まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅めぐり旅~

駅めぐりの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

10/13 大雨の越後平野をドライブ(庁舎・近代建築・蒲原鉄道保存車めぐり)

Willerのタイムセールで新潟に安く行けるようになっていたので、二日かけて気になっていたところを車で回ってきました。

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早朝の新潟駅

前夜22:50に池袋サンシャインバスターミナルを出たウィラーエクスプレスH5157便が新潟駅南口に到着したのは翌朝5:25のことでした。天気は生憎の雨で今日の行程が思いやられます。

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新潟市南区役所(旧白根市役所)

7時に車を借りて一時間ほどで南区役所へ。昭和46年7月30日に白根市役所として建てられた庁舎で、平成17年3月21日に新潟市編入されてからは白根支所として使用され、平成19年の政令市移行で南区役所となりました。元が人口約4万の市の市役所だっただけあって立派な建物です。

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白根の街並み

白根は古くから中ノ口川の舟運で栄えた街だけあって、中心部には古い建物が多く残されています。歩道部分に架けられたアーケードはいかにも豪雪地帯を思わせます。

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第四北越銀行白根支店(旧中蒲原郡白根町役場)

その一角でひときわ目を引く3階建てのこちらの建物は昭和9年白根町役場として建てられたもの。昭和34年の市制施行を経て、昭和46年に先程の南区役所が完成するまで使われました。市役所としての役目を終えた後は銀行として使われ、築87年の今なお現役です。モダンなデザインで、綺麗に塗り直されていることもあって古さはあまり感じられません。

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燕市役所燕庁舎(旧燕市役所新館)

続いて燕へ。市役所燕庁舎は昭和53年に燕市役所新館として建てられたもので、かつては手前に佐藤武夫が設計した昭和37年6月竣工の本館が建てられていました。平成18年3月20日の新設合併で市役所本庁舎は吉田に移り、以降は燕庁舎として使用されましたが、平成26年6月に本館を解体。新館は耐震補強の上、新たに燕庁舎となりました。現在は燕サービスコーナー、水道局、健診センターが入居していますが、サービスコーナーは近い将来廃止、水道局は移転が予定されています。

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燕市浄水場配水塔

中央公民館の敷地内に建つ「水道の塔」は燕のシンボル。西出辰次郎の設計によって昭和16年に完成したもので、昭和44年まで使われました。平成25年に国の登録有形文化財となりましたが、落下防止のネットに覆われ、周辺が立入禁止になっているため近付くことはできません。当然、見上げるように撮ることになるため、雨の中での撮影は大変でした。

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長岡市中之島支所(旧南蒲原郡中之島支所)

続いて中之島へ。平成17年4月1日に長岡市編入されるまでは中之島町でした。立地的には長岡市より見附市編入された方が良かったのではないかと思います。中之島支所の庁舎は昭和43年に中之島村役場として建てられたもので、昭和61年10月の町制施行を経て合併後も引き続き使われています。中之島名物大凧をイメージした六角形の窓が目を引く個性的なデザインで、遠くからでもよく目立ちます。

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みつけタクシー

次の目的地・栃尾へ向かう途中、見附で気になる建物を見つけたので撮影。詳細は不明ですが、タクシー会社の事務所に看板建築風の装飾がありました。

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長岡市栃尾支所(旧栃尾市役所)

山を越えて栃尾へ。昭和42年2月15日完成の栃尾支所はかつての栃尾市役所。雨に濡れたコンクリートが何とも言えぬ味を出しています。ほんの数年前までどこにでもあった典型的なモダニズム建築といった感じです。今のところ建て替え計画はないようですが、果たしていつまで残るでしょうか。

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雁木の建物

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雁木

栃尾の街並みには雪国特有の「雁木」が見られます。言うなれば「和風アーケード」で、風情を感じさせます。小学校の頃に社会科で習ったものの実物を見るのはこれが初めてでした。

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栃尾服地 諸橋

雁木の街並みの中には年季の入った建物も多く残されています。この建物の詳細は不明ですが、デザインから見て昭和初期のものでしょうか。生憎の天気なので一通り見て切り上げましたが、今度は城跡などにも足を延ばして泊りで歩いてみたいものです。

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栃尾市民会館

栃尾市民会館は昭和47年11月着工、昭和49年3月31日完成で、同年6月1日に開館しています。市役所と比べると見た目はそれほど古くありませんが、現在新しい交流施設を建設中のため、役目を終える日は遠くなさそうです。

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栃尾市立入東小学校

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入東っ子 ここに学ぶ

栃尾からさらに山間へ分け入り、入東小学校跡へ。昭和38年に来伝小学校と吹谷小学校を統合して開校した小学校で、平成13年に閉校となりました。現在残っている校舎は昭和26年に入東谷村立入東谷中学校として建てられたもので、栃尾市立南中学校第二校舎となった後、昭和37年から来伝小学校として使われていました。建物は残っていますが、草が繁茂していたので近づくことは叶いませんでした。

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上来傳地区公民館(旧古志郡入東谷村役場)

入東谷には昭和12年に建てられた入東谷村役場も残っています。入東谷村は昭和30年に栃尾市編入されて消滅、その後しばらく支所として使われた後に公民館に転用されたようです。築80年を越える古い建物ですが、しっかり管理されて壁も張り替えられているため状態は良好です。

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三条市役所下田庁舎(旧南蒲原郡下田村役場)

入東谷を後に下田(しただ)へ。平成17年5月1日の合併で三条市となった旧南蒲原郡下田村です。下田庁舎は旧下田村役場で、おそらく昭和47年に建てられたもの。なかなか良い雰囲気のモダニズム建築です。『下田村史』には、山村開発センターを役場改築に先立って昭和46年に建設とあります。

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旧羽生田郵便局

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旧羽生田郵便局の瓦

一旦加茂を通り過ぎて田上町の旧羽生田郵便局へ。明治43年または明治45年5月に建てられたという2代目局舎が残されています。瓦には「〒」マークがいくつも掲げられており、消印を模したデザインの中に「44.5.29」の文字も。細部を見れば面白い建物ですが、傘を差しながらなのであまりじっくりとは見れませんでした。道が狭いので、見学の際は車への注意が必要です。

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加茂市民俗資料館

少し戻って加茂へ。まずは加茂市民俗資料館を見学。建物は旧図書館を転用したもので、詳細は分かりませんが、なかなか古そうです。展示は無料とは思えないほど充実しており、職員の方も親切でした。

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旧賀茂銀行上条出張所

資料館を見学した後は周辺を散策。旧賀茂銀行は大正11年に建てられたもので、昭和4年の合併で第四銀行加茂支店となり、昭和7年まで銀行として使用されました。平成7年に道路拡幅で移築されて現在に至るそうですが、空き家となって老朽化が進んでいます。現地で見た時は「このまま取り壊されてしまうのだろうか」と心配しましたが、後で調べたところ、来年度より保存に向けた整備を検討ということで、期待したいところです。

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古民家巣立ち

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製材工場事務所

加茂川の対岸にも古い建物が残っています。製材工場事務所の方はノーマークだったので見つけた時は嬉しかったです。

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旧西山医院?

地図上では旧西山医院となっている建物。増築したらしい3階部分が目を引く洋風建築です。半開きの窓からは白猫が顔を出していました。

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旧七谷郵便局

加茂市街を後に、昭和29年に加茂市編入された七谷へ。旧七谷郵便局は昭和10年に建てられたもので、喫茶店として活用されてきました。

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営業終了を知らせる看板

築86年の割に建物の状態は良く、美しい姿が保たれていますが、老朽化には勝てなかったようで、この建物での営業を終了する旨書かれた看板が入口に置かれていました。建物の今後については書かれていませんが、古い建物を個人で維持し活用していくのには並々ならぬ苦労があったことでしょう。自然災害の多い国で古い建物を維持していくことの大変さが改めて思い知らされます。

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蒲原鉄道 七谷駅跡

加茂川を渡り、蒲原鉄道七谷駅跡へ。昭和60年4月に廃止となった蒲原鉄道村松~加茂間にあった駅で、廃止まで列車の交換が行われていたため、有人駅でした。現在も駅舎と島式ホームが残っています。

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七谷駅 駅舎

黒水地区集会場に転用されて残っている駅舎はおそらく昭和35年に建てられたもの。昭和35年1月10日午後11時ごろに駅長社宅より出火して駅事務室、売店、宿直室を焼いたと記録にあるので、火災後に建て直されたのでしょう。カラーフィルムが手に入りやすい時代まで残っていて、列車交換が行われていたためか、現役時代に記録された写真も多くネット上にアップされており、比較的往時を偲びやすい駅跡と言えるでしょう。

