まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅めぐり旅~

駅めぐりの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

6/26 初夏の宗谷本線駅めぐり その1(塩狩・蘭留・剣淵・東六線・和寒・日進・豊富・音威子府)

この日からはいよいよ宗谷本線駅めぐり。今回の旅行のメインで、5月の自粛期間中はこれだけをひたすら心待ちにして耐えていました。

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塩狩

旭川を6:03発普通稚内行き321D(キハ54-503+キハ40-746)で出発し、まずは塩狩で下車。大正13年に信号場から昇格した駅で、駅名は「天」と「石」の国境にあることから一字ずつ取って名付けられました。木造駅舎は昇格時に建てられたものだそうで、ホームと斜面の間の窮屈な立地に建てられています。静かな駅構内には幾種類もの鳥の鳴き声が響き渡っていましたが、鳥に疎い私にはキジバトしかわかりませんでした。立地ゆえに一日の利用客数は極端に少なく、廃止対象として上がったこともありましたが、和寒町としてはふるさと納税を財源に存続させる方針のようで、ひとまず今後は安泰と言えそうです。塩狩駅を存続させたいと思っている方は是非和寒町ふるさと納税を。

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長野政雄顕彰碑

駅前通りが突き当たって左にカーブをするところに、長野政雄顕彰碑が建てられています。明治42年2月28日、塩狩峠の頂上付近を走行中だった名寄発旭川行き列車の最後尾客車の連結器が外れ、暴走するという事故が発生しました。この際乗り合わせていた非番の鉄道員職員・長野政雄氏がデッキ上のハンドブレーキを操作し、停止させようと試みるも転落し、床下に巻き込まれて殉職しました。この事故を題材にして三浦綾子氏が書いた小説が「塩狩峠」で、この地の名を一躍有名にしました。作中では、長野氏をモデルにした永野信夫が客車を停止させるために自ら車輪の下に飛び込むというようになっていますが、これはあくまでも創作上の話で、実際の事故については当事者が死亡しているので、自ら飛び込んだのかそれとも、単なる不幸な転落死だったのか不明だそうです。

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事故が起きた明治時代当時の客車(※イメージ 加悦SL広場にて)

事故が起きた列車については写真が残っていないのでどんな車両だったのか、正確には分かりませんが、時代的には上の写真のようなものだったと思われます。このデッキの構造なら、不幸にも振り落とされたという可能性も十分ありえますが、果たして真相はどうだったのでしょうか。事実がどうだったのであれ、とりあえず言えるのは、司馬史観と同じで、「実際の事件を元にした小説に書いてある=事実である」と思い込まず、小説は小説として分けて楽しむべきだということでしょう。三浦さんが嘘を書いたとは言いませんが、小説自体も事故から50年以上経って書かれたものなので、資料も少なく想像で補った部分も多くあるでしょうし。

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蘭留駅

塩狩7:35発普通旭川行き322D(キハ40-1745)で蘭留へ。塩狩峠の石狩側の麓の集落にある駅で、駅名はアイヌ語の「ラン・ル(下る・道)」に由来します。簡易駅舎は昭和63年に改築されたもので、築30年以上経って汚れが目立ちます…と思ったら平成13年当時の写真でも同じくらい汚れているので、あんまり関係ないのかもしれません。構内の側線にはマルタイが留置されていました。ホーム上にはあちこちにパンジーが生えていましたが、花壇から種が飛んで野生化したのでしょうか。

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剣淵駅

蘭留8:29発普通名寄行き323D(キハ40-726+キハ40-1707)で剣淵へ。「絵本の里」として町おこしをしている上川郡剣淵町の玄関口で、昭和63年改築の駅舎はバス待合所と物産館を兼ねています。待合室内には剣淵町内の案内が貼られており、それに載っていた駅前旅館のカレーが気になりました。事前に知っていれば昼時に降りれるように予定を組んだのですが、仕方ないので次回来る時の楽しみに取っておきましょう。

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東六線駅

剣淵の市街地を抜けて踏切を渡り、畑作地帯を50分ほど歩いて東六線駅へ。昭和31年に仮乗降場として開業し、34年に昇格した駅で、停車する列車は一日に4往復しかありません。周囲に人家は何軒かあるものの、利用者は極端に少なく、来年3月ダイヤ改正での廃止が決定しています。駅の撮影を済ませ、待合室内で駅ノートを読んでいると車で男性二人が駅の撮影にやってきました。彼らは快速なよろ4号の通過を撮影すると去っていきましたが、この停車本数ではよっぽど時間に余裕がない限り車を使わざるをえないでしょうね。

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東六線を通過するH100形試運転列車

車で来た撮影者が去ってから30分ほどするとまた踏切が鳴り始めました。旭川方面からやってきたのはH100-9+H100-10の2両編成。旭川にも最近配置された新型気動車で、旭川においてはまだ営業運転に就いていないのでおそらく試運転でしょう。たまたま消えゆく駅の待合室との組み合わせを撮ることができましたが、H-100が宗谷本線で走り始めるころにこの駅は残っているのでしょうか。

