まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅めぐり旅~

駅めぐりの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

6/11 奥三河・濃尾平野をドライブ(保存車・役場・近代建築・名鉄三河線跡など)

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豊橋電気見代発電所

二日目は快活クラブ豊川インター店を早朝5時に出発。早速奥三河の山間へ向けて車を走らせます。この季節、何と言っても日が長くて早朝から活動できるのが魅力ですね。

最初に訪れたのは新城市作手の旧見代発電所明治41年に建てられ、昭和34年まで稼働していた水力発電所で、その後茶工場として使われたそうです。水力発電所としては全国的に見ても古い部類に入りますが、その後川との間に道路ができてしまったため構造がいまいち分かりづらくなっています。発電所当時は正面左手の丸い穴が排水口でここから川へと直接水を放出していたようです。

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見代公民館

その隣にもまた随分と古そうな建物が。見代公民館ですが、バス停前なのでバス待合室としても利用されているのでしょう。ネットにも全然情報が上がっておらず、いつ頃の建物なのかは不明です。

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豊田市下山支所(旧東加茂郡下山村役場)

三河の山間を走り、豊田市下山支所へ。平成16年に豊田市に合併された旧下山村の役場で、昭和61年9月13日に完成したもの。割と新しい役場だけあって整地された高台の上に立地します。隣接して基幹集落センターやJAがあるなど公共建築が集中していますが、元の市街地より一段高い所にあるので生活エリアとは隔絶されたような印象を受けます。

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旧下山郵便局

続いて下山の市街地にある旧下山郵便局へ。昭和6年から47年まで使われていた建物で、T字路の突き当りに優美な姿を見せています。周辺は小規模ながらも商店などが密集しており、村の中心市街らしい風景です。

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豊田市足助支所(旧東加茂郡足助町役場)

また山を越えて今度は足助支所へ。香嵐渓や重伝建で知られる足助は奥三河の山間部では最も大きな街で、険しい山道を越えた先に突然市街地が現れたときには思わずほっとしました。見所も多く、ゆっくりと見ていきたいところですが、今日はこの先まだまだ見なければならないところがたくさんあるので、足助にはいずれゆっくりと時間を取って来ることにしましょう。

足助支所は、下山村と同時に合併された旧足助町の役場で、昭和34年12月12日竣工と随分古い建物ですが、最近補修されたようで表からそれほど老朽化しているようには見えませんでしたが、裏手に回ってみるとさすがに築60年らしい年季の入りようでした。

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巴橋

役場のすぐそばには巴橋という年季の入った橋がかかっています。昭和12年に建造されたものだそうで、古き良き時代の優美さを感じさせる緩やかなアーチが美しいです。

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豊田市旭支所(旧東加茂郡旭町役場)

足助からさらに山奥へと進み、豊田市旭支所へ。こちらは昭和45年5月30日竣工の旧旭町役場で、訪問時はちょうど耐震工事中。50歳を迎えた古い建物ですが、まだまだ使われるようで、今後は安泰です。役場があるのは小渡(おど)の集落ですが、こちらについてはまた後で。

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恵那郡串原村役場

矢作川に架かる小さな橋を渡って県境を越え、ちょっとだけ岐阜県へ。旭支所からほんの5分で旧恵那郡串原村役場に到着。平成16年に恵那市に合併されて消滅した旧串原村の役場で、学校などもある村の中心集落ではなく県境に近い小さな集落の外れに位置します。おそらく戦前の建物だと思いますが、立地が不便すぎて趣味者もほとんど訪れないのか詳細は不明。旧役場の近くには豊田市の旭地域バスのバス停があり、県境を越えた結びつきはかなり強いようです。