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蒲原鉄道 モハ1

さらに山奥へ分け入り、冬鳥越スキーガーデンへ。蒲原鉄道で活躍した車両が保存されています。モハ1は五泉村松の開業に際して大正12年7月に蒲田車輛製作所で製造された車両で、昭和29年に廃車となりました。廃車後も車体は村松車庫内で職員詰所として廃止まで残っており、保存に際して現役当時の姿に復元されました。現存する貴重な木造電車であり、保存継続のためにクラウドファンディングで屋根が取り付けられる予定です。

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蒲原鉄道 モハ61

モハ61は昭和15年4月に日本鉄道自動車工業で製造された武蔵野鉄道クハ5856が前身で、西武鉄道クハ1232を経て昭和33年1月に蒲原鉄道に入線し、平成11年10月の全線廃止まで活躍しました。扉間に6枚の2段窓が並ぶ整ったデザインの電車で、モハ1に負けず劣らず貴重な存在です。

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蒲原鉄道 ED1

ED1は全線開通を前にした昭和5年5月に日本車輛名古屋本店で製造された電気機関車で、当初はEL1を名乗っていました。晩年は構内入換に活躍し、平成11年の廃止後は村松駅跡で放置されていましたが、平成21年6月に冬鳥越に移設されて修復されました。

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蒲原鉄道 モハ11

山を越えて五泉市に入り、村松城址へ。ここにはモハ11が保存されています。屋根付きですが、野ざらしだったモハ1などより状態が悪く、自治体の保存に対する温度差を感じてしまいます。モハ11は村松~加茂間の開業に先立ち、昭和5年3月に日本車輛東京支店で製造された車両で、昭和60年4月の村松~加茂間廃止時に廃車となりました。

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すがや商店

 

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五泉の看板建築

蒲原鉄道跡沿いに北上して五泉市の中心部へ。ここも古い建物が残っていますが、日没も迫っているので、特に気になった2軒を中心に撮影。2枚目の建物の詳細は不明ですが、2階に出入口があるのが気になりますね。

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蒲原鉄道 モハ41

日没ギリギリですが、最後に粟島公園へ。モハ41が屋根付きで保存されていますが、ちょっと気になる傷み具合です。モハ41は昭和29年5月にモハ13からの改造名義で製造された車両で、昭和38年6月に西武所沢工場で車体延長工事を行って、平成11年10月の廃止まで主力として活躍しました。保存場所の向かいには高校があり、車両に架けられた大屋根はちょうど高校生の待ち合わせ場所になっているようでした。

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いっとうや かさね醤油

雨の夕暮れを走って新潟市内へ戻り、新潟ラーメンの人気店いっとうやで夕食。駅から離れていて行きにくい店に寄れるのもまた車移動の良さでしょう。豚骨と魚介の重ねスープに炙りチャーシューが美味しかったです。

 

この日は快活クラブ新潟桜木インター店に宿泊。ネカフェに入るまでの時間の潰し方に困るのが車移動の欠点と言えるかも知れません。

10/3 名鉄西尾線・蒲郡線駅めぐり

名鉄蒲郡線の西幡豆駅・東幡豆駅の駅舎が解体されると聞き、解体前に行ってきました

 

池袋サンシャインシティ23:40発ウィラーエクスプレスP360便に乗り、名古屋駅に着いたのは翌朝6:10。

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新安城駅

名鉄名古屋6:39発急行豊橋行き614(9101)に乗り、西尾線の分岐駅・新安城で下車。

大正12年に愛知電気鉄道の今村駅として開業し、昭和45年に改称されました。駅舎は昨年12月19日に橋上化されたばかりで、全体が完成したのは今年の3月28日です。橋上化以前、改札口は地下にありました。

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桜井駅

安城7:20発急行吉良吉田行き748(6423)で桜井へ。平成20年6月29日まで「碧海桜井」を名乗っていた駅で、その8日前に高架化されています。昭和42年に安城市編入された碧海郡桜井町の駅で、現在は安城市南西部の拠点駅として全ての列車が停車します。

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南桜井駅

桜井7:49発普通西尾行き752(6813)で南桜井へ。平成20年6月29日、桜井駅の改称と同時に開業した、名鉄で最も新しい駅で、改札口はホームごとに分かれています。周囲は田園地帯ですが利用客は桜井駅よりも多く、西尾線内では新安城、西尾に次いで3番目です。平成31年3月ダイヤ改正で急行停車駅に昇格しました。

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吉良吉田駅

南桜井8:02発急行吉良吉田行き742(6008)で吉良吉田へ。西尾線蒲郡線の接続駅で、平成16年までは碧南方面への三河線も乗り入れていました。西尾線蒲郡線の系統は完全に分離されており、当駅で中間改札を通っての乗換えとなります。西尾線三河線蒲郡線がそれぞれ別の会社によって建設され、その後統合された経緯もあってか構内の配置は独特です。名鉄では貴重な木造駅舎が残りますが、昭和18年の統合時または昭和20年の三河地震からの復旧時に建てられたものでしょう。

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ふれんどバス

駅前から三河線代替のふれんどバス8:30発碧南駅行きに乗車し、大宝橋で下車。平成23年の合併で西尾市となった旧幡豆郡一色町の中心部にあるバス停です。

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西尾市一色支所 旧庁舎(旧幡豆郡一色町役場)

10分ほど歩いて旧一色支所へ。昭和42年に一色町役場として建てられた庁舎で、平成23年の合併後は一色支所として使われてきました。平成17年に耐震改修工事が行われ、耐用年数が10年程度残っていたものの、平成29年7月18日に公民館へ支所機能を移転。その後は解体方針でしたが、PFI事業の見直しもあって未使用のまま維持されています。まだ使えるのに移転というのもなんとももったいない話ですが、そもそも合併の必要があったのかについても考え直した方がいいのかもしれませんね。

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一色町公民館

吉良吉田へ戻るバスには一色町公民館から乗車。公民館の周りには公的施設が集約されている感じで、確かに効率化を考えるならここに移転というのもおかしな話ではないと感じました。ただ旧役場周辺の人からすれば移転によって不便はあったのかもしれません。

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吉良吉田駅 構内

9:56発バスで吉良吉田駅に戻ってきました。写真は踏切から写した蒲郡線ホーム。元は碧南方面から伸びていた三河線のホームで、平成16年に三河線が廃止されてからしばらくは使われていませんでしたが、平成20年に西尾線蒲郡線の系統が分離された際に蒲郡線ホームとして復活しました。右側の1番線は使われていません。

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福地駅

吉良吉田10:15発急行弥冨行き1141(3267)で福地へ。大正4年に西尾鉄道の「一色口」として開業した駅で、昭和24年に改称されました。駅名は昭和29年に西尾市編入された幡豆郡福地村に由来します。福地村は桓武天皇在位の奈良時代末期、延暦18(799)年に崑崙(現在のインド)人が漂着して日本に初めて綿を伝えたといわれる土地です。

平成20年のトランパス導入時に建てられた駅舎が上り1番ホーム側にあり、2番ホームとは構内踏切で結ばれています。

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横須賀駅

福地10:47発急行吉良吉田行き946(6029)で上横須賀へ。昭和30年の吉良町成立まで存在した幡豆郡横須賀村の駅で、平成18年まで両隣に鎌谷、三河荻原という駅が存在していました。上り1番ホーム側に駅舎があり、2番ホームとは構内踏切で結ばれています。

横須賀村は『人生劇場』の作者・尾崎士郎の出身地で、映画の撮影もこの駅の近くで行われたそうです。

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安城駅

上横須賀11:20発急行弥冨行き1241(6229)で南安城へ。安城市の中心近くにある駅で、1日4000人以上が利用する主要駅ですが、平成19年10月に無人化されています。昭和56年5月に西尾線では初めて高架駅となり、改札口は中2階に設けられましたが、平成30年度のバリアフリー化で1階に移転しています。昭和36年7月まで国鉄安城駅とを結ぶ支線が分岐していました。

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安城駅

安城11:57発普通新安城行き1153(6903)で北安城へ。朝の一往復を除き急行は停車しない小さな駅ですが、2つの高校の最寄り駅のため学生の利用が多いようです。片面ホームに面して簡易駅舎のある駅で、トランパス導入まで駅舎はありませんでした。

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堀内公園駅

安城12:11発普通西尾行き1250(6903)で堀内公園へ。観覧車などのある堀内公園の最寄り駅で、平成20年までは「碧海堀内」を名乗っていました。トランパス導入に際しては廃止が検討されましたが、安城市が駅舎の建設費を負担することで存続が決まりました。平成19年11月に安城市の負担で建てられた駅舎は、線内の他の駅とは外観が異なります。

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碧海古井駅

堀内公園12:23発普通新安城行き1251(6913)で碧海古井へ。明治39年安城町成立まで存在した碧海郡古井村に由来する駅名を持つ駅で、「碧海」を冠する唯一の駅です。駅のすぐ南側で東海道新幹線と交差しており、新駅設置の候補地として上がったこともありましたが、用地確保が難しいことから、新駅は結局三河安城駅の位置に建設されました。

