5/24~25の二日間、群馬県をドライブしました
前夜23:50に梅田プラザモータープールを出たJX242便が高崎駅前に着いたのは9:20。10時に駅レンタカーで車を借りて出発し、まずは藤岡市役所へ。本庁舎の定礎の日付は昭和42年10月。元は市章の掲げられている部分の上に塔屋が伸びていましたが、耐震性が低いことから平成26年に撤去されました。築半世紀を超える古い庁舎ですが、今のところ建て替え計画はないようです。
神流川に沿って山間に入り、万場へ。平成15年4月1日に万場町と中里村が合併して誕生した神流町の役場が置かれているところで、十石街道沿いに街が形成されています。神流町役場は昭和45年に万場町役場として建てられたものです。
十石街道に面して建つ今井屋旅館は明治42年の大火後に再建されたもの。木造三階建ての風格ある和風旅館です。
万場を後に中里へ向かう道中、懐かしい感じの消防分署を発見したので車を止めて撮影。
続いて中里へ。平成15年4月1日の合併まで多野郡中里村だったところで、わずかに開けた平地に公共施設が集まっています。中里村は合併前の時点で、島嶼部を除けば関東で最も人口の少ない村でした。合併直前の平成15年2月に竣工した旧中里村役場は山間の小村が建てたとは思えないほど近代的なデザインで、設計は建築家の古谷誠章氏。
中里村の旧道沿いには旧郵便局も残っていました。
さらに上流へと分け入り、上野村へ。神流川対岸から上野村役場を撮影。昭和46年8月に移転新築された庁舎で、建て替えが検討されています。上野村は中里村亡き今は島嶼部を除く関東で最も人口の少ない村で、日航ジャンボ機墜落事故の起きた御巣鷹山のある村としてその名を知られています。
湯の沢トンネルを越えて南牧(なんもく)村へ。高齢化率が日本一高い村ですが、道路事情は神流町や南牧村ほど悪くなく、山間の村としてはアクセスしやすい方に分類されるでしょう。
村の中心、大日向には旧農協、消防団、中学校講堂など趣ある建物がいくつか残っています。昭和30年3月15日の合併までは甘楽郡月形村、明治の町村制までは北甘楽郡大日向村だったところです。
その上流の砥沢には和洋折衷のスタイルが目を惹く旧郵便局が残っています。長野県との県境に近く、訪れるのも一苦労な山奥ですが、一見の価値ありです。
南牧川に沿って下り、今度は下仁田を目指します。その道中、磐戸で南牧自然休養村管理センターの建物が解体されているのに遭遇。
その向かいには古そうな木造のガレージがありましたが、先ほど大日向で見た消防団の建物とそっくりなので、これも元は消防団の建物かもしれません。
下仁田は南牧川が鏑川と合流する地点に栄えた街で、ネギの産地として名高いところです。古くは中山道脇往還の宿場町で、今なお古い建物が多く残っています。
県道45号沿いの一角を見ただけで近代建築が結構見つかりました。ゆっくり歩けばまだまだ発見がありそうなところです。
下仁田町役場は昭和49年11月18日竣工。
続いて甘楽町へ。小幡藩の城下町から外れたところに昭和43年5月31日完成の役場があります。設計は大高建築設計、施工は宮沢建設工業。なかなかかっこいいデザインのモダニズム建築ですが、逆光だったのでまたリベンジしたいところ。
松井田へ抜ける道中、一ノ宮妙義線沿いの高田公会堂を撮影。詳細は不明ですが、内部は芝居小屋のようになっているとのこと。
続いて松井田へ。昭和31年2月16日完成の旧松井田町役場は白井晟一の代表作の一つで、「畑の中のパルテノン」の異名を持つ白亜の建物です。平成4年7月まで役場として使われ、近年まで文化財資料室となっていましたが、耐震性不足により現在は使われていません。
松井田商工会館は昭和14年に警察署として建てられたもので、洋風建築に瓦屋根を載せた和洋折衷の「帝冠様式」と呼ばれるデザイン。小粒ながらもまとまったかっこいい建物です。昭和42年、警察署の移転により取り壊される方針が発表されたものの、町内有志の活動により商工会館に転用されて存続することになりました。
松井田は近代建築の多いところで、医院建築も二軒残っています。
松井田を後に安中へ向かう道中、いい感じの農協建築を見つけたので立ち寄り撮影。目立つ建物の割に注目している建築マニアも少ないようで、詳細は不明。
安中市役所は五棟の建物から形成された庁舎で、旧庁舎は昭和34年、中庁舎は昭和44年、保健センターは昭和61年、西庁舎は昭和39年、新庁舎は平成13年竣工。ご多分に漏れず、建て替えが計画されています。
市役所を見た後は安中市街を散策。安中は中山道の宿場町かつ安中藩の城下町として栄えたところで、町家や茅葺の武家屋敷が目立ちますが、一方で近代建築も残っています。この日の散策は安中で終了し、新前橋のシロタホテルに泊まりました。