まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

2/21 如月の呉線駅巡り

この日から三日間、広島ワイドパスで広島地区の駅を巡りました。初日は呉線へ。広島には何度も来ているものの、呉線に乗るのはこれが初めてです。

吉名駅

広島を5:41発普通広行き602M(クモハ227-35)で出発し、広で6:34発普通糸崎行き104M(クモハ227-1)に乗り換えて吉名へ。築堤上に相対式ホームがある交換可能駅で、駅舎は平成8年5月改築の簡素なもの。下りホームへは屋根付き階段で、上りホームへは地下通路で結ばれています。昭和10年2月、三呉線竹原~三津内海(現:安浦)間開業に合わせて開設されました。当時の所在地は豊田郡吉名村。吉名村は昭和31年9月に竹原町に編入され、2年後の合併で竹原市となりました。吉名村は所得倍増計画で有名な第58・59・60代総理大臣池田勇人の出身地で、近くの光海神社には胸像が建てられています。

安芸幸崎

吉名7:56発普通糸崎行き106M(クモハ227-25)で安芸幸崎(あきさいざき)へ。昭和6年4月、須波から延伸してきた三呉線の終点として開業した駅で、開業時に建てられた木造駅舎が現役です。この日は天気が良すぎたので生憎の逆光。逆光なので分かりにくいですが駅舎の屋根の瓦はオレンジ色です。開業時の所在地は豊田郡幸崎町で、昭和31年9月に三原市編入されました。幸崎町は昭和4年1月に豊田郡佐江崎村(さえざきそん)が町制施行時に改称したもので、瀬戸内海漁業発祥の地とも言われています。駅裏には今治造船広島工場がありますが、元は幸陽船渠という系列会社でした。

安芸長浜駅

安芸幸崎8:42発普通広行き117M(クモハ226-1)で安芸長浜へ。平成6年10月に開業した駅で、歩道橋で線路と国道185号を渡った海側に電源開発竹原火力発電所があります。駅舎は主要施設のある海側に背を向けた形で、駅前は広いものの駐車場くらいしかなく、民家も離れています。訪問時は、駅前で野良猫が散歩中の犬に追いかけ回されていました。

安芸長浜駅

築堤上のホームに高さを合わせたため、駅舎も駅前より高い位置にあります。当初から無人駅のため駅舎は公衆便所に待合所を併設した簡素なもので、駅名表示も目立ちません。右後ろの建屋が竹原火力発電所です。

須波

安芸長浜8:58発普通三原行き2908M(モハ226-41)で須波へ。昭和11年11月の三原市誕生まで存在した旧:豊田郡須波村の駅で、築堤上に相対式ホームがあります。昭和5年3月、三呉線の最初の開業区間の終点として開業。その際建てられた木造駅舎が長らく使われてきましたが、平成30年11月に解体されています。旧駅舎は階段の手前にありました。跡地には簡易駅舎が建てられることもなく、平成31年1月に下りホーム上屋も建て替えられただけでしたが、これは呉線内で最も利用者が少ないという事情によるものでしょう。今のところ須波駅に続いて簡素化された駅は線内では出ていません。

須波

跨線橋や地下通路が無いためホーム間を直接行き来することはできず、一旦駅の外に出て公道で線路の下を潜らなければなりません。紀勢本線和深駅のように跨線橋が老朽化で撤去されたのかと思いましたが、その痕跡もなく、元々跨線橋が設置されなかったようです。

竹原駅

須波9:55発普通広行き119M(クモハ226-41)で竹原へ。塩田と酒造で栄えた「安芸の小京都」竹原市の代表駅です。昭和45年8月改築の駅舎は横に長い鉄筋コンクリート造平屋建てで、平成18年3月に改装されています。主要駅らしい佇まいの駅ですが、駅員不在時間帯が長くまるで無人駅で、少々寂しさを感じさせます。昭和7年7月に安芸幸崎から延伸してきた三呉線の終点として開業。当時の所在地は賀茂郡竹原町で、昭和33年11月に忠海町と合併して市制施行、竹原市となりました。

