まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

2/20 伊予鉄道松山市内線駅巡り&フェリーで広島へ

この日は伊予鉄道松山市内線(大手町線・城南線城北線・花園線・本町線)の駅を巡りました

松山駅前駅

JR松山駅の前を走る県道19号線上に設けられた松山駅前駅からスタート。千鳥配置のホームへ地下通路からの階段でアクセスする構造で、松山市道後温泉方面行きの2番ホームは広く上屋も立派です。JR松山駅の高架化が実現した暁には延伸してJR駅の高架下に乗り入れる計画があるので、現在の電停は近い将来見納めとなります。

松山駅前停留場

2番ホームの上屋には「電車のりば」の文字があり、JRから降りてきた乗客に市内電車の存在をアピールしています。かつての私鉄駅にはこのような看板が多く見られたものでしたが、駅の改装や路線廃止で撤去されることも多く、今や絶滅危惧種と言っていいでしょう。

道後温泉駅

松山駅前7:18発5系統道後温泉行き7(2104)で道後温泉へ。城南線の終点で、言わずと知れた有名観光地・道後温泉の玄関口です。昭和61年5月に建てられた駅舎は、明治44年8月の改軌・電化時に建てられた2代目駅舎を復元したもので、内部にはスターバックスが入居しています。

道後温泉駅

ホームは相対式で、駅舎に面した側が乗車ホーム。縦列停車で続行運転は路面電車ならではです。右の降車ホームに到着した電車は乗客を降ろすと引上げ線に回送され、方向転換して乗車ホームへと入ってきます。明治28年8月に道後鉄道の駅として開業した当初は引上げ線側が本線で、スイッチバックで駅に進入しています。

道後公園停留場

道後温泉を少し散策してから8:21発5系統松山駅前行き20(2102)で道後公園へ。南北朝時代伊予国守護河野通盛によって築かれた湯築城跡の最寄り駅で、道路拡張に合わせて平成16年1月に移設されるまで道後温泉方面のりばは安全地帯が設置されていませんでした。城南線のうち上一万~道後温泉間は明治44年9月に松山電気軌道によって開業された区間で、元は標準軌でしたが、伊予鉄道との合併後に狭軌に改軌されています。改軌で広くなる例は多々あれど、狭くなる例は珍しいのではないでしょうか。松山市内線の路線網の変遷は非常にややこしいのですが、公式で図解されていたのでリンクを貼っておきます。

iyotetsublog.com

南町停留場

道後公園8:26発3系統松山市駅行き22(5010)で南町へ。愛媛県県民文化会館の目の前にある停留場で、明治44年9月開業当初は「農事試験場前」を名乗っていました。縦列停車が可能なようにかホームは長めです。

上一万停留場

南町8:41発5系統松山駅行き26(5007)で上一万へ。道後温泉行きと環状線城北線回り)の分岐駅で、昭和44年12月の環状線開通までは道後温泉方面から城南線(大街道方面)と城北線木屋町方面)が分岐する形でした。

平和通一丁目

上一万8:41発2系統松山市駅行き203(2107)で平和通一丁目へ。昭和44年12月の環状線開通に合わせて設置された、松山市内線では最も新しい駅で、建物に挟まれるようにして小さなホームがひっそりと存在しています。書類上は上一万から当駅までが城南線で、当駅から古町までが城北線となっていますが、実態としては上一万から古町までひっくるめて城北線と言った感じです。

赤十字病院前停留場

隣の赤十字病院前まではわずか200m。路面電車とはいえあまりに短すぎる駅間です。その名の通り、松山赤十字病院の目の前にあり、踏切を挟んでホームが千鳥配置されています。昭和2年4月に「練兵場前」として開業、戦局悪化により昭和19年3月に一度廃止されましたが、戦後の昭和22年8月に現在の駅名で復活しました。

鉄砲町停留場

赤十字病院前8:53発2系統松山市駅行き205(5006)で鉄砲町へ。松山大学愛媛大学工学部、松山北高校などが集まる学生街にある駅で、昭和26年に交換設備が設置されました。全線単線の城北線に3つある交換駅の一つで、日中は列車の行き違いが行われます。

