まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

1/30 京王線・競馬場線・動物園線駅めぐり

この日は京王線の駅を巡りました。

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準特急高尾山口行き3103

新宿を7:26発準特急高尾山口行き3103(8708)で出発。京王特有の種別である「準特急」も3月のダイヤ改正で見納めとなります。

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西調布駅

調布で7:48発各停京王八王子行き5009(9707)に乗り換えて西調布へ。昭和34年6月1日に「上石原」から改称された駅で、平成23年1月16日に橋上化されています。多摩郡上石原村は明治の町村制で調布町が成立するまで存在した村で、新選組局長・近藤勇の出身地でもあります。また、「ゲゲゲの鬼太郎」の漫画家・水木しげるさんは後半生をこの地で過ごしており、その縁から調布駅との中間地点の地上時代の線路敷地跡には「鬼太郎ひろば」が設けられています。

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飛田給駅

西調布8:22発各停高尾山口行き5117(7673)で飛田給へ。味の素スタジアムの最寄り駅で、スタジアム開業に合わせて平成13年3月7日に橋上化されています。独特の響きを持つ駅名については「飛田某という人物の給田地」から来たという説と「悲田院の給田地、悲田給(ひでんきゅう)が転じた」という説があります。給田地とは中世の荘園制度が盛んだった時代に荘園領主国衙(役所)が、荘園の管理人や地頭、年貢の運輸者や貢納品を作る職人たちに与えた田畠地のことで、いずれの説でも「給」はこれに由来するとされています。

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武蔵野台駅

飛田給8:44発各停高尾山口行き5119(8751)で武蔵野台へ。この駅から府中市に入ります。昭和34年6月1日に「車返」から改称された駅で、平成22年12月5日に橋上化されています。所在地名は「白糸台」で、「武蔵野台」という地名は存在せず広域の通称を雰囲気で付けたような印象です。明治の町村制で多磨村が成立するまでは旧・多摩郡車返村が存在していました。先日訪問した西武白糸台駅が近くにあります。

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多磨霊園駅

武蔵野台9:04発各停高尾山口行き5121(9755)で多磨霊園へ。多磨霊園の最寄り駅で、開業時は「多磨」を名乗っていましたが、「市公園墓地前」を経て昭和12年5月1日に現在の駅名になりました。西武多摩川線白糸台駅が「北多磨」を名乗っていたのは当駅から見て北にあるからだと思われます。当駅は平成22年11月27日に橋上化、京王は相対式ホームの橋上駅がやたら多いような印象を受けます。

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東府中駅

多磨霊園9:16発各停京王八王子行き5017(8131)で東府中へ。「臨時競馬場前」駅に「八幡前」から改称した初代「東府中」駅を統合した駅で、競馬場線が分岐しています。「八幡前」駅は武蔵国八幡宮の最寄り駅で、後から開業した「臨時競馬場前」駅とは500mしか離れていませんでした。駅は平成23年4月10日に橋上化されています。

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府中競馬正門前駅

東府中9:32発各停府中競馬正門前行き6427(8780)で府中競馬正門前へ。昭和30年4月29日に開業したわずか1駅、全長約900mの競馬場線の終点で、東京(府中)競馬場の最寄り駅です。多客時に備えた余裕のある造りで、ホームも改札口も広々としています。この日は競馬開催日で車内もそれなりに人が乗っていましたが、この時間帯は20分間隔と東京近郊にしては本数が少なめ。

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大國魂神社

駅から西に真っすぐ行くと大國魂神社武蔵国の総社で、源頼朝が妻の安産祈願という伝説もあります。武蔵国国府跡にあり、この武蔵国府が府中市の市名の由来となっています。

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府中市役所

神社の隣には府中市役所。地下1階・地上3階・塔屋3階建ての西庁舎が昭和34年、地下2階・地上8階・塔屋2階建ての東庁舎が昭和45年、地下2階・地上5階・塔屋1階建ての北庁舎が昭和62年とそれぞれ老朽化していることから、新庁舎建設が進められています。

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府中駅

そのまま歩いて府中駅へ。府中市の代表駅で、市の中心部に位置しています。平成元年10月14日に下り線が、平成3年4月27日に上り線が高架化されており、平成5年3月1日に現駅舎が使用開始されています。府中市にはJR南武線武蔵野線も通っているものの、開業は京王が一番古く、利用客数でも府中本町駅に大差をつけています。

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分倍河原

府中10:45発各停京王八王子行き5025(8175)で分倍河原へ。南武線との乗換駅で、改札口は分離されているものの駅舎は京王のものをJRと共同使用しています。昭和4年までは旧村名に由来する「屋敷分」という駅名でした。

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中河原駅

分倍河原10:57発各停高尾山口行き5131(9157)で中河原へ。多摩川北岸の住宅街にある駅で、昭和49年7月30日に高架化されています。府中市はこの駅までで、当駅を出ると列車は多摩川を渡って多摩市に入ります。

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聖蹟桜ヶ丘駅

中河原11:08発各停京王八王子行き5027(8124)で聖蹟桜ヶ丘へ。昭和12年5月1日に「関戸」から改称された駅で、明治天皇行幸による聖蹟と桜の名所であることに由来します。昭和44年5月29日に高架化されており、巨大なショッピングセンターが高架駅を挟むように建つ姿は新札幌駅を連想させます。昭和63年3月14日には京王グループの本社も新宿から移転してきており、郊外住宅地の駅とは思えないような発展ぶりを見せています。ジブリ映画「耳をすませば」に登場する杉の宮駅のモデルにもなりました。

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百草園駅

聖蹟桜ヶ丘11:40発各停高尾山口行き5135(7276)で百草園(もぐさえん)へ。この駅から日野市に入ります。江戸時代からの歴史を持ち、現在は京王が所有する庭園「百草園」の最寄り駅です。この駅辺りから段々と車窓に山が近づいてのどかな雰囲気になってきます。駅は平成22年10月31日に橋上化。

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高幡不動駅

百草園11:53発各停京王八王子行き5031(7273)で高幡不動へ。動物園線および多摩都市モノレールとの乗換駅で、高幡不動尊金剛寺の最寄り駅です。駅舎は平成18年6月11日より使用開始された地上三階建ての巨大な橋上駅舎。昭和33年の日野市成立までは旧・南多摩郡七生村でした。

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多摩動物公園駅

高幡不動12:14発各停多摩動物公園行き6347(7207)で多摩動物公園へ。京王動物園線の終点で、昭和39年4月29日に開業しました。多摩動物公園と京王れーるらんどの最寄り駅です。動物園線は全線にわたって多摩都市モノレールと並走しており、本数はそちらの方が多いですが、運賃は京王の方が安いです。

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高幡不動駅 動物園線ホーム

多摩動物公園12:23発各停高幡不動行き6348(7852)で高幡不動へ戻り、引き続き京王線の駅めぐりを続けようとしたところで、階段を降りている最中にカメラを落としてしまい、レンズが破損。カメラが壊れて撮影できなければ駅めぐりは続けられないので、12:50発準特急新宿行き3136(8058)で帰宅しました。帰宅してから調べてみたところ本体の方にはひとまず異常が無さそうだったので新しいレンズを2万で購入。痛い出費とはなりましたが、とりあえず事なきを得ました。予定では京王はこの日だけで全駅訪問達成できる見込みでしたが、もう一度行く必要がありそうです。

1/25 西武多摩川線駅めぐり

鬼怒川から帰ってきた翌日、未訪問のまま残っていた西武多摩川線へと出かけました。

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武蔵境駅

高田馬場9:04発山手線内回り0826G(モハE234-62)と新宿9:10発快速武蔵小金井行き805H(モハE232-615)を乗り継いで武蔵境へ。JRの駅の方も未訪問ですが、帰りに見るとしてまずは西武の駅へ。多摩川線の始発駅で、平成18年12月に高架化、平成20年7月に3番線も完成して1面2線の駅となりました。多摩川線は他の西武の路線と繋がっていない孤立路線で、車両はJR線経由の甲種輸送で回送されます。元は非電化の多摩鉄道として開業し、昭和2年に西武に合併、昭和25年に電化されました。

