まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

8/2 炎天下の京成本線(津田沼~小岩)駅めぐり

前回はこちら

sakasegawa3019.hatenablog.com

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谷津駅南口

京成津田沼11:47発普通上野行き1120(3023-1)で谷津へ。大正10年に「谷津海岸」として開業、昭和11年に「谷津遊園」に改称され、戦時中に一度「谷津海岸」に戻されたものの、戦後また「谷津遊園」に戻り、昭和57年に谷津遊園が閉園すると、その2年後に現駅名に改称されました。駅舎は昭和42年改築と橋上駅舎としてはかなり初期のもので、地形の都合で北口は駅舎と駅前が同じ高さになっています。行楽地への下車駅であったことから、かつては特急・急行も停車していました。

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船橋競馬場駅

谷津11:58発普通上野行き1110(3002-8)で船橋競馬場へ。昭和2年に「花輪」として開業し、昭和6年に「京成花輪」、25年に「船橋競馬場前」、38年に「センター競馬場前」と幾度もの改称を経て、昭和62年に現在の駅名に落ち着きました。開業は谷津支線の開業に合わせてのことでしたが、支線は昭和9年に早くも廃止されています。

駅舎は、昭和49年に踏切を挟んで谷津方に約150m移転した際に橋上化されており、当初は2面2線でしたが、53年に待避設備が設けられて2面4線になりました。

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大神宮下駅

船橋競馬場前12:11発普通上野行き1222(3020-8)で大神宮下へ。船橋大神宮の通称で知られる意富比神社への参拝駅で、平成16年11月に上りホームが、18年11月に下りホームが高架化されました。カーブした相対式ホームの高架駅です。船橋市の中心部にも近く、周辺は賑やかです。

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京成船橋駅

大神宮下12:21発普通上野行き1112(3838)で京成船橋へ。船橋市の中心部に位置するJR総武本線東武野田線との乗換駅で、開かずの踏切解消のため、大神宮下と同時に高架化されました。大神宮下同様にカーブした相対式ホームの高架駅ですが、規模は段違いで、こちらはドーム状の屋根も設けられています。改札口は2階に2か所、高架下の駅ビルには所狭しと多くの飲食店などが入居しており、鳥取県の総人口を上回る64万の人口を誇る千葉県第2の都市の駅にふさわしい活況を見せています。

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海神駅

京成船橋12:43発普通上野行き1214(3828)で海神へ。上屋の短いホームがローカルムードを感じさせる小さな駅で、駅舎は下りホーム船橋方にのみあります。かつては上りホーム側にもあったとのことですが、昭和56年に跨線橋が完成すると新築された下り駅舎に統合されました。駅舎は平成24年バリアフリー化されて新しくなり、昭和56年改築の旧駅舎とは似ても似つきませんが、屋根の形を見る限り構体は旧駅舎のものを使っていそうです。昭和4年から9年までの短期間、船橋駅とを結ぶ総武鉄道海神線が乗り入れていましたが、すぐ休止になったのからも分かるように存在意義が希薄な路線だったようです。

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海神駅 駅名標

駅名標は令和元年の開業100周年に合わせて交換されたもので、海神商店街のキャラクター「トリトン君」が描かれています。トリトンギリシア神話に登場するポセイドンとアムピトリテの息子・トリトンがモチーフ。同時に接近メロディも手塚治虫のアニメ「海のトリトン」の主題歌「GO! GO! トリトン」に変更されています。

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京成西船駅

海神12:56発普通上野行き1228(3024-8)で京成西船へ。大正5年に「葛飾」として開業、昭和62年に改称されました。旧駅名は昭和12年の合併で船橋市となった旧東葛飾郡葛飾町に由来していましたが、地名の変更や葛飾区内の駅と間違えての下車が多かったことから改称に至りました。JR西船橋駅とは500mほど離れており、普段は乗換駅として案内されていませんが、JRが輸送障害で止まると、振替輸送のために優等列車が臨時停車することがあります。昭和40年代、国鉄ストライキ総武本線がストップした際には西船橋営団東西線(現東京メトロ)から国鉄に乗り換えるはずだった乗客が当駅に殺到するということがありました。そのため、昭和49年に駅舎を改築し、跨線橋を新設、構内踏切を廃止する改良工事が行われました。駅舎は令和元年にリニューアルされて綺麗になりましたが、駅前はフェンスで仕切られた駐車場があるばかりで道も分かりにくく、駅舎と比べると見劣りします。

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中山駅

京成西船13:07発普通上野行き1216(3019-8)で東中山へ。昭和10年に臨時駅の「中山競馬場」として開業し、昭和28年に常設駅化された際に現在の駅名になりました。競馬場が無くなったわけでもないのになぜ駅名が変わったのでしょうか。昭和35年都営地下鉄1号線(現:浅草線)との相互直通運転開始時は、当駅が地下鉄から乗り入れてくる列車の終点でした。しかし、実際は「東中山行き」が当駅で別の行き先の列車に化けていたため、実質的には終点ではなかったようです。昭和42年にホームの延伸と配線改良が行われ、47年に橋上化されて現在の姿になりました。橋上化から50年以上が経過して老朽化しているのもあるのでしょうが、現在耐震補強工事中で、あちこちに仮囲いが設置され、トイレも仮設のものになっています。

