中央東線でもすっかり珍しくなった木造駅舎で、明治43年12月開業時に建てられたものと思われますが、生憎の逆光でした。やっぱり駅めぐりは曇りの日がベストだと思います。
新駅舎は6月完成予定。コモアしおつの斜坑式エレベーターに接続して橋上駅舎になるものだとばかり思っていましたが、結局は予算の都合でしょうか。
引き続き四方津8:39発普通高尾行き528M(クモハ211-1001)に乗り、上野原へ。平成17年に北都留郡上野原町と南都留郡秋山村が合併して誕生した上野原市の代表駅で、山梨県最東端の駅でもあります。駅舎が島式ホーム上にあるという珍しい造りの駅で、跨線橋によってホームより高い北口、ホームより低い南口と結ばれています。平地が少ないところに苦心して造ったような駅ですが、駅舎はスペースに制約がありながらもしっかりした造りで、内部にはキオスクも営業しています。
南口には平成29年10月に5階建ての立派な昇降塔が建てられました。一見駅ビルのようですが、内部はエレベーター3基と階段のみで、駅としての機能はホーム上に集約されています。駅前にはバスロータリーが整備され、山間の市の玄関口として申し分のない姿を見せています。
上野原9:07発普通高尾行き422M(クハ211-6)と高尾9:35発中央特快東京行き910H(モハE233-608)で西八王子へ。八王子市街の西部にある駅で、昭和53年3月に橋上化されています。北口は駅前も狭くごちゃごちゃとしているのに対し、南口にはロータリーが整備され、法政大学多摩キャンパスなどへのバスが発着しています。
1分遅れの西八王子9:47発快速東京行き984T(モハE232-410)で国立へ。箱根土地グループが開発し、一橋大学を中心に街づくりが行われた国立市の代表駅で、平成21年から22年にかけて高架化されています。大正15年4月の駅開業時に建てられたお洒落な旧駅舎は高架化に際して平成18年10月に一度解体されましたが、令和2年4月に復元されました。旧駅舎にはもはや駅としての機能がなく、晩年ではなく建設当初の姿を復元したため、晩年の旧駅舎に掲げられていた大きな駅名表示の方は取り付けられていません。せっかくなら駅舎前の電線を地中化してくれるともっといい景観になると思うのですが、いずれやってくれないものでしょうか。
国立10:28発快速東京行き1092T(モハE232-421)と新宿11:10発湘南新宿ライン快速宇都宮行き4524Y(クハE231-8018)で小山へ。1月14日で閉店となる駅そばの名店「きそば」で天ぷらうどんを頂きました。無くなるということもあって多くの人から注目されているようで、食べている間にも行列が長くなっていきました。果たして人気のご当地のお店を閉店させて他の駅にもある「いろり庵きらく」に替える必要性はあるのだろうかと思ってしまいます。
腹ごしらえの後は12:46発普通平塚行き1577E(モハE231-1535)で間々田へ。昭和38年に小山市に編入された旧・下都賀郡間々田町の駅で、間々田宿の中心から離れているため駅前は閑散としています。昭和54年2月に橋上化されており、ホームは2面3線ですが、中線は廃止されています。
間々田13:14発普通熱海行き1579E(サハE231-6016)で古河へ。茨城県西部の中心都市・古河市の代表駅で、明治18年7月に茨城県最初の鉄道駅として開業しました。両隣はそれぞれ埼玉県と栃木県で、東北本線では茨城県内にある唯一の駅です。昭和59年に高架化されました。
古河市内を少し散策してから14:18発普通沼津行き1585E(サハE231-1110)で栗橋へ。平成22年に久喜市と合併した旧・北葛飾郡栗橋町の駅で、東武日光線の駅が隣接しています。平成12年12月に橋上化されました。東武線との間には連絡線が設けられ、新宿と東武日光を結ぶ特急「日光」が当駅から連絡線を通って東武日光線に乗り入れています。
栗橋駅でスタンプを押そうとしたところで、スタンプ帳に挟んでいた黒磯駅のスタンプ台紙を失くしたことに気付き、探すために14:40発宇都宮行き2540Y(クハE230-6064)で古河、古河15:00発普通宇都宮行き1594E(モハE233-3418)で間々田へと戻り探しましたが、結局見つかりませんでした。
気を取直し、4分遅れの間々田15:14発普通小田原行き1591E(クハE233-3009)で久喜へ。久喜市の代表駅で、東武伊勢崎線の駅が隣接しています。昭和45年11月に橋上化されており、東武の橋上駅舎とは自由通路を共用しています。
2分遅れの久喜15:51発普通逗子行き2551Y(モハE233-3421)で新白岡へ。南埼玉郡白岡町の2つ目の駅として昭和62年2月に開業した駅で、当駅の開業と前後してニュータウン開発が行われたこともあって人口が急激に増加した白岡町は、平成24年10月1日に市制施行して埼玉県で46番目の市となりました。今のところ埼玉県で一番新しい市です。
新白岡16:06発普通熱海行き1593E(サハE231-6027)で蓮田へ。蓮田市の代表駅で、昭和47年10月に橋上化されました。西口駅前には昭和35年に建てられた二代目駅舎が残っており、現在は便所のみ使用されています。二代目駅舎は橋上化までのわずか12年しか使用されなかったようで、その後は蓮田市役所駅西口連絡所などとして使用されてきました。果たしていつまで残るか分かりませんが、駅舎としての役目を終えてから今年で半世紀を迎えます。