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是政駅 ホーム

武蔵境9:42発是政行き241(242)で終点・是政へ。所要時間はわずか12分。多摩川線の車両は全て新101系のワンマン運転で、全線単線なのでローカル線のような雰囲気が漂っています。多摩鉄道は多摩川の砂利輸送を目的として開業した路線で、電化された頃までは砂利採掘場への専用線が伸びていました。是政から先、東京競馬場方面への延伸計画もあったそうですが、実現することなく立ち消えとなっています。

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是政駅

終点の是政駅大正11年6月20日開業。今年で開業百年を迎えます。片面ホームと側線から成るシンプルな終着駅で、周辺は多摩川以外特にこれと言ったものもない住宅街です。駅舎は平成6年12月15日完成。駅名はこの地を開拓した井田是政に由来します。井田是政は北条氏政の弟・氏照の家臣で、氏照が小田原合戦で切腹した後に当時治めていた横山村を開拓しました。

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競艇場前駅

10分ほど歩いて隣の競艇場前へ。大正8年6月1日に「常久」として開業した駅で、昭和29年5月21日に改称されました。多摩川競艇場の最寄り駅で、駅舎から伸びた通路で結ばれています。駅舎は橋上ですが、ホームは棒線化されており、使い勝手のことを考えると地平駅舎に改築した方がいいのではないかという気がします。

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白糸台駅 ホーム

競艇場前10:47発武蔵境行き254(1252)で白糸台へ。大正6年10月22日、多摩鉄道開業時の終点「北多磨」として開業した駅で、平成13年3月28日に改称されました。「多磨」駅から見ると南にあるため、ややこしくならないようにするための改称でした。

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白糸台車両基地

駅構内には白糸台車両基地が併設されています。ミニ路線の車両基地だけあって3線だけのこじんまりとしたもので、ローカル私鉄の車両基地のような雰囲気です。多摩鉄道開業時以来の歴史を持ち、かつては蒸気機関車やガソリンカーが所属していました。

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白糸台駅

多摩川線途中駅では唯一の運行拠点駅ですが、駅舎は一部二階建てのこじんまりとしたもので、自動改札機すらありません。建物自体は改良工事が行われた昭和52年ごろの改築でしょうか?

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多磨駅

15分ほど歩いて多磨へ。昭和4年1月5日に「多磨墓地前」として新設された駅で、平成13年3月28日に改称されました。長らく相対式ホームの交換可能駅でしたが、橋上化工事に伴って令和元年5月26日に棒線化され、令和2年12月23日に橋上化されました。構内踏切の解消が目的だったようですが、ホームに面している駅西側からだと目の前にあるホームに行くのにわざわざ階段を上り下りせねばならず、大変そうです。昭和29年4月1日の府中市成立までは北多摩郡多磨村が存在していましたが、この駅があるのはかつての村の北の外れで、役場は現在の白糸台にありました。

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新小金井駅

多磨11:28発武蔵境行き260(1251)で新小金井へ。多摩鉄道が北多磨まで開通した際に唯一の中間駅として開業した駅で、小金井市南東部に位置します。「新」と付きますが、これは東北本線小金井駅と区別するためのもので、武蔵小金井駅よりも7年早い開業です。駅舎は昭和63年2月17日改築のこじんまりとしたもの。

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新小金井駅 ホーム

相対式ホームの交換可能駅で、カーブしたホーム上に木造の上屋が残されています。さすがに開業時のものではないでしょうが、近代化の進む東京近郊の駅にあって昔ながらの雰囲気を色濃く残しています。この駅への下車を以て西武鉄道は全駅制覇となりました。

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武蔵境駅

新小金井12:08発武蔵境行き266(1251)で武蔵境へ。後回しにしていたJRの駅舎を撮影します。明治22年4月11日に甲武鉄道「境」駅として開業した歴史の古い駅で、国有化後の大正8年7月1日に改称されています。改称までは全国に3つの境駅がありましたが他の2つも同時に「羽後境」「境港」に改称されています。平成19年6月30日に下り線、平成21年12月5日に上り線が高架化されて現在の姿になりました。

三鷹で遅れてきた特急を待って3分遅れた武蔵境12:25発快速東京行き1284T(クハE233-9)と新宿12:54発山手線外回り1229G(サハE235-22)を乗り継いで帰宅しました。

1/24 鬼怒川温泉・日光を散策

ゆったり会津東武フリーパス、最終日は6050系を記録しつつ、鬼怒川温泉・日光を散策しました。

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ホテルニューおおるり

今日は駅めぐりは特にないので、バイキングの朝ご飯を食べて8時にゆっくりと出発。朝6時に朝風呂に入った時にバスタオルを盗られるという事件はありましたが、久しぶりに温泉でゆっくりできました。ホテルを出て、鬼怒川公園駅方面へ歩いて行くとまず見えてきたのはホテルニューおおるり。昭和52年創業のホテルですが、コロナの影響で昨年8月31日を以て閉館。売却とのことですが、建物の古さや昨今の状況を考えると別の会社のホテルとして再起するのは難しいのではないかと言う気がします。

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鬼怒川沿いの風景

鬼怒川に沿うようにしてコンクリートの巨大なホテル建築が並ぶ鬼怒川温泉の風景。手前の鬼怒川パークホテルズをはじめ元気に営業しているものも多いですが、その一方で廃業したまま放置されているものも見受けられます。

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鬼怒川観光ホテル東館

鬼怒川温泉駅近くだと営業しているホテルが多いものの、鬼怒川公園駅に近づくにつれて廃墟化したホテルや飲食店が見受けられるようになってきます。特に目立つ廃ホテルがこの鬼怒川観光ホテル東館。昭和40~50年代に建てられたと思われる12?階建ての巨大なホテルです。平成20年に廃業し、同系列の鬼怒川観光ホテルは大江戸温泉物語によって再生されましたが、東館は解体されることもなく放置されています。遠くから見ればちょっとボロいだけの現役ホテルのようですが、近くで見ると窓が割れるなど荒れた様子が目につきます。窓が割られているのは侵入者によるものでしょうか。ネット上でも廃墟内部の写真などは結構上がっていますが、不法侵入と言うれっきとした犯罪ですので、廃墟は外から眺めるだけにしましょう。

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鬼怒川第一ホテル

鬼怒川左岸を東武線に沿って北上すると現れるのはまたしても廃墟。鬼怒川第一ホテルは対岸のあさやホテルの支店として昭和31年に開業、増改築を繰り返して昭和55年5月に鬼怒川第一ホテルとして開業しました。平成に入ってから新館を増築したため建物はそれほど古くありませんが、平成20年11月30日で閉館し放置されています。崖に建てられているために解体にも費用がかかりそうです。

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きぬ川本館

隣接するきぬ川本館もまた廃墟。昭和17年創業で、「かっぱ風呂」が名物でした。平成11年6月に破産して以来、20年以上放置されています。建物が古い(昭和30年代?)だけに廃墟としての凄味も他の建物と比べて感じられます。川に面した側は対岸のあさやホテルから見えるそうで、今度はそこに泊まってみたいものです。

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元湯星のや

その隣の元湯星のやも廃ホテル。大正14年創業の老舗でしたが、平成22年秋に廃業しました。廃業から10年以上経つ割には建物も新しく綺麗なので、他の物件と違ってちゃんと管理されているようです。

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滝見橋と鬼怒川グリーンパレス

滝見橋と言う吊橋があるので降りてみました。風が強くて怖かったので渡り切らずに引き返しましたが、その対岸の鬼怒川グリーンパレスも廃墟でこそないものの長期休業中です。昭和48年にあさやホテル系列の別会社で創業しましたが、平成21年1月に自己破産。伊東園ホテルに買収されたものの、平成27年12月に休館となりました。経営が変わっても安泰とはいかないようです。

