まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

2/1 山陽本線・岩徳線駅めぐり

2/1~2/5の4日間、山口県を旅しました

カルスト号で岩国へ

前夜22:40に三宮バスターミナルを出た近鉄高速バス「カルスト号」が岩国駅前に着いたのは定刻より2分早い6:07。走ったおかげで予定より一本早い岩国6:10発普通新山口行き3307M(クハ115-3102)に乗ることができました。

由宇駅

由宇で下車。平成18年3月の合併で岩国市となった旧:玖珂郡由宇町の駅で、昨年10月に無人化されるまではみどりの窓口がありました。由宇町にはカープの練習場があることから、駅舎のあちこちに「カープ坊や」の装飾がなされています。昭和56年3月改築の駅舎は開放的な造りで、山口県内の中規模駅ではよく見かけるデザインです。

公民館?

一本早い列車に乗ったおかげで時間が確保できたので日の出前後の由宇を散策。写真の建物は公民館のようですが、詳細は不明。

由宇文化会館・岩国市由宇総合支所(旧:玖珂郡由宇町役場)

岩国市由宇総合支所は昭和39年に玖珂郡由宇町役場として建てられたもので、築60年近い古い建物ですが、耐震済みなのでこれからも使用されそうです。その隣の由宇文化会館は昭和58年3月竣工。由宇は物資の集散地として発展し、江戸時代には代官所が置かれたところで、古い建物もいくつか残っていますが、近代建築は少なめでした。

柳井港駅

由宇7:34発普通下関行き3313M(クハ115-3009)で柳井港へ。愛媛県三津浜平群島・祝島へのフェリーが発着する柳井港の最寄り駅で、昭和4年4月に開業しました。昭和45年8月改築の駅舎はシンプルなデザインのモダニズム駅舎です。滞在時間が短く充分に撮れなかったのに加えて、駅前の車が邪魔で微妙な写真になってしまったので、そのうちリベンジしたいものです。

大畠駅

柳井港8:03発普通岩国行き3308M(クハ115-3104)で大畠(おおばたけ)へ。平成17年2月に柳井市と合併した旧:玖珂郡大畠町の駅で、昨年10月に無人化されるまではみどりの窓口がありました。駅舎は大柄な木造駅舎で、近年まで屋根に大きな駅名表示が掲げられていましたが、撤去されて安っぽいシールの駅名表示に変わっています。明治30年9月開業、当時の所在地は玖珂郡神代村で、昭和30年4月の合併で大畠町となりました。

大畠駅

大島瀬戸に面した立地の駅で、ホームからは対岸に周防大島が見えます。周防大島(屋代島)は瀬戸内海では淡路島、小豆島に次いで3番目に大きな島で、人口は一万人を超えています。大畠駅からはかつて大島の小松港とを結ぶ大島連絡船が出ていましたが、大島大橋架橋によって昭和51年7月5日に廃止されています。

大畠駅 乗換案内

周防大島には鉄道のない島としては唯一の国鉄バス路線「大島線」もあり、民営化後はJRバス中国に引き継がれましたが、平成19年10月より防長バスに移管されています。ホームの乗換案内にはまだその名前が残っていました。

柳井駅

大畠8:45発普通徳山行き3317M(クモハ226-6)で柳井へ。「岩国吉川領の御納戸」として栄えた商業都市柳井市の代表駅で、無人化が進められているこの辺りでは貴重な有人駅です。昨年3月のICOCA導入に合わせて自動改札機が設置されました。昭和36年4月改築の駅舎は一部二階建ての立派なもので、改札部分は天井の高い吹き抜けになっています。明治30年9月に山陽鉄道の「柳井津」として玖珂郡柳井村に開業、昭和4年4月に「柳井」に改称されました。昭和9年12月に現在の岩徳線が「山陽本線」の一部として全通すると、当駅を含む麻里布(現:岩国)~櫛ヶ浜間は「柳井線」となりましたが、昭和19年10月には再び山陽本線に戻っています。ほんの一時期とは言え路線名になった辺り、岩国~徳山間では柳井が一番の主要駅と見なされているのでしょう。

下松駅

柳井9:20発普通下関行き3319M(クハ115-3004)で下松(くだまつ)へ。山口県で最も人口密度の高い下松市の代表駅で、昭和40年11月に山口県で初めての橋上駅舎となりました。明治30年9月開業時の所在地は都濃郡豊井村で、明治34年3月の町制施行時に改称して下松町となり、昭和14年11月に合併して下松市となっています。下松は日立製作所笠戸工場があるところで、ここで製造された鉄道車両の多くは専用線を経て当駅から全国へと甲種輸送されています。

