1/31 周防地方建築めぐり
山口遠征2日目は熊毛郡・大島郡・旧玖珂郡方面へと向かいました。
快活クラブを6時半にチェックアウトしてまずは上和字駅跡へ。東京と比べると明るくなるのが遅く、だいぶ西に来たんだなと感じられます。暗くて見通しがよくないので、飛ばしたりせずに60くらいで走っていたところ地元のめっちゃ飛ばす車に煽られました。
上和字駅跡はホームが残っており、客車やらバスやらが保存されていた時期もあったようですが、今は何もありません。せめて説明板くらいは欲しい所ですが。
上和字駅跡からさらに山奥へ分け入り徳地の旧役場へ。定礎によれば昭和36年12月20日竣工。設計は中村稔一級建築士、施工は高藤建設とまで細かく書かれており、役場オタクにとってはありがたい情報量でした。
峠を越えて新南陽の市街地へ入り、徳山・下松を越えて田布施へ。田布施町内では洋館2軒を撮影。役場も気になりますが、こちらは建て替え計画もないし、駅から徒歩圏内ので割愛。
続いて柳井市に入り、旧余田村役場へ。最近まで公民館として使われていましたが、今は空き家のようで、今後が心配されます。前にマイクロバスが停まっていたのと影が落ちてしまったのとで写真が残念な出来に。撮り直したいし中も見てみたいので解体されませんように。
南下して平生町へ。役場は昭和35年に竣工したもので、建て替え計画があります。
こうした鉄道のない市町村まで来れることを思えばやはり車の旅は便利だなと思いますが、やはり一人で運転していると疲れますし、何より綺麗な景色があってもそう簡単には撮れません。
平生からさらに室津半島西岸を南下して熊毛郡上関町へ。本土と橋で繋がっている長島に中心市街地があり、その狭い道の奥に年季の入った役場があります。ここまで窮屈な立地の役場をこれまで見たことがありません。
上関市街を見下ろす神社から写真を撮ってみましたが、実に絵になります。今回は役場とその周辺を見ただけでしたが、今度は泊りでゆっくりと来たいものです。
橋を渡って本土へ戻り、室津地区の道の駅上関海峡で休憩。本土側の上関町室津地区には四階楼という文化財がありますが、今回は外観のみ撮影。
今度来る時は室津に車を置いて船で渡ってみるのもいいかもしれません。
休憩の後は室津半島東岸をひたすら北上して大畠を目指します。西岸と比べると道が狭く曲がりくねっていますが、時折見える瀬戸内海が美しいので、退避スペースに車を停めて写真を撮ってみました。
途中、遠崎によって洋館を見てから大畠へ。平成17年に柳井市と合併するまでは独立した自治体で、合併まで昭和6年築の古い役場が使われていましたが、取り壊されて今は空き地です。
大畠からは橋を渡って周防大島(屋代島)へ。先程見た上関(長島)と比べると大きな島のためか、あまり島という感じはしません。みかん農園があちこちにあることもあってか、和歌山を思わせる景色です。
西屋代で廃校などを見てから、塩務局出張所跡へ。明治38年に建てられた回廊付きの建物で、廃墟化していますが、このまま朽ち果てさせるのはあまりにも勿体ないと思います。
海岸線に沿って西岸を南下し、沖浦へ。下見板張りの郵便局が旧道沿いにひっそりと残っています。道中、あちこちで工事が行われており、片側交互通行になっていました。
西安下庄でもいくつかの建物を見てから、東安下庄へ。平成の大合併で周防大島町になる前は大島郡橘町の中心だった街で、なかなか賑わいが感じられます。
Aコープでカフェオレと菓子パンを買って休憩を取りました。いい感じの街だったのでここも今度は泊りで来たいですね。
周防大島東岸を北上して島をほぼ一周し、再び橋を渡って大畠へ。神代郵便局を撮影してから今度は内陸の玖珂を目指して北上。瀬戸内海ともこれでお別れです。
峠を越えて玖珂市街地の狭い道を通り、玖珂の旧役場へ。旧役場は昭和35年、公民館は昭和41年竣工といずれも年季が入っており、近い将来、移転建て替えとなる予定です。
続いて、玖珂の隣町・周東へ。昭和36年10月竣工の役場は建て替え工事中で、正面入り口は封鎖されています。内部は満身創痍といった感じでしたが、建て替え前にギリギリ間に合って良かったと思います。
時刻は16時で、防府での車の返却時間までにはまだ余裕がありますが、渋滞等のリスクを考えて防府に直行します。
案の定渋滞に巻き込まれ、防府には予想より少し遅れて到着しました。とはいえまだバスの時間まで余裕があるので、車を返却してから防府市役所へ。業務時間が終わっているので中は見れませんでしたが、日没まで外観を撮影しました。中は今度鉄道で来る時にでも見ようと思います。
19:40発の帰りのバスは発車時刻より1分遅れて防府駅前に入線。道中渋滞に巻き込まれたようで、東京駅日本橋口には翌朝8:54に到着しました。