まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

3/1 京王線・北野線駅めぐり

この日は前回カメラ破損で中断した京王電鉄の残りの駅を巡りました。

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南平駅

新宿8:11発準特急高尾山口行き3101(7804)と高幡不動8:54発各停高尾山口行き5117(8771)を乗り継いで南平へ。浅川南岸の住宅地にある駅で、平成23(2011)年に橋上化されました。駅名は明治22年の町村制で七生村が成立するまで存在した旧・南多摩郡南平村に由来します。江戸時代は平村でしたが、同じ郡内の平村(現:八王子市平町)と区別するために南が冠されました。

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平山城址公園駅

南平9:05発各停高尾山口行き5127(8129)で平山城址公園へ。鎌倉時代の源氏方の武将・平山重季の本拠地にある駅で、1番線に面して地平駅舎があります。駅の所在地は日野市ですが、八王子市との境界に近く、平山城址があるのは八王子市です。駅は昭和51年10月23日に現在地に移転するまでは約80m長沼寄りにありました。

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長沼駅

平山城址公園9:26発各停高尾山口行き6115(7101)で長沼へ。八王子に入って最初の駅で、平成元年9月30日に下り線、平成2年10月27日に上り線が高架化されています。駅名は浅川と湯殿川の合流地点にあった長い沼地に由来します。周辺は開発があまり進んでいないため畑が多く、山も近いのでのどかな雰囲気です。

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高尾山口駅

長沼9:46発各停高尾山口行き6119(7272)で高尾線に入り、高尾山口へ。昭和42年10月1日に開通した高尾線の終着駅で、その名の通り高尾山の登山口の駅です。平成27年4月24日完成の駅舎は隈研吾氏によるデザインで、高尾山の杉並木にちなんで杉材が多用されています。東京を代表する山への玄関口だけあって、平日でも多くのハイカーで賑わいを見せています。

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高尾駅

高尾山口10:24発特急新宿行き0106(5083)で高尾へ。JR中央本線との乗換駅で、JRの地上駅の南に京王の高架駅があります。JR側の北口へはJRの改札を通り抜けていかなければなりません。高尾線は高尾~高尾山口のみ単線のため、一部列車は対向列車との行き違い待ちを行います。

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狭間駅

高尾10:51発各停高幡不動行き6116(9052)で狭間へ。丘陵地に開かれたニュータウンの駅で、駅名はかつての集落名に由来します。訪問当時は普通と特急が交互の運転されていたため停車する列車は日中に20分毎と東京近郊にしては少なく不便でした。3月12日ダイヤ改正では特急が準特急と統合されて高尾線内では各駅に停車するようになったため、停車する列車が倍になり利便性が向上しています。

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めじろ台駅

狭間11:13発各停新宿行き5132(9084)でめじろ台へ。横山丘陵上のめじろ台ニュータウンの玄関口で、掘割の橋上駅。開業時は待避線を備えた島式2面4線でしたが、ホーム延伸に際して待避線が撤去されて相対式2面2線となっています。「めじろ台」の名は鳥のメジロにちなんだもので、開発前は散田山という山でした。

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山田駅

めじろ台11:35発各停新宿行き5134(8025)で山田へ。昭和6年3月20日に北野と多摩御陵前を結ぶ御稜線の駅として開業した駅で、戦時中の昭和20年1月21日に不要不急線として休止になりました。山田~多摩御陵前は昭和39年11月26日に正式に廃止されましたが、北野~山田は高尾線の一部として昭和42年10月1日に再開業しています。ホームや駅舎などは再開業時に造られたと思われるもので、御稜線の駅の面影は見当たりません。

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京王片倉駅

山田11:56発各停新宿行き5136(8027)で京王片倉へ。御稜線時代は「片倉」を名乗っていた駅で、御稜線時代からの時代を含めればJR横浜線片倉駅よりも長い歴史を持ちます。横浜線片倉駅は当駅休止中の昭和32年12月28日開業、寝ている間に名前を横取りされてしまったという感じでしょうか。こちらも高度成長期の駅らしい造りで、御稜線時代の面影はありません。

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北野駅

京王片倉12:18発各停新宿行き5138(8723)で北野へ。京王線北野線の分岐駅で、平成2年10月27日に高架化されています。駅前に建つのは土地区画整理事業の完成を記念した農夫の像。駅名の由来は近くにある北野天満社で、武蔵七党と呼ばれた武士団の一つ、横山党の一族によって勧請されたと伝わります。

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京王八王子駅

北野12:37発各停京王八王子行き5021(9789)で京王八王子へ。京王線の終着駅で、平成元年4月2日に地下化されています。JR八王子駅からは約400m離れており、JRからは独立した私鉄独自のターミナル駅と言った趣です。元は「東八王子」という駅名で甲州街道沿いにありました。昭和38年12月11日、都市計画に従って現在地に移転し、改称されています。京王は大東急時代より国鉄(JR)八王子駅への乗り入れを目指してきましたが、結局実現させることはできず、バス営業所として確保してきた八王子駅前の土地には京王プラザホテルが建設されています。この駅への訪問を以て京王電鉄は全駅制覇となりました。まだまだ時間があるので、昼食の後は気になったところを回りながら東京へと戻っていきます。

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屋敷分駅跡

京王八王子13:09発各停新宿行き5032(7722)と北野13:14発特急新宿行き0122(7723)で分倍河原へ。3分ほど北へ歩いて屋敷分駅跡へ。大正14年3月24日に開業した駅で、南武鉄道(現:南武線)との乗換を便を図るために昭和4年3月12日に南に移転、5月1日に分倍河原に改称されました。そのためわずか4年間しか存在しなかった駅です。旧甲州街道との踏切の北側に不自然な空き地があるため、何となくここに駅があったのだろうなという雰囲気。

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八幡前駅

分倍河原13:37発準特急新宿行き3038(8557)と府中13:40発各停新宿行き5032(7672)で東府中へ。5分ほど西へ歩いて八幡前駅跡へ。大正5年10月31日に開業した駅で、昭和12年9月1日に改称されて東府中となりました。昭和15年10月26日には臨時競馬場前駅(現在の東府中駅)に統合されて駅名のみが引き継がれています。武蔵国八幡宮の最寄り駅で、昭和8年11月8日に東京(府中)競馬場が開場するとその最寄り駅となりました。しかしながら駅から競馬場までには急坂があり、道も狭く自動車の通行に難があったことから、臨時競馬場駅が昭和10年11月12日に開業。臨時競馬場駅から競馬場駅へは広くて緩やかな競馬場通りが通じており、こちらがアクセス駅となりました。八幡前改め東府中駅は臨時競馬場駅からわずか500mほどしか離れていなかったために統合されて姿を消すことになります。統合に当たって東府中の駅名を残したのは、戦時下ゆえに行楽的な駅名が相応しくないとされたためでしょうか。八幡前駅は東府中3号踏切の傍にわずかな空き地のみが名残を留めています。

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柴崎を通過する準特急橋本行き

2分遅れの東府中14:02発各停新宿行き5034(8776)で柴崎へ。ダイヤ改正で消滅する準特急などをここでしばらく撮影し、柴崎17:06発各停新宿行き5156(7672)とつつじヶ丘17:10発区間準急本八幡行き4868(9699)、明大前17:26発特急新宿行き0008(7673)で帰途に就きました。

 

2/23 秩父鉄道駅めぐり+みなみ寄居

この日はSAITAMAプラチナルート乗車券で秩父鉄道寄居以西の駅を中心に巡りました。野上以西は以前に訪問済みなので再訪と言うことになりますが、楽しさはいささかも減じることはありませんでした。

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三峰口駅

池袋5:03発各停小川町行き105(32411)、小川町6:30発各停寄居行きY671(8499)、寄居7:05発各停三峰口行き1505(7507)を乗り継いで終点・三峰口へ。狼信仰で知られる三峰神社への下車駅ですが、神社のある旧・大滝村の手前の旧・白川村(→荒川村)に所在しているため、神社へはバスに乗り換えてさらに山奥を目指さねばなりません。険しい秩父の山々を目前に線路が途絶える形ですが、この先大滝村への延伸も計画されていました。駅舎は昭和5年3月15日開業時に建てられた寄棟屋根の木造で、関東の駅百選に選定されています。関東地方でもっとも終着駅風情が感じられる駅の一つでしょう。

