まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

8/26 夏の終わりの福塩線駅めぐり

この日は福塩線府中以北の駅を中心に巡りました。福塩線もまた本数が少ない路線ですが、この日は臨時列車の運行日だったので多少は降りやすくなっていました。

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甲奴駅

三次5:15発府中行き1720D(キハ120-324)で甲奴へ。平成16年4月に三次市と合併した旧甲奴郡甲奴町の玄関口で、昭和10年11月開業時の木造駅舎が改装されながらも現役です。駅舎の旧事務室部分にお好み焼き屋が入居しているのがいかにも広島といった感じ。次は昼時に来てここで食べてみたいものです。

「甲奴(こうぬ)」という独特の響きを持つ地名の由来については、川沿いの土地を意味する「河野」「河内野」あるいは、傾いた土地を意味する「傾き野(かぶきの)」が訛ったという説などがあります。

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備後安田

甲奴6:23発三次行き1721D(キハ120-326)で備後安田へ。明治22年の町村制で三谿郡吉舎村が成立するまで存在した旧三谿郡安田村に由来する駅名の駅で、吉舎町を経て現在の所在地は三次市です。駅舎は昭和10年11月開業時に建てられたもので、妻面の造りなど同時期に開業した芸備線 道後山駅と似たものが感じられます。ホームは片面ですが、広い構内には側線が残されており、貨物営業があった頃の名残を感じさせます。

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中畑駅

備後安田6:55発府中行き1722D(キハ120-332)で中畑へ。芦田川の谷底にへばりつくように存在する、ホームだけの小さな駅です。県道や大きな集落は対岸にありますが、平地の少なさゆえにかなり高いところまで民家がへばりついている様子は、四国山地の山深い所を連想させます。どちらかというと土讃線なんかにありそうな雰囲気の駅です。昭和38年10月開業で、同時に開業した兄弟とも言うべき八田原駅は平成元年4月の新線切替で廃止され、現在はダム湖の底に沈んでいます。

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レールに止まるハグロトンボ

川のそばという立地のためか訪問時はハグロトンボが駅構内を飛び回っていました。

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備後三川

中畑8:27発三次行き1725D(キハ120-332)で備後三川へ。世羅郡世羅町唯一の駅で、平成16年10月の合併前は旧世羅郡甲山町の駅でした。駅名の「三川」は昭和30年の甲山町成立まで存在した三川村に由来します。世羅町および甲山町の中心からは離れた立地ですが、町唯一の駅だけあってか駅舎は立派なものです。かつては簡易委託駅でした。

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備後三川駅 ホーム

ホームを見てみると、駅舎が真っすぐに建てられているのに対してホームが左に曲がっていることに気が付きます。わざわざこんな変な造りにしなくてもと思いますが、実はこれは新線切替の跡なのです。元々の線路は駅舎と平行に真っすぐ伸びていましたが、平成元年4月に八田原ダム建設のため当駅から河佐までの区間が新線(現在の線路)に切り替えられています。駅舎の建設は新線切替の翌年3月で、旧線時代の位置に建てられているためこのような形になったのでしょう。

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府中で電車に乗り換え

備後三川8:59発府中行き1724D(キハ120-327)で府中へ。河佐から乗ってきたおばちゃん3人が福塩線減便の話をしていました。「のうなるんなら、しょうがにゃあわなあ」「今日は12時(臨時便)がある」「今日ぐらいまでやなあ」

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横尾駅

府中で9:36発福山行き240M(クモハ105-29)に乗り換えて横尾へ。大正3年7月、両備軽便鉄道としての開業時に設置されたという長い歴史を持つ駅で、両備時代の線路は当駅から南へ直進し、市街地を抜けて両備福山に至っていました。昭和8年の国有化で福塩南線となり、昭和10年12月の改軌時にルートが現在の備後本庄周りに変更されています。ホームは片面ホームを2つ並べた独特の配置で、元は右のホームを島式として使用していました。

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横尾駅 駅舎

無人化されて駅舎が解体されて以降、ホーム上に待合所が設置されているだけでしたが、平成19年7月のICOCA導入時に改札機を雨から守るための簡易駅舎が設置されました。令和2年3月には増築され、改札機と券売機は増築部分(左)に移され、旧来の部分(右)が待合所に変更されています。これによりホーム上の待合所は撤去されました。

