まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅めぐり旅~

駅めぐりの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

6/25 釧網本線・石北本線駅めぐり

この日は午前中に釧網本線の駅を巡り、午後は石北本線のいくつかの駅を再訪しました。

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止別駅

知床斜里を6:45発普通北見行き4722D(キハ54-515)で出発し、止別で下車。大正14年11月開業時に建てられた駅舎が残る駅で、旧事務室部分には「ラーメン喫茶・えきばしゃ」が入居しています。訪問したのは朝の時間帯だったため当然営業時間外でした。

釧網本線の海沿いの区間は、駅舎内に飲食店が入居している駅が多いのが特徴ですが、残念ながら昼時間帯の列車が少ないので、列車でそれらの店を巡るのはなかなか難しそうです。待合室はそれほどにおいませんが、ダクトの位置の都合かホームの網走寄りに立つとかすかにラーメンのにおいが漂ってくるのが分かります。次来る時は是非ともえきばしゃのラーメンを食べてみたいものです。

ちなみに止別駅は平成16年に鈴井貴之氏監督の映画「銀のエンゼル」のロケ地となっているそうです。また、昭和5年から19年までのわずかな期間だけ小清水町(当時は小清水村)の中心部とを結ぶ北見鉄道が分岐していました。

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浜小清水駅

止別7:39発普通北見行き4724D(キハ40-1736+キハ40-1797)で浜小清水へ。大正14年に「古樋(ふるとい)」駅として開業し、昭和27年11月に改称された駅です。昭和16年から同27年12月まで小清水村中心部とを結ぶ小清水軌道が分岐をしていました。小清水村で生産される甜菜の輸送などに使われましたが、戦後に輸送手段がトラックに切り替えられて廃止。小清水へ至る鉄路はいずれも短命に終わっています。

さて、現在の浜小清水駅についてですが、駅舎は「道の駅はなやか小清水」との合築で、オープンは平成12年7月1日。改築前は旧事務室部分に喫茶店の入居する駅舎でした。

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浜小清水駅 駅裏

駅裏には、広大とまではいかないまでも、それなりの広さの空き地が広がっていますが、平成19年度および20年度の4月から11月にはこのスペースを使ってDMVデュアル・モード・ビークル)の試験運行列車の発着が行われました。結局JR北海道による実用化には至らず開発が断念されたDMVですが、阿佐海岸鉄道において実用化されることになりました。果たして阿佐海岸に続く実用化例は出てくるのでしょうか。

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鱒浦駅

浜小清水8:50発普通網走行き4726D(キハ54-516+キハ54-511)で鱒浦へ。オホーツク海を見下ろす階段の上に建つ駅で、長らく年季の入った木造駅舎が残っていましたが、平成27年1月にログハウス風の簡易駅舎に改築されました。デザイン的にはよくある簡易駅舎ですが、階段の上に建てるだけで途端に風格が感じられてくるから不思議です。

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鱒のレリーフ

駅名にちなみ、駅舎には鱒のレリーフがいくつか取り付けられています。駅名も付近が鱒の漁場だったことによるもので、扉に描かれた波の絵と合わせて海辺の駅であることを強く感じさせます。駅前には人家がポツポツとあるほかは交通量の多い国道244号が通るばかりのところですが、駅裏の丘の上にはニュータウンが広がっています。とは言え駅裏への近道もなさそうなので、ニュータウン住民が駅を利用する可能性は低そうです。

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藻琴駅

国道244号を30分ほど歩いて隣の藻琴駅へ。道中、廃墟化したドライブインが解体されていました。海辺のちょっとした街中にある駅で、大正13年11月開業時の木造駅舎が現存しています。高倉健さん主演の映画「網走番外地」のロケにも使われたことがあり、映画内には網走駅として登場しました。駅事務室には「軽食&喫茶 トロッコ」が入居しており、訪問時は店主さんが開店準備中でした。

昭和10年から36年までは東藻琴村(現大空町)とを結ぶ東藻琴村営軌道が分岐していました。道路が未整備だった時代に開拓のために建設されたいわゆる殖民軌道・簡易軌道で、道路の整備に伴って昭和40年までに全線が廃止されています。