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浦山口駅

三峰口8:29発各停羽生行き1516(7504)で浦山口へ。荒川が形成した河岸段丘上にある駅で、集落を見下ろすような立地です。駅前は非常に狭く、駅舎を正面から撮ることはできません。木造駅舎は昭和20~30年代に建てられたと思われるもので、待合室はなく、改札は開放的な造りです。ホームはカーブしており、各車両両端の扉は車両とホームの間が開きすぎて危険だという理由から開きません。乗り入れてくる2扉の西武4000系の場合は両端にしか扉がないので、少し大きな空間を跨いでの乗車となります。

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武州中川駅

浦山口9:04発各停三峰口行き51(4016)で武州中川へ。平成17年の合併で秩父市となった旧・秩父郡荒川村の中心にある駅です。昭和18年荒川村が成立するまでは旧・中川村で、駅名はこの中川村に由来します。「中川」は荒川が村の中央を流れることに由来する村名でした。駅舎は昭和50年代くらいに建てられたと思われるもので、待合室部分のみが前にせり出したようなアンバランスな形をしています。駅舎の線路側の空間では駅員さんがベンチの修繕をしていました。駅の近くにはTHE ALFEE桜井賢さんの実家、桜井太傳治商店があるそうで、桜井さんもこの駅を通学で使ったのでしょう。

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白久駅

影森駅構内踏切の安全確認で5分遅れてきた武州中川9:34発各停三峰口行き11(7502)で白久へ。昭和18年荒川村成立まで存在した旧・秩父郡白川村の駅で、山間の集落の駅といった趣が感じられます。「白川」は「久」「贄」の合成地名で、町村制までは白久村でした。三峰口駅も所在地は白久です。来るだけでも大変そうな駅ですが、硬券入場券は売り切れでした。秩父鉄道ではもっとも利用者が少ない駅です。

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秩父駅

5分遅れの白久9:47発各停羽生行き1520(7707)で秩父へ。秩父地方の中心都市・秩父市の代表駅で、昭和60年3月2日使用開始の駅舎は秩父地域地場産業振興センターを併設した立派なもの。駅ビル内の「じばさん商店街」はリニューアル工事中でした。駅開業時の所在地は秩父神社門前町に由来する秩父郡大宮町で、駅名の後を追うように2年後に秩父町に改称されています。

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御花畑駅

秩父10:36発各停三峰口行き1515(7505)で御花畑へ。西武秩父線との乗換駅ですが、西武秩父駅には直結しておらず、踏切を渡っての乗換えとなります。直通運転までしているのに何とも不便な乗り換えですが、ホームを移設させるのはさすがに無理だとしても連絡通路くらい造ればいいのにと思ってしまいます。2番線は西武線直通の列車しか発着しません。

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大野原駅

御花畑10:45発各停羽生行き1522(7804)で大野原へ。昭和29年に秩父市編入された旧・秩父郡原谷村の駅です。「原谷」は「大野」「黒」の合成地名で、当駅と和銅黒谷駅との間にある貨物駅には「武州原谷」と名付けられています。駅舎は昭和30~40年代に建てられたと思われるもので、開放的な改札口を挟んで事務室と待合室が配された「秩父型」駅舎。ホーム上屋も古レールを組み合わせたもので、味があります。

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和銅黒谷駅

大野原11:21発各停羽生行き1524(7702)で和銅黒谷(わどうくろや)へ。平成20年に「黒谷」から改称された駅で、日本最古の流通貨幣「和同開珎」に使用された和銅(にぎあかがね)を算出していた和銅遺跡の最寄り駅です。元明天皇慶雲5年1月11日(ユリウス暦708年2月7日)、武蔵国秩父郡から和銅が朝廷に献上されたことを祝い、元号が「和銅」に改められたと言われています。和銅ユリウス暦では708~715年に当たり、元年に和同開珎鋳造、3年に平城京遷都、5年に古事記完成などの出来事がありました。駅名につく元号としてはもっとも古い時代のものです。駅舎は落ち着いた色合いの木造駅舎で、改称に合わせてレトロ調に改装されました。

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親鼻駅

和銅黒谷12:10発各停羽生行き1526(7701)で親鼻へ。美の山公園の最寄り駅で、副駅名は「美の山登山口」。駅舎は昭和末期に建てられたと思われるもので、帽子のような形の屋根が特徴。内部は天井が高いです。構内踏切が公道の踏切を兼ねているのが特徴。硬券入場券は売り切れでした。

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皆野駅

親鼻12:50発各停三峰口行き23(7902)で皆野へ。秩父郡皆野町の玄関口で、急行「秩父路」や「SLパレオエクスプレス」も停車しますが、来月で無人化されます。駅舎は赤いトタン張りの寄棟屋根の木造駅舎。大正3(1914)年10月27日開業時のものかもしれません。硬券入場券は売り切れでした。

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上長瀞駅

皆野13:01発各停羽生行き1528(7705)で上長瀞へ。昭和3年5月15日に「国神」から改称された駅で、旧駅名は昭和30年の合併で皆野町となった旧・秩父郡国神村に由来します。駅自体は長瀞町(改称前は野上町)に所在しますが、皆野町との境界に近いため隣村の名が駅名となったのでしょう。駅舎は高い天井と縦長の屋根が風格を感じさせるもので、恐らく昭和戦前期の改築でしょう。改称に際して観光地の玄関口として改築されたという可能性もあります。向かって左手の軽トラが停まっている部分は団体用改札口の跡で、この駅のかつての栄光が偲ばれます。個人的には好きな駅舎の一つで、無人化後も末永く残ってほしいものだと思います。この日も祝日だけあって多くの同業者と遭遇しましたが、その多くは入場券もしくはスタンプだけが目当てのようで、自分のように団体改札の跡やら案内サインやら上屋の支柱やらまで撮る「駅そのもの」が目当てなのは少数派のようでした。

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野上駅

上長瀞13:35発各停羽生行き1530(5001)で野上へ。秩父郡長瀞町の役場最寄り駅で、急行「秩父路」も停車します。長瀞町は元は野上町を名乗っていましたが、名勝・長瀞が有名なことから昭和47年11月1日に改称されました。駅名は開業時は町村制施行前の村名に由来する「本野上」を名乗っており、昭和4年12月16日に改称されています。駅舎は昭和20~30年代に改築された木造モルタル駅舎で、角ばった印象を受けます。

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長瀞駅

野上13:51発各停三峰口行き1527(7904)で長瀞へ。名勝・長瀞および宝登山神社への下車駅で、休日ともなれば多くの観光客で賑わいを見せます。開業時の駅名は「宝登山」でした。駅舎は明治44(1911)年開業時のものとされ、関東の駅百選に選定されています。訪問日は祝日で利用客が多かったため、駅舎外の団体改札口が出口として使用されていました。

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樋口駅

長瀞14:12発各停羽生行き1532(7707)で樋口へ。昭和18年に野上町に編入された旧・秩父郡樋口村の駅で、ホーム上にこじんまりとした駅舎があります。ホーム上の木造待合室内には窓口跡のようなものがあり、昔(現駅舎完成前?)はここで切符を売っていたのかもしれません。待合室後方には物置などとして使われているスペースが伸びています。

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樋口駅 ホーム上の木造待合室

待合室から線路を挟んだ向かいの空き地(秩父鉄道社有地)には構内踏切に繋がっていたと思しき階段もあるので、昔はこの空き地に駅舎があったのだろうと推測できます。駅舎をホーム上に移したのは駅裏の国道側への利便性を高めるためでしょうか。窓口では入場券7枚と乗車券6枚を買っているおっさんがいて、駅員さんに「これでやめてもらえる?売れすぎて困ってるんだから」と言われていましたが、転売目的でしょうか。「他の駅でもやってるの?」と聞かれて「この駅の切符が欲しいから」と言っていましたが、大方ハッタリでしょう。硬券入場券が売り切れている駅があるのはこういう連中の仕業でしょうね。メルカリなどでは多くの入場券が転売されていることでしょうが、暴力団を利用しないのと同じで、転売ヤーから買ってはいけません。本当に欲しい人が買えるように、転売ヤーは絶滅してほしいものです。

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波久礼駅

樋口14:49発各停羽生行き1534(7802)で波久礼へ。明治21年の町村制で寄居町が誕生するまで存在した旧・榛沢郡末野村の駅です。駅名の由来となったのは長瀞と寄居(そして秩父郡と旧・榛沢郡)の境にある交通の難所、「破崩・端崩(はぐれ)」と呼ばれる崖崩れ多発地帯で、そのままだと読みにくく、字面が悪いことから当て字をしたのでしょう。つい二日前に起きた踏切事故の痕跡はまだ残っていました。

