まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

2/20 秩父鉄道駅めぐりとまさかのアクシデント

PASMO導入に合わせて多くの駅が無人化されるということなので、この機会に秩父鉄道の駅を2回に分けて巡ってきました。今回はその一回目です。

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羽生駅

高田馬場4:48発山手線外回り0403G(クハE234-45)と日暮里5:14発快速勝田行き321M(モハE531-1026)、北千住5:30発区間急行館林行き2501(12268)を乗り継いで、秩父鉄道の始発駅・羽生へ。東武とは改札が別々になった橋上駅で、来月から使用される自動改札機はカバーを被っています。首都圏近郊でそれなりに利用者が多いことを考えれば、これまで自動改札機が導入されてこなかったのが不思議に思えるくらいの駅です。

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西羽生駅

羽生6:42発各停三峰口行き1507(7903)で西羽生へ。昭和56年9月1日に開業した駅で、簡素な橋上駅舎があります。この手の駅舎も近年はバリアフリー化などで原型を留めるものは少なくなりました。島式ホームの交換駅にすることを想定した造りですが棒線駅で、本当にバリアフリーのことを考えるなら地平駅舎に改築してしまった方が良いように思えます。到着時点では7時からの営業開始を前に駅員さんが構内を掃除していました。他に押し鉄女子?が下車。「おはようございます。早いですね」駅員さんが利用客や運転士さんに挨拶する光景も来月で見納めです。硬券入場券は売り切れでした。

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東行田駅

西羽生7:12発各停影森行き1509(5201)で東行田へ。行田市街にある片面ホームの駅で、昭和40年代改築と思われる開放的な造りの駅舎があります。大きな上屋の下に事務室の小屋と待合室の小屋を置き、その間を改札としたような個性的な造りです。硬券入場券を求めると「お金かかって大変でしょう。ご苦労様です」とのお言葉。列車が着いて乗客が降りてくると「行ってらっしゃい!」と見送る光景などは古き良きローカル駅と言った風情です。親切な駅員さんが印象に残る駅でした。

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行田市駅

東行田7:38発各停熊谷行き101(7904)で行田市へ。忍藩の城下町として栄えた行田市の中心近くにある駅で、昭和41年6月に高崎線行田駅が開業するまでは「行田」を名乗っていました。昭和55年に橋上化されており、通路などの造りは西羽生と共通するものが見られます。行田市の玄関口と言ってもいいような駅ですが、この駅も無人化されます。訪問時は早朝ということもあってか閑散としていました。ホーム上には年季の入った木造待合室があります。

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新郷駅

行田市8:01発各停羽生行き1508(7703)で新郷(しんごう)へ。昭和29年の羽生市成立まで存在した旧・北埼玉郡新郷村の駅で、駅舎は昭和30年代改築? 小規模住宅に改札口を増築したような個性的な造りです。硬券入場券は売り切れでした。ホーム上の木造待合室は年季の入ったもので、ひょっとすると大正10年開業時のものかもしれません。

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武州荒木駅

新郷8:35発各停三峰口行き1513(7503)で武州荒木へ。昭和29年に行田市編入された旧・北埼玉郡荒木村の駅で、昭和20~30年代改築と思われる木造駅舎があります。開放的な改札口を挟んで事務室と待合室が向かい合う造り(勝手に「秩父型駅舎」と命名)で、材質こそ違えど東行田と共通するものが感じられます。先程新郷で一緒だった同業者たちは乗ってきた列車が交換待ちで発車した後には消えていたので、そのまま乗って行ったようです。残念ながらこの日は窓口が開いていませんでした。駅前には重厚な石造りの農業倉庫が二棟建っています。

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ソシオ流通センター駅

武州荒木9:06発各停三峰口行き1515(7202)でソシオ流通センターへ。平成29年4月1日に開業した新しい駅で、開業5年目にして無人化されることになります。建設費用のことを考えるなら最初から無人駅として造ればいいような気がしなくもありません。熊谷流通センター(ソシオ)の最寄り駅です。

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持田駅

ソシオ流通センター9:31発各停羽生行き108(7701)で持田へ。昭和12年に忍町(行田市の前身)に編入された旧・北埼玉郡持田村の駅で、寄棟造の木造駅舎があります。駅舎はおそらく大正14(1925)年11月15日開業時に建てられたものでしょう。硬券入場券は売り切れでした。昭和の学園ドラマ「スケバン刑事」には「大日村(だいにちむら)」駅として登場するそうです。

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上熊谷駅

持田9:51発各停三峰口行き1517(7506)で上熊谷へ。高崎線と並走する区間にある駅で、開業時は「鎌倉町」を名乗っていました。頭上を上越新幹線の高架が通っているため駅前は薄暗いです。駅舎は昭和40~50年代に改築された四角い印象のもので、構内踏切でホームに連絡しています。ホームは片面使用の島式でかつては東武熊谷線と共同使用していました。東武熊谷線は昭和58年6月1日に廃止されましたが、踏切部分などにレールが少しだけ残されています。