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西尾口駅

碧海古井12:46発普通西尾行き1252(6814)で西尾口へ。西尾駅からわずか800mしか離れていない駅で、平成元年に高架化されています。片面ホームですが、複線化も可能な構造で建設されており、平成20年には西尾駅から当駅の手前までが複線化されました。西尾駅から近すぎるゆえに利用者が少なく、かつては普通列車も一部が通過していました。現在は全ての普通が停車しますが、平成29年10月8日には誤って通過する事件が起きています。

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米津駅

西尾口13:12発普通新安城行き1351(6914)で米津へ。大正15年7月に今村(現:新安城)から伸びてきた碧海電気鉄道の終点として開業した駅で、2年後に途中駅となりました。各ホームの西尾寄りに駅舎があり、改札外の構内踏切で結ばれています。開業時の所在地は碧海郡明治村で、昭和30年に分割されて西尾市安城市碧南市編入されています。

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桜町前駅

米津13:24発普通西尾行き1350(6803)で桜町前へ。昭和3年に「中学校前」として開業し、昭和24年に改称されました。大村秀章愛知県知事や歌手の山本正之さんなどを輩出している県立西尾高校(←旧制西尾中学)の最寄り駅で、学生の利用が多いことから急行も停車します。トランパス導入以前は駅舎がありませんでした。

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西尾駅

桜町前13:38発急行吉良吉田行き1242(3115)で西尾へ。茶の産地としても有名な城下町・西尾市の代表駅で、日中の普通列車は当駅で折り返します。平成元年に高架化されており、ホームは島式1面2線。1番線で普通が折り返し、2番線に吉良吉田まで直通の急行が上下とも停車します。駅前はショッピングモールがあるものの、都市の規模の割に活気に乏しくやはり車社会なんだろうなと思わされます。

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吉良吉田駅 蒲郡線ホーム

西尾14:13発急行吉良吉田行き1340(6415)でみたび吉良吉田へ。中間改札を抜けて蒲郡線2番ホームへ。同じ2両編成とはいえ、ワンマンカーで駅に自動改札機もないため、西尾線と比べるとローカル線らしい雰囲気が一気に濃くなります。

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西浦駅

吉良吉田14:31発普通蒲郡行き1462(6012)で西浦へ。昭和38年に蒲郡市編入された宝飯郡西浦町の駅で、戦後に開湯した比較的新しい温泉地・西浦温泉の最寄り駅です。昭和24年改築の木造駅舎が残っており、西幡豆・東幡豆の木造駅舎が解体された後も残る予定ですが、老朽化が進んでいるため今後が案じられます。

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形原駅

25分歩いて形原へ。昭和37年に蒲郡市編入された宝飯郡形原町の駅で、かつては特急停車駅でした。駅舎は昭和62年8月に火災で焼失して翌年再建されたもので、かつては三河観光バスに委託された窓口がありました

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蒲郡競艇場前駅

形原15:23発普通蒲郡行き1560(6010)で蒲郡競艇場前へ。昭和43年10月に拾石駅と塩津駅を統合して開業した駅で、東海道本線三河塩津駅に隣接しています。駅舎はホーム蒲郡寄り先端にあり、跨線橋三河塩津駅と共用しています。三河塩津駅の方は普通しか停まらず本数が多いとは言えないので、おそらくここでJRに乗換える人はほとんどいないでしょう。

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三河鹿島駅

蒲郡競艇場前15:43発普通吉良吉田行き1563(6210)で三河鹿島へ。明治22年の町村制で塩津村が成立するまで存在した宝飯郡鹿島村に由来する駅で、旧塩津村(昭和29年の合併で蒲郡市に)時代から続いている唯一の駅です。塩津村には他に拾石、竹谷、江畑の3駅がありましたが、竹谷と江畑は昭和28年に統合されて塩津駅となり、昭和43年には拾石駅と統合されて蒲郡競艇場前駅となりました。三河鹿島駅はかつては島式ホームの交換可能駅でしたが、昭和36年11月に棒線化され、昭和40年6月に無人化。駅舎も無人化後に撤去されました。かつては大きな駅だったことを思わせるような不自然な空き地があります。

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蒲郡駅

三河鹿島15:56発普通蒲郡行き1562(6011)で蒲郡へ。昭和11年三河鉄道本線の終点として開業した駅で、名鉄三河線となった後、昭和23年に蒲郡線の駅となりました。JR東海道本線との乗換駅で、かつては改札を共用していましたが、平成12年に高架化された後、平成17年に改札が分離されました。一見立派な駅のようですが、自動改札機は設置されていません。

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三河鳥羽駅

蒲郡16:11発普通吉良吉田行き1661(6211)で三河鳥羽へ。昭和4年8月の開業から11年7月の三河鹿島延伸まで7年間終点だった駅で、当駅から先は資金不足により非電化での開業となったため、昭和21年の電化までは当駅で乗換が行われていました。相対式ホームの交換可能駅で駅舎は無く、ホーム間は公道の踏切を介して連絡しています。

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東幡豆駅

三河鳥羽17:05発普通蒲郡行き1760(6011)で東幡豆へ。猿ヶ島、うさぎ島への観光拠点として賑わった歴史を持つ駅ですが、今では利用者も少なくひっそりとしています。駅舎昭和34年に改築されたものですが、老朽化により12月頃から解体される予定です。隣の建物は旧売店で、こちらも同じく解体されます。10月10日には西幡豆駅と共にありがとうイベントが開催されて大いに賑わったそうです。地元利用者以外にはほとんど知られず、鉄道ファンからも注目されずに消えていく駅舎が多い中、最後に晴れの舞台が設けられて送られるこの駅舎はきっと幸せものでしょう。イベント一週間前の日曜となったこの日、他にも駅を撮影している人の姿を多く見かけました。

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西幡豆駅

東幡豆17:27発普通吉良吉田行き1761(6210)で西幡豆へ。平成23年の合併で西尾市となった旧幡豆郡幡豆町の役場最寄り駅で、かつては特急も停車していました。早ければ今月中にも解体される予定の駅舎は、西尾市の情報によれば昭和35年改築。しかし、Wikipediaにある電化前(戦後すぐ?)の写真にも同じ形の駅舎が写っているので、もっと古いのかもしれません。ちなみにこの駅舎のような片流れ屋根の駅舎は昭和20年代に多く建てられたもので、現存するものは多くありません。

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こどもの国駅

西幡豆17:37発普通蒲郡行き1762(6210)でこどもの国へ。昭和49年10月、遊園地「愛知こどもの国」の開園に合わせて洲崎駅を移転した駅で、昭和51年10月に改称されました。単式ホームの高架駅で、かつては階段を下りたところに三角屋根の駅舎がありました。名鉄で最も利用者の少ない駅で、訪問した夕暮れ時には人の気配もほとんどなく寂しげでした。とは言え、周囲に住宅はそれなりにあり、秘境駅には程遠い状況です。

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ラーメン

こどもの国17:54発普通吉良吉田行き1763(6211)と吉良吉田18:15発急行弥冨行き1943(5101)を乗り継いで名鉄名古屋へ。熟成豚骨ラーメン専門店 大名古屋一番軒の黒豚骨ラーメンで夕食としました。

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河和駅

夕食の後は夜行バスまで時間を潰さないといけないので、名鉄名古屋19:56発急行河和行き1972(3534)に乗り続けて終点の河和へ。20:57発特急名鉄名古屋行き419(1414)で折り返し、21:47発普通犬山行き2197(3255)に乗り換えて岩倉へ。

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岩倉駅

岩倉で折り返すのに特に意味はないのですが、せっかくなので駅舎も撮っておきます。とはいえ、日没後なのでいずれまた撮りに来ることになるでしょう。

22:15発普通豊明行き2294(5003)で名鉄名古屋へ。太閤通ビックカメラ前23:10発ウィラーエクスプレスP453便に乗車し、帰途に就きました。

10/1 近畿地方消えゆく庁舎めぐり

この日は消えゆく庁舎を求めて近畿地方を回りました。

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早朝の京都駅

池袋サンシャインシティ21:50発グレースライナーGR101便に乗車し、京都駅八条口に到着したのは翌朝5:55。この時間でもまだ薄暗いことに日が短くなったなと感じます。

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桜井駅

京都6:05発急行橿原神宮前行き661(8584)と大和八木7:07発急行五十鈴川行き621(2613)を乗り継いで桜井へ。下車するのは実に6年ぶりです。

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桜井市役所 旧庁舎

8分ほど歩いて桜井市役所へ。9月21日より新庁舎での業務を開始し、役目を終えた旧庁舎は昭和42年竣工(昭和57年増築)。まもなく解体されるようで一部が囲われていましたが、何とかその姿を拝むことができました。設計は久米建築事務所。立ち姿がかっこいい庁舎です。