竹原市役所

次の列車までの待ち時間を利用して竹原市役所へ。現在の本庁舎は昭和41年8月に完成した古いもので、耐震性が低いことから「たけはら合同ビル」を改修して移転することが計画されています。

忠海

竹原11:12発普通三原行き112M(クモハ227-1)で忠海(ただのうみ)へ。ウサギの島として有名な大久野島へのフェリーが発着する忠海港の最寄り駅で、観光客の利用が多く見受けられます。平成16年3月改築の駅舎は「ふれあいステーションただのうみ」との合築。相対式ホーム2面2線ですが、列車は専ら駅舎側の1番ホームに発着するため、2番ホームは列車交換時にしか使用されません。

忠海の風景

忠海は昭和33年11月の竹原市成立までは豊田郡忠海町だったところで、明治時代には豊田郡役所が置かれるなど地域の中心でした。古くより港町として栄え、「忠海」の地名の由来は平安時代にまで遡ります。海賊追討を命じられた平忠盛(清盛の父)がこの地を平定した際、自分の名を二つに分けて北側の浦を「忠海」、南の大三島を「盛(さかり)」と名付けたことが由来とされます。江戸時代初期には三次藩の年貢米積み出し港となり、明治時代には芸予要塞が置かれました。

風早駅

忠海11:55発普通広行き121M(クモハ226-92)で風早(かざはや)へ。海を見下ろす高台にある駅で、駅周辺にはカキ小屋などが営業しています。駅舎は昭和53年11月改築で、正面に窓が無いためのっぺりとした印象を受けます。昭和10年2月開業時の所在地は賀茂郡早田原村で、昭和18年1月の合併で安芸津町となり、平成17年2月の合併で東広島市となりました。早田原は、明治22年の町村制まで存在した風村・大村・小松村から一字ずつ取った合成地名です。

風早駅

跨線橋からは瀬戸内海を望むことができますが、ホームからだと建物に遮られて見ることができません。跨線橋は昭和45年9月設置で、それ以前は構内踏切だったようです。昭和28年5月26日、構内踏切を渡っていた旅客に列車が接近し、旅客とそれを助けに行った砂田駅長の二人が亡くなるという事故が発生しており、駅前には慰霊碑が建っています。

大乗駅

風早12:49発普通三原行き116M(クモハ227-41)で大乗(おおのり)へ。築堤上に相対式ホームがある駅で、駅裏にも住宅が多いことから北口が設置されています。昭和7年7月開業時の所在地は豊田郡大乗村で、昭和29年3月に竹原町に編入されています。駅舎は昭和54年3月改築で、かつては駅舎の左前を隠すように木が立っていました。

ウグイス

訪問時、ホーム脇に植えられた木の枝にオレンジが刺されており、その実をついばみにウグイスが集まってきていました。おそらく近隣住民が始めたことなのでしょう、かわいらしいウグイスが列車を待つ乗客の目を楽しませていました。

安浦駅

大乗13:41発普通広行き123M(クモハ227-99)で安浦へ。平成17年3月に呉市編入された旧:豊田郡安浦町の玄関口で、開業時に建てられた三角ファザードの木造駅舎が現役です。昭和10年2月に竹原から延伸してきた三呉線の終点「三津内海(みつうちのうみ)」として開業、昭和21年5月に改称されました。開業時の所在地は賀茂郡三津口村で、隣接する内海村と村名を重ねて命名されています。三津口村・内海村・野路村は昭和19年1月に合併して賀茂郡安浦町となり、昭和31年4月に所属郡が豊田郡に変わりました。町名は「浦安かれ」の意を込め、合併当時の官選第34代広島県知事・横山助成によって命名されました。

