例年に比べると少し早いですが、今年も「消えた駅舎」を振り返っていくことにしましょう。有名な駅舎は少ないものの、今年も多くの駅舎が過去帳入りしました。
1月
大正2(1913)年11月開業時に建てられた、寄棟造の木造駅舎。漆喰壁に板張りと古さをよく残していました。平成31(2019)年3月までは事務室部分にタクシー会社が入居しており、簡易委託の窓口がありました。維持費用削減を目指して簡素化されることとなり、1月3日に閉鎖されて108年に渡る役目を終えました。1月上旬に解体されています。
旧駅舎が大火で焼失したため、昭和30(1955)年12月に建てられた、鉄筋コンクリート造2階建ての横に長い駅舎。国鉄の地方主要駅らしい雰囲気をよく留めていました。改築工事のため、1月14日より駅前広場跡に設置された仮駅舎に移行し、その後解体されました。私にとっても途中下車や乗り換えで何度も利用した思い出深い駅舎です。地元産材を使用した新駅舎は来年秋完成予定。
昭和62(1987)年に改築された小さな駅舎ですが、内部には窓口跡がありました。老朽化に加え、地元住民からバリアフリー化の要望があったことから、湯梨浜町が2800万円をかけて改築。旧駅舎は1月中に解体されたと思われます。県産のスギやヒノキを使った木造の新駅舎は7月30日に竣工式が行われました。
1月にはこの他、新京成電鉄 松戸新田駅の駅舎が1月15日より仮駅舎に移行しました。
2月
大正11(1922)年9月開業時に建てられ、昭和60(1985)年1月に廃止、昭和63(1988)年に解体された駅舎を平成2(1990)年に「波田町観光案内所」として部材を使って新島々駅向かいに復元したものでした。波田町が松本市に合併された後も使用されていましたが、老朽化を理由に平成28(2016)年4月1日に閉鎖となり、今年2月1日より解体工事が始まりました。地元有志が活用を模索していたのに、「公道に面していないから入札対象にならない」という理由で民間への払い下げが拒否されたという点でも、今年消えた駅舎の中でも一番残念な事例でした。
築年不詳の木造駅舎。周辺駅の同型駅舎から推定するに、昭和10年代の改築。令和2(2020)年3月14日より無人駅となりました。令和3(2021)年7月12日より工事が始まり、9月3日より駅舎正面向かって左手に設けられた仮通路の使用を開始。その後右側の部分を解体して新駅舎が建てられました。新駅舎は2月4日より使用開始され、旧駅舎の残った左半分も解体されました。
3月
信号場からの昇格翌年、昭和33(1958)年に改築された木造駅舎。令和3(2021)年4月より工事が始まり、1月14日より仮囲いを設置して旧駅舎の一部を解体、3月19日より新駅舎の使用を開始しました。旧駅舎の残りの部分もその後解体されて、跡地は駐車場となっています。
昭和48(1973)年9月29日完成の高架駅で、高架下に待合室が設置されていました。高架耐震工事のため3月31日に待合室とトイレを閉鎖、その後解体されました。
4月
大正3(1914)年8月開業時に建てられた、寄棟造の木造駅舎。令和3(2021)年8月末より改築工事に着手し、駅舎とホームの間に新駅舎が建てられました。新駅舎は12月16日17時より使用が開始され、旧駅舎は四カ月の存置の後、4月上旬に解体されました。閉鎖から解体まで期間が空いたのは、冬場は雪が多く解体工事が難しいと言った事情によるものでしょう。
5月
大正13(1924)年7月開業時に建てられた押縁下見板張りの木造駅舎。3月より改築工事が始まり、4月7日より便所を撤去、駅舎は5月24日に閉鎖され、6月上旬より右半分を解体。残りの左半分は11月上旬に解体となり、新駅舎は12月14日より使用開始されました。
6月
平成10(1998)年12月完成、一部二階建ての駅舎でした。令和3(2021)年8月よりリニューアル工事を実施し、6月5日より新駅舎の使用を開始。新駅舎と駅前広場は地元・川西町出身で「WEST EXPRESS 銀河」などを手掛けた建築デザイナー・川西康之氏の監修によるもので、駅舎は伝統の大和棟をモダンに表現したものとなりました。
