まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

2/18 三江線廃駅めぐり(乙原~江津)

 三江線廃駅めぐり、2日目は7:00に大田市を出発。昨日は石見梁瀬までめぐったので、今日は乙原から江津までをめぐっていきます。

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乙原駅

7:49 乙原駅に到着。大田市内では積雪はありませんでしたが、山を越えて江の川沿いに出ると一面の雪景色でした。乙原は小集落の奥にあった駅で、かつては駅舎がある有人駅でしたが、無人化後に撤去され、末期はホームと待合室だけの駅でした。待合室は昨年2月までに撤去されていますが、ホームと線路、駐輪場が残っています。

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竹駅

8:01 竹駅へ。県道40号と崖に挟まれた立地の駅で、駅名標などが撤去された以外は比較的廃線当時のまま残っています。周囲に人家が数軒あるのみの寂しい所ですが、朝の時間帯だけあってか県道の交通量はそれなりにありました。

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木路原駅

8:17 木路原駅へ。集落より一段高い所にあったホームだけの駅で、ホーム上にブロック造りの待合室がありましたが、昨年4月までに撤去されています。ホームは枯草に覆われて荒れた様子でした。

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石見川本駅

8:37 石見川本駅へ。昭和9年開業時から石見梁瀬延伸までの一年間終着駅だった駅で、廃止まで窓口もある業務委託の有人駅でした。小集落ばかりが続いてきた三江線沿線において数少ない街である邑智郡川本町の玄関口で駅前にはビルなどもありますが、いまいち活気がありません。三江線の中枢とも言うべき駅でしたが、平成29年の一日平均乗車人員は18人。街にある駅だからといって利用されるというわけでもなかったようです。

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因原駅

9:08 因原駅へ。道の駅インフォメーションセンターかわもとに背を向けた立地の駅で、駅前には小規模ながらも市街地が形成されています。駅舎の事務室部分は無人化以降、三江線運輸という運送会社の事務所として使われてきましたが、廃止後は待合室部分も三江線運輸さんによって使用されています。昭和9年開業時の姿を留める駅舎だけに廃止後も現役で使われているのは嬉しいことですが、人がいるゆえに近づいてじっくりと撮ったりできないのが難点。三江線運輸さんにアポを取ったら駅舎内を見せてもらえたりするもんなんでしょうか。まあ中が見れないにしても末永く使っていただきたいものです。

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鹿賀駅

9:29 鹿賀駅へ。江の川沿いの集落より一段低い所にあった駅で、昭和24年に地元の請願によって開業しました。その土地の低さゆえに昭和47年7月12日の水害では待合室の屋根の近くまで水に浸かったそうです。この駅からは江津市に入りますが、平成16年に編入されたエリアで、それ以前は邑智郡桜江町でした。撮影を終えて車に戻ろうとすると、友人が地元のおばあさんから「ここに車停めてよかったかしら・・・あらごめんなさい。ここの部落の人じゃないのね」と話しかけられましたが、確かにこんなところ普通は余所者めったに来ないですよね。この日は集会でもあったのか駅前に地元の人が続々とやって来て路肩に駐車していました。

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石見川越駅

9:50 石見川越駅へ。昭和6年5月から石見川本延伸までの3年半終着駅だった駅で、かつては交換駅だったため対向ホームの跡が草に埋もれながらも残っています。

昭和29年の桜江村(昭和31年町制施行)成立以前は邑智郡川越村の中心だった場所ですが、駅前には郵便局くらいしか目立った建物がありません。開業時の木造駅舎が廃止まで残っていましたが平成30年秋の集中豪雨で被害を受け、翌年2月までに解体されました。

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田津駅

10:05 田津駅へ。鹿賀と同時に開業した駅で、ホームは石垣の上にありました。大柄な木造待合室は昨年3月に解体されましたが、ホームと線路は残存しています。

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川戸駅

10:20 川戸駅へ。平成16年に江津市編入された旧邑智郡桜江町の中心地にあった駅で、昭和5年4月から一年間だけ終着駅でした。桜江町の玄関口だっただけあって立派な木造駅舎が残っており、今もバス待合所として使用されているほか、かつての駅員詰所が「サロンかわど こしかけ」という地元の方々の歓談スペースとして活用されています。使われるのは月2回のみのようですが、今後も駅舎を末永く活用していってほしいと思います。

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川戸駅構内

線内の駅では珍しく、構内に立入禁止の看板が無かったので堂々と入って撮影させてもらいます。川戸もかつては交換可能駅でしたが、平成11年3月に棒線化されており、その際に跨線橋などが撤去されています。駅舎側のホームは綺麗でしたが、線路は草に覆われ始めています。

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川平駅

10:52 川平駅へ。昭和5年の石見江津~川戸間開業時に設置された唯一の中間駅で、川戸同様に平成11年までは交換可能駅でした。昭和29年に周辺町村と合併して江津市となった旧那賀郡川平村の玄関口で、天井の高く明り取り窓の設けられた立派な木造駅舎が残っています。平成30年まで現役だった駅にしては珍しく待合室の窓も木枠のまま残っていますが、半ば放置された閑散路線の途中駅だった故に手を付けられずに残ったのでしょう。待合室の扉は木枠のガラス張りのもので、この駅以外では見たことにないタイプですが、開業当時のものでしょうか。現役の駅の中でもめったにないような名駅舎なのでこの駅だけは何としてでも残ってほしいと思いますし、もしクラウドファンディングでもやるのならなけなしのバイト代の中からでも寄付させてもらいたいと思います。

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千金駅

11:49 千金駅へ。江の川から少し奥まった集落にあった駅で、道が狭く分かりづらかったので到達には苦労しました。googleマップを信用してかかると車も通れないような道に案内されることもあるのでやはり注意しなければ。千金は昭和33年に開業した駅で、ブロック造りの待合室がありましたが、昨年3月に解体されています。ホームと線路は残っていますが、かなり草に覆われており、周辺駅と比べると随分早く自然に還っています。

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江津本町駅

12:03 江津本町駅へ。千金と同時に開業した駅で、江津町の旧市街地のすぐ裏手にありましたが、山に遮られていたため秘境駅のような趣でした。目の前に江の川下流を望むことができ、山陰本線の橋梁も見ることができます。「本町」といういかにも街中にありそうな名前の駅でしたが、寂しい立地で、平成18年から27年までの一日の平均乗車人員は0人を記録しています。三江線の本数を考えれば江津駅までなら歩いて行った方が早いでしょうし、存在意義は希薄だったようです。待合室は千金とほぼ同時、昨年3月上旬に解体されました。

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江津駅

12:26 江津駅へ。言わずと知れた山陰本線三江線のかつての分岐駅。一日半かけてようやくゴールです。とはいえ駅の観察は列車で来たときの楽しみに取っておいて昼食としましょう。

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チャーシュー丼

昼食は江津駅前の雅家さんのチャーシュー丼。チャーシュー専門店らしくこんなにおいしいチャーシュー丼は人生で初めて食べました。江津の新しい名物と言っていいかもしれません。市役所や旧市街も見たいので、江津に来る機会は今度も何度かありそうですが、今度来る時もこちらで食べたいものです。

 

一息ついた後は少し寄り道をしてから今福線へと向かいます。