まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅めぐり旅~

駅めぐりの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

5/6 遠州鉄道駅めぐり

西鹿島からは遠州鉄道の駅を巡っていきます。

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西鹿島駅

遠州鉄道の終点で、天竜浜名湖鉄道(旧:二俣線)との接続駅である西鹿島は、二俣線建設に伴って昭和13年に現在地に移転した駅です。明治42年開業時の駅名は「鹿島」で、大正12年に「遠州二俣」に改称されました。

現在の洋風駅舎は昭和54年改築で、平成12年には中部の駅百選に選定されました。構内には車両基地が併設されています。

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遠州岩水寺駅

西鹿島14:00発新浜松行き84(2004)で遠州岩水寺へ。天浜線岩水寺駅との混同を避けるために正式名称では「遠州」を冠していますが、駅名標や放送、路線図などでは「遠州」が冠されていません。ログハウス風の駅舎を持つ駅で、平成14年には第4回中部の駅百選に選定されています。平成24年には東口が新設されました。

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遠州芝本駅

遠州岩水寺14:14発新浜松行き86(2005)で遠州芝本へ。こちらも駅名標などでは「遠州」が省略されています。かつては棒線駅でしたが、平成2年12月に現在地に移転して1面2線化されました。線路に挟まれた狭いスペースに無理やり造ったような手狭な駅です。

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遠州小林駅

遠州芝本14:28発新浜松行き88(2003)で遠州小林へ。こちらも線路に挟まれた立地の駅で、平成20年に駅舎とホームが改築されてバリアフリー化されました。駅自体は手狭ですが、駅前にはロータリーも設けられています。

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美薗中央公園駅

遠州小林14:42発新浜松行き90(2007)で美薗中央公園へ。遠鉄線内では数少ない棒線駅で、その名の通り美薗中央公園の最寄り駅です。昭和26年4月に「北浜」として開業し、昭和52年8月に「北浜中学校前」に改称、平成19年8月に現在の駅名になりました。

訪問時は遠足の園児たちがいて駅を撮りづらい雰囲気でしたが、下り列車に乗っていなくなった一瞬を狙ってホームを撮影しました。

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浜北駅

美薗中央公園14:56発新浜松行き92(1005)で浜北へ。平成17年に浜松市編入された旧浜北市の代表駅で、線内でも屈指の利用者数を誇ります。

明治42年開業時の駅名は「貴布禰(きぶね)」で、大正12年に「遠州貴布禰」に改称され、昭和52年に現在の駅名になりました。昭和52年改称時に2階建ての駅ビルが建てられましたが、平成15年12月に現在のコンパクトな駅舎に改築されました。

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遠州小松駅

浜北15:10発新浜松行き94(2008)で遠州小松へ。戦時中の2カ月間だけ、遠州鉄道の重役室と総務部が駅前に疎開してきたこともあるという歴史を持つ駅で、昭和54年6月改築の駅舎は大手私鉄の郊外駅にありそうな雰囲気です。駅前には中部電力小松発電所があります。

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遠州西ヶ崎駅

遠州小松15:24発新浜松行き96(2004)で遠州西ヶ崎へ。昭和52年までは車両基地が併設されていた駅で、今も鉄道営業所が併設されています。浜松電気鉄道時代の昭和19年までは総延長2.4㎞の笠井線が分岐していました。

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ED28 2

西鹿島方には留置線があり、ED28 2とホキ800形からなる保線列車が待機しています。ED28 2は大正14年にイギリスのイングリッシュ・エレクトリック社から輸入された豊川鉄道電機51形が前身で、国有化後にED28 2に改番されて昭和34年に廃車となり、遠州鉄道に譲渡されました。ちなみに兄弟とも言うべきED28 1(鳳来寺鉄道デキ50)は近江鉄道を経て山形交通高畠線でED2として昭和49年まで活躍していました。

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積志駅

遠州西ヶ崎15:38発新浜松行き98(2005)で積志へ。明治42年に「松木」として開業した駅で、遠州松木を経て昭和37年に現在の駅名となりました。積志の地名は、明治8年に産業振興のために設立された「積志講社(積志銀行)」に由来しており、明治41年の3村合併時に「富を積むため同じ志を持てるように」と命名されました。旧浜名郡積志村は、昭和32年浜松市編入されています。

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さぎの宮駅

積志15:52発新浜松行き100(2003)でさぎの宮へ。線内では珍しい地下通路を持つ駅ですが、それ故に段差が多くバリアフリーの観点ではよろしくなさそうな駅です。

明治42年に「共同」として開業し、「遠州共同」を経て昭和41年に現在の駅名になり、昭和47年10月に現在地に移転しました。共同という珍しい駅名の由来については、2つの地区の境界に設けられ「共同で使う駅」として設置されたからという説、2つの地区が共同で請願したからという説、2つの地区が積志講社で共同で設置費用を積み立てたからという説があります。

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自動車学校前駅

さぎの宮16:06発新浜松行き102(2007)で自動車学校前へ。遠鉄系列の遠州自動車学校が併設された駅で、マンションの1階に駅舎が入居しています。開業時の駅名は「市場」で、「遠州市場」を経て昭和41年に現在の駅名になりました。自動車学校の用地は元々、貨物ターミナル建設のために取得されたものでしたが、モータリゼーションによってその計画が頓挫したため、当時では珍しかった自動車学校がつくられました。

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上島駅

自動車学校前16:20発新浜松行き104(1005)で上島へ。平成24年11月に高架化された駅で、地平駅時代は西ヶ崎と同型の駅舎がありました。高架化を含む駅周辺土地区画整理事業については、反対する地権者が事業計画中止を求めて裁判を起こしましたが、地権者側が敗訴しています。

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曳馬駅

上島16:34発新浜松行き106(2008)で曳馬へ。平成24年11月の高架化と同時に「遠州曳馬」から改称された駅で、開業時は「島ノ郷」を名乗っていました。「曳馬(引馬)」とは遠江地方の古名で、昭和11年までは浜名郡曳馬町が存在していました。

