まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅めぐり旅~

駅めぐりの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

11/2 廃駅・近代建築・庁舎を求めて岩手県北(川井・岩泉・葛巻・軽米・二戸)をドライブ

盛岡市街近代建築散策の後は盛岡駅前でレンタカーを借りて三日間のドライブに出発

山田線 平津戸

まずは山田線平津戸駅へ。盛岡と宮古を隔てる北上山地の深い山間にある駅で、令和4年3月12日より全列車が通過するようになりました。営業休止前の時点での停車列車は下りは19:09発、21:17発の2本、上りは6:13発、17:29発、19:38発の3本のみで、下りの始発列車は全国の駅の中で最も遅い始発列車でした。駅周辺には人家が数軒あるのみで、利用者数はほぼゼロだったようです。これまでの休止駅のパターンからしてこの駅も数年以内には正式に廃止となることでしょう。簡易駅舎は平成17年1月改築、使われたのは17年と2か月なのでまだまだ使えそうに見えます。撮影していると普通盛岡行き634Dが通過していきました。

岩泉線 中里駅

再び車を走らせ、岩泉線中里駅跡へ。昭和41年10月に開業したホームと待合室だけの駅で、平成26年4月の岩泉線廃止で廃止となりました。廃止後も現役時と変わらぬ姿で保存され、隣の岩手和井内駅との間では休日を中心にレールバイクも運転されています。開業時、既に「肥前中里」「越後中里」「津軽中里」の各駅があったにも関わらず当駅がなにも冠さない「中里」となったのは本家とも言うべき湘南軌道の「中里」駅がとっくの昔に廃止されて空位となっていたからでしょうか。

岩泉線 岩手和井内駅

続いて岩手和井内駅跡へ。ここも駅舎とホームが残っており、レールバイクの事務所として活用されています。昭和17年6月開業時は小本線の終点で、かつては木造駅舎がありましたが平成16年12月に解体されています。現在残る簡易駅舎は平成17年2月改築、駅として使われたのはわずか9年だけでした。

かつての押角駅入口

岩手和井内を過ぎてしばらくすると道は急に細く険しくなります。宮古市(旧新里村)と下閉伊郡岩泉町を隔てる押角峠は難所として知られており、それ故にバス転換が困難だったことが岩泉線を平成後期まで延命させることになりました。岩泉線の廃止後、岩泉線の押角トンネルを拡幅して国道340号線新道の押角トンネルが造られ、令和2年12月13日に開通しています。しかしトンネルの前後の区間は今も行き違いが困難な狭く険しい道が残っており、完全改良まではまだまだ遠そうです。

岩泉線 押角駅

秘境駅として知られていた押角駅については廃止後もしばらくは残存していたようですが、国道340号新道建設に伴って更地と化していました。痕跡は全くなく、駅入口の案内看板だけが駅の名残です。

岩泉線 浅内駅

押角トンネルで峠を越えて岩泉町に入り、浅内駅跡へ。昭和32年5月16日に小本線の終点として開業した駅で、昭和47年2月6日の岩泉延伸で途中駅となりました。廃止後も駅舎・ホーム・給水塔などが残されています。駅舎は戦後のものらしい窓が大きく軽快な印象のデザイン、現存例は多くない上に浅内駅のものは原型に近いまま残っているので末永く残ってほしいものだと思います。

岩泉町消防団第6分団第3部

駅前には集落が形成されており、昔は商店だったと思われる建物などがかつての栄華を偲ばせてくれます。年季の入った消防団の建物には色褪せたドラえもんのイラストが掲げられていました。大山ドラ準拠のキャラデザです。

岩泉線 二升石駅跡

続いて二升石駅跡へ。岩泉までの開業時に設置された途中駅で、築堤上にありました。廃止後もホームと待合室が残されています。待合室はホームから少し離れており、デザインからして岩泉町が建てたものでしょう。貼り紙などもそのままですが施錠されていました。

岩泉線 岩泉駅

終点・岩泉駅跡へ。下閉伊郡岩泉町の玄関口で、昭和47年2月6日開業。岩泉線はこの先、太平洋岸の小本まで伸びる計画がありましたが、果たせることなく廃止の日を迎えました。駅舎は岩泉商工会との合築で、鉄筋コンクリート造二階建ての立派なもの。とても一日三往復の列車しか来ない盲腸線の終点とは思えません。内部には途中駅の駅名標などが展示され、ちょっとした資料室となっています。外観は現役当時と変わらず、駅前の観光地図も三陸鉄道開業前のものでした。

小泉邸

岩泉市街を散策。中心部には明治38年頃に建てられた趣ある洋館・小泉邸が残されています。岩泉で初めて乳牛の飼育を行った小泉市兵衛が建築したもので、横浜視察の際に目にした洋館に衝撃を受けて建てさせたと言われています。建築にあたり、棟梁を横浜に派遣して洋館の造り方を学ばせたそうで、山間の街に文明開化の風を運んできた建物といったところでしょう。

