まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

2/2 岩徳線・山陽本線・宇部線駅めぐり

山口セントラルパス駅めぐり二日目も引き続き、岩国からスタート

柱野駅

岩徳線の下り始発列車である岩国5:00発徳山行き2221D(キハ47-1007+キハ47-2016)に乗車し、柱野で下車。岩国と玖珂盆地を隔てる欽明路峠越えの途中にある駅で、周辺に人家はあまり多くありません。駅前よりも高いところに島式ホームがあり、駅舎は無いものの、ホームに上がる階段は屋根付きです。昭和9年12月開業時の所在地は玖珂郡師木野村(しぎのそん)で、明治の町村制まで存在した六呂村・吐村・柱村から一字ずつ取った合成地名です。師木野村は昭和30年1月に岩国市に編入されました。

柱野駅

柱野駅に降り立ったのは日の出までまだ遠い5時台で、カメラを持つ手がかじかむほどに冷え込んでいました。柱野駅の待合所は締切不可で、この季節に列車を待つにはつらいです。5時半ごろ、岩国方面から回送列車(キハ47-3019+キハ47-63)がやってきて、一分ほど停車の後、走り去っていきました。おそらく平日のみに運転される周防高森5:53発岩国行き2222Dの送り込みでしょうが、寒い中列車を待つ身にとっては恨めしいものがあります。

玖珂駅

柱野6:13発徳山行き2223D(キハ40-2033+キハ40-2080)で玖珂へ。平成18年3月の合併で岩国市となった旧:玖珂郡玖珂町の玄関口で、簡易委託の窓口が設置されています。駅員さんが改札に立って通勤通学客と挨拶を交わすのは昔ながらの駅と言った感じで、見ていて心が温まります。駅舎は昭和9年12月開業時のものですが、平成15年4月にコミュニティ施設が増築されています。2番ホームは駅名標も残っているものの、使用されていません。玖珂町西国街道34番目の宿場町として栄えたところで、明治22年の町村制で単独村制を敷いて以来、平成の大合併まで一度も合併することがありませんでした。

欽明路駅

玖珂6:39発岩国行き2224D(キハ40-2121+キハ40-2081)で欽明路へ。平成2年9月27日に開業した岩徳線では最も新しい駅で、駅名は岩徳線一番の難所「欽明路峠(きんめいじだわ)」にちなみます。築堤上にホームがあり、待合室はホームに上がる階段の前に設置されています。欽明路峠の名は駅近くの欽明寺という寺に由来しますが、欽明天皇が筑紫から都へ帰る際当地に御輿をたてて休息したことにちなんで名付けたという説があります。

周防高森駅

欽明路7:05発徳山行き2225D(キハ47-3019+キハ47-63)で周防高森へ。平成18年3月の合併で岩国市となった旧:玖珂郡周東町の玄関口で、簡易委託の窓口が設置されています。昭和9年12月、山陽本線の駅として開業した際に建てられた木造駅舎は、ギャンブレル屋根のファザードが美しい立派なもので、同じくギャンブレル屋根の周防花岡と比べると待合室が広く取られています。駅舎の写真を撮っていると、駅員さんから「(ローカル線の駅で)こんな立派なロータリーがある駅あまりないでしょ?」と言われました。

高森の街並み

昭和9年12月開業時の所在地は玖珂郡高森町で、昭和30年4月の合併で周東町となりました。高森は西国街道35番目の宿場町として栄えたところで、街道沿いには何軒か古い建物が残っています。

新南陽駅

周防高森8:03発徳山行き2227D(キハ40-2081+キハ40-2121)で徳山へ。8:52発普通下関行き3313M(クハ115-3021)に乗り換え、新南陽で下車。平成15年4月の合併で周南市となった旧:新南陽市の代表駅ですが、昨年10月に無人化されています。大正15年4月、「周防富田(すおうとんだ)」として都濃郡富田町に開業しました。富田町は戦時中に徳山市の一部となるも昭和24年8月に分立し、昭和28年10月に福川町と合併して南陽町となりました。都濃郡南陽町は昭和45年11月に市制施行しましたが、南陽市が既に山形県にあった(昭和42年4月市制)ことから、「新」を冠して新南陽市としました。駅名は10年遅れて昭和55年10月に改称、新南陽市が消えた後もその名を今に伝えています。

新南陽駅

周防富田駅時代の昭和51年3月に建てられた駅舎は一部二階建ての立派なもの。待合室部分は天井の高い吹き抜けで、こんな主要駅然とした駅ですら無人化してしまうのはやり過ぎではないかと思えてきます。待合室の端では駅そば屋が営業中。駅そば屋も全国的に数を減らす中、駅自体が無人化しても生き残っているのは珍しい例ではないでしょうか。訪問時にも着いた列車から降りた何人かが吸い込まれており、それなりに需要があるようです。