高架化前の駅は1面1線のホームがあるだけの棒線駅でした。

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助信駅

曳馬16:48発新浜松行き108(2004)で助信へ。平成24年11月の高架化と同時に「遠州助信」から改称されました。高架化前は昭和60年改築の3階建て駅舎があり、現在地とは交差点を挟んだ南側に位置していました。

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八幡駅

助信17:02発新浜松行き110(2005)で八幡へ。昭和60年12月の高架化時に「遠州八幡」から改称された駅で、駅名は浜松八幡宮にちなんでいます。昭和3年に臨時駅「繭市場前」として開業し、翌年に正駅昇格、昭和26年に「遠州八幡」に改称されています。

浜松が世界に誇るヤマハ本社の最寄り駅で、本社はかつての繭市場の跡に建てられています。

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遠州病院駅

八幡17:16発新浜松行き112(2003)で遠州病院へ。昭和33年に二俣電車線の「遠州浜松」と奥山線の「東田町」という2路線のターミナル駅を統合して誕生した「遠鉄浜松」駅が前身で、昭和60年12月高架化時に移転して「遠州病院前」に改称されました。遠州病院の移転によって平成19年に現駅名に改称されています。

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第一通り駅

遠州病院17:30発新浜松行き114(2007)で第一通りへ。昭和60年12月の高架新線開業時に新設された駅で、線内では珍しい1面1線の棒線駅です。遠州病院駅とはわずか300mしか離れていません。静岡県最大の都市・浜松市中心市街地の中にあります。

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新浜松駅 ホーム

第一通り17:43発新浜松行き116(1005)で新浜松へ。遠州鉄道ターミナル駅で、2面2線の高架駅ですが、2番線は基本的に使用されず、留置線代わりになっています。昭和2年に「旭町」として開業した、高架化前の旧駅は現在のアクトシティ浜松の辺りにありました。新浜松と遠鉄浜松の間にあった遠州馬込駅は高架化に伴うルート変更で廃止されています。

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浜松駅

浜松からは18:17発ひかり516号516A(783-2025)と品川19:41発山手線外回り1821G(サハE235-10)を乗り継いで帰宅しました。

5/6 天竜浜名湖鉄道天浜線駅めぐり

GWの帰省を終えて東京へ向かう途中、遠州鉄道天竜浜名湖鉄道を訪れました。

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新浜松駅

宝塚5:37発普通京都行き1102C(クハ207-14)と新大阪6:24発のぞみ80号80A(783-1049)、名古屋7:17発ひかり634号634A(783-1006)を乗り継いで浜松へ

お目当ての遠州鉄道は浜松駅北側の新浜松駅から出ています。昭和60年に移転して高架化された新浜松駅は百貨店も併設されたターミナル駅で、大手私鉄と比べても遜色ありません。

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金指駅

新浜松8:00発西鹿島行き17(2108)と西鹿島8:35発新所原行き111(TH2113)を乗り継いで金指へ。平成17年に浜松市編入された旧引佐郡引佐町唯一の駅で、昭和28年までの所在地は引佐郡金指町でした。駅舎は昭和13年4月開業時に建てられたものですが、手前に2階建ての建物が増築されて見えづらくなっています。

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奥山線金指跨線橋

駅から5分ほど歩いて奥山線金指跨線橋跡へ。昭和39年に廃止された遠州鉄道奥山線は、金指駅の西方で二俣線(現:天浜線)を陸橋で跨いでいました。このような立体交差の場合、後から開業した方が先に開業した方を跨ぐのが普通ですが、二俣線東海道本線の迂回路として建設されたという経緯ゆえに奥山線の方が二俣線を跨ぐことになりました。奥山線廃止後もこの陸橋だけは奥山線最大の遺構として残り続けてきましたが、金指西バイパス建設のためGW明けより撤去されることになりました。

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322列車と金指跨線橋

せっかくなので列車と絡めて撮ってみましたが、ローカル線とはいえ思いのほか速く、こんな写真に。撤去が新聞で報じられたこともあってか、他にも撮りに来ている方がおられました。

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金指駅ホーム上屋

跨線橋を撮った後は金指駅に戻り、列車の時間までホーム上屋などを見学。金指駅の貯水槽、ホーム、上屋はいずれも平成23年1月に登録有形文化財に登録されています。駅舎だけ登録されなかったのは増築されているからでしょう。

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宮口駅

金指10:21発掛川行き124(TH2108)で宮口へ。昭和31年の浜北町(→浜北市)成立まで存在した旧引佐郡麁玉村の駅で、昭和15年6月開業時の木造駅舎が残っています。駅舎の旧事務室部分には昨年12月12日に持ち帰り餃子専門店「山田幸之助」がオープン。訪問時は準備中でしたが、駅舎を撮っているとお店の方が出てこられ、入口引き戸の片方だけが固定されて埋め込まれていることなど教えてくれました。

築80年の駅舎が雰囲気を残しつつも大事にされて第二の人生を歩んでいる様子はいいものだと感じます。

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フルーツパーク駅

宮口10:59発新所原行き121(TH2101)でフルーツパークへ。平成8年3月に開業した比較的新しい駅で、はままつフルーツパーク時之栖の最寄り駅です。田園地帯を見下ろす高台に位置し、駅裏には果樹園もあります。

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岩水寺駅

フルーツパーク11:23発掛川行き126(TH2113)で岩水寺へ。天竜川の龍神を祀る岩水寺の最寄り駅で、昭和15年開業時から残るホームと上屋は登録有形文化財です。

かつては宮口と同じような木造駅舎がありました。残っていればこちらも文化財になったことでしょうね。

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都田駅

岩水寺11:54発新所原行き125(TH9200)で都田へ。昭和30年に浜松市編入された旧引佐郡都田村の駅で、昭和15年6月開業時の駅舎は喫茶店として改装されています。原型は宮口と同じような形だったようですが、屋根など一部に面影を留める程度。この改装は平成27年グッドデザイン賞を受賞しています。