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オホーツク海に面した北浜駅

藻琴10:37発快速しれとこ摩周号3727D(キハ54-516)で北浜へ。オホーツク海に面した風光明媚な立地で有名な駅で、時期によっては観光客も多く訪れます。ただし、この日は平日で例のウイルスの影響もあってか観光客の姿はほとんど見かけませんでした。

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北浜駅

駅舎は大正11年11月開業時以来の小ぶりなもので、旧事務室部分には喫茶店駅馬車」が入居しています。私がこの駅を知ったきっかけは関口知宏さんが出演されていたNHKの「最長片道切符の旅」という番組で、停車場のハンバーグが紹介されていました。

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停車場ランチ(900円)

せっかくお昼時に訪問したのだからと11時の開店を待って入店。評判に違わず美味しいハンバーグでした。この手のお店と言うのは観光地価格でちょっとお高めなことも多いのですが、停車場ランチは値段の割にしっかりとボリュームもあって、列車待ちの間にお腹いっぱいになることができました。ハンバーグ以外にも色々メニューがあるみたいなので、また来て試してみたいですね。

ちなみに北浜駅への下車を以て釧網本線は全駅制覇となりました。

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美幌駅ホーム

11:38発快速しれとこ摩周号網走行き3728D(キハ54-517)で北浜を後にし、網走で11:58発普通遠軽行き4660D(キハ40-1716+キハ150-1)に乗り換え。当初の予定では12:35発特急大雪4号に乗って一気に旭川まで行く予定でしたが、大雪が運休になってしまったので午後は石北本線のいくつかの駅を再訪することにします。

まずは美幌で下車。約4年半ぶりの訪問です。ホーム上屋は歴史を感じさせる木造のもので、特急停車駅にふさわしい風格を見せていますが、今となっては無人駅です。

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美幌駅

駅舎は昭和60年12月に改築された観光案内所との合築で、網走郡美幌町の玄関口らしく立派な造りです。前回訪問時はまだ有人駅でみどりの窓口もありましたが、今回見てみると窓口にはシャッターが下りて、SLの写真パネルで目隠しされていました。

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左の住宅敷地が相生線跡

美幌からは昭和60年まで北見相生とを結ぶ相生線が分岐していました。その跡地を辿りながら美幌町役場へと向かいます。相生線跡のうち、美幌~旭通(仮)間はほとんどが宅地に転用されていますが、住宅の列が弧を描いているので、航空写真で見ると線路跡がくっきりと分かりやすいです。

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旭通仮乗降場跡

美幌町役場の裏手にあった旭通仮乗降場跡はちょっとした公園になっています。西崎さいき氏の『失われた国鉄・JR駅』には駅名標の写真が載っているものの、現役時代の写真はネット上を見ても少なく、果たして現役当時どのような仮乗降場だったのかよく分かりません。おそらく板張りホームと簡素な待合室といった感じのものだったと思うのですが。

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網走郡美幌町役場

美幌町役場は昭和35年9月に完成したもので、今年で還暦を迎える古い庁舎ですが、デザインのおかげかそれほど古くは見えません。現在、隣接地に新庁舎を建設中で来年5月の完成を目指すとのことです。

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銀座通り?

行きとは別の道を通って美幌駅へと戻ります。道中、こんなものを見つけました。地方の市や町を下調べをせずに歩くと新たな発見があっていいですね

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西女満別

美幌駅に戻り、14:16発普通網走行き4661D(キハ54-515+キハ40-1712)で西女満別へ。こちらも4年半ぶりの訪問。前回は雪が積もっていたうえに日没後だったので周囲の様子がよく分かりませんでした。女満別空港の最寄り駅ですが、周囲は鬱蒼とした森に囲まれているため、「秘境駅」としても知られています。熊でも出そうな雰囲気ですが、駅ノートを見る限り、空港まで歩く人もちょくちょくいるようなので、多分廃止になることはないでしょう。

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北見駅

西女満別14:57発普通西留辺蘂行き4664D(キハ40-1714+キハ40-828)で再び西を目指します。北見では17分の停車。ここは約2年ぶり。停車時間を利用して駅舎を撮影し、北の40記念入場券も購入します。

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西留辺蘂

引き続き4664Dに乗車し、終点の西留辺蘂で下車。終点とは言ってもこの駅には折り返し設備が無いので、列車はこの先の金華信号場まで行って折り返します。5年半前に訪問した時は金華はまだ信号場ではなく駅でした。

