10/10 岩槻・春日部・越谷・草加へ
この日は全休を利用して東武沿線の埼玉の街4つを訪れました。
高田馬場を8:35発山手線外回り0833G(サハE234-27)、池袋8:42発湘南新宿線小金井行き2526Y(モハE233-3623)、大宮9:12発普通柏行き465A(66604)を乗り継いで岩槻へ。
岩槻駅は平成18年にさいたま市に編入されて岩槻区となった旧岩槻市の代表駅で、平成28年5月に橋上化されました。岩槻藩の城下町であったことにちなんでか、駅舎は城風デザインです。
さすがは古くから発展してきた街だけあって中心部には古い建物がいくつか残っています。その一つ「東玉大正館」は、大正後期に中井銀行岩槻支店として建てられたレンガ造りの洋館で、現在は老舗人形店「東玉」の展示スペースとして使用されています。
岩槻駅から徒歩10分のところにある「岩槻郷土資料館」は、昭和5年から昭和51年まで岩槻警察署として使用されていた建物を転用したもので、警察署時代の姿を残しつつも内部には岩槻の歴史についての資料が展示されています。無料ですが、結構充実していました。
郷土資料館を見学した後は岩槻駅に戻り、10:26発普通柏行き473A(61605)に乗って春日部へ。伊勢崎線と野田線が接続する交通の要衝であるとともに、埼玉県東南部の中心都市である春日部市の代表駅でもあります。東口には改装されながらも木造駅舎が残っており、高層建築も少ない駅前とも相まってのどかな雰囲気を醸し出していますが、高架化により数年後には大きく様変わりしそうです。
地下道で線路の下をくぐり抜け、春日部市役所へ。昭和45年に建てられた庁舎は緩く弧を描いた形状で、ガラス張りの外観がなかなかモダンです。設計は建築モード研究所。
もちろん中も見学して、外観同様に弧を描く廊下にも感動しましたが、北向きに建てられているので正面からの構図は残念ながら逆光。建て替えも決まっているので近いうちに、リベンジしたいものです。それも曇りの日に。
市役所を見た後は春日部駅から伊勢崎線に乗車。今度は西口から入場します。飲食店などと一体になった西口駅舎は、東口と比べると控えめな見た目で、駅名表示も近くで見ないとどこにあるのか分かりません。高架化の暁にはすっかり忘れ去られてしまいそうで心配になります。(余計なお世話?)
春日部11:44発普通中目黒行き1113T(71715)で越谷へ。日光街道の宿場町として栄えた越谷市の代表駅で、平成6年に高架化が完成しました。複々線の高架駅ということもあって春日部駅と比べると随分都会的に感じられます。個人的には春日部駅みたいな構外らしさの溢れる駅の方が好きですが。
宿場町としての歴史を持つ越谷の街ですが、岩槻と比べると古い建物はそれほど多く残ってはいません。数少ない現存する近代建築の一つが「横田診療所」で、昔は郵便局として使われていた建物だそうです。古さをあまり感じさせないほど状態はよく、木ッと大事に使われているのでしょう。
駅から10分ほど歩いて越谷市役所へ。昭和44年6月竣工の庁舎はタイル貼りの外観で、春日部市役所ほどの見た目のインパクトはありませんが、いかにも高度経済成長期の建築と言った雰囲気です。現在、新庁舎を建設中なのでこの建物もそう遠くないうちに見納めとなるでしょう。
越谷駅に戻り、12:56発普通中目黒行き1237T(21856)で草加へ。松原や煎餅で知られる草加市の代表駅で、昭和61年に高架化が完成しています。
越谷と比べると東京から近いためか、駅前の雰囲気も郊外というよりは下町といった雰囲気が漂います。
まずは歴史民俗資料館へ。大正15年に埼玉県初の鉄筋コンクリート造校舎として建てられた草加小学校西校舎を改装したもので、かつての教室が展示室に転用されています。
外観はいかにも古そうな感じですが、改装されているため中はそれほど古さを感じさせません。
資料館を見た後は、マンホールカードを手に入れるため草加宿芭蕉庵へ。芭蕉庵の周りは公園として整備されていますが、最近は手入れも行き届いていないのか川へと降りる階段は苔むしていました。
宿場町の跡を辿りながら南下し、草加市役所へ。来るのが一足遅かったようで、昭和41年に建てられた古い本庁舎はとっくに瓦礫の山と化していました。
最後は草加駅東口駅前へ。ショッピングセンター「アコス」2棟が建ち、すっかり都会化した一角に戦前に建てられたと思われる石造りの衣料品店が残っています。
まだまだ日の高い時間ですが、この日はこれで帰途に就きます。せっかくなら春日部と越谷をもっとゆっくり見てもよかったなという気がしますが、またいずれ再訪することになるでしょう。
草加15:28発急行中央林間行き1415K(8533)、6分遅れの北千住15:37発快速上野行き1540H(モハE231-95)、日暮里15:54発山手線内回り1508G(モハE235-42)を乗り継いで高田馬場へと帰りました。