高砂町停留場

鉄砲町9:06発2系統松山市駅行き207(2106)で高砂町へ。昭和2年4月に「女学校西」として開業して以来、昭和27年8月に「北味酒」、昭和42年1月に現駅名と2度改名された駅で、路面電車にしてはしっかりとした上屋を持つホームが線路を挟んで向かい合っています。周辺は住宅街ですが、建物の密度は低くどことなくのどかな雰囲気です。

清水町停留場

高砂町9:13発1系統松山市駅行き31(54)で一駅戻って清水町へ。踏切を挟んでホームが千鳥配置された構造の駅で、昭和28年までは交換可能駅でした。2番ホーム向かいに石積みの廃ホームが花壇として残っています。

木屋町停留場

清水町9:18発2系統松山市駅行き209(2003)で木屋町へ。明治28年8月、道後鉄道古町~道後~松山(大街道)間開業時に設置された駅で、日中は行き違いが行われます。道後鉄道の木屋町~道後間は現在の城北線とは違うルートを通っていて、その跡地は現在の樋又通りにあたります。昭和2年4月に城北線木屋町~一万(現:上一万)間が開通して旧道後線は廃止となり、道後線の残った区間(古町~木屋町)も城北線編入されました。

本町六丁目停留場

約200mを歩いて本町六丁目へ。本町線6系統との乗換駅で、国道196号本町通を挟んでホームが配置されています。本町通上を走ってきた本町線は当駅で城北線に直角に突き当たって終わる形で、線路は繋がっていません。昭和37年開業時は「本町七丁目」で、住居表示変更に伴い昭和42年1月に改称されました。

萱町六丁目停留場

本町六丁目9:42発2系統松山市駅行き211(51)で萱町六丁目へ。踏切を挟んでホームが千鳥配置された駅で、明治44年の改軌・電化に際し「三津口」として新設されました。昭和42年1月の住居表示実施時に改称されています。

宮田町停留場

萱町六丁目9:44発2系統松山市駅行き213(2107)で古町(訪問済み)を飛ばして宮田町へ。併用軌道と専用軌道の境目に設置された駅で、愛媛ダイハツの敷地内を間借りするような立地です。昭和42年2月に開業しました。城北線と共に環状線の北側を構成する大手町線は古町~松山駅前~西堀端間で、古町~松山駅前間が単線、折り返し電車により本数が増える松山駅前から先は複線となります。

大手町駅前停留場とダイヤモンドクロス

宮田町から松山駅前まで400m歩き、9:56発5系統道後温泉行き37(5007)で大手町駅前へ。高浜線との乗換駅で、全国的に見ても珍しい鉄道と軌道の平面交差(ダイヤモンドクロス)が見られます。ホームは平面交差を挟んでの千鳥配置。昭和11年5月に「江戸町駅前」として開業、高浜線の駅名改称に合わせて昭和28年7月に改称されました。

西堀端停留場

大手町駅前10:04発2系統松山市駅行き215(5006)で西堀端へ。ここから先は城南線で、明治44年9月に松山電気軌道によって開業した区間の一部です。隣接して本町線の本町一丁目停留場(上写真左奥)がありますが、元々は同一駅でした。分離は平成30年3月1日と比較的最近です。

警察署前停留場

西堀端10:15発5系統道後温泉行き39(5002)で警察署前へ。松山東警察署の最寄り駅で、その歴史は大正15年5月の松山電気軌道により経路変更時に設置された「六角堂」駅に由来します。六角堂は昭和19年3月に廃止されましたが、昭和37年3月に駅名を変えて復活しました。

山東警察署

停留場の目の前にある松山東警察署は建て替え工事中で、2月27日より新庁舎での業務を開始しました。訪問時は役目を終える直前だった旧庁舎は昭和44年3月のに建てられたもので、拘留施設部分?が円形になっています。

愛媛県教育会館

警察署の北には昭和12年11月に建てられた愛媛県教育会館があります。設計は浅香了輔、大工は高石岩五郎。洋風建築に和風の瓦屋根を載せたいわゆる帝冠様式で、松山城をイメージしたのでしょう。かつては警察署も帝冠様式の建物だったそうです。平成15年7月に国の登録有形文化財となりました。美しい建物ですが、前の道が狭く、全体を写しにくいのが残念。