蓮田16:27発(モハE230-1537)で東大宮へ。昭和39年3月に開業した駅で、大宮から見て東ではなく北の方角にありますが、既に北大宮駅が存在していたことから「東大宮」と命名されました。地名の方もその後駅名に合わせて変更されていますが、そんな方角に合わない命名をするくらいなら地名から「砂町」にすればよかったのではないかと思います。「砂」というシンプルな地名は戦国時代から続く由緒ある地名だったようです。「東西南北」を冠した安直な駅名にはどうも地名の歴史への敬意が足りないものが多く見受けられ、個人的にはもやもやとしてしまいます。
東大宮の撮影を終え、次の土呂へ行こうと次の16:37発快速逗子行き4533Y(モハE232-3025)に何も考えずに乗ったところ、一旦土呂を通り過ぎて大宮まで行ってしまいました。仕方ないので2分遅れの大宮16:43発普通宇都宮行き1628E(サハE231-1087)で折り返して土呂へ。昭和58年10月に開業した駅で、駅名は明治22年の町村制施行で大砂土村が成立するまで存在した旧・北足立郡土呂村に由来します。地元では大正時代より駅の設置を求めてきましたが、それが実ったのは分割民営化4年前のことでした。橋上駅舎はオレンジを基調としたデザインで、地味な色合いの多い周辺駅と比べると親しみやすい外観です。この駅への下車を以て埼玉県内のJR在来線は全駅制覇。土呂17:08発湘南新宿ライン逗子行き2553Y(モハE231-1107)と池袋17:40発山手線内回り1680G(モハE235-105)で帰宅しました。
1/4 引退近い205系で東北本線駅めぐり
東北本線黒磯以南に未訪問駅が固まっていたので、次のダイヤ改正で引退する205系を記録するついでに訪問してきました。
高田馬場を4:48発山手線外回り0403G(クハE234-8)で出発し、池袋5:00発埼京線川越行き545K(クハE232-7015)、赤羽5:20発宇都宮行き521M(クハE231-8019)を乗り継いで宇都宮へ。向かい側のホームには黒磯行き629M(Y1)が停車中。北へ向かういつもならこの編成に乗り継いでいくところですが、今日は見送ります。
日光線ホームには6:59発日光行き825M(Y12)が停車中。2本しかいない原型顔の編成のうち1本で、かつては埼京線で活躍していました。
しばらく待っていると日光線向けに改造された「いろは」Y3編成がやってきました。真ん中のドアを塞いで2扉化の上クロスシートに改造されています。やっつけ感のある改造ですが、新車投入まで4年間の繋ぎということを考えるとこれでよかったのでしょう
日光線826MはY5編成。この日の日光線の運用は「いろは」を除き湘南色の編成ばかり入っていました。
一方東北本線633MはY4+Y10の8両編成で、後方は日光色の編成。もはや路線ごとのカラーの違いなどあってないようなもので、新型のE131系では日光線カラーのみ採用されるようです。
小金井から直接やってきた635Mは日光色のY2編成。日光線に湘南色が入る一方で東北本線には3本しかいない日光色のうち2本も入っていました。
日光線830Mは湘南色のY8編成。湘南色のメルヘン顔は6本もいて宇都宮の205系の中では最大派閥を形成していますが、乗ったり撮ったりできるのもあとわずかです。
宇都宮8:32発普通黒磯行き637M(クハ205-611)に乗車し、黒磯へ。乗車したY11編成は埼京線から転属してきた原型顔の編成ですが、宇都宮方のクハ204-611は正面の緑帯が剥げてしまっています。引退が近いのでわざわざ塗り直したりしないのでしょうね。
黒磯は平成17年に黒磯市と那須郡西那須野町・塩原町が合併して誕生した那須塩原市の代表駅で、新幹線の高架下に駅舎が設けられています。直流と交流が切り替わる地点の駅であることから、旅客列車は当駅で全て分断されており、直通する列車はありません。関東の北限といった趣の感じられる駅です。
黒磯9:48発普通宇都宮行き638M(クハ204-611)で片岡へ。昭和30年の矢板町(昭和33年市制施行)成立まで存在した旧・塩谷郡片岡村の駅で、平成27年4月に半橋上化されています。駅舎は斬新なスタイルですが、自由通路は一部を除き吹きっさらしで、冬はそれなりに冷える北関東には向いていない造りではないかと思ってしまいます。ホームは2面3線の中線を廃した片面並列2面2線です。
片岡10:48発普通宇都宮行き640M(クハE232-3525)で蒲須坂へ。大正9年11月に信号場として開業し、大正12年に昇格した駅で、東北本線黒磯以南の宇都宮線区間では唯一の無人駅です。駅舎は昭和45年3月改築の鉄筋コンクリート造平屋建て。関東では意外とこの規模の駅舎で無人化されているところを見る機会は少ないように思います。この駅も2面4線ですが、2面2線しか使われておらず、ホームの片面には柵が建てられています。
蒲須坂11:19発普通宇都宮行き642M(クハ204-610)で氏家へ。平成17年に塩谷郡氏家町と喜連川町が合併して誕生したさくら市の代表駅で、昭和13年3月改築の寄棟造の木造駅舎が現役で使用されています。階段の上に建つ木造駅舎は風格が感じられますが、構図が限定されるうえに障害物が多いので、しっくりくる写真を撮れるまでだいぶかかりました。
氏家12:38発普通黒磯行き651M(クハ205-602)で矢板へ。矢板市の代表駅で、昭和9年改築の洋風木造駅舎が現役です。駅舎の屋根は赤い瓦ですが、かつては山並みが描かれていたようで、その跡がうっすらと残っています。2年以上前に訪問していますが、その時は逆光でした。