折り返し列車を待つうちに学生たちが大勢駅に集まってきました。この利用の多さを思えば当駅始発の列車が設定されているのも分かるというものです。

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相内駅

西留辺蘂16:51発普通網走行き4669D(キハ40-828+キハ40-1714)で相内へ。こちらも再訪ですが、前回訪問時印象に残った待合室のストーブは季節柄消えておりました。駅裏には自動車教習所があるのですが、そちらに置かれているバスの種類が変わったのも前回との違いです。

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留辺蘂

相内17:17発普通遠軽行き4668D(キハ40-1824)に乗車し、留辺蘂での9分停車を利用して駅舎を撮影。こちらも美幌同様に前回訪問時は有人駅でした。駅舎は昭和32年9月改築の国鉄モダニズムスタイルです。美幌駅の場合は売店もあるので無人駅になったからと言ってそれほど寂しさを感じさせませんでしたが、こちらは店などもないので無人化で一気に寂しくなってしまったように思います。

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遠軽駅

18:27 終点遠軽に到着。こちらは2年ぶり4度目の訪問、乗り継ぎの都合上どうしても他の駅より訪問回数が多くなってしまうのですが、この駅舎は何度見ても良いものです。特急オホーツク4号の発車まで50分ほどの時間があるので、セイコーマートへ夕食を買いに行きます。

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瞰望岩

セイコーマートへの道中、遠軽の名物である瞰望岩の前を通ります。迫力のある岩ですが、夕暮れ時に見ると随分と不気味な印象を受けます。心霊スポットにもなっているそうですが、それも頷けます。

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特急オホーツク4号が遠軽駅に入線

夕食を購入してから駅に戻り、19:19発特急オホーツク4号札幌行き74D(キハ183-1501)に乗車。車内は結構空いていました。

編成は札幌方からキハ183-1501+キハ182-511+キロ182-7553+キハ183-9562

途中区間で鹿との接触を避けるために徐行運転をした影響で、旭川には4分遅れで到着

この日はホテルテトラ旭川駅前に宿泊。翌日からはいよいよ宗谷本線駅めぐりですが、ホテルでメールをチェックしていると、衝撃の事実が発覚。帰りの飛行機(7/1のSKY702便)の運休が決まっていたのでした。コロナのため運休自体は仕方のないことですが、いくらなんでも一週間切ってからの運休決定は突然すぎるんじゃないかと思います。振替不可だったのでJALの便で予約を取り直しましたが、この件でスカイマークに対する自分の中での印象が悪くなったのは間違いありません。

6/24 特急オホーツクで網走郷土博物館へ&釧網本線駅めぐり

この日は特急オホーツクで一気に網走まで移動し、午後は釧網本線の駅を巡りました。

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普通札幌行き2723M

恵庭を6:12発普通札幌行き2723M(クハ721-4201)で出発し、札幌へ。さすがは日本最北の百万都市だけあってこの時間からそれなりに人が乗っています。

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特急オホーツク1号

10分の乗り換え時間にキオスクで弁当を購入し、札幌6:56発特急オホーツク1号網走行き71D(キハ182-7556)に乗車。発車直前に乗ったので自由席は全て埋まっており、デッキに立ち客が出ていました。確保すべきは食事よりも指定席券だったのかもしれません。走り出してからしばらく経ってから車掌さんが回ってきたので、車内で指定席券を購入できるか聞いたところ、「可能だが発行に時間がかかるので、岩見沢で通勤・通学客が降りるのを待った方が良い」とのこと。

そして、岩見沢で3号車11Aの席を確保。ネカフェ泊で睡眠不足気味なので旭川までの区間で仮眠を取ります。

編成は遠軽方からキハ183-9561+キロ182-505+キハ182-7556+キハ183-1552

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遠軽で方向転換

信号場や駅跡にルピナスが目立つ北見峠を越え、10:28遠軽着。3分間の停車時間で方向転換を済ませ、引き続き網走を目指します。乗っていて思うのは、旭川まではあっという間なのに上川・白滝・丸瀬布遠軽留辺蘂・北見・美幌・女満別と停車駅間が異様に長いなということです。網走までの所要時間は5時間21分、狭い日本とはいうものの北海道内を移動するだけでこれだけかかるのですから全然狭くありません。

