まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

2/18 如月の予土線・予讃線駅巡り その1

2月下旬、四国・広島へと旅をしました

窪川

前夜23:49に神戸三宮バスターミナルを出たしまんとブルーライナー1便が窪川駅前に到着したのは定刻より16分早い5:36 定刻だと始発列車への乗り継ぎ時間があまりなかったので早着がありがたいです。高岡郡四万十町の玄関口である窪川駅は土讃線の終点で、この先は土佐くろしお鉄道中村線となりますが、一駅先の若井で分岐する予土線の列車も当駅始発です。JRの駅舎の方はこんな時間から窓口が開いており、さすがは主要駅だと感じます。

中村線311D

土佐くろしお鉄道のホームから5:59発普通宿毛行き311D(TKT8011)に乗車し、若井へ。この日使用している四国再発見早トクきっぷでは、土佐くろしお鉄道のうちこの一駅間のみ利用可能となっています。

若井駅

若井はホームが一本あるだけの無人駅で、昭和38年12月の中村線窪川~土佐佐賀間開業時に開設されました。昭和49年3月に予土線が全通すると分岐駅となっています。予土線が分岐するのは正確に言えば3.6㎞先の川奥信号場で、駅自体に分岐駅らしさは全くありません。

予土線9813D

日の出前で暗い上に雨が降っていたので待合所で本を読んでいると、定刻より10分早いのに6:28発宇和島行き9813D(キハ32-12)がやってきました。現地で知ったのですが、江川崎~窪川間の一部区間で徐行運転を行うため時刻が変更されているようです。徐行の理由は安全確保のためで、昨年8月25日に起きた落石事故を受けての措置とのこと。

新聞輸送を兼ねる9813D

車内に乗客は鉄道ファン二名のみですが、空いている最前部の席にビニールで包まれた新聞の束が置かれていました。土佐大正に着くと老夫婦が車内に入ってきて新聞を受け取り、土佐昭和でも女性が一人新聞を受け取っていました。今時貴重になった鉄道での新聞輸送ですが、予土線の場合、沿線の道路網が完全でなく、印刷所も近くにないことから、このような光景を今でも目にすることができます。

半家駅

半家(はげ)で下車。同じ列車からもう一人降りたのはこの駅が珍駅名として有名だからでしょうか。四万十川沿いの集落を見下ろす斜面の途中にある駅で、昭和49年3月の予土線全通時に開業しました。「半家」の地名については、平家の落人がこの地に逃れてきた際に「平」の字の横線をずらして「半」にしたことが由来との説があります。

半家駅

傍を走る国道441号線からは60段の階段を登ったところにホームがあり、下から見上げると段々畑の中にある駅と言った印象を受けます。国道はそれなりに交通量があるものの集落は小さく、人の気配はあまりありません。

家地川駅

半家7:22発窪川行き9810D(キハ54-2)で家地川へ。半家と同じく昭和49年3月の全通時に開業した駅で、待合所は同型ですが、こちらは駅前より少し高いだけのところにあるため、随分印象が違います。駅前に小集落があり、家地川(四万十川の支流)沿いに田んぼが広がっています。

家地川駅 ふれあい創作館

駅前には集会所があり、トイレが開放されています。地元の方によって清掃されていて綺麗なトイレでした。予土線は車両にトイレが付いていない分、すべての駅にトイレが設置されています。家地川に停まる次の列車は3時間近く後。隣の打井川までは5㎞近くありますが歩いて向かいます。

佐賀取水堰

駅を出て西に歩きはじめると、早速佐賀取水堰が見えてきました。昭和12年に竣工した取水堰です。取水堰は高さ15m以下の「ダム未満」とでも言うべきもので、地元では「家地川ダム」と呼ばれています。四万十川はダムのない川とされていますが、ダムのようなものならいくつかあるのですね。

弘瀬沈下橋

さらにしばらく進み、弘瀬沈下橋で再び四万十川を渡ります。四万十川にいくつもある沈下橋の一つで、昭和38年架設。ちょうどワゴン車が通りかかりましたが、よくまああの狭い橋を危なげもなく渡りきるものだと思います。駅めぐりの旅で沈下橋と出会うのは水郡線下小川から中舟生まで歩いた時に見た平山橋以来です。

旧:北ノ川郵便局

さらにしばらく四万十川沿いを歩き、針木分岐で国道381号線に合流。ほどなく北ノ川の集落に入りました。相去川沿いに分け入る道に面して北ノ川郵便局の旧局舎が残っています。昭和13年に建てられたもので、棟梁は大正町の大工・伊与木吉呉と伝わっています。現在は個人宅ですが、玄関上に郵便局時代の表示が残っていました。

ワム〇8104

北ノ川の集落を過ぎたところで道沿いに有蓋貨車のダルマが置かれているのを発見。表記は「ワム〇8104」と読めました。(〇は判読不能

井川駅遠景

家地川駅を出てから約2時間、遠回りして8.9㎞も歩いたこともあって時間がかかりましたが、ようやく打井川駅が見えてきました。支流の打井川が四万十川と合流する地点に設けられた駅で、見える範囲の建物は全て四万十川の対岸という立地です。海洋堂ホビー館の最寄り駅ですが、徒歩で行くには少し遠いでしょう。