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石原駅

上熊谷10:30発各停三峰口行き1519(7501)で石原(いしわら)へ。明治21年の町村制で熊谷町が成立まで存在した旧・大里郡石原村の駅で、地名の読みは「いしはら」です。昭和40~50年代改築と思われる駅舎は大きな片流れ屋根と正面に並ぶ柱が特徴。秩父鉄道では3つしかない地下通路がある駅の一つです(後の二つは秩父と影森)。窓口は休みでした。

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熊谷駅

石原10:43発各停羽生行き1518(5201)で熊谷へ。埼玉県北部の中心都市・熊谷市の代表駅で、秩父鉄道の駅ではもっとも利用者数が多いです。JRの駅に隣接して島式ホームがあり、駅舎はJRの駅と繋がった橋上駅舎です。かつては5番ホームを東武熊谷線と共同使用していました。

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大麻生駅

熊谷11:05発各停三峰口行き1521(7502)で大麻生へ。昭和16年熊谷市編入された旧・大里郡大麻生村の駅で、寄棟造の木造駅舎があります。もしこの駅舎が明治34年10月開業時に建てられたものであれば、埼玉県最古の現役駅舎ということになるでしょう。瓦の載った入口庇と青地の駅名看板がいい味を出しています。ひろせ野鳥の森駅との間には貨物駅の広瀬川原駅があり、車両基地が併設されています。

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明戸駅

大麻生12:02発各停三峰口行き23(7505)で明戸へ。昭和60年3月14日に開業した駅で、昔の現場事務所のようなプレハブ駅舎があります。開業時のものであれば築37年ですから、プレハブ建築としてはかなり長生きです。内部の間取りなどは普通の木造駅舎などと一緒。ホーム上には上屋が設置されていません。硬券入場券は売り切れで、駅員さんは「大麻生ならまだあるよ」と言っていました。

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ひろせ野鳥の森駅

明戸12:15発各停羽生行き1524(7704)でひろせ野鳥の森へ。平成15年3月27日に開業した駅で、ホーム入口にログハウス風の駅舎が設けられています。熊谷商業高校の最寄り駅で、周辺の宅地化が進んでいるため利用者はそれなりに多いです。

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永田駅

ひろせ野鳥の森12:29発各停影森行き1525(7507)で永田へ。個性的な駅舎が多い秩父鉄道においては地味な印象を受ける、こじんまりとした木造駅舎があります。駅名は明治21年の町村制まで存在した旧・榛沢郡永田村に由来。町村制で花園村となった後、大里郡所属となり、町制施行を経て平成18年に深谷市となっています。

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武川駅

永田12:51発各停羽生行き1526(7706)で武川へ。平成18年の合併で深谷市となった旧・大里郡川本町の玄関口で、急行「秩父路」や「SLパレオエクスプレス」も停車する主要駅です。駅舎は昭和末期に建てられたと思われる2階建ての立派なもので、地方私鉄の主要駅らしい雰囲気が漂っています。貨物支線の三ヶ尻線の分岐駅で、電気機関車庫も併設されていることから常に多くの駅員さんが詰めており、これが無人化から免れる理由でしょう。町名の「川本」は「武」「畠」の合成地名で、昭和30年に武川村と本畠村が合併して誕生しました。「本畠」も「田」「山」の合成地名で、畠山は鎌倉殿の十三人の一人・畠山重忠が本拠地としていたところです。

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ふかや花園駅

武川13:21発各停三峰口行き1527(7903)でふかや花園へ。平成30年10月20日に開業した、秩父鉄道でもっとも新しい駅で、この駅は無人化から免れる予定です。駅名は現在の所在地・深谷市と合併前の大里郡花園町を組み合わせたもの。今年秋には駅前にふかや花園プレミアムアウトレットがオープンし、その最寄り駅となる予定です。

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小前田駅

ふかや花園14:01発各停三峰口行き29(7904)で小前田へ。平成18年の合併で深谷市となった旧・大里郡花園町の玄関口で、江戸時代には川越児玉往還と秩父往還が交わる小前田宿で栄えていました。駅舎は寄棟造の木造で、窓口部分のみ建物からはみ出した上屋の下にあります。建物内にも窓口跡があるので、現在の窓口はおそらく後から増築したのでしょう。カメラの電池が少なくなっていたにも関わらず予備の電池を忘れてきていたので、あまり細かいところまで撮影できなかったのが悔やまれます。

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桜沢駅

小前田14:45発各停三峰口行き1531(7506)で桜沢へ。平成元年4月1日、統合で新設された寄居中学校の最寄り駅として開業した駅です。跨線橋に接続してホーム上に2階建ての駅舎があります。駅名は昭和18年寄居町編入された旧・大里郡桜沢村に由来します。窓口の営業日は2月より変更になったようで、この日は休みでした。秩父の山から吹き付けるのか訪問時は強い風が吹いていましたが、駅には風を凌げる場所が跨線橋から駅舎までの通路しかないので、15:06発各停羽生行き1534(7705)の車内へ避難。永田でもう一度降りて、15:23発各停三峰口行き1533(7202)に乗車しました。