矢板13:16発普通黒磯行き653M(クハ205-604)で西那須野へ。平成17年の合併で那須塩原市となった旧・塩谷郡西那須野町の駅で、明治19年10月開業時から明治24年5月まで「那須」を名乗っていました。駅舎は新幹線の高架下に設けられており、改札口は2階にあります。かつては大田原への那須(人車)軌道、塩原口への塩原軌道、黒羽への東野鉄道が分岐する一大ターミナルでした。
西那須野13:58発普通宇都宮行き654M(クハ204-604)で野崎へ。大田原市にある唯一の駅ですが、市の中心からは大きく離れたところにあるため、実質的には隣の西那須野が大田原市の玄関口としての役目を果たしています。明治30年2月、日本鉄道の駅としての開業時に建てられた木造駅舎が現役です。同名の片町線野崎駅より2年だけ早い開業ですが、利用者は向こうの方が圧倒的に多く約10倍です。駅名は昭和29年に大田原市と塩谷郡矢板町に分割編入されて消滅した那須郡野崎村に由来しており、「那須野の崎」を意味するとのこと。駅前には屋島の戦いで扇を射抜いた伝説で有名な那須与一の像が建てられています。
野崎14:38発普通宇都宮行き656M(クハE232-3525)と宇都宮15:15発普通上野行き540M(モハE230-1032)で雀宮へ。昭和30年に宇都宮市に編入された旧・河内郡雀宮町の駅で、隣の宇都宮駅とは7.7㎞も離れています。平成23年3月に橋上化されており、その際に新設された東口は長い通路の先の新幹線の高架下を潜ったところにあります。
雀宮15:39発快速逗子行き4533Y(モハE230-1054)で自治医大へ。僻地医療振興を目的として開学した自治医科大学の最寄り駅で、昭和58年4月に開業しました。この手のアクセス駅には珍しく大学へは徒歩7分と近いです。ちなみに今何かと活躍なさっている尾身茂先生は自治医大の第一期生だそうです。
自治医大16:11発普通逗子行き2533Y(サハE231-1041)で小金井へ。平成18年の合併で下野市となった旧・河内郡国分寺町の駅で、折り返し列車が多数設定されていることから何かと駅名を耳にする機会の多い駅です。駅舎は新幹線高架下にあり、改札口は2階に設置されています。東京都小金井市にある各駅よりも古いため当駅が「小金井」を名乗っていますが、「小金井行きに乗れば小金井市に行ける」と勘違いする人が一定数いそうです。
キリがいいので今日はここまで。小金井16:32発普通国府津行き1623E(クハE231-8515)、大宮17:30発快速小田原行き2855Y(クハE231-8046)、池袋17:57発山手線内回り1760G(モハE234-66)を乗り継いで帰宅しました。
12/28 寒波の陸羽東線・石巻線・気仙沼線駅めぐり
年末の陸羽遠征、最終日は小牛田周辺の駅を巡っていきます。
陸羽東線の下り一番列車である古川6:31発普通鳴子温泉行き1721D(キハ111-218+キハ112-218)は、小牛田駅構内のポイントが雪で切り替わらなかったため37分ほどの遅れで古川を発車。時刻表通りなら先に着いた上り1720Dと行き違いを行うはずですが、こちらも川渡温泉~鳴子温泉間で線路上に倒木のため大幅に遅れているようです。今日も昨日に引き続き寒波の中の駅めぐりですが、遅れは昨日よりもひどくなりそうです。
西古川では1720Dと交換のため11分ほど停車。昭和32年まで「中新田」を名乗っていた駅で、平成15年の合併で加美町となった旧・加美郡中新田町への玄関口です。駅があるのは中新田から約3.5㎞離れた旧・志田郡志田村(昭和25年の合併で古川市)で、中新田へは仙台鉄道で結ばれていましたが、昭和35年5月に廃止されています。駅名の改称は古川市への合併に伴うものだと思われますが、「古川の西」というような即物的な駅名ではなく、地名を尊重して旧村名の「志田」や所在地の「新堀」にすればいいのにと個人的には思ってしまいます。
駅前の児童遊園にはC58 19が保存されています。中山平のSLと同様にこちらも解体の方針が示されていますが、地元では残そうという動きがあるようです。
西古川を48分ほど遅れて発車。鳴子温泉駅構内都合のため川渡温泉駅や鳴子温泉駅手前でしばらく待たされ、終点・鳴子温泉には一時間ほど遅れて8:18着。隣のホームには除雪車が停車していました。ここまでダイヤが乱れてしまえばもう駅めぐりどころではありません。
鳴子温泉駅は東北屈指の有名温泉地、鳴子温泉の玄関口。平成9年までは「鳴子(なるご)」を名乗っていました。平成3年12月改築の駅舎は小劇場やコミュニティ施設との合築です。横に長い駅舎ですが駅前が狭いので正面から全体像を撮るのは難しいです。
折返しの小牛田行きがいつ発車するか分かりませんが、とりあえず市街地の散策へ。雪の温泉街は風情がありますが、地元の人はさぞ大変だろうと思います。
雪の温泉街を歩き、お目当ての旧鳴子総合支所を撮影。昭和29年に玉造郡鳴子町役場として建てられたもので、昭和39年に事務室、昭和46年に議場、昭和58年に議員控室と増改築が重ねられています。平成18年の合併で大崎市となってからは総合支所としてしようされてきました。老朽化が著しいことから鳴子御殿湯駅前に新庁舎を建設、去る10月11日より使用が開始されています。役目を終えた旧庁舎の方はいずれ解体されてしまうことでしょうが、年末の時点ではまだ手つかずで残っていました。小ぶりながらも凝った造りのモダニズム建築です。庁舎前のこけしの電話ボックスも雪を被っています。