下閉伊郡岩泉町役場

岩泉町役場は昭和40年竣工。年季の入った建物ですが、耐震改修が行われているので当分は使われ続けるでしょう。傾斜地に建てられているため駐車場と同じ高さにある2階が玄関となっているようです。岩泉の市街地は小本川沿いのわずかな平地になんとかつくりあげた街といった印象で、建物の密度が高いため結構大きな街のように見えます。

葛巻町消防団第16分団旧屯所

岩泉町から延々山を越えて葛巻町に入り、まずは葛巻町消防団第16分団旧屯所を撮影。戦前に建てられたと思われる消防屯所で、屋根の上の物見台は撤去されています。

岩手郡葛巻町役場

続いて葛巻町役場へ。旧庁舎の老朽化に伴って新庁舎の建設工事が行われており、11月1日に新庁舎(左)が開庁、7日より業務開始となりました。旧庁舎(右)は昭和50年建設、町章が掲げられたタイル貼りの塔屋が風格を感じさせます。それに代わる新庁舎にも大きな町章が掲げられているのはさすがです。新庁舎の設計監理は三菱地所設計・中居都市建築設計JV、施工は銭高組。

旧近藤医院

役場の近くには年季の入った旧近藤医院があります。築年は不詳、かなり増築を重ねているようです。

国鉄バス 廃車体

葛巻を後に九戸・軽米方面へ向かう途中、葛巻市街の外れで国鉄バスの廃車体を発見しました。葛巻には国鉄バス(→JRバス東北)の車庫もあるので、そこで使われていた車両でしょうか。

あべどり唐揚定食

九戸郡九戸村に入り、道の駅おりつめのレストランのあべどり唐揚定食で遅めの昼食。九戸村で立ち寄ったのは道の駅のレストランだけで、小休止の後、今度は軽米へと向かいます。

小軽米郵便局

九戸郡軽米町に入り、まずは旧小軽米郵便局へ。昭和8年に建てられた先々代の郵便局舎で廃墟化しているあたり、使われなくなって久しいようです。数年前まではこの局舎に代わって建てられた先代局舎が建っていたようですが今は更地です。小軽米(こがるまい)は軽米とは別の街で、昭和30年までは小軽米村という独立した自治体でした。

軽米町立図書館(旧軽米町役場)

軽米町の中心部には昭和25年に旧軽米町役場として建てられた建物が残っており、昭和63年から図書館として現役で使用されています。70年も前の建物がこれだけ美しい状態で残っている時点ですごいですが、現役の図書館なのがさらにすごいところです。手前の松は三笠宮殿下お手植えの松だそう。

旧向井田医院

軽米は古くより交通の要衝として宿駅が置かれ栄えた街だけあって、近代建築も多く残っています。旧向井田医院は大正14年築。改装されているものの縦長の窓と屋根の形で古い洋風建築と分かります。

旧淵澤医院

旧淵澤医院は昭和3年築。影が落ちて残念なことになったのでリベンジしたいところです。現在は空き家のようですが、建物の状態は悪くなさそうなので、何らかの形で活用されてほしいものだと思います。

晴山のバス廃車体

軽米市街を後にし、旧晴山村の県境近い集落でバス廃車体を撮影。ご丁寧に文字が消されていますが、どうやらスクールバスで使用されていた様子。丸目の三菱ふそうエアロスターです。

旧軽米町立晴高小学校

上の廃バスを見に行く道中、良さげな廃校があったので少し道を戻って撮影。平成22年に閉校した旧晴高(せいこう)小学校で、現在は太陽光発電所工事の現場事務所として使われています。昭和44年、晴山小学校と高家(こうけ)小学校を統合して誕生、二つの学校から一字ずつ取った合成校名です。校舎はおそらく開校時のもので、モダニズムを感じるデザイン。ちなみに晴山小学校の名は観音林小学校・晴高小学校・山内小学校が統合された際、41年ぶりに復活することとなりました。

旧観音林消防屯所

続いて観音林へ。昭和30年の合併で軽米町となった旧晴山村の中心集落で、昭和14年頃に建てられた消防屯所が残っています。正面部分に増築されているものの、火の見櫓と一体化した屯所らしい屋根の造りを色濃く残しています。

二戸市役所(旧二戸郡福岡町役場)

山を下り、二戸市へ。まずは市役所を撮影。二戸市役所本庁舎は昭和45年に旧二戸郡福岡町役場として建てられたものです。福岡町は昭和47年4月に金田一村と合併して市制施行、二戸市が誕生しています。本庁舎に関しては耐震済みなのでまだまだ使用されることでしょう。

あべはんショップ

黒澤治助商店

ヨネキチ不動産(旧米吉呉服店

二戸市消防団第二分団第一部屯所

沖村畳店

二戸福岡の建物

もはや日も暮れかけているので足早に二戸市街(福岡)の建物を撮影。奥州街道沿いに古い建物が数多く残っており、かつての栄華を感じさせます。写真だとなんとか写っていますが、明るさは限界でした。今度はもっと明るい時間にゆっくりと歩きたいものです。この日は二戸パークホテルに宿泊しました。

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