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府中駅

横尾10:52発府中行き241M(クハ104-6)で府中へ。電化区間と非電化区間の境目にある運行拠点駅で、当駅を境に北部は一気に本数が減少します。そんな重要な駅ですが、みどりの窓口が廃止され、駅員不在時間帯も増えて一気に寂しくなったような印象を受けます。今日は臨時便があるとはいえ、次の三次行きは一時間後。幸いにも下川辺までの駅間は比較的短いので歩いて向かいます。

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川辺駅

国道486号をひたすら歩いて芦田川を2度渡り、55分で下川辺へ。事前の天気予報では雨とのことだったのでそちらを心配していましたが、むしろ晴れすぎたくらいで熱中症の方が心配でした。

下川辺は、昭和29年の府中市成立まで存在した旧御調郡下川辺村の駅で、昭和29年から37年までの8年間だけなぜかこの駅まで電化されていました。とはいえ電車のほとんどが府中止まりで、当駅折り返しの電車は朝に2本、午後に1本のわずか3本しかなかったようです。なんとも不可解な話で、電化の理由についてもはっきりわかってはいませんが、興味深い考察が下記の記事のコメント欄にありました。

drfc-ob.com

以下引用

興味深い事実なので背後関係を考えて推理しました。
まず1954年4月10日の下川辺電化延伸は、同年3月31日発足の府中市誕生の際に下川辺村の編入が行われており、選挙の公約だったのではないでしょうか。
それから電化廃止の1962年3月15日は、1961年9月6日の山陽本線三原電化に伴う、福塩線の600V→1500V昇圧に拠るものと思われます。
この際にクモハ11等の省電17m車が大量に府中に転属し、社型電車は淘汰が進み、下川辺まで旧省電を入線させるのに、効率的に見て無駄な運用と考えられて、電化区間は8年で廃止。
しかし当時は気動車が破竹の勢いで活躍を始めました。社型のオンボロ電車の代わりにキハ20系を投入すれば、苦情も無く、乗客は喜ぶ。そんな所がこの歴史経緯の事実の裏側だったのではないでしょうか。(K.H.生さん 2019年10月10日 11:09 PM )

確かに下川辺村の編入と電化がほぼ同時なので、そのような事情もあったのかもしれません。果たして真相や如何に。

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備後矢野

下川辺12:39発臨時三次行き8727D(キハ120-324)で備後矢野へ。昭和29年に上下町と合併した旧甲奴郡矢野村の駅で、昭和13年7月の府中町~上下間開通時に開業しました。駅舎は開業時に建てられたもので、「矢野駅食堂」として活用されていますが、この日は臨時休業でした。うどんやそば、カレーライスを楽しめる人気の食堂で、今度は是非開いている時に来たいものです。

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河佐駅

誰も乗せずにやってきた備後矢野13:27発臨時府中行き8726D(キハ120-6)で河佐へ。昭和31年9月に府中市編入された旧御調郡河佐村の駅で、昭和28年7月改築の駅舎が残っていますが、事務室部分が減築されています。駅舎に寄り添って立つ木が絵になります。次の列車まで滞在時間は2時間弱、せっかくなので河佐峡でも歩いて見に行こうかと思いましたが、あまりに暑いので待合室で本を読んで過ごしました。

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吉舎駅

河佐15:28発三次行き1729D(キハ120-6)で吉舎へ。平成16年に三次市と合併した旧双三郡吉舎町の駅で、昭和8年11月に福塩北線の終点として開業しました。吉舎の市街地からは少し離れていますが、日彰館高校の最寄り駅のため、学生の利用が多いです。

撮影のために引き戸を閉めるとヤモリが出てきましたが、すぐに駅名表示の裏に隠れてしまい、撮れませんでした。もっともその俊敏性がないと野生では天敵から逃げきれないのでしょうが。

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梶田駅

吉舎17:24発府中行き1730D(キハ120-320)で梶田へ。昭和38年10月に開業した、ホームだけの小さな駅です。駅名は明治28年の甲奴村成立まで存在した甲奴郡梶田村に由来します。上下川の畔に位置し、川を挟んで農家が点在しているため、決して辺鄙なところではありませんが、駅の利用者はほとんどいないようです。

列車を待っていると18時に寺の鐘が鳴り、それに反応して4回目くらいから犬が吠えだしました。30秒ほどの間隔で列車が来るまで12回ほど鳴り続けました。

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御食事処すぎの 焼肉定食

梶田18:07発三次行き1731D(キハ120-324)で三次へ。この日の夕食はホテル内の御食事処すぎのの焼肉定食としました。福塩線府中以北も残すところ、上下、三良坂、塩町の3駅のみ。最終日となる翌日にそれらの3駅を片付けます。