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小渡の市街地

岐阜県にはほんの10分ほど滞在しただけで、再び県境を越えて愛知県豊田市に戻り、小渡のファミリーマートで休憩。旭町の前身である旭村の役場は、元は地理的中心である太田に置かれていましたが、昭和15年に交通や商業の中心である小渡に移転。町制施行を経て昭和45年に現在地に移転しました。昨年7月時点での小渡の人口は244人とのことですが、コンビニや温泉旅館もあり、公共施設も集中するなどこの地域の中心にふさわしい景色を見せています。県境近い山間でもちゃんと暮らしがあるんだなという当たり前のことが改めて実感させられます。

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豊田市小原支所(旧西加茂郡小原村役場)

再び険しい山を越えて、今度は小原支所へ。こちらは昭和52年5月31日竣工。前に勢いよく突き出した車寄せが特徴です。庁舎の前には市民憲章(裏には合併前の村民憲章)と二宮金次郎像が立っています。

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豊田市藤岡支所

続いて藤岡支所へ。この辺まで来ると景色もだいぶ開けてきて山を下りてきたことを実感します。藤岡支所は藤岡交流館と合わせて今年3月10日にオープンしたばかりの新しい建物です。昭和43年5月10日竣工の旧西加茂郡藤岡町役場を転用した旧庁舎は跡形もなく消え失せていました。

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三河広瀬駅

役場めぐりはここで打ち切って、旧三河広瀬駅へ。平成16年に廃止された名鉄三河線末端区間の駅で、昭和2年開業時の木造駅舎が保存されています。現在は売店として使用されているそうですが、コロナの影響で休業中でした。駅舎裏手にはホームもそのまま残っており、レールも撤去されていないので今にも列車がやってきそうな雰囲気です。

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下切公民館

続いて西中金駅へ向かう途中、古そうな建物を見つけたので撮影。下切公民館、いつ頃の建物なのかは不明ですがかなりの年季の入りようです。

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旧西中金駅

名鉄三河線のかつての終点・西中金駅へ。昭和3年開業時の木造駅舎が残り、現在は喫茶店となっているようですが、こちらも休業中。歩道拡張工事によりちょっとだけ曳家で移動していますが、概ね現役当時の姿を留めています。当初の計画では線路はこの先足助まで伸びるはずでしたが昭和恐慌や戦争の影響で実現することはありませんでした。利用の少なさゆえに末期は猿投から当駅の間でレールバスが運転され、ギリギリまで経費を削減しながらも営業が続けられていましたが、平成16年4月1日、ついに廃止となりました。駅舎だけは今後も末永く愛されて残ることを祈らずにはいられません。

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鞍ヶ池公園 名鉄ク2313+モ805

午後は保存車を主に巡っていきます。まずは鞍ヶ池公園へ。昭和10年代に製造された名鉄800形2両が屋外展示されています。豊田線開業前の試験列車に使用され、「豊田線を最初に走った電車」である縁から豊田市に寄贈されたという経緯を持つ電車です。

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平芝坂の上公園 名古屋市電1814

続いて平芝坂の上公園(旧豊田市交通公園)へ。D51 849と名古屋市電1814が保存されていますが、バケツをひっくり返したような大雨で撮影も上手くいきません。

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せとっ子ファミリー交流館

豊田市から瀬戸市へ抜け、せとっ子ファミリー交流館へ。詳細は分かりませんが、かっこいいモダニズム建築です。焼き物の街らしく側面には焼き物のレリーフが取り付けられています。交流館になる前はなんの建物だったのでしょうか。

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名鉄モ766

続いて瀬戸市民公園へ。保存車のうち名鉄モ766は瀬戸電気鉄道昭和2年6月に製造した車両で、後に揖斐線に転属して昭和53年8月まで活躍しました。当地に保存されてから40年以上経ちますが、最近は塗り直されていないらしく保存に際して塗られたグリーンが剥がれて引退時に纏っていたスカーレットの塗装が見えています。屋根があるので幸い車体自体の痛みはほとんどないようですが塗装はボロボロ、窓は割れて痛々しい雰囲気です。近所に住んでいたら市役所の方にボランティアでも申し出て補修を手伝うくらいしたいなと思いますが。あと、周りを囲むフェンスがどうにかならないものかと思います。とにかく写真を撮りづらくて仕方ありません。同型車には揖斐町で保存されたものや北恵那鉄道に転じ、その後保存されたものもありましたが、現存するのはこの車両のみという貴重な存在なので、解体されることなく生き残ってほしいと思います。

