まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

1/22 豪雪の野岩鉄道・会津鉄道駅めぐり その2

ゆったり会津東武フリーパス二日目も引き続き、野岩鉄道会津鉄道の駅をめぐっていきます。

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早朝の会津田島駅

まだ薄暗い会津田島駅からスタート。線内最大の駅らしく立派な駅舎は「会津田島ふれあいステーションプラザ」との合築で、平成元年9月改築。運行拠点駅だけあって早朝から窓口が開いています。

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会津長野駅

会津田島6:12発普通会津若松行き2306D(AT552+AT501)で会津長野へ。明治22年の町村制で田島村が成立まで存在した旧・南会津郡長野村の駅で、国鉄時代は減築された木造駅舎がありました。転換後に改築された駅舎はログハウス風の会津鉄道標準仕様のもので、駅前より一段高い旧1番線跡に建てられています。旧駅舎は階段の下にあったようです。後ろに聳える山は斎藤山、駅の裏手には田畑が広がるばかりで人家はありません。ホーム上には古い上屋が残されています。

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養鱒公園駅

会津長野7:38発普通会津若松行き2108M(AT502)で養鱒公園へ。昭和22年9月に「会津落合」として開業した駅で、昭和30年の下郷町成立まで存在した旧・南会津郡旭田村の駅です。国鉄時代には減築された木造駅舎がありました。会津鉄道への転換時に改称されています。ここも駅舎はログハウス風で、隣に別棟のトイレがあります。駅名の由来となった養鱒公園いこいの広場までは1.9㎞、鱒を釣って食べることができるそうです。

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会津高原尾瀬口駅

養鱒公園7:54発快速AIZUマウントエクスプレス2号鬼怒川温泉行き3151D(AT751+AT601)で会津高原尾瀬口へ。昭和28年11月に会津線の終点「会津滝ノ原」として開業した駅で、昭和41年には今市とを結ぶ野岩線の建設が始まりました。野岩線は国鉄再建法で工事が凍結されたものの、第三セクター野岩鉄道会津鬼怒川線として昭和61年10月に開業。会津滝ノ原は野岩鉄道開業に合わせて「会津高原」に改称されましたが、尾瀬への玄関口をアピールすべく平成18年3月に再度改称されて「会津高原尾瀬口」となりました。開業時からのモルタル駅舎が改装の上で使用されていますが、駅舎前に「会津高原駅プラザ憩の家」への通路とを結ぶ屋根が増築されています。今でこそ東京方面からの会津地方の玄関口ですが、国鉄時代は盲腸線の終着駅でさぞかし遠い山奥の駅という感じだったのだろうと思います。

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会津高原駅プラザ憩の家

駅前の通路を通り、階段を下りた先にはレストランなどが入る会津高原駅プラザ憩の家があります。音楽が大音量で流れているところや通路の雰囲気などはスキー場を思わせます。駅舎前の広場が狭いため、バスやタクシーは憩の家の前に発着しており、実質的にはこちらが駅前といった感じです。

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上三依塩原温泉口駅

会津高原尾瀬口9:22発区間快速新藤原行き852(6179)で上三依塩原温泉口へ。昭和61年10月の野岩鉄道開業時に「下野上三依」として開業した駅で、会津線の「上三寄」(現:芦ノ牧温泉)との混同を避けるために旧国名の下野が冠されていました。昭和63年10月、駅のある上三依地区と塩原温泉を結ぶ尾頭トンネルが開通すると「上三依塩原」に改称され、平成18年3月に現在の駅名になりました。漢字表記だと8文字で、福知山市民病院口駅と並んで漢字のみの駅名としては日本一長い駅名です。約10㎞離れた塩原温泉郷への玄関口で、バスで約25分と那須塩原駅よりも近いですが、駅周辺には小さな集落があるのみで閑散としています。駅舎はとんがり屋根が特徴で、関東の駅百選にも選定されています。

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大川ダム公園駅

上三依塩原温泉口10:10発快速AIZUマウントエクスプレス1号会津若松行き3155(AT601+AT751)で大川ダム公園へ。昭和43年10月、「舟子」仮乗降場として開業した駅で、大川ダム建設に伴う線路付け替えで昭和55年12月に現在地に移転、分割民営化時に駅に昇格し、会津鉄道への転換時に改称されました。駅周辺には小集落があるものの駅から直接は見えず、「秘境駅」の一つとされています。ホームは駅前の道路より一段低い位置にありますが、道路からホームに降りる階段は除雪されておらず、代わりに少し離れたところの坂道が出入口として除雪されていました。

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大川ダム公園駅

駅前には広大なソーラーパネル発電所が設置されていますが、ご覧の通り雪を被っていました。晴れている時にしか発電できないソーラーパネルと、冬は雪に閉ざされる会津地方は正直相性が悪く非効率なのではないかと感じてしまいます。晴れの日が多い瀬戸内ならともかく、雨や曇り、雪が多い地方では太陽光発電は最適な発電方法とは言えないでしょう。

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会津下郷駅

大川ダム公園11:52発普通リレー132号会津田島行き2309D(AT501)で会津下郷へ。昭和30年に楢原町、旭田村、江川村が合併して誕生した南会津郡下郷町の玄関口で、会津鉄道への転換時に「楢原」から改称されました。駅舎の改築が進んだ会津線では珍しく、昭和9年12月開業時に建てられた木造駅舎が現役です。旧事務室部分は喫茶店になっており、ますバーガーが名物だそうです。事前に知っていれば昼食のパンをあらかじめ買ったりしなかったのに、惜しいことをしました。