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快速AIZUマウントエクスプレス2号

ちょうど快速AIZUマウントエクスプレス2号が鬼怒川公園を発車する時間だったので、沿線のよさげなところで撮影。AT652+AT751の2両編成でした。

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跨線橋より鬼怒川公園駅

見れていない箇所もまだまだありますが、鬼怒川公園駅に到着。温泉街の外れと言った雰囲気で全然賑わいはありません。右奥に見える城のような建物は「復興御宿 富双江葉大馬 鬼怒川秘極の湯 風 」。綺麗な建物で駐車もあったので廃墟ではないと思って写真を撮りませんでしたが、コロナの影響で休館したまま営業再開することなく廃業していたようです。

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東武日光行き310

鬼怒川公園9:17発普通東武日光行き310(6279)に乗車。やってきたのはリバイバルカラーの6179Fでした。

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東武日光に停車中の6179F

東武日光には10:08着。屋根付き頭端ホームの1、2番線はターミナル駅らしい風格が感じられるホームで、停車している車両がよく映えます。ただし、4両だとギリギリになるので4両がデフォルトの20400系を撮ろうとすると下今市方先頭車の前面が写せません。

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東武日光駅

折り返し列車の発車を撮ってから駅の外へ。駅舎前の滝は凍っていました。東武日光駅の駅舎は昭和54年10月に改築された山小屋風のもので、シンメトリーの三角屋根が美しいです。

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日光駅

東武の駅から少し坂を下るとJR日光線日光駅があります。開業は明治23年8月とこちらの方が30年ほど古く、駅舎は大正元年8月改築のハーフティンバー様式の洋風建築。皇室などの利用に備えて貴賓室も設けられていますが、戦後は東武に押される形で衰退し、現在は一時間に一本ほど普通列車がやってくるだけのローカル線の終点に成り下がっています。日光へはJR新宿から特急「日光」が毎日運転されているものの、発着は東武日光駅で、この駅にやってくる特急列車は基本的に存在しません。クルーズトレイン「四季島」と修学旅行列車がやってくる瞬間だけがこの駅にとっての晴れの舞台と言えるでしょう。

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東武日光に停車中の6176F

東武日光11:05着の普通312も6050系が充当される列車なので撮影。こちらは6176Fでした。やはりWパンタはかっこいいですね。

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旧・日光市庁舎本館

6176Fを撮った後は日光市街へ。有名観光地らしく基本は小綺麗な街並みですが、ところどころに古い建物が残されています。旧・日光市庁舎本館は大正8年に外国人向けの「大名ホテル」として建てられたもので、古川電工の社員寮や進駐軍社交場を経て、昭和27年に旧・塩谷郡日光町役場となりました。昭和29年の合併で日光市が成立すると日光市役所となり、平成18年の合併で日光市の本庁が今市に移転すると日光総合支所となりました。行政施設としては平成30年に役目を終え、現在は観光施設として再活用のため整備中です。

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日光物産商会

土産物店や食堂として現役の日光物産商会の建物は明治38年に建てられたもの。元は日光金谷ホテルの土産物屋として創業し、のちに独立しました。寺社風デザインの堂々たる和風建築で、国の登録有形文化財

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明智平ロープウェー旧搬器

日光物産商会の前には明智平ロープウェーの旧搬器を使用した電話ボックスが設置されています。詳細は調べても出てきませんでしたが、いつ頃まで使われていたものなのでしょうか。

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輪王寺

橋を渡って輪王寺までやってきましたが、手持ちの現金が少ないのと日光にはまたゆっくり来る機会があるだろうということで、東照宮までは行かずに引き返します。見るべきところはまだまだ多いようで、とても「鬼怒川のついで」で済むところではなさそうなので、金谷ホテルにでも泊まってじっくりと回りたいですね。

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いっこく野州どり弁当

東武日光駅に戻り、いっこく野州どり弁当を購入。13:24発普通新栃木行き926(22431)に乗車し、下今市へ。

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区間急行南栗橋行き56

下今市では6050系を中心にしばらく撮影してから15:43発区間急行南栗橋行き56(6162)に乗車。下今市以南で6050系に乗れる貴重な列車です。南栗橋では一本見送って17:23発区間準急浅草行き3604(14456)に乗り、東武動物公園で17:43発急行中央林間行き1775S(8713)に乗り換え。北千住からは18:23発常磐線快速1850H(モハE231-101)と日暮里18:34発山手線内回り1880G(クハE234-35)に乗り換えて帰宅しました。

1/23 豪雪の野岩鉄道・会津鉄道駅めぐり その3

ゆったり会津東武フリーパス三日目も会津鉄道野岩鉄道の駅をめぐっていきます。

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会津若松駅

この日は会津若松からスタート。言わずと知れた会津地方の中心都市・会津若松市の代表駅で、会津若松市街の北端に位置します。駅舎は昭和36年2月に建てられた2階建てのもので、平成13年4月に鶴ヶ城をイメージしたデザインに改装されています。

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若松駅

会津若松6:56発快速AIZUマウントエクスプレス2号鬼怒川温泉行き3151D(AT701+AT751)で南若松へ。会津総合運動公園の最寄り駅で、第50回ふくしま国体に合わせて平成7年8月に開業しました。ホーム入口に大きめの待合室があります。近くに工業団地がある他、阿賀川の対岸には会津美里町本郷の市街地が広がっていますが、そちらからの利用はほとんどないでしょう。

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門田駅

南若松8:01発普通会津田島行き2305D(AT551+AT501)で門田へ。昭和30年に若松市編入された旧・北会津郡門田村の駅ですが、門田村の中心からは大きく離れた田園地帯の中の面川集落にありました。国鉄時代にあった木造駅舎は転換後にプレハブ駅舎に改築されており、交換設備こそ設置されているものの、快速は停車しません。南若松駅との間には平成21年8月23日・24日に「六地蔵尊」という盆踊り祭りのための臨時駅が設置され、翌年以降も「一ノ堰六地蔵尊」として毎年二日間だけ営業していましたが、平成25年8月24日を最後に翌年以降は開設されておらず、「幻の駅」となってしまいました。

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七日町駅

門田8:23発普通会津若松行き2108D(AT552)で七日町へ。会津若松市の中心部にある駅で、JR只見線の駅ですが、会津鉄道の列車も全て停車します。以前にも訪問済みですが、せっかくなので雪の会津若松を少しだけ散策してみます。

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会津若松市役所

七日町駅から1.4㎞のところにある会津若松市役所は、本庁舎旧館が昭和12年7月、新館が昭和33年5月に建てられたもので、旧館を部分保存の上での新庁舎の建設が予定されています。素晴らしいデザインの玄関部分は今後も会津若松のシンボルとして永く残されるとのことですが、増築部分や新館については新庁舎建設に伴って姿を消す予定なのでこの機会に記録することにしました。

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会津若松市役所 本庁舎新館

旧館の裏手に繋がるように建てられた新館は昭和33年5月竣工。モダニズム建築らしい意匠ですが、旧庁舎に付随する形で建てられたためか、建物の「顔」とまで呼ぶべき部分が見当たりません。

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会津若松市役所 本庁舎旧館の裏手

駐車場になっている旧館の裏手にも回ってみます。凝ったデザインの玄関と違って見られることをあまり想定していないため、雑然としています。2階から3階への外階段が目を引きますが、この部分は流石に残らないでしょう。

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芦ノ牧温泉駅

七日町へ戻り、9:38発快速リレー128号会津田島行き3307D(AT552)で芦ノ牧温泉へ。昭和30年に若松市編入された旧・北会津郡大戸村の駅で、昭和2年11月に会津線支線の終点「上三寄」として開業しました。昭和62年7月の転換時に「芦ノ牧温泉」に改称されましたが、温泉までは約3.7㎞離れています。開業時からの木造駅舎が残っており、内部ではグッズが販売されるなど観光駅らしい雰囲気。撮影している間にもどんどん観光客がやってきました。