気が済むまで撮影して駅に戻ると列車はまだ停車中。電光表示によれば7:22発普通小牛田行き1724Dのようですが、一本後の列車の時刻ですらとっくに過ぎています。結局新庄方面からの列車の到着を待って、8:53に1時間31分遅れで発車しました。
西古川ではまたも行き違いのため11分間停車。予定では陸羽東線の残りの駅も降りる予定だったのですが、あまりにダイヤが乱れてしまったのでこのまま小牛田へ向かいます。
終点、小牛田には10:05着。東北本線を幹に石巻線と陸羽東線が東西に分岐していくジャンクション駅で、遠田郡美里町の玄関口です。昭和34年7月改築の駅舎は横に長い二階建てでいかにも昔ながらの国鉄主要駅といった趣ですが、実は改札口はこの駅舎ではなく、駅舎とホームの間に建設された半橋上駅舎の2階に設置されています。
駅前にはいい感じの旅館がありました。大正2年創業だそうで、レトロな造りですがよく手入れされているのか、それほど古さは感じさせません。
ホームに戻るとちょうど10:40発普通柳津行き2927D(キハ110-104)が停車中。石巻線と気仙沼線の駅めぐりは午後からする予定でしたが、陸羽東線と東北本線のダイヤは乱れているので予定を早めてこの列車に乗車。
前谷地からそのまま気仙沼線に入り、陸前豊里で下車。平成17年の合併で登米市となった旧本吉郡豊里町の玄関口で、気仙沼線の鉄道区間では唯一の交換可能駅です。平成15年4月改築の駅舎は「産直がんばる館」との合築で、跨線橋入口の手前に建てられているため、駅舎内を通らずともホームへ行けるようになっています。駅名は小さくしか掲げられていないのであまり駅舎という感じはしません。
陸前豊里11:38発普通前谷地行き928D(キハ110-104)で前谷地へ。石巻線と気仙沼線の分岐駅で、平成17年に石巻市と合併した旧・桃生郡河南町の玄関口です。東北ではすっかり数を減らした木造駅舎が残る駅ですが、令和2年3月に無人化されています。駅舎は大正14年9月改築。いつまでも残ってほしいものですが、そのうち簡易駅舎に改築されてしまいそうです。
駅前には気仙沼線BRTののりばが設置されています。当駅発のBRTは一日5本、対して柳津行きの列車は9本設定されています。BRTであれば気仙沼まで行くのに柳津での乗り換えが不要となりますが、柳津までの区間で渋滞に巻き込まれる恐れもある上に柳津までの途中駅には停車しないので列車の方を多く設定しているのでしょうね。
1時間24分遅れの前谷地10:56発普通小牛田行き1630D(キハ112-151+キハ111-151)で上涌谷へ。遠田郡涌谷町に昭和32年8月に開業した駅で、国道108号が目の前を通っています。ホームとモルタル待合室だけの簡素な駅です。待合室は陸羽東線でも見かけたタイプのもので、同時期開業の駅には似たようなものが設置されていますが、当駅のものはトイレ部分を除き窓が改修されています。
1時間7分遅れの上涌谷11:40発普通女川行き1633D(キハ111-151+キハ112-151)と前谷地13:01発普通柳津行き929D(キハ110-104)でのの岳へ。昭和43年10月、柳津線(前谷地~柳津)の開業に合わせて開設された駅で、駅名は箟岳山に由来しますが、「箟」の字が常用漢字ではないためかひらがな表記となっています。築堤上にホームがありますが、駅前は産廃置き場に、ホームの向かいはソーラーに遮られているため景色は微妙です。待合室はブロック造りのしっかりとしたもので、同時期に開業した旧丸森線の中間駅とも似た造りです。
のの岳13:44発普通小牛田行き2930D(キハ110-104)と54分遅れの前谷地13:00発普通石巻行き1635D(キハ110-106+キハ110-124)で鹿又へ。石巻線の列車は遅れの結果、一本後の列車と同じ時刻で走ってしまっています。鹿又は昭和30年の桃生郡河南町(平成17年の合併で石巻市)成立まで存在した旧・桃生郡鹿又村の駅で、旧北上川対岸の旧・桃生郡河北町の玄関口でもありました。平成22年2月改築の駅舎はなぜか正面に出入口がなく、左右から入る造りです。正面方向にある旧北上川からの強い風を避けるためなのでしょうか。
42分遅れの鹿又14:03発普通小牛田行き1634D(キハ112-151+キハ111-151)で佳景山へ。片面ホームの駅で、駅舎は昭和58年改築。駅名の由来は駅の後ろに聳える「欠山」で、山の北側が地滑りで崩落したゆえにこの名がついたと言われていますが、江戸時代の国学者・藤塚式部がこれに「佳景山」の字を当て、時代が下って大正時代にそれが駅名として採用されました。駅から少し東に歩くと田園地帯が開けていて実際に景色の綺麗なところです。
1時間6分遅れの佳景山13:58発普通女川行き1637D(キハ111-113+キハ112-113)で曽波神へ。昭和31年4月に開業した駅で、すぐそばを三陸自動車道が通っています。駅入口に平成8年築の待合室があるほか、ホーム上にも古レールと木材でつくられた古そうな上屋があります。石巻市街の北の外れと言った感じの立地ですが、合併までは河南町に属していました。