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二俣本町駅

都田12:19発掛川行き128(TH2103)で二俣本町へ。平成17年に浜松市編入された旧天竜市(←S33二俣町)の中心近くにある駅で、昭和31年12月開業時の駅舎は一日一組限定の宿として活用されています。ホームは駅舎より一段高い所にあり、ホーム上にも待合室が設置されています。

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常葉大学前駅

二俣本町12:50発新所原行き327(TH2105)で常葉大学前へ。転換翌年の昭和63年3月に「浜松大学前」として開業した、片面ホームだけの簡素な駅です。浜松大学は平成25年に常葉大学に統合されて浜松キャンパスとなり、駅名もそれに合わせて改称されています。駅周辺には大学以外何もないと言ってよく、周囲には田園地帯が広がっています。

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西鹿島駅 天浜線ホーム

常葉大学前12:17発掛川行き128(TH2101)で西鹿島へ。天浜線ホームは1面1線で、遠鉄の駅の裏にひっそりと存在するかのようです。

天浜線駅めぐりはここで終了し、遠州鉄道の駅を巡っていきます。

5/1 帰省ついでに米原市の3庁舎を見る

お久しぶりです。前回からだいぶ間が空いてしまいましたが、今回はGWの帰省ついでの庁舎めぐりの様子をお届けします。

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東海道新幹線から眺める富士山

高田馬場を5:53発山手線内回り0504G(サハE235-3)で出発し、品川で6:34発ひかり631号新大阪行き631A(783-1015)に乗り換えて米原へ。この日は富士山が綺麗に見えました。

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近江長岡駅

米原9:18発特別快速豊橋行き5110F(クハ313-12)で近江長岡へ。平成26年12月28日以来6年半ぶりの訪問です。昭和36年3月改築の駅舎は左手の石をはめ込んだ壁が個性的。いわゆる国鉄モダニズム駅舎の典型で、今年で築60年になりますが、まだまだ頑張ってほしいものです。

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バスで伊吹庁舎前へ

近江長岡駅9:45発の伊吹登山口行きバスで伊吹庁舎前へ。旧伊吹町役場を転用した米原市役所伊吹庁舎は、鉄道からはかなり離れたところにあります。

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米原市役所伊吹庁舎(旧坂田郡伊吹町役場)

こちらがお目当ての伊吹庁舎。定礎によれば昭和33年4月完工、昭和55年2月改築。さらに平成13年4月にも増築が行われています。手前が昭和33年に建てられた部分で、階段室の塔屋や窓の形が古さを感じさせます。5月6日からの新庁舎への統合を前に、4月30日で業務を終了したようで、「米原市役所伊吹庁舎」の表記は早くも剥がされていました。

伊吹山を擁することからその名がついた伊吹町は、平成17年2月に米原町山東町と合併して米原市となっています。ちなみに伊吹町はあの尾木ママの出身地だそうです。

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米原市役所伊吹庁舎別館

同じ敷地内にある別館もなかなか年季の入った建物です。コンクリート打ち放しのため余計に古そうに見えます。
本館の方は、新庁舎への統合後も当面は地域自治センターが残されるとのことですが、老朽化や耐震性の問題を考えるとそのうち解体されることになりそうです。

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坂田駅

伊吹庁舎前10:07発のバスで近江長岡駅へ戻り、10:31発特別快速米原行き5111F(クハ312-5016)と米原11:01発新快速近江塩津行き3432M(クモハ223-3008)を乗り継いで坂田へ。相対式ホームの簡素な駅で、平成3年9月に現在地に移転しました。駅前に「近江母の郷コミュニティハウス」という合築駅舎が建てられています。

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米原市役所近江庁舎(旧坂田郡近江町役場)

坂田駅から15分歩いて近江庁舎へ。平成17年10月に米原市編入された近江町の旧役場です。左手の少し奥まった部分が昭和38年3月竣工、「米原市近江自治センター」と掲げられた部分が昭和57年3月増築、それらの間の色が違う出っ張った部分が平成14年3月増築です。こちらも新庁舎への統合により、4月30日限りで業務を終了しました。

こちらは昭和57年増築部分の方が面積的には大きいですが、増築部分とはいえ築40年近いので、いずれは地域自治センターとしての規模に見合った小ぶりな建物に建て替えられるのかもしれません。

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箕浦の街並み

近江庁舎を見た後は歩いて米原駅へ。途中、箕浦という集落を通りましたが、いい雰囲気の瓦屋根の街並みでした。

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近江鉄道バス 廃車体

天野川を渡って国道に出、しばらく行くと道沿いにバスの廃車体が2台放置されています。東海道本線の車内からも一瞬見える廃車体で、ずっと気になっていたのですが、ようやく近くで見ることが出来ました。国道沿いで目につきやすいのか落書きの被害を受けています。

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近江町 公用バス 廃車体

もう一台は草に遮られて近付けませんでしたが、「近江町」の文字が見えるあたり、公用車だったようです。児童の送迎にでも使われていたのでしょうか?こちらも自然に還りつつあります。

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米原市役所 新庁舎

米原駅からまた列車に乗る前に駅前の新庁舎を撮影。5月6日開庁の新庁舎は山下設計によるもので、米原・伊吹・山東・近江の4庁舎に分散していた機能を集約しているためかなり大きなものになりました。新幹線も停車する市の市役所として遜色のない立派なものです。

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米原市役所米原庁舎(旧坂田郡米原町役場)

ちなみにかつての米原庁舎はこんな感じでした(R2-6-4撮影)。こちらも新庁舎への統合で役目を終えました。昭和45年9月竣工の旧米原町役場です。

合併前の町名は「まいら」でしたが、駅名が「まいら」として有名になったので合併時にそちらに合わせて読みも変更されています。しかし大字の方は変更されていないので、読みは「米原市米原(まいらしまいら)」となります。

 

近江牛大入飯を買ってから米原12:20発新快速姫路行き3263M(クハ222-1005)に乗車。尼崎で4分遅れの13:52発普通宝塚行き1163C(クハ206-2015)に乗り換えて宝塚へと帰りました。