安浦駅

近年まで独立した町の玄関口だっただけあって、線内の他の無人駅と比べると駅舎も大きく構内も広々としています。令和4年4月の無人化まではみどりの窓口も設置されていました。この手の駅は無人化からの駅舎改築というケースが多いので、駅舎の先行きが気にかかるところです。

安芸津駅

安浦14:31発普通三原行き120M(クモハ227-89)で安芸津へ。平成17年2月に東広島市編入された旧:豊田郡安芸津町の玄関口で、簡易委託の窓口が設置されています。昭和10年2月に「安芸三津」として開業、当時の所在地は賀茂郡三津町でした。三津町は昭和18年1月に賀茂郡早田原村、豊田郡木谷村と合併して賀茂郡安芸津町となり、駅名も昭和24年11月に改称されています。「安芸津」の町名は合併時の官選第33代広島県知事・宮村才一郎により命名されたもので、「安芸国の良い津(港)」の意が込められています。命名の経緯も安浦とそっくりですが、同日開業ということもあって駅舎も同じ三角ファザードのデザインです。

仁方駅

安芸津15:07発普通広行き125M(クモハ226-41)で仁方(にがた)へ。瀬戸内海対岸の予讃本線堀江駅とを結ぶ国鉄仁堀航路の連絡駅だった駅で、昭和10年11月の呉線全通時に開業しました。駅舎は開業時のもので、国鉄航路への連絡駅だったにしてはこじんまりとしています。

仁方駅

仁方港は駅裏側にあり、航路があった頃から南口が設置されていたようです。仁方航路は昭和57年7月廃止、仁方駅はその前年に無人化されて簡易委託となりました。平成30年9月には老朽化した構内跨線橋と2番線上屋の撤去が行われており、ホーム間の行き来には一旦駅の外に出て市が設置した歩道橋を渡る形に改められました。

仁方の洋館

仁方は昭和16年4月に呉市編入されるまで賀茂郡仁方村だったところで、かつては「新潟村」「仁賀田村」ともいったようです。駅から少し北西に歩いたところに古そうな洋館二棟が向かい合って残っていました。

安芸川尻駅

仁方16:18発普通三原行き124M(モハ226-41)で安芸川尻(あきかわじり)へ。平成16年4月に呉市編入された旧:豊田郡川尻町の玄関口で、令和4年4月に無人化されるまではみどりの窓口が設置されていました。駅舎は昭和10年11月開業時のもので、待合室は広めに取られています。

安芸川尻駅

ホームは幅の狭い島式。呉線広以東は相対式ホームが多く、島式ホームの駅は数えるほどしかありません。窮屈なその形態や駅舎との位置関係はどちらかというと私鉄買収路線の駅のような雰囲気です。

広駅

安芸川尻16:36発普通広行き127M(クモハ226-92)で広へ。呉線における広島都市圏最東端の駅で、当駅を境に系統が分断される運行拠点駅です。昭和10年3月に呉から延伸してきた呉線の終点として開業、同年11月の全通で途中駅となりました。開業時の所在地は賀茂郡広村で、昭和16年4月に呉市編入されています。駅前で駅舎を撮影していると、小学生から今何時か聞かれました。

吉浦駅

広17:02発普通五日市行き657M(クモハ226-27)で吉浦へ。昭和3年4月に呉市編入された旧:安芸郡吉浦町の駅で、1日平均乗車人員は1000人を超えているものの令和4年4月に無人化されました。昭和21年2月完成の駅舎は天井の高い立派なもので、少々痛みが目立ちますが、末永く残ってほしいものです。明治36年12月の官設鉄道海田市~呉間開業時に開設、翌年山陽鉄道に貸与されましたが、明治39年12月の山陽鉄道国有化で再び官設鉄道の駅となりました。

日も暮れてきたので今日はここまで。吉浦17:46発普通広島行き661M(クモハ227-4)で広島に戻りました。