光駅

下松10:16発普通岩国行き3320M(クハ115-3118)で光へ。戦時中に光海軍工廠が置かれ、戦後は工業都市として発展した光市の代表駅ですが、中心部からは大きく離れています。昭和58年6月改築の駅舎はモダンなデザインの平屋建てで、駅近くの虹ヶ浜にちなんで虹が描かれています。明治45年4月に「虹ヶ浜」として熊毛郡浅江村に開業、浅江村は昭和14年4月に光井村などと合併して熊毛郡周南町となり、昭和15年10月に改称して光町となりました。駅名もそれに合わせ、昭和16年2月に改称されています。熊毛郡光町は昭和18年4月に室積町と合併して市制施行、光市となりました。室積は古くより栄えた港町で、山陽鉄道も当初は室積を通る計画でした。室積経由のルートが採用されなかった理由については鉄道忌避伝説があったとされていますが、航空写真で見る限り地形の制約によるもので、忌避伝説は後からでっち上げられたものである可能性が高いです。

光駅

光駅ホームはこれまでの変遷を思わせる複雑な配置の2面3線で、線路を撤去した後がそこかしこに残っています。元は島式2面4線+中線だったのが、優等列車の廃止などで不要になった線路を撤去した結果、現在の配置になったのでしょう。15分ほどの滞在では足りませんでした。

櫛ヶ浜駅

光10:37発普通下関行き3321M(クハ115-3014)で櫛ヶ浜へ。岩徳線の分岐駅ですが、岩徳線の列車は全て山陽本線に直通し、隣の徳山駅を起終点としています。昭和46年3月改築の駅舎は二つの路線の分岐駅にしてはこじんまりとした造りで、昨年10月に無人化されています。昭和3年2月に都濃郡久米村(昭和17年2月徳山市編入)に開業、昭和7年5月に岩徳西線が周防花岡まで開業して分岐駅となりました。その2年後には柳井線よりも距離の短い岩徳線ルートが山陽本線となっていますが、わずか10年で柳井線が本線として返り咲いています。岩徳線は距離こそ短いものの勾配やカーブが多く、複線化にはトンネルをもう一本掘らねばならなかったことが柳井線返り咲きの理由となりました。櫛ヶ浜からは岩徳線の駅を巡っていきます。

米川駅

櫛ヶ浜11:19発岩国行き2232D(キハ40-2080+キハ40-2033)で米川へ。昭和9年12月、山陽本線新線岩国(現:西岩国)~高水間開業時に開設された駅で、島田川に沿った山間にあります。元は木造駅舎のある有人駅でしたが、昭和46年3月に無人化、昭和54年2月に簡易駅舎に改築されています。開業時の所在地は玖珂郡米川村で、村名は島田川の別名「米川」に由来します。米川村は昭和30年4月の合併で周東町(平成18年の合併で岩国市)となりました。

米川駅

棒線駅ですが、ホームは元々島式1面2線だったようで、1番線跡を潰して駅舎が建てられています。駅前には貨物ホーム跡も残っており、観察してみるとなかなか楽しい駅でした。

生野屋駅

米川12:08発徳山行き2231D(キハ40-2123)で生野屋へ。国鉄分割民営化のわずか5日前、昭和62年3月27日に地元の請願で開業した駅で、駅舎はありません。周辺は新興住宅地で、駅裏には山陽新幹線の高架が通っています。明治22年の町村制で都濃郡末武北村となるまで当地は都濃郡生野屋村でした。末武北村は昭和4年4月に改称して花岡村となっています。

内山兄弟商会

生野屋から歩いて周防花岡へ。道中、花岡村のかつての中心を通りました。都濃郡花岡村は西国街道五十次39番目の宿場町・花岡宿として栄えたところで、古い建物がいくつか残っています。地名については「端岡(はなおか)」が転じたことが由来と言われています。花岡村は昭和14年11月の合併で下松市となりました。

周防花岡駅

周防花岡駅昭和7年5月、岩徳西線の終点として開業。花岡駅が既に北秋田郡花岡村(現:大館市)の小坂鉄道(廃止)にあったことから国名の「周防」と冠したものと思われます。開業時に建てられた木造駅舎は小ぶりながらギャンブレルのファザードが目を惹く美しいもので、個人的には日本でも有数の名駅舎の一つだと思います。山口県でも近年は駅舎の改築が進んでいますが、当駅はなんとか生き延びてほしいものです。

勝間駅

周防花岡13:55発岩国行き2234D(キハ40-2123)で勝間へ。昭和9年3月、岩徳西線高水延伸時に開業した駅で、築堤上にホームがあります。ホームへ上がる階段には数年前まで屋根が架かっていたそうですが、撤去されて雨ざらしになっています。平成21年ごろまでは駅入口に農協の建物がありました。開業時の所在地は熊毛郡勝間村で、昭和31年9月の合併で熊毛町(現:周南市)となっています。

