まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅めぐり旅~

駅めぐりの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

11/4 近代建築・庁舎を求めて岩手ドライブ(気仙沼~大船渡~住田~釜石~遠野~盛岡)+岩手開発鉄道駅めぐり

岩手ドライブ、最終日となる三日目は宮城県気仙沼からスタート

気仙沼市唐桑総合支所(旧本吉郡唐桑町役場)

まずは唐桑へ。平成18年の合併で気仙沼市となった旧本吉郡唐桑町で、現在は総合支所となっているかつての唐桑町役場は高台にあります。総合支所庁舎は昭和38年竣工、平成2年増築の古い建物ですが、今後も使用され続ける見込みとなっています。

宿集会所

総合支所の近くにはこんな建物も。帰宅後調べて分かったことですが、昭和11年に建てられた宿集会所で、昭和8年昭和三陸津波の後、義援金を活用して「震嘯(しんしょう)記念館」として建てられました。災害時は避難所、平時は公民館や作業場となることが想定されており、唐桑小学校の教室や家政学院、商工会事務所などとして使われたようです。33ヵ所に建てられた震嘯記念館のうち、現存する唯一の存在でしたが、老朽化により年内にも解体されます。

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大船渡市役所

唐桑を後に、県境を越えて岩手に入り大船渡へ。岩手県沿岸部で最も人口密度の高い都市で中心部には近代建築も多く残っていますが、今回は高台にある市役所のみ撮影。昭和44年7月に建てられたもので、耐震済みであることから当分はこのまま使用されることでしょう。

岩手開発鉄道 長安寺駅

盛川に沿って内陸に分け入り、岩手開発鉄道日頃市線の長安寺駅へ。岩手開発鉄道は地域振興や林産資源の輸送のため、大船渡線盛駅釜石線平倉駅を結ぶ鉄道として計画されました。戦争による工事の中断がありながらも昭和25年10月21日に盛~日頃市間が開業。その際、途中駅として開業したのが長安寺駅です。真宗大谷派の寺院片杉山長安寺の門前の集落に位置しています。駅舎は開業時に建てられたもので、屋根がそのまま伸びた入口庇などはまさに戦後派木造駅舎らしい造形です。

岩手開発鉄道 長安寺駅(ホーム側)

駅裏に回ってみました。平成4年4月1日の旅客営業廃止後もホームなどの設備はほとんどそのままで、平成初期のローカル駅の姿を今に伝えるタイムカプセルのようです。現役の駅だとどうしても補修等で近代化されがちなのですが、この駅は30年前に役目を終えているのでそのような近代化も行われていません。

長安寺駅を通過する貨物列車

駅裏を撮影しているとタイミングよく貨物列車が通過していきました。貨物専業となった現在、長安寺駅に残されているのは貨物列車が交換する信号場としての役目のみで、自動閉塞で無人化されているため駅舎はほとんど使われていないものと思われます。

岩手開発鉄道 日頃市駅

続いて日頃市駅へ。昭和27年の大船渡市成立まで存在していた気仙郡日頃市村の駅で、村の中心集落(閑谷)の西外れにありました。昭和25年10月21日の開業時はここが終点で、構内は2面3線と比較的大きな駅でした。旅客営業廃止後も駅舎は残っていますが、島式ホームと3番線は撤去されてシンプルな交換設備になっています。駅舎の方も入口庇が撤去され、入口扉がサッシ化されるなど長安寺と比べて手が入れられている様子。この差はなんでしょうか。

日頃市駅 貨物上屋

構内には駅舎だけでなく倉庫や詰所、貨物上屋なども残されており、長安寺同様に昔の駅の姿を今に伝えています。特に貨物上屋は貴重です。セメント輸送がメインだった岩手開発鉄道ですが、開業当初はこの貨物ホームを使って農林産物を運び出していたのでしょうか。この駅では自転車で来た同業者と遭遇、貨物列車目当てのファンは多いようです。駅舎や施設目当ての私みたいなのは少数派でしょう。