6月にはこの他、牟岐線 中田駅が6月6日より仮駅舎に移行して役目を終えました。
7月
昭和27(1952)年改築の木造駅舎。バリアフリー化のため、令和2(2020)年9月28日より工事が行われてきました。6月20日より新駅舎の使用を開始。旧駅舎は7月3日にお別れ会を行った後、7月4日より解体されました。お別れ会についてのニュース記事で築年を初めて知ったのですが、この見た目で戦後築とは意外でした。もっと古い駅舎だと思っていたのですが。
昭和3(1928)年10月開業時の木造駅舎が平成13(2001)年1月に解体された後に設置された待合室でした。旧駅舎の車寄せがゲートとして残され、待合室内には旧駅舎の窓口部分が保存されていました。7月18日より工事が開始され、恐らく7月中に解体されたものと思われます。
平成7(1995)年9月改築、青谷コミュニティセンターとの合築駅舎でした。7月23日より自由通路・橋上駅舎の使用を開始。旧駅舎は役目を終えたものの、青谷コミュニティセンターは外壁工事を行って引き続き使用される見込みです。
昭和4(1929)年12月、庄内電気鉄道の駅として開業した際に建てられた駅舎。善宝寺をイメージした寺院風駅舎でした。昭和50(1975)年4月の廃止後、昭和53(1978)年4月より「善宝寺鉄道記念館」として使用されたものの、入場者数減少や老朽化を理由に平成5(1993)年に閉館となりました。駅舎は閉館後も残されていたものの、建物の傷みが激しいことから7月26日より解体。それに先立って7月23日より安全祈願が行われました。
7月にはこの他、広電宮島口駅が7月2日より新駅舎に移転し、下旬に解体されました。
8月
鉄筋コンクリート造平屋建ての駅舎と3面2線の頭端式ホームから成る路面電車のターミナル駅でした。平成30(2018)年9月4日の台風21号で被災し、復旧に合わせてバリアフリー化することとなり、令和2(2020)年2月1日より約100m南に造られた新ホームに移転しました。その後、ホームは解体されて駅舎だけが残っていたものの、今年8月17日頃より解体されました。
昭和25(1950)年改築、妻面に出入口のある木造駅舎でした。県道203号金井高崎線の拡幅工事に伴って8月26日より新駅舎・新ホームに移転。旧駅舎は10月上旬までに解体されました。
明治35(1902)年6月開業時に建てられた寄棟造の木造駅舎で、平成23(2011)年12月頃に改装されました。老朽化による改築工事のため、8月28日までに仮駅舎に移行しました。新駅舎は今年度末完成予定です。
8月にはこの他、豊橋鉄道渥美線 やぐま台駅の駅舎が下旬に解体されました。
9月
明治27(1894)年12月、「新城」として開業した際に建てられた入母屋造の木造駅舎。簡易駅舎への改築工事のため、9月7日より仮駅舎に移行し、128年に及ぶ役目を終えました。新駅舎は新城川をイメージしたルーバーが取り付けられたデザインで、12月下旬より使用開始となる予定です。
昭和60(1985)年頃に改築された貨車駅舎で、ヨ3500形車掌車を転用したものでした。利用者減少のため、3月12日に廃止となり、駅舎は9月13日に撤去されました。
昭和55(1980)年3月改築の駅舎で、簡易委託の窓口跡がありました。利用者減少のため、3月12日に廃止。駅舎は9月13日から10月8日にかけて解体されました。
昭和14(1939)年10月開業時に建てられた、天井の高い木造駅舎。改築工事に伴って9月16日より仮駅舎に移行して役目を終え、10月に解体されました。無人化後も綺麗に保たれていて、改築が惜しまれる名駅舎ですが、基礎部分などくたびれた部分も見られました。
昭和27(1952)年12月改築、鉄筋コンクリート造平屋建ての駅舎。9月30日より新駅舎の使用を開始しました。この手の国鉄モダニズム駅舎も70年前の建物ということが信じられません。
10月
