まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

2/12 釜石線駅めぐり

この日はいわてホリデーパスを使って釜石線の駅を巡りました。

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花巻駅

前夜20:41発快速東葉勝田台行き2058T(2002)で早稲田を出発し、鍛冶橋駐車場21:40発岩手県北自動車MY01便に乗り、翌朝4:55に盛岡駅着。東北本線から釜石線に直通する盛岡5:56発普通釜石行き1653D(キハ100-24+キハ100-28+キハ100-13)に乗車し、9分間の停車を利用して花巻駅を撮影。釜石線の分岐駅で、北上市と並ぶ県中部の中心都市・花巻市の代表駅です。昭和36年改築の駅舎は天井の高い立派なものですが、橋上化が計画されているので近い将来見納めとなりそうです。当駅を起点とする釜石線は岩手軽便鉄道によって大正時代に開業した路線で、元は軌間762mmのナローゲージでした。軽便時代の花巻駅東北本線の駅とは別のところにありましたが、国有化後、昭和18年9月の改軌時に花巻~柏木平で線路付け替えが行われ、東北本線の駅に統合されています。

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上有住

引き続き1653Dに乗って釜石線に入り、上有住で下車。昭和25年10月10日、釜石線で最後に開業した足ヶ瀬陸中大橋間にある途中駅で、これによって岩手軽便線をルーツとする釜石西線と戦時中に開業した釜石東線が一つになりました。全通以前は険しい仙人峠を旅客は徒歩連絡、貨物はロープウェイで運ばれていました。鉄道開通以前の峠越えの苦労が偲ばれますが、現在の釜石線は栗ノ木峠と土倉峠をトンネルで抜けており、当駅は二つの峠に挟まれた険しい山間にあります。昭和30年に上有住村・下有住村・世田米村が合併して誕生した気仙郡住田町にとっては唯一の駅ですが、町役場のある世田米からは大きく離れており、上有住の集落からも離れているため、駅周辺には人家がほとんど見当たりません。目立つ建物は滝観洞の関連施設くらいです。標高が高い上に日も当たらないので、訪問時はカメラを持つ手がかじかむほどに冷え込んでいました。

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シカの親子

ホームを撮っていると向かい合う斜面からガサガサと音がしていたので、見るとシカの親子がいました。山奥を走るローカル線だと度々線路に出てきて列車を停める厄介者ですが、人間の姿を見ても全く動じる気配がありません。野生動物と遭遇するのも山奥の駅ならではですが、遭遇したのが熊ではなくて本当に良かったと思います。

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青笹駅

上有住9:35発普通花巻行き658D(キハ100-22)で青笹へ。岩手軽便鉄道遠野~仙人峠間の全通の翌年に開業した駅で、昭和29年の遠野市成立まで存在した旧・上閉伊郡青笹村の駅です。ホームから道路を挟んだところに煉瓦造りの待合室が設置されていますが、なぜこのような配置になったのでしょうか。駅周辺には河童伝承がありますが、駅自体は河童の出なさそうな集落の中にあり、上有住と違い人の気配が感じられます。

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陸中大橋

青笹11:08発普通釜石行き655D(キハ100-11+キハ100-19)に乗り、12分間の停車時間で陸中大橋駅を撮影。昭和19年10月11日に釜石から伸びてきた釜石東線の終点として開業した駅で、日本の鉄道では唯一のオメガループ線があることで知られています。交換可能駅ですが駅舎はなく、ホーム上にログハウス風の待合室があるだけです。広い駅構内とホッパーが釜石鉱山で栄えた頃の面影を今に伝えています。昭和40年までは釜石鉱山鉄道がありました。

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佐野駅

引き続き655Dに乗り、小佐野で下車。鉄鉱業で栄えた釜石市の西の玄関口で、駅前には公的施設や商店が立ち並んでいますが、その多くは廃業しており、いまいち活気に欠けます。駅舎は妻面に出入口のある木造駅舎で、駅舎外の改札ラッチがかつての栄華を窺わせます。駅舎内は綺麗でまだまだ使えそうですが、令和2年11月限りでみどりの窓口が廃止されて無人化されているので、そのうち簡素化されてしまいそうです。山が迫る地形や国道に面した立地、駅の雰囲気などから室蘭本線輪西駅を思い出しましたが、釜石と室蘭には「鉄で栄えて、その後衰退した街」という共通点がありますね。駅前を通る国道はかつての釜石鉱山鉄道跡を転用したものです。