旧日下醫院

南陽(富田)は工業都市と発展したところで、駅周辺の街並みは都市部然としていて賑やかですが、古い建物はあまり多くありません。しかし、駅から少し歩いた住宅街の中には昭和3年に建てられた旧日下醫院という風格ある近代建築が残されています。国の登録有形文化財で、喫茶店などとして活用されています。

四辻駅

南陽10:01発普通下関行き3319M(クハ115-3008)で四辻へ。昭和31年11月に山口市編入された旧:吉敷郡鋳銭司村の駅で、美しい植え込みに囲まれた階段上に簡易駅舎が建っています。駅舎は令和3年1月改築の新しいもので、駅舎としては必要最低限といった感じの極めて簡素なものです。

四辻駅 旧駅舎(R2-10-18)

改築のため令和2年10月20日限りで役目を終えた旧駅舎は大正9年5月開業時に建てられたもので、役目を終えた時点でちょうど百歳でした。木造駅舎と植え込みの組み合わせが美しく、無名な駅ながら改築にあたっては多くの鉄道ファンからの注目を集めました。

大村益次郎

駅のある鋳銭司(すぜんじ)は和同開珎など銭貨の鋳造が行われていたところで、幕末には維新の十傑の一人・大村益次郎がここから出ました。大村益次郎は鋳銭司村字大村の村医の子として産まれ、防府・日田を経て大坂の適塾で学んだ後、帰郷して四辻で医者として開業しました。その後、蘭学の知識を買われて宇和島藩長州藩で活躍し、兵学にも通じて明治政府では軍制改革を担いましたが、志半ばで不平士族の凶刃に倒れました。駅近くの生家跡には山形有朋の揮毫による石碑が建てられており、山口市鋳銭司地域交流センターには銅像があります。

大道駅

四辻11:14発普通岩国行き5134M(クモハ227-6)で大道へ。昭和30年4月に防府市編入された吉敷郡大道村の駅で、通学利用が多いためか簡易委託の窓口が設置されています。駅南口には中高一貫校高川学園があり、この学校の移転に伴って平成16年3月に橋上化され、山口県では下松以来39年ぶり2番目の橋上駅舎となりました。ちなみに高川学園は元は曹洞宗の僧侶養成機関を前身とする多々良学園高校で、平成16年4月に当地に移転して共学化したものの、移転に伴う資金問題から経営難に陥って民事再生法の適用を受けて経営が変わりました。

宇部岬駅

大道11:29発普通下関行き3321M(クハ115-3018)で新山口へ。12:01発宇部線宇部新川行き1843M(クモハ105-13)に乗り換え、宇部岬で下車。山口県最南端の駅で、宇部市の住宅街の中に位置しています。木造駅舎は大正12年8月に宇部鉄道の駅として開業した際に建てられたもので、屋根の形を見るに手前部分は後から増築されたもののようです。平成21年10月まではセントラル硝子宇部工場への専用線が分岐しており、美祢線重安駅との間で石灰石輸送の貨物列車が運行されていました。

岐波駅

宇部岬13:09発新山口行き1842M(クモハ105-15)で岐波(きわ)へ。昭和29年10月に宇部市編入された旧:吉敷郡東岐波村の駅で、島式ホームの交換可能駅です。東岐波村および西岐波村は周防国吉敷郡の所属で、宇部市の他の地域が属していた長門国厚狭郡とは国自体が違いました。

改修前の岐波駅(R2-1-30)

駅舎は昭和58年12月改築の簡易駅舎で、令和2年3月の改修で待合室の壁が取り払われて骨組みだけになっています。おそらくは壁の老朽化が理由なのでしょうが、利用者が快適に列車を待てることを考えると、窓を塞いでもいいから壁は残すべきだったのではという感じがします。この時期にこの駅舎で列車を待つのは寒そうです。

琴芝駅

岐波13:36発宇部行き1845M(クハ104-16)で琴芝へ。宇部市役所の最寄り駅で、塩田川に沿って線路が走る区間に設けられています。宇部市の中心部にあるため利用は多く、一日の平均乗車人員は600人を超えるものの、ホーム上に簡素な待合所があるだけです。

琴芝駅 旧駅舎(R2-1-30)

以前は昭和4年11月開業時の木造駅舎が残っており、増築に増築を重ねて使用されていました。老朽化のため令和2年2月中旬より一部が解体され、跡地には新待合所が建てられて4月下旬より使用開始されました。旧駅舎の残りの部分は5月10日に閉鎖、6月までに解体されています。改築に際しては利用実態に合わせる目的もあるとされていますが、せめてもう少し大きな待合所を建てるか、駅舎が無くなった分、入口からホームまでに上屋を増設するとか出来なかったものかと思います。