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名鉄デキ202

もう一両の保存車デキ202は、昭和2年5月に製造された凸型電機で、昭和53年6月の貨物廃止まで瀬戸線での活躍を全うしました。日当たりの関係からかモ766ほどではありませんがこちらも結構色褪せています。

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桃花台新交通111

今度は豊田市の工場や倉庫の立ち並ぶエリアへ。工務店の敷地内に桃花台新交通ピーチライナーの先頭車が保存されています。短命に終わった悲劇の新交通システムですが、車両の方は今なお大事にされているようで、塗装も最近塗り直されたらしく綺麗でした。

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名古屋市電1603

続いて刈谷市交通児童公園へ向かいましたが、コロナのためか休園中で外からしか見れませんでした。名古屋市電1603とD51 777が保存されています。

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日本油脂専用線モ101

続いて武豊町長尾児童館へ。敷地内に日本油脂専用線で活躍したモ101が保存されています。そのルーツは都電杉並線の前身である西武軌道線で活躍した大正11年枝光鉄工所製202で、昭和28年5月に鋼体化されて西武多摩湖線モハ106となり、一年足らずでモハ103に改番、昭和36年8月に車体延長の上日本油脂専用線に譲渡されてモ101となり、昭和58年まで工員輸送に活躍しました。撮影に際しては児童館の受付で許可を頂きましたが、ご厚意で色々とお話を聞かせてもらいました。現在、車内はおもちゃ工房の出張所として使っており、車体の補修は工房の方々に行ってもらっているんだそうです。予算が少ない中での維持は大変だとおっしゃっていましたが、当分は残るだろうとのこと。貴重なお話をありがとうございました。

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HSST-03

今度は一時間ほど走り、岡崎南公園へ。リニアモーターカーの試作車HSSTが保存されています。リニアの保存車とはこれまた珍しい存在ですが、この車両は昭和60年の筑波万博と61年のバンクーバー国際交通博覧会、62年の岡崎葵博覧会でデモ走行を行ったものです。博覧会終了後も岡崎に留まり、平成2年8月31日まで180mの軌道を走行していました。

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D51 688

D51 688は昭和17年8月13日製造、米原機関区に新製配置され、中部地方を中心に活躍。昭和48年6月16日に中津川で廃車の時を迎えました。定期的にボランティアによって管理が行われています。

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名鉄モ401

名鉄モ401は一形式一両しかいなかった珍車です。大正15年に美濃電気軌道が製造した木造車がルーツで、昭和27年に2両分の車体を組み合わせて連接車としました。輸送力の大きさゆえに現場や乗客からは好評でしたが、改造費用が高くついたことから増備されませんでした。昭和48年12月に廃車となり、翌年2月に当地にやってきましたが、現役当時の活躍路線は揖斐線谷汲線なので、岡崎とは縁もゆかりもありません。あくまでも想像ですが、岡崎市から保存車両を譲ってくれと話が来たときに、この珍車に思い入れのあった人物が担当者として、この車両を選定したのかもしれません。試作車や珍車の類というのは鉄道会社から黒歴史扱いされることも多いので、よくぞ今まで残ってくれたと思います。

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はしご車

公園内にははしご車も保存されています。車にはあまり詳しくないのと説明板を撮り忘れていたので説明は省略。

 

この後、豊橋まで車を走らせ、返却。豊橋19:32発快速特急新鵜沼行き203(3210)で金山へ向かい、金山駅北口22:40発VIPライナー名古屋1便で東京へと帰りました。