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寄居駅

波久礼15:24発各停羽生行き1536(7803)で寄居へ。大里郡寄居町の玄関口で、東武東上線・JR八高線との乗換駅です。開業は上武鉄道(現:秩父鉄道)が一番古く、それから四半世紀経って東上鉄道、それから8年後に八高北線が乗り入れました。昭和60年ごろ改築の橋上駅舎は秩父鉄道による管理で、改札内で3方向に通路が分かれています。寄居市街を散策し、16:12発羽生行きに乗ろうとしましたが、列車の時間を勘違いして乗り遅れてしまいました。

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桜沢駅

寄居16:49発各停羽生行き1540(7804)で桜沢へ。日曜にも降りましたが、窓口が閉まっていたのでリベンジ、今回は入場券を買ってスタンプも押すことができました。

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みなみ寄居駅

桜沢17:13発各停三峰口行き1539(7902)と寄居17:21発各停小川町行きY1776(81109)でみなみ寄居へ。令和2年10月31日に開業した、東武で最も新しい駅で、本田技研が寄居工場への通勤駅として費用を提供して開業しました。本田技研の工場へは連絡通路で結ばれていますが、駅があるのは人家のない谷底で、「秘境駅」のような雰囲気すら漂っています。本田技研以外の存在しないまさに「専用駅」で海芝浦のような「関係者以外立入禁止」の雰囲気もありますが、駅の外には出ることができます。

みなみ寄居17:55発各停小川町行きY1772(8183)と小川町18:02発急行池袋行き1060(11634)を乗り継いで帰宅しました。

2/20 秩父鉄道駅めぐりとまさかのアクシデント

PASMO導入に合わせて多くの駅が無人化されるということなので、この機会に秩父鉄道の駅を2回に分けて巡ってきました。今回はその一回目です。

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羽生駅

高田馬場4:48発山手線外回り0403G(クハE234-45)と日暮里5:14発快速勝田行き321M(モハE531-1026)、北千住5:30発区間急行館林行き2501(12268)を乗り継いで、秩父鉄道の始発駅・羽生へ。東武とは改札が別々になった橋上駅で、来月から使用される自動改札機はカバーを被っています。首都圏近郊でそれなりに利用者が多いことを考えれば、これまで自動改札機が導入されてこなかったのが不思議に思えるくらいの駅です。

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西羽生駅

羽生6:42発各停三峰口行き1507(7903)で西羽生へ。昭和56年9月1日に開業した駅で、簡素な橋上駅舎があります。この手の駅舎も近年はバリアフリー化などで原型を留めるものは少なくなりました。島式ホームの交換駅にすることを想定した造りですが棒線駅で、本当にバリアフリーのことを考えるなら地平駅舎に改築してしまった方が良いように思えます。到着時点では7時からの営業開始を前に駅員さんが構内を掃除していました。他に押し鉄女子?が下車。「おはようございます。早いですね」駅員さんが利用客や運転士さんに挨拶する光景も来月で見納めです。硬券入場券は売り切れでした。

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東行田駅

西羽生7:12発各停影森行き1509(5201)で東行田へ。行田市街にある片面ホームの駅で、昭和40年代改築と思われる開放的な造りの駅舎があります。大きな上屋の下に事務室の小屋と待合室の小屋を置き、その間を改札としたような個性的な造りです。硬券入場券を求めると「お金かかって大変でしょう。ご苦労様です」とのお言葉。列車が着いて乗客が降りてくると「行ってらっしゃい!」と見送る光景などは古き良きローカル駅と言った風情です。親切な駅員さんが印象に残る駅でした。

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行田市駅

東行田7:38発各停熊谷行き101(7904)で行田市へ。忍藩の城下町として栄えた行田市の中心近くにある駅で、昭和41年6月に高崎線行田駅が開業するまでは「行田」を名乗っていました。昭和55年に橋上化されており、通路などの造りは西羽生と共通するものが見られます。行田市の玄関口と言ってもいいような駅ですが、この駅も無人化されます。訪問時は早朝ということもあってか閑散としていました。ホーム上には年季の入った木造待合室があります。

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新郷駅

行田市8:01発各停羽生行き1508(7703)で新郷(しんごう)へ。昭和29年の羽生市成立まで存在した旧・北埼玉郡新郷村の駅で、駅舎は昭和30年代改築? 小規模住宅に改札口を増築したような個性的な造りです。硬券入場券は売り切れでした。ホーム上の木造待合室は年季の入ったもので、ひょっとすると大正10年開業時のものかもしれません。

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武州荒木駅

新郷8:35発各停三峰口行き1513(7503)で武州荒木へ。昭和29年に行田市編入された旧・北埼玉郡荒木村の駅で、昭和20~30年代改築と思われる木造駅舎があります。開放的な改札口を挟んで事務室と待合室が向かい合う造り(勝手に「秩父型駅舎」と命名)で、材質こそ違えど東行田と共通するものが感じられます。先程新郷で一緒だった同業者たちは乗ってきた列車が交換待ちで発車した後には消えていたので、そのまま乗って行ったようです。残念ながらこの日は窓口が開いていませんでした。駅前には重厚な石造りの農業倉庫が二棟建っています。

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ソシオ流通センター駅

武州荒木9:06発各停三峰口行き1515(7202)でソシオ流通センターへ。平成29年4月1日に開業した新しい駅で、開業5年目にして無人化されることになります。建設費用のことを考えるなら最初から無人駅として造ればいいような気がしなくもありません。熊谷流通センター(ソシオ)の最寄り駅です。

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持田駅

ソシオ流通センター9:31発各停羽生行き108(7701)で持田へ。昭和12年に忍町(行田市の前身)に編入された旧・北埼玉郡持田村の駅で、寄棟造の木造駅舎があります。駅舎はおそらく大正14(1925)年11月15日開業時に建てられたものでしょう。硬券入場券は売り切れでした。昭和の学園ドラマ「スケバン刑事」には「大日村(だいにちむら)」駅として登場するそうです。

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上熊谷駅

持田9:51発各停三峰口行き1517(7506)で上熊谷へ。高崎線と並走する区間にある駅で、開業時は「鎌倉町」を名乗っていました。頭上を上越新幹線の高架が通っているため駅前は薄暗いです。駅舎は昭和40~50年代に改築された四角い印象のもので、構内踏切でホームに連絡しています。ホームは片面使用の島式でかつては東武熊谷線と共同使用していました。東武熊谷線は昭和58年6月1日に廃止されましたが、踏切部分などにレールが少しだけ残されています。

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石原駅

上熊谷10:30発各停三峰口行き1519(7501)で石原(いしわら)へ。明治21年の町村制で熊谷町が成立まで存在した旧・大里郡石原村の駅で、地名の読みは「いしはら」です。昭和40~50年代改築と思われる駅舎は大きな片流れ屋根と正面に並ぶ柱が特徴。秩父鉄道では3つしかない地下通路がある駅の一つです(後の二つは秩父と影森)。窓口は休みでした。

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熊谷駅

石原10:43発各停羽生行き1518(5201)で熊谷へ。埼玉県北部の中心都市・熊谷市の代表駅で、秩父鉄道の駅ではもっとも利用者数が多いです。JRの駅に隣接して島式ホームがあり、駅舎はJRの駅と繋がった橋上駅舎です。かつては5番ホームを東武熊谷線と共同使用していました。

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大麻生駅

熊谷11:05発各停三峰口行き1521(7502)で大麻生へ。昭和16年熊谷市編入された旧・大里郡大麻生村の駅で、寄棟造の木造駅舎があります。もしこの駅舎が明治34年10月開業時に建てられたものであれば、埼玉県最古の現役駅舎ということになるでしょう。瓦の載った入口庇と青地の駅名看板がいい味を出しています。ひろせ野鳥の森駅との間には貨物駅の広瀬川原駅があり、車両基地が併設されています。

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明戸駅

大麻生12:02発各停三峰口行き23(7505)で明戸へ。昭和60年3月14日に開業した駅で、昔の現場事務所のようなプレハブ駅舎があります。開業時のものであれば築37年ですから、プレハブ建築としてはかなり長生きです。内部の間取りなどは普通の木造駅舎などと一緒。ホーム上には上屋が設置されていません。硬券入場券は売り切れで、駅員さんは「大麻生ならまだあるよ」と言っていました。