1時間17分遅れの曽波神15:43発普通小牛田行き1638D(キハ110-124+キハ110-106)と前谷地15:58発普通柳津行き2931D(キハ110-103)で御岳堂へ。昭和43年10月の柳津線開業時に設置された駅で、のの岳と似た造りです。駅前に人家は少なく、周囲には田んぼが広がっています。冬の夕暮れに降りたこともあってなんとも寂しげな風情でした。
御岳堂16:32発普通前谷地行き932D(キハ110-103)で和渕へ。旧北上川と江合川が合流する地点の和渕集落にある駅で、明治22年の町村制で前谷地村が成立するまでは和淵村でした。線内の他の駅と同型の待合室がありますが、ホームがカーブしている点が異なります。
和渕17:01発普通柳津行き933D(キハ110-103)で終点・柳津へ。昭和43年10月に柳津線の終点として開業した駅で、昭和52年11月に本吉までの区間が開通して気仙沼線が全通すると途中駅となりました。しかしながら当駅から気仙沼までの区間は平成23年3月11日の東日本大震災の津波で被災、鉄道での復旧を断念してBRT化され、令和2年4月1日にはついに鉄道事業が廃止されてしまいました。BRTも同じJRが運行しているものの実質的にはここが終着駅で、旧柳津線の区間しか列車は運行されていません。BRTに関しては駅めぐりの対象とはしていないので、気仙沼線はこれで全駅訪問達成となりました。令和3年最後の新規訪問駅も柳津で、通算4829駅目です。
駅舎は「津山町観光物産館ゆうキャビン」との合築ですが、この時間帯には閉鎖されていました。平成17年の合併で登米市となった旧本吉郡津山町の玄関口ですが、柳津の町の外れにあるため駅前には人家も少なく寂しげな雰囲気です。
柳津17:28発普通前谷地行き934D(キハ110-103)で折り返し前谷地へ。夜の木造駅舎もまた風情があっていいものですが、無人駅なので暖房もなく寒いです。18:51発普通小牛田行き1644D(キハ110-124+キハ110-106)と小牛田19:20発普通仙台行き2568M(クハE720-31)を乗り継いで仙台へ。仙台駅西口23:25発ウィラーエクスプレスB654便に乗って東京に帰りました。
12/27 寒波の陸羽東線駅めぐり
この日も前日に引き続きの氷点下。陸羽東線の山形県内の駅を中心に巡っていきます。
まだ暗い新庄駅を5:59発普通鳴子温泉行き720D(キハ110-243+キハ110-238)で出発。陸羽東線は小牛田と新庄を結ぶ路線で、沿線には温泉地が多いことから「奥の細道湯けむりライン」の愛称を持ちます。
瀬見温泉で下車。武蔵坊弁慶が発見したとの伝説が残る瀬見温泉の最寄り駅で、平成11年11月に「瀬見」から改称されました。駅舎は無人化後の昭和58年11月改築で、平成20年9月のリニューアルで和風デザインになりました。リニューアル前は簡易委託の窓口があったようです。駅前の国道47号を行き交う車は多いですが、駅前の家々はまだ寝静まっているような感じでした。
島式ホームは駅舎側のみが使用されており、駅舎からホームへは構内踏切を渡る必要があります。しんしんと雪が降り積もる夜明の無人駅は絵になりますが、撮っているうちにシャッターを押す指先の感覚が無くなります。
4分遅れの瀬見温泉6:48発普通新庄行き721D(キハ110-240+キハ110-241)で南新庄へ。奥羽本線と並走する区間にある駅で、目の前を時折山形新幹線が通過していきます。この並行区間は陸羽東線の開業によって生まれたものですが、戦時中の昭和19年12月、おそらく不要不急路線絡みでしょうが、当駅付近に鳥越信号場が設置され陸羽東線側の線路は撤去、新庄駅から鳥越信号場までの区間は奥羽本線と線路を共用することになりました。その後、輸送量の増加に伴い、昭和35年12月に新庄駅から鳥越信号場までの区間が複線化されて陸羽東線は分離、南新庄駅が開業しています。新庄駅から近い立地(とは言え4.9㎞離れています)ゆえに利用者は少ないそうですが、この後の列車には私以外に地元の方が二人乗車しました。
3分遅れの南新庄7:24発普通鳴子温泉行き722D(キハ110-241+キハ110-240)で鵜杉へ。昭和40年9月に開業した駅で、ホーム上に待合室があります。吹き込んだ雪が凍って待合室の扉は開きにくくなっていました。集落の中にこじんまりと存在する感じの駅です。
3分遅れの鵜杉8:03発普通新庄行き723D(キハ110-238+キハ110-243)で長沢へ。最上郡舟形町の東部、長沢地区にある駅で、瀬見温泉と同じく無人化後に簡易駅舎に改築されています。交換設備の跡も残っているそうですが、雪に埋もれて何もわかりませんでした。次の列車までは約2時間、せっかくなら周辺の散策でもしたいところですが、外は吹雪で視界も利きません。大人しく待合室で本を読んで待つことにしましたが、この駅の場合、待合室の扉が直接外に向かっていないため南新庄や鵜杉と比べると雪の吹込みはありませんでした。
6分遅れの長沢10:13発普通小牛田行き4730D(キハ112-151+キハ111-151)で大堀へ。今回の旅では珍しく同業者に遭遇しました。最上郡最上町の志茂地区にある駅で、隣の大堀地区の名を名乗っています。いずれも明治の町村制で西小国村が成立するまで存在した村でした。昭和62年2月改築の駅舎は地元の最上杉を使ったログハウス風で、「としょしつ」の看板が掲げられているものの、少なくとも17年前には既に本が置かれていなかったそうです。図書室の跡は待合室になっていて居心地は良さそうですが、木の温もりだけではさすがにこの季節は厳しいです。