松山地方気象台

少し南へ行ったところには松山地方気象台があります。昭和3年愛媛県立松山測候所として建てられたもので、設計は愛媛県技師:戸村秀雄。こちらは平成18年3月に国の登録有形文化財となっています。訪問時は防災拠点として活用するための増築工事が行われていました。

松山聖アンデレ教会

この辺りは松山市でも特に近代建築の多い一角で、気象台の向かいには煉瓦造りの松山聖アンデレ教会があります。昭和31年築と意外に新しいですが、松山に現存する唯一の煉瓦建築とのこと。

勝山町停留場

小散策を終えて勝山町停留場へ。明治44年9月に松山電気軌道の「御宝町」として開業、昭和42年に改称されました。愛媛銀行本店の最寄り駅で、停留場を出た線路は銀行前で大きくカーブして愛媛県道20号線に入ります。複線化で経路を変更する以前は銀行のある辺りを突っ切って緩くカーブをしていました。地図で見ると旧線の痕跡が確認できます。

南堀端停留場

勝山町10:53発5系統松山駅前行き44(5002)で南堀端へ。城南線と花園線・本町線の分岐駅で、どの方向へも直通できるデルタ線が交差点上に設置されています。ホームは道路上の3つの島といった感じで、それぞれの間はかなり離れています。撮影する側にとっては楽ではありません。

松山市駅停留場

南堀端11:05発3系統松山市駅行き50(5005)で松山市駅へ。伊予鉄道のターミナル・松山市駅の前にある停留場で、わずか一駅間の花園線の終点です。松山市駅自体は明治21年10月に四国で初めて開業した古い駅ですが、路面電車が駅前に乗り入れたのは戦後の昭和22年3月でした。花園線の停留場は広いホームに立派な上屋を備えたもので、愛媛で一番のターミナル駅の駅前停留場にふさわしい見た目です。

本町六丁目停留場

松山市駅11:18発6系統本町六丁目行き10(2110)で本町六丁目へ。6系統の走る本町線は南堀端(正確には西堀端の手前)で分岐して本町通を走る路線で、全線単線で行き違いができないことから1列車しか入線できません。利用者が少ないことから令和2年4月11日以降、平日のみの運転となっており、その平日も2時間以上列車のない時間帯があるなど本数は多くありません。この日乗った列車も乗客は自分含めてわずか3人でした。本町線の終点・本町六丁目城北線に直角に突き当たるように線路が終わっており、この先山越・鴨川方面への延伸構想があるものの、実現へのハードルは高そうです。

本町一丁目停留場

本町六丁目11:40発6系統松山市駅行き9(2110)で本町一丁目へ。城南線・大手町線の西堀端停留場に近接した駅で、平成30年3月1日に分離されるまでは西堀端停留場の一部でした。松山市駅行きの3番ホームは城南線から分岐してすぐのところにありますが、本町六丁目行きの4番ホームはそこから200m近く北にあり、とても同一駅とは思えません。別駅として分離されたのものりばが離れているのが理由だそうです。

本町三丁目停留場

歩いて本町三丁目へ。明治44年9月に松山電気軌道の「札ノ辻」として開業して以来、110年以上の歴史を持つ駅です。本町線のうち西堀端から本町四丁目までは城南線と一体となって建設されました。改称されたのは住居表示実施の時と思われますが、「本町〇丁目」が5駅も続くややこしい現状よりも、停留場名を歴史ある地名の「札ノ辻」に戻した方が分かりやすいのではないかと思わずにはいられません。札ノ辻は江戸時代に御触書などを掲げていた高札場のことで、伊予松山藩内の主要街道の起点となっていました。

本町五丁目停留場

 

本町三丁目12:05発6系統本町六丁目行き12(2110)で本町五丁目へ。本町線のうち、本町四丁目~本町六丁目間は昭和37年2月に開業した区間で、伊予鉄道においては最も新しい路線です。安全地帯が線路を挟む構造は本町三丁目とそっくりです。