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芦ノ牧温泉駅の猫たち

この駅を有名にしたのは何と言っても猫駅長でしょう。今でこそ全国各地で見られる動物駅長ですが、その元祖は和歌山電鐵貴志川線貴志駅「たま」駅長とこの芦ノ牧温泉駅の「ばす」駅長で、現在は2代目名誉駅長の「らぶ」とアテンダントの「さくら」が活躍しています。「ばす」は平成20年4月24日に名誉駅長に就任し、平成27年12月24日に退任、翌年4月22日に18歳の長寿を全うしました。「ばす」が心ない観光客のフラッシュで目を傷めたことから、猫駅長たちの撮影は禁止されていますが、駅舎についてはいくら撮っても構わない旨の掲示があります。

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上三寄駅 駅名標

駅前には旧駅名「上三寄」の駅名標が保存されています。野岩鉄道の方には漢字こそ違うものの読みの違う「(下野)上三依」(現:上三依塩原温泉口)があり、もしこの駅が改称されていなければ相当ややこしいことになっていたと思われます。隣駅の表示は「桑原」(現:芦ノ牧温泉南)ですが、括弧書きで「舟子」(現:大川ダム公園)とあるのは、舟子が正駅ではなく仮乗降場だった故でしょう。

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AT301

構内にはかつてトロッコ列車として活躍したAT301が保存されていますが、雪が積もっていて近付けませんでした。行先は旧駅名の「上三寄」が表示されています。

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西若松駅

芦ノ牧温泉10:23発快速リレー101号会津若松行き3310D(AT551)で西若松へ。只見線会津線の分岐駅で、前日にも訪問していますが、日没後だったので再訪しました。平成17年9月に橋上化されています。会津若松市街や会津若松駅との位置関係はどちらかと言うと「西」よりも「南」で、鶴ヶ城の最寄り駅であることからいっそ「鶴ヶ城」駅とでもすればいいのではないかと思われます。構内は2面3線ですが、1番線からは只見線の17:12発会津若松行き一本が発着するのみで、それ以外の時間帯は閉鎖されています。この駅でスタンプを押そうとした頃、スタンプ帳がないのに気が付き、記憶をたどってみるとどうやら前日の上三依塩原温泉口に忘れたようなので、予定を変更してこの後取りに行くことにしました。

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会津田島駅 レストランヴォーノ カレーライス

西若松11:26発普通リレー132号会津田島行き2309D(AT551)で会津田島へ。乗り換え時間を利用し、駅2階のレストランのカレーライスで昼食としました。予定では一本後の列車まで田島を散策するはずでしたが、スタンプ帳を忘れたとあっては仕方ありません。

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上三依塩原温泉口駅

会津田島13:02発特急リバティ会津132号浅草行き1132M(510-1)で上三依塩原温泉口へ。スタンプ帳はなんなく見つかり、無事回収することができました。

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湯西川温泉駅

上三依塩原温泉口14:24発普通東武日光行き326(61101)で湯西川温泉へ。昭和61年10月、野岩鉄道会津鬼怒川線の開業時に開設された駅で、ホームは葛老山トンネルの中にあります。トンネル出口すぐのところにあって、外の明かりが入ってくるためトンネル駅としては明るく、閉塞感も少ないです。

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湯西川温泉駅

階段またはエレベーターで上がった地上に駅舎があり、道の駅湯西川が併設されています。階段もそれほど長くはなく、アクセスもそれほど悪くないため、土合駅などと比べると手軽に楽しむことができるトンネル駅と言えそうです。道の駅があって人の気配はあるものの、駅前に人家はなく、湯西川温泉までは約9㎞と離れています。

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五十里湖と湯西川橋梁

駅前には昭和31年完成の五十里ダムによってつくられた五十里湖が広がっています。駅を出た野岩鉄道はトンネルを抜けるとすぐに湯西川橋梁で五十里湖を渡り、対岸のトンネルへと突入します。凍った湖の上を渡る瞬間は野岩鉄道の車窓でも一、二を争う絶景です。駅前からもこの橋梁を撮影することができますが、柵が低いので長居する勇気は出ませんでした。

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新藤原駅

湯西川温泉15:07発快速AIZUマウントエクスプレス4号東武日光行き3156で新藤原へ。東武鬼怒川線野岩鉄道会津鬼怒川線の分界駅で、野岩鉄道が管理しており、構内にはその本社もあります。大正8年12月、東武鬼怒川線の前身である下野軌道(→下野電気鉄道)「藤原」として開業し、大正11年3月に現在地に移転して改称されました。長らく終着駅でしたが、昭和61年10月に野岩鉄道が開通すると中間駅のようになりました。しかし、現在も当駅折り返し列車は東武・野岩ともに設定されているため、時間帯によっては乗り換えが必要となります。駅名は平成18年の合併で日光市となった旧・塩谷郡藤原町に由来しますが、駅名が「ふじわら」なのに対し町名は「ふじはら」で、町の中心は鬼怒川温泉の方にあります。

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新藤原駅 1番ホーム

構内は島式2面3線で、特急スペーシア折り返しのために1番ホームだけが長くなっています。1番ホームの車止めは駅舎出口のすぐ目の前にあり、地方私鉄ならともかく大手私鉄の駅ではあまり見ないような造りです。

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鬼怒川ロイヤルホテル

新藤原15:52発特急リバティ会津140号浅草行き1140M(514-1)で鬼怒川温泉へ。この日は鬼怒川ロイヤルホテルに宿泊しましたが、駅周辺・ホテル周辺ともに手頃な飲食店が全然なく、夕食付プランにしておけばよかったと後悔しました。

1/22 豪雪の野岩鉄道・会津鉄道駅めぐり その2

ゆったり会津東武フリーパス二日目も引き続き、野岩鉄道会津鉄道の駅をめぐっていきます。

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早朝の会津田島駅

まだ薄暗い会津田島駅からスタート。線内最大の駅らしく立派な駅舎は「会津田島ふれあいステーションプラザ」との合築で、平成元年9月改築。運行拠点駅だけあって早朝から窓口が開いています。

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会津長野駅

会津田島6:12発普通会津若松行き2306D(AT552+AT501)で会津長野へ。明治22年の町村制で田島村が成立まで存在した旧・南会津郡長野村の駅で、国鉄時代は減築された木造駅舎がありました。転換後に改築された駅舎はログハウス風の会津鉄道標準仕様のもので、駅前より一段高い旧1番線跡に建てられています。旧駅舎は階段の下にあったようです。後ろに聳える山は斎藤山、駅の裏手には田畑が広がるばかりで人家はありません。ホーム上には古い上屋が残されています。

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養鱒公園駅

会津長野7:38発普通会津若松行き2108M(AT502)で養鱒公園へ。昭和22年9月に「会津落合」として開業した駅で、昭和30年の下郷町成立まで存在した旧・南会津郡旭田村の駅です。国鉄時代には減築された木造駅舎がありました。会津鉄道への転換時に改称されています。ここも駅舎はログハウス風で、隣に別棟のトイレがあります。駅名の由来となった養鱒公園いこいの広場までは1.9㎞、鱒を釣って食べることができるそうです。

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会津高原尾瀬口駅

養鱒公園7:54発快速AIZUマウントエクスプレス2号鬼怒川温泉行き3151D(AT751+AT601)で会津高原尾瀬口へ。昭和28年11月に会津線の終点「会津滝ノ原」として開業した駅で、昭和41年には今市とを結ぶ野岩線の建設が始まりました。野岩線は国鉄再建法で工事が凍結されたものの、第三セクター野岩鉄道会津鬼怒川線として昭和61年10月に開業。会津滝ノ原は野岩鉄道開業に合わせて「会津高原」に改称されましたが、尾瀬への玄関口をアピールすべく平成18年3月に再度改称されて「会津高原尾瀬口」となりました。開業時からのモルタル駅舎が改装の上で使用されていますが、駅舎前に「会津高原駅プラザ憩の家」への通路とを結ぶ屋根が増築されています。今でこそ東京方面からの会津地方の玄関口ですが、国鉄時代は盲腸線の終着駅でさぞかし遠い山奥の駅という感じだったのだろうと思います。