4/22 十勝・石狩をドライブ

北海道ドライブ4日目は最終日。十勝をドライブしてから日勝峠を越えました。

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タウシュベツ川橋梁遠景

帯広駅前でバスを撮影してからまずは上士幌の営林署へ。タウシュベツ川橋梁への林道の鍵を借りようとしましたが、貸出開始は来週4/26からとのことでした。仕方ないので国道から近い展望台から見るだけに留めました。

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五の沢橋梁

糠平ダム建設に伴う路線付け替えで昭和30年に建設された五の沢橋梁。長さ7mの小さなアーチ橋です。頑張れば近付くこともできそうですが、億劫なので国道側から眺めるに留めました。

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三の沢橋梁

三の沢橋梁も昭和30年完成。長さ40mの立派なアーチ橋で上を歩いて渡ることができます。湖岸に降りれる階段があったので降りて下から全体像を撮影してみました。

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荒涼とした湖底

水のない糠平湖は荒涼とした湖底を晒していました。遠くにはタウシュベツ川橋梁が見えます。まるで南米かどこかの荒原のような光景。

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第四音更川橋梁

第四音更川橋梁は昭和11年完成。ダム建設で昭和30年に廃止となった旧線の、長さ36mの橋で中央部はガーターでしたが、廃止後に撤去されています。

この近くからは付け替え後の新線の廃線跡も見えるのですが、あまりに高い所を走っているのでどうやってあんなところに鉄道を建設したのだろうかと思ってしまいます。

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電力所前仮乗降場付近

続いて電力所前仮乗降場跡へ行こうとしましたが、下調べが足りなかったので到達できませんでした。糠平発電所の職員や家族の暮らしていた社宅の便を図るために開設された仮乗降場でしたが、下り勾配上にあって勾配を上っていく列車が発進できないことから帯広行き列車のみ停車していました。昭和53年に社宅が移転すると無人地帯となりましたが、昭和62年の路線廃止まで列車は発着していたようです。

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第三音更川橋梁

第三音更川橋梁は昭和11年竣工。全長71mで、中央の32m径間は北海道のアーチ橋で最も大きなものだそうです。昨年11月まで補修工事が行われており、その結果まるで現役当時のような美しい姿を取り戻しました。

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黒石平駅跡

黒石平駅は昭和31年開業の棒線駅で、国道から階段を下ったところにホームがありました。電力所前仮乗降場が開業してからは糠平方面行の列車のみ停車していました。ホームは早い時期に撤去されて長らく階段だけが残っていましたが、国道の付け替えによって駅跡は新道の用地に。結果的に旧道時代よりも階段が観察しやすくなりましたが、撤去されたりしないか心配なところです。

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士幌駅

山を下って上士幌を通り過ぎ、士幌へ。河東郡士幌町の玄関口だった駅で、大正14年12月開業時に建てられた木造駅舎が保存されています。内部は資料展示室になっていますが、見学には役場への連絡が必要なので外部の見学だけに留めました。相対式ホームも残っていて貨車が屋根付きで保存されています。

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インデアン チキンカレー

帯広まで南下して芽室方面へ向かう途中、帯広を中心に展開するカレー専門店「インデアン」の芽室店で昼食。北海道は日本で一番カレーが美味しい都道府県かもしれないですね。

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めむろ新嵐山スカイパーク展望台からの光景

芽室駅で北の大地の入場券を購入し、ガソリンを入れてからめむろ新嵐山スカイパーク展望台へ。雄大十勝平野を一望できる展望台です。平野を取り囲む大雪や日高の山々にはまだ雪が残っています。

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清水印刷

十勝清水駅で北の大地の入場券を購入するついでに駅近くの建物を撮影。レトロな雰囲気の現役の印刷所です。

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日勝峠展望台

十勝清水からは日勝峠を越えていきます。次に十勝に来るのはいつになるでしょうか。

日勝峠は狩勝に勝るとも劣らない険しい峠で、サミットを越えて日高に入っても延々と無人地帯が続きます。下っていく道路脇に靴が一足揃えておいてあるのを見てゾッとしました。こんなところに何故靴を置いていったのかと思いましたが、そもそもこんなところまでどうやって来たのでしょうか。

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日高自然休養村 廃墟

だいぶ下って来たところで道沿いに現れた廃墟を撮影。ドライブインの廃墟かと思いましたが、ちょっとしたテーマパークだったのかもしれません。

日勝峠の日高側は行政上は沙流郡日高町。海沿いの日高門別と同じ自治体ですが、平成の大合併門別町日高町が合併したことによるもので、飛び地でかなり離れています。飛び地で遠隔地と合併したところで効率悪くなるだけなんじゃないかと思いますが、どういう意図で合併したのでしょうか。

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楓信号場

日高町の中心を通り過ぎて夕張市に入り、石勝線 楓信号場へ。昭和56年の石勝線開業時に楓駅として開業し、当初は6往復の普通列車が折り返していましたが、減便に減便を重ねて平成13年以降は日曜運休の一往復しか停車していませんでした。平成16年3月ダイヤ改正で旅客営業を廃止して信号場化されました。手前の折り返し線の左手にホームと駅舎がありましたが、信号場化後に撤去されています。

駅前には団地がありますが、今では人もあまり住んでいない様子。すぐ前を国道が通っているので車さえあればそこまで不便ではないのかもしれません。

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新夕張

新夕張駅へ。窓口営業終了前ギリギリで北の大地の入場券を購入することができました。夕張支線の廃止後は夕張市街への玄関口となったわけですが、夕張支線廃止の見返りに特急を全列車停車にしてもいいのではないかと思います。

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川端駅裏のスハフ44

続いて川端駅裏手のパークゴルフ場跡へ。スハフ44が2両、自然に還りつつあります。閉業当初は引き取り手を探していましたが、結局運送費がネックになったようで放置状態が続いています。

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支笏湖ユースホステル

追分駅、道の駅あびらと寄り道してからまだまだ車の返却まで時間があるので支笏湖へ。湖畔のホテル街の一角にある支笏湖ユースホステルは、美幌ユースホステルと同じく田上義也の作品。支笏小学校の旧校舎を利用して昭和30年に開業した日本最古のユースホステルで、現存する建物は昭和35年と昭和57年に建てられたものです。今年3月31日限りで閉館しましたが、釧路に本社を置くホテル大手、鶴雅が活動拠点として買収しました。建物の再利用や建て替え等は未定とのことです。

