まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅めぐり旅~

駅めぐりの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

9/3 一部廃止の決まった日高本線を行く その2

日高本線ドライブ、二日目は本桐駅からスタート。

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本桐駅

日高本線では数少ない木造駅舎が残る駅で、島式1面2線の交換可能駅です。日高本線はその路線長の割に交換可能駅が少なく、静内~様似の64.4㎞に交換可能駅は本桐だけという有様です。本桐の駅舎はおそらく昭和10年開業時に建てられたものですが、無人化後に縮小されています。線内の他の駅と同様、列車が来なくなって忘れ去られているのか室内はお世辞にも綺麗とは言えませんでした。

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蓬栄駅

続く蓬栄は、いかにも北海道らしい山間の牧草地の中にある簡素な駅。待合室は後から建て直されたものだと思われますが、入口に扉のない吹きっさらしで、蜘蛛の巣だらけだったのでノートへの記入は諦めました。日高三石方に、住民と戦って負けた怪物が石になったという伝説を持つ蓬莱岩が聳え立っています。地名は蓬莱岩の「蓬」に繁栄を願い「栄」を組み合わせたものだそう。

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蓬莱岩

蓬莱岩の手前に駐車スペースがあったので車を停めて写真を撮ってみましたが、これは近くよりちょっと離れて見た方が良いタイプの奇岩ですね。近くまで行くと岩というより「壁」なので

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日高三石駅

次の日高三石は、平成18年に静内郡静内町と合併して日高郡新ひだか町となった旧三石郡三石町の玄関口。平成5年改築の合築駅舎「ふれあいサテライトみついし」は自動ドア完備の立派なもので、どちらかというと駅舎というより道の駅のような外観をしています。改築前は貨車2両を使った貨車駅舎だったとのことですが、ネット上を探しても写真が見つからないので、果たしてどのような駅舎だったのかは不明です。さすがに国会図書館に行けば写真を発見できるでしょうか。

北海道ではどういうわけか、対向ホームが切り崩されて痕跡のない駅が多いのですが、この駅に関してはホーム対岸の草藪の中にはかつての対向ホームが残っています。

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日高東別駅

三石の漁港などを見てから日高東別へ。ここから旧静内町域に入ります。内陸部の牧草地の中にある駅で、形状こそ違うものの蓬栄と同時期に建てられたと思われるブロック造りの待合室があります。扉が無く、やけに開放的ですが、冬の北海道にこれで果たして大丈夫なのでしょうか。日高は雪が少ないとは聞きますが、風は結構強いはずです。

駅前には動くものの気配などを察知して犬の吠える声が流れる謎のテープがありましたが、風が強く吹くだけで鳴っていたので、おそらく列車の来ていた頃は列車が来るたびに鳴っていたんじゃないでしょうか。

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春立駅

春立は再び海の近くの駅。カーナビには駅裏の小学校跡に案内されました。駅舎は平成12年に改築されたもので、それ以前は車掌車転用の貨車駅舎でした。改築後、旧駅舎は国道沿いの資材置き場に置かれていたとのことですが、ずっと国道沿いを走って来て発見できていないので、現存しないのかもしれません。

貨車駅舎に代わって建設された現駅舎ですが、波の音が聞こえるくらい海の近くということもあって少し傷んできています。見ての通り窓ガラスも一か所割られており、隣のトイレの外壁はボロボロ。潮風でべとべとする手を洗いたかったのですが、ボタンを押しても水は出ず、設備の方も故障しているのかもしれません。床でデカいトンボが死んでいたので用を足そうという気にはなれませんでしたが。

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東静内駅

次の東静内も平成6年2月に改築されるまで貨車駅舎でした。他の路線ではしぶとく残っている貨車駅舎が、日高本線では早期に改築されてしまったのはやはり潮風による劣化が激しいからでしょうか。トイレは春立より綺麗でしたが、待合室は虫の死骸と蜘蛛の巣だらけでした。正面から見るとトイレのスペース(左手)の方が待合室(右手)より若干広いのが分かります。「東静内」という駅名だけ聞くと静内のすぐそばのようですが、静内との駅間距離は8.8㎞。地図で見ると完全に別の街といった印象を受けます。