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和寒

東六線11:45発普通旭川行き324D(キハ40-1707+キハ40-726)で和寒へ。カボチャの作付面積日本一を誇る上川郡和寒町の玄関口で、特急も含めた全列車が停車します。駅舎は昭和63年11月に改築されたもので、特急停車駅だけあって利用も多いのか剣淵より一回り大きめです。駅前は剣淵よりも賑やかで、特急が停車するのも頷けます。

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和寒駅旧駅舎

待合室内には「明治から令和へ・和寒駅120年の歴史」ということで、和寒駅と塩狩駅の昔の写真が掲示されていました。旧駅舎は素朴な感じの木造駅舎で、昭和10年改築の2代目だったようです。つまり現代の駅舎は3代目。

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名寄駅

和寒12:14発快速なよろ1号3321D(キハ54-527)で名寄へ。言わずと知れた宗谷本線の運行拠点駅で、当駅を境に路線の性格もぐんと変わります。列車で来たのは4年半ぶりですが、昨年9月にも廃線めぐりの途中に車で訪れました。

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名寄駅(H27-12-23)

せっかくなので前回と比較してみましょう。季節が違うので分かりづらいですが、前回は屋根が緑で壁が茶色い駅舎でした。平成30年12月にリニューアルが行われて、今のような赤屋根・白壁の駅舎になっています。また、前回訪問時には待合室に日本最北のキオスクがありましたが、そちらは平成28年12月20日に閉店してしまいました。

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日進駅 待合室

名寄市街地を抜けて名寄川を渡り、55分ほど歩いて日進駅へ。所要時間は剣淵~東六線と大差ありませんが、疲れてきたのかだいぶ長く感じられました。日進は昭和30年12月に仮乗降場として開業し、34年に昇格した駅で、同名の駅が川越線名鉄豊田線にあります。駅名の由来は、岐阜県から当地に入植した開拓者が「日進月歩」の意味を込めて付けた地名だそうで、他の同名駅とは何の関係もありません。待合室は昭和31年に建てられたもので、名寄市の旧市章が駅名の間に掲げられています。

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日進駅 ホーム

ホームは仮乗降場らしい板張り。待合室と微妙に離れているので同じ構図に収めるのは至難の業です。駅前にはゲストハウスがあり、農家なども点在しています。また、なよろ健康の森や名寄ピヤシリスキー場、陸上自衛隊名寄駐屯地などの最寄り駅でもありますが、それらの施設を利用するためにこの駅で降りる人はほとんどいないでしょう。

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特急サロベツ1号

日進14:19発普通名寄行き4326D(キハ54-502)で名寄に戻り、14:31発特急サロベツ1号稚内行き61D(キハ261-103)に乗り換え。名寄以北は普通列車が極端に少ないので、特急も駅めぐりに積極的に活用していきます。日進を通過すると車窓の自然が本気を出してきます。4年半ぶりの乗車で、季節も違うので車窓に興味は尽きません。途中の豊清水では5分間運転停車。特急サロベツ4号との交換のための措置ですが、サロベツ4号はコロナの影響で運休中なので、ただ5分間停車しただけで発車しました。停車の際は放送がありましたが、豊清水駅廃止後は「単に行き違いのため停車」とだけ放送するようになるのでしょう。

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豊富駅

2時間以上乗り続け、豊富で下車。他に5,6人が下車し、入れ違いに学生が乗車しました。列車の少ないこのエリアでは特急も通学の重要な手段なのでしょう。サロベツ原野と豊富温泉で有名な天塩郡豊富町の玄関口である豊富駅ですが、残念ながら無人駅です。駅舎は昭和41年8月に改築されたもので、旧事務室部分に喫茶店「すてーしょん」が入居しています。閉店近い時間だったため今回は利用しませんでしたが、次来る時はここで食べてみたいものです。

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オエ61 67

駅舎の脇には救援車オエ61 67が保存されています。木造客車ナハ22795(ナハ34631がルーツ)を昭和29年に日本車輛支店で鋼体化した荷物車マニ60 21の成れの果てで、電気暖房が追設されてマニ60 2021となり、昭和53年に旭川工場で救援車に改造されてオエ61 67となりました。救援車への改造後は北見機関区に配置され、昭和61年に南稚内に転属、平成2年に廃車されました。この経歴については以下の記事を参考にしました。

客車廃車体訪問記 北海道編34 最終回 | DRFC-OB デジタル青信号

道北の激しい気候の影響もあるのでしょうが、車体の傷みが激しく、今のうちに見ておいた方がいい保存車の一つでしょう。

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音威子府に到着

セイコーマートとよとみ店で夕食を調達し、豊富18:26発特急宗谷札幌行き52D(キハ261-103)で音威子府へ。時刻は19:45ですが、まだまだ薄明るいのはさすが夏至近くの北海道という感じです。

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夜の音威子府駅

音威子府も4年半ぶりの訪問。ライトアップされた駅舎も良いものですが、この時間ともなれば人の気配がほとんどなく、寂しい限りです。鉄道の通る自治体の中で最も人口の少ない村の駅ですから仕方のないことではあるのですが。

この日宿泊したのは音威子府駅前にある唯一の宿・イケレ音威子府。宗谷本線で駅めぐりをしようと思えば無くてはならないお宿です。