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恵庭岳に沈む夕日

最後に支笏湖畔で沈む夕日を眺めました。太陽はあっという間に恵庭岳に隠れてしまい、千歳市街地に着く頃にはだいぶ暗くなっていました。

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SKY730便

車を返却し、21:00発SKY730便で離道。22:11に羽田着陸。羽田空港からは22:42発特急久里浜行き2261H(603-7)、京急蒲田22:57発特急泉岳寺行き2281H(1182)、品川23:12発山手線外回り2223G(モハE234-140)と乗り継いで帰宅しました。

4/21 廃線・廃駅・近代建築を求めて道東をドライブ

北海道ドライブ3日目は網走から津別、足寄、白糠、大樹を経て大きく回りながら帯広へと向かいました。

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網走郡津別町役場

網走を出発し、まずは津別へ。津別町役場は昭和33年に建てられた、三角屋根の古い庁舎。5月6日より左の新庁舎に移転して役目を終えました。林業の町らしく新庁舎にはカラマツがふんだんに使用されています。

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北見相生駅

続いて北見相生駅へ。昭和60年4月に廃止された相生線の終着駅で、林業で栄えた山の麓の集落にありました。駅舎は大正14年11月開業時に建てられたもので、待合室部分は資料展示室に、事務室部分はカフェになっています。美しく保たれたその姿はまるで現役の駅のようです。

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キハ22 69

構内にはキハ22をはじめ多くの車両が保存されています。いずれも屋外保存とは思えないくらい美しい姿を留めていますが、その中でもスハフ42-502はライダーハウスとして使用されています。ただしコロナのためか閉鎖されていました。

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北見相生駅 車庫

この手の駅跡となると、大抵の場合駅舎とホームくらいしか残っていないものですが、この駅の場合保線詰所や職員宿舎などの付属施設もよく残っています。その中で残念なことになっていたのが構内の外れにある車庫。雪の重みで倒壊して自然に還るがままになっていました。

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オンネトー

雌阿寒に連ぬる険しい山を越えてオンネトーへ。標高が高い所にあるため湖面には氷が残っていました。展望台以外に人工物はなく、深呼吸をするだけでも清々しい気持ちになることができます。

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鷲足商店

足寄に向けて下って行く途中、鷲足商店を撮影。国道と道道の交差点にある集落に残る戦前からの老舗の商店で、左の建物は昭和8年、右の建物は昭和13年に建てられたもの。この日はお休みでした。

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千春の家

足寄町の中心部に入り、まずは千春の家へ。足寄が生んだスター、松山千春氏の自伝映画「旅立ち」に使用されたロケセットで、足寄町役場前にあります。屋根は補修中でした。

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あしょろ銀河ホール21

続いて道の駅あしょろ銀河ホール21へ。北海道ちほく高原鉄道足寄駅と一体になった施設で、内部には松山千春ギャラリーも併設されています。

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足寄駅復元駅舎

その隣に建つ、国鉄時代の足寄駅の復元駅舎。国鉄時代の実物とは向きが逆になっていますが、よくできています。令和元年9月に訪問した際には「福祉の店 ゆめ風ひろば」というNPO運営の飲食店が入居していましたが、昨年6月に閉店したそうです。

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松山千春事務所のガレージ

市街地の中にある松山千春事務所へ。ガレージに似顔絵が掲げられていることで有名なスポットで、昔は左の「ビフォー」の似顔絵が2枚並べてあったそうです。ストリートビューで見ると右の「アフター」にだけモザイクがかかっているんだとか。

 

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くしろバス 廃車体

本別まで南下し、国道274号で白糠へ向けて山を越えていきます。牧場や農家がポツポツとあるだけの人煙まれな地帯ですが、その道沿いでくしろバスの廃車体を発見したので公道上から撮影しました。

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北進駅待合室

さらに山を下り、道道143号との交差点に開けた集落へ。集落の中心に白糠町立北進小中学校跡があり、校舎は残っていませんが、北進駅の待合室が移設されています。

昭和47年9月に開業し、昭和58年10月に廃止になるまでわずか11年しか営業しなかった白糠線の終着駅で、駅自体は集落から離れた原野の中に設置されていました。片面ホームと待合室だけの簡素な終着駅で、昭和56年度の1日乗降客数はわずか4人。今回は駅跡には行きませんでしたが、いずれ白糠から順に遺構を辿ってみたいものです。

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道道白糠本別線跨道橋

続いて道道白糠本別線跨道橋へ。昭和43年に完成した跨道橋で、老朽化により崩落の危険性があることから撤去されるとの報道がありました。これぞ鉄建公団線といった感じの立派な橋です。

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道道白糠本別線跨道橋

接続する築堤から上がれそうだったので登ってみました。(真似をして大怪我をしたとしても責任は負えないのであしからず)列車が通らなくなってから40年近くが経つにも関わらず跨道橋の上は自動車が走れそうなくらい綺麗です。一方、築堤上は少しずつ木々に侵食されて来ており、さすがに列車が通らなくなってからの歳月を感じさせます。航空写真で見るとくっきり残っている白糠線ですが、そう遠くないうちに自然に還ってしまいそうです。

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上茶路駅付近の線路

上茶路駅跡付近ではこんな光景を目にしました。高波で流された日高本線を彷彿とさせるような線路の傾き具合ですが、こんなところにも自然のすさまじさを感じます。

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第10茶路川橋梁

上茶路を過ぎたところにある第10茶路川橋梁。長いコンクリート橋で道路と茶路川を一気に跨いでいます。昭和37年完成、昭和39年から58年までの18年間しか使われませんでした。こちらも撤去予定ですが、道路を跨ぐ部分だけなのか全体なのか気になります。

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味噌カツラーメン

白糠市街地から国道38号を西へ進み、旧古瀬駅近くの38番ラーメンへ。並と小ライスでこの大きさというガッツリしたラーメン。味噌スープが沁みた熱々のカツが美味しかったです。