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大和高田市役所 旧庁舎

桜井8:14発普通五位堂行き9840(2535)で大和高田へ。今度は15分歩いて大和高田市役所へ。7月12日に道路のはす向かいの新庁舎に移転して役目を終えた旧庁舎は昭和38年3月築の地上4階地下1階建て。既に解体工事が始まっていましたが、形は残っていました。

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高田市駅

20分歩いて高田市駅へ。吉野方面の列車はちょうど行ってしまったところでした。

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吉野口駅

高田市9:24発急行吉野行き3823(6043)で吉野口へ。JRへの乗り換え待ちの時間で駅舎を撮影。この駅で降りるのは3度目ですが、いい駅舎は何度見てもいいものです。

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五条駅

吉野口10:06発普通和歌山行き445M(クモハ226-1030)で五条へ。この駅で降りるのも6年ぶりですが、待合室には相変わらず柿の葉寿司の売店が健在でした。

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五條市役所

12分歩いて五條市役所へ。11月10日に新庁舎に移転する予定で、現庁舎はまもなく見納めとなります。2階建ての本庁舎(右手)は昭和36年4月、3階建ての別館は昭和48年7月竣工といずれも老朽化が進んでいます。裏手には2階建ての分庁舎(平成元年9月)と3階建ての第二分庁舎(平成11年4月)があり、いくつもの建物に分かれていることも業務の効率化を妨げているようです。

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五條市役所 新庁舎

駅へ戻る途中、新庁舎を撮影。広い駐車場を備えた新庁舎は国や県の施設とも一体となった立派なもので、町家をイメージした落ち着いたデザインの中に五條のあかね染を想起させるルーバーがいいアクセントになっています。増築を重ね、ごちゃごちゃとしたイメージの現庁舎から一転して見違えるようで、末永く愛される庁舎となるのは間違いないでしょう。

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大塩駅

五条駅に戻り、11:30発普通奈良行き440T(クモハ227-1005)で吉野口へ。吉野口11:44発普通橿原神宮前行き8120(6308)と橿原神宮前12:03発普通京都行き1280(8304)、大和八木12:13発急行大阪上本町行き1026(2512)、鶴橋12:49発普通尼崎行き4294、尼崎13:18発直通特急山陽姫路行き9433H(5602)と乗り継いで一気に大塩へ。来年3月の橋上化を目指して絶賛工事中の駅で、昭和62年10月改築の地平駅舎の後ろには既に橋上駅舎が姿を現しています。

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踏切から見た大塩駅

駅舎から2面4線のホームへは構内踏切で連絡しています。この手の主要駅では私鉄においてもすっかり貴重になった構内踏切ですが、橋上化の進展によって姿を消し、ホームの延長が行われる予定です。

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ホームからはみ出した6両目

この駅の名物ともいえるのが、上りホームの長さが足りないことによって発生する「ドアカット」。ホームの長さが6両編成には少し足りず、上りの6両編成の列車の場合、6両目のみドアが開きません。これも全国的に珍しくなった光景ですが、橋上化によって行われるホームの延長で姿を消す予定です。

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伊保駅

大塩14:55発普通阪神三宮行き1424H(3636)で伊保へ。下りホーム姫路方に昭和57年3月改築の小さな駅舎がある無人駅です。ホーム明石方で2時間ほど列車を撮影してから、高砂市役所へと歩きはじめました。

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高砂市役所

高砂市役所へは徒歩5分。ここは11月15日と22日の2度に分けて新庁舎へ段階的に移転して役目を終える予定です。本庁舎は昭和32年竣工で、西側は昭和41年増築。裏手には昭和43年竣工の議会棟がありましたが、新庁舎建設に伴って解体されています。

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伊保を後に

伊保17:56発普通新開地行き1724(3060)で新開地へ。本を読んで時間を潰してから20:02発特急阪急梅田行きK2002(1055)で梅田へ。帰りは梅田モータープール23:00発グレースライナーGR202便に乗車しましたが、モータープールはお世辞にも長時間バスを待てる環境ではなく、できることならバスタ新宿的なしっかりとしたターミナルをつくって集約してほしいものだと思いました。

9/26 東武鬼怒川線・日光線駅めぐり

東武本線乗り放題デジタルフリーきっぷ駅めぐり2日目は日光・鬼怒川方面へ。

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下今市駅

高田馬場4:48発山手線外回り0403G(クハE234-31)、日暮里5:14発快速勝田行き321M(サハE530-2015)、北千住5:45発区間急行南栗橋行き2603(14437)、南栗橋6:32発普通東武宇都宮行き413(24442)、新栃木7:13発普通東武日光行き911(24421)を乗り継いでまずは下今市へ。日光線鬼怒川線の分岐駅で、特急を含むすべての列車が停車します。駅舎はSL大樹運転開始に合わせて平成29年7月に改築されたもので、レトロ調デザインです。

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下今市駅 旧駅舎(H28-7-26)

改築前の旧駅舎は昭和4年7月開業時に建てられた木造駅舎で、とても乗り換え客で賑わう運行拠点駅とは思えないほどこじんまりとしていました。この日は奇しくも旧駅舎を撮った日と同じように雨、予定では駅めぐりの合間に鬼怒川温泉と日光を散策するはずでしたが、変更を余儀なくされることに。

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小佐越駅

下今市8:16発特急リバティ会津101号会津田島行き1101(509-3)で小佐越へ。大正13年11月に下野電気鉄道「小佐越前」駅として開業した駅で、昭和5年7月に改称されています。駅舎は東武ワールドスクウェアの最寄り駅として平成5年4月に改築されましたが、平成29年に東武ワールドスクウェア駅が開業するとアクセス駅としての役目をそちらに譲り、駅係員の派遣も行われなくなりました。古くから残る玉石積盛土式ホームは国の登録有形文化財に指定されています。

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大桑駅

小佐越8:41発特急リバティきぬ114号浅草行き1114(514-3)で大桑へ。昭和29年の今市市成立まで存在した旧河内郡豊岡村の駅で、大正6年に下野軌道の駅として開業しました。西口に素っ気ないデザインの駅舎があり、狭くカーブした島式ホームとは跨線橋で結ばれています。ホームは玉石積盛土式で、こちらも国の登録有形文化財です。

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東武ワールドスクウェア駅

大桑9:00発普通新藤原行き307(6273)で東武ワールドスクウェアへ。世界の名所を25分の1スケールで再現した東武ワールドスクウェアの最寄り駅で、平成29年7月22日に開業しました。開業当初、運賃は小佐越駅と同一扱いで、列車も日中のみの停車でしたが、平成31年3月に運賃計算上で独立し、令和2年6月より終日全列車が停車するようになりました。単式ホームの無人駅で、駅設備は至ってシンプルです。

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大桑でSL大樹1号と交換

東武ワールドスクウェア9:28発普通東武日光行き310(6169)に乗車。途中の大桑でSL大樹1号と行き違いを行いました。対向の普通列車の乗客もスタッフや地域住民と一緒にSL列車のお見送りをするという光景はなかなか心温まるものです。

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大谷向駅

大谷向で下車。大正6年に下野軌道の「大谷向今市」として開業し、大正8年に改称された駅で、今市から見て大谷川の向こう岸にあることからこの地名が付いたのでしょう。下野電気鉄道となった後、一度廃止されましたが昭和6年に再開業しています。この駅のホームも玉石積盛土式で、登録有形文化財に指定されています。

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新高徳駅

大谷向9:59発普通新藤原行き101(6176)で新高徳へ。大正6年に下野軌道の「高徳」として開業した駅で、昭和4年の改軌時に改称されています。大正13年から昭和34年まで東北本線矢板駅とを結ぶ矢板線が分岐していました。レトロ調に改装された木造駅舎が残るほか、改軌時に建設されたホームと上屋が残っており、ホームと上屋は国の登録有形文化財に指定されています。

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上今市駅

新高徳10:33発普通東武日光行き312(6173)で上今市へ。平成18年の合併で日光市となった旧今市市中心市街の西部にある駅で、ログハウス風駅舎の前には水車が設置されています。駅舎は平成7年ごろに改築されたもので、日光杉並木ギャラリーが併設されています。

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鬼怒川温泉駅

上今市11:15発普通下今市行き712(6172)で下今市へ。下今市からは11:21発普通新藤原行き311(24434)に乗車し、21分間の停車時間を利用して鬼怒川温泉駅を撮影。言わずと知れた有名観光地・鬼怒川温泉の玄関口で、多くの列車が当駅で折り返します。駅舎は昭和39年10月の移転時に建てられたもので、元は白を基調としたデザインでしたが、SL大樹運転開始に合わせて改装され、黒ベースで木材を多用したデザインとなりました。3年前の6月に来た時と比べるとやはり活気に乏しく、観光地の置かれた厳しい状況が感じられます。