岩手開発鉄道 岩手石橋駅

続いて岩手石橋駅へ。昭和35年6月21日に開業した岩手開発鉄道の終点で、太平洋セメント大船渡鉱山からの石灰石積み出し駅となっています。駅の背後に石灰石鉱山とホッパーが聳えている様は圧巻ですが、特徴的なのは駅の構造。駅の手前を踏切で一旦通り過ぎた線路は画面右側でスイッチバックして駅構内に入ります。スイッチバック式の終着駅は廃止駅を含めても全国では当駅と東赤谷駅の2例しかありません。

岩手石橋駅手前の大カーブを曲がる貨物列車

到着した岩手石橋駅には数人の同業者。ほどなく盛方面から貨物列車がやってきました。岩手石橋駅手前の大カーブは撮影地として有名なようです。ただし午前中は逆光気味。

岩手石橋駅に向かう貨物列車

カーブを過ぎた列車は踏切を渡り、スイッチバックへ。左の建物が駅舎でその左が駅構内です。長く連なった貨物列車がゆっくりと引上げ線へ入っていきます。

スイッチバックで折り返して岩手石橋駅に入線する貨物列車

貨物列車の姿が消えてから約3分後、今度は最後尾の貨車を先頭にして貨物列車が入線してきました。編成が長い分、折り返すのにも時間がかかるようです。駅舎の手前にあるのが旅客営業時代に使っていたホーム。線路は既に剥がされています。一部2階建ての妙に細い駅舎は民家のようにも詰所のようにも見えます。長安寺・日頃市と比べるとあまり駅舎らしい見た目をしていないのは旅客営業当時から貨物駅としての役目がメインだったからなのでしょう。

世田米の街並み

岩手石橋を後に、白石峠を越えて気仙郡住田町に入り、世田米(せたまい)へ。昭和30年の合併で住田町となった気仙郡世田米町は盛街道と高田街道が分岐する宿場町として栄えたところで、気仙川に沿って形成された市街地に町家や蔵などが残っています。

昭和橋

世田米ではこの日、架け替えとなる昭和橋の渡り納め会が行われていました。昭和8年に架けられた昭和橋は宿場町をルーツとする世田米商店街と役場などがある川向地区を90年近くにわたって繋いできました。しかしながら幅が3.2mと狭く車両のすれ違いができないこと、増水時に橋脚に流木などが引っかかって水をせき止め浸水被害を招く恐れがあることなどから架け替えが決まり、11月4日より通行止めとなりました。

昭和橋

私は世田米に来るのも昭和橋を渡るのもこの日が初めてですが、せっかくなので渡り納め。長きにわたって世田米の人々の暮らしを支えてきた昭和橋、お疲れ様でした。解体工事は12月から本格化し、来年4月~5月に完了予定。新しい橋は令和7年度末の供用開始が予定されています。

上有住のベーハ小屋?

世田米を後に上有住へ向かう途中、気になる建物を発見したので立ち寄りました。Twitterで数年前に流れてきたツイートで住田町のどこかにあるとは知っていたのですが、こんなところにあるとは。そのツイートでは葉煙草を保管するためのベーハ小屋と書いていたように思うのですが、削除されたのか見当たらず。ネットを探しても情報が見つかりません。

葉山めがね橋

その近くには葉山めがね橋。昭和6年に完成した水路橋で今なお現役。美しく保たれており、観光名所となっているようです。

住田町民俗資料館(旧上有住小学校)

上有住の中心集落に入り、住田町民俗資料館へ。昭和3年上有住村立上有住小学校として建てられたもので、左右対称の美しい校舎建築です。建築当時、隣に明治41年築の校舎があったことからそちらを参考に明治末期の建築様式で建てられたとのこと。世界恐慌に加え冷害による大凶作で上有住村の財政も厳しい中、地域の復興や郷土教育振興の願いも込めて立派な校舎が建てられました。老朽化により、校舎としての役目は昭和59年で終えたものの、翌年に曳家移築されて民俗資料館となりました。その建築的価値が評価されて平成30年には国の登録有形文化財となっています。入館料はたったの250円、あまり行きやすいとは言えない立地ですが、一見とは言わず何度でも見る価値のある素晴らしい建物だと思います。