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ひろせ野鳥の森駅

明戸12:15発各停羽生行き1524(7704)でひろせ野鳥の森へ。平成15年3月27日に開業した駅で、ホーム入口にログハウス風の駅舎が設けられています。熊谷商業高校の最寄り駅で、周辺の宅地化が進んでいるため利用者はそれなりに多いです。

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永田駅

ひろせ野鳥の森12:29発各停影森行き1525(7507)で永田へ。個性的な駅舎が多い秩父鉄道においては地味な印象を受ける、こじんまりとした木造駅舎があります。駅名は明治21年の町村制まで存在した旧・榛沢郡永田村に由来。町村制で花園村となった後、大里郡所属となり、町制施行を経て平成18年に深谷市となっています。

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武川駅

永田12:51発各停羽生行き1526(7706)で武川へ。平成18年の合併で深谷市となった旧・大里郡川本町の玄関口で、急行「秩父路」や「SLパレオエクスプレス」も停車する主要駅です。駅舎は昭和末期に建てられたと思われる2階建ての立派なもので、地方私鉄の主要駅らしい雰囲気が漂っています。貨物支線の三ヶ尻線の分岐駅で、電気機関車庫も併設されていることから常に多くの駅員さんが詰めており、これが無人化から免れる理由でしょう。町名の「川本」は「武」「畠」の合成地名で、昭和30年に武川村と本畠村が合併して誕生しました。「本畠」も「田」「山」の合成地名で、畠山は鎌倉殿の十三人の一人・畠山重忠が本拠地としていたところです。

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ふかや花園駅

武川13:21発各停三峰口行き1527(7903)でふかや花園へ。平成30年10月20日に開業した、秩父鉄道でもっとも新しい駅で、この駅は無人化から免れる予定です。駅名は現在の所在地・深谷市と合併前の大里郡花園町を組み合わせたもの。今年秋には駅前にふかや花園プレミアムアウトレットがオープンし、その最寄り駅となる予定です。

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小前田駅

ふかや花園14:01発各停三峰口行き29(7904)で小前田へ。平成18年の合併で深谷市となった旧・大里郡花園町の玄関口で、江戸時代には川越児玉往還と秩父往還が交わる小前田宿で栄えていました。駅舎は寄棟造の木造で、窓口部分のみ建物からはみ出した上屋の下にあります。建物内にも窓口跡があるので、現在の窓口はおそらく後から増築したのでしょう。カメラの電池が少なくなっていたにも関わらず予備の電池を忘れてきていたので、あまり細かいところまで撮影できなかったのが悔やまれます。

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桜沢駅

小前田14:45発各停三峰口行き1531(7506)で桜沢へ。平成元年4月1日、統合で新設された寄居中学校の最寄り駅として開業した駅です。跨線橋に接続してホーム上に2階建ての駅舎があります。駅名は昭和18年寄居町編入された旧・大里郡桜沢村に由来します。窓口の営業日は2月より変更になったようで、この日は休みでした。秩父の山から吹き付けるのか訪問時は強い風が吹いていましたが、駅には風を凌げる場所が跨線橋から駅舎までの通路しかないので、15:06発各停羽生行き1534(7705)の車内へ避難。永田でもう一度降りて、15:23発各停三峰口行き1533(7202)に乗車しました。

予定ではこのまま武州日野まで乗車し、再訪してスタンプと入場券をゲットしてから寄居まで戻り、東上線で帰宅するはずでした。

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波久礼駅での踏切事故

ところが、15時42分、定刻通り波久礼駅に到着しようかというタイミングで、駅手前の踏切から軽バンが進入。警笛を鳴らして減速するも間に合わず衝突して停止しました。駅手前で減速していたためか衝撃はそれほど大きくありませんでした。乗り合わせた地元のおじさんが窓を開けて自動車の方に「大丈夫ですか?」と声をかけ、119番通報。この日、波久礼駅無人で、運転士さんはまず安全確認を行わなければならなかったのでこの方による通報が最初の通報になったようです。

15:55 救急車が到着。助手席の方は自力で脱出したようですが、運転手の方は挟まれている可能性があるとのことで、救急隊員が確認をしていました。結果、挟まれていなかったため16:01に救出、担架で運ばれて行きました。続いて同乗者への事情聴取と警察による現場検証。救急隊員が車内にも一人乗って来て、乗客の無事を確認しながら後ろの車両へ走って行きました。

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乗務員扉から乗客は降車

16:10 乗客は乗務員扉から順に降ろされることになりました。駅の手前での事故だったため、ホームに架かっているのは乗務員扉のみ。

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線路上を歩いて避難

構内踏切も塞がれているので、乗客は線路上を歩いて車両の後ろまで回り込み、波久礼駅待合室まで誘導されました。乗り合わせた高校生が「こんな珍しい経験ができるなんてむしろ運がいいのかも」と言っているのが聞こえましたが、人が死ぬほどの事故ではないと分かったので、乗客の多くが非日常を楽しむような感じで、怒っている人などは見受けられませんでした。

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事故現場

事故の現場は第4種踏切、確認せずに進入したのが事故の原因でしょう。いつの間にか近所のおばあさんや沿線で待ち構えていた撮り鉄の方なども集まってきていました。事故については埼玉新聞が報じていたので、ここに引用します。

20日午後3時40分ごろ、埼玉県寄居町末野の秩父鉄道踏切で、羽生発三峰口行き下り普通列車(3両編成)と軽貨物自動車が衝突した。

寄居署によると、衝突したのは秩父方面へ進行中の列車と東方向に進行していた本庄市の会社員男性(49)が運転する軽貨物自動車。業務中だった男性と同乗者で同僚の40代男性が胸などを打ち、病院へ搬送された。列車の乗員や乗客約20人にけがはなかった。現場は波久礼駅から南に約20メートルの場所で、警報機や遮断器がない「第4種踏切」だった。同署は事故原因を調べている。

 秩父鉄道の第4種踏切では、今年1月17日にも熊谷市川原明戸で、列車と軽自動車の衝突事故が発生している。(埼玉新聞 2月21日)

電車と車が衝突…男性2人搬送、駅のすぐ近く 警報機や遮断器ない「第4種踏切」で発生、先月も衝突事故(埼玉新聞) - Yahoo!ニュース

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波久礼駅

ほどなく長瀞方面へはタクシーによる代行輸送が始まり、乗客は次々と乗って波久礼駅を後にして行きました。しかし、私の方は今から武州日野へ行っても窓口の営業時間は終わっているだろうから寄居へ戻ることにしました。長瀞方面の乗客は去っていき、駅には寄居方面へ戻る乗客が私を含めて3人と地元住民だけが残されました。救急隊も気分が分かるくなった乗客の有無を確認してから16:31に引き上げています。構内踏切を支障していた列車は現場検証が完了すると、16:55に移動してホームに横付けされ、その後、回送のため3番線に転線しました。車両が移動すると自動車を撤去してレッカー車に載せる作業が始まりました。作業員が手作業で溝から脱出させると、乗り込んでエンジンをかけ踏切まで後退。そこからレッカー車への積み込みが始まりましたが、結構難儀している様子でした。その様子を撮影している最中にカメラもスマホも電池が切れてしまいました。

17:26 寄居方面へのタクシーが到着、3人乗り込んで11分で寄居駅に到着。タクシーの運転手さんが乗客の一人に名前を聞いていましたが、これは後で秩父鉄道にタクシー代を請求する時に「〇〇様他n名」と書かなければいけないからだそうです。寄居駅に着くとメモのためのボールペンを購入してから、17:45発各停小川町行きY1772(81109)に乗車。小川町で18:02発急行池袋行き1060(31613)に乗り換えて帰宅しました。寄居以東の駅については2/23に巡ったので、また紹介します。

2/15 小田急小田原線駅めぐり(厚木~小田原)

この日は1日全線フリー乗車券を使って小田急小田原線厚木~小田原間の駅を巡りました。

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町田駅

高田馬場を7:37発山手線内回り664G(モハE234-92)で出発し、新宿で7:43発急行小田原行き1219(4066)に乗り換え。この時間違えてフリー乗車券を買わずにICで入場してしまったので、代々木上原で一旦降りてフリー乗車券を購入。後続の7:54発快速急行唐木田行き3701(8101)に乗り、新百合ヶ丘で8:16発各停伊勢原行き6533(2051)に乗り換えて町田へ。町田駅は前回訪問済みでしたが、踏切から駅の全体像を撮れる構図を後で知ったのでこの機会に撮影。ラッシュ時だけあって頻繁に列車がやってきます。

