
改札は2階にあります
解体工事が再来年から始まるので撮れるうちに何枚でも撮っておこうと思います

この写真を撮っていると自転車で通りかかったおじさんが「観光に来たんですか?」と話しかけてきました
なぜ突然話かけてきたのだろうか、と話を伺うとそのおじさんは孫市の像を建てた人だそうで、「像を撮ってる人は珍しいから」とのことでした

昭和49(1974)年10月に廃止された田井ノ瀬~紀伊中ノ島~紀和間を歩きます

分岐してからの数メートルは土地の形からして転用しにくかったのか、草むらになっています



このまま進むことはできないので迂回し、向井商店の裏手へ






なんとなくホーム跡のようなものがあるのが分るでしょうか?

先程の画像と見比べてみてください
全盛期には今では駐車場や集合住宅になっている場所に留置線があったようです

明治31(1898)年5月4日、開業当時は船戸仮駅までだった紀和鉄道(現和歌山線)の起点「和歌山駅」として開業した駅で、明治36(1903)年3月21日に和歌山市駅までの路線延伸で中間駅となりました。
大正13(1924)年2月28日に当駅から箕島までの紀勢西線(現紀勢本線)が開業して、和歌山線と紀勢西線の分岐駅となりましたが、昭和5(1930)年6月16日に阪和電鉄(→南海山手線→国鉄阪和線)が東和歌山駅まで開業すると、和歌山市の玄関口としての役目をそちらに奪われ、その後は衰退の道を辿ります
駅前はとてもかつての県庁所在地駅の駅前とは思えないほど寂しい駅前で、人通りはほとんどありません
紀和駅の一日の利用者数も60人ほどだそうです
あまりの寂れ方に儚さを感じずにはいられません

ホーム上には券売機とベンチしかなく殺風景で、5分もあれば全て観察できるほど簡素な駅です
ここから列車に乗り、紀伊中ノ島へと戻ります