まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

1/7 睦月の東海道・名古屋へ

この日は東海道を西へ。建て替え中の焼津市役所と関西本線無人化予定駅、名鉄の改築予定駅を回ります。

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熱海で乗り換え

高田馬場4:38発山手線内回り360G(クハE234-33)、品川5:10発東海道線小田原行き725M(クハE230-8059)、小田原6:22発東海道線熱海行き723M(クハE230-6020)と乗り継いで熱海へ。熱海からは6:49発普通浜松行き425M(クハ312-2327)に乗車。

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焼津駅 南口

焼津で下車。漁港の街として発展してきた焼津市の代表駅で、駅舎は昭和40年4月改築の橋上駅舎。橋上駅としては初期のものに当たるためデザインは少々古めかしさを感じさせます。

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焼津市役所

10分ほど歩いて焼津市役所へ。昭和44年10月竣工で、耐震性能は満たしているものの老朽化が著しいことから隣接地に新庁舎を建設中です。新庁舎は今年度中に開庁予定で、その後現庁舎を解体して跡地に立体駐車場を建設する予定です。

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愛知御津駅

焼津駅に戻り、9:18発普通豊橋行き931M(クハ210-5012)で豊橋へ。豊橋には2分遅れで到着し、10:57発普通岐阜行き127F(クハ312-5019)に乗り換えて愛知御津へ。

平成20年に豊川市と合併した旧宝飯郡御津町の駅で、昭和23年8月までは「御油(ごゆ)」を名乗っていました。駅舎は昭和23年12月改築の木造駅舎ですが、改装されていて原型は留めていません。便所の建物財産標には「明治39年12月」とありましたがこちらも古さは感じさせず、わずかに1番ホームの上屋のみが古さを留めています。

ここに降りたのは旧御津郵便局を見るためだったのですが、昨年8月に解体されて更地になっていました。

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東海道本線129F

愛知御津11:43発普通岐阜行き129F(クハ312-416)で蒲郡へ。11分遅れの11:44発快速大垣行き2521F(クハ312-5014)に乗り換えて14分遅れで名古屋に到着。

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蟹江駅 仮駅舎

名古屋12:46発普通四日市行き323G(クモハ313-1322)で蟹江へ。明治の町村制以来単独町制を130年以上に渡って維持し続けている海部郡蟹江町の駅で、現在橋上化工事中です。明治28年12月開業時の駅舎を改装しつつも長年使い続けてきましたが、平成31年2月3日より仮駅舎の使用を開始。仮駅舎に移転してからもう2年近く経ちますが、橋上駅舎の完成によって仮駅舎が役目を終える日も近いです。

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蟹江駅 新駅舎

新駅舎は仮駅舎の隣にほとんど完成した状態でした。1月31日より使用開始予定で、今は使用開始前の最終仕上げ・チェックの段階と言ったところでしょうか。

名古屋からの距離の割にどうにもショボい駅だったのが橋上化で面目を一新することとなります。

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弥冨駅

蟹江13:33発普通四日市行き325G(クモハ313-1323)で弥冨へ。平成18年の合併で弥冨市となった旧海部郡弥富町の駅で、「海抜-0.93m」と地上駅では最も低い所にある駅として有名です。名鉄弥冨線との共同使用駅で、2つの路線が乗り入れる駅なのだからそれなりの大きさの駅だろうと思いきや構内は2面3線といたってシンプルでホームも閑散としています。もっともこの駅も橋上化計画があるので数年後には面目を一新していることでしょう。

駅舎は明治28年5月開業時のもの(財産標はM27年12月)ですが、平成9年8月にリニューアルされているのでとても築126年には見えません。駅前も狭く市の玄関口としての機能は近鉄の駅の方にあるようで快速も停まりません。

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永和駅

弥富14:09発普通名古屋行き326G(クハ312-1322)で永和へ。平成17年の合併で愛西市となった旧海部郡佐屋町の駅で、駅名は昭和31年に分割編入で消滅した永和村に由来します。昭和2年6月に善太信号場として開業、昭和4年2月に一般駅に昇格しました。