東静内(捫別)には陸上自衛隊の静内駐屯地・対空射撃場があります。

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静内海水浴場駅跡

東静内と静内の中間地点には、平成3年と4年の夏季の土日のみ営業していた静内海水浴場という臨時駅がありました。ホームはなく、列車の発着の度に列車の扉にタラップを取り付けて乗降していたそうですが、当時の写真がほとんど残っていないので詳細はよく分かっていません。営業したのは平成3年7/20~8/18と平成4年7/19~8/23の土日のみで、通算してわずか24日間でした。まさに幻の駅と言えるでしょう。当然痕跡は全くと言っていいほど残っておらず、海水浴場も営業を辞めてからかなり経つようです。

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静内駅

次の静内駅日高本線の途中駅としては最大の駅で、みどりの窓口のある社員配置駅です。日高地方最大の町である日高郡新ひだか町の玄関口で、町とは言っても人口は2万2千と紋別市留萌市富良野市深川市などよりも多いです。そのため、駅も振興局所在地である浦河とは比べ物にならないくらい大きく、駅舎にはバスターミナル・観光案内所が併設されています。列車が来なくなって忘れ去られたような他の駅とは違い、バスを待つ乗客で賑わっていました。札幌へは高速バス「ペガサス号」で2時間40分、日高本線の廃止後も駅自体は町の玄関口・交通結節点として変わらず残り続けそうです。

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静内駅 ホーム

ホームは相対式2面2線。入場券を買って撮影します。レールこそ錆び、雑草も生えていますが、他の駅と比べるとそこまで酷いことになっていないのはやはり有人駅だからでしょう。とは言っても2番ホームの上屋が飛んでしまっています。廃止後はふるさと銀河線の合築駅みたいにモニュメントとして一部が残りそうな気がします。

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ハンバーグ定食

ちょうどお昼時なので、駅前の新ひだか町グルメあさひさんの「ハンバーグ定食」で昼食。地方主要駅の駅前食堂にふらっと入ってみると地元の人しか知らないグルメに出会えたりするのでいいものです。ハンバーグはボリュームたっぷりで、安倍総理の表現を借りるなら「ジューシー」でした。

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オハフ46-505

次の新冠駅へ向かう前に道の駅サラブレッドロード新冠に立ち寄り、北の大地の入場券を購入。道の駅のすぐそばにはダルマ状態の旧型客車が放置されています。平成24年ごろまでライダーハウスとして使われていたもので、室内を覗いてみるとカーペットに苔が生えるなど自然に還りかけている様子でした。

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新冠駅

道の駅のほど近くにある新冠駅は、大正15年に日高拓殖鉄道の高江駅として開業、町名に合わせて昭和23年に改称されました。駅舎は平成11年に苫小牧寄りに移転して改築されたもので、ホームもまだまだ新しいです。どうせ移転するなら道の駅に併設すればよかったのではないかと思いますが。

余談ですが、例の病気のことを中国語で表記すると「新冠肺炎」になるそうで、新冠町の方からすれば迷惑極まりないだろう表記だと思います。最もニュースを見る限り新冠町では感染者は出ていないそうなので、旅行者側が地元の方と濃厚接触しないよう気を付ける限りは問題ないでしょう。

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節婦駅

節婦駅の背後では日高自動車道の建設が進んでいます。最終的には浦河まで通じる予定で、大正時代から戦前にかけて建設された規格の低い日高本線では復旧したところで太刀打ちできないだろうなと思います。

節婦も元は車掌車転用の貨車駅舎で、平成22年3月に改築されています。まだまだ新しい駅舎ですが、鉄道の駅として使用されたのはわずか5年、代行バスの駅としても5年しか使われませんでした。果たして廃止後もバス待合室として使われるのでしょうか。