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厚木駅

町田8:43発快速急行藤沢行き3501(8065)、相模大野8:46発急行小田原行き1221(5056)、海老名8:57発各停本厚木行き6536(2056)を乗り継いで厚木へ。駅名とは裏腹に厚木市ではなく相模川対岸の海老名市に所在します。小田急の高架駅と立体交差する形で地上に相模線の駅があり、駅舎を共同使用しています。相模線の駅は相模鉄道としての開業当初より「厚木」を名乗っていましたが、小田急の駅は「河原口」という駅名でした。昭和19年6月、相模線国有化に際して駅舎を共同使用することになったため駅名が統一されました。二つの路線の乗換駅ではあるものの、隣の海老名でも乗り換えが可能なため急行などは通過します。

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相模鉄道 厚木駅

相模線を跨ぐ跨線橋を渡ったところには相模鉄道厚木駅があります。神中鉄道としての開業当初はここが終点でしたが、海老名乗り入れと同時に旅客営業は廃止され、現在は貨物駅として使用されています。もっとも相鉄には貨物列車の定期運行は存在しないため、JRを経由してきた甲種輸送列車の受け渡しや車両の留置が主な用途のようです。

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厚木までの相鉄厚木線は相鉄駅めぐりの時に紹介した相模国分信号場から分岐しています。

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本厚木駅

厚木9:19発各停町田行き6823(3433)で本厚木へ。厚木市の代表駅で、昭和49年から51年にかけて高架化されています。各駅停車の多くが折り返す運行拠点駅で、特急ロマンスカーも一部が停車します。神奈川県で最も昼夜人口比率が高い都市だけあって駅前はちょっとした県庁所在都市並みの賑わいを見せており、とても人口22万の都市とは思えないくらい大都会です。ちなみに厚木と聞いて多くの人が連想するであろう厚木航空基地厚木市ではなく綾瀬市大和市・海老名市に跨って所在しています。

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愛甲石田駅

本厚木10:00発急行小田原行き1231(5452)で愛甲石田へ。厚木市(旧・愛甲郡南毛利村)愛甲伊勢原市(旧・中郡成瀬村)石田に跨って所在する駅で、昭和62年12月24日に橋上化されています。駅舎や駅のホームなど大部分は厚木市側にあるため、伊勢原市側にかかるのはホーム延長部分などほんの一部です。

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伊勢原駅

愛甲石田10:16発快速急行小田原行き3007(3401)で伊勢原へ。伊勢原市の代表駅で、特急ロマンスカーも一部が停車します。大山阿夫利神社への下車駅で北口駅前には鳥居が建てられています。駅舎は昭和42年と早期に橋上化されたもので、北口には観光協会などの入る2階建ての増築部分があります。北口駅前は再開発が行われていないため、一昔前の郊外駅らしい風情がよく残っています。

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鶴巻温泉

伊勢原10:36発快速急行小田原行き3009(8552)で鶴巻温泉へ。この駅から秦野市に入ります。昭和30年に秦野市編入された旧・中郡大根村の駅で、住宅街の中にある温泉地・鶴巻温泉の最寄り駅です。駅舎は平成30年6月にリニューアルされ、南口改札は橋上に移されました。

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「高山謝罪しろ!」看板と8000形

鶴巻温泉駅から伊勢原方面に歩くこと約20分、田園地帯の中に一際目を引く看板がいくつも建てられています。列車内からも目立つこの看板、内容は伊勢原市長の高山松太郎氏と神奈川県知事の黒岩祐治氏に謝罪を求めるものですが、何に対して謝罪してほしいのか書かれていないため何ともシュールです。既にネットミーム化しており、撤去されることがなければ、伊勢原市の新名所として今後も話題を集めていことでしょう。

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東海大学前駅

鶴巻温泉11:52発急行新松田行き1241(3345)で東海大学前へ。東海大学湘南キャンパスの最寄り駅で、昭和62年3月9日の橋上化までは「大根(おおね)」を名乗っていました。所在地は秦野市ですが、平塚市北部にも近く、駅名の由来となった東海大学平塚市に所在します。橋上化にあたっては東海大学が資金を提供しました。

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秦野駅

東海大学前12:03発快速急行小田原行き3017(3391)で秦野へ。丹沢山麓の都市・秦野市の代表駅で、昭和62年3月9日に「大秦野(おおはたの)」から改称されました。小田急開通時には既に二宮と秦野を結ぶ湘南軌道が通っており、そちらに「秦野」駅があったため区別するべく「大」を冠したそうです。駅があるのは秦野市の中心部から水無川を挟んだ旧・中郡南秦野村で、昭和30年に秦野市が成立するまでは秦野市中心部(旧・秦野町)とは別の町村でした。秦野市成立以前には秦野町・南秦野村・北秦野村・南秦野村の4町村が存在し、それら秦野地域全体の駅としての意味合いも「大秦野」という駅名に込められていたと言われています。

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渋沢駅

昼食の後、秦野市内を散策し、秦野13:19発急行新松田行き1249(3364)で渋沢へ。昭和38年に秦野市編入された旧・中郡西秦野町の駅で、小田急で最も標高の高い163mにある駅です。平成5年2月17日に山小屋風橋上駅舎に改築されました。小田原線は当駅を出ると新松田との間でとても首都圏近郊とは思えない渓谷に沿って走行します。

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新松田駅

渋沢13:33発快速急行小田原行き3025(4509)で新松田へ。足柄上郡松田町の駅で、御殿場線松田駅と近接しています。駅手前で分岐して御殿場線松田駅に乗り入れる連絡線もあり、こちらは御殿場線直通の特急「ふじさん」に使用されます。瓦屋根の駅舎は昭和55年3月5日より使用開始されたもので、旧駅舎は向ヶ丘遊園に移築されて鉄道資料館として使用されていましたが現存しません。日中の急行は当駅で折り返し、代わりに小田原との間で20分毎に区間運転の各駅停車が運転されています。

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開成駅

新松田13:54発各停小田原行き7055(3374)で開成へ。足柄上郡開成町唯一の駅で、昭和60年3月14日に開業しました。開成町の中心から外れたところにあり、駅前は長らく更地が広がっていましたが、小田急の手によって近年開発が行われてマンションが立ち並ぶようになりました。東口駅前には3100形ロマンスカーNSEの先頭車「ロンちゃん」が保存されています。

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栢山駅

開成14:17発各停小田原行き7057(1301)で栢山(かやま)へ。昭和25年に小田原市編入された旧・足柄上郡桜井村の駅で、明治の町村制で桜井村が成立するまでは栢山村でした。栢山村は二宮尊徳の出身地で、駅近くには生家も保存されています。

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富水駅

栢山14:39発各停小田原行き7059(3419)で富水(とみず)へ。明治41年の足柄村発足まで存在した旧・足柄下郡富水村の駅で、地名は村内の小河川の水量が豊富だったことに由来します。各ホームの小田原寄りに地平駅舎があり、ホーム上屋は短くローカル駅のような風情が漂っています。

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蛍田駅

富水15:01発各停小田原行き7061(3474)で蛍田へ。昭和27年4月1日に開業した駅で、蛍の名所であったことからこの駅名が付きました。駅前広場の隅には小さな二宮金次郎像があります。どうせなら生誕地に近い栢山か富水にあってもいいはずですが。栢山、富水では下りホーム側の駅舎に窓口がありましたが、当駅のみ上りホーム側駅舎に窓口があります。

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足柄駅

蛍田15:23発各停小田原行き7063(1451)で足柄へ。昭和15年小田原市成立まで存在した旧・足柄下郡足柄町の駅で、静岡県御殿場線にも同名の駅があります。南新宿に次いで小田急で2番目に利用者が少ない駅で、近接して伊豆箱根鉄道大雄山線の井細田と五百羅漢の2つの駅があることが原因の一つです。駅構内には留置線があり、手狭な小田原駅の代わりに多くの車両が留置されています。駅舎は平成20年改築。

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小田原駅

足柄15:45発各停小田原行き7065(3369)で小田原へ。小田急小田原線の終点ですが、特急ロマンスカーは一部を除きこの先箱根登山鉄道に直通しています。ホームは島式2面3線と頭端式が合わさった複雑な形状で、本数の多い列車を少ないホームで慌ただしく捌いています。ターミナル駅としては手狭な印象を受けます。新幹線側の西口駅前には北条早雲銅像があります。駅名標を撮っているとインド人?から片言の日本語で新幹線駅の場所を聞かれました。

