まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

9/2 一部廃止の決まった日高本線を行く その1

9月に入ってすぐ、鵡川~様似間の来春廃止が決定した日高本線の全駅と廃駅等をレンタカーで二日かけて巡ってきました。列車での訪問ではないため、昨年の札沼線同様訪問駅としてはカウントしません。

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SKY703便

高田馬場5:14発山手線内回り0400G(サハE235-4635)と品川5:52発エアポート快特羽田空港行き514T(5314-1)を乗り継いで羽田空港に向かい、6:45発新千歳行きSKY703便に搭乗。ほとんど定刻通りに新千歳に到着し、バスに乗ってレンタカー営業所へ。

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勇払駅

車を借りてまずは30分ほど走り、勇払駅へ。苫小牧を出て最初の駅ですが、13.1㎞も離れています。苫小牧港建設に伴う線路移設で移転した経緯を持つ駅で、駅舎は昭和37年の移転開業時に建てられたもの。存続区間で今も一日8.5往復の列車がやって来るはずですが、打ち捨てられたかのようにボロボロです。そんな駅に彩を添えているのが駅舎前のひまわり。「ひまわりの絆プロジェクト」ということで植えられたものだそうです。鵡川までは来春で廃止とならず当分残る見込みなので、また季節を変えて列車で訪問することになると思います。

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浜厚真駅

苫東厚真火力発電所の脇を抜けて浜厚真へ。勇払郡厚真町唯一の駅ですが、街の中心からは大きく離れた立地で、駅前に人家はまばら。苫小牧東港フェリーターミナルへの最寄り駅でもありますが、無人地帯を30分以上歩かなければならないそうです。

駅舎はヨ3500形車掌車を転用したもので、デッキが塞がれるなどの改造が行われていないため比較的貨車時代の原型を留めています。「苗穂工場 昭和54年改造」の銘板がありましたが、貨車時代の車番は確認できず。妻面に描かれた顔がかわいいですね。下沼駅のぬまひきょんみたいに何かのキャラなのでしょうか。

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浜田浦駅

続いて浜田浦へ。昭和34年に開業した駅で、利用が少ないことから一部列車は停車しないなど、まるで仮乗降場上がりのような駅です。海岸に近い原野の中の国道沿いに掘立小屋のような待合室がポツンと建っています。とはいえ、宗谷本線の仮乗降場の木造待合室と比べるとブロック造りで頑丈そうです。扉が無いし隙間だらけなので冬は寒そうですが。

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鵡川駅

平成27年1月以降、実質的な終着駅となっている鵡川へ。平成18年に鵡川町穂別町が合併して誕生した勇払郡むかわ町の玄関口で、昭和62年改築の駅舎は「むかわ交通ターミナル」との合築。大層な名前ですが単なるバス待合室があるのみで、窓口とキヨスクの跡が寂しげです。不通となっている鵡川~様似が来春廃止されると名実ともに終着駅となる予定ですが、わずか30.5㎞の短い路線の終着駅として見てもあまりにも寂しい駅だと感じます。むかわ町に鉄道を残す気があるのならまずは交通結節点に賑わいを取り戻した方が良いでしょう。

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錆びたレールと現役のレールの境界点

富内線が分岐していただけあって構内は広く、今なお2面2線の相対式ホームを備えた交換可能駅ですが、不通以降は2番線が列車の折り返しに使用されるだけに過ぎません。今も列車の発着する2番線の線路を見てみると、レールの錆びている部分と輝いてる部分の境目がはっきりと分かりました。おそらくこの境目から先が輝きを取り戻すことはないでしょう。

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折り返し発車を待つキハ40-355

時刻表を見ると、20分待てば列車が来るとのことだったので、休憩がてら待ち、10:49着2227Dを撮影。降りてきた乗客はわずか二人で、折り返し10:57発苫小牧行きも代行バス接続に関わらず五人が乗車したのみでした。発車を撮ってからいよいよ不通区間へと足を踏み入れます。

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汐見駅

不通区間最初の駅は汐見。昭和34年に浜田浦と共に開設された駅ですが、待合室はこちらの方がしっかりとした造りです。待合室内にはなぜか立派なソファが置かれていて民家のような雰囲気。落ち着く・・・と言いたいところですが、蛾の糞が気になってとても長居しようという気持ちにはなりませんでした。ホームは人が立ち入らなくなってから自然が露骨に侵攻してきており、廃止されたらあっという間に自然に還ってしまいそう。ダンプカーが時折行き交うので駅前は埃っぽいです。駅前の踏切は遮断機と警報機が撤去されて哀れな姿に。標識も撤去されていたので、もう一旦停止義務もないのでしょうか。

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富川駅

続いて富川へ。汐見との間にフイハップ浜駅跡があるのを失念して飛ばしてしまったので帰りに寄ることにしましょう。富川は独立した自治体でこそないものの、マックスバリュもある比較的大きな町で、駅周辺にもそれなりに人家があります。平成元年12月改築の駅舎はログハウス風のしっかりとしたものですが、がらんとして寂しげです。昭和19年までの駅名は「佐瑠太(さるふと)」で、昭和26年までは内陸部の平取とを結ぶ沙流鉄道という軽便鉄道が分岐していました。

