まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅めぐり旅~

駅めぐりの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

阪急3000系が引退

昭和39年から43年にかけて製造され、56年の長きに渡ってに活躍した阪急3000系のうち最後まで残っていた3054Fが本日、西宮北口から正雀まで廃車回送されました。

時期が時期だけにさよなら運転も行われず、ひっそりとした最後になりましたが、阪急今津線沿線で育った自分にとっては特に思い出深い形式でした。せっかくの機会なので撮りためた写真を振り返っていきましょう。

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トップナンバー3050Fと最終増備車3082F

私が物心ついたころ、今津線の主力となっていたのは3000系と3100系で、原型を留めていた表示幕未設置車(通称看板車)と上写真のような表示幕設置改造車が入り乱れていました。後に貴重になる看板車も当時はそれほど珍しい存在ではなく、次に来るのがどっちのタイプなのか子供心に楽しみにしていたのを覚えています。

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今津線最後の看板車3058F

私がそれらの車両たちを撮るようになったのは今津線で塾に通うようになった小6の時でした。当時、既に今津線の看板車は9000系投入の玉突きで神戸線宝塚線から転属してきた方向幕車に淘汰されて3058F一本のみが残っていました。その年に撮影された映画「阪急電車」の撮影には主にこの編成が使われたようです。よく遭遇する編成だけあってお気に入りの編成でしたが、この年の9月23日に廃車回送されています。

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今津線時代の3050F

3058F亡き後、今津線で活躍していた3000系は3050F・3056F・3076F・3078F・3082Fの4本でした。このうち3050Fはトップナンバー3000を編成中に含んでいましたが、運転台を撤去されて中間車となっていたので地味な存在でした。当時はまだ伊丹線箕面線に看板車が残っており、廃車もそちらが優先されていたためこれらの編成についてはいつでも撮れる日常の存在としてしか認識していませんでした。

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伊丹線転属後の3054F

中学に入り、神戸線で通学するようになると、3054Fを追いかけるようになりました。3054Fは神戸線に最後まで残っていた3000系で、一本のみのレアな存在だったというのが撮影欲をそそったのでしょうが、今見返してみるとひどい写真ばかりで載せるに堪えないので、伊丹線転属後の写真を載せておきます。3054Fは平成25年1月に4連に減車されて伊丹線に転属、3159Fを置き換えました。当時はまさかこの編成が3000系の56年の歴史の最後を飾ることになるとは思いもしませんでした。

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宝塚線時代の3062F

神戸線から3000系が居なくなっても宝塚線にはまだ3062F・3064F・3066Fの4本が8連のまま残っていました。神戸線とは違いスカートが付いているのが特徴でしたが、支線への転属時に取り外されてしまったのが残念です。

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箕面線で活躍していた3081F

箕面線では元々3100系看板車が活躍していましたが、平成23年から24年にかけて伊丹線の車両と取り替えられ、私が初めて撮りに行った平成24年5月には看板車の3080F・3081F、そして方向幕車の3074Fが活躍していました。3081Fは宝塚線から転属してきた3060Fに置き換えられて8月28日に廃車回送となったので見たのは一回きりでした。

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正雀で廃車を待つ3080F

3080Fも宝塚線から転属してきた3066Fに置き換えられて平成25年6月3日に廃車回送、これを以て箕面線からは看板車が消滅しました。改めて写真を見返してみると、箕面線の写真が驚くほど少ないのですが、これは定期の範囲外で足を運ぶことが少なかったからでしょう。

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箕面線で活躍していた3074F

看板車消滅後の箕面線では3060F・3066F・3074Fの3本が活躍していました。このうち3074F以外の2本は全くと言っていいほど写真がないのですが、たとえ定期の範囲外であってもこまめに撮っておけばよかったと後悔することしきりです。箕面線の3000系は平成28年7月に8040系と5100系に置き換えられる形で相次いで廃車、わずか3年間の短い活躍でした。看板車の例から考えて淘汰も今津線の方が先だろうと油断していたせいもありますが、結局ほとんど撮ることはありませんでした。

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伊丹線最後の看板車3077F

最後まで看板車が残っていたのは伊丹線で、3054Fの転属後は3160Fと3077Fの2本が残っていました。3160Fは宝塚線から転属してきた3062Fに置き換えられて平成26年2月5日に廃車。最後まで残った3077Fは塚口方先頭車の3077のみが3000系で、中間車は3100系と2071系、伊丹方先頭車は3100系トップナンバーという寄せ集め編成でした。3077Fは平成26年2月24日に廃車回送、この編成を最後に原型を留める看板車は消滅となりました。