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湯野上温泉駅

会津下郷12:45発快速リレー111号会津若松行き3312D(AT552)で湯野上温泉へ。昭和30年の下郷町成立まで存在した旧・南会津郡江川村の駅で、湯野上温泉と大内宿の最寄り駅です。会津鉄道への転換時に「湯野上」から改称され、昭和62年12月に大内宿にちなんだ茅葺屋根の駅舎に改築されています。室内で暖房が焚かれている有人駅の常で立派な氷柱が下がっていましたが、茅葺屋根らしくその色も茶色でした。駅舎内は薄暗い上に人も多く、テレビ撮影クルーなどもいたので写真は撮れず。観光地の駅の駅舎内は早朝や夜に撮るのがおそらく正解なのでしょう。

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弥五島駅

湯野上温泉13:28発快速AIZUマウントエクスプレス4号東武日光行き3155D(AT751+AT601)で弥五島へ。会津線では数少ない開業時の駅名を守る駅で、明治22年の町村制で長江村が成立するまで存在した旧・南会津郡弥五島村に由来します。国鉄末期に簡易駅舎に改築されましたが、平成20年10月に改装されて赤レンガ風タイルのデザインになりました。「寄贈 松島達夫 平成二十年十月竣工 会津鉄道 弥五島駅」の文字がある辺り、松島さんという人の寄贈によって改装されたようですが、詳細は不明。

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芦ノ牧温泉南駅

弥五島13:46発普通会津若松行き2314D(AT501)で芦ノ牧温泉南へ。転換時に「桑原」から改称された駅で、大川ダム建設に伴う線路付け替えで昭和55年12月に現在地に移転しています。駅があるのはダム建設による集団移転で高台に造成された桑原集落で、駅周辺に温泉旅館等はありません。芦ノ牧温泉の最寄り駅だと勘違いする人もいそうですし、わざわざ改称した意図が分かりません。芦ノ牧温泉へは直線距離で3.6㎞で直接行ける道路もないため、「桑原」駅のままで良かったのではないかと思います。観光客誘致のために改称するとしても駅の目の前にある「若郷湖」から取らなかったのは何とも理解しがたいです。

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芦ノ牧温泉南駅 ホームへの階段

ホームは駅舎から階段を下ったところにあり、コンクリート打ちっぱなしの無機質な雰囲気、この季節だと実に寒々として見えます。

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桑原駅 駅名標

駅前の突き当り、大川集会所の隣には旧駅名「桑原」の駅名が保存されています。初代桑原駅はかつての桑原集落と共に若郷湖の底に沈んでおり、2代目桑原駅も駅名が変えられてしまった今となってはこの土地の歴史を物語る貴重な存在です。今からでも駅名を元に戻せばいいのではないかと個人的には思います。待合室で列車を待っていると同業者がやってきましたが、この雪の中、大川ダム公園から歩いてきたのでしょうか。

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あまや駅

芦ノ牧温泉南15:01発普通リレー117号会津若松行き2316D(AT502)であまやへ。平成11年8月に開業した簡素な無人駅です。駅入口にプレハブの待合室が設置されています。駅周辺に「下雨屋/上雨屋」という地名があり、これが駅名の由来でしょう。「雨屋」はそれほど難読なわけでもなく、風情のあるので、漢字のままでもいいような気がしますが。

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塔のへつり駅

あまや15:23発普通会津田島行き2313D(AT501)で塔のへつりへ。昭和35年4月に観光シーズンのみの仮乗降場として開業、昭和44年11月に廃止されましたが、転換後の昭和63年4月に正式な駅として復活しました。近くに建物も見えない森の中にあり、秘境駅のようですが、観光客の利用があるため快速も停車します。ホーム入口にある待合室は豪雪地帯らしく高床式です。予定では16:06発普通会津若松行き2318Dに乗るはずでしたが、この列車は土休日運休で、南若松と門田には降りれないことになりました。

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塔の岪

せっかく次の列車まで時間があるのだからと塔の岪を見に行きました。阿賀川の侵食によってつくられた崖の地形で、「岪(へつり)」とは会津方言で川に迫った急な崖のことを指します。この岪が塔のように見えるから「塔の岪」と言うのだそうですが、雪を被っていたので「なんとなく塔っぽいな」と分かる程度でした。通行止めのところも多く寒かったので、見ていたのは5分ほどでそそくさと駅に戻りました。

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西若松駅で並ぶ只見線(左)と会津線(右)

塔のへつり17:00発普通会津若松行き2320D(AT552)で西若松へ。JR只見線会津鉄道会津線の分岐駅で、会津線の列車は全て会津若松まで直通しています。一応只見線の方が本線で会津線が支線と言う形を取っていますが、只見線の下り列車が7本で5時間以上開く時間帯もあるのに対して会津線の下り列車は平日12本で大体一時間に一本あります。歴史的には只見線の方が先に「会津線」として大正15年10月に開業し、その支線として翌昭和2年11月に現在の会津線が上三寄(現:芦ノ牧温泉)まで開通しました。昭和46年8月に只見線が全通して改名されると会津線支線の方が唯一の「会津線」となり、昭和62年7月に第三セクター会津鉄道に転換されています。西若松は橋上駅ですが、もう日も暮れているので今回は訪問基準だけ満たして翌日また撮りに来ることにします。

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マルモ食堂 ソースかつ丼

西若松18:46発普通会津若松行き2322D(AT502)で会津若松へ。駅前のマルモ食堂で会津名物ソースかつ丼で夕食としました。メニューには「納豆カレー」なるものもあり、気になりました。この日は快活クラブ会津インター店に宿泊。3日目も引き続き野岩・会津の駅をめぐる予定です。