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日高門別駅

日高町の中心・日高門別へ。平成18年に門別町日高町が合併して誕生した沙流郡日高町の玄関口で、平成22年の簡易委託解除まではキオスクも営業していました。展示スペースも空になってがらんとした待合室が寂しい雰囲気。旧門別町時代からの町の玄関口で、廃止後もバス待合室として残りそうな気はしますが、かつての賑わいが戻ることはないでしょうね。日高本線不通区間の存廃協議の際、台風での被災が軽微だった日高門別までは地元自治体の負担で復旧させるという案が出たそうですが、結局見送られています。日高門別鵡川以来の交換可能駅で、折り返し設備さえ工事すれば終着駅に出来たでしょうが、やはり費用の割に中途半端すぎたのが部分復旧とならなかった理由でしょうね。

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豊郷駅

続いて豊郷へ。駅に着くと駅舎の真正面に清掃トラックが停車中。当分退きそうな気配もなく、よりにもよってそこに停めんでも・・・と思いますが、向こうにもここで待機しなければならない理由があるのでしょうし、諦めて帰りにまた撮ることにしましょう。海のすぐ近くにある駅ですが、草が繁っているためホームから海はイマイチ見えません。

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清畠駅

次の清畠は豊郷と双子駅と言っていいほど瓜二つ。「昭52年10月13日」の建物財産標が付いているのも同じです。わずかな違いは駅舎内のベンチの配置と便所の閉鎖の有無でしょう。駅前の雰囲気なんかは、豊郷が砂利だったのに対して清畠は立派な舗装ロータリー完備と随分違いますが。

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清畠駅ホームから静内方を望む

海は清畠駅の方がよく見えます。海から吹き付ける風が強いため丈の高い草木が生えず荒涼とした雰囲気、そして左に緩くカーブしていく線路。どこかで見た光景だなと思いました。

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五能線大戸瀬駅ホームから深浦方

既視感の正体は半年前に訪問した五能線大戸瀬駅と似ていたから。廃ホームがあるという違いはありますが、背景の海岸線と言いそっくりです。太平洋と日本海という違いはありますが、どちらも荒々しい海の近くを走る北国の路線です。

 

清畠までは順番に一駅ずつ巡ってきましたが、行程の都合上、一時間以上走って一気に南下します。

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浦河駅

途中、セイコーマートによって弁当を買ってから浦河へ。日高振興局の所在地、いわば日高の行政上の中心である浦河郡浦河町の玄関口です。日高本線には2つしかない社員配置駅のうち一つで、みどりの窓口も設置されていますが、その営業時間は水・土曜と第2・第4月曜の12時から16時20分と極めて短いため、行程はこの駅の訪問を中心に組み立てました。駅舎は古くからのものですが、縮小されているのでとても振興局所在駅には見えません。列車が来ないのでお客さんもほとんど来ないはずですし、駅員さんはさぞかし退屈なのではないでしょうか。

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浦河駅

ホームは1面1線ですが、構内は広く、かつての栄華を感じさせます。代行バスのバス停は駅裏の国道上にありますが、役場もある駅裏は昭和50年代に埋め立てられたもので、かつては海でした。埋め立てによって町の中心が海側に移っても頑なに山側に残り続けた駅はすっかり忘れ去られたような雰囲気です。

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駅裏から見た浦河駅

駅裏の国道から駅の方を見ると、防波堤のようなものがあるのが分かります。これこそ駅裏が海だったことを今に伝える存在ですが、気に留める人はほとんどいないようです。駅前は道路とわずかな建物を挟んで間近まで山が迫っています。お世辞にも大きな町とは言えない浦河ですが、江戸時代からの歴史を持ち、振興局までありながら静内ほど栄えていないのはやはり土地の狭さに起因するのではないでしょうか。

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東町駅

観光協会によって北の大地の入場券を購入してから東町へ。浦河市街の東の外れにある東町は、昭和52年に仮乗降場として開業した、日高本線で最も新しい駅(臨時駅除く)です。浦河高校や浦河赤十字病院の最寄り駅ですが、入り組んだ路地の奥にひっそりと存在しています。

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東町駅 崩壊したホーム

比較的新しい駅なので、老朽化とは無縁かと思いきや、ホームは盛大に崩壊しています。仮乗降場だったので恒久的な設備として建設したわけじゃないという事情もあるのかもしれませんが、不通になって手入れされなくなったというのがやはり大きいのかもしれません。海の近くなのでホームを支える鉄骨が腐食したというのが直接的な理由だと思われますが、やはり手入れの有無というのは大きいのでしょう。