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会津高原駅プラザ憩の家

駅前の通路を通り、階段を下りた先にはレストランなどが入る会津高原駅プラザ憩の家があります。音楽が大音量で流れているところや通路の雰囲気などはスキー場を思わせます。駅舎前の広場が狭いため、バスやタクシーは憩の家の前に発着しており、実質的にはこちらが駅前といった感じです。

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上三依塩原温泉口駅

会津高原尾瀬口9:22発区間快速新藤原行き852(6179)で上三依塩原温泉口へ。昭和61年10月の野岩鉄道開業時に「下野上三依」として開業した駅で、会津線の「上三寄」(現:芦ノ牧温泉)との混同を避けるために旧国名の下野が冠されていました。昭和63年10月、駅のある上三依地区と塩原温泉を結ぶ尾頭トンネルが開通すると「上三依塩原」に改称され、平成18年3月に現在の駅名になりました。漢字表記だと8文字で、福知山市民病院口駅と並んで漢字のみの駅名としては日本一長い駅名です。約10㎞離れた塩原温泉郷への玄関口で、バスで約25分と那須塩原駅よりも近いですが、駅周辺には小さな集落があるのみで閑散としています。駅舎はとんがり屋根が特徴で、関東の駅百選にも選定されています。

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大川ダム公園駅

上三依塩原温泉口10:10発快速AIZUマウントエクスプレス1号会津若松行き3155(AT601+AT751)で大川ダム公園へ。昭和43年10月、「舟子」仮乗降場として開業した駅で、大川ダム建設に伴う線路付け替えで昭和55年12月に現在地に移転、分割民営化時に駅に昇格し、会津鉄道への転換時に改称されました。駅周辺には小集落があるものの駅から直接は見えず、「秘境駅」の一つとされています。ホームは駅前の道路より一段低い位置にありますが、道路からホームに降りる階段は除雪されておらず、代わりに少し離れたところの坂道が出入口として除雪されていました。

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大川ダム公園駅

駅前には広大なソーラーパネル発電所が設置されていますが、ご覧の通り雪を被っていました。晴れている時にしか発電できないソーラーパネルと、冬は雪に閉ざされる会津地方は正直相性が悪く非効率なのではないかと感じてしまいます。晴れの日が多い瀬戸内ならともかく、雨や曇り、雪が多い地方では太陽光発電は最適な発電方法とは言えないでしょう。

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会津下郷駅

大川ダム公園11:52発普通リレー132号会津田島行き2309D(AT501)で会津下郷へ。昭和30年に楢原町、旭田村、江川村が合併して誕生した南会津郡下郷町の玄関口で、会津鉄道への転換時に「楢原」から改称されました。駅舎の改築が進んだ会津線では珍しく、昭和9年12月開業時に建てられた木造駅舎が現役です。旧事務室部分は喫茶店になっており、ますバーガーが名物だそうです。事前に知っていれば昼食のパンをあらかじめ買ったりしなかったのに、惜しいことをしました。

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湯野上温泉駅

会津下郷12:45発快速リレー111号会津若松行き3312D(AT552)で湯野上温泉へ。昭和30年の下郷町成立まで存在した旧・南会津郡江川村の駅で、湯野上温泉と大内宿の最寄り駅です。会津鉄道への転換時に「湯野上」から改称され、昭和62年12月に大内宿にちなんだ茅葺屋根の駅舎に改築されています。室内で暖房が焚かれている有人駅の常で立派な氷柱が下がっていましたが、茅葺屋根らしくその色も茶色でした。駅舎内は薄暗い上に人も多く、テレビ撮影クルーなどもいたので写真は撮れず。観光地の駅の駅舎内は早朝や夜に撮るのがおそらく正解なのでしょう。

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弥五島駅

湯野上温泉13:28発快速AIZUマウントエクスプレス4号東武日光行き3155D(AT751+AT601)で弥五島へ。会津線では数少ない開業時の駅名を守る駅で、明治22年の町村制で長江村が成立するまで存在した旧・南会津郡弥五島村に由来します。国鉄末期に簡易駅舎に改築されましたが、平成20年10月に改装されて赤レンガ風タイルのデザインになりました。「寄贈 松島達夫 平成二十年十月竣工 会津鉄道 弥五島駅」の文字がある辺り、松島さんという人の寄贈によって改装されたようですが、詳細は不明。

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芦ノ牧温泉南駅

弥五島13:46発普通会津若松行き2314D(AT501)で芦ノ牧温泉南へ。転換時に「桑原」から改称された駅で、大川ダム建設に伴う線路付け替えで昭和55年12月に現在地に移転しています。駅があるのはダム建設による集団移転で高台に造成された桑原集落で、駅周辺に温泉旅館等はありません。芦ノ牧温泉の最寄り駅だと勘違いする人もいそうですし、わざわざ改称した意図が分かりません。芦ノ牧温泉へは直線距離で3.6㎞で直接行ける道路もないため、「桑原」駅のままで良かったのではないかと思います。観光客誘致のために改称するとしても駅の目の前にある「若郷湖」から取らなかったのは何とも理解しがたいです。

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芦ノ牧温泉南駅 ホームへの階段

ホームは駅舎から階段を下ったところにあり、コンクリート打ちっぱなしの無機質な雰囲気、この季節だと実に寒々として見えます。

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桑原駅 駅名標

駅前の突き当り、大川集会所の隣には旧駅名「桑原」の駅名が保存されています。初代桑原駅はかつての桑原集落と共に若郷湖の底に沈んでおり、2代目桑原駅も駅名が変えられてしまった今となってはこの土地の歴史を物語る貴重な存在です。今からでも駅名を元に戻せばいいのではないかと個人的には思います。待合室で列車を待っていると同業者がやってきましたが、この雪の中、大川ダム公園から歩いてきたのでしょうか。

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あまや駅

芦ノ牧温泉南15:01発普通リレー117号会津若松行き2316D(AT502)であまやへ。平成11年8月に開業した簡素な無人駅です。駅入口にプレハブの待合室が設置されています。駅周辺に「下雨屋/上雨屋」という地名があり、これが駅名の由来でしょう。「雨屋」はそれほど難読なわけでもなく、風情のあるので、漢字のままでもいいような気がしますが。

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塔のへつり駅

あまや15:23発普通会津田島行き2313D(AT501)で塔のへつりへ。昭和35年4月に観光シーズンのみの仮乗降場として開業、昭和44年11月に廃止されましたが、転換後の昭和63年4月に正式な駅として復活しました。近くに建物も見えない森の中にあり、秘境駅のようですが、観光客の利用があるため快速も停車します。ホーム入口にある待合室は豪雪地帯らしく高床式です。予定では16:06発普通会津若松行き2318Dに乗るはずでしたが、この列車は土休日運休で、南若松と門田には降りれないことになりました。

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塔の岪

せっかく次の列車まで時間があるのだからと塔の岪を見に行きました。阿賀川の侵食によってつくられた崖の地形で、「岪(へつり)」とは会津方言で川に迫った急な崖のことを指します。この岪が塔のように見えるから「塔の岪」と言うのだそうですが、雪を被っていたので「なんとなく塔っぽいな」と分かる程度でした。通行止めのところも多く寒かったので、見ていたのは5分ほどでそそくさと駅に戻りました。

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西若松駅で並ぶ只見線(左)と会津線(右)