小田原線駅めぐりはこれにて終了。小田急の駅も特急「ふじさん」でしか降りれない松田駅を残すのみとなりました。先程の下車時には駅員不在時間で栢山・富水のスタンプを押すことができなかったので、小田原16:10発各停新松田行き7074(3322)と富水16:27発各停新松田行き7076(3424)でもう一度下車。栢山16:47発各停新松田行き7078(1401)と新松田16:57発急行新宿行き1262(3081)、相模大野17:40発快速急行新宿行き3580(1091)を乗り継いで帰宅しました。

2/13 大船渡線駅めぐり+上米内

この日は大船渡線の未訪問駅と山田線で一駅だけ未訪問だった上米内駅を巡りました。

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陸中松川

一ノ関を5:59発普通気仙沼行き321D(キハ100-31+キハ100-42)で出発し、4駅目の陸中松川で下車。昭和33年の合併で東山町(平成17年の合併で一関市)となった旧・東磐井郡松川村の駅で、宮沢賢治が晩年に技師として勤務していた旧・東北砕石工場(石と賢治のミュージアムとして保存)が駅前にあります。駅裏には現役のセメント工場、砂鉄川の対岸には現役の石灰鉱山があり、かつてはこの駅からセメントが列車で輸送されていたのでしょう。駅舎は平成22年10月改築で、「賢治童話の世界」と「砕石工場」がコンセプトになっています。

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陸中門崎

陸中松川6:59発普通一ノ関行き324D(キハ100-37+キハ100-43+キハ100-45)で陸中門崎(りくちゅうかんざき)へ。平成17年の合併で一関市となった旧・東磐井郡川崎村の玄関口ですが、川崎村の中心から離れた田園地帯の中にあります。川崎村は昭和31年に薄衣村と門崎村が合併して誕生した村で、砂鉄川、千厩川が北上川に流れ込む地点にあり、村名は前九年の役安倍氏が設置した「河崎柵」に由来します。駅舎は平成22年3月改築で、県天然記念物の樹齢600年「薄衣の笠松」をモチーフとしたデザイン。

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ワム188206

貨物線跡には有蓋貨車ワム80000形のワム188206とワム188448が置かれています。レールの上に置かれていますが、足回りは無いようです。駅前の工場が物置として使っているのでしょうか。

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岩ノ下駅

陸中門崎7:35発普通気仙沼行き323D(キハ100-44+キハ100-39)で岩ノ下へ。昭和41年12月1日に請願駅として開業したホームだけの無人駅です。開業時期ゆえにホーム上の待合室は公団建設線で見かけるようなコンクリート造。砂鉄川西岸の集落にあり、旧松川村の中心へは陸中松川よりこの駅の方が近いです。

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真滝駅

岩ノ下7:54発普通一ノ関行き326D(キハ100-40+キハ100-35)で真滝へ。昭和23年の一関市成立まで存在した旧・西磐井郡真滝村の駅で、平成10年1月改築の駅舎は釜石線などでも見かけるタイプの簡易駅舎。「真滝」は柴と沢の合成地名で、駅は滝沢地区にあります。対向ホームの待合室にいる時にちょうど駅前を千厩方面行きのキュービックが走って行き、撮り損ねたので駅前のバス時刻表をしっかり確かめておけばよかったと後悔しました。

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柴宿駅

真滝9:16発普通気仙沼行き325D(キハ100-35+キハ100-40)で柴宿へ。昭和30年の東山村成立まで存在した旧・東磐井郡長坂村の駅ですが、東山村が松川村編入を経て東山町となった後の昭和37年5月15日開業です。県道19号を挟んだ駅前には産直センターと閉店したパチンコ屋、線路の反対側には団地があるため切り取る角度によっては街中の駅のようにも見えます。

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猊鼻渓

柴宿9:59発普通一ノ関行き328D(キハ100-39+キハ100-44)で猊鼻渓へ。平成17年の合併で一関市となった旧・東磐井郡東山町の中心近くにある駅で、名勝・猊鼻渓の最寄り駅です。昭和61年11月1日、国鉄最後のダイヤ改正で開業しました。ホームは町を見下ろす高台にあり、駅前とは屋根付き階段で結ばれています。

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猊鼻渓

駅から5分ほど歩くと猊鼻渓舟下りのりばに着きます。ホテルやレストハウスが集まるこじんまりとした観光地と言った雰囲気です。肝心の猊鼻渓は船に乗っていかないと辿り着けないので今回は砂鉄川と周辺だけ見て引き返しました。

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気仙沼駅

猊鼻渓10:50発普通気仙沼行き327D(キハ100-43+キハ100-37)で気仙沼へ。今となっては大船渡線の実質的な終着駅ですが、かつては路線名の通り大船渡市の盛まで線路が伸びていました。平成23年3月11日の東日本大震災では沿岸部を走っていた気仙沼~盛間が被災し、鉄道での復旧は断念してBRTでの復旧となりました。気仙沼駅には気仙沼線も乗り入れていますが、こちらもBRTです。駅舎は昭和4年7月開業時に建てられた古いものですが、正面部分がゲートで隠されてしまっているのが惜しいです。

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気仙沼市

折り返し列車までの時間で気仙沼市街を散策。駅周辺は地形のおかげで津波の被害を免れたようで古い建物が多く残っています。写真は平野本店の旧店舗兼社屋。大正10年に建てられた、東浜街道気仙沼街道の合流地点に建つランドマーク的存在で、国登録有形文化財。前を行くのは一関行き急行バスです。折り返し時間は気仙沼市街を見るには短すぎ、駅から平野本店まで違う経路で往復して戻ってきた時には列車の発車時刻ギリギリでした。

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摺沢駅

気仙沼12:22発普通一ノ関行き332D(キハ100-37+キハ100-43)で摺沢へ。平成17年の合併で一関市となった旧・東磐井郡大東町の玄関口で、昭和30年の大東町成立前は摺沢町でした。大船渡線は当初の計画では摺沢を経由せずに門崎から千厩へ真っすぐ抜ける予定でしたが、原敬率いる立憲政友会から摺沢出身の佐藤良平が大正9年衆議院選挙で当選すると摺沢から大船渡へ抜けるルートに変更されました。これによって計画ルートから外れた千厩では立憲政友会と対立する加藤高明の憲政会を頼って鉄道の誘致を行い、大正13年衆議院選挙で憲政会が圧勝すると摺沢から千厩に抜ける現在のルートに再変更され、大正14年7月には摺沢まで、昭和2年7月には千厩まで開通しました。いわゆる「我田引鉄」の有名な例で、駅前には摺沢に大船渡線を誘致した佐藤親子の胸像があるそうですが、その存在を知らなかったために見逃してしまいました。平成12年4月改築の駅舎はコミュニティセンターや市の出張所との合築で窓口もありますが、3月11日限りで営業を終了して無人化される予定です。

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千厩駅

摺沢13:29発普通気仙沼行き331D(キハ100-44+キハ100-39)で千厩へ。平成17年の合併で一関市となった旧・東磐井郡千厩町の駅で、線内の途中駅では唯一みどりの窓口が設置されています。昭和45年9月改築の駅舎は鉄筋コンクリート造平屋建ての立派なもので、妻面の出入り口に面して駅前広場があります。駅は千厩市街の外れにありますが、それでも建物は多く、千厩の街の大きさが窺われます。「千厩」の地名は奥州藤原氏がこの地の約1000棟の厩(馬小屋)を設けたことに由来すると言われています。「我田引鉄」の結果、大船渡線は一ノ関~千厩では約18㎞も迂回する形になっていますが、国道284号線はほぼ最短距離で結んでおり、そちらを走るバスの方が列車よりも定刻では3分だけ早く着くようです。

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一ノ関駅

千厩14:50発普通一ノ関行き334D(キハ100-39+キハ100-44)で一ノ関へ。岩手県南部の中心都市で、一関伊達氏・田村氏一関藩の城下町として栄えた一関市の代表駅です。昭和45年2月改築の駅舎は鉄筋コンクリート造2階建て。屋根上に掲げられた駅名と大きな観光PRの文字が昔ながらの主要駅と言った感じです。このような駅舎は橋上化や高架化で全国的に数を減らしつつありますが、末永く残ってほしいものです。