勝間駅

ホームの向かいには対向ホームの跡があり、かつては交換可能駅だったことがわかります。元は駅舎もあるれっきとした有人駅で、おそらくは階段の上り口に木造駅舎があったのでしょう。昭和55年に農協との合築駅舎となりましたが、先述のように平成21年ごろに解体されています。

周防久保駅

勝間14:22発徳山行き2233D(キハ40-2081)で周防久保へ。相対式ホームの交換可能駅で、昭和9年3月開業時に建てられた木造駅舎が残っています。駅前は山間の国道沿いと言った感じですが、航空写真で見てみると近くにニュータウンがあります。さすがにこの本数ではニュータウンの住民がこの駅を利用することはほとんどないでしょうが。開業時の所在地は都濃郡久保村で、昭和14年11月の合併で下松市となっています。駅名に冠された国名は、先に開業していた佐久鉄道(現:小海線)久保停留場(現:北中込駅)との重複を避けるためのものでしょう。

都濃郡と熊毛郡の境界

周防久保から国道2号線を歩いて大河内へ。途中、下松市と周南市熊毛町の境を通りましたが、その地点には都濃郡と熊毛郡の境界を示す道標が建っていました。歴史を遡ると、ここは都濃郡切山村(→久保村)と熊毛郡大河内村(→勝間村)の境でした。

垰停留所

熊毛郡に入ってしばらく歩くと垰停留所、垰交差点が現れました。「垰」は「たお」と読み、「山の尾根のくぼんだ(たわんだ)ところ・鞍部」を意味し、「だわ」とも読みます。ちなみに都濃郡側の交差点は「峠市(たおいち)」で「峠」の字が宛てられています。「山のくぼんだ所」ということは、おそらく久保の地名もこの地形に由来するのでしょう。

河内駅

垰交差点を過ぎると大河内(おおかわち)駅はすぐそこです。せっかくなら駅名も「垰」にした方が個性があって良かったのではないかという気もしますが、常用漢字外ではさすがに無理でしょうね。生野屋と同日、昭和62年3月27日の開業で、生野屋と同じくホームだけの簡素な駅です。駅前には新興住宅地があり、利用者は周防久保より多いようです。

高水駅

大河内16:08発岩国行き2236D(キハ47-2016+キハ47-1006)で高水へ。平成15年4月の合併で周南市となった旧:熊毛郡熊毛町の玄関口で、昭和9年3月に岩徳西線の終点として開業しました。終着駅だったのはわずか8か月ほどで、同年12月には山陽本線新線として全通しています。開業時の所在地は熊毛郡高水村で、昭和31年9月の合併で熊毛町となっています。駅舎は同日に開業した周防久保と同じデザインで、寸法を除けばそっくりですが、駅名表示や屋根の材質が違うだけでだいぶ印象が異なります。

島田駅

高水16:41発徳山行き2235D(キハ47-3019+キハ47-63)で櫛ヶ浜へ。17:08発山陽本線普通岩国行き3336M(クモハ227-17)に乗り換え、島田で下車。東海道本線にも同名の駅がありますが、こちらの読みは「しまた」でよくある読みとは異なります。昭和47年4月改築の駅舎は微妙に簡素な造りで、屋根と壁の間に隙間があります。開放的な造りにしている以上、雨風や虫や埃はどっちみち入って来るのだからあまり問題はないのかもしれませんが。おそらく壁の上部を屋根と密着させるよりも工費が安く済むからでしょう。明治30年9月開業時の所在地は熊毛郡島田村(しまたそん)で、昭和14年4月の合併で周南町(現:光市)となりました。

岩国駅

島田17:56発普通岩国行き3338M(クモハ227-6)で岩国へ。山口県最東端・岩国市の代表駅で、岩徳線が分岐しています。明治30年9月開業時の所在地は玖珂郡麻里布村(まりふそん)で、駅名も昭和4年2月から昭和17年4月までは「麻里布」でした。麻里布村は昭和3年4月に町制施行して麻里布町となり、昭和15年4月の合併で岩国市となっています。平成29年11月26日使用開始の橋上駅舎は四代目で、旧玖珂郡域の中心都市の玄関口にふさわしい風格を見せています。

岩国駅 旧西口駅舎(H27-8-23)

前回訪問は実に7年半前。改築工事に向け三代目駅舎が役目を終えると聞いての日帰り強行軍でした。三代目駅舎は昭和24年改築、二代目駅舎が昭和20年8月14日の空襲で焼失したことによって建てられたものでした。天井の高い立派な戦後派駅舎で、反対側にはこじんまりとした東口駅舎がありました。あまりの変わりようにとても同じ駅とは思えず、7年半の月日を感じました。

この日は駅前のシティホテル安藤に宿泊。