まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

2/3 周防・長門近代建築めぐり

山口遠征三日目となるこの日は駅めぐりをお休みして、レンタカーで近代建築めぐりへ

山口商工会議所小郡支所(旧協和銀行小郡支店)

車を借りる前にホテル近くの小郡下郷の近代建築を撮影。写真の商工会議所は大正15年に協和銀行小郡支店として建てられたものだそうで、正面から見るとそれほど古さを感じませんが、横から見ると歴史が感じられます。

旧大内村議会棟

車を借りて北へと走り、大内へ。昭和38年5月に山口市編入された旧:吉敷郡大内町の中心で、現在は山口市の郊外として住宅街が広がっています。旧大内村議会棟は昭和10年に総工費一万円で建設されたもので、戦前の鉄筋コンクリート造りの役場としては唯一現存しています。

簡易郵便局

大内を後に、いくつかの村を越えて山間のとある集落へ。狭い道に面して二階建ての風格ある洋風建築が残っています。この建物、詳細は不明ですがかつては郵便局だったそうで、現在は空き家となっています。

旧:福栄村立半田小学校

そこからまたしばらく走り、旧:福栄村立半田小学校へ。昭和56年に統合されて廃校となった小学校で、集落から離れた山の中に建っています。校舎は昭和44年8月に建てられた鉄筋コンクリート造二階建ての立派なもので、遠目にはまだ現役の施設のようにも見えます。

旧:福栄村立半田小学校 講堂

校舎裏手の一段高いところには講堂がありますが、こちらは荒廃が著しく、屋根と床の一部が崩壊していました。

旧:福栄村立半田小学校平蕨分校

続いて同じ地区にある平蕨分校へ。先程の半田小学校の分校にあたりますが、こちらの方が集落の中心に近い開けたところにあります。小振りな木造平屋の校舎が現存していますが、入口に柵がしてあったので近付くことができませんでした。

萩市むつみ総合事務所(旧:阿武郡むつみ村役場)

平蕨台を後に吉部(きべ)へ。平成17年3月の合併で萩市となるまで阿武郡むつみ村の中心だったところで、昭和30年4月のむつみ村成立までは阿武郡吉部村でした。小さな市街地の中心に建つむつみ総合事務所は昭和60年にむつみ村役場として建てられたもの。

萩市むつみ生涯学習資料館(旧:阿武郡吉部村役場)

総合事務所から道路を挟んだ向かいにはむつみ生涯学習資料館があります。明治28年に吉部村役場として建てられたもので、昭和30年4月の合併でむつみ村役場となった後、昭和60年まで90年に渡って使用されました。平成9年6月に国の登録有形文化財となっています。築128年の歴史ある建物ですが、壁が張り替えられているため、それほど古そうには見えません。

旧:山口県立徳佐高等学校高俣分校

吉部の次は高俣へ。昭和30年4月の合併でむつみ村となるまでは阿武郡高俣村だったところで、佐上村・佐下村・片村が合併する際に命名された合成地名です。高佐下には旧:山口県立徳佐高等学校高俣分校の校舎が残っています。昭和23年7月に生雲高等学校高俣分校として開校、翌年に本校が徳佐に移転して校名が変わりました。校舎は昭和52年3月27日竣工の鉄筋コンクリート造3階建てで、とても分校には見えない立派なものです。平成22年3月1日閉校、運動場はソーラー発電所に転用されていますが、校舎は使われていないようです。

旧:むつみ村立高俣中学校体育館

高佐下の方には高俣小学校と高俣中学校がありました。小学校は平成10年に閉校、中学校は平成2年に閉校となっています。小学校跡地はむつみ村(→萩市)高俣支所となり、中学校の方は体育館だけが残っています。

萩市立鈴野川小学校

続いて、鈴野川へ。明治22年の町村制で弥冨村が成立するまでは阿武郡鈴野川村だったところです。阿武郡弥冨村は昭和30年4月に須佐町となり、平成17年3月に萩市となりました。木造校舎が残る鈴野川小学校は平成22年3月20日休校。最後の生徒は兄弟二人だけで、兄の卒業時に一つ下の弟を7㎞離れた弥冨小へ編入とし、新たな入学希望者が出るまで休校扱いとなりました。あくまでも休校のため、校舎は綺麗に管理されていて、現役の小学校とも遜色ありません。運動場は土砂置き場になっていました。校舎の隣には保育園の建物もあります。

旧:阿武町立宇田小学校 惣郷分校

山間から日本海側に出て、阿武町の惣郷集落へ。山陰本線の撮影地で有名なところで、線路よりも少し川上に木造の分校があります。閉校は昭和44年10月で、実に半世紀以上も前に役目を終えていますが、集会所としては現役のようで、綺麗に保たれています。分校を撮った後、車を狭い橋の欄干にこすってしまい、事故処理で警察が来るまで30分ほど待つ羽目になりました。対応してくれたお巡りさん曰く通報を受けて出動指示を出す係が場所を間違えて伝達したとのことで、このタイムロスを挽回して回りきるためにこの日は昼食を抜いて次の場所へ向かいました。