予定ではこのまま武州日野まで乗車し、再訪してスタンプと入場券をゲットしてから寄居まで戻り、東上線で帰宅するはずでした。

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波久礼駅での踏切事故

ところが、15時42分、定刻通り波久礼駅に到着しようかというタイミングで、駅手前の踏切から軽バンが進入。警笛を鳴らして減速するも間に合わず衝突して停止しました。駅手前で減速していたためか衝撃はそれほど大きくありませんでした。乗り合わせた地元のおじさんが窓を開けて自動車の方に「大丈夫ですか?」と声をかけ、119番通報。この日、波久礼駅無人で、運転士さんはまず安全確認を行わなければならなかったのでこの方による通報が最初の通報になったようです。

15:55 救急車が到着。助手席の方は自力で脱出したようですが、運転手の方は挟まれている可能性があるとのことで、救急隊員が確認をしていました。結果、挟まれていなかったため16:01に救出、担架で運ばれて行きました。続いて同乗者への事情聴取と警察による現場検証。救急隊員が車内にも一人乗って来て、乗客の無事を確認しながら後ろの車両へ走って行きました。

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乗務員扉から乗客は降車

16:10 乗客は乗務員扉から順に降ろされることになりました。駅の手前での事故だったため、ホームに架かっているのは乗務員扉のみ。

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線路上を歩いて避難

構内踏切も塞がれているので、乗客は線路上を歩いて車両の後ろまで回り込み、波久礼駅待合室まで誘導されました。乗り合わせた高校生が「こんな珍しい経験ができるなんてむしろ運がいいのかも」と言っているのが聞こえましたが、人が死ぬほどの事故ではないと分かったので、乗客の多くが非日常を楽しむような感じで、怒っている人などは見受けられませんでした。

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事故現場

事故の現場は第4種踏切、確認せずに進入したのが事故の原因でしょう。いつの間にか近所のおばあさんや沿線で待ち構えていた撮り鉄の方なども集まってきていました。事故については埼玉新聞が報じていたので、ここに引用します。

20日午後3時40分ごろ、埼玉県寄居町末野の秩父鉄道踏切で、羽生発三峰口行き下り普通列車(3両編成)と軽貨物自動車が衝突した。

寄居署によると、衝突したのは秩父方面へ進行中の列車と東方向に進行していた本庄市の会社員男性(49)が運転する軽貨物自動車。業務中だった男性と同乗者で同僚の40代男性が胸などを打ち、病院へ搬送された。列車の乗員や乗客約20人にけがはなかった。現場は波久礼駅から南に約20メートルの場所で、警報機や遮断器がない「第4種踏切」だった。同署は事故原因を調べている。

 秩父鉄道の第4種踏切では、今年1月17日にも熊谷市川原明戸で、列車と軽自動車の衝突事故が発生している。(埼玉新聞 2月21日)

電車と車が衝突…男性2人搬送、駅のすぐ近く 警報機や遮断器ない「第4種踏切」で発生、先月も衝突事故(埼玉新聞) - Yahoo!ニュース

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波久礼駅

ほどなく長瀞方面へはタクシーによる代行輸送が始まり、乗客は次々と乗って波久礼駅を後にして行きました。しかし、私の方は今から武州日野へ行っても窓口の営業時間は終わっているだろうから寄居へ戻ることにしました。長瀞方面の乗客は去っていき、駅には寄居方面へ戻る乗客が私を含めて3人と地元住民だけが残されました。救急隊も気分が分かるくなった乗客の有無を確認してから16:31に引き上げています。構内踏切を支障していた列車は現場検証が完了すると、16:55に移動してホームに横付けされ、その後、回送のため3番線に転線しました。車両が移動すると自動車を撤去してレッカー車に載せる作業が始まりました。作業員が手作業で溝から脱出させると、乗り込んでエンジンをかけ踏切まで後退。そこからレッカー車への積み込みが始まりましたが、結構難儀している様子でした。その様子を撮影している最中にカメラもスマホも電池が切れてしまいました。

17:26 寄居方面へのタクシーが到着、3人乗り込んで11分で寄居駅に到着。タクシーの運転手さんが乗客の一人に名前を聞いていましたが、これは後で秩父鉄道にタクシー代を請求する時に「〇〇様他n名」と書かなければいけないからだそうです。寄居駅に着くとメモのためのボールペンを購入してから、17:45発各停小川町行きY1772(81109)に乗車。小川町で18:02発急行池袋行き1060(31613)に乗り換えて帰宅しました。寄居以東の駅については2/23に巡ったので、また紹介します。