駅裏には真新しい住宅群が立ち並んでおり、勝手踏切がそこへの通路として整備されていましたが、鉄道廃止後は晴れて合法的な通路になるのでしょうね。

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宙づりになった線路

節婦から苫小牧方面へ、線路はしばらく海に寄り添って走ります。平成27年1月8日の高波で被害を受けたのもこの区間でした。大狩部駅の少し節婦寄りでは路盤が流出して線路が宙づりになっています。写真で見ても分かる通り、海は目と鼻の先です。

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大狩部駅

大狩部は海を間近に見ることのできる駅として知られています。待合室は海から吹き付ける強い風にも耐えられるよう頑丈なブロック造りで、扉や窓はありません。この日は特に風が強かったので、待合室内に居ても潮風を受けるほどでした。駅ノートはボロボロで、おそらく日本で一番過酷な環境にあるノートだろうと思われます。「海に近い駅」というのは全国に数多くあるわけですが、個人的には大狩部が一番海に近い駅だと思います。海芝浦は海という運河だという認識なので。最も、その海の近さが日高本線の息の根を止めることになったわけで、景色の美しい路線というのは維持のむずかしさとの表裏一体だと感じます。

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波が防波堤にあたって激しく砕ける

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捻じ曲げられた線路

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まさに波打ち際

大狩部駅の先で、線路はさらに酷いことになっています。線路が傾いていようが、枕木が付いている部分はまだマシな方で、場所によっては原型を留めないほどに線路が捻じ曲げられてしまっています。線路の通っている場所はまさに波打ち際で、波が防波堤に打ちつけて砕けると水しぶきが高く上がり、線路の方まで飛んできます。正直写真を撮っていて命の危険を感じるほどでした。ここに鉄道が建設されたのは大正時代、百年近く前のことで、今ほど技術の発達していない時代ですから、かなり工事での犠牲も出たのではないでしょうか。改めてみると、よくまあこんな波を被りそうな場所に線路を敷いて維持してきたものだと思います。この環境では復旧したところでいつまた流されるか分かりませんし、存続と言うことなら新線建設に近いくらいの改良工事が必要なわけで、JRにも自治体にもお金がない以上復旧を断念するのは仕方ないと思えます。他にも維持困難路線を抱えているJRにここを自腹で復旧しろというのは、鬼だと思いますし、高速道路が開通して道路状況が改善されれば重要性の下がる誰も乗らない鉄道の復旧にお金を出したくないという地元自治体の言い分も理解できます。鉄道を維持するにはやはり環境が過酷すぎたのでしょうね。

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厚賀駅

被災箇所を見た後は厚賀へ。まずは潮風でべとべとになった顔を駅前のトイレの洗面台で洗ってから駅を撮影。あのべとべとが苦手なので、海辺には一生住めないだろうなと思います。駅舎は平成元年に改築されたログハウス風で、簡易委託の窓口跡にはシャッターが下りています。駅前にはハイヤーや旅館があるなどちょっとした町の雰囲気。地名は「別村」と「張村」の中間にあったことから付けられた合成地名です。

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コマチップ踏切

厚賀駅の清畠寄りには平成28年3月に設置されたコマチップ踏切があります。設置されたのは日高本線が不通になってからなので、遮断機・警報機は取り付けられていません。一度も列車が通ることのないまま踏切としての役目を終えるわけですが、部品などは他に転用されるのでしょうか。このまま廃棄ではあまりに勿体ないと思います。

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第一賀張跨線橋より

駐車スペースに車を停め、厚賀~清畠の第一賀張跨線橋より線路を撮影。列車が走っていたならさぞかし写真映えしそうな海をバックに走る区間です。

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清畠駅付近の路盤流出箇所

清畠~厚賀間の海沿いを走る区間でも路盤の流出が見られますが、正直路盤よりも雑草の侵食具合の方に目が行きます。路盤の流出具合も大狩部の派手な現場を見た後だと大したことないように思えてしまいますが、ここも復旧するならかなりの費用を要していたはずです。