旧:川上村立立野小学校

予定していた道の駅での昼食をすっ飛ばして到着したのは旧:川上村の立野(たちの)。昭和46年に閉校となった旧:立野小学校が残っています。校舎は倉庫になって、窓を塞がれており、奥の体育館跡に公民館が建てられています。

八道文庫

入口脇に建つこちらの建物は「八道文庫」といい、大正12年10月?に近隣から出た軍人某が寄贈した図書館とのこと。詳細は川上村史にあたってみないことには分かりません

旧:阿武郡川上村役場

続いて筏場へ。平成17年3月の合併で萩市となった旧:阿武郡川上村の中心で、平成12年まで使用されていた旧役場が遠谷川沿いに残っています。大正14年に建てられたもので、今年で築98年。大正時代の役場の姿を今に伝える貴重な存在ですが、老朽化が進んでいるので今のうちに見ておいた方が良さそうです。

萩市旭総合事務所(旧:阿武郡旭村役場)

旧川上村を後に旧旭村に入り、明木(あきらぎ)へ。平成17年3月の合併で萩市となった旧:阿武郡旭村の中心で、昭和31年11月竣工の旧旭村役場が総合事務所として今も使われています。旭村は昭和30年4月に明木村と佐々並村が合併して誕生した村で、役場は2年おきに明木と佐々並の間を移動していました。役場が定期的に移動する村は全国的にも珍しい存在でしたが、電算システム等の都合から平成8年3月に役場の位置が明木に固定され、同年12月に庁舎増築が完成しました。固定と合併を経て今も使われる庁舎は築66年の古いものですが、固定後に増築されているためかあまり古さは感じさせません。

明木市の街並み

明木市(あきらぎいち)は萩往還の宿場町として栄えたところで、石州瓦の風情ある街並みが残っています。ただし、明治24年大火で街並みのほとんどが焼失しているため、現在残る建物は基本的にそれ以降に再建されたものです。

旧:明木郵便局

旧明木郵便局は昭和9年に建てられたもの。窓枠も木製のまま、昔ながらの郵便局の姿を今に伝えています。文化財になってもおかしくない一級の郵便局建築です。

横瀬公民館(旧:明木村立図書館)

明木市から南西に行った下横瀬にある公民館は昭和34年に旧図書館を移築したもので、国の登録有形文化財となっています。明木村立図書館は明治36年日露戦争を記念して明木尋常高等小学校内に建設され、村立図書館としては国内初の開館でした。移築されたのは昭和3年昭和天皇御大典を記念して建て替えられた二代目で、昭和31年まで使用されました。

旧:萩市立木間小中学校

市境を越えて一瞬だけ美祢市美東町に入り、笹目峠を越えて萩市に戻って山田へ。大正12年4月の合併で萩町となった旧:阿武郡山田村で、深い山に隔てられた山間です。木間小中学校は平成30年3月18日閉校。今日見てきた廃校の中だと一番新しい(?)廃校です。最後の生徒は小学生一人と中学生三人。校舎は平屋と二階建て(昭和29年築)の二棟で、隣に立派な体育館があります。二階建ての校舎は集会所として使われているようで、訪問時も地元の方が何人か集まっていました。

宗頭公会館

また山を越えて今度は長門市に入り、宗頭(むねとう)へ。集落の中心に宗頭公会館という建物が建っています。村の中心だったわけでもない小さな集落には似つかわしくない立派な建物ですが詳細は不明。マークが郵便局っぽいですが、これは「宗」の字を意匠化したもののようです。

旧:三隅町立宗頭小学校

その近くの旧宗頭小学校は昭和46年閉校。閉校から半世紀が経過しているものの、宗頭文化センターとして活用されています。宗頭文化センターはこの地区における公民館のようで、そうなると余計に宗頭公会館が何のための施設か分からなくなります。

美祢市秋芳総合支所(旧:美祢郡秋芳町役場)

県道36号秋芳三隅線を南下して美祢市秋芳町に入り、秋吉へ。平成20年3月の合併で美祢市となるまで美祢郡秋芳町の中心だったところで、公的施設が集まっています。ここは以前に訪問済みですが、一部の建物が逆光だったので敢えて夕暮れ時に再訪しました。秋芳総合支所は昭和32年11月竣工。ガラス張りの階段室などが目を惹くモダニズム建築で、3年ぶりに見てもやはり素晴らしい建物だと思いました。

美祢市秋吉公民館

秋吉公民館は昭和44年3月竣工。隣の体育館跡に新しい総合支所を建設中で構図が限られていました。こちらも個性溢れるモダニズム建築ですが、建築ファンの中でもあまり知られていないようです。

予定では秋芳の後に旧鳳鳴小学校も行く予定でしたが、さすがに時間が足りず諦めて小郡新山口へ直帰しました。途中事故によるタイムロスはあったものの、多くの近代建築や廃校を見ることができた一日でした。