まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

3/10 弥生の久大本線・豊肥本線・日豊本線駅巡り

九州遠征二日目も大分周辺の駅を巡りました

小野屋駅

大分を6:13発普通日田行き1838D(キハ125-113+キハ125-1)で出発し、小野屋へ。大分川の河岸段丘上にある駅で、県立由布高校の最寄り駅であることから簡易委託の窓口が設置されています。入場券は生憎機械の故障で買えませんでした。駅舎は平成19年3月18日改築。大正4年10月30日に大湯鉄道の終点として開業、当時の所在地は大分郡阿南村でした。駅名は地名ではなく、駅近くにあった「小野屋酒店」の屋号に由来します。当時の小野屋当主・小野昴は初代阿南村長にして大湯鉄道監査役で、大湯鉄道の大株主でした。小野屋はその知名度の高さゆえに、阿南村中心部の代名詞として扱われており、全国的に見ても珍しい屋号駅名が生まれることになりました。

鬼瀬駅

小野屋7:08発普通大分行き4827D(キハ200-554+キハ200-1554)で鬼瀬(おにがせ)へ。国道210号と大分川を見下ろす高台にある駅で、見える範囲に人家は少なくひっそりとしています。大正4年10月30日に大湯鉄道の駅として開業、大正11年12月1日の国有化時にいったん廃止となりましたが、大正14年2月3日に復活しています。かつては有人駅でしたが、昭和46年2月10日に無人化され、駅舎もその後撤去されました。駅名は明治の町村制で狭間村が成立するまで存在した大分郡鬼瀬村に由来します。

向之原駅

鬼瀬7:33発普通大分行き4829M(キハ200-105+キハ200-1105)で向之原(むかいのはる)へ。平成17年10月1日の合併で由布市となった旧:大分郡狭間町の玄関口で、折り返し列車が多数設定されています。IC乗車券使用可能エリアは当駅までで、大分郊外の運行拠点駅といった感じです。駅舎は平成14年8月17日改築で、待合室は広めに取られています。大正4年10月30日に大湯鉄道の駅として開業、読みは「むかいのはら」でしたが、大正11年12月1日の国有化時に読みが変更されました。駅名は明治の町村制で狭間村が成立するまで存在した大分郡向原村に由来します。

賀来駅

向之原7:59発普通大分行き4831D(キハ125-17+キハ125-24)で賀来(かく)へ。大分市郊外の住宅街にある棒線駅で、賀来神社の最寄り駅です。大正4年10月30日開業時の所在地は大分郡賀来村で、昭和30年2月1日の合併で大分郡大分村となり、昭和32年4月1日に市制施行して大分町となっています。大分町は昭和38年3月10日の合併で大分市の一部となりました。

豊後国分駅

賀来8:15発普通豊後国分行き4824D(キハ200-1105+キハ200-105)で豊後国分へ。豊後国分寺跡の最寄り駅で、平成元年3月11日に開業しました。平成5年3月に100m移転して交換設備が新設されています。折り返し列車は朝に一往復のみ。周辺は田園地帯で、丘の上に新興住宅地が整備されています。

犬飼駅

豊後国分8:31発普通大分行き4833D(キハ200-105+キハ200-1105)で大分に戻り、今度は豊肥本線へ。乗ってきた4833Dがそのまま8:52発普通犬飼行き5424D(キハ200-1105+キハ200-105)になったので、引き続き乗車し、終点犬飼へ。平成17年3月31日の合併で豊後大野市となった旧:大野郡犬飼町の駅で、町の中心は大野川を挟んだ対岸にあります。大正6年7月20日に犬飼軽便線の終点として開業、大正10年3月27日の三重町延伸で途中駅となりました。駅舎は平成17年3月改築、かつては窓口がありましたが、平成26年7月1日に無人化されています。