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慶能舞川橋梁

豊郷~清畠間の慶能舞川橋梁は、不通翌年の平成28年8月の台風によって流失しました。一部を除き、残っているのは土台だけで、上に架かっていたガーター部分は残骸となって放置されています。不通期間中にさらに被災箇所が増える辺り、日高の海は鉄道にとって過酷です。

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豊郷~清畠間

豊郷~清畠間でも路盤の流出が発生しましたが、こちらの被害は大狩部以上だったようで、もはや地形が変わってどこに線路があったのかすら分かりません。路盤を流出させたままだと海が濁って漁業にも影響が出ることから護岸の応急処置をしたようで、土嚢が積まれています。

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豊郷駅

前日、トラックが停まっていて撮れなかった豊郷駅を再撮影。強調するほど古い建物ではありませんが、それでも築44年で、海の近くで劣化しているでしょうから転用されることは無さそうな気がします。

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フイハップ浜駅跡

続いて、これまた行きに見損ねた汐見~富川間のフイハップ浜駅跡へ。平成元年から5年までの夏から秋、年に数回の大潮の際に行われる潮干狩り大会のために営業していた臨時駅で、詳細は不明ですが、営業形態から見て静内海水浴場同様のタラップ駅だったと思われます。舗装道路が尽きるどん詰まりのような立地で、キャンプ場の廃墟があるだけの寂しい所です。かつての駅前だったと思われる場所は防災林建設工事のための現場事務所になっていました。線路へは草が繁っていて近付けず、マダニなどのリスクを冒してまで藪漕ぎする勇気も無かったので、近くの盛り土をよじ登って高い所から撮影。現役当時の写真も残っていないので、どの辺にあったのか確認のしようもありません。

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汐見のトーチカ

続いて汐見のチンタ浜踏切近くのトーチカへ。戦時中に、敵の本土上陸に備えて旧日本軍が建設したものだそうで、農地内にあるので有刺鉄線越しでの見学となります。貴重な戦争遺産なので説明板くらいあってもよさそうなものですが。後で調べて知ったのですが、近くに別のトーチカも残っているそうです。

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ワラ2605

その近く、もっと国道寄りにはこんな貨車の廃車体も。行きに見かけて気になっていたのですが、車を停める場所を見つけられずスルーしていました。番号はだいぶ薄れていますがワラ2605と読めます。おそらく汽車会社で製造されたワラ1形有蓋貨車でしょう。この手の有蓋貨車はなんだかんだ見かけることが多いですが、とっさに車を停めれないとスルーしてしまいがちです。

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勇払郡厚真町役場

新千歳空港へ向かう道中、厚真町を経由するので厚真町役場を撮影。昭和28年に建設された現役の庁舎としてはかなり古いもので、新庁舎建設の話はかなり前から出ていますが、今のところ本格化はしていないようです。平成30年9月6日の胆振東部地震で庁舎自体に目立った被害はなかったようですが、今のうちに撮っておいた方がいい建物の一つでしょう。

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美々信号場

車の返却時間まで少し余裕があったので、最後に美々信号場に立ち寄りました。平成29年3月4日に廃止され、信号場となった駅で、現役の頃は新千歳空港至近の秘境駅として知られていました。建物財産標によれば駅舎は昭和56年1月24日改築、道央エリアでよく目にするデザインの簡易駅舎です。

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美々駅構内

信号場化された駅の常として、ホーム・跨線橋などは綺麗さっぱり撤去されています。障害物は少ないので、千歳線の列車を狙える撮影スポットとしても使えそうです。

この後、営業所で車を返却。二日間での走行距離は400.3㎞でした。

 

19:10発羽田行きSKY726便で帰途へ。定刻より早く羽田に到着し、21:08発エアポート急行青砥行き2143T(5314-8)と品川21:36発山手線外回り2035G(モハE235-45)を乗り継いで帰宅しました。