本町四丁目停留場

歩いて本町四丁目へ。明治44年9月に松山電気軌道の「本町」として開業した停留場で、当初はこの先、萱町を経て三津浜内港近くの江ノ口まで線路が伸びていました。江ノ口~萱町間は高浜線と並行していることから昭和2年11月に廃止、その後昭和4年4月に萱町~古町間が開業して高浜線城北線に繋がりました。しかしこの形態も長くは続かず、昭和21年8月に西堀端~本町~萱町~古町間は休止となり、昭和23年7月に西堀端~本町三丁目(現:本町四丁目)が本町線と復活した際も本町~古町間は復活することなく廃止となりました。現在の本町四丁目停留場は交差点を挟んで安全地帯が千鳥配置された構造で、以前は交換可能駅でした。

南堀端停留場

本町四丁目12:23発6系統松山市駅行き11(2110)で南堀端へ。これで本町線は全駅制覇となりました。ちょうど昼時なので一旦昼食休憩。

市役所前停留場

南堀端13:03発5系統道後温泉行き61(5007)で市役所前へ。松山市役所の最寄り駅で、全国に5つある市役所前停留場のうちの一つです。明治44年9月に松山電気軌道の「八股」として開業、昭和19年に改称されました。停留場からは松山城がよく見えますが、最寄り駅は大街道停留場です。

県庁前停留場

歩いて県庁前へ。愛媛県庁の最寄り駅で、こちらは市役所前より少なく同名の停留場は富山と高知の2ヵ所(停留場以外を含めると兵庫、広島、千葉、沖縄も)だけです。停留場前のNTT四国統括局は、正岡子規秋山真之が学び、夏目漱石が赴任していた旧制松山中学の跡地に建てられています。

愛媛県

ドーム屋根が目を惹く愛媛県庁本館は昭和4年2月完成。設計は木子七郎、施工は安藤建設。有名な建物の割に、登録有形文化財となったのは令和3年2月26日と最近です。

大街道停留場

県庁前13:22発5系統道後温泉行き63(5002)で大街道へ。松山市最大の繁華街・大街道にある停留場で、松山城ロープウェイの最寄り駅です。明治28年8月、道後鉄道の終点「松山」として開業、明治33年5月、伊予鉄道への吸収時に「一番町」に改称されました。明治44年9月には松山電気軌道が「一番町」停留場を開業、旧道後鉄道は大正15年5月に廃止となりましたが、停留場の方は引き続き営業を続け、現在の大街道停留場に繋がっています。

松山市内線の駅はこれにてひとまず全駅制覇。とはいえ、まだまだ時間はあるので乗るのを楽しんでみようと大街道13:40発5系統松山駅前行き66(5007)と松山駅前14:11発1系統松山市駅行き71(5004)を乗り継いで環状線を回り、上一万へ。上一万停留場の撮っていなかった部分と車内から見て気になっていたビルを撮って、南町停留場へ歩き、14:40発3系統道後温泉行き91(5001)で道後温泉へ。

古町行き

14:58発3系統松山市駅行100(5005)で折り返し、南堀端で15:21発古町行き(2110)に乗り換え。この古町行き、系統表示もなく時刻表にも掲載されていない謎の存在で、車庫への回送ついでに客を載せるといった感じの列車のようです。

高浜駅

古町で15:34発高浜行き82(3506)に乗り換えて高浜へ。高浜線の終点で、明治38年1月移転時に建てられた木造駅舎が現役です。いずれ高浜線駅巡りの時にじっくり見ることにして、徒歩で松山観光港へ。

クルーズフェリー

松山観光港からは16:50発広島港行き瀬戸内汽船クルーズフェリー6便(SEA PASEO2)に乗船。瀬戸内海を行くうちに日は暮れて、広島港に着いたのは19:40頃でした。

広島港駅

広島港からは19:48発1系統広島駅行き172(805)に乗車し、広島駅へ。ところがこれが遠回りをする便で、広島駅に着くまで50分近くもかかりました。5分後に出るのに乗った方が10分ほど早く着いたようです。広島の路面電車もそのうち駅巡りしたいものですが、今回はこの乗車のみで翌日からはJRの駅を巡っていきます。