9分遅れの大堀10:42発普通新庄行き4725D(キハ111-217+キハ112-217)で東長沢へ。田園地帯の中にあるホームだけの駅で、昭和34年7月に開業しました。もちろん田んぼは雪に覆われて真っ白で、一面に雪原が広がっていました。遠くに見える家々や盆地を取り囲む山々も雪化粧して美しいです。「絶景駅」というほどではないでしょうが、日本の原風景を楽しめるいい駅だと思います。
8分遅れの東長沢11:36発普通鳴子温泉行き724D(キハ112-217+キハ111-217)で県境を越えて宮城県に入り、中山平温泉へ。鳴子温泉郷の一つ、中山平温泉の最寄り駅で、平成9年3月に「中山平」から改称されました。駅前には大正6年11月1日の駅開業時に植えられた桜の木があります。
駅舎は無人化後に改築された簡易なもので、平成20年10月にリニューアルされています。無人駅らしくこじんまりとしていますが、待合室には喫茶店のようなテーブルがあり、なんと暖房が焚かれています。なんとも落ち着く空間ですが、降りた時にはタクシー待ちの先客がいて気まずかったのでずっと駅前に出て撮影していました。
駅前にはかつて陸羽東線で活躍したC58 356が保存されていますが、長年の風雪で傷みが激しいです。雪国で保存されているSLだと冬季はブルーシートをかけられているところもあるのですが、ここでは行われてこなかったようです。残念ながら解体予定とのことで近くで見たかったのですが、雪が積もってとても近付けませんでした。雪が解けたらまた見に来たいものですが、果たしてそれまで残っていてくれるでしょうか。
一通り撮り終えて列車を待っているとまた吹雪いてきました。基本的に無人駅での放送はない陸羽東線には珍しく放送が入りましたが、小牛田行きが川渡温泉駅を30分遅れで発車とのことで、こちらには関係のない内容でした。一方で新庄行きについては一切言及がないというのはもやもやとするものです。ホームでは二人組の除雪作業員のうち一人が雪かきをして、もう一人は無線で連絡を取り合っていましたが、新庄行きが鳴子温泉を13分遅れで発車したので作業をやめるように沿線の方へ連絡していたのが聞こえたので、おそらくそれくらいの遅れで来るだろうと思って待ちます。結局、新庄行きは10分遅れで放送も無く入ってきました。
10分遅れの中山平温泉13:16発普通新庄行き725D(キハ111-217+キハ112-217)で赤倉温泉へ。慈覚大師円仁が発見したと伝わる赤倉温泉の最寄り駅ですが、駅からは2.5㎞も離れているので「赤倉温泉口」とでもした方がよさそうです。開業時は「富沢」を名乗っていましたが、昭和27年11月に「羽前赤倉」と改称され、平成11年12月に現駅名になりました。昭和37年改築の駅舎は左右非対称のバランスの悪い見た目ですが、これは無人化後に旧事務室部分を減築したためで、元は山型の均整の取れたデザインをしていたようです。
この駅も平成20年8月にリニューアルされています。国鉄時代からの駅舎だけあって待合室は広々としていますが、リニューアルの際小上がりが設置されました。あまりに広いので舞台のようにも見えます。実際、イベント等での多目的使用も想定しているのではないでしょうか。
11分遅れの赤倉温泉13:43発普通鳴子温泉行き726D(キハ110-242+キハ110-239)で堺田へ。県境の山形県側にある駅で、日本海側の最上川水系小国川と太平洋側の北上川水系江合川の分水嶺がある駅として有名です。ホーム上にある簡易駅舎は昭和58年改築。分水嶺も廃止された対向ホームも何もかも雪に埋もれています。
ホームは駅前よりも低い位置にあり、階段を上らないと駅前に出ることはできません。県境駅だけあって山深いところを想像していましたが、駅前には何軒かの家があって小盆地の集落と言った風情でした。松尾芭蕉が「蚤虱 馬の尿する 枕元」と詠んだ封人の家が近くにあります。ホームへの階段からホームを見下ろして撮ろうとしたら滑って尻もちをつきました。幸いにも雪が積もっていたおかげで無傷でしたが、雪が無ければ大怪我していたでしょう。
10分遅れの堺田15:16発普通新庄行き727D(キハ110-239+キハ110-242)で立小路へ。昭和34年7月に開業したホームだけの駅で、同時に開業した東長沢とはよく似た造りです。待合室には何故か人形が置かれていました。訪問時、吹雪の集落にはアンパンマンマーチが大音量で鳴り響いていましたが、ほどなくして幼稚園バスがやってきました。バスはその後もアンパンマンマーチを流しながらもう一度踏切を渡って消えていきましたが、人の気配のない吹雪の集落と明るい音楽の取り合わせはなんともシュールでした。
吹雪いてはいますが、隣の最上駅までは3㎞足らずなので歩いて向かいます。平坦な道で歩道もついているので普段ならさぞかし歩きやすいでしょうが、歩道は除雪されていなかったので難儀しました。しばらく歩いて絹出川にかかる橋まで来たところで、反対側から除雪車がやってきました。歩道と車道が別になっている橋で作業の邪魔にもならなさそうだったのですれ違う際に写真を撮らせてもらいましたが、助手席からピースサインをしているのが見えたので手を振り返しました。雪国の生活を支える働く男たちの姿はかっこいいものですね。