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斉藤牧場事務所

浦幌町に入り、斉藤牧場事務所へ。明治36年ごろに建設された、国内に2つしか現存しない明治時代の牧場事務所の一つ。廃業して久しいため荒廃が進んでおり、今後が心配されます。

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浦幌駅

上厚内の峠を越えて浦幌駅へ。北の大地の入場券を購入して先へ進みます。豊頃町ではセイコーマートで北の大地の入場券を購入。

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広尾郡大樹町役場

気が遠くなるような十勝の道を走って大樹町へ。昭和48年10月竣工の大樹町役場は都会の市役所にも負けないような近代的なデザインですが、経年でくたびれてきています。裏手には新庁舎が建設中。敷地内には隣の広尾町出身の大物政治家・中川一郎の揮毫による「大樹町役場」の碑があります。

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大樹駅

役場とは歴舟川を挟んで離れたところにある広尾線 大樹駅には駅舎とホームが残っています。昭和51年改築の駅舎は浦幌駅を少し小さくしたようなスタイル。昭和61年に廃止されたので、駅として使われたのはわずか10年間でした。現在は企業のオフィスとして使われているようです。

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忠類駅

帯広に向けて北上していきます。平成18年に中川郡幕別町編入された旧広尾郡忠類村の玄関口だった忠類駅には昭和5年開業時に建てられた木造駅舎が残っています。内部はほとんど現役当時のままで国鉄時代のポスターが貼られていました。

構内には貨車が保存されていますが、ホームは老朽化で傾いていて、端の方は立ち入れないように柵で囲まれています。

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河西郡中札内村役場

中札内村役場は昭和43年10月竣工。令和元年9月にも撮影していますが、その時は日没間際で暗い写真になっていました。訪問後の5月6日より新庁舎での業務を開始し、役目を終えました。

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幸福駅

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愛国駅

令和元年9月にも訪れた幸福駅・愛国駅を再訪。前回と同じ平日の夕方ですが、このご時世なので前回は多少いた観光客の姿も見られませんでした。

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帯広市川西合同庁舎

最後に帯広市川西合同庁舎へ。おそらく昭和末期の建物でしょうが、炭文字で書かれた「帯広市川西合同庁舎」の文字がいい感じです。

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半ばら豚丼

この日は帯広駅近くのビジネスホテルに宿泊。「豚丼のはなとかち」で帯広名物豚丼を食しました。豚丼の上に載っているそら豆は中札内産だそうで、その日に通ってきた土地の食材をこういう形で知れるのもまた旅の醍醐味だと思います。

4/20 初春の北見・オホーツクをドライブ

春の北海道ドライブ2日目は、北見地方を走りました。

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奥白滝信号場

旭川を出発し、旭川紋別自動車道で石北峠を越えてまずは石北本線 奥白滝信号場へ。平成13年7月に信号場化されたかつての奥白滝駅で、昭和7年10月開業時に建てられた木造駅舎が詰所として残存しています。

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奥白滝信号場

旅客営業廃止から早20年、壁は一部を除きボードで覆われて現役時代の見る影もありませんが、改札ラッチはそのまま残っています。信号場周辺は無人地帯で、通る車も少ない道沿いに開拓記念碑がポツンと残るのみですが、かつては多くの人が暮らしていたそうです。

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下白滝信号場

白滝の中心市街を通り過ぎて下白滝へ。平成28年3月に信号場化されたかつての下白滝駅で、廃止からまだ5年しか経っていないので奥白滝と比べると駅自体の面影が残っています。かつては駅入口に立派な庇があったものの、廃止時点で既に失われていました。現役末期の写真と見比べると出入口と窓が塞がれ、駅名が剥がされています。

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下白滝信号場

ホーム側を見てみると、奥白滝では失われていた庇がこちらでは比較的良い状態で残っています。窓が塞がれているのを除けばまるで現役の駅のようです。ここも改札ラッチが残っていますが、鉄パイプを組み合わせたものなので奥白滝のものと比べると後の時代につくられたものでしょう。駅前は一軒の牧場と一軒の廃屋があるのみで、牛の入った銀色の箱がずらりと並んでいます。牧場の番犬は最初は私たちの方を警戒していましたが、牛の方に近付かないと知って警戒を解いたようでどこかへ行ってしまいました。

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敢望岩から望む遠軽市街

遠軽町の中心部に入り、敢望岩展望台へ。遠軽市街を一望することができますが、柵が無いので高所恐怖症の私としてはあまり端の方まで行く勇気が出ません。

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遠軽駅遠景

望遠で遠軽駅を撮ってみました。2面3線のホームに多くの側線を備えた風格ある駅ですが、列車の姿も無く寂しい感じです。駅裏には転車台が残っているのも確認できます。

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中湧別駅跡

続いて名寄本線 中湧別駅跡へ。名寄本線と湧別支線、湧網線が分岐していた交通の要衝で、名寄本線の廃止に伴って平成元年5月に廃止されましたが、ホームと跨線橋、車掌車などが保存されています。現役当時は立派な駅舎もあったそうですが、こちらは解体されて残っていません。跨線橋内には貴重な資料などが展示されているそうですが、この日は開いていませんでした。

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旧熊沢商店

中湧別までの道中、上湧別で気になる建物を目にしていたので中湧別駅の次に立ち寄りました。大正から戦後すぐにかけて建てられた旧熊沢商店の建物だそうで、ネットで調べてもあまり情報が出てきませんが、風格がある建物でした。