駅舎は開業時のものですがリニューアルされています。ステンドグラスのようなものはあくまで飾りで中からは何も見えません。田園地帯の小さな駅にも関わらずみどりの窓口が設置されていますが、集中旅客サービスの使用開始に伴い2月1日より無人化される予定です。駅を撮っていると雪と風が激しくなってきました。

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春田駅

永和14:43発普通名古屋行き328G(クハ312-1323)で春田へ。中川区にあるJRにおける名古屋市内最西端の駅で、平成5年7月に信号場として開業し、平成13年に駅に昇格して開業しました。駅開業時から高架駅で、見た目は都会的ですが、列車は日中一時間2本しかやってきません。いまいち都会の駅として脱皮しきれていないような印象を受けます。ここも2月1日より無人化されます。

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八田駅

春田15:19発普通名古屋行き330G(クハ312-1309)で八田へ。地下鉄東山線近鉄名古屋線との乗換駅で、名古屋市西部の交通結節点といった感じですが快速は停車しません。隣接する近鉄の駅は列車が頻繁にやって来るのに対してJRの駅は停車・通過とも本数が少なく、利便性では完全に負けています。

大正7年に開設された八田信号所がルーツで、昭和3年2月に一般駅に昇格。平成14年4月に地下鉄・近鉄との乗換利便性向上のため名古屋方に500m移転して高架化されました。乗換駅だけあって本数の割に利用者は多く、一日2000人弱が利用しますが、ここも2月1日より無人化されます。

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西枇杷島駅

八田15:49発普通名古屋行き332G(クハ312-1314)で名古屋へ。名鉄名古屋16:04発普通佐屋行き1641(6228)に乗り換えて西枇杷島へ。名古屋本線犬山線が形成するデルタ戦で有名な駅で、現在駅改良工事中です。構内は元々島式2面4線でしたが、待避線を撤去してホームの拡幅を行い、相対式2面2線に変更されています。

駅舎は昭和24年の営業再開時に建てられたと思われるものですが、それ以前からのものを移築したという説もあります。増築や障害物で全体像が分かりにくいものの、確かにデザインなどは戦後というより戦前のものらしい感じがします。

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西枇杷島駅 新駅舎

新駅舎はほとんど完成していました。1月16日始発より使用開始予定で、それと同時に構内踏切も廃止されて改札内でのホームの行き来はできなくなります。下り岐阜方面側の駅舎は改札機の設置などはまだでしたが、既に駅名が掲げられていました。それに対し上り名古屋方面側駅舎はまだ駅名が掲げられておらずその部分が空白状態でした。

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枇杷島駅 東口

10分ほど歩いてJRの枇杷島駅へ。平成17年の合併で清須市となった旧西春日井郡西枇杷島町の駅で、東海交通事業城北線が分岐しています。駅舎は平成20年12月に橋上化されたもので、築堤上のホームを跨いでいるので駅前からは結構の高さがあります。

東口は橋上化で新設されたもので、旧駅舎のあった西口は新幹線の高架を潜ったところに設置されています。

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恵那駅

枇杷島16:51発普通豊橋行き148F(クモハ313-5304)と名古屋17:07発快速中津川行き2739M(クモハ211-5020)を乗り継いで、この日の宿泊地恵那へ。明智鉄道が分岐する恵那市の代表駅です。駅舎は昭和35年7月に改築されたものですが、リニューアルされています。名古屋からほんの1時間ちょっとですがずいぶん遠くに来たように感じます。とはいえこの辺から名古屋まで通う人も結構多いのでしょうね。一応参考のために距離を書いておきますが、名古屋~恵那が約68.3㎞、東京~上野原が69.8㎞です。

駅周辺に飲食店があまりなさそうだったので恵那発祥のご当地スーパー「バロー」のおつとめ品を買ってからホテルへ向かいました。