歩くこと約40分で最上駅に到着。最上郡最上町の玄関口で、平成11年12月までは「羽前向町」を名乗っていました。昭和58年5月改築の駅舎は向町公民館との合築です。公民館との合築駅舎は今でこそ全国各地で目にしますが、建てられたのはこの駅が最初でした。記念すべき合築駅舎第一号です。この時はちょうど年末の福引大会が待合室に隣接したスペースで行われていて、地元の人で賑わいを見せていました。
鳴子温泉~新庄では唯一の交換可能駅で、町の玄関口ということもあって線内有数の主要駅と言った趣があります。16:46発普通鳴子温泉行き728D(キハ110-242+キハ110-239)は18分遅れで到着。先に着いた新庄行きはもちろん待たされていました。
終点・鳴子温泉には20分遅れで17:32着。乗り継げるはずだった17:17発小牛田行き1738Dはとっくに発車していて、18:00発普通小牛田行き1740D(キハ112-214+キハ111-214)まで待たされることになりました。30分近く時間がありますが、鳴子温泉は翌日に来る予定なので今駅を見ても仕方なく、待ちぼうけを食らいました。
予定を組み直し、上野目で下車。昭和39年2月に「上岩出山」として開業した駅で、平成9年3月に改称されました。ホーム上に東長沢や立小路と似た木造モルタル待合室があります。周辺は田園地帯のようでこの時間帯には真っ暗でした。遠くに幹線道路の築堤の影が見えます。待合室は地元の方によって清掃されているようで綺麗でした。
2分遅れの上野目18:30発普通鳴子温泉行き1739D(キハ110-240+キハ110-241)で川渡温泉へ。鳴子温泉郷の一つ、川渡温泉の最寄り駅で、平成9年3月に「川渡」から改称されました。川渡温泉からは1.5㎞離れているので、駅前は温泉地というより村の玄関口といった感じです。昭和29年に鳴子町と合併するまでは玉造郡川渡村でした。簡易委託の廃止後に事務室跡まで広げたためか待合室は変な間取りをしています。トイレにはマナーの悪い利用者への警告がこれでもかと貼られていました。
9分遅れの川渡温泉19:14発普通小牛田行き1742D(キハ110-241+キハ110-240)で池月へ。昭和29年の岩出山町成立まで存在した旧・玉造郡一栗村の池月地区にある駅で、近くに道の駅があります。昭和58年11月改築の簡易駅舎は長沢と似たデザイン。構内には貨物ホーム跡も残りますが、雪に埋もれていました。
13分遅れの池月19:44発普通鳴子温泉行き1741D(キハ111-221+キハ112-221)で鳴子御殿湯へ。仙台藩主専用の風呂である御殿湯があった東鳴子温泉の最寄り駅で、平成9年3月までは「東鳴子」を名乗っていました。平成16年9月改築の木造駅舎は天井の高い立派なもので、「これぞ温泉駅」と言いたくなるような和風デザイン。新しい駅舎にも関わらず改札口には木製ラッチがあります。
待合室は広く、畳の小上がりもあるなど至れり尽くせり。ただし、この時間には窓口の営業時間も終わって暖房もなくひんやりとしていました。駅前には鳴子温泉駅近くから移転してきた大崎市鳴子総合支所があります。
定刻通りにやってきた鳴子御殿湯20:27発普通小牛田行き1744D(キハ112-221+キハ111-221)で古川へ。この日は快活クラブ古川店に宿泊しました。
12/26 寒波の陸羽西線駅めぐり
年末には陸羽西線・陸羽東線を中心に駅めぐりをしてきました。ちょうど大寒波の来るタイミング、これまで経験したこともないほどの寒さの中での駅めぐりとなりました。
東京駅丸の内北口を前夜22:25に出た庄内交通夕陽号51便が余目駅に到着したのは定刻より28分遅れの6:18。福島県内での除雪作業による遅れとのことで、これ自体は仕方ありませんが、陸羽西線の新庄行き始発の発車は6:17なので、なんとも悔しい遅れ方です。
ホームの方には明かりも見えず、きっともう行ってしまったのでしょう。次の新庄行きは8:01発で、2時間近くも後です。ところが、しばらく経ってやってきた駅員さん曰く陸羽西線の始発も遅れているらしく、ホームの方を見ると確かに列車のライトが見えました。とりあえず乗るために走りましたが、結局間に合いませんでした。夜行バスを降りてからすぐにホームに向かっていれば間に合ったわけで自分にも落ち度がありますが、いくら早朝無人駅の扱いとは言え少しくらい放送してくれてもよさそうなものです。
仕方ないので待合室のストーブの前で本を読んで待ちましたが、8:01発新庄行きの方も折り返しとなる酒田行き151Dが羽越本線内の遅れに付き合わされている影響で37分遅れとなりました。この日の陸羽西線ですが、線内完結の列車は小さい遅れで運行していたのに対し、羽越本線直通の列車は結構遅れていました。次のダイヤ改正では羽越本線直通が減便されますが、これも陸羽西線内の定時運行を守るための措置なのだろうと思われます。
37分遅れの余目8:01発普通新庄行き152D(キハ112-213+キハ111-213)で高屋へ。大正9年に信号所として開設され、昭和27年2月に昇格した駅で、周辺に人家はほとんど見受けられません。目の前を最上川が流れており、時期によっては対岸の仙人堂神社への渡し船が出ていますが、この吹雪では何も見えません。駅前ではおっちゃんが黙々と除雪作業をしていました。駅舎は平成21年3月に改築されたもので、隣に旧駅舎の一部を転用した除雪機庫があります。
33分遅れの高屋8:39発普通余目行き153D(キハ110-238+キハ110-243)で狩川へ。音もなく入ってきたのであいにく乗り遅れるところでした。狩川は平成17年の合併で庄内町となった旧・東田川郡立川町の玄関口で、12月16日に新駅舎の使用が開始されたばかりです。新駅舎になってからも簡易委託の窓口は残されていますが、この日はお休みでした。島式ホームのうち駅舎側の線路は撤去されており、そこに新駅舎が建設されています。