塔のへつり17:00発普通会津若松行き2320D(AT552)で西若松へ。JR只見線会津鉄道会津線の分岐駅で、会津線の列車は全て会津若松まで直通しています。一応只見線の方が本線で会津線が支線と言う形を取っていますが、只見線の下り列車が7本で5時間以上開く時間帯もあるのに対して会津線の下り列車は平日12本で大体一時間に一本あります。歴史的には只見線の方が先に「会津線」として大正15年10月に開業し、その支線として翌昭和2年11月に現在の会津線が上三寄(現:芦ノ牧温泉)まで開通しました。昭和46年8月に只見線が全通して改名されると会津線支線の方が唯一の「会津線」となり、昭和62年7月に第三セクター会津鉄道に転換されています。西若松は橋上駅ですが、もう日も暮れているので今回は訪問基準だけ満たして翌日また撮りに来ることにします。

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マルモ食堂 ソースかつ丼

西若松18:46発普通会津若松行き2322D(AT502)で会津若松へ。駅前のマルモ食堂で会津名物ソースかつ丼で夕食としました。メニューには「納豆カレー」なるものもあり、気になりました。この日は快活クラブ会津インター店に宿泊。3日目も引き続き野岩・会津の駅をめぐる予定です。

1/21 豪雪の野岩鉄道・会津鉄道駅めぐり その1

3月ダイヤ改正野岩鉄道会津鬼怒川線の列車が大幅減便されると聞き、「ゆったり会津東武フリーパス」で会津鉄道会津線と合わせて駅をめぐってきました。

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特急リバティ会津

高田馬場5:26発山手線外回り0561G(モハE235-74)、日暮里5:58発常磐線533H(モハE230-113)、北千住6:11発急行南栗橋行き531K(5401)、南栗橋7:02発急行東武日光行き31(24431)を乗り継いで下今市へ。下今市からは8:16発特急リバティ会津101号会津田島行き1101(510-3)に乗車。下今市から先の区間では特急列車にも普通乗車券のみで乗車できるのがありがたいところです。鬼怒川温泉辺りでも雪は積もっていましたが、北へ向かうにつれて車窓に見える雪の量が増えてきました。

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川治温泉駅

新藤原から野岩鉄道会津鬼怒川線に入り、2つ目の川治温泉で下車。昭和61年10月、野岩鉄道の開業と同時に開設された駅で、島式1面2線のホームがいかにも公団建設線らしい雰囲気です。大谷石を使った駅舎は凝った造りでなかなか立派ですが、窓口は休止していて人気も無く、寂しげな雰囲気でした。意匠設計は中山繁信氏という建築家だそうです。駅があるのは藤原町小網の集落で、駅名になっている川治温泉へは隣の川治湯元駅の方が便利です。

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森山欣司胸像

駅前には第一次大平内閣で運輸大臣を務めた地元選出の国会議員、森山欣司氏の胸像が建てられています。野岩鉄道会津鬼怒川線の建設に尽力し、その開通を見届けた翌年に亡くなりました。奥さんは昨年亡くなった森山眞弓氏(第一次小泉内閣法務大臣)です。ご覧の通り雪を被って忘れ去られたような感じでしたが、東京浅草から特急一本でこの駅まで来ることができるのも彼のおかげでしょう。

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小網ダム

駅周辺に温泉旅館はありませんが、その代わりに小網ダムがあります。昭和33年竣工の重力式コンクリートダムで、その上を渡ることができますが、雪が降っていて風も強いので反対側までは行きませんでした。

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川治湯元駅

川治温泉9:52発快速AIZUマウントエクスプレス会津若松行き3155(AT751+AT601)で川治湯元へ。川治温泉の最寄り駅で、高架下にこじんまりとした駅舎があります。駅自体は川治温泉駅の方が立派でしたが、こちらの方が温泉に近いだけあって利用者も多く、エレベーターも設置されています。温泉街へは徒歩10分ほどですが、駅からは見えず、宿泊者は旅館の送迎バスを利用するようです。

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名誉駅長 かわじい

駅前ロータリーには名誉駅長のゆるキャラ「かわじい」の像がありますが、こちらも雪を被っていました。口周りに着けられたマスクだけが辛うじて確認できます。雪国では生きた人間だけではなく像も大変なようです。

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龍王峡駅

川治湯元10:17発普通新藤原行き854(6176)で龍王峡へ。景勝地龍王峡の最寄り駅で、駅前にはドライブインや土産物店などが集まっているため、線内の他の駅と比べると賑やかな印象を受けます。ホームより高い位置にある駅舎はこじんまりとしているものの窓口が設置されています。

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龍王峡駅 ホーム

駅舎から長い階段を下ったところにあるホームは、新藤原寄り半分がトンネルの中で、福知山線武田尾駅棒線駅にしたような駅だなという印象を受けました。ホームから見えるのは壁と谷底だけで、ここだけ見ると駅前の様子は想像できません。

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男鹿高原駅

龍王峡10:40発普通会津田島行き853(6276)で男鹿高原へ。福島県との県境近くの山の中にある無人駅で、周辺に人家が一軒もないことから「秘境駅」として知られています。駅舎はなく、地下鉄の駅のような入口が雑木林の中の細道に向かって口を開けているだけです。現状でも特急リバティ会津のほとんどが通過し、快速AIZUマウントエクスプレスも停まらないことから停車本数は多くありませんが、3月ダイヤ改正以降は一日5往復の普通列車が停車するのみとなり、訪問難易度がぐっと上がりそうです。

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男鹿高原駅 ホーム

一日の平均乗車人員は一人以下と、JR北海道ならとっくに廃止していそうな利用者数ですが、訪問時は除雪されている方がいました。野岩鉄道会津鬼怒川線は利用者の少ない駅でも管理が行き届いているような印象を受けますが、これも全部で9駅しかなく、全線のほとんどが日光市内というコンパクトな路線だからこそできる技なのでしょう。苦しい状況ではありますが、頑張ってほしいものです。

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中三依温泉駅

男鹿高原12:10発普通下今市行き320(6176)で中三依温泉へ。平成18年3月に「中三依」から改称された駅で、昭和30年に藤原町と合併した旧・塩谷郡三依村の中心近くに位置します。山間の村に開業した公団建設線の駅といった風情で、開業時は折り返し列車も設定されていましたが、現在は無人駅です。待合室はホーム入口にあります。駅名の由来になった中三依温泉は平成4年に湧出した新しい温泉で、キャンプ場と一体となって運営されていますが、冬季は休業しています。

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中荒井駅

中三依温泉12:46発普通会津田島行き855(62103)で県境を越えて会津線内に入り、中荒井へ。昭和22年12月、会津線が荒海まで開業した際に設置された駅で、国鉄時代は木造駅舎がありましたが、会津鉄道への転換後にログハウス風駅舎に改築されました。駅名は明治の町村制で荒海村が成立するまで存在した旧・南会津郡中荒井村に由来します。ホーム、駅入口ともに除雪の後に雪が積もって歩くのにも苦労する状態だったので、待合室設置のスコップで最低限除雪をしておきました。

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七ヶ岳登山口駅

中荒井13:54発普通東武日光行き326M(61103)で七ヶ岳登山口へ。昭和28年11月、会津線会津滝ノ原まで全通した際に「糸沢」として開業した駅で、会津鉄道への転換時に改称されました。駅舎は中荒井と同型のログハウス風です。標高1635.8m、日本三百名山の七ヶ岳への最寄り駅で、一日平均乗車人員はわずか8人、国道121号や集落を見下ろす高台にあります。

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会津山村道場駅

七ヶ岳登山口14:55発普通会津田島行き315M(6279)で会津山村道場へ。平成13年7月に開業した新しい駅で、野外活動体験施設・会津山村道場への最寄り駅です。駅入口に待合室が設置されていますが、除雪されている方がいたので、駅入口側の方はあまり撮影できませんでした。