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終点網走に到着

12:17 終点網走に到着。北見で一気に降りてしまったため、3号車には自分以外に乗客一人が乗っているだけという寂しい状況でした。観光客が減っている時期というのはもちろんあるのでしょうが。

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網走駅

網走駅に来るのはこれで3度目ですが、1度目は宿泊だけ、2度目は乗換だけでいずれも日没後。明るい時間にゆっくりと駅舎を眺めるのはこれが初めてです。四角い駅舎は昭和52年12月改築。観光地として有名な特急の終着駅にしては小規模ですが、人口3万の都市の代表駅にしては立派な方でしょう。これから乗る釧網本線の列車は3時間後なので隣の桂台まで歩きつつ網走を観光するとしましょう。

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網走市

網走駅から東へ歩き中心市街へ。シャッターの下りた建物も多いですが、3万都市にしては立派な市街地です。歩道の屋根や山へ向かって少し傾斜のある道に昨年歩いた鹿角花輪の市街地を思い出しました。

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網走市役所

中心市街を通り抜けて網走市役所へ。ここまで来ると海が近いです。現庁舎は昭和39年9月1日より使用開始されたもので、設計は岡建築設計事務所。老朽化のため建て替えが決定しています。

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網走市立郷土博物館

釧網本線の踏切を渡って坂道を登り、網走郷土博物館へ。昭和11年に開館した歴史ある博物館で、設計はフランク・ロイド・ライトの弟子で北海道を中心に活躍した田上義也氏によるもの。赤いドーム屋根は市街地からも見えます。

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一階は剥製をメインに展示

内部も見てみましょう。一階は網走の自然に関する展示がメイン。海の生き物・山の生き物ともに実物の剥製・標本の展示数の多さに驚かされます。夜に見るとちょっと怖いかもしれませんが、写真映えするのはたしかです。

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らせん階段

二階にも上がってみましょう。構図の都合で分かりにくくて申し訳ありませんが、2階には屋上のドームへと続くらせん階段が設置されています。残念ながら上がることはできません。階段の踊り場にはステンドグラスもあり、ちょっと装飾過剰かなという気がしなくもないですが、戦前の輝いていた時代を感じさせてくれます。

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窓の外にキツネ

二階でアイヌに関する資料を見ていると、窓の外に何やら動くものが。博物館の裏庭とも言うべき場所にキタキツネがいました。網走市街地のすぐ裏ですが、自然豊かな場所に建っているんだなというのがよく分かります。

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博物館の前にはエゾリス

一時間ほどかけてゆっくりと室内を見終え、外に出て建物の外観を撮っていると、用事で博物館に来ていたらしい地元のおじいさんが「リスがいるよ」と教えてくれました。それも一匹ではなく、木の上で縄張り争いや追いかけっこをする様子も見られました。至近距離まで近づかず、ズームで撮る分には人間を察知して逃げたりしないものなのですね。展示だけでなく、本物の野生動物も身近に見れて、いい経験でした。

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桂台駅

博物館からぐるりと森を抜けて釧網本線桂台駅へ。板張りホームの簡素な佇まいだけ見ると山奥の秘境駅のようですが、網走市役所の最寄り駅で、屋根付きの階段を登った駅入口は交通量の多い2車線道路に面しています。網走の市街地には一番近い駅ですが、列車本数が少ないため存在感はやや希薄です。

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原生花園

桂台15:13発普通釧路行き4729D(キハ54-525)で原生花園へ。5月1日から10月31日までの期間のみ営業する臨時駅で、小清水原生花園の真っ只中に位置します。昭和39年に仮乗降場として開業し、53年に一旦廃止されるも62年に臨時駅として再開業したという経緯を持つ駅です。

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小清水原生花園

次の列車まで一時間ほどあるので小清水原生花園を堪能。高い草木もなく、荒涼としたオホーツク海に沿って延々と草原の広がる景色はいかにも最果てといった風情を感じさせます。夕方と言っていいような時間帯だったためか観光客も少なく、それなりに景色を楽しむことができました。

