まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅めぐり旅~

駅めぐりの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

11/30 晩秋の山陽本線・山口線駅めぐり

自由周遊きっぷ(山口エリア)での駅めぐり、一日目は山陽本線山口線の駅を巡っていきます。

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福川駅

下関を5:36発普通岩国行き3312M(クハ115-3119)で出発、2時間乗り続けて福川で下車。工業都市である周南市にある駅で、駅名は明治31年の駅開業時の所在地であった都濃郡福川村に由来します。福川村は明治45年に町制施行して福川町となり、昭和19年の合併で一旦徳山市となったものの、昭和24年に分立して再び福川町となりました。昭和28年に富田町と合併して南陽町が成立、昭和45年に市制施行して新南陽市、平成15年の合併で周南市になり今に至ります。

駅舎はいつ頃のものか不明ですが、無人駅にしてはかなり大柄で、かつての栄華を感じさせてくれます。10月に車で来た時はちょうど逆光でした。駅舎の背後に聳える煙突が工業都市を感じさせます。

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福川駅 ホーム待合所

2番ホーム上の待合所もかなり立派なものです。都市の玄関口でもないのにこの規模の待合所がある辺りはさすが日本の大動脈・山陽本線といった感じですが、老朽化具合や無人駅であることを考えるといつ撤去されてもなんら不思議ではありません。

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通津駅

福川7:52発普通岩国行き3314M(クハ115-3106)で通津へ。昭和30年に岩国市に編入された旧玖珂郡通津村の駅で、この規模の駅には珍しく業務委託の窓口があります。駅舎は昭和9年8月開業時に建てられたものですが、事務室部分が減築されています。ここも10月に来たばかりですが、その時は窓口が開いていなかったので再訪しました。既に来た駅ではあるものの、やはり車で駅前に乗りつけるのと列車から降りて改札を通るのとでは「駅に来た」という感覚が段違いです。やはり駅は列車で来てこその駅なのだなと改めて思わされます。

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藤生駅

通津9:36発普通岩国行き3316M(クハ115-3120)で藤生へ。昭和15年の岩国市成立まで存在した旧玖珂郡灘村の駅で、安芸灘に面した市街地の中に立地しています。

駅舎は昭和53年3月に改築されたもので、中国地方ではよく見かけるデザインです。山口県内では近年駅の無人化が進められていますが、この駅もご多分に漏れず今年10月1日より無人駅となっています。通津よりも駅舎は立派なのになぜ?と思いますが、駅舎が立派なだけで、利用者数は通津よりも若干少ないようです。

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岩田駅

藤生10:03発普通下関(実際は新山口)行き3323M(クハ115-3020)で岩田へ。平成16年に光市と合併した旧熊毛郡大和町の駅で、昭和18年大和町成立までは岩田村に所在していました。大和町は初代内閣総理大臣伊藤博文の出身地として知られていますが、伊藤の生前には大和町はまだ存在せず、正しくは束荷村が出身地に当たります。

駅舎は昭和12年3月に改築されたもので、軒の造りや入口周りのタイル仕上げ、車寄せの柱などに個性が光ります。小さな村の駅に過ぎなかったのにこんな凝った駅舎が建てられたのは偉人の出身地への玄関口だったからなのでしょうか。ここも10月に来たばかりですが、良い駅舎は何度見ても良いものです。建て替えられることなく末永く残ってほしいものですが。

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田布施駅

岩田11:04発普通岩国行き3324M(クハ115-3121)で田布施へ。共に内閣総理大臣を務めた岸信介佐藤栄作兄弟の出身地である熊毛郡田布施町の玄関口です。大物の出身地が近接している辺りに山口県の人材の豊富さを感じます。

駅舎は昭和34年6月に改築された国鉄モダニズム駅舎で、待合室は開放的な造り。木造駅舎と違って注目されることは少ないですが、この手の駅舎も近年は数を減らしているので、あるうちに見ておくに越したことはないでしょう。一部2階建てで、よく見ると煙突があるのが分かります。

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歴史を感じさせる案内表示

3番線へと続く跨線橋も古いもので、上り口には「広島・大阪方面の方はこの橋をお渡りください」という案内が掲げられています。大阪方面への直通列車があった時代も今は昔、広島まで直通する列車も今では朝に一本あるのみです。果たしていつ頃の案内なのでしょうか。

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新山口駅 改札

田布施11:23発普通下関行き3325M(クハ115-3005)で新山口へ。下関行きとはなっていますが、この日は線路設備改良工事のため、新山口~厚東間において9時台~16時台の列車がバス代行となっていたため、実質的には新山口止まりでした。

新山口山陽新幹線も停まる大きな駅で、実質的に山口市の玄関口となっていますが、平成15年10月まで「小郡」を名乗っており、平成17年に山口市に合併された旧吉敷郡小郡町の駅でした。在来線改札については未だに自動改札機すらありませんが、いずれはICOCA導入と同時に設置されたりするのでしょうか。

