まずは宝塚南口9:08発普通西宮北口行き970(3152)で出発

これまで長らくの間、中間駅では唯一駅舎が残されている駅でした
Twitterで流れていた駅舎解体のニュースは事実だったようで、駅舎はすでに解体されて姿を消していました

駅舎跡地は整備されて駐輪場になるそうです
ホームだけの簡素な無人駅で、付近はごく普通の住宅街ですが所々に田畑がありのどかな感じです

名前からして新しい駅のように思えますが、昭和44(1969)年に開業した駅でそれほど新しいとは言えません




ホームから線路を挟んだ所にあるボロボロの廃屋(上写真右端)が印象的でした
大正15年開業時に建てられた寺院風駅舎が特徴で、この駅舎は国の登録有形文化財にも指定されています
駅名は平成21年に「水間」から「水間観音」に改称されましたが、駅舎に掲げられた駅名表示はそのままです

保存状態は屋外展示にしては良好ですが、障害物が多く正面からお顔を拝むことができないのが残念です
南海モ1201型の貴重な生き残りなので、維持費はかかるでしょうが、水間鉄道さんにはこれからも残していっていただきたいと思います

デハ7003(元東急デハ7012)+デハ7103(元東急デハ7011)です
更新工事対象から漏れて休車となっています
非冷房ですし、更新工事を行って営業復帰させる気配もないようなので、実質的には部品取り車のようなものだと思われます
車内の吊り革の広告が東急時代のままでした

サドルに埃が溜まっていることからして結構長い間置かれているようですが、これって駅が自転車捨て場にされているということなのでは・・・

水間線の中間駅では唯一の列車交換可能駅で、開業時はこの駅が終点でした

隣の清児までは約500mとそんなに距離はないので歩きます
地図を持っていませんが、線路になるべく近い道を選んで歩いていけば着くでしょう

昭和30年に工事に着手し、紀泉熊取の手前まで工事が進められましたが、資金難から工事は中止。その後も工事を再開しようと試みられていましたが、結局平成8年に計画は正式に中止されました
建設用地は売却されて宅地に転用され、現在はその痕跡を辿るのも難しくなっているそうです

線路の右側にちょっとした空き地がありますが、どうやらこれが紀泉鉄道が水間線から分岐していくために確保されていた土地のようです
その先には真新しい住宅が建っており、紀泉鉄道の痕跡は見られません
しかし、そのさらに先には溝橋跡やアーチ橋も残っているそうなので機会があれば行ってみたいと思います
駅舎のある駅は少ないので、あまり期待していませんでしたが、降りてみたら小さいながらも雰囲気のいい駅が多く楽しかったです
今日の目的はこれで達成したので家路につきます
難波で御堂筋線14:27発新大阪行き280に乗り換え、梅田へ