三重町駅

犬飼9:44発普通三重町行き4430D(キハ125-24+キハ125-17)で三重町へ。豊後大野市の代表駅で、特急も停車します。大正10年3月27日に犬飼軽便線の終点として開業、当時の所在地は大野郡三重町でした。駅舎は開業時に建てられた古いものですが、昭和63年4月1日に改装されて三角屋根が付きました。平成28年に茶色と白に塗り直されて落ち着いた雰囲気になっています。

菅尾駅

三重町10:21発普通大分行き4443D(キハ200-554+キハ200-1554)で菅尾へ。史跡菅尾石仏(石観音)の最寄り駅で、ホームは相対式。平成17年3月改築の駅舎は締切不可の簡素なもので、駅前側には子供たちの似顔絵が、ホーム側には観光地をアピールする看板が貼られています。大正10年3月27日開業時の所在地は大野郡菅尾村で、昭和26年4月1日の合併で三重町となりました。

別府駅

菅尾10:59発普通大分行き4445D(キハ125-17+キハ125-24)で大分に戻り、昼食を食べてから12:15発普通中津行き4638M(クモハ815-23)で別府へ。温泉街で名高い観光都市・別府市の代表駅で、昭和41年8月9日と地方にしては早い時期に高架化されています。東口駅前に建つのは「別府観光の父」と称えられる亀の井旅館の創業者・油屋熊八の銅像。マントには地獄めぐりの小鬼がしがみついています。この銅像、クリスマスにはサンタ服に着替えるなど定期的に着替えを行っているようで、訪問時には「火の用心」の襷がかけられていました。

牧駅

2分遅れの別府12:37発普通幸崎行き4639M(クハ814-24)で牧へ。昭和62年2月22日に開業した駅で、大分車両センターが隣接しています。ホーム入口には平成5年12月1日築の駅舎があり、かつては窓口のある有人駅でしたが、平成30年3月17日に無人化されています。駅名は明治の町村制で東大分村が成立するまで存在した大分郡牧村に由来します。東大分村は昭和14年8月15日に大分市編入されました。

高城駅

牧13:26発普通臼杵行き4641M(クハ814-26)で高城(たかじょう)へ。平成14年にサッカーワールドカップの会場となった大分スタジアム(ビッグアイ)の最寄り駅で、それに合わせて平成14年6月2日に駅舎が改築されました。一軒橋上駅のように見えますが、駅舎があるのは島式ホーム上で、自由通路で駅の南北と結ばれています。大正3年4月1日開業時の所在地は大分郡桃園村で、昭和19年2月11日に鶴崎町に編入されました。

大在駅

高城13:52発普通臼杵行き4643M(クハ812-3109)で大在(おおざい)へ。朝夕に折り返し列車も設定される利用者の多い駅で、小さな駅舎ながらみどりの窓口も設置されています。屋根の形が個性的な駅舎は平成17年3月13日改築の3代目。大正13年11月25日開業時の所在地は北海部郡大在村で、昭和38年3月10日の合併で大分市となりました。

鶴崎駅

大在14:09発普通中山香行き4642M(クモハ815-27)で鶴崎へ。昭和38年3月10日に大分市と合併した旧:鶴崎市の代表駅で、特急も全列車が停車します。大正3年4月1日開業時の所在地は大分郡鶴崎町で、昭和29年3月31日の合併時に市制施行して鶴崎市となりました。初代駅舎は昭和20年5月7日の鶴崎空襲で焼失し、昭和25年3月に現駅舎が再建されました。鶴崎熊本藩御茶屋が置かれたところで、豊後国内における熊本藩の拠点であると同時に佐賀関経由で瀬戸内海へと渡る中継地でもありました。

坂ノ市駅

鶴崎14:41発普通佐伯行き1629M(クハ812-3102)で坂ノ市へ。大分市街東部の住宅地にある駅で、当駅を境に利用者数は一気に減ります。昭和54年4月改築の駅舎はシンプルなデザイン。駅舎から島式ホームへは昭和57年9月以降長らく跨線橋での連絡でしたが、バリアフリー化のため最近になって構内踏切が復活しています。大正3年4月1日開業時の所在地は北海部郡佐賀市村(さかのいちむら)で、佐賀駅との混同を避けるべく「坂ノ市」の字が当てられました。佐賀市村は大正9年1月1日の町制施行時に改称して北海部郡坂ノ市町となり、昭和38年3月10日の合併で大分市となりました。

