9/7 宝塚から東京へ向かう途中に中央西線駅めぐり
一週間ゆっくりとしていた帰省も終わり、この日は18きっぷで寄り道をしながら東京へ向かいます
まずは宝塚を5:15発普通吹田行き(クモハ207-2020)で出発
大阪で5:54発快速長浜行き700M(クモハ223-2060)に乗り換えて米原へ
米原からは8:03発普通大垣行き200F(クモハ311-15)で大垣へ
宝塚から始発で乗り継いで中京圏へ来ようとすると必然的にこの列車への乗り継ぎとなるわけですが、2分の乗り換え時間で1番線から5番線まで混んだ階段や通路での移動を強いられるので毎回不便さを痛感させられます。管轄が変わるわけでもないのだからせめて隣のホームでの乗り換えにしてくれたらと思うのですが
10:06着の土岐市で下車
昭和43年改築の2階建ての駅舎はいかにも国鉄準主要駅といった雰囲気です
距離的に考えればこの辺も名古屋への通勤圏なのでしょうが、駅前の雰囲気はベッドタウンというよりは地方都市といった方がよさそうな感じです
駅から10分ほど歩いて土岐市役所へ
昭和41年12月竣工の現庁舎の一部を解体して新庁舎を建設中です
現庁舎の外付け階段
この形状の階段は昭和30~40年代の公共建築を巡っているとよく目にするのですが、やはりあの時代の流行だったのでしょうか
庁舎一階入ってすぐのところには新庁舎の完成イメージ模型が置かれていました
かつて有料列車に使われていただけあって居住性は抜群です
昭和53年改築の中津川の駅舎は、主要駅だけあって周辺駅と比べると大きなものです
名古屋からの快速列車の終点なので、中京圏最東端といったところでしょうか
駅舎内のキオスクで食料を調達してから12:00発普通松本行き1831M(クモハ313-1310)に乗車
車内は結構混んでいて、これならもうちょっと本数があってもいいのではという気がします
13:18着の藪原で下車
藪原13:38発普通中津川行き1828M(クハ312-1320)で宮ノ越へ
木曽路観光の拠点駅の一つで、特急しなのも停車します
昭和56年に改築された和風の駅舎は南木曽駅のものとよく似たデザインですが、こちらの方が少し大きいようです
改札口のところにはpepperが立っていて時折日本語や英語で喋りだしますが、雨で観光客が少ないためか手持無沙汰そうでした
駅のそばの駐車場にはD51 775が保存されていますが、保存されてからだいぶ経つのか屋根が破れて雨漏りしています
待合室で列車を待っていると観光客らしいおじいさんから「山登られるんですか」と声をかけられました。私の登山用リュック(容量が大きいので旅行には重宝する)を見てのことでしょうが、そういえば木曽福島は御嶽山や信州駒ケ岳への登山口でしたね
この駅も旧楢川村の駅で、明治42年開業時の駅舎が現役です
もう夕方といっていい時刻で、駅の窓口も閉まっていましたが駅前は保存地区を訪れた観光客で賑わっていました
漆器の町として有名な重要伝統的建造物群保存地区木曾平沢を見下ろす高台にある駅です。「木曽」を冠しているのは魚沼線平沢駅(昭和59年廃止)と区別するためでしょうか
駅舎は昭和34年の移転時に改築されたもので、旧事務室部分が減築されています
5分遅れて到着した木曽平沢17:26発普通中津川行き1836M(クハ312-1318)で原野へ
旧日義村の駅で、駅舎は昭和30年開業時のものです
跨線橋のない対向式ホームの駅で、ホーム同士を行き来するには駅の上を跨いでいる一般道を通らなければなりません
駅周辺は人家が数軒あるだけで、この日訪問した駅の中では最も寂しい駅でした
松本・塩尻・岡谷・両諏訪と地方には珍しくそこそこ大きな都市が固まっているためか車内は結構な混みようでしたが、県境の信濃境に近づくにつれて乗客が減っていきました。甲府では10分以上の停車時間があるのでここで遅れを取り戻し、大月には定刻通り21:25着
大月からは21:30発快速東京行き2270M(クハE232-39)で新宿へ
E233を見て首都圏に戻ってきたことを実感しました
新宿からは6分遅れの23:03発山手線外回り2245G(クハE234-7)で高田馬場へ23:17着
この日の訪問駅は8駅、総訪問駅数は1832駅に達しました
久しぶりに下宿に帰ってきましたが、2日後からは再び山梨・長野へ駅めぐりの旅に出ます