まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

1/4 新春吉備線駅めぐり

新年一発目の駅めぐりは吉備線

まねき 学割うどん

逆瀬川を5:06発普通西宮北口行き2(5506)で出発し、西宮北口5:19発普通新開地行き5(7627)、高速神戸5:56発直通特急山陽姫路行き9053(8238)を乗り継いで姫路へ。姫路7:31発普通新見行き1307Mへの乗り換え時間を利用してホーム上の駅そば店「まねき」の学割うどんで朝食としました。

総社駅

姫路7:31発普通新見行き1307M(クハ111-566)で総社へ。総社市の代表駅で、伯備線吉備線のほか、井原鉄道も乗り入れています。大正14年2月、伯備南線の倉敷~宍粟(現:豪渓)間開業時に「西総社」として開業、同年8月に中国鉄吉備線が初代「総社」駅(現:東総社)から延伸して乗り入れました。中国鉄吉備線昭和19年6月に国有化、西総社駅は昭和34年11月に改称されて二代目「総社」駅となりました。駅舎は井原鉄道開業を前にした平成10年12月に橋上化されています。

D51 889

総社駅から10分ほど歩いて石原公園へ。ここには伯備線などで活躍したD51 889が保存されています。昭和19年4月12日に日立製作所笠戸工場で製造、門司に新製配置されて熊本、人吉、吉松と九州で長く活躍したのち、昭和45年10月30日に新見にやってきて最後の二年間をここで過ごしました。廃車は昭和47年7月4日です。屋根があるので状態は良いのですが、柵が高すぎるのと前照灯がないのが残念。

総社市役所

続いて総社市役所へ。総社はかつて吉備国国府が置かれていたところで、市名は備中国総社宮に由来します。市役所本庁舎は昭和44年、西庁舎は昭和47年竣工とそれぞれ耐震性が低いことから新庁舎建設が計画されています。残念ながら逆光だったので建て替えまでにまた来たいところ。

カヤノ写真館

総社の個人邸

総社の個人邸

旧亀屋

まるこし

総社の個人邸

総社市役所から北東に行ったところに総社のかつての中心があり、商店街通りに沿って数多くの近代建築が残っています。北向きの建物が多いので、天気が良すぎると逆光になってしまうのが難点。やはり建物の撮影は曇りの日が一番です。

総社市まちかど郷土館(旧総社警察署)

総社市まちかど郷土館は明治43年に総社警察署として建てられたもので、昭和34年まで警察署として使われていました。設計は以前のドライブでも多くの作品を目にした江川三郎八。

東総社駅

旧市街の最寄りは吉備線東総社駅明治37年11月に中国鉄吉備線の終点「総社」として開業した駅で、昭和34年10月に「東総社」に改称されました。当駅改称の一カ月後に西総社駅が二代目の総社駅となっています。元はこちらが総社駅だっただけあって総社市の中心へはこちらの方が近いものの、中心の座を譲ってから60年が経つため活気には欠けます。昭和55年3月改築の駅舎は開放的な造りで、平成16年4月までは有人駅でした。

総社駅

東総社10:56発総社行き739D(キハ47-3001+キハ47-99)で再び総社へ。吉備線の終点で、吉備線は切欠きホームの0番線を使用しています。先程は撮れなかった部分を色々を撮影。

足守駅

総社11:13発岡山行き744D(キハ47-99+キハ47-3001)で足守へ。集落よりも少し高いところにある棒線駅で、昭和48年10月築の簡素なブロック造待合所と平成19年10月築のさらに小さな待合所が並んで建っています。かつては有人駅で駅舎もありました。駅名は昭和46年5月に岡山市編入された吉備郡足守町(旧:賀陽郡足守村)に由来しますが、駅が設置されたのは隣の生石村福崎(町村制までは賀陽郡福崎村)でした。足守は豊臣秀吉の正妻・ねね(北政所)の兄・木下家定小早川秀秋の父)を祖とする木下氏が治めた足守藩二万五千石の陣屋町で、緒方洪庵の出身地としても知られています。駅が足守にないのにその名を名乗ったのは、足守という地名の知名度もあるでしょうが、吉備線を開業させた中国鉄道社長の藤田連蔵が足守に居を構えていたという事情もあるそうです。

服部駅

足守11:36発総社行き741D(キハ47-1038+キハ47-45)で服部へ。明治41年4月に新設された駅で、駅名は昭和46年4月に総社町編入された吉備郡服部村に由来します。無人駅ですが、岡山県立大学の最寄り駅のためローカル駅にしては利用客が多めです。

服部駅 旧駅舎

駅裏手には現駅舎への改築まで使われていた旧駅舎が移築の上で倉庫として使われています。詳細は不明で移築年もよく分かっていませんが、建物の特徴から見て明治41年開業時のものの可能性もあります。瓦屋根に中国鉄道のマークが残っていますが、撮り忘れました。