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南斜里駅を発車する4731D

原生花園16:41発普通釧路行き4731D(キハ54-522+キハ40-1736)で南斜里へ。途中の知床斜里で22分間停車し、後ろの車両は切り離されました。南斜里では男子学生が同じ列車から下車、自転車であっという間に森の彼方へと去っていきました。

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南斜里駅

南斜里は北海道らしい広大な畑の中にポツンとホームだけが存在する簡素な駅で、普通列車も下り4本・上り2本を除き停車しません。利用客が少ないことから、来年3月のダイヤ改正で廃止となる予定です。「秘境駅」として紹介されることも多い駅ですが、駅前に農家が一軒あり、見える範囲にも何軒かあるため、あまり秘境といった印象は受けませんでした。

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中斜里駅

30分ほど歩き、隣の中斜里駅へ。昭和4年に「猿間川(さるまがわ)」駅として開業した駅で、昭和25年に改称されています。駅舎は開業時からのものと思われますが、左側が減築されています。今でこそ棒線駅ですが、平成9年までは駅裏のホクレン中斜里製糖工場への専用線が分岐していたため、貨物輸送で大いに賑わったようです。無人の駅構内にはルピナスの花が咲き誇っていました。

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知床斜里

中斜里18:24発普通網走行き4732D(キハ54-519)で知床斜里へ。斜里郡斜里町の玄関口で、平成10年までは「斜里」を名乗っていました。駅舎は昭和46年1月改築の鉄筋コンクリート造平屋建てのいわゆる「国鉄モダニズム」のものですが、平成20年1月に改装されてスタイリッシュなデザインになりました。とにかく横に長いので全体像を写真に収めるのは大変です。世界遺産・知床への玄関口のため、駅前バスターミナルからは知床方面へのバスが出ています。

この日は知床斜里駅前の斜里第一ホテルに宿泊。風呂トイレは共用で、ホテルというより旅館といった感じでしたが、お部屋は広くて快適でした。

6/23 四か月ぶりに北の大地へ

6/23から30にかけて四カ月ぶりに北海道へと行ってまいりました。今回の目的は来年3月ダイヤ改正で多くの駅が廃止される予定の宗谷本線。これから就活に向けて忙しくなってくるので、その前に行っておこうという魂胆です。

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品川19:03発エアポート急行羽田空港行き1878K

高田馬場を18:34発山手線内回り1700G(モハE235-2)で出発し、品川で19:03発エアポート急行羽田空港行き1878K(3448)に乗り換えて羽田空港へ。

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今夜乗るのはSKY729便

今夜搭乗するのは20:30発新千歳行きSKY729便。予定では一時間遅いSKY733便に乗る予定でしたが、例のウイルスのせいで欠航してしまったので振り替えとなりました。

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新千歳に到着

気流が不安定のため途中よく揺れましたが、21:50無事に新千歳に到着。一時間遅い便に乗るはずだった予定では、この後新千歳空港内で仮眠してから始発に合わせて南千歳まで歩くことにしていましたが、この時間ならまだ列車が動いているのでさっさと空港から脱出してしまうことにします。

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快速エアポート221号で恵庭へ

急ぎ足で新千歳空港駅ホームに降りると、22:05発快速エアポート221号小樽行き3973M(クハ721-3102)が停車中。乗り込んで一分後に発車、「イランカラプテ」から始まる大橋俊夫さんの渋い声に北海道にいることを実感します。

このまま札幌まで行ってしまうことは可能ですが、あえて途中の恵庭で下車。

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恵庭駅西口

恵庭は札幌のベッドタウンである恵庭市の代表駅。みどりの窓口もあるのでここで明日からの北海道フリーパスを購入。明朝のオホーツク1号に乗車することを考えれば札幌まで行った方が都合がいいのですが、新千歳空港から札幌までの運賃は1150円。一方、恵庭までなら360円。ということで新千歳空港から一番近いネットカフェがある恵庭に泊まることに決めました。最近まで千歳にもネカフェがありましたが、いつの間にか閉店してしまったようです。

