まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

3/5 弥生の中央西線駅巡り

3/5~7の三日間、信州方面へ赴きました

東海道本線

宝塚を5:24発普通松井山手行き4514M(クモハ207-1029)で出発し、尼崎5:46発普通京都行100C(クモハ207-1042)、大阪5:55発快速長浜行き700M(クモハ223-2069)、米原8:04発普通大垣行き3200F(クモハ311-7)、大垣8:40発特別快速豊橋行き5104F(クモハ313-5013)を乗り継いで金山へ。金山からは中央本線中央西線)に乗車します。

大曽根駅 南口

金山9:28発快速中津川行き5707M(クモハ211-5043)で大曽根へ。中央本線だけでなく、名鉄瀬戸線・地下鉄名城線ゆとりーとラインが乗り入れる名古屋市東部のターミナル駅で、改札所は南北2か所あります。元々あったのは南口で、平成19年にマンションと一体化した駅舎に建て替えられました。今でこそなくてはならないターミナル駅ですが、明治33年7月25日に路線が開業した当時、この地に駅はなく、地元の出資により明治44年4月9日に駅が開設されています。

新守山駅

大曽根9:49発普通高蔵寺行き3117M(クハ315-5)で新守山へ。名古屋市内の中央本線の駅では唯一の快速通過駅で、昭和39年4月1日に開業しました。元は貨物取扱がメインの駅でしたが、周辺の開発による利用者増加と鉄道貨物の衰退で今ではすっかり旅客メインの駅と化しています。駅がある守山区は昭和38年2月15日に名古屋市編入されるまでは守山市という独立した市でした。愛知県守山市が合併で消滅した7年後、滋賀県野洲郡守山町が市制施行して守山市となっていますが、国鉄駅の開業は滋賀の方が半世紀以上先でした。

神領駅 南口

新守山10:11発普通高蔵寺行き3119M(クハ315-1)で神領へ。特急「しなの」用の383系中京圏の通勤電車が所属する神領車両区が併設されている駅で、快速は停車しません。昭和18年10月1日に信号場として開業、昭和24年7月12日に仮乗降場に昇格し、昭和26年12月15日に正駅となりました。駅舎は平成20年3月20日に橋上化され、電車区を跨ぐ東西自由通路の新設で駅北側からも利用しやすくなっています。

神領駅 北口

当地は明治22年の町村制で東春日井郡雛五村が成立するまで、東春日井郡神領村だったところです。雛五村は明治39年7月16日に分割されて篠木村(しのぎむら)と高蔵寺村の一部となりました。篠木村は信号場開設の4カ月前の昭和18年6月1日に勝川町・鳥居松村・鷹来村と合併して春日井市となっています。

定光寺駅

神領10:36発普通多治見行き3619M(サハ315-7)で定光寺(じょうこうじ)へ。玉野川の渓谷沿いの崖にへばりつくような立地の無人駅で、快速は停車しません。大正8年5月19日に「玉野信号場」として開業、大正9年8月15日に仮停車場に昇格し、大正13年1月1日に正駅となりました。

定光寺駅 入口

駅舎は無く、駅前の狭い道から急な階段を上がったところに名古屋方面1番ホームがあります。山側の多治見方面2番ホームへはトンネル内の階段を抜けての連絡で、どことなく湯檜曽湯西川温泉のようなトンネル駅を連想させます。

千歳楼

駅周辺に人家は少なく、旅館や飲食店の廃墟が目に付くなど寂れた景勝地といった雰囲気。その中でも目立つのが巨大な廃旅館「千歳楼」。かつては名古屋の奥座敷として活況を呈していましたが、宿泊客の減少により6億円の負債を抱えて平成15年10月に廃業しました。廃業後は不法侵入や放火で荒廃が進み、心霊スポットとしても知られるようになっています。平成24年8月14日には不法侵入した少年が性別不明の白骨死体を発見して通報、心霊スポットとしての噂に箔がついてしまいました。あまりに不法侵入が多いことからバリケードにより封鎖されていますが、管財人不明のため取り壊しもできないそうで、今なお不気味な姿を駅前に晒しています。

古虎渓駅

定光寺11:12発普通多治見行き3621M(クモハ211-5021)で県境を越えて岐阜に入り、古虎渓へ。土岐川と山に挟まれた立地の駅で、駅前に人家は見当たりません。山側に向いた駅舎は昭和40年10月に建てられたブロック造のもので、地元住民による簡易委託の窓口が設置されています。

