まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

2/17 三江線廃駅めぐり(尾関山~石見梁瀬)

2/17から20までは鉄研の友人と共にレンタカーを使って中国山地廃線跡などを巡りました。

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広島駅北口に到着

バスタ新宿を前日20:00に出発したウィラーエクスプレスC1151便は7:48に広島駅北口に到着。前日のうちに広島入りしていた友人と合流して、まずはレンタカー営業所へ。

雪予報が出ていたのでスタッドレス車を借りて6000円高くなりましたが、安全のことを考えると仕方ありません。

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尾関山駅

8:30過ぎに出発し、可部の前後で渋滞に巻き込まれながらも吉田経由で10:28に尾関山駅に到着。ここからは三江線の駅を順番に巡っていきます。

尾関山は三次市旧市街の外れにあった駅で、戦後らしい片流れ屋根の木造駅舎が残っています。閉鎖されていて中には入れませんが、窓からのぞくと室内の塗装を行っていたので何かに活用されるのかもしれません。

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粟屋駅

10:46 粟屋駅へ。街中にあった尾関山駅と比べると一気に山深くなります。単式ホームだけの無人駅で、ホーム上には昭和43年3月の建物財産標が付いた待合所があります。ホームは立入禁止でしたが、線路の一部は地元の人の行き来のためか入れるようになっていたのでそこから撮影。駅前は駐車場になっていますが、駅自体は放置状態。とはいえそれほど荒れた様子ではありません。

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長谷駅

11:01 長谷駅へ。江の川を見下ろす築堤上の駅で、周囲に民家は数軒あるのみ。現役当時は秘境駅として知られ、牛山隆信さん管理の駅ノートがあったそうです。小学生の通学用に開設された仮乗降場がルーツで通学時間帯に合わせた停車パターンが廃止まで受け継がれていました。教育委員会設置の木造待合室は閉鎖されていませんが、中は埃だらけでノートも無くなっていました。

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船佐駅

11:23 船佐駅へ。平成16年に安芸高田市となった旧高田郡高宮町の駅で、ホームから少し離れたところに小さな木造駅舎が残っています。ホームは交換設備の設置も可能な造りのようですが、昭和30年の開業から平成30年の廃止までずっと棒線駅だったようです。駅舎は開放されていて廃止当時の装飾がそのまま残っていました。

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所木駅

11:37 所木駅へ。江の川に架かる唐香橋という吊り橋の袂にあったホームだけの無人駅で、ホームは残っていますが、待合所は撤去されています。唐香橋が架けられる前は対岸との間に渡し船があったそうです。

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信木駅

11:46 信木駅へ。江の川沿いにあったホームだけの無人駅で、こちらもホームは残っていますが、待合所は撤去されています。現役当時はさぞかし風光明媚な駅だったことでしょうが、周囲に人家は少なく、昭和58年の統計では乗降客数は線内最下位でした。

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式敷駅

12:01 式敷駅へ。昭和30年から38年まで終着駅だった駅で、三次を出てから初めての交換可能駅でした。貨物ホーム跡も残っていますが、三江南線では貨物営業が行われたことが無いので、一度も使われなかったようです。駅舎は民営化後に改築されたログハウス風のもので今も閉鎖されていませんが、先客がいたので中を撮ることができませんでした。「式敷」の名は、沖に流される途中の後鳥羽上皇がこの地で亡くなられ、葬儀の式場に敷物をしいたという伝説に由来します。

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香淀駅

12:15 香淀駅へ。民営化後に建てられた六角形のログハウス風の駅舎が残っています。駅舎や待合所は残っていても駅名表示が撤去される駅が多い中、当駅は駅舎に掲げられた駅名がしっかりと残っています。駅を撮っていると駅前にバスがやってきましたが、誰も乗り降りせずに駅前を一周して元の方向へと戻っていきました。

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作木口駅

12:29 作木口駅へ。県境区間に入ると雪がいっそう激しく降り始めました。作木口は江の川に架かる三国橋の島根県側にあった駅で、元は300m江津側にありましたが、昭和47年の水害で流失した三国橋の再建に合わせ、昭和51年に現在の場所に移転した歴史を持ちます。三国橋の対岸は三次市作木地区(旧双三郡作木村)で、作木村の玄関口であったことが駅名の由来です。駅名標などが撤去された以外は現役当時の姿を留めており、駅前の踏切もそのまま残っていましたが、2/19から21にかけて撤去するため通行止めとなる旨の看板がありました。

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江平駅

12:38 江平駅へ。江の川沿いの小集落にあった駅で、駅名標が撤去された以外は比較的現役当時の姿を留めています。川の対岸は広島県で、駅がある島根県側とは丹波橋というトラス橋で結ばれています。

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口羽駅

12:48 口羽駅へ。昭和38年に開業した三江南線の終着駅で、廃止直前のダイヤ改正までは折り返し列車も設定されていました。旧邑智郡羽須美村の玄関口ですが、中心市街の外れのような立地で、あまり活気はありません。かつての終着駅らしく大きな待合室は今もバス待合室として使われているようで、中も綺麗に保たれていました。

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旧口羽郵便局

せっかくここまで来たのだからと口羽の市街地にある旧口羽郵便局も撮影。昭和12年に建てられたもので、今は物置になっているようですが、状態はそれほど悪くなさそうです。