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鬼怒川公園駅

再び12:07発普通新藤原行き311(24434)に乗車し、鬼怒川公園へ。鬼怒川温泉街の北端近くにある駅で、当駅付近にも多くの旅館・ホテルが立地していますが、車窓からは廃墟が目立ちます。かつては特急「きぬ」の折り返し駅として賑わい、駅舎も大きかったようですが、駅舎は平成28年ごろに待合室を減築の上改装、折り返しの「きぬ」も平成29年に廃止され、令和2年6月22日にはついに無人化されてしまいました。今なお多くの観光客で賑わう鬼怒川温泉駅と比べると光と影のようです。

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東武日光駅

鬼怒川公園12:24発普通東武日光行き318(21434)で東武日光へ。世界的観光地・日光の玄関口で、終日多くの特急列車が発着しています。昭和54年10月改築の駅舎は山小屋風の2階建てで、2階にはコインロッカーと祈祷室が設けられています。1階には観光案内所、待合室があり、待合室を囲むように土産物屋と駅弁屋が店を並べており、なかなかの賑わいです。

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駅弁 とちぎ霧降高原牛めし

せっかくなので駅弁を購入して、待合室で昼食とします。牛めしに煮卵の組み合わせは珍しいですが、これがなかなか美味しかったです。東武日光駅には複数社の駅弁が置かれているので、何度来ても楽しめそうですね。

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日光軌道線 109

駅前には昭和43年に廃止された日光軌道線の車両が展示されています。この109号は日光軌道線の廃止後は岡山電気軌道で平成25年まで活躍し、日光へと里帰りした経緯を持つ車両です。東武日光駅前には昨年から展示されており、綺麗な状態が保たれていますが、屋根がないのが気にかかります。

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東武金崎駅

東武日光13:43発普通新栃木行き926(21421)で東武金崎へ。平成23年栃木市と合併した旧下都賀郡西方町の玄関口で、急行は停車しませんが駅員が配置されています。

金崎は日光例幣使街道15番目の宿場・金崎宿として栄えたところで、「東武」を冠したのは、東北本線金ケ崎駅または鞆鉄道金崎駅との混同を避けるためだったと言われています。日光線ではすっかり貴重になった木造駅舎は昭和4年4月開業時に建てられたものだと思われます。

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新大平下駅

東武金崎15:15発普通新栃木行き928(21434)と新栃木15:28発普通南栗橋行き450(21442)を乗り継いで新大平下へ。平成22年の合併で栃木市となった旧下都賀郡大平町の玄関口で、東口駅前に大平総合支所(旧大平町役場)があります。JR両毛線大平下駅へは約1.2㎞。日立グループの事業所への通勤需要が大きいためか急行も停車します。

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静和駅

新大平下16:12発普通南栗橋行き452(21443)で静和へ。平成26年に栃木に編入された旧下都賀郡岩舟町の駅で、昭和31年の岩舟村成立以前は静和村でした。静和村は明治の町村制で静戸村、三和村、和泉村、五十畑村、曲ヶ島村が合併して誕生した村で、旧尊名からの合成地名でしょう。昭和4年4月の開業からわずか3カ月間「東武和泉」を名乗っていました。木造駅舎はおそらく開業時に建てられたものでしょう。地下通路入口前には駅員さんが育てているのであろう盆栽が飾られていました。

ちなみに岩舟町と栃木市の合併は平成の大合併の最後を飾ることになり、令和3年現在最新の市町村合併となっています。

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藤岡駅

静和16:30発普通南栗橋行き454(21441)で藤岡へ。平成22年に栃木市と合併した旧下都賀郡藤岡町の駅で、足尾銅山鉱毒事件で廃村となった谷中村跡に造られた渡良瀬遊水地の最寄り駅です。昭和4年4月開業時に建てられたと思われる木造駅舎は今年に改修工事が行われており、まだしばらくは現役を続けそうです。群馬県藤岡市の代表駅である群馬藤岡駅が開業したのは昭和6年7月のことで、もしこちらが先に開業していれば「藤岡」の駅名を取られて「東武藤岡」か「下野藤岡」と名乗ることを余儀なくされていたことでしょう。

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板倉東洋大前駅

藤岡17:05発普通南栗橋行き456(21413)で板倉東洋大前へ。東武日光線では唯一群馬県にある駅で、邑楽郡板倉町唯一の駅ですが、板倉町中心部からは離れています。地元からの請願によって平成9年3月に開業しました。島式2面4線の立派な橋上駅です。その名の通り東洋大学板倉キャンパスの最寄り駅ですが、東洋大学は板倉キャンパスにある学部を朝霞と赤羽台に移転することを発表しており、この駅の未来も明るくなさそうです。

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板倉東洋大前駅 ホーム

板倉東洋大前17:35発急行南栗橋行き30(6172)で帰途に就きます。南栗橋で17:50発急行中央林間行き1778T(53051)に乗り換え、北千住からは18:41発快速品川行き1890H(サハE231-177)、日暮里18:54発山手線内回り1814G(モハE234-69)と乗り継いで帰宅しました。

9/25 東武伊勢崎線・大師線駅めぐり

野田線駅めぐりの後は伊勢崎線の駅のうち他のフリーきっぷでカバーできないところを中心に巡り、ついでに大師線にも足を延ばしました。

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川俣駅

愛宕13:58発急行大宮行き2128A(84114)と春日部14:26発急行久喜行き1261S(8117)、久喜14:36発普通館林行き535(12254)を乗り継いで川俣へ。伊勢崎線群馬県に入って最初に停車する駅で、群馬県最南端の鉄道駅です。邑楽郡明和町唯一の駅で、平成28年1月に橋上化されるまでは古い木造駅舎が使用されていました。

明治36年の暫定開業時には利根川南岸(埼玉県側)に設けられており、利根川への架橋を経て明治40年に現在地に移転しました。利根川への架橋以前、川を渡る手段は渡し船しかなく、「利根川は、東武鉄道にとっては、まさにルビコン川であった」と自由通路に掲げられている「東武伊勢崎線川俣駅の変遷」に書かれています。移転前の川俣駅については田山花袋の小説『再び草の野に』にその移転と凋落が描かれています。

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花崎駅

川俣15:20発普通久喜行き542(11454)で花崎へ。昭和29年の加須市成立まで存在した旧北埼玉郡大桑村の駅で、明治の町村制で大桑村が成立するまでは花崎村が存在していました。甲子園の常連、花咲徳栄高校の最寄り駅でもあります。橋上駅舎への改築年は不明ですが、デザインから見て昭和5,60年代でしょう。

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西新井駅 大師線ホーム

花崎15:56発普通久喜行き544(11459)と久喜16:04発急行中央林間行き1669S(8018)を乗り継いで一気に南下し、西新井へ。大師前までわずか1駅のローカル線、大師線が分岐しており、伊勢崎線ホームと大師線ホームの間には中間改札が設置されています。

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大師前駅 ホーム

西新井16:52発大師前行き133D(8670)で大師前へ。西新井大師總持寺)の最寄り駅で、全長わずか1.0㎞の大師線の終点です。元は上板橋とを結ぶ東武西板線の一部として建設されましたが、結局建設費等の問題から実現することなく終わりました。現在の大師前駅は平成3年に高架化されたもので、ホームは1面1線ですが、初詣などの多客時を想定してホームは広めに取られているため、風格あるターミナル駅のような雰囲気です。

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大師前駅

ホームの立派さに比べると駅前は手狭で、駅舎の全体像を撮ることはできません。入口には立派な改札ラッチも設置されているものの無人駅で、かつては多客時に駅員が派遣されていましたが、西新井に中間改札ができてからは多客時でもほとんど使われることがないようです。開業は昭和6年12月20日で、今年で開業90周年。

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西新井駅

大師前17:06発西新井行き136D(8570)で西新井へ。伊勢崎線大師線の分岐駅で、急行も停車する主要駅です。昭和47年8月に東武では初となる自動改札機が設置され、翌年に写真の西口駅ビルが完成しました。「西新井」という地名は、「新井の西」という意味ではなく、弘法大師總持寺で加持祈祷をした際に湧いてきた井戸が本堂の西側にあったという伝説に由来する「西しく湧いた戸」の意味だそうです。

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竹ノ塚駅

西新井17:16発普通北越谷行き1716T(77712)で竹ノ塚へ。東武における23区最北端の駅で、明治33年開業時の所在地は南足立郡伊興村でした。長らく橋上駅舎でしたが、「開かずの踏切」解消を目的とする高架化工事に伴って平成28年11月に改札口が地下に仮移転しました。ホームも高架化工事に伴う仮説のもので、来年3月にホームの高架化が行われる予定です。駅ビルは平成15年に改築されたものですが、現在は使われていないので、高架化完成の暁に解体されるのでしょうか。

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梅島駅

竹ノ塚17:31発普通中目黒行き1623T(74715)で梅島へ。足立区役所の最寄り駅で、昭和43年3月に高架化されました。ホームは島式1面2線ですが、西新井寄りに下りホーム、五反野寄りに上りホームが配置された変則的なものです。