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会津荒海駅

雪道を15分ほど歩いて会津荒海へ。昭和22年12月、会津田島から伸びてきた会津線の終点「荒海」として開業した駅で、会津滝ノ原延伸までの6年間は終着駅でした。会津鉄道への転換時に改称されて「会津」が冠されています。昭和30年の合併で田島町となった旧・南会津郡荒海村の玄関口で、駅前の集落は大きいものの、特急と快速の大半は通過します。駅舎は会津鉄道と田島町農協が合同で建築したもので、南会津で広く栽培されている尾瀬リンドウをイメージしていますが、農産品直売所は閉じられて久しいようです。

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会津荒海に停車する下今市行き330M

しばらく待っていると15:57発普通下今市行き330Mがやってきました。対向列車との待ち合わせのため3分間停車します。会津荒海は会津高原尾瀬口会津田島会津線電化区間では唯一の交換可能駅のため、多くの列車が当駅で行き違いを行います。

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会津荒海で交換する6050系

会津荒海15:58発普通会津田島行き319M(6273)に乗車。3月ダイヤ改正では会津鉄道線内への野岩鉄道の普通電車の乗り入れも廃止されるため、これらの中間駅に電車が停車する風景もまもなく過去のものとなります。

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電車の終点・会津田島

8分で終点・会津田島に到着。ここは会津鉄道の途中駅に過ぎませんが、浅草から下今市、新藤原、会津高原尾瀬口を経て続いてきた電化区間はここで終点で、この先は全て気動車での運転となります。気動車についても快速を除き当駅でほとんど分断されているため、この駅が野岩鉄道会津鉄道の境界かのような印象を受けますが、ダイヤ改正以降は普通電車がやってこなくなるので、大きく様変わりしそうです。

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ふるさと公園駅

会津田島16:36発普通会津若松行き2320M(AT552+AT501)でふるさと公園へ。平成14年8月に開業した新しい駅で、大川ふるさと公園の最寄り駅です。正直全国どこにでもなりそうな個性の薄い駅名ですが、大川ダム公園との混同を避けるために「大川」を冠さなかったのでしょう。ここでも地元の方が駅のスロープの除雪をされていました。

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田島高校前駅

ふるさと公園17:21発普通会津田島行き2315D(AT502+AT551)で田島高校前へ。昭和26年11月に「田部原」として開業した駅で、会津鉄道への転換時に改称されました。田島高校の最寄り駅で、ホーム上には国鉄時代からの大きな木造待合室があります。

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田島高校前駅

駅入口には基礎がブロック積みの木造上屋があります。駅舎にしては簡素ですし、待合所にしても中途半端ですが、国鉄時代の写真にも写っており、造りから見るに結構古そうです。駅舎入口の車寄せを残したもののようにも見えますが、果たして何なのでしょうか。

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会津田島駅

3分遅れの田島高校前18:15発普通会津田島行き2317D(AT752)で会津田島へ。南会津地方の中心で、平成18年の合併で南会津町となった旧・南会津郡田島町の玄関口です。この日は駅から徒歩5分ほどのホテルニューセンチュリー63に泊まりましたが、飲食店がほとんど開いていなかったので、ヨークベニマルでおつとめ品の弁当を買って食べました。翌日も引き続き会津・野岩の駅をめぐっていきます。

1/12 多度津・善通寺・琴平を散策&琴電琴平線駅めぐり

この日はことでん・JRくるり~んきっぷを使って香川県の近代建築と駅を巡りました。

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予讃線5223M

前日夜21:15にバスタ新宿を出発したコトバスエクスプレス705便が高松駅前に到着したのは朝の8:11。みどりの窓口で切符を買う頃には8:15発普通琴平行き5223M(7201)の発車時刻は過ぎていましたが、高徳線からの乗り換え待ちで2分遅れて発車したため、なんとか乗ることができました。

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多度津駅

予讃線土讃線の分岐駅・多度津で下車。4年半ぶりの再訪です。明治22年5月、丸亀と琴平を結ぶ讃岐鉄道の駅として開業、山陽鉄道による買収と国有化を経て、大正2年12月に現在地に移転しました。駅舎はその時に建てられた古いものですが、分割民営化後の改装で大きく変わってしまっています。

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仲多度郡多度津町役場

駅前通りを3分ほど行くと仲多度郡多度津町役場。鉄道と共に発展してきた町だけあってか、駅前に役場や学校などの公共施設が集中しています。役場庁舎は昭和45年に建てられたもので、老朽化が進んでいることから多度津駅の駅裏に新庁舎を建設中です。

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島田歯科

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楽天堂医院と山本医院

町の中心部には近代建築が多数残されています。旧楽天堂医院は大正元年築、山本医院は大正15年築で、いずれも凝ったデザイン。今回は見ることができなかった建物も多そうで、またゆっくりと歩いてみたいと思います。

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善通寺駅

多度津駅に戻り、9:50発普通琴平行き5225M(7308)で善通寺へ。この駅は5年半ぶりの再訪です。駅舎は明治22年5月、讃岐鉄道の「吉田」として開業した際に建てられたもので、武豊線亀崎駅に次いで日本で2番目に古い現役駅舎とされています。亀崎駅の方は火災から再建された説もあるので、その場合はこの駅舎が現役最古の駅舎ということになるのでしょう。ただし、しなの鉄道の田中駅が当駅よりも古い可能性があり、その場合は順位が変動することになります。善通寺の駅舎は大きく改装されてセブンイレブンが入っているものの、風格は亀崎駅に勝っていると個人的には思います。

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善通寺市役所 旧庁舎

駅から2分ほど歩いて善通寺市役所へ。多度津同様、ここも駅から役所が近いです。1月4日より新庁舎に移転して役目を終えた旧庁舎は昭和43年竣工。大隈講堂、岩国徴古館、旭川市総合庁舎、新橋駅前ビル、大津市庁舎などを手掛けた建築家・佐藤武夫の作品です。四囲に柱を巡らしたデザインはギリシア神殿を思わせます。このまま解体されてしまうには惜しい唯一無二の建築でした。後悔の無いよう色々な角度から撮影。

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善通寺

市名にもなっている善通寺は大同2年に弘法大師空海の父・佐伯善通が土地を寄進して建立されたもので、空海生誕の地として信仰を集めてきました。四国八十八箇所75番目の札所で、高野山、東寺と並んで弘法大師三大霊場に数えられています。

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善通寺南門

門前町としての長い歴史を示すかのように市内には多くの近代建築が残されています。南門前には寄棟造の古い木造下見板張りの建物があって目を引きます。現在は空き家のようですが、飲食店などとして使われていた様子。

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水尾写真館

かわいらしい外観の水尾写真館は昭和2年竣工。この他にも多くの建物がありましたが、惜しむらくは北向きで逆光になる建物が多かったこと。見ていない建物も多いので、善通寺も曇りの日にリベンジしたいものですね。

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琴平駅

善通寺11:51発普通阿波池田行き4229D(1001)で琴平へ。仲多度郡琴平町の代表駅で、金毘羅宮への参拝駅です。大正11年11月の移転時に建てられた駅舎はハーフティンバー様式の立派なもので、国の登録有形文化財です。

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リニューアル前の琴平駅(H28-8-12)

平成28年から29年にかけてリニューアルが行われ、大正11年の竣工当時の姿に復元されています。復元のため仮駅舎に移転した直後に訪問したのが前回で、その当時はご覧のように駅名のネオンが大きく掲げられていました。色合いも現在の方が落ち着いた印象です。リニューアル前はリニューアル前で魅力的ではありますが、やはり現在の姿の方が駅舎そのものが持つ魅力が存分に引き出されていると感じます。せっかくなら善通寺駅も復元してもらえないものでしょうか。

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T邸洋館

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安治川歯科医院

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千田鉄工

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琴平工機

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東條接骨院

近代建築を見ながら歩いて東へ。こんぴらさん門前町だけでなくそこから離れたところにも結構古い建物が残っています。

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榎井駅

そのまま歩いて琴電琴平線榎井(えない)駅へ。片面ホームだけの無人駅ですが、元は交換可能駅だったために廃ホームが残っています。現在のホームと比べるとかなりの短さで、今の電車なら一両分にも満たないのではないかと思われます。駅名は昭和30年に琴平町合併した旧・仲多度郡榎井村に由来しており、琴電琴平駅国鉄琴平駅もかつての榎井村内にあります。