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砂で埋まった線路

様似方では線路が思いっきり砂で埋まっています。立地的に風や波で流入したものもありそうですが、明らかにここだけ砂が多いので、人為的なものかもしれません。ステップや自転車も置かれているので、地元の漁師さんの通路になっているのでしょう。廃止より一足先に廃駅のようになっている東町駅でした。

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日高幌別駅

浦河町東部・西幌別の集落にある日高幌別駅簡易郵便局・レストランとの合築駅舎。どちらも営業を終了していたため鍵が掛かっており、中には入れませんでした。列車が走っていた頃ならともかく今となってはわざわざ開けておく必要もないのでしょう。今度来る時は是非ここのレストランで食べてみたいものです。

駅舎とホームの位置関係はなんとなく三江線粕淵駅を思い出させました。

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鵜苫の木造建築

次の鵜苫駅の手前で年季の入った木造建築を撮影。山三天野商店という看板が掛かっていますが、空き家かもしれません。隣には国鉄コンテナもありました。

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鵜苫駅

様似町に入って最初の駅・鵜苫は有蓋緩急車の中央部に引き戸を設置した貨車駅舎。様似中学校美術部によって海の生き物たちのかわいらしいイラストが描かれていますが、海から近い過酷な環境ゆえにボロボロで、かなりかわいそうな状況です。建物財産標の日付は「昭和62年3月16日」。錆びやすい鋼鉄製の貨車駅舎がよく33年も潮風に耐えたものだと思います。残っているデッキ部分はあまりに腐食が激しく危険と判断されたのか立入禁止になっていました。さすがにここまでボロボロだと廃止後の転用は無理でしょうね

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西様似駅

次の西様似も貨車駅舎。鵜苫と違って内陸部にあるため、そこまで傷んではいません。こちらも様似中学校美術部によって空をテーマにしたイラストが描かれています。大改造された鵜苫と違い車掌車時代の原型を留めているので、形状としては浜厚真に近いですね。「昭和29年 日本車輛東京」と「昭和5?年改造 苗穂工場」の銘板が残っていました。多分53年か55年だと思いますが、気になる方は是非ご自身でチェックしに行ってください。駅前には貯木場があり、かつては日高本線を使って木材の搬出が行われていたのでしょう。かつては三井軌道という森林鉄道もあったそうで、海の近くというイメージが強い日高本線には珍しく「森」が感じられる駅です。

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様似駅

16:10 終着駅・様似に到着。様似郡様似町の玄関口で、昭和52年改築の駅舎には観光案内所が入居しています。JRバスに簡易委託された窓口もあり、人口4千人の町の玄関口として見ると立派なものですが、全長146.5㎞もの「本線」の終着駅として見ると小さいなと思わざるを得ません。駅前からは広尾とを結ぶJRバス日勝線が出ています。列車の来ていた頃は列車とバスの結節点としての役目があったのでしょうが、今となっては単なる町の中心部のバス乗り場といった感じです。窓口で常備券を購入しました。

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様似駅 終点の車止め

せっかく終着駅まで来たのだからと、車止めも撮影。線路はホームの端から70mほど伸びたところで途切れていて、その先には駐在所が建っています。起点・苫小牧から146.5㎞、列車にひたすら揺られて来たなら感動もひとしおだったことでしょう。

 

予定ではこの後、静内のホテルまで直行し、翌朝絵笛から始める予定でしたが、日没までにあと何駅か回ることにしました。

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絵笛駅

車を30分ほど走らせ、絵笛へ。駅への細い道の入口でカーナビの案内が終了されたので戸惑いました。欄干のない細い橋を渡り、牧場の中の道を進むと突き当りが駅でした。おそらく線内で最も車でアクセスしにくい駅でしょう。目の前の牧場の専用駅と言った佇まいです。ブロック造りの待合室には久しく人が訪れて以内らしく入口に蜘蛛の巣が張られていました。ノートへの記入も一苦労です。

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荻伏駅

次の荻伏は、昭和31年に浦河町編入された旧荻伏村の玄関口で、この規模の駅には珍しく駅前旅館があります。荻伏の市街地自体は元は独立した自治体だけあって規模の大きなものですが、役場の支所などがある中心部は駅から少し離れた元浦川河口付近で、駅はどちらかというと町外れのような立地です。

駅舎は鵜苫と同じく有蓋緩急車ワフ29500を改造したもの。貨車駅舎には珍しく内部に窓口跡があります。簡易委託は平成23年5月まで行われていました。放置されてる印象の強かった線内の他の駅と比べると待合室は綺麗で、おそらく地元の方が清掃されているのでしょう。

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荻伏漁協直売所

行こうと思えばあと一駅くらい行けそうですが、往路で見て気になっていた荻伏漁協の建物を撮りたかったので、この日は荻伏で終了。荻伏には旧役場と赤心社記念館という洋風建築もあるそうですが、存在を知ったのは帰宅して色々調べてからだったので、また就活が終わったら撮りに行かねばなりません。

東静内のセイコーマートで夕食を調達する頃には日も暮れ、宿泊先の静内シティホテルに着くころにはすっかり真っ暗でした。