佐野駅

住田町を後に、箱根峠を高速道路で越えて釜石市小佐野へ。小佐野は釜石線駅めぐりで訪れていますが、撮っていない近代建築があったので昼食も兼ねて再訪。

たまり屋 こくだれ豚骨醤油ラーメン

昼食はたまり屋のこくだれ豚骨醤油ラーメン。大盛200gでご飯も無料なのだからお得です。動き回った身体に染みる濃厚なこってりラーメンでした。

釜石市役所

昼食の後は釜石市役所へ。鉄の街として栄え、戦前の昭和12年に市制施行、最盛期は人口9万人を数えた釜石市の本庁舎で、5つの庁舎と教育センター、保健福祉センターの7棟に機能が分散しています。第1庁舎は昭和29年、第2庁舎は昭和48年、第3庁舎は昭和49年、第4庁舎は昭和37年、第5庁舎は昭和36年建設といずれも老朽化しています。

釜石市役所第1庁舎

昭和29年建設で最も古い第1庁舎はその古さだけあって戦前のモダニズム建築と共通するデザインも見て取れます。昭和30年代以降の庁舎建築と比べると重厚感があって一世代前の建築といった感じです。丸い部分は階段棟でしょうか?今は物置みたいになっています。

金沢簡易郵便局

釜石を後にして大槌町に入り、大槌川沿いを遡って金沢(かねざわ)へ。昭和30年の合併で大槌町となった上閉伊郡金沢村で、小さな集落ながら役場の出張所や簡易郵便局があります。金沢簡易郵便局の隣には特定局時代の旧局舎が現存。おそらく戦前のものでしょう。

岩手県交通 廃車体

険しく人跡稀な土坂峠を越えて一旦宮古市小国に入り、また山を越えて遠野市へ。某所で道路沿いに岩手県交通の廃バスが2台置かれているのを見つけました。丁寧に2台並べてあること、状態が良いことから見て意図的に保存されているものでしょう。大事に守っていってほしいものです。

いすゞジャーニーK 自家用 廃車体

さらに山を下っていくと今度は自家用バスの廃車体がありました。こちらは物置になっている模様。ロゴが残っていたのでバスに詳しくない私でもいすゞジャーニーKだとわかりました。

旧附馬牛郵便局?

寄り道しながらも附馬牛(つきもうし)へ。昭和29年の遠野市成立までは上閉伊郡附馬牛村だったところで、昔話に出てきそうな長閑な景色が残っています。郵便局の向かいに建つのは随分とハイカラな感じのする洋風建築。今は個人宅となって入口も塞がれていますが、おそらく附馬牛郵便局の旧局舎でしょう。文化財級の逸品だと思います。

東和町谷内村村農会館(旧和賀郡谷内村役場)

馬越峠を越え、ちょっとだけ釜石線沿いを走って花巻市東和町に入り、谷内(たにない)へ。昭和30年の東和町成立まで和賀郡谷内村だったところで、昭和7年築の旧谷内村役場が復元されています。一応博物館的な施設となっているそうですが、普段は非公開のようです。丹内山神社の参道脇に建っていますが、ここもまた宮沢賢治ゆかりの地。

丹内山神社一の鳥居

少し下ったところの辻には丹内山神社一の鳥居が保存されています。幕末の嘉永(1848)元年に建てられたもので、当時は「盛岡藩領内で一番の杉の鳥居」と言われていました。昭和50年の道路整備で現在地に移築。きっと宮沢賢治が谷内を訪れた際にもこの鳥居をくぐったことでしょう。

盛岡に向けて走るうちに日も暮れ、岩手ドライブ旅も無事終了。盛岡駅西口23:20発オリオンバス1122便で東京へと向かったのでした。

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