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京成中山駅

東中山13:23発普通上野行き1330(3031-8)で京成中山へ。関東の日蓮宗大本山中山法華経寺への参詣駅で、駅前も門前町らしい風情が漂っています。駅舎は上りホームの東中山方先端にあり、下りホームとは構内踏切で連絡しています。下りホームの先端には対になるように臨時改札口があり、初詣の際などに使用されていたようですが、最近はあまり使われた形跡がありません。

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鬼越駅

京成中山13:33発普通上野行き1218(3012-8)で鬼越へ。昭和10年に「中山鬼越」として開業、23年に改称されました。昭和9年の合併で市川市となった旧東葛飾郡中山町の町域にある唯一の駅ですが、市川市になってからの開業です。ホームはかつて相対式でしたが、昭和46年に島式に変更され、ホーム八幡寄り先端の構内踏切で駅舎と連絡するようになりました。

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京成八幡駅

鬼越13:45発普通上野行き1332(3016-8)で京成八幡へ。市川市の行政・商業の中心地である八幡(旧東葛飾郡八幡町)に所在する駅で、JR・都営の本八幡駅とは地下通路で連絡しています。開業時は「新八幡」で、鬼越との間に「八幡」駅が別に存在していましたが、昭和17年に統合されて「京成八幡」に改称されました。昭和38年には京成百貨店市川店が開業、同年にホームが相対式から島式に変更されました。百貨店は平成22年に最後まで残っていた1階部分も閉店し、跡地は再開発されて25年に京成電鉄の本社が押上から移転してきました。

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菅野駅

京成八幡13:56発普通上野行き1200(3014-8)で菅野へ。私立の学校が集まる文教地区に位置する駅で、昭和46年に橋上化され、ホームが相対式から島式に変更されました。さすがに年季を感じさせる橋上駅舎はバリアフリー化工事中で、ホームや階段に仮囲いが設置されています。駅前の一角には「菅野停留場設置記念」と刻まれた石造物がありますが、説明板などもなく草刈りもされていないので、忘れ去られたような雰囲気です。地域の歴史を伝えるものだけにぞんざいな扱いは勿体ないと思うのですが。

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市川真間駅

菅野14:08発普通上野行き1336(3018-8)で市川真間へ。大正3年に「市川新田」として開業、大正4年に中山まで延伸されるまでは終着駅でした。大正10年に現駅名に改称されています。かつては駅北側に京成直営の遊園地「東華園」や「京成電燈部事務所」、京成電軌の初代社長・本田貞次郎の邸宅がありました。

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市川ママ駅

昨年の4月27日から5月12日には母の日記念で、駅名標の表示が「市川ママ」に変更されました。駅名の読みにかけてのちょっとしたお遊びですが、イベントが実施されたのがなぜ昨年だけだったのかは不明です。昨年は開業105周年でしたが、どうせイベントをやるなら海神駅みたいに100年の節目に合わせてやるでしょうし。

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国府台駅

市川真間14:30発普通上野行き1420(3023)で国府台へ。都県境である江戸川の千葉県側にある駅で、大正3年8月に「市川鴻の台」として開業、わずか3カ月で「市川」に改称され、大正10年に「市川国府台」となり、昭和23年に「市川」を外して現駅名となりました。地名は当地に下総国国府が置かれたことに由来しており、「鴻之台」とも表記されます。駅は昭和55年の江戸川橋梁架け替えに合わせて高架化されました

この日の訪問目標は京成小岩までで、達成できる見込みがついたのでここでやってくる列車を撮りながら一旦休憩とします。一時間ほど撮影し、3500形(3544F+3545)が来るまで待ちました。

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江戸川駅

国府台15:51発普通上野行き1530(3031-8)で江戸川へ。国府台と対をなすように江戸川の西岸に位置する駅で、大正元年11月に押上から伸びてきた第一期工事線の暫定的な終着駅として開業しました。第一期工事では市川新田(現:市川真間)まで開通させる予定でしたが、江戸川橋梁の工事が遅れたため、暫定的な終着駅「伊予田」として開業し、対岸へは伝馬船で連絡していました。駅名はすぐに「市川」へと改められ、大正3年8月に江戸川橋梁が完成すると築堤上に移転して「江戸川」へ改称。昭和55年6月には江戸川橋梁の架け替えに伴ってわずかに下流側へと移転して高架化されました。

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京成小岩駅

江戸川16:03発普通上野行き1512(3838)で京成小岩へ。江戸川区葛飾区の境界付近にある駅で、JR小岩駅とは1㎞ほど離れています。元は相対式2面2線でしたが、昭和38年の橋上化の際に待避設備が新設されて島式2面4線となりました。周辺は下町らしくごちゃごちゃとしていますが、連続立体交差事業の計画もあるので、将来的には大きく姿を変える可能性もあります。

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柴又で離合する3516Fと3668F

この日の駅めぐりは京成小岩で終了し、16:15発普通上野行き1532(3016-8)で京成高砂へ。16:22発普通金町行き1673A(3661)に乗り換えて柴又へ向かい、この日金町線運用に入っていた3516Fと3668Fを撮影しました。3600形のうちこの色で残っているのはこれが最後の一本、個人的には3500形の更新顔の方が好きですが、最後の活躍を記録できるうちにしておきたいものです。

柴又17:10発普通高砂行き1772A(3668)、京成高砂17:18発普通上野行き1622(3020)、日暮里17:46発山手線内回り1714G(モハE235-117)を乗り継いで帰宅しました。