新駅舎の使用が開始されたばかりとあって、旧駅舎はそのままの姿で新駅舎の前に鎮座しています。大正3(1914)年8月開業時に建てられた築107年の駅舎で、陸羽西線では最後まで残った木造駅舎でした。このような寄棟造の木造駅舎は陸羽西線の他の駅にも建てられていたそうで、陸羽西線の駅の開業時の姿を今に伝える貴重な存在です。とっくに役目は終えていますが、すぐに解体はされないようで、3月以降の解体が予定されています。陸羽西線から木造駅舎が失われるのは残念ですが、最後にその姿を目にすることができて良かったと思います。
狩川10:12発普通新庄行き154D(キハ110-243+キハ110-238)で清川へ。大正3年6月に古口から延伸された陸羽西線の終点として開業した駅で、狩川延伸までのわずか2カ月間だけ終着駅でした。駅名は昭和29年の立川町成立まで存在した清川村に由来します。ここもかつては狩川のような木造駅舎があったようですが、平成12年3月に改築されています。島式ホームのうち駅舎側の線路のみが残されているので、駅舎からホームへは構内踏切を渡らねばなりません。
清川10:48発普通余目行き155D(キハ111-220+キハ112-220)で南野へ。庄内平野の田園地帯にあるホームだけの駅で、昭和34年5月に開業しました。ホーム上に大きめの木造待合室があります。周囲に遮るものが何もないためか風が強く、撮影にも難儀しました。列車を待つうちにも外からはジェット機の離陸のような激しい音が聞こえてきて、確かにこんなに風の強い所なら列車が脱線するというのもありえるかも知れないと感じました。16年前のクリスマスに特急いなほが脱線したのもこの駅からそれほど離れていない同じ庄内町内の田園地帯です。
5分遅れの南野12:07発普通新庄行き156D(キハ112-220+キハ111-220)で升形へ。昭和31年9月に新庄市に編入された旧・最上郡八向村の駅で、駅名は八向村の前身の一つ、升形村に由来します。平成12年3月改築の駅舎は清川駅と同じデザインですが、見比べてみると左右の配置が逆で、こちらの方が少し大きいようです。待合室内には地元の歴史についての説明が貼られていました。ホームは島式ですが、駅舎側の線路が廃止されています。構内には保線車両の基地もありますが、そちらへの側線は雪に埋もれていました。ホームでは除雪作業の真っ最中、邪魔にならないように撮影しました。
升方13:17発普通新庄行き159D(キハ110-238+キハ110-243)で古口へ。農家の嫁不足解消のために韓国から花嫁を募ったことで有名な最上郡戸沢村の玄関口で、陸羽西線内では唯一の交換可能駅です。駅舎は平成26年3月に改築されたもので、内部には簡易委託の窓口があります。村の玄関口として申し分のない立派な駅で、窓口営業時間帯には待合室でストーブも焚かれています。改築前は狩川と同じような木造駅舎でした。
古口14:37発快速「最上川」新庄行き3132D(キハ112-151+キハ111-151)に乗車。酒田から新庄までの間、余目・狩川・古口にしか停車しない速達列車で、ローカル線とは思えない豪快な走りを見せてくれますが、停車駅が少なすぎるので駅めぐりをする身にはあまりありがたくない列車です。
終点・新庄へ。奥羽本線・陸羽西線・陸羽東線が集まる交通の要衝で、山形新幹線の終着駅でもあります。駅舎は山形新幹線の延伸に合わせて平成11年12月に改築されたもので、交流拠点「ゆめりあ」との合築です。最上地方の玄関口として申し分のない立派なもので、東北の駅百選にも選定されています。
ホームは駅舎以上に個性的で、「工」の字をしていて階段を使わずに乗り換えることができるという革命的な造りです。ただし、これは奥羽本線が当駅を境に軌間が違っていて完全に分断されているからこそできた構造だと言えるでしょう。
3分遅れの新庄16:12発普通酒田行き163D(キハ111-151+キハ112-151)で津谷へ。戸沢村の集落にあるホームだけの駅で、ホーム上に平成21年3月築の待合室があります。一見、元からホームだけの駅のように見えますが、元は島式ホームの交換可能駅で、寄棟造の木造駅舎もありました。
駅の入口には木造のトイレと旧駅舎の一部を転用した除雪車庫があります。入口からホームへは少し離れているので、旧駅舎時代にはホーム上にも木造待合室が設けられていたようです。改築にあたりホーム上の待合室だけが建て替えの上残されたのは入口とホームの距離ゆえでしょう。
4分遅れの津谷16:36発普通新庄行き158D(キハ110-243+キハ110-238)で羽前前波へ。昭和41年9月に開業した陸羽西線でもっとも新しい駅で、山間の田んぼの中の築堤上にホームがあります。背の高い築堤上にあってホームの造りも近代的なので公団建設線の駅のような雰囲気です。吹雪の夜ということで周囲の眺望は効きませんが、晴れた日ならさぞかし里山の風景を満喫できることでしょう。季節を変えて再訪したいものです。
2分遅れの羽前前波17:41発普通新庄行き160D(キハ110-242+キハ110-239)で新庄へ。始発に乗り遅れたことで真室川と陸前豊里には降りれませんでしたが、陸羽西線に関しては全駅制覇することができました。