東新川駅

歩いて東新川へ。この駅は以前に訪問済みですが、前回は日没後でした。琴芝駅との駅間は短く、わずか700mほどしか離れていません。駅のある東新川地区は宇部市中心を流れる新川(真締川)の東側にあたることからこの名が付きました。駅舎は昭和54年3月改築で、利用促進の一環として壁画作品「星空を渡る」が描かれています。壁画をデザインした郷さとこさんは紀の国トレイナートにも参加しており、紀勢本線湯川駅の地下道の壁画にも携わっているそうです。

東新川駅

ホームは相対式2面2線ですが、元は島式1面2線だったのを片面にして2番ホームを増設したようで、駅舎と1番ホームの間の広さなどからその痕跡が感じられます。駅東側には中央公園があり、平成23年10月にはテニスコート口が新設されています。

床波駅

東新川14:34発新山口行き1844M(クモハ105-11)で床波へ。宇部市東部の中心・床波地区にある駅で、大正12年8月に宇部新川から延伸してきた宇部鉄道の終点として開業しました。開業時のものと思われる木造駅舎が現役です。床波は昭和18年11月に宇部市編入された旧:吉敷郡西岐波村の中心にあたります。

常盤駅

床波15:15発宇部行き1847M(クハ104-15)で常盤へ。瀬戸内海を望む高台にある駅で、大正14年6月に開業しました。駅舎は無く、ホーム上に簡素な待合所が設置されています。待合所は令和2年3月改築。

常盤駅 旧駅舎(R2-1-30)

かつては小さいながらも駅舎がありました。旧駅舎はブロック造りで、待合室のホーム側には壁がない簡素な造りでしたが、窓口跡がありました。令和2年2月28日から3月21日にかけて撤去されています。跡地は柵で囲まれていました。

丸尾駅

常盤15:19発新山口行き1847M(クモハ105-16)で丸尾へ。大正13年8月、宇部鉄道床波~本阿知須(現:阿知須)間の開業時に開設された駅で、昭和28年12月改築の駅舎があります。ホームはかつて島式でしたが、駅舎側を撤去して棒線化されています。丸尾は東岐波村のかつての中心に近く、かつては村の玄関口だったのでしょう。駅前は大きな道路からだと車で入りにくそうな立地です。

草江駅

丸尾15:57発宇部行き1849M(クハ104-11)で草江へ。山口宇部空港の最寄り駅で、少数ながら空港アクセス駅としての利用もあるようです。駅舎は昭和53年3月改築で、平成29年9月に「JR宇部線駅舎アートプロジェクト」で壁画作品「トックリキワタ」が描かれました。周辺には住宅がそれなりにあり、空港最寄り駅という立地ながら、一日の平均乗車人員は70人と宇部市内の駅では最も低い数字となっています。

上嘉川駅

草江16:20発新山口行き1848M(クモハ105-15)で上嘉川へ。大正14年3月、宇部鉄道本阿知須(現:阿知須)~小郡間開業時に開設された駅です。駅舎はありませんが、木造の古いトイレが残っており、かつてはホームに上がる階段の手前に駅舎があったのでしょう。

上嘉川駅

宇部線山陽本線が近くを走る区間にあり、駅前からはすぐそこに山陽本線の上嘉川踏切が見えます。山陽本線嘉川駅とは約1㎞しか離れていません。

旧:徳田医院

山陽本線を越えて嘉川地区の市街地へ。嘉川は昭和19年4月の合併で山口市となった旧:吉敷郡嘉川村で、2軒の旧医院が残っています。徳田医院は昭和2年に建てられたもので、ファザードの月桂樹のレリーフが目を惹きます。

旧:平川医院

平川医院は昭和7年築。赤い三角屋根に立派な車寄せ、ドーマー窓が目を惹きます。農村部の一つの地区に全くタイプの違う二つの医院建築が残っているのは貴重で、末永く残ってほしいものだと思います。

嘉川駅

二つの医院を見ながら歩き、嘉川へ。上嘉川よりも嘉川地区の中心に近いところにある駅で、明治33年12月の山陽鉄道三田尻(現:防府)~厚狭間開業時に開設されました。駅舎は昭和38年3月改築で、入口引戸の撤去後もドアレールがそのまま残っています。

嘉川駅(R2-1-30)

以前、車で立ち寄った時には屋根に掲げられていた駅名表示がいつの間にかシールに変わっていました。前回ちゃんと撮っていないのが悔やまれます。

この日、山陽本線は16:30頃に厚狭駅で発生した信号トラブルの影響で、新山口~厚狭間で運転を見合わせていました。18:15に運転を再開したものの、多くの列車が間引かれていた影響で乗ることができる列車が嘉川駅にやって来るまでには一時間近くかかりました。15分遅れの嘉川18:54発普通岩国行き3348M(クハ115-3101)で新山口に向かい、この日は新山口のホテルα‐1に宿泊しました。