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五反野駅

梅島17:45発普通中目黒行き1747T(74794)で五反野へ。梅島と同じく昭和43年に高架化された駅で、当初は相対式2面2線でしたが、昭和49年の複々線化時に島式1面2線に改められました。

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小菅駅

五反野18:00発普通中目黒行き1708S(13302)で小菅へ。小菅刑務所の後進である東京拘置所の最寄り駅で、ここも1面2線の高架駅です。高架下に出入口がありますが、駅前には車一台が通れるだけの狭い道しかなく、商店の代わりに自販機があるだけで活気に乏しいです。

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小菅駅 ホームから見た首都高中央環状線

北千住以南は下町散歩きっぷでカバーできるので、この日の駅めぐりはこれで終了。小菅18:07発普通中目黒行き1709T(72708)と北千住18:18発快速品川行き1750H(サハE231-129)、日暮里18:28発山手線内回り1860G(モハE234-81)を乗り継いで帰宅しました。

9/25 東武野田線駅めぐり

9月最後の週末、東武本線乗り放題デジタルフリーきっぷを使い、東武の駅を巡りました。初日は野田線伊勢崎線大師線へ。

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朝の春日部駅

高田馬場4:48発山手線外回り0403G(クハE234-31)、日暮里5:06発快速取手行き531H(サハE231-150)、北千住5:23発準急東武動物公園行き4567S(8008)を乗り継いでまずは春日部へ。今どき珍しくなった地上の巨大ジャンクション駅も高架化によって近い将来姿を消す予定です。

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藤の牛島駅

春日部6:01発普通柏行き409A(11653)で藤の牛島へ。昭和5年総武鉄道の「牛島」駅として開業した駅で、翌年改称されています。駅名の由来である国の特別天然記念物牛島のフジ」は弘法大師御手植えと伝わるもので、樹齢は1000~1200年と推定されています。駅前の藤棚はその最寄り駅であることにちなんでのものでしょうか。大宮方面ホームに接した駅舎は民家のような2階建てです。

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南桜井駅

藤の牛島6:20発普通柏行き413A(61604)で南桜井へ。平成17年に春日部市と合併した旧北葛飾郡庄和町の玄関口で、駅名は昭和29年の庄和村成立まで存在した南桜井村に由来します。現在の駅は昭和31年に南桜井駅と米島駅(貨物駅)を統合して誕生したもので、米島駅の位置に建設されています。昭和58年2月に橋上化されており、南口には東武スポーツクラブが入居する駅ビルが併設されています。

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川間駅

南桜井6:33発普通柏行き415A(11652)で川間へ。この駅から千葉県に入ります。昭和32年野田市編入された旧東葛飾郡川間村の駅で、江戸川と利根川の間に位置することが村名の由来です。改札口は島式ホームの春日部寄りにあり、地下通路によって線路の南北と結ばれています。開業時の駅舎は野田町駅(現:野田市駅)の旧駅舎を移築したものでしたが、昭和45年に現駅舎に改築されました。旧駅舎はその後清水公園に移築されましたが、老朽化により平成2年に解体、部材は保存されているそうです。

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清水公園駅

川間6:46発普通柏行き419A(81117)で訪問済みの七光台を飛ばして清水公園へ。桜の名所として知られる清水公園の最寄り駅で、ホームは2面3線ですが、高架化工事によって3番線は使用停止されています。現在の地下駅舎は平成19年3月に改築されたもので、それまでは昭和4年開業時の木造駅舎が使用されていました。西口には旧駅舎の一部と思しき建物が残されており、詰所か倉庫として使用されているようです。(上写真右)

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梅郷駅

清水公園7:13発普通柏行き423A(61611)で梅郷へ。昭和25年の野田市成立まで存在した旧東葛飾郡梅郷村の駅で、平成19年5月末に橋上化されています。梅郷村は明治の町村制施行時に5つの村が合併して誕生した村で、「梅の五弁」になぞらえて「その花の香ばしく後に堅実に実を結ぶ」に因んで命名されました。

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運河駅

梅郷7:29発普通柏行き425A(11631)で運河へ。近くを流れる利根運河に由来する駅名を持つ駅で、当駅から先柏方面は複線となっていることから、折り返し列車が設定されています。橋上駅舎は平成25年7月に改築されたもので、エレベーター部分の塔屋が目を引きます。駅開業時の所在地は東葛飾郡新川村で、昭和26年の合併で江戸川町になり、流山町への改称を経て現在は流山市です。

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江戸川台駅

運河7:44発普通柏行き429A(81113)で江戸川台へ。この駅は以前に訪問済みですが、前回撮れていない部分が多かったので再訪しました。昭和33年2月に開業した駅で、開業時の所在地は東葛飾郡流山町でした。駅前に広がる扇状の住宅地は田園調布をモデルに開発されたと言われています。江戸川台は千葉県住宅協会によって開発された戸建て中心のニュータウンで、かつては「狐の野」「兎の村」「県北のチベット」と言われていたそうですから、いかに長閑なところだったか分かるというものです。

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初石駅

江戸川台7:56発普通柏行き431A(8192)で初石へ。野田線でもすっかり貴重になった木造駅舎の残る駅で、橋上駅と比べると心なしか駅前の空が広い気がします。駅前の佇まいも長閑で、少し昔の郊外駅と言った佇まい。開業時の所在地は東葛飾郡八木村で、八木村成立まで存在した初石新田が駅名の由来です。

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流山おおたかの森駅

初石8:08発普通柏行き433A(61602)で流山おおたかの森へ。つくばエクスプレスとの乗換駅として平成17年8月に開業した、野田線で最も新しい駅(東武全体では3番目)です。駅舎は橋上にあり、つくばエクスプレスとは改札が同じ階に設けられています。流山市とURの費用負担によって建設されました。野田線の駅としては柏、大宮、船橋、春日部といったターミナル駅に次いで第5位の利用者数を誇ります。

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豊四季駅

流山おおたかの森8:24発普通柏行き437A(8164)で豊四季へ。この駅も再訪です。初石同様に木造駅舎の残る駅で、駅舎に隣接して南北自由通路が設置されています。駅名の由来は大正3年まで存在した東葛飾郡豊四季村で、明治時代に開拓された小金牧4番目の入植地であることと、四季を通しての豊かな実りへの願いから命名されました。小金牧は入植順に13まで数字にちなんだ地名が付けられており、駅名として残っているのは、初富・豊四季・五香・六実・八街があります。ちなみに豊四季村はその後千代田村となり、町制施行時に柏町となり、東葛市を経て柏市になり現在に至ります。

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新鎌ヶ谷駅 ホーム

豊四季8:38発普通柏行き439A(8172)と柏8:49発普通船橋行き157A(66610)を乗り継いで新鎌ヶ谷へ。ここも再訪で、ホームを撮っていなかったので撮影。平成元年に駅昇格を前提としない信号場として開業しましたが、費用を鎌ヶ谷市が出すことを条件に北総・新京成との乗換駅として平成11年11月に旅客駅に昇格しました。北総の駅の開業から8年もの間、東武側には駅が無かったわけで、当時はさぞかし不便だったことでしょう。

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馬込沢駅

鎌ヶ谷9:16発普通船橋行き159A(66617)で馬込沢へ。船橋市鎌ヶ谷市船橋市飛び地の境界線上にある駅で、駅所在地は船橋市ですが、駅名の由来となった馬込沢地区は鎌ヶ谷市にあります。開業から一年間だけ「法典」を名乗っていました。築堤上の駅で、改札口はホーム下の地下通路にあります。ホームでしばらく8000系を中心に撮影してから次の駅へ。

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塚田駅

馬込沢10:01発普通船橋行き167A(66609)で塚田へ。昭和12年船橋市成立まで存在した旧東葛飾郡塚田村の駅で、「塚田」の地名は貝(前貝塚、後貝塚)と行による合成地名です。橋上駅舎の建設年は不明ですが、デザインなどからして昭和50年代頃のものでしょう。

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新船橋駅

塚田10:12発普通船橋行き169A(66601)で新船橋へ。イオンモール船橋に隣接する駅で、周辺はマンションが立ち並んでいます。再開発前の周辺は工場地帯で、平成23年度までは1日平均乗車人員が2000人台と野田線で最も利用者の少ない駅の一つでした。開業は昭和31年で、昭和55年に高架化されて現在の姿になっています。

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船橋駅

船橋10:24発普通船橋行き171A(66603)で船橋へ。東武野田線の終着駅で、JR総武本線との乗換駅です。大正12年総武鉄道船橋線(船橋~柏)が開業し、戦時中の東武鉄道への合併を経て東武野田線に組み込まれたのは昭和23年のことでした。元々は別の路線だったために列車の多くは柏で分断されるものの、今でも急行を中心に大宮まで直通する列車が設定されています。東武船橋駅は昭和55年に高架化された島式1面2線の駅で、JRより高い所にホームがあります。併設されている東武百貨店船橋店は昭和52年にオープンしたもので、平成30年に西武百貨店が閉店してからは船橋唯一の百貨店として孤軍奮闘しています。