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伊賀和志駅

13:29 伊賀和志駅へ。口羽から浜原までは昭和50年に開業した公団建設線区間で、駅も築堤上に設けられた立派なものです。所在地は三次市作木町で、広島県にある駅ですが、両隣の駅は島根県にあります。

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宇都井駅

13:52 宇都井駅へ。地上20mの高さにホームがあった高架駅で、利用するには116段もの階段を登らねばなりませんでした。鉄道ファンの中でも有名で、廃止後はNPO法人江の川鐡道が用地を取得し、トロッコを走らせたりしていますが、イベント時以外は非公開で、残念ながらホームに上がることはできません。

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石見都賀駅

14:48 石見都賀駅へ。平成16年の合併で邑智郡美郷町となった旧大和村の中心地にあった駅です。築堤上にある島式1面2線の交換可能駅でしたが、一日4往復の区間にあったため、交換設備はほとんど使われなかったようです。駅入口脇の木造待合室とホームへの地下道が残っていますが、ホーム上の上屋が撤去されているのでほとんど目立ちません。

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石見松原駅

15:17 石見松原駅へ。国道から少し分け入った集落の裏手にあった駅で、秘境駅のような雰囲気が漂っています。ホームや線路は残っているものの、待合室が撤去されているほか、石見都賀寄りの陸橋が撤去されて線路が寸断されています。

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潮駅

15:38 潮駅へ。江の川沿いにあったホームだけの駅で、待合室は昨年10月までに撤去されていますが、ホームと線路は残存しています。ホームからの眺めが良い駅なので、せめてホームに立ち入れるように公園としてでも整備してほしいところですが、沿線自治体に財政的な余裕があるとも思えないので、なかなか厳しそうですね。駅近くには潮温泉という宿泊施設がありましたが、改築工事のため閉館中でした。

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沢谷駅

15:52 沢谷駅へ。三江線内の駅には珍しく、江の川から外れた山間にあった駅で、待合室は昨年11月までに撤去されています。公団建設線区間は待合室の撤去された駅が目立ちますが、やはり待合室の場合はホームや線路と違って放置しておくとホームレスに住み着かれたりする恐れがあるからでしょうか。

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浜原駅

16:08 浜原駅へ。江津から建設された三江北線の終着駅で、昭和12年開業時に建てられた木造駅舎が残っています。相対式ホームの交換可能駅で、折り返し列車や夜間滞泊が設定されるなど廃止まで運行拠点駅としての役目を果たしていましたが、平成17年に簡易委託も廃止され、末期は無人駅でした。列車が来なくなった今も待合室内は綺麗に保たれ、本棚が置かれています。

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粕淵駅

16:31 粕淵駅へ。邑智郡美郷町(平成16年までは邑智町)の中心部にあった駅で、商工会館との合築駅舎が残っています。駅周辺には旧邑智町の中心市街地が広がっており、三次以来久しぶりの街らしい街ですが、粕淵からだと三江線で江津や三次に出るよりもバスや自家用車で大田に出る方が便利だったため駅の利用者数はそれほど多くなかったようです。平成29年の一日の平均乗車人員は13人で、これでも周辺駅に比べれば多い方だったのでは廃止も仕方ないと思えます。江津ではなく大田に繋がっていればもう少し利用されていたことでしょうが。

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旧邑智郡粕淵村役場

粕淵駅の近くには昭和2年に建てられたとされる旧邑智郡粕淵村役場が残っています。昭和22年に町制施行して粕淵町に、昭和30年の合併で邑智町となった後の昭和40年まで役場として使われ、昭和45年からは縫製工場として使われていたようですが、今は物置のようです。

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野井仮乗降場跡

16:51 野井仮乗降場跡へ。昭和47年10月2日頃から翌年12月22日までのわずか1年2か月間のみ存在した幻の仮乗降場で、三江線の廃止によって公然と渡れるようになった勝手踏切が目印です。明塚~粕淵間の第一江川橋梁が水害で流失した際に列車と代行渡船との乗り換えのために設置され、代行バスの運行開始によりその役目を終えて撤去されました。

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明塚駅

17:05 明塚駅へ。小集落の中にあったホームだけの駅で、待合所は昨年2月までに撤去されています。この日見てきた駅と比べるとかなり荒れており、とても廃止から2年弱とは思えないほどの草に覆われていました。昨年訪問したのと鉄道能登線の廃駅を思い出します。

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石見梁瀬駅

17:16 石見梁瀬駅へ。昭和10年12月から浜原延伸までの2年弱の間終着駅だった駅で、昭和30年に邑智町となった旧邑智郡吾郷村の中心地にありました。廃止まで開業時の木造駅舎が残っていましたが、昨年10月に解体されてホームと線路のみが残っています。

あまりキリのいい駅とも言えませんが、この日はここで終了。予定では粕淵までだったので、予定よりも3駅多く巡ることが出来たことになります。

 

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ビジネスホテル御多福301号室

粕淵まで戻って山越えをして大田へ。江の川沿いの山間部は雪景色でしたが、大田まで出ると雪は積もっていませんでした。この日のお宿は大田の町はずれにあるビジネスホテル御多福(一泊3900円)。昭和の独身寮(知らんけど)を思わせるお値段相応なレトロなお宿でした。