駅前でバスを撮影し、17:20発普通盛岡行き1547M(クモハ701-1036)で盛岡へ。

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上米内駅

夕食を済ませてから盛岡20:11発普通宮古行き649D(キハ110-134+キハ110-138)で上米内へ。昭和3年盛岡市編入された旧・岩手郡米内村の駅で、大正12年10月開業時に建てられた木造駅舎が現役です。山田線では近年、木造駅舎の改築が進んでいますが、当駅は令和2年4月にクラウドファンディングでリニューアルされており、内部には漆工房と待合カフェが併設されました。貴重な木造駅舎として今後も残ってくれるでしょうが、折り返し列車はすぐに折り返し、列車の本数も少ないので、じっくり見ようと思うなら車で来るしかないのが痛いところです。乗ってきた列車と交換する20:28発普通盛岡行き646D(キハ110-122)で盛岡へと戻りました。

盛岡駅西口23:55発桜交通キラキラ号KR702便と新宿8:10発山手線外回り(サハE235-4634)を乗り継いで帰宅しました。

2/12 釜石線駅めぐり

この日はいわてホリデーパスを使って釜石線の駅を巡りました。

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花巻駅

前夜20:41発快速東葉勝田台行き2058T(2002)で早稲田を出発し、鍛冶橋駐車場21:40発岩手県北自動車MY01便に乗り、翌朝4:55に盛岡駅着。東北本線から釜石線に直通する盛岡5:56発普通釜石行き1653D(キハ100-24+キハ100-28+キハ100-13)に乗車し、9分間の停車を利用して花巻駅を撮影。釜石線の分岐駅で、北上市と並ぶ県中部の中心都市・花巻市の代表駅です。昭和36年改築の駅舎は天井の高い立派なものですが、橋上化が計画されているので近い将来見納めとなりそうです。当駅を起点とする釜石線は岩手軽便鉄道によって大正時代に開業した路線で、元は軌間762mmのナローゲージでした。軽便時代の花巻駅東北本線の駅とは別のところにありましたが、国有化後、昭和18年9月の改軌時に花巻~柏木平で線路付け替えが行われ、東北本線の駅に統合されています。

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上有住

引き続き1653Dに乗って釜石線に入り、上有住で下車。昭和25年10月10日、釜石線で最後に開業した足ヶ瀬陸中大橋間にある途中駅で、これによって岩手軽便線をルーツとする釜石西線と戦時中に開業した釜石東線が一つになりました。全通以前は険しい仙人峠を旅客は徒歩連絡、貨物はロープウェイで運ばれていました。鉄道開通以前の峠越えの苦労が偲ばれますが、現在の釜石線は栗ノ木峠と土倉峠をトンネルで抜けており、当駅は二つの峠に挟まれた険しい山間にあります。昭和30年に上有住村・下有住村・世田米村が合併して誕生した気仙郡住田町にとっては唯一の駅ですが、町役場のある世田米からは大きく離れており、上有住の集落からも離れているため、駅周辺には人家がほとんど見当たりません。目立つ建物は滝観洞の関連施設くらいです。標高が高い上に日も当たらないので、訪問時はカメラを持つ手がかじかむほどに冷え込んでいました。

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シカの親子

ホームを撮っていると向かい合う斜面からガサガサと音がしていたので、見るとシカの親子がいました。山奥を走るローカル線だと度々線路に出てきて列車を停める厄介者ですが、人間の姿を見ても全く動じる気配がありません。野生動物と遭遇するのも山奥の駅ならではですが、遭遇したのが熊ではなくて本当に良かったと思います。

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青笹駅

上有住9:35発普通花巻行き658D(キハ100-22)で青笹へ。岩手軽便鉄道遠野~仙人峠間の全通の翌年に開業した駅で、昭和29年の遠野市成立まで存在した旧・上閉伊郡青笹村の駅です。ホームから道路を挟んだところに煉瓦造りの待合室が設置されていますが、なぜこのような配置になったのでしょうか。駅周辺には河童伝承がありますが、駅自体は河童の出なさそうな集落の中にあり、上有住と違い人の気配が感じられます。

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陸中大橋

青笹11:08発普通釜石行き655D(キハ100-11+キハ100-19)に乗り、12分間の停車時間で陸中大橋駅を撮影。昭和19年10月11日に釜石から伸びてきた釜石東線の終点として開業した駅で、日本の鉄道では唯一のオメガループ線があることで知られています。交換可能駅ですが駅舎はなく、ホーム上にログハウス風の待合室があるだけです。広い駅構内とホッパーが釜石鉱山で栄えた頃の面影を今に伝えています。昭和40年までは釜石鉱山鉄道がありました。

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佐野駅

引き続き655Dに乗り、小佐野で下車。鉄鉱業で栄えた釜石市の西の玄関口で、駅前には公的施設や商店が立ち並んでいますが、その多くは廃業しており、いまいち活気に欠けます。駅舎は妻面に出入口のある木造駅舎で、駅舎外の改札ラッチがかつての栄華を窺わせます。駅舎内は綺麗でまだまだ使えそうですが、令和2年11月限りでみどりの窓口が廃止されて無人化されているので、そのうち簡素化されてしまいそうです。山が迫る地形や国道に面した立地、駅の雰囲気などから室蘭本線輪西駅を思い出しましたが、釜石と室蘭には「鉄で栄えて、その後衰退した街」という共通点がありますね。駅前を通る国道はかつての釜石鉱山鉄道跡を転用したものです。

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洞泉駅

小佐野12:18発普通花巻行き660D(キハ100-24)で洞泉へ。釜石市街の西の外れにある駅で、国道や市街地を見下ろす高台に設けられています。かつては駅舎や側線もあったそうですが、全て撤去され、島式ホーム上に釜石線標準仕様の待合室が設置されています。やたら広い駅前はかつての広い駅構内の名残でしょう。

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松倉駅

50分ほど歩いて松倉へ。昭和30年の合併で釜石市となった旧・上閉伊郡甲子村の駅で、賑わう国道沿いから一歩入ったところにあります。昨年3月ダイヤ改正から快速「はまゆり」が全列車停車するようになりました。駅舎は昭和61年3月26日改築の簡素なもので、花輪線柴平駅をコンパクトにしたような形状です。釜石市街は密度のバラつきがあるものの、洞泉から釜石までほとんど途切れることなく続いていて、さすがは全盛期に9万の人口がいた都市だけのことはあると思わされます。

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釜石駅

松倉13:48発快速はまゆり3号釜石行き3623D(キハ110-4+キハ110-1+キハ110-5)で釜石へ。釜石市の代表駅で、三陸鉄道リアス線との乗換駅です。昭和25年10月改築の駅舎は鉄筋コンクリート造2階建ての立派なもので、平成24年10月に改装されています。ホームは駅舎より一段高いところにあり、地下通路で結ばれています。釜石の街もせっかくなので見ていきたいところですが、折り返し時間が短いので、三陸鉄道の駅めぐりの時に回すことにしました。

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岩手上郷

釜石14:20発快速はまゆり6号3626D(キハ110-5+キハ110-1+キハ110-4)で岩手上郷へ。昭和29年の遠野市成立まで存在した旧・上閉伊郡上郷村の駅で、ホーム上には平成9年2月に設置された釜石線標準仕様の待合室があります。かつての村の玄関口だけあって集落は大きく、コンビニもありますが、駅周辺の個人商店などはほとんど廃業しています。

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平倉駅

岩手上郷から銀世界の農村を40分ほど歩いて平倉へ。コンビニで食料を調達していたら時間がギリギリになってしまったので途中走り、そのおかげで何とか駅を観察する時間は十分確保できました。農村地帯の中にある無人駅で、国鉄時代に建てられた木造駅舎があります。この駅舎、最初から無人駅仕様として建てられたもののようで、いつ頃建てられたものなのか見ただけではわかりませんでした。構内には交換設備跡のようなものもありますが、当駅は昔から棒線駅だったそうで、謎は深まるばかりです。

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足ヶ瀬

平倉15:57発普通釜石行き657D(キハ100-22)で足ヶ瀬へ。仙人峠、栗ノ木峠を控えた山間の集落の駅で、駅舎は平成9年2月改築。釜石線で最も標高の高い473mにある駅で、駅前では子供たちが雪遊びをしていました。駅舎は駅前広場の突き当りから右に少しずれたところにあり、昔は突き当りに旧駅舎があったのだろうと推測できます。かつての岩手軽便鉄道は当駅付近で分岐して、仙人峠に向かっていましたが、戦後開通の釜石線はトンネルで栗ノ木峠を突っ切って上有住へ向かいます。