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洞泉駅

小佐野12:18発普通花巻行き660D(キハ100-24)で洞泉へ。釜石市街の西の外れにある駅で、国道や市街地を見下ろす高台に設けられています。かつては駅舎や側線もあったそうですが、全て撤去され、島式ホーム上に釜石線標準仕様の待合室が設置されています。やたら広い駅前はかつての広い駅構内の名残でしょう。

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松倉駅

50分ほど歩いて松倉へ。昭和30年の合併で釜石市となった旧・上閉伊郡甲子村の駅で、賑わう国道沿いから一歩入ったところにあります。昨年3月ダイヤ改正から快速「はまゆり」が全列車停車するようになりました。駅舎は昭和61年3月26日改築の簡素なもので、花輪線柴平駅をコンパクトにしたような形状です。釜石市街は密度のバラつきがあるものの、洞泉から釜石までほとんど途切れることなく続いていて、さすがは全盛期に9万の人口がいた都市だけのことはあると思わされます。

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釜石駅

松倉13:48発快速はまゆり3号釜石行き3623D(キハ110-4+キハ110-1+キハ110-5)で釜石へ。釜石市の代表駅で、三陸鉄道リアス線との乗換駅です。昭和25年10月改築の駅舎は鉄筋コンクリート造2階建ての立派なもので、平成24年10月に改装されています。ホームは駅舎より一段高いところにあり、地下通路で結ばれています。釜石の街もせっかくなので見ていきたいところですが、折り返し時間が短いので、三陸鉄道の駅めぐりの時に回すことにしました。

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岩手上郷

釜石14:20発快速はまゆり6号3626D(キハ110-5+キハ110-1+キハ110-4)で岩手上郷へ。昭和29年の遠野市成立まで存在した旧・上閉伊郡上郷村の駅で、ホーム上には平成9年2月に設置された釜石線標準仕様の待合室があります。かつての村の玄関口だけあって集落は大きく、コンビニもありますが、駅周辺の個人商店などはほとんど廃業しています。

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平倉駅

岩手上郷から銀世界の農村を40分ほど歩いて平倉へ。コンビニで食料を調達していたら時間がギリギリになってしまったので途中走り、そのおかげで何とか駅を観察する時間は十分確保できました。農村地帯の中にある無人駅で、国鉄時代に建てられた木造駅舎があります。この駅舎、最初から無人駅仕様として建てられたもののようで、いつ頃建てられたものなのか見ただけではわかりませんでした。構内には交換設備跡のようなものもありますが、当駅は昔から棒線駅だったそうで、謎は深まるばかりです。

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足ヶ瀬

平倉15:57発普通釜石行き657D(キハ100-22)で足ヶ瀬へ。仙人峠、栗ノ木峠を控えた山間の集落の駅で、駅舎は平成9年2月改築。釜石線で最も標高の高い473mにある駅で、駅前では子供たちが雪遊びをしていました。駅舎は駅前広場の突き当りから右に少しずれたところにあり、昔は突き当りに旧駅舎があったのだろうと推測できます。かつての岩手軽便鉄道は当駅付近で分岐して、仙人峠に向かっていましたが、戦後開通の釜石線はトンネルで栗ノ木峠を突っ切って上有住へ向かいます。

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遠野駅

足ヶ瀬16:36発普通花巻行き662D(キハ100-28+キハ100-13)に乗り、5分の停車時間で遠野駅を撮影。遠野市の代表駅で、昭和25年10月改築の駅舎は名駅舎として知られています。今回は駅前から数枚撮っただけでしたが、次回来る時は駅周辺を散策したいと思います。

花巻で一時間近く待って18:58発普通一ノ関行き1550M(クハ700-1011+クモハ701-1011+クハ700-1010+クモハ701-1010)に乗り換え。この日は一関の東横インに宿泊しました。