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生野駅

石北本線 生野駅へ。今年3月に廃止された駅で、北海道らしい牧草地の中にポツンとあるホームだけの駅でした。かつては待合室代わりの廃バスが置かれていましたが撤去されています。平成30年の夏に安国から雨の中を歩いて訪問し、貴重な昼の列車に乗ったのも今となってはいい思い出です。当時の旅行記はこちら

sakasegawa3019.hatenablog.com

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常紋信号場

常紋峠を越えてから未舗装の林道に入り、悪路を延々と走って常紋信号場へ。大正3年10月に開業したスイッチバック式の信号場で、平成29年3月に廃止されましたが、設備はそのまま残されています。タコ部屋労働者を酷使して建設された常紋トンネルは、人柱が出たことや幽霊が出るとの噂から心霊スポットとして有名で、線路内侵入や器物損壊が発生していることから、監視カメラ作動中の貼り紙があります。ところがそれよりも目立つのは「熊出没中」の看板。周囲は人の気配の一切ない深い山の中で、幽霊よりも熊に怯えながら撮影していました。時代が時代だけに開業時は有人の信号場でしたが、心霊現象の目撃が絶えなかったことから職員たちはこの地での勤務を嫌がったのこと。幽霊が出なくともこの山深い土地での勤務は心細いものでしょう。

昭和58年のCTC化で無人化され、平成13年7月を最後に使用停止。列車が入らなくなってから20年近くが経過しているため、線路上にも木が生えて自然に還りつつありました。

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金華信号場

続いて金華信号場へ。下白滝と同じく平成28年3月に信号場化された金華駅で、大正3年10月開業時は「奔無加(ぽんむか)」という駅名でした。駅舎は昭和9年7月に改築されたもので、入口と窓が塞がれ、駅名が剥がされた以外は現役末期と変わりません。駅前には小集落があり、今も何軒かには人が住んでいるようですが、廃屋が目立ちます。

現役末期には当駅折り返しの列車が数本あり、信号場化後は隣の西留辺蘂止まりに変更されましたが、西留辺蘂には折り返し設備がないため、当駅まで回送されてきて折り返しています。

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留辺蘂町SL公園 D51 311

金華を後にし、北見方面へ向かう途中、道路沿いにSLが見えたので立ち寄りました。昭和14年10月10日に日立笠戸工場で製造されたD51 311で、晩年は遠軽機関区に配置されて石北本線で活躍していました。昭和50年9月30日に廃車。もうこの地に鎮座してからの方が長くなっていますが、傷んできているため今後が気にかかります。

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北海道ちほく高原鉄道 CR70-6

北見市街に入り、車体だけが保存されている北海道ちほく高原鉄道CR70-6を撮影。かつてはレストランとして使われていましたが、現在は使われていない様子。でも、状態は悪くないので何とか活用して残してもらいたいところです。

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北見たまねぎカレー

北見市を中心に展開するカレー専門店「カレーのちから」の東店で昼食。北見たまねぎカレーには玉ねぎの甘みの効いたルーにオニオンチップスが乗っており、北見名産の玉ねぎを存分に味わうことができます。

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緋牛内駅

腹ごしらえを済ませた後は緋牛内駅へ。上白滝駅金華駅などを訪問した平成27年12月の石北本線駅めぐりで訪問していますが、その時は夜で周辺の様子が分からなかったので再訪しました。北見と美幌を隔てる峠の麓の集落にある駅で、廃駅や信号場と違って駅前にしっかり人の営みが感じられてホッとします。駅前には「端野村農業倉庫」と右書きで掲げられた古そうな石造りの倉庫が二棟あります。

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美幌ユースホステル

美幌市街の外れにある美幌ユースホステルへ。昭和40年10月に北海道で3番目のユースホステルとして開館しましたが、老朽化や利用客減少を理由に平成25年3月末で閉館しました。北海道を中心に活躍し、網走市立郷土博物館などを手掛けた建築家・田上義也の作品で、天を衝くような鋭い屋根が特徴です。閉館から8年が経過するものの荒れた様子はなく、なんとか残ってほしいものだと思います。

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斜里郡小清水町役場

国道334号で大地を横断し、小清水町役場へ。昭和37年に建てられた古い役場で、デザインは少々古さを感じさせますが、綺麗に使われているためくたびれた印象はありません。老朽化のため建て替えが決定しています。

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南斜里駅

畑作地帯をさらに走って斜里町に入り、3月に廃止された南斜里駅へ。北海道らしい開けた風景の中にあったホームだけの簡素な駅で、かつては待合室がありました。訪問時はちょうど作業員数名が集まって打ち合わせをしていたので、ホームの撤去工事が始まるところだったのかもしれません。

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斜里郡斜里町役場

斜里市街に入り、斜里町役場を撮影。昭和43年に建てられた庁舎で、シンメトリーのデザインが美しいです。立派な構えは町役場というより市役所のようです。

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斜里町立図書館(旧斜里郡斜里町役場)

現在の庁舎が完成するまで使われていた庁舎は、図書館に転用されて昭和45年から平成26年9月まで使用されていました。昭和4年に建てられた赤い屋根のレトロな建物です。

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北浜駅に停車する列車

浜小清水駅で小休止してから北浜駅へ。オホーツク海を望む絶景で有名な駅で、昨年列車で訪問した際には駅舎内の喫茶店で昼食をいただきましたが、この日はお休みでした。ちょうど網走行き列車が来るところだったので展望デッキから撮影

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ビーフダブルステーキ

網走市内のレストランホワイトハウスで早めの夕食。昔ながらの町の洋食屋でちょっと贅沢なステーキでお腹いっぱいになりました。

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キハ40-304+マヤ35-1+キハ40-301

この日は網走駅裏手の民宿ランプに宿泊。網走駅構内にはキハ40-300番台に挟まれた軌道検測車マヤ35が停車していました

4/19 雪解けの石狩・上川をドライブ

4月下旬、廃駅などを求めて友人と共に北の大地をドライブしてきました。

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SKY703便

高田馬場5:14発山手線内回り400G(サハE234-16)、品川5:51発快速特急羽田空港行き514(5517-8)を乗り継いで羽田空港へ。羽田6:45発SKY703便に搭乗し、新千歳空港には10分ほど早く到着しましたが、天気は生憎の雨。

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大地のテラス クハ711

車を借りてまず向かったのは岩見沢栗沢町の大地のテラス。クハ711-103とクハ711-203が保存されていますが、レストランの方は営業時間外でした。屋根がない屋外保存なので維持管理が大変そうですが、障害物がなくすっきりとした見た目になるのは屋外保存の長所だと思います。