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遠野駅

足ヶ瀬16:36発普通花巻行き662D(キハ100-28+キハ100-13)に乗り、5分の停車時間で遠野駅を撮影。遠野市の代表駅で、昭和25年10月改築の駅舎は名駅舎として知られています。今回は駅前から数枚撮っただけでしたが、次回来る時は駅周辺を散策したいと思います。

花巻で一時間近く待って18:58発普通一ノ関行き1550M(クハ700-1011+クモハ701-1011+クハ700-1010+クモハ701-1010)に乗り換え。この日は一関の東横インに宿泊しました。

2/8 アルピコ交通上高地線駅めぐり

解体工事が始まった旧島々駅舎を一目見るべく、この日は松本に行ってきました

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5901便

バスタ新宿を7:05発特急新宿行き5901便で出発。片道3600円で乗り換えなしはありがたいですが、ずっと座ってるとさすがに疲れてきます。途中、双葉SAで8:50から9:03まで休憩のため停車しました。

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代行バス 渚にて

終点・松本バスターミナルには10:22着。JRでやってきた友人と合流し、アルピコ交通の10:37発代行バスに乗車。アルピコ交通上高地線は松本と新島々を結ぶ路線ですが、松本~渚間は昨年8月14日の豪雨災害の影響で運休し、バス代行となっています。

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渚駅

渚で代行バスから10:48発新島々行き15(3007)に乗り換え。渚は単式ホームだけの無人駅で、折り返し設備は急ごしらえの仮設のもの。100年前の大正11年5月3日に初代「西松本」として開業、昭和2年5月1日に現在の西松本駅が開業すると改称されました。かつては国鉄と貨車の受け渡しをする貨物ヤードがあったそうですが、今では痕跡もありません。

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新島々駅

終点・新島々へ。大正11年9月26日に筑摩鉄道島々線の「赤松」として開業した駅で、昭和41年10月1日に島々駅からバスターミナルが移されて「新島々」に改称されました。新島々~島々は昭和58年8月23日の台風10号で被災して運行を休止、昭和60年1月1日に廃止となって当駅が終着駅になっています。駅舎は平成14年7月20日の山小屋風。バスターミナルが併設されて上高地、高山方面への交通結節点となっていますが、駅周辺は特に大きな町ではありません。

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旧島々駅舎

駅前には昭和60年に廃止となった旧・島々駅の駅舎が移築復元されています。筑摩鉄道島々線の終着駅として開業した際に建てられた洋風の木造駅舎で、廃止後の昭和63年に一度解体されましたが、平成2年に「波田町観光案内所」として部材を使って復元されました。波田町松本市に合併された後も使用されていましたが、老朽化を理由に平成28年4月1日に二度目の廃止を迎えました。その後、地元ではこの駅舎を何とか有効活用という動きもあったようですが、残念な「ある理由」から松本市に活用案をにべもなく拒否されてしまい、今年2月1日より解体工事が始まりました。その経緯については以下のブログで紹介されているので是非ご覧ください。

www.matsuaz.com

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旧島々駅舎

地元の熱意により、廃止後に奇跡的に蘇った貴重な歴史的建造物が、保存活用の手が差し伸べられていたにも関わらず、お役所の都合によって解体されてしまうという悲しい現実。再建に努力した波田町が今も健在であればまた違った未来も拓けたのかもしれませんし、これもまた平成の大合併によってもたらされた悲劇の一つと言えるのかもしれません。

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旧島々駅舎と模型

向かい合う新島々駅の待合室には旧島々駅舎の模型が展示されています。この模型は今後も旧島々駅舎の姿を伝えて行ってくれるでしょうが、実物とのコラボが見られるのもあと少しです。

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新村駅

新島々12:48発渚行き24(3008)で新村へ。大正10年10月2日、筑摩鉄道の終点として開業した駅で、車両基地が併設されています。駅舎は平成24年3月24日に改築されたもので、隣には平成29年3月下旬まで旧駅舎が残されていました。旧駅舎正面に掲げられていた社紋は保存されています。さすがにデザインでは旧駅舎に敵いませんが、現在の駅舎もよくまとまっていて好ましいスタイルです。駅名は昭和29年に松本市編入された旧・東筑摩郡新村に由来します。

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新村車両基地

車両基地の建屋の中には東武20000系の中間車を京王重機で改造した20100形が休んでいました。老朽化が進む現行の3000系の置き換え用に譲り受けたもので、3月より運行開始予定とのことです。

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木造貨車とED301

車両基地には大糸線の前身・信濃鉄道が昭和2年アメリカから輸入したED301が保存されているほか、木造有蓋貨車2両を転用した倉庫が置かれています。かつては日本最古の電車「ハニフ1」と東急5000系を譲り受けた5000形も保存されていましたが、いずれも他の保存場所に移されています。

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渕東駅

新村13:43発新島々行き23(3007)で渕東(えんどう)へ。のどかな田園地帯の中にある無人駅で、周りを囲む山々が美しいです。そのロケーションの良さからドラマの撮影にも使われているようです。上高地線のイメージキャラクター「渕東なぎさ」の苗字はこの駅から取られており、駅名標にも渕東なぎさがデザインされています。

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三溝駅

渕東14:08発渚行き28(3008)で三溝(さみぞ)へ。平成の大合併前の旧・波田町と旧・松本市の境界近くにある駅で、ホーム上に待合室があります。しだれ桜が有名な安養寺の最寄り駅で、駅名標にはしだれ桜がデザインされています。

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下島駅

三溝14:24発新島々行き25(3001)で下島へ。県立梓川高校の最寄り駅で、ホーム上にバス停のような簡素な上屋があります。すぐそばを交通量の多い国道158号が通っており、駅前は宅地化が進んでいます。

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森口駅

下島14:53発渚行き30(3002)で森口へ。波田町森口地区にある交換可能駅で、JRなら早期に無人化されていそうな小さな駅にも関わらず駅員が配置されています。駅舎は新村と同時に改築されたもので、役目を終えた旧駅舎は平成27年3月26日まで残っていました。駅舎こそ新しいですが、列車が来るたびに駅員さんがホームに出て見送る姿などは昔ながらの小さな駅の風景と言った感じです。

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波田駅

森口15:05発新島々行き27(3007)で波田へ。平成22年に松本市と合併した旧・東筑摩郡波田町の玄関口で、直営の有人駅です。昭和31年5月1日までは「波多」という表記でした。駅舎はテナント店舗「はたはたランド」を併設したもので、系列のスーパーマーケット「アップルランド波田店」の旧店舗を転用したものでしたが、平成24年に店舗部分が建て替えられました。駅舎の規模に不釣り合いな立派な玄関は旧店舗時代の名残です。

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旧・東筑摩郡波田町役場

駅裏手の坂を下ったところには旧・波田町役場を転用した松本市役所波田支所があり、その駐車場の片隅に木造二階建ての旧庁舎が残されています。大正14年に「波村役場」として建てられたもので、元は現在の農協の位置にありましたが、農協事務所の建設に伴って昭和31年に曳家移転されました。平成2年に現庁舎の建設が始まった際には解体も検討されましたが、再び移築されることになり、合わせてバルコニーなどが復元されました。旧島々駅舎の復元も同時期で、どうやら波田町は歴史的建造物の保存に熱心だったようです。この建物も合併を経た現在では解体の危機に晒されており、地元では保存に向けた運動が行われています。

www.shimintimes.co.jp

ちなみに波多村ですが、上水道敷設と政党の対立に絡んで村を二分する争いが起きたことから、「波(乱)が多い」と読める村名を昭和8年2月16日に水の豊かな田んぼへの願いが込められた「波田」に改めています。駅名が村名に追随したのは戦後のことでした。

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渚駅

波田16:09発渚行き34(3002)で渚へ。行きは撮れなかった車止めなどを撮影。災害の影響による期間限定の終着駅、一日でも早く全線復旧して解消されてほしいものだと思います。

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田川橋梁

16:35発代行バスを西松本で下車。昨年8月の豪雨で被災した田川橋梁を見に行きます。流出こそしませんでしたが、橋脚が傾いて使用不能になったことから、被災部分を一旦撤去して架け替え工事が行われています。復旧は今年6月の予定です。

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西松本駅

田川橋梁を渡ったところにあるのが西松本駅。運行休止中にも関わらず構内に入ることができますが、ホーム渚寄りは立入禁止となっています。線路に建てられたフェンスの先は田川橋梁です。

松本バスターミナル17:20発特急新宿行き5934便と6分遅れの新宿20:34発山手線外回り2013G(サハE235-22)で帰宅しました。