昭和32(1957)年8月改築の木造モルタル駅舎。札沼線の運行拠点駅で、廃止までタブレット交換が行われていました。令和2(2020)年5月7日の廃止後はバス待合室として使用されていましたが、8月1日に閉鎖され、10月上旬より解体されました。
昭和37(1962)年6月改築の鉄筋コンクリート造平屋建ての駅舎。平成19(2007)年2月末に改装されて「駅の駅・くしま」となりました。令和3(2021)年4月に「道の駅くしま」がオープンすると「駅の駅」は閉鎖となり、駅舎も今年10月に解体されました。
昭和24(1949)年2月改築の木造駅舎。国道5号を挟んで噴火湾と向かい合う立地でした。利用者減少のため、3月12日に廃止。10月19日頃より解体されました。てっきり信号場として残ると思っていたのですが、複線区間で本数の少ない普通を追い抜く機会も少ない以上、信号場として維持していく必要もないのでしょう。
昭和31(1956)年7月の仮乗降場としての開業時に地元住民が建てたと思われる、所有者不明のこじんまりとした木造待合室でした。老朽化により傾きが激しいことから6月29日までに閉鎖、10月24日に撤去されました。路線自体の廃止が決まっているものの、少数ながら利用者がいることからプレハブの新待合室が11月10日より使用開始となりました。
11月
昭和24(1949)年11月改築、天井の高い木造駅舎。老朽化から解体されることとなり、8月27日に「駅舎ありがとうイベント」を行った後、10月末に閉鎖され、11月上旬に解体されました。跡地には蒲郡市がトイレ併設の待合所を建設する予定です。
昭和31(1956)年10月改築、かつての栄華を思わせる大柄な駅舎でした。路線廃止に伴い、平成31(2019)年4月1日に廃止。11月上旬より解体されました。夕張支線は廃止から3年以上が経つというのに駅舎の解体事例は初めてで、早々と跡地の転用が行われている札沼線とは対照的です。
昭和40(1965)年12月開業時のものと思われる鉄筋コンクリート造平屋建てのこじんまりとした駅舎。11月5日より新駅舎を使用開始し、旧駅舎は11月中に解体されました。川西康之氏デザインの新駅舎は大きな屋根が個性を感じさせます。
昭和20(1945)年6月、渡島沼尻信号場としての開業時に建てられた駅舎で、分割民営化時に駅に昇格してからも引き続き使用されました。老朽化のため、令和3(2021)年11月30日限りで閉鎖となり、それから一年経った11月28日より解体されました。
12月
妻面に出入口のある、こじんまりとした木造駅舎。大正4(1915)年10月開業時のものかもしれません。12月3日より新駅舎の使用を開始して役目を終えました。古い駅舎の宝庫・南海電鉄も駅舎の改築が少しずつ進められています。
昭和40年代に建てられたと思われる一部二階建ての駅舎。昔ながらの私鉄郊外駅と言った趣です。12月8日より旧駅舎の奥に建てられた新駅舎の使用を開始して役目を終えました。ちなみに上りホーム駅舎は2月17日より使用開始されています。
昭和40年代に建てられたと思われる一部二階建ての駅舎。改札前には売店跡がありました。12月17日より新駅舎が使用開始され、役目を終えました。新駅舎は花山と同じく川西康之氏デザインで、大屋根の下にはベンチのある広場が設けられる予定です。
明治31(1898)年4月開業時に建てられた木造駅舎で、平成23(2011)年12月27日に隅田中学校美術部の生徒と卒業生によってかわいらしいイラストが描かれました。9月1日より新駅舎の使用を開始。旧駅舎は10月30日に「隅田駅感謝祭」が行われ、12月に解体されました。地元から愛されているのが伝わる駅舎だけに解体が惜しまれます。
以上、今年消えた駅舎を振り返ってみました。去年に引き続き北海道での廃駅の解体が目立った一方で、島々と善宝寺という保存駅舎の解体という文化財保存の難しさを感じさせてくれるニュースもありました。関西私鉄での駅舎改築も目立ちましたが、そのうち3駅はいずれも新駅舎が川西康之氏のデザインということで、来年以降も素晴らしい駅舎を生み出してくれることに期待したいものです。