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特急スーパーおき4号

新山口からは13:01発特急スーパーおき4号鳥取行き3004D(キハ187-1007+キハ187-7)に乗車。山口版の自由周遊きっぷでは特急列車の自由席にも乗車できます。この列車は5時間以上かけて鳥取まで走るロングラン列車、いつか乗り通しにも挑戦してみたいものです。新山口では残念ながら駅弁は買えなかったので、代わりにセブンイレブンの弁当を買って乗り込みました。

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三谷駅

40分乗って、三谷で下車。「なぜここが特急停車駅?」と思ってしまうような農村にある駅で、平成22年に山口市編入された旧阿武郡阿東町の生雲東分地区にあります。大正7年4月の開業から徳佐延伸までの約6カ月の間は終着駅でした。かつては木造駅舎があったものの、平成13年5月16日に火災で焼失。地元は駅舎の再建を要望したもののJRが採算性を理由に拒否したため、地元負担でプレハブ駅舎が設置されました。プレハブに代わって平成22年に建てられたのが現在のログハウス風の駅舎です。地元の駅に対する愛が感じられるエピソードですが、特急停車駅なのだから小さくてもJRが駅舎を建てるくらいすればいいのにと思わなくもありません。20年前なら今ほど追い詰められた状況ではなかったでしょうし。

ひときわ目立つ駅舎前の大木は旧駅舎時代からのもので、火災を生き延びてずっと駅を見守り続けています。

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ホームに残る小郡方面の文字

ホームは島式1面2線で上屋も無くこれまた特急停車駅にしては随分とシンプルです。よく見ると「小郡方面」の文字が残っていました。改称で小郡の駅名が消えてから17年、消えた駅名を今に伝える貴重な存在です。

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山口駅

三谷14:01発特急スーパーおき3号新山口行き3003D(キハ187-6+キハ187-1006)で山口へ。県庁所在地・山口市の玄関口ですが、構内は2面3線と小規模です。駅舎は昭和53年3月に改築された2階建てのもので、ガラスを多用したデザインは当時さぞかし近代的に見えたことでしょう。色合いなどが何となく図書館を思わせる見た目ですが、昔は2階に美術館が入っていたようです。

県庁所在駅として見るとショボいですが、実質的な玄関口は新山口駅なので仕方ない面はあるでしょう。

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宮野駅

山口14:45発普通宮野行き2547D(キハ40-2072)で宮野へ。山口市街の北東の外れにある駅で、折り返し列車が何本か設定されています。昭和16年山口市編入された旧吉敷郡宮野村に所在し、「宮野」の名は仁壁神社の神域だったことに由来します。もっとも仁壁神社は長治元(1104)年に宮野下村から現在地に移転しています。

駅舎は大正6年7月開業時のもので、平成13年4月に改装されて「地域交流ステーション宮野」となっています。全体的に雰囲気のよい駅舎ですが、駅名表示が撤去されてしまっているのでよっぽど近づかないと駅名が判別しにくいのが玉に瑕です。

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上山口駅

宮野15:19発普通山口行き2548D(キハ40-2072)で上山口へ。住宅街の中にあるホームだけの駅で、昭和28年3月に日赤前仮乗降場として開業、翌月の駅昇格時に改称されました。仮駅名から分かるように山口赤十字病院の最寄り駅です。

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鍋倉駅

上山口15:44発普通益田行き2549D(キハ40-2072)で鍋倉へ。旧阿東町の農村にあるホームだけの小さな駅ですが、SLやまぐち号が停車します。開業は昭和38年10月で、待合室は地元の寄付によっておそらく昭和53年に建てられたもの。待合室内には待合室設置にあたって寄付した人たちの名前が掲げられています。

列車を待つうちに夕暮れを迎えてだいぶ冷え込んできました。

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仁保駅

鍋倉17:17発普通新山口行き2552D(キハ47-1035+キハ47-40)で仁保へ。途中の地福で下校の中学生たちが乗り込んできて車内が少し賑やかになりましたが、列車は人家も稀な晩秋の闇の中を進んでいきます。

予定では篠目で下車する予定でしたが、この暗さでは駅舎も満足に見れないだろうと思い、仁保で下車することにしました。山口盆地と阿東町を隔てる仁保地峠の頂上付近の山中にある駅で、周囲に人家は乏しいですが、駅前には送り迎えの車が何台か停まっていました。カーブした島式ホームは跨線橋で駅前と結ばれています。

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益田駅

仁保18:09発普通益田行き2555D(キハ47-101+キハ47-2503)で益田へ。この日は益田駅前の駅前ビジネスホテルに宿泊。駅から徒歩30秒、山陰本線で駅めぐりをするにしても山口線で駅めぐりをするにしても便利なのでここは定宿になりそうです。