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鎌ヶ谷

船橋10:35発普通柏行き180A(61603)で鎌ヶ谷へ。昭和46年に市制施行した鎌ヶ谷市の駅で、市内に位置する駅のうち最も古い歴史を持っています。大正12年12月の駅開業時の所在地は東葛飾郡鎌ヶ谷村でした。平成13年10月に高架化されています。

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六実駅

鎌ヶ谷10:58発普通柏行き182A(61610)で六実へ。東武鉄道で唯一松戸市内にある駅で、駅名は小金牧6番目の入植地に由来します。昭和18年4月の松戸市成立までは東葛飾郡高木村でした。構内はかつて2面3線でしたが、令和2年3月のダイヤ改正で3番線が廃止され、同時に当駅始発・終着の列車も高柳止まりに変更されています。古くからの駅舎が残る地上駅で、ロータリーも整備されていないため、駅前は長閑な雰囲気です。

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高柳駅

六実11:13発普通柏行き184A(61617)で高柳へ。平成17年に柏市編入された旧東葛飾郡沼南町の玄関口で、平成30年10月に大工事の末、橋上化されました。令和2年3月ダイヤ改正で急行停車駅となり、日中は緩急接続が行われるほか、当駅始発・終着の列車も設定されています。橋上化前の駅は相対式2面2線で、ホームの移設も行われたため、全てが新しく、まるで新駅のような佇まいです。

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逆井駅

高柳11:27発普通柏行き186A(11633)で逆井へ。昭和8年に停留所として開業し、昭和24年に風早村(→沼南町→柏市)と土村(→東葛市→柏市)の陳情によって昇格した駅です。開業時の所在地は東葛飾郡土村で、風早村との境界付近にありました。元は単式ホーム1面1線の小さな駅でしたが、昭和60年の複線化に合わせて橋上化されています。逆井~高柳~六実間は船橋側で最後まで残った単線区間でしたが、高柳駅改良と合わせて令和元年11月~12月に複線化が完了しました。

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増尾駅

逆井11:39発普通柏行き188A(61613)で増尾へ。大正12年東葛飾郡土村に開業した駅で、駅名は明治の町村制で土村が成立するまで存在した増尾村に由来します。ちなみに土村の村名については、11の村が合併したため「十一」を「土」に転じて名付けられました。橋上駅舎のコンコースには皮膚科、耳鼻咽喉科、歯科が入居しており、改札口には消毒液の臭いが漂っています。

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新柏駅

増尾11:51発普通柏行き190A(81110)で新柏へ。この駅も再訪です。昭和58年7月に開業した島式1面2線の高架駅です。開業前の仮称は「名戸ヶ谷」でした。開業当時、周辺には畑や雑木林が広がっていましたが、その後の開発により住宅地に姿を変えています。

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柏駅

新柏12:05発普通柏行き206A(61609)で柏へ。柏市の代表駅で、JR常磐線との乗換駅だけあって常に大勢の人で賑わっています。野田線については、明治44年に野田町とを結ぶ千葉県営軽便鉄道がまず開業し、続いて大正12年北総鉄道船橋線が開業しました。なお野田線船橋線の開業前に北総鉄道に譲渡されています。野田線船橋線の駅は常磐線を挟んで東西に分かれていましたが、昭和5年船橋線を付け替えて野田線の駅に統合し、今の駅の原型が出来上がりました。その後、何度もの改良を経て平成2年に大規模改良が行われ、平成4年には南口が開設されています。ホームは島式2面4線の頭端式で、大宮~船橋を直通する列車はスイッチバックをする形になります。

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野田市駅

柏12:24発普通大宮行き478A(16631)で野田市へ。実に3度目の訪問になりますが、高架化されてからは初めてです。明治44年5月に千葉県営軽便鉄道野田線の終点「野田町」として開業した駅で、昭和4年9月の清水公園延伸時に現在地に移転しました。この時建てられた駅舎は総武鉄道の本社を兼ねた2階建ての立派なものでしたが、高架化に伴って平成30年1月に役目を終えています。その後は仮駅舎で営業し、令和3年3月に島式1面2線の高架駅となりました。工事はまだまだ続けられており、令和5年に島式2面4線と留置線1線から成る巨大な高架駅が完成する予定です。

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野田市駅 旧駅舎(H26-3-15)

せっかくなので高架化前の旧駅舎の写真も載せておきましょう。こちらが総武鉄道本社を兼ねていた昭和4年建設の木造2階建て駅舎で、最晩年は工事に伴って右手の増築部分が解体されていました。仮駅舎はタクシーが停車している辺りに造られました。

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愛宕駅

野田市中心部の古い建物を訪ねながら50分歩き、愛宕駅へ。ここも高架化前に訪問していますが、あまりの変貌ぶりに驚きました。高架駅舎の使用開始は令和3年3月28日、地平時代の踏切がまだ撤去されずに残っていました。駅名は近くにある愛宕神社に由来します。

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愛宕駅 旧駅舎(H27-3-30)

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愛宕駅 西口駅舎跡

こちらも旧駅舎時代の写真をお見せしましょう。もっとしっかり定点撮影にしなかったのが残念ですが、なんとなく分かっていただけると思います。写真の旧駅舎は平成30年3月に仮駅舎及び仮ホームが使用開始された際、西口改札口に名称が変更されましたが、同年9月30日に廃止。その後解体されました。写真を見ると駅舎だけでなく後ろのパチンコ屋も消えているのが分かります。

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急行

野田線駅めぐりは愛宕でひとまずおしまい。13:58発急行大宮行き2128A(84114)で春日部へ向かい、伊勢崎線に乗り換えることとします。

9/5 初秋の東海道本線(静岡地区)駅めぐり

この日は一日分残った18きっぷを消化すべく静岡地区の駅を巡りに行きました

高田馬場4:38発山手線内回り0360G(クハE234-28)、品川5:10発東海道線小田原行き725M(モハE231-1542)、小田原6:22発東海道線熱海行き723M(クハE232-3531)、熱海6:49発東海道本線普通浜松行き425M(クハ210-5045)、浜松9:23発東海道本線豊橋行き927M(クハ312-2323)とひたすら乗り継いで新居町で下車。

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新居町駅

平成22年3月に湖西市編入された旧浜名郡新居町の駅で、駅舎は昭和53年7月改築。新居は東海道五十三次31番目の宿場で、関所が置かれていました。主要街道では唯一、当時の関所の建物が現存していますが、駅から歩いていくには少々遠いです。駅裏手には浜名湖競艇場があり、競艇開催日のみ使用される改札口も設けられています。

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弁天島駅

新居町9:50発新快速浜松行き5312F(モハ313-2)で弁天島へ。浜名湖に浮かぶ、弁天島にある駅で、当初は海水浴客のための臨時駅でした。築堤上の高架駅で、駅務室や改札、待合室といった駅舎の設備は全てホーム上にあります。

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弁天島海浜公園

駅から歩いてすぐのところに弁天島海浜公園があり、砂浜に建つ鳥居がシンボルとなっています。今回のメインは駅めぐりですし、散策するには暑かったのでこれだけ撮ってすぐに引き返しました。

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舞阪駅

弁天島10:11発普通浜松行き932M(クモハ211-5035)で舞阪へ。明治21年9月、官設鉄道大府~浜松間の開通時に「馬郡(まごおり)」として開業した駅で、わずか3カ月で改称されています。平成17年に浜松市編入された旧浜名郡舞阪町の町名を名乗っていますが、駅自体は浜松市側にあり、東海道五十三次30番目の舞阪宿へは弁天島駅の方が近いです。駅の開業は町村制で舞阪町が成立する一年前で、当時の所在地は浜名郡馬郡村。馬郡村は町村制施行時に分割されて、一部が舞阪町に、駅所在地も含む残りの大部分が篠原村になりました。篠原村は昭和36年浜松市編入されています。

駅舎は、平成16年の「浜名湖花博」開催に合わせ、平成15年12月に使用開始された橋上駅舎。それまでは明治時代の開業時のものが使用されていましたが、もし今も残っていれば日本で2番目に古い現役駅舎になっていたことでしょう。

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高塚駅

舞阪10:32発普通浜松行き934M(クモハ313-2514)で高塚へ。平成3年に浜松市編入された旧浜名郡可美村の駅で、東海道本線の駅のうち村にあった最後の駅でした。可美村は前述の篠原村が浜松市編入されて以降、四方を浜松市に囲まれた状態で存在していた村で、自動車メーカースズキの本社が置かれています。かつてはスズキ本社工場への専用線もありました。駅舎は平成27年3月橋上化、それまでは改装された木造駅舎がありました。

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浜松駅

高塚10:51発普通浜松行き3118F(クモハ311-7)で浜松へ。言わずと知れた静岡県最大の都市の代表駅で、在来線ホームは高架の2面4線。新幹線との間に通過線があります。