備中高松駅

服部12:21発岡山行き746D(キハ47-45+キハ47-1038)で備中高松へ。昭和46年1月に岡山市編入された旧:吉備郡高松町の駅で、令和3年5月31日までみどりの窓口が設置されていました。駅舎は昭和55年12月改築、簡素な駅が多い吉備線の途中駅の中では一番立派な駅舎です。最上稲荷の最寄り駅で、昭和6年2月までは「稲荷」を名乗っていました。明治44年5月には当駅から分岐して最上稲荷門前の「稲荷山」に至る中国鉄道稲荷山線が開業したものの、国有化前の昭和19年1月に廃止されています。また、羽柴秀吉の水攻めで有名な清水宗治の居城・備中高松城址の最寄り駅でもあります。

高松の洋館

岡山県立高松農業高等学校資料館(旧岡山県立農学校堆肥舎)

次の列車までの時間で駅前を散策。岡山県立高松農業高等学校資料館は明治42年岡山県立農学校堆肥舎として建てられたもので、国の登録有形文化財。煉瓦壁に虫籠窓、茅葺屋根という和洋折衷スタイルです。

大安寺駅

備中高松13:16発岡山行き748D(キハ40-3004+キハ40-3005)で大安寺へ。吉備線では唯一の島式ホームの駅で、有人駅時代は駅舎がありました。大正3年2月、中国鉄道の大株主だった畳表問屋の豪商間野氏の出資による仮停留場として開業、翌年7月に停留場となり、昭和3年11月に正式な駅となりました。駅入口にある待合所は昭和48年11月築で、ホーム上には昭和5年6月設置の古い木造上屋が残っています。駅名の由来は明治22年の町村制で大野村が成立するまで存在した御野郡大安寺村に由来します。御津郡大村は昭和27年5月に岡山市編入、実業家・土光敏夫の出身地(生家は北長瀬)でした。

上正野田公会堂

駅前の道を少し北へ行くと上正野田(かみしょうのだ)公会堂があります。築年不詳、増築されていますが、相当古い建物のようです。

備前一宮駅

大安寺13:59発総社行き747D(キハ40-3005+キハ40-3004)で備前一宮へ。備前国一之宮・吉備津彦神社の最寄り駅で、明治37年11月に「一ノ宮」として開業しました。駅名は「一宮」となったのち、大正5年2月に「備前一宮」に改称されています。駅舎は平成20年12月に改築されたもので、同年10月末まで中国鉄道開業時以来の木造駅舎が使用されていました。

岡山市北区役所一宮地域センター(旧:御津郡一宮町役場)

駅前には一宮地域センターの旧庁舎が残っていました。昭和31年2月に御津郡一宮町役場として建てられたものです。一宮町は昭和46年1月に岡山市編入、以降は支所、そして地域センターとして使われてきたものの、令和4年5月16日の移転で役目を終えました。築60年越えの古い建物なので、さすがに今後解体されるでしょうね。

備前三門駅

備前一宮14:21発岡山行き750D(キハ47-45+キハ47-1038)で備前三門へ。岡山市郊外の住宅街にある駅で、昭和48年10月築と平成19年10月築、二つの待合所が設置されています。便所には明治37年10月の建物財産標がありました。明治37年11月に「三門」として開業、国有化時に外房線三門駅と区別するために「備前」が冠されました。開業時の所在地は御津郡石井村下伊福で、大正10年3月に岡山市編入されています。石井村は明治22年の町村制までは御野郡巌井村で、明治11年9月の郡区町村制施行から明治16年6月までは御野郡役所が置かれていました。

岩井の洋館

三門西町の洋館

アトラス吉備寮

備前三門駅からは周辺の近代建築を見ながら歩いて東へ。備前三門駅周辺は岡山の山の手住宅地といった感じで、風格ある洋風住宅が残っていました。

岡山気動車

そのまま東へ歩き、歩道橋で岡山気動車区と山陽本線を越えました。津山線吉備線をはじめとした岡山支社管内の路線で使用される気動車が所属する車両基地で、津山線開業時の始発駅「岡山市」駅もこの辺りにあったとされています。タラコ色のキハ40が勢ぞろいする様は圧巻ですが、このような景色も果たしていつまで見られるでしょうか。

番町の洋館

番町の洋館

ミニサロンAKEBONO(旧:廣瀬醫院)

番町の洋館

両備文化振興財団番町分室

線路を越えたところの番町は近代建築の宝庫。戦前に建てられた洋館が数多く残っています。

紬屋旅館

紬屋旅館は築80年の古民家を改装した一日一組限定の旅館。

南方の洋館

みんなが集まる博士の家 広瀬町コミュニティハウス

「みんなが集まる博士の家」は昭和初期に医学博士・津田誠次(1893~1973)によって建てられた住宅を公益的活動のために改修したもので、地域の人々の集まる場所として活用されています。

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近代建築を探しながら歩き、旭川を岡北大橋で渡って西川原・就実駅へ。16:47発普通姫路行き1326M(モハ114-1158)、姫路18:10発新快速4号野洲行き3514M(モハ223-1006)、阪急三宮19:01発特急梅田行きK1900(1052)、西宮北口19:27発普通宝塚行き1979(5541)を乗り継いで帰宅しました。