井川駅

崖にへばりついたようなホームは駅前より高いところにあり、わずかな平地に駅を設置した苦労が造りからも見て取れます。打井川は明治22年の町村制で東上山村が成立するまで幡多郡宇津井川村だったところで、かつては地名の表記が異なっていました。

土佐大正

打井川11:03発宇和島行き4817D(キハ54-2)に乗車し、土佐大正での22分間の行き違い待ちを利用して駅を撮影。平成18年3月の合併で高岡郡四万十町となった旧:幡多郡大正町の中心にある駅で、大阪環状線大正駅との重複を避けるために国名を冠しています。予土線で最後に開業した江川崎~川奥信号場間では唯一の交換可能駅かつ、駅舎のある駅となっています。平成元年改築の駅舎は山小屋風で、内部に売店があり、多くの観光客で賑わっていました。

土佐大正駅 道路標識

駅前の道路標識には「国鉄」の文字が残っています。昔の写真を見るに「国鉄」の上に「JR」とシールを貼っていた時期もあったようで、敢えて復刻をしたのでしょう。大正町は元は東上山村を名乗っており、大正天皇御大典(即位)を記念して大正3年1月に改称して大正村となり、昭和22年8月に町制施行しました。町制を敷いていただけあって、山間にもかかわらずある程度の規模の市街地が形成されています。

吉野生駅

再び4817Dに乗り、愛媛県に入って吉野生(よしのぶ)で下車。大正12年12月、宇和島鉄道の終点「吉野」として開業した駅で、昭和8年8月の国有化時に移転して改称されました。昭和28年3月の江川崎延伸まで長らく終着駅だったにしては小さな駅舎ですが、民営化前後に減築されているようです。

吉野生駅

 

相対式ホームの交換可能駅で、2番線へは跨線橋で連絡。分岐駅の北宇和島を除くと、予土線跨線橋のある駅は吉野生と伊予宮野下の二駅しかありません。列車本数が多くなく、優等列車もないことを考えると構内踏切でも良さそうな気がしますが。

吉野の街並み

吉野生駅のある吉野は伊予吉田藩領の物資の集散地として栄えたところで、明治22年の町村制までは北宇和郡吉野村でした。町村制に際しては野村・奥川村・蕨村が合併し、一字ずつ取って北宇和郡吉野生村となっています。吉野生村は昭和30年3月に松丸町と合併、この時も一字ずつ取って松野町になりました。

真土駅

25分歩いて隣の真土へ。昭和30年10月に開業した駅で、長さ25mのJR四国で一番短いホームとブロック造りの待合室があります。愛媛県最南端の駅で、予土線は当駅~西ヶ方間で高知県との県境を越えています。駅があるのは蕨生(わらびお・わらびょう)地区の茶畑の中で、もし駅名を付ける際に大字から取って「蕨生駅」としていれば今頃五十音順で最後に来る駅名になっていたことでしょう。

土佐昭和駅

真土13:10発窪川行き4816D(キハ32-4)で土佐昭和へ。集落裏手の築堤上にひっそりと存在する駅で、駅名は昭和32年8月まで存在した旧:幡多郡昭和村に由来します。昭和村は昭和3年11月10日に幡多郡西上山村が昭和天皇御大典(即位)を記念して改称した村で、十川村と合併して十和村となり、現在は四万十町の一部です。西上山村の隣の東上山村は大正天皇即位に際して大正村に改称しており、昭和村が即位にあやかったのには隣村への対抗意識もあったことでしょう。

昭和観光案内所

駅舎はありませんが、駅前には昭和観光案内所があり、かつてはこちらで切符を売っていました。待合室代わりにもなっているようですが、訪問時は施錠されていました。三角形の外観が遠く北海道の東森駅を思い出させます。

西ケ方駅

土佐昭和14:10発宇和島行き8819D(キハ54-4)で西ケ方へ。高知県最西端の駅で、駅名は明治22年の町村制で江川崎村が成立するまで存在した幡多郡西ケ方村に由来します。昭和28年3月の宇和島線吉野生~江川崎間延伸で開業しました。駅舎は無く、ホーム上に簡素な待合所があるのみです。

江川崎駅

西ヶ方15:16発江川崎行き4818D(キハ32-13)で江川崎へ。車内は自分一人の貸切状態でした。江川崎は昭和28年3月に宇和島線の終点として開業した駅で、昭和49年3月の予土線全通後も運行拠点駅として一日四往復が折り返しています。当駅を跨いで全線を走破する四往復の列車もトイレ休憩を兼ねて当駅で数分間停車するため、素通りする列車はありません。開業時の所在地は幡多郡江川崎村で、昭和33年4月に津大村と合併して西土佐村となり、平成17年4月に中村市と合併して四万十市の一部となりました。駅は村の中心から外れたところにあって、駅前には民家が数軒あるだけです。