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道北バス 廃車体

続いて岩見沢市内の廃バス。塗装は道北バスの旧塗装で、車種は日野RVかRC。貴重な個体ですが、放置状態なので傷みが激しく、フロントガラスは失われています。

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岩見沢市役所

建て替え工事中の岩見沢市役所。昭和40年に建てられた2代目庁舎で、ちょうど前面に新庁舎が建てられているので、工事が始まる前に来ておくべきだったなと後悔。久米設計による新庁舎は11月供用開始予定です。

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晩生内駅

直線の国道12号茶志内まで走って石狩川を渡り、昨年5月に廃止された、札沼線 晩生内駅へ。札沼線各駅の廃止後の姿も見てみたいところですが、今回は他に見たいものがあるので、気になる二駅だけ訪問。晩生内の駅舎は、昭和10年開業時に建てられたと思われるもので、旧事務室部分が減築されています。

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駅裏から見た晩生内駅

廃止からまだ一年しか経っていませんが、早くも屋根が歪んだり柱が折れたりしており、この地方の豪雪ぶりが窺えます。倒壊の危険性があることなどから5月末より解体されるとのことです。

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空知郡上砂川町役場

再び石狩川を渡って東岸に戻り、上砂川へ。上砂川町役場本館は昭和31年に建てられた古いもので、5月6日より新庁舎に移転して役目を終えました。元々は向かって左側に西館(昭和54年増築)が繋がっていましたが、新庁舎建設に伴い解体されています。

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上砂川駅

平成6年5月に廃止された函館本線上砂川支線の終点、上砂川駅は移設の上で保存されています。終着駅らしく立派な駅舎は昭和25年一部改修。ドラマ『昨日、悲別で』に悲別駅として登場して有名になったことから、「悲別」の駅名が本来の駅名よりも大きく掲げられています。内部は資料館になっていますが、この日は開いていませんでした。

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鶉駅

上砂川支線の中間駅、鶉駅にも駅舎が残っています。昭和28年に開業した駅で、駅舎は開業時に建てられたもの。現役末期には喫茶店が入居しており、廃止後も飲食店として使われていましたが現在廃業しています。車寄せ部分がブルーシートで覆われているのが惜しい所。

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新十津川駅

再び石狩川を渡り、昨年5月に廃止された札沼線の終点、新十津川駅へ。昭和6年10月に「中徳富」として開業し、28年11月に「新十津川」に改称。昭和47年6月の部分廃止以降、半世紀近くに渡って終着駅としての務めを果たしました。現役末期は地元が観光資源として売り出していたこともあり、てっきり保存されるものだと思っていましたが、新十津川町の方針としては年内に解体して跡地を鉄道公園として整備するとのこと。

現役当時に訪れた時は逆光だったので駅舎正面からの写真を撮っておらず、このままでは撮らずじまいになってしまうと再訪することに決めました。雪の重みで劣化が進んだ晩生内駅と違い、駅名表示や掲示物が無くなった以外はほとんど現役当時のまま。待合室は施錠されておらず、入ることができました。内壁の一部がめくれかけているなど、さすがに老朽化は否めません。

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新十津川駅 車止め

鉄道公園として整備される際、終点の車止めも移設されるようなのでこの機会に辿ってみました。部分廃止によって断ち切られた線路、その無念を表すかのように新十津川駅構内から少し伸びたところで終わっています。まあ実際のところホームから結構先まで伸びて終わっている理由は単に車両の留置のためか、貨物取扱の名残なのでしょうが。

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戸外炉峠の猫バス

新十津川を後にし、深川市の戸外炉(ととろ)峠へ。石狩平野を見下ろす景色の良いところで、その名前にちなんで猫バスが置かれています。元々物置か何かとして置かれていた廃バスを塗り替えたものだそうで、どこの事業者で使われていたものかは不明ですが、車種は日野RC。

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神居古潭

続いて函館本線旧線の神居古潭駅に行こうとしましたが、駅跡へと続く橋が通行止めで到達できず。もしかして4月末まで冬季閉鎖が続いているのでしょうか。

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伊納駅

気を取り直して3月ダイヤ改正で廃止された伊納駅。写真を撮ろうとしたら解けかけの雪で滑って泥だらけになりました。駅名標などが無くなり、ホームに立ち入れなくなったこと以外、特に現役時代と変わった様子はありませんが、おそらく近いうちに撤去工事が始まることでしょう。

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近文駅裏の廃バス

旭川市街に入り、近文駅へ。駅裏の廃バスを撮影。「Dohoku」の文字が読み取れるのでこれも元道北バス日産ディーゼルUDで、ちゃんと管理されているのか状態は悪くありません。

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北比布駅

上川盆地の田園地帯を抜けて宗谷本線 北比布駅へ。ここも3月ダイヤ改正で廃止されました。改築から6年ちょっとしか経っていない待合室に掲げられていた駅名も消されています。まだまだ使えそうで、勿体ない限りですが果たして転用されることはあるのでしょうか。

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南比布駅

続いて南比布駅へ。北比布とは双子のような駅で、同時に開業し、同時に廃止となりました。こちらも6年しか使われなかった待合室の今後が気にかかります。

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将軍山駅

石狩川を渡って当麻町に入り、石北本線 将軍山駅へ。ここも3月ダイヤ改正で廃止になった駅で、列車で二度訪問したことがありますがいずれも冬の時期だったので、雪がない姿を見るのはこれが初めて。待合室内に置かれていた車の座席も撤去されていました。

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北日ノ出

再び旭川市内に入り、北日ノ出駅。ここも3月ダイヤ改正で廃止。管轄する自治体の違いによるものなのか、将軍山と違って待合室には木の棒が打ちつけられ、駅名はテープで消されていました。駅名撤去とホーム入口に柵が立てられた以外は現役当時のままだった他の駅と比べると、いかにも「廃駅」という感じがします。

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蜂屋 しょうゆラーメン

伊納駅で汚れた衣服を洗いたかったのでホテルには早めにチェックイン。ラードたっぷりの旭川ラーメンで夕食としました。