高崎線の駅のうち、宮原~岡部が未訪問で残っているのでその区間の駅をひたすら降りていきます
深谷市に合併された旧大里郡岡部町の駅で、昭和5年11月改築の木造駅舎が現役で使用されています。駅舎とは反対側の南側にあるロータリーへは改札外の陸橋を経由する必要があるため、利用者からは橋上化を求める声もあるようです
平成8年7月改築の橋上駅舎は、深谷で生産された煉瓦が東京駅丸の内駅舎に使われているということにちなんで、東京駅を模したデザインになっています。先月デザインが発表された新一万円札には深谷出身の実業家・渋沢栄一と東京駅丸の内駅舎がデザインされるそうなので、この駅舎も新一万円札とのゆかりが深いものとなりそうです
車両基地があることから折り返し列車が多数設定されている駅で、当駅で折り返さない列車も増解結のために数分間停車することが多いです
半橋上駅舎は昭和61年に改築されたもので、写真は北口。駅前の規模の割に駅舎は大きめです
埼玉県北部の中心都市・熊谷市の代表駅で、上越新幹線が停車するほか、秩父鉄道も乗り入れています。駅舎は新幹線が開業した昭和57年11月に改築されたもので、ホームは新幹線の高架下に、改札口は橋上にあります。写真は北口、新幹線停車駅だけあって駅前はさすがに都会です

行田市からの要望により昭和41年7月に開業した駅で、行田市の中心部からは離れた南西端に位置します。「行田」の駅名は元々市中心部にある秩父鉄道行田市駅が名乗っていましたが、当駅に駅名を譲る形で当駅開業一か月前に改称しています

昭和59年11月に開業した駅で、橋上駅には珍しく出入口は東側にしかありませんでしたが、平成20年12月に西口が開設されました
昭和57年6月に橋上化されていますが、橋上化の話が出たときには地元の障碍者団体が「段差が増える」と反対したそうで、橋上化=エレベーター設置がほとんど常識となっている現代とは隔世の感があります。そんな鴻巣駅にエレベーターが設置されたのは平成19年3月で、実に四半世紀もの間エレベーターが無かったことを思うと橋上化の時に反対した人たちの気持ちも分からんでもないです
北本市の代表駅で、昭和52年10月に橋上化されました

桶川市の代表駅で、昭和57年11月に橋上化されました
写真の東口駅前は手狭で、ロータリーを設置できないことから路線バスは転車台を使って方向転換をして折り返していきます

民営化後の昭和63年12月に開業した駅で、駅の新設に当たっては上尾高校が西口開発のために移転を強いられそうになったことから反対運動を展開し、また駅新設に関係して収賄事件も起きていたことから、地元から歓迎されて開業した駅ではなかったようです。もっとも開業から30年以上を経た今では利用客数も当初の3倍近くまで増加し、地元になくてはならない大切な足となっているようです

昭和44年2月に橋上化、平成23年2月にリニューアルされました
駅舎内には多くの店舗が入居し、駅前に百貨店もあることから行き交う人の流れが絶えることはありません
昭和48年に乗客が暴動を起こした上尾事件が発生した駅としても知られています

さいたま市北区(旧大宮市)にある駅で、昭和47年10月に橋上化されました
写真の東口駅前には当地出身の日本交通創業者・川鍋秋蔵氏の胸像があります
この日の新規訪問駅は21駅、総訪問駅数は2632に達しました