江川崎駅

かつての終点だけあって構内は広く、それだけに閑散とした印象が際立ちます。江川崎は平成25年8月12日に当時の日本最高記録である気温41.0度を記録しており、簡易委託の窓口ではそれを記念する入場券が売られていました。せっかくなのでそれを購入。窓口では半家駅の入場券も売られています。

名駅

江川崎16:11発宇和島行き4821D(キハ32-13)で二名へ。大正3年10月、宇和島鉄道が宇和島~近永間で開業した際に「中野」として開業、昭和8年8月の国有化時に改称されました。駅名は昭和29年10月の三間町(→宇和島市)成立まで存在した北宇和郡二名村に由来します。かつては駅舎がありましたが、民営化後に撤去されて便所併設の待合所に変わっています。

鉄道ホビートレイン

二名17:08発近永行き4822D(キハ32-3)で深田へ。乗車したのは0系新幹線をイメージしたデザインの鉄道ホビートレインレールバスみたいなキハ32を改造したにしてはうまく再現してありますが、近永行きの新幹線とはなんともシュールです。

深田駅

深田(ふかた)駅も大正3年10月開業。二名と同じく駅舎は撤去されてホーム上の待合所に変わっています。駅前は電話ボックスと自販機を中心としたロータリーのようになっていました。開業時の所在地は北宇和郡好藤村(よしふじむら)で、昭和30年3月の合併で広見町(→鬼北町)となっています。

大内駅

深田17:32発宇和島行き4823D(キハ32-3)で大内へ。ここも大正3年10月に開業した駅で、当初の読みは「おおち」でしたが、国有化時に「おおうち」に変更されました。待合所は先の二駅と同型です。平成元年に駅舎が撤去された後、駅前の道路の拡張が行われてたため、駅前のスペースは広くありません。駅名は明治22年の町村制で二名村が成立するまで存在した北宇和郡大内村に由来します。

出目駅

大内17:55発窪川行き4824D(キハ32-6)で出目(いずめ)へ。ここもこれまでに見た3駅と同時の開業で、平成元年に駅舎が撤去されています。待合所は同一仕様で、人によってはつまらないと感じるかもしれませんが、駅前の様子は四者四様なのが興味深いです。駅前にはなぜか重機が駐車されていました。駅名は明治22年の町村制で北宇和郡泉村が成立するまで存在した北宇和郡出目村に由来します。泉村は昭和30年3月の合併で広見町となり、平成17年1月の合併により鬼北町となりました。

北宇和島

出目18:30発宇和島行き4825D(キハ32-12)で北宇和島へ。予讃線予土線の分岐駅ですが、予土線の列車は全て宇和島駅に発着しています。二つの路線のうち先に開業したのは予土線の方で、大正3年10月に宇和島鉄道として宇和島~近永間が開業。国有化で宇和島線となったのち、昭和16年7月に当駅で分岐して卯之町に至る支線(現在の予讃線)が開業しました。北宇和島駅はこの時に分岐駅として開業、昭和20年6月に予讃本線が全通するとそちらの所属になりました。予讃線は特急が多く通る路線ながら本数が少なく、特急は停車しないため、この駅を乗換駅として使う人はあまりいないのでしょう。両線の乗り継ぎもあまりよくありません。すっかり日も暮れ、駅巡りには適さない時間になりましたが、本数が少ない予讃線の駅をうまく降りれる組み合わせを見つけたので乗り換えて続行します。

伊予吉田

北宇和島19:23発普通伊予市行き4664D(キハ54-4)で伊予吉田へ。後ろには回送のキハ32-13を連結していました。伊予吉田は平成17年8月の合併で宇和島市となった旧:北宇和郡吉田町の駅で、特急「宇和海」も停車します。昭和16年7月開業時に建てられた木造駅舎は天井の高い立派なもので、主要駅らしい風格を感じさせますが、無人駅になって久しいです。吉田は宇和島藩支藩だった伊予吉田藩陣屋町として栄えたところですが、駅は陣屋町から少し離れた町はずれにあります。吉田藩は宇和島藩と同族の伊達氏で近親の間柄ですが、領地を巡って骨肉の争いを繰り広げており、関係はよくありませんでした。

宇和島

伊予吉田19:43発普通宇和島行き4651D(キハ54-2)で宇和島へ。297.6㎞にも及ぶ四国の大動脈・予讃線の終点で、宇和地方の中心都市・宇和島市の代表駅です。大正3年10月に予土線の前身・宇和島鉄道の駅として開業、大正5年12月に現在地に移転しました。宇和島鉄道は昭和8年8月の国有化で宇和島線となり、昭和16年7月には卯之町までの路線も開通しましたが、昭和20年6月に予讃本線が全通するまで長らく他の路線と線路の繋がらない孤立路線でした。平成10年4月改築の駅舎はJRホテルクレメント宇和島と一体となった立派なものです。この日は宇和島グランドホテルに宿泊、翌日も引き続き予土線の駅を巡っていきます。