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天竜川駅

浜松11:09発普通興津行き776M(クモハ313-2510)で天竜川へ。日本三大急流の一つ、天竜川に由来する駅名を持ちますが、肝心の川からは少し離れています。明治31年に駅が開業した際の所在地は浜名郡和田村で、昭和29年に浜松市編入されました。現在は東区の中心地です。駅舎は平成29年9月に橋上化されたもので、それ以前は昭和47年改築の鉄筋コンクリート平屋建てのものでした。北口駅前には全国的に見ても珍しい感情交差点が設置されています。

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豊田町駅

天竜川11:32発普通興津行き5780M(クモハ313-2604)で豊田町へ。平成17年に磐田市と合併した旧磐田郡豊田町の駅で、平成3年12月に開業しました。JRになってからの開業のためか、駅舎は凝ったデザインで、ステンドグラスで装飾されています。

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磐田駅

豊田町11:46発普通掛川行き5782M(クモハ211-5616)で磐田へ。しっぺい太郎伝説の地・磐田市の代表駅で、平成12年1月改築の橋上駅舎は遠江国分寺をイメージしたデザインです。明治22年開業時の駅名は「中泉」で、当時の所在地は豊田郡中泉町でした。中泉町は磐田郡所属になった後、昭和15年の合併で磐田郡磐田町になり、駅名も昭和17年10月に改称されています。

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前島密之像

橋上化で誕生した南口の駅前には郵便の父・前島密の胸像が設置されています。てっきり磐田出身なのかと思いましたが、出身は新潟で、明治2年の1月から8月まで奉行として中泉で善政を尽くしたゆかりによるものだそうです。大河ドラマ「青天を衝け」では三浦誠己さんが演じるとのことで、登場が楽しみですね。

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御厨駅 北口

磐田12:02発普通静岡行き5784M(クモハ313-2502)で御厨へ。令和2年3月14日に開業した、高輪ゲートウェイと並んで東海道本線では最も新しい駅です。駅名は昭和30年に磐田市編入された磐田郡御厨村に由来します。橋上駅ですが、地形の都合で北口は駅前と自由通路がほぼ同じ高さにあります。

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御厨駅 南口

東海道本線と新幹線に挟まれた狭い空間には西口、新幹線を跨いだところには南口が設置されています。駐車場しか作れるスペースのない西口はともかくとして、南北両出口とも駅前にはまだまだ更地が目立ちます。駅周辺には御厨古墳群もあるそうで、こちらもいずれ訪ねてみたいですね。

祝 JR御厨駅開業記念 御厨の歴史を巡ろう! いわた文化財だより第180号

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袋井駅

御厨12:25発普通興津行き788M(クモハ313-2504)で袋井へ。東海道五十三次27番目で、ちょうど中間地点にあたる袋井市の代表駅で、平成26年11月に橋上化されています。明治22年12月25日、開通したばかりの東海道本線で郷里松山へ帰る途中の正岡子規は、袋井を通りかかった際に駅前の情景を「冬枯の中に家居や村一つ」と詠みました。駅ができた当時はそれくらい寂しかった駅前も今ではすっかり地方都市の玄関口としてそれなりの賑わいを見せています。かつては森町への静岡鉄道秋葉線、藤枝への静岡鉄道駿遠線が乗り入れていました。

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愛野駅

袋井12:46発普通興津行き792M(クモハ211-5027)で愛野へ。静岡スタジアムエコパの最寄り駅として平成13年4月に開業した駅で、新幹線の高架を跨いでいるため、橋上駅舎は4階建て相当の高さがあります。駅名は明治22年の町村制で笠西村(昭和3年袋井長と合併)が成立するまで存在した、山名郡愛野村に由来しています。愛野村は石野村と小野田村が合併して誕生した村で、共に「野」が含まれることから「相野」とし、佳字を使って「愛野」としたようです。

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掛川駅

愛野12:59発普通掛川行き5794M(クハ312-2312)で掛川へ。城下町として栄えた掛川市の代表駅で、東海道新幹線天竜浜名湖鉄道も乗り入れています。在来線側の北口駅舎は、昭和15年6月改築の木造駅舎を一旦解体してから耐震化の上再建したもので、地元の木造駅舎に対する思いの強さが感じられます。思っていたより暑くなってきたので駅前のコンビニで熱中症予防に麦茶を2本まとめて買いました。

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菊川駅

掛川13:17発普通静岡行き796M(クモハ313-2513)で菊川へ。平成17年に小笠郡菊川町と小笠町が合併して誕生した菊川市の代表駅です。明治22年開業時は「堀之内」を名乗っており、昭和29年の合併で堀之内町が菊川町になった2年後に改称されました。明治32年から昭和10年までは堀之内と池新田(現:御前崎市)の間を堀之内軌道が走っていました。静岡地区の東海道本線ではすっかり貴重になった地平駅舎は昭和41年4月改築の2階建て。橋上化計画があるので、数年後には姿を消す予定です。駅前の銅像は初代静岡県知事・関口隆吉。牧之原台地の開拓や東海道本線の建設、堀之内駅の開業にも尽力し、静岡の発展に大いに貢献した人物ですが、東海道本線の試運転列車に乗車中に事故に遭い、その時の傷が元で亡くなっています。

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島田駅

菊川13:42発普通静岡行き798M(クモハ211-5014)で島田へ。大井川左岸の宿場町として栄えた島田市の代表駅で、平成20年3月に橋上化されています。島田市は「地球上で最も緑茶を愛する街」としてPRしており、北口駅前には南宋から持ち帰った茶を日本に伝えた僧侶・栄西の像が建てられています。ちなみに栄西は吉備の出身で京で活躍したため、島田市に直接ゆかりはないようです。

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六合駅

島田14:13発普通興津行き5950M(モハ210-5063)で六合へ。昭和61年4月に開業した駅で、国鉄末期らしく簡素なデザインの橋上駅舎です。駅名は昭和30年に島田市編入された志太郡六合村に由来します。「六合」という村名は明治の町村制施行時に六つの村が合併したことから名付けられました。北口駅前には、昭和35年11月21日にクモヤ93が当駅付近(当時は未開業)で狭軌最高速度である175㎞/hを達成したことについての記念碑が設置されています。

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藤枝駅

六合14:26発普通静岡行き144M(クモハ211-5614)で藤枝へ。田中藩の城下町で、東海道五十三次22番目の宿場町だった藤枝市の代表駅です。駅は宿場のあるかつての中心から離れたところにあり、かつては静岡鉄道駿遠線で結ばれていました。橋上駅舎は平成18年に改築された大きなもので、ホームは2面3線ですが、1番線は使われていません。

開業からわずか11日後の明治22年4月27日、当駅での停車中に用を足そうと下車した宮内省御料局長官の肥田浜五郎が、走り始めた列車に飛び乗ろうとして転落死するという事故が発生しています。この事故がきっかけで車内への便所設置が進められることになりました。浜口隆吉が亡くなった衝突事故が起きたのも同じ年ですし、黎明期は鉄道に乗るのも命がけだったようです。

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西焼津駅

藤枝14:44発普通興津行き824M(クモハ313-2606)で西焼津へ。民営化直前の昭和62年3月21日に開業した駅で、国鉄の駅だった期間はわずか11日間でした。国鉄末期らしくシンプルなデザインの橋上駅舎です。駅名の通り焼津市街の西部にある駅で、駅のある辺りは昭和28年まで志太郡豊田村でした。

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用宗駅

西焼津15:06発普通静岡行き826M(モハ210-5058)で用宗へ。戦国時代に持船城が築かれた用宗地区にある駅で、山と海に挟まれた平地がどんどん狭まっていくようなところに位置します。昭和9年静岡市編入されるまでは安倍郡長田村でした。昭和11年1月改築の木造駅舎が改装されて現役です。駅裏手には東海道新幹線が通っており、焼津との駅間には弾丸列車計画が絡んでの複雑な廃線跡があります。

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安倍川駅

用宗15:32発普通興津行き828M(クモハ211-5608)で安倍川へ。昭和60年3月に開業した駅で、元は六合や西焼津と同じようなシンプルな橋上駅舎でしたが、手狭でバリアフリーにも対応していなかったことから平成27年9月に改築されました。駅名は近くを流れる安倍川に由来していますが、有名な安倍川もちの店があるのは安倍川の対岸のため、静岡駅からの方が近いそうです。

 

時間的にはあと何駅か降りることができそうですが、さすがに疲れたのとキリがいいのとで今回はここで終わりとします。3分遅れの安倍川15:57発普通静岡行き5958M(クモハ211-5616)と、同じく3分遅れの静岡16:03発普通熱海行き1462M(クモハ211-5610)を乗り継いで熱海へ。

駅弁を買ってから17:32発普通古河行き1650E(クハE230-8089)に乗り換え、品川からは2分遅れの19:05発山手線外回り1821G(サハE235-17)で帰宅しました。