幸崎駅

坂ノ市15:07発普通亀川行き4646M(クハ813-3109)で大在へ戻り、先ほどは人が多くて撮れなかった部分を撮ってから、15:25発普通幸崎行き4645M(クハ814-16)で幸崎(こうざき)へ。大分市最東端の駅で、折り返し列車も多数設定されていますが、人口の多いエリアは一駅前の坂ノ市で終わっているため、列車本数の割にひっそりとした印象を受けます。駅舎は平成21年3月20日改築で、平成28年3月26日に無人化されました。大正3年4月1日、大分から伸びてきた豊州本線の終点として開業。当時の所在地は北海部郡神崎村(こうざきむら)で、神埼駅との混同を避けるべく「幸崎」の字が当てられました。神崎村は昭和30年1月1日の合併で佐賀関町となり、平成17年1月1日に大分市編入されています。佐賀関町中心部へは日本鉱業佐賀関鉄道という私鉄が出ていたものの、昭和38年5月15日に廃止されました。

佐伯駅

幸崎15:50発普通佐伯行き4647M(クハ812-3104)で佐伯へ。佐伯藩の城下町として栄えた佐伯市の代表駅で、当駅を境に普通列車の本数は一気に減ります。大正5年10月26日に臼杵から伸びてきた豊州本線の終点として開業、当時の所在地は南海部郡佐伯町でした。佐伯町昭和16年4月29日の合併時に市制施行して佐伯市となっています。駅名の読みは当初「さえき」でしたが、昭和37年1月15日に市名に合わせて「さいき」に変更されました。駅舎は昭和54年6月10日改築の二代目で、国鉄末期の主要駅らしい佇まいを残しています。

重岡で折り返す1633M

佐伯からは17:29発普通重岡行き(クハ814-18)で重岡へ。佐伯から先、延岡までの大分宮崎県境区間普通列車の本数が極めて少ない区間で、重岡~延岡間に至っては下り1本、上り2本しか設定されていません。佐伯~重岡間は少し本数が増えるものの、下りが6時台、17時台(重岡行き)、19時台(重岡行き)、上りが6時台、18時台(重岡発)、20時台の3本ずつという少なさです。

重岡駅

17時台、19時台の列車の終点となる重岡は、県境の宗太郎越えを控えた山間の小さな駅で、ホームは2面3線。普通列車は3番線を使って折り返します。かつては木造駅舎がありましたが、平成18年2月頃に解体されて、3月に現在の簡易駅舎が建てられました。駅前に人家は少なく、寂しげな雰囲気です。

重岡駅

大正11年3月26日に神原(現:直川)から伸びてきた豊州本線の終点として開業。当時の所在地は大野郡重岡村でしたが、駅は村の中心から離れた大平地区にあります。昭和25年1月1日、重岡村は小野市村と共に所属郡を南海部郡に変更、昭和30年3月31日に小野市村と合併して宇目村となりました。南海部郡宇目村は昭和36年11月3日に町制施行して宇目町となり、平成17年3月3日の合併で佐伯市となっています。宇目町は歴史的にも地理的にも佐伯よりも豊後大野との方が結びつきが強く、宇目の人々が大分に出るには三重町駅を利用するそうで、そうした事情も重岡駅の利用の少なさに影響しているのでしょう。

上岡駅

折返し重岡18:21発普通大分行き1644M(クモハ814-18)で上岡へ。まだ19時前で列車もある時間ですが、駅舎内は真っ暗でした。こうも暗くては観察も撮影もできないので明日に回すことにして夕食へ。駅裏にはロードサイド店舗が多いものの、駅からのアクセスは微妙に悪いです。この日は駅近くのHOTEL AZ佐伯に泊まりました。