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伊丹線に転属した3050F

3077Fを置き換えたのは平成26年1月に今津線から転属してきた3050Fでした。今津線の編成についてはてっきりここを終の棲家とするものとばかり思っていたのでこれは少々意外でした。6連から4連に組み替えられ、中間に組み込まれていたトップナンバー3000などは廃車、3078Fが今津線転属のため6連化されるときに抜き取られて以来3年間休車となっていた3558が組み込まれました。3050Fは平成30年1月24日に廃車回送されるまで伊丹線において4年間活躍しました。

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宝塚線最後の3000系となった3064F

看板車の淘汰が終わると、早くも方向幕車の淘汰が始まりました。先陣を切って平成26年6月26日に廃車回送されたのは宝塚線に最後まで残っていた3064Fでした。2071系の運転台撤去車2両を含んでいたこともあって個人的にはお気に入りの編成で機会を見つけてはよく撮っていました。この編成の廃車を以て8連は消滅、急行灯を点けて颯爽と走る姿も過去のものとなりました。

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今津線の方向幕車で初の廃車となった3076F

8月21日には今津線の3076Fが廃車回送今津線の方向幕車で初の廃車となりましたが、これ以降3000系の廃車は一旦ストップし、小康状態が続くこととなります。3076Fは編成中の本来なら3077が組成されるべきところに3100系の3151を組み込んだ風変わりな編成でした。今津線に転属してきたのは平成11年で、当時では結構な古株でした。

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今津線で活躍していた3078F

平成28年になると今津線にも5000系が転属してくるようになり、3000系列の廃車が再開されますが、まず廃車になったのは3154Fと3152Fで、3100系が3000系よりも一足先に今津線から消滅しました。今津線3本目の5000系となる5006Fの入線後、平成29年4月24日の運用を最後に3078Fが引退、5月25日に廃車回送されました。3078Fが今津線に転属してきたのは平成23年4月で、3076Fや3100系に比べると今津線での活躍は短かったと感じますが、それでも通学でよくお世話になったので印象に残る編成でした。

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最終増備編成だった3082F

今津線5本目の5000系となる5012Fの入線後、平成29年10月5日には3082Fが廃車回送されました。3082Fは昭和42年8月に製造された編成単位では最後の増備車で、リニューアルの有無があるとはいえ置き換えとなる5002F(昭和43年2月製造)とは一年も車齢が違いませんでした。今津線への入線は3078Fと同じく平成23年4月で、何度となく乗って撮った編成でした。

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今津線で最後まで残った3056F

今津線で最後まで残った3056Fは、5008Fと置き換わる形で平成30年4月11日に廃車回送今津線における3000系の長い歴史に終止符が打たれましたが、私はこの直前に進学のため宝塚を離れており、最後を見届けることは叶いませんでした。3056Fは平成20年2月に今津線に転属、運転台撤去車を組み込んでいたので個人的には好きな編成でした。

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伊丹線で活躍していた3052F

今津線での淘汰が済むと今度は伊丹線の車両の番です。平成30年1月24日には3050Fが、7月20日には3052Fが廃車回送されました。この編成については看板車のついでに撮るという感じで印象が薄かったです。写真もどういうわけか雨の日のものしかありませんが、まだ見るに堪える写真なだけマシでしょう。平成24年3月に伊丹線に転属した編成で、昭和44年に一両だけ製造された3100系の最終増備車3651を中間に組み込んでいました。

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3062F

平成31年2月27日には3062Fが廃車回送され、3000系は残すところあと一本となりました。平成26年3月に伊丹線に転属した編成で、つい最近伊丹線入りしたばかりのような印象でしたが、それでも5年弱は活躍していました。宝塚線時代のスカートをつけて8連で走っていた頃の印象の方が個人的には強いです。

 

そして一本のみとなった最後の3000系である3054Fも令和2年5月7日に廃車回送ヘッドマークまで準備された2300系や3100系と比べても寂しい最後でしたが、56年もの長きに渡って活躍したわけですから十分天寿を全うしたと言えるでしょう。子どもの頃の私にとって何よりも身近な存在だった3000系ありがとう、そしてお疲れさまでした。

3000系を置き換えた5000系についても今年で車齢52年、悔いのないように帰省の度にではあるものの記録していこうと思います。願わくば就職で再び阪急沿線に住むようになるまで残っていてくれればいいのですが。