古虎渓駅

この駅も信号場からの昇格駅です。昭和15年10月10日に「池田信号場」として開業、昭和26年3月1日に仮乗降場に昇格し、昭和27年4月1日の正駅昇格時に改称して「古虎渓駅」となりました。秘境駅のような雰囲気ながら、対岸の山の上には市之倉ニュータウンが開発されています。

瑞浪駅

古虎渓11:48発普通多治見行き3623M(クモハ211-5037)と多治見12:01発快速中津川行き5715M(クハ314-10)を乗り継いで瑞浪へ。瑞浪市の代表駅で、一部列車は当駅で折り返します。昭和55年8月改築の駅舎は周辺駅とも共通する開放的な造りで、待合室はないものの、コンビニが併設されています。明治35年12月21日開業時の所在地は土岐郡瑞浪村でした。瑞浪村は明治30年4月1日に寺河戸村・小田村・山田村が合併したもので、「水(土岐川)の南」「瑞穂の浪打つ村」の意味を込めて命名されました。大正9年5月1日に町制施行した土岐郡瑞浪町は昭和26年4月1日に土岐町と合併して瑞浪土岐町となり、昭和29年4月1日に周辺町村と合併して市制施行し、瑞浪市となっています。市制施行にあたっては市名を「土岐市」とする案も出されたそうで、もしこちらが勝っていれば、翌年成立の土岐市命名に困ったことでしょう。

釜戸駅

瑞浪12:41発快速中津川行き5717M(クモハ211-5602)で釜戸へ。明治35年12月21日開業時に建てられた、中央本線最古の木造駅舎が残る駅で、簡易委託の窓口が設置されています。開業時の所在地は土岐郡余戸村(あまるべむら)で、大正10年7月1日に土岐郡釜戸村と大湫村に分村しました。昭和29年4月1日の合併では両村とも瑞浪市の一部となっています。

武並駅

釜戸13:19発快速中津川行き5719M(クモハ211-5043)で武並へ。大正8年11月25日に「竹折信号所」として開業、大正15年4月1日に昇格した駅で、簡易委託の窓口が設置されています。駅舎は平成20年1月末改築で、有人駅としては小さなものです。開業時の所在地は恵那郡武並村で、明治30年4月1日に竹折村から改称された村でした。村名は武並神社に由来します。武並村は昭和29年4月1日の合併で恵那市となりました。

武並駅 南口

名古屋方面2番ホーム側には平成20年3月19日に南口が開設されました。普通なら長めのスロープで対応しそうな入口の高度差にエレベーターを設置していますが、どうせなら跨線橋の方にエレベーターを付けるべきではなかったのかと思えてなりません。

大桑駅

武並13:51発快速中津川行き5721M(クモハ211-5603)と中津川14:15発普通松本行き1833M(クモハ313-1323)を乗り継いで大桑へ。令和3年1月8日以来2年ぶりの再訪です。木曽郡大桑村の玄関口ですが、周辺駅と比べて特に活気があるわけではありません。開業は昭和26年9月1日、当時からの駅舎が今も使用されています。

木曽郡大桑村役場 旧庁舎

駅前から続く坂道を真っすぐ登って大桑村役場旧庁舎へ。鉄骨造りの旧庁舎は昭和35年に建てられた古いもので、令和4年5月6日に新庁舎に移転してからも解体されることなく残されています。車社会の到来以前、駅から至近の立地は利便性の高いものだったことでしょう。

十二兼駅

大桑16:33発普通中津川行き1832M(クハ312-1322)で十二兼へ。木曽川と国道19号に挟まれた立地の駅で、駅前を旧中山道が通っています。景勝地・柿其(かきぞれ)渓谷への最寄り駅ですが、人家は少なく、タクシーもいないので観光客の利用はほとんどないでしょう。駅舎は平成4年12月に改築されたもので、室内を通らずホームへ出る造りです。

十二兼駅

昭和4年12月3日に信号場として開業、昭和23年9月1日に駅に昇格しました。開業時の所在地は西筑摩郡読書村(よみかきむら)。旧村名の与川(がわ)、三留野(どの)、柿其(かきぞれ)から合成した地名でした。読書村は昭和36年4月1日に田立村・吾妻村と合併して南木曽町となっています。

夜の松本駅

十二兼17:22発普通松本行き1837M(クハ312-1319)で松本へ。この日はホテルマツモトよろづやに宿泊しました。