

東芝京浜事業所の正門前にある駅で、大正15年3月開業時に建てられた木造駅舎が現役です

浜川崎方面へ向かう本線と海芝浦支線との分岐駅で、駅名は鶴見臨港鉄道の創業者・浅野総一郎にちなんだものです。駅舎は昭和51年に改築された比較的大きなものですが、JR労組の事務所に使われているので利用客は建物内に入ることはできません

東芝の工場敷地に囲まれた駅で、東芝関係者以外は駅舎から外に出ることができません。駅舎は東芝京浜事業所の門を兼ねているので、うっかりカメラを向けようもんなら、警備員が物凄い勢いで飛んできて写真を消せと脅されるので注意が必要です
撮られたら困るようなものなんて敷地外(駅ホーム)から見えるところにおくわけないだろうし、撮影に関してそこまで厳重にする必要があるのかは疑問に思います


昭和5年10月開業の高架駅で、薄暗い高架下には時間が止まったかのようなレトロな空間が広がっています。暗い上に人の気配がなく不気味ですが、夜になると今もいくつかの店が営業して賑わうようです

南武線支線との乗換駅ですが、直接はつながっていないため乗り換えには一旦駅の外に出て一般道を横断する必要があります。隣接して大きなヤードを持つ貨物駅があり、駅の格はどう見ても旅客駅よりそちらの方が上です


大川支線の本来の分岐駅ですが、本線のホームの南側に独立して存在した大川支線のホームは車両の大型化に伴って平成8年3月に廃止され、現在は安善が分岐駅として扱われています。駅名は日本鋼管の創業者・白石元治郎にちなんだものです

住宅街の中にある駅で、改札口はホームごとに分離されています
下りホーム側の駅舎(写真)は昭和11年12月に「工業学校前」駅として開業した時に建てられたものだと思われます

工業地帯にある駅ですが、駅周辺には住宅やマンションも多くあります
駅舎は平成30年4月に改築されたばかりの新しいもので、木製の上屋が入口に架けられているのが特徴です
昭和電工(旧昭和肥料)の工場の目の前にあることから名づけられた駅で、元号を駅名に持つ駅として知られています。駅舎は平成29年9月に改築されたもので、それ以前は昭和風情を感じさせるボロい木造駅舎がありました
