まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

12/8 庁舎と駅を求めて九州山地をドライブ

12/8~10は宮崎へ。今回は鉄道では行けないようなところを中心に回るのでレンタカーでのドライブです。

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ソラシドエア 6J 53便

高田馬場6:08発山手線内回り0506G(モハE235-143)と品川6:33発エアポート急行羽田空港行き630H(1065)を乗り継いで羽田空港へ。7:40発ソラシドエア 6J 53便に搭乗し、ほぼ定刻通り宮崎空港に着陸。送迎バスでレンタカー会社の営業所へ向かい、借りて早速スタートです。

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西都市役所

一時間ほど車を走らせてまずは西都市役所へ。道中、宮崎市の中心部を通りましたが遭遇するバスが尽く古い車種だったので驚きました。いずれバスも撮りに来なければいけませんね。

西都原古墳で有名な西都市はかつて国鉄妻線で宮崎と結ばれていましたが、今は鉄道が通っていません。昭和30年4月に妻町と上穂北村が合併して児湯郡西都町が誕生し、昭和33年4月に三納村・都於郡村と合併、同年11月に市制施行して現在に至ります。

現在の本庁舎は昭和39年に建てられたもので、老朽化していることから、隣接地に新庁舎を建設中です。「西都」という市名、どこにあるのか分かりにくい市名ですが個人的にはかっこいいので好きです。

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日向市東郷町地域自治センター(旧東臼杵郡東郷町役場)

また一時間ほど走り、日向市東郷町地域自治センターへ。平成18年2月に日向市に編入された旧東郷町の役場で、山陰尋常高等小学校跡に建てられています。昭和35年に建てられた、ブロックを多用した味のあるモダニズム建築です。

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飯干峠

次の目的地は険しい山を越えた五ヶ瀬町役場。国道327号で美郷町を通過して諸塚村に入り、中心部を過ぎたところで分岐して国道503号へ。七ツ山の集落を越えてからは他に通る車もないようなつづら折りの険しい峠道が延々と続きます。谷は恐ろしく深く、これまで来た中で一番山深いのではないかと思えるほど。国道にも関わらず交通量は少なく、峠越えの最中にすれ違った車は一台だけでした。

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飯干峠のサミット

飯干峠のサミットには風車や石碑があり、車も停めれますが、景色はそれほどよくありません。石碑によれば西南戦争の際、和田越の戦いで敗れた西郷隆盛が、鹿児島へと退却するためにこの峠を越えたそうです。

峠を越えると道は下りに入りますが、相変わらずのつづら折りが続き、それを抜けて集落に入った時にはホッとしました。

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西臼杵郡五ヶ瀬町役場

二時間弱かけて五ヶ瀬町役場に到着。宮崎側からだと険しい山を越えなければいけませんが、県境を越えて熊本側からだと道が比較的整備されているので所要時間も短いそうです。

国道218号と三ッ所川に挟まれた立地の役場は昭和47年竣工。デザイン的にはそれほど古くは見えませんが、近くで見ると案外くたびれています。隣接地に建設中の新庁舎は来年3月完成予定です。

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阿蘇盆地と阿蘇中岳

五ヶ瀬町から県境を越えて熊本県に入り、蘇陽町を経由して高森町へ。途中、阿蘇盆地を見下ろせる展望台があったので車を停めました。雄大阿蘇中岳の姿も見ることができましたが、霞んでいてくっきり見えなかったのは残念です。

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高森駅

山を下って南阿蘇鉄道高森駅へ。国鉄高千穂線と結ばれるはずだった国鉄高森線を転換した南阿蘇鉄道の終着駅で、昭和62年4月6日使用開始の駅舎には南阿蘇鉄道本社が入居しています。平成28年4月14日の熊本地震では大きな被害を受け、今も当駅と中松駅の間で折り返し運転を行っています。全線復旧は令和5年夏の予定で、それに合わせて新駅の設置も予定されています。高森町は全線復旧を前に高森駅周辺を再開発する計画を発表しており、それによれば高森駅の現在の駅舎は撤去されて令和4年に新駅舎が完成するとのこと。

それほど古い駅舎ではありませんが、建て替え前に一目見ておこうと今回宮崎に来たついでに足を延ばしてやってきました。今度来る時は南阿蘇鉄道の列車に乗って降り立ちたいものです。

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高森駅に列車が到着

復旧までの暫定ダイヤのため、列車は一日わずか3往復。15:40に早くも終列車が到着。阿蘇中岳をバックにホームがたった1本あるだけの小さな終着駅に停車し、わずかな乗客を降ろすと車庫へ引き上げていきました。列車の引き上げを見届けて宮崎側へと戻ります。

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西臼杵郡田原村役場

国道325号のループで県境を越えて宮崎県に戻り、高千穂町の旧田原村役場へ。昭和2年築の木造2階建ての洋風建築で、県境近くの集落を見下ろす傾斜地に建てられています。国の登録有形文化財。窓の一部が割られるなど少し傷んできているのが気がかりなところです。

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高千穂駅

予定では旧田原村役場を見た後は延岡の宿まで直行する予定でしたが、日没まで少し時間が余ったので高千穂駅へ。平成17年9月6日の台風で被害を受け、平成20年12月28日に全線が廃止された高千穂鉄道の終着駅で、現在は観光向け保存鉄道・高千穂あまてらす鉄道の事務所が置かれています。

有名観光地・高千穂の玄関口だったにしてはひっそりとした立地で、駅前は細い下り坂のどん詰まりに小さな広場があるだけです。開業は昭和47年で、不通となっていた期間を除くと鉄道の駅として営業していたのはわずか33年間でした。

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高千穂駅

ホームは島式1面2線で、構内には他に車庫があるだけ。小さな終着駅でしたが、高森線と結ばれて九州横断鉄道の一部となっていたらまた違った未来もあったのでしょうか。

子どもの頃、確か学研の図鑑だったと思うのですが、色々な駅の紹介ということでこの構図から撮った高千穂駅の写真が載っているのを見た記憶があります。車両も何両か停まっていたのであの写真ではそれほど寂しい駅には見えませんでしたが、車両がいなくなるだけで駅はこんなに寂しく見えるものなのですね。

高千穂鉄道で走っていた車両のうち一両は阿佐海岸鉄道で活躍していましたが、去る11月30日に引退、今後が気になりますが、願わくば里帰りして動態保存されてほしいものです。

高千穂駅から日の暮れた国道218号と北方延岡道路を一時間ほど走り、延岡へ。この日は延岡に宿泊しました。