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羽間駅

榎井12:45発普通高松築港行き36(1092)で羽間(はざま)へ。平成18年の合併でまんのう町となった旧・仲多度郡満濃町の駅で、丸亀市との境界部分にあります。駅裏手には羽間池というため池がありますが、水量が少なく一部が干上がって底の砂地が見えていました。

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岡田駅

羽間13:19発普通高松築港行き38(1084)で岡田へ。平成17年に丸亀市と合併した旧・綾歌郡綾歌町の駅で、昭和34年の綾歌町成立前は岡田村でした。四国最大のテーマパーク、ニューレオマワールドの最寄り駅で、平成3年のレオマワールド開園に合わせて現在地に移転しました。島式1面2線の交換可能駅で、終日当駅で列車交換が行われます。

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綾川駅

岡田13:52発普通高松築港行き40(1206)で綾川へ。平成25年12月に開業した新しい駅で、イオンモール綾川の最寄り駅です。讃岐うどん発祥の地として知られる綾歌郡綾川町の駅ですが、役場などのある中心は隣の滝宮駅周辺で、駅周辺には郊外型ロードサイド店舗が多く出店しています。ホームだけの簡素な造りで、ホーム上屋は駅前ロータリーの屋根と一体化しています。

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栗熊駅

綾川14:09発普通琴電琴平行き31(1107)で栗熊へ。昭和34年の綾歌町成立まで存在した旧・綾歌郡久万玉村の駅で、すぐ隣を国道32号が通っています。久万玉村は昭和26年に栗熊村と富熊村が合併して誕生した久栄村が即日改称した村で、合併前の村名にはどちらも「熊」が入っていました。

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滝宮駅

栗熊14:26発普通高松築港行き42(1102)で滝宮へ。平成18年に綾上町と合併して綾川町となった旧・綾歌郡綾南町の駅で、昭和29年の綾南町成立前は滝宮村でした。大正15年12月に栗林公園とを結ぶ琴平電鉄の終着駅として開業した際に建てられた木造駅舎が今なお現役です。琴平線一宮以西の途中駅では唯一の有人駅で、朝夕には折り返し列車も設定されています。

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羽床駅

滝宮14:42発普通琴電琴平行き33(1087)で羽床(はゆか)へ。昭和29年の綾南町成立まで存在した旧・綾歌郡羽床村の駅で、ホームからは讃岐七富士の一つ、羽床富士こと堤山を目の前に望むことができます。駅のある羽床下地区の隣、小野地区は明治・大正に活躍したジャーナリスト・宮武外骨の出身地です。

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陶駅

羽床14:58発普通高松築港行き44(1108)で陶(すえ)へ。昭和29年の綾南町成立まで存在した旧・綾歌郡陶村の駅で、平成3年3月に交換駅化されました。駅舎はなく、1番ホーム手前のトイレに駅名が掲げられています。高松築港方にはかつて陶信号場がありましたが、交換駅化と同時に廃止されました。

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円座駅

陶15:37発普通高松築港行き46(1088)で円座へ。昭和31年に高松市編入された旧・香川郡円座村の駅で、かつては交換可能駅だったらしく廃ホームが残っています。旧2番線?跡の用地を利用してトイレが建てられており、ホームからだと構内踏切を渡らねばなりません。

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畑田駅

円座15:55発普通琴電琴平行き39(1205)で畑田へ。昭和29年の綾南町成立まで存在した旧・綾歌郡昭和村の駅で、昭和4年の昭和村成立までは畑田村でした。この駅もかつての交換可能駅で、廃ホームが残っています。廃ホーム側にも住宅があるものの、そちら側への通路は正式な踏切ではない「勝手踏切」で、交換設備を廃止するにしても構内踏切だけは残せばよかったのではないかという気がします。

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琴電畑田変電所

駅前には大正15年の駅開業時に建てられた旧琴電畑田変電所が残されています。昭和55年に役目を終えてから既に40年以上、廃墟化して久しいですが、琴電の歴史を物語る貴重な生き証人です。大正時代にこのような立派な変電所を建てて1500V電化で立派な電車を走らせていた琴平電鉄という会社はさぞかし勢いのある鉄道会社だったのだろうなと思われます。

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岡本駅

畑田16:10発普通高松築港行き48(1092)で岡本へ。昭和31年に高松市編入された旧・香川郡川岡村の駅で、戦前は琴電経営の岡本遊園地がありました。戦後も準急が停車し、折り返し列車が設定されるなど主要な駅でしたが、今では折り返し列車もない無人駅です。「川岡」は部(かわなべ)と本の合成地名で、「琵琶湖八景を彷彿とさせる美しさ」と称えられた奈良須(ならず)池があります。

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挿頭丘駅

岡本16:29発普通琴電琴平行き41(1211)で挿頭丘(かざしがおか)へ。琴平電鉄が開発した挿頭丘別荘地への最寄り駅で、丘の切り通しに駅が設けられています。かつては阪急仁川駅を参考に当時の大西虎之助社長自らが設計した駅舎があったそうですが、いくら調べても写真は見つかりませんでした。戦前の琴平電鉄は「讃岐の阪急」と呼ばれただけあって阪急を意識していたらしく、挿頭丘別荘地もやはり阪急の宅地開発を真似たものでしょう。挿頭丘駅付近の切り通しは何となく阪急今津線の甲東園~仁川の切り通しを連想させてくれます。

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一宮駅

挿頭丘16:42発普通高松築港行き50(1072)で一宮へ。昭和31年に高松市編入された旧・香川郡一宮村の駅で、讃岐国一之宮である田村神社の最寄り駅です。日中は約半数の列車が折り返す運行拠点駅で、有人窓口が設置されています。元々は田村神社の近くにありましたが、昭和62年4月に現在地に移転、その後も行き違い設備の始まりは旧駅のまま存知されているので当駅の高松築港方は複線区間のようになっています。

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空港通り駅

一宮17:06発普通高松築港行き252(1102)で空港通りへ。平成18年7月、琴平線では50年ぶりの新駅として開業した駅で、空港通り(国道193号線)との立体交差部分に設置されています。ホームは複線化用に確保された用地に設置されていますが、複線化に対応した造りにはなっておらず、琴電栗林公園~一宮についてはもはや複線化をする気もないのでしょう。

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片原町駅

空港通り17:24発普通高松築港行き52(1206)で片原町へ。高松市の中心部にある駅で、駅舎にはスーパーマーケットが併設されています。

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えん家

片原町駅近くのえん家のかしわ天ぶっかけうどんで夕食。カリカリのかしわ天がうどんによく合っていて美味しかったです。

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長尾駅

片原町18:22発普通長尾行き2263(1251)で長尾へ。長尾線の終着駅で、四国八十八箇所87番目の札所、長尾寺の最寄り駅です。平成14年の合併でさぬき市となった旧・大川郡長尾町の玄関口ですが、駅前は店なども少ない住宅街で、夜に訪れてみると寂しげな終着駅と言った風情でした。

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長尾駅

構内は1面1線と側線のみで終着駅にしてはシンプルです。長尾線の前身である高松電気軌道はこの先白鳥本町までの延伸を計画していましたが、結局実現することはありませんでした。

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夜の高松駅

長尾19:07発普通高松築港行き2268(1252)で折り返して瓦町へ。せっかくなので志度線も乗ろうと思いましたが、調べてみると志度まで意外と遠く、夜行バスの時間までに戻って来れなさそうだったので諦めました。瓦町19:55発普通高松築港行き2068(1308)で高松築港へ。夜の高松駅で少し撮影をしてから、21:15発ハローブリッジ号1便に乗車、バスタ新宿には翌朝7:03に到着しました。