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自遊空間恵庭住吉店

10分ちょっと歩いて自遊空間恵庭住吉店へ。建物の形から見るに靴流通センターの居抜き物件ですね。シャワーはなく、漫画の品揃えも少ないですが、まあ小規模店舗ならこんなものだろうと明日に備えてさっさと寝ることにします。ところが、店内がとにかくうるさい。理由はダーツコーナーへの扉を三密防止とやらで開け放していたからで、ブースの方にもパリピな方々の騒ぐ声やダーツの当たる音が響いてきます。23時過ぎには彼らが帰ってしまったのか静かになりましたが、「これは外れのネカフェを引いたな」と思いましたね。感染がどうのこうのより、こういう理由からこの時期はネカフェに泊まらない方がいいかもしれません。

 

翌日は特急オホーツクで網走へと向かいます。

 

6/11 奥三河・濃尾平野をドライブ(保存車・役場・近代建築・名鉄三河線跡など)

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豊橋電気見代発電所

二日目は快活クラブ豊川インター店を早朝5時に出発。早速奥三河の山間へ向けて車を走らせます。この季節、何と言っても日が長くて早朝から活動できるのが魅力ですね。

最初に訪れたのは新城市作手の旧見代発電所明治41年に建てられ、昭和34年まで稼働していた水力発電所で、その後茶工場として使われたそうです。水力発電所としては全国的に見ても古い部類に入りますが、その後川との間に道路ができてしまったため構造がいまいち分かりづらくなっています。発電所当時は正面左手の丸い穴が排水口でここから川へと直接水を放出していたようです。

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見代公民館

その隣にもまた随分と古そうな建物が。見代公民館ですが、バス停前なのでバス待合室としても利用されているのでしょう。ネットにも全然情報が上がっておらず、いつ頃の建物なのかは不明です。

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豊田市下山支所(旧東加茂郡下山村役場)

三河の山間を走り、豊田市下山支所へ。平成16年に豊田市に合併された旧下山村の役場で、昭和61年9月13日に完成したもの。割と新しい役場だけあって整地された高台の上に立地します。隣接して基幹集落センターやJAがあるなど公共建築が集中していますが、元の市街地より一段高い所にあるので生活エリアとは隔絶されたような印象を受けます。

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旧下山郵便局

続いて下山の市街地にある旧下山郵便局へ。昭和6年から47年まで使われていた建物で、T字路の突き当りに優美な姿を見せています。周辺は小規模ながらも商店などが密集しており、村の中心市街らしい風景です。

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豊田市足助支所(旧東加茂郡足助町役場)

また山を越えて今度は足助支所へ。香嵐渓や重伝建で知られる足助は奥三河の山間部では最も大きな街で、険しい山道を越えた先に突然市街地が現れたときには思わずほっとしました。見所も多く、ゆっくりと見ていきたいところですが、今日はこの先まだまだ見なければならないところがたくさんあるので、足助にはいずれゆっくりと時間を取って来ることにしましょう。

足助支所は、下山村と同時に合併された旧足助町の役場で、昭和34年12月12日竣工と随分古い建物ですが、最近補修されたようで表からそれほど老朽化しているようには見えませんでしたが、裏手に回ってみるとさすがに築60年らしい年季の入りようでした。

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巴橋

役場のすぐそばには巴橋という年季の入った橋がかかっています。昭和12年に建造されたものだそうで、古き良き時代の優美さを感じさせる緩やかなアーチが美しいです。

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豊田市旭支所(旧東加茂郡旭町役場)

足助からさらに山奥へと進み、豊田市旭支所へ。こちらは昭和45年5月30日竣工の旧旭町役場で、訪問時はちょうど耐震工事中。50歳を迎えた古い建物ですが、まだまだ使われるようで、今後は安泰です。役場があるのは小渡(おど)の集落ですが、こちらについてはまた後で。

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恵那郡串原村役場

矢作川に架かる小さな橋を渡って県境を越え、ちょっとだけ岐阜県へ。旭支所からほんの5分で旧恵那郡串原村役場に到着。平成16年に恵那市に合併されて消滅した旧串原村の役場で、学校などもある村の中心集落ではなく県境に近い小さな集落の外れに位置します。おそらく戦前の建物だと思いますが、立地が不便すぎて趣味者もほとんど訪れないのか詳細は不明。旧役場の近くには豊田市の旭地域バスのバス停があり、県境を越えた結びつきはかなり強いようです。

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小渡の市街地

岐阜県にはほんの10分ほど滞在しただけで、再び県境を越えて愛知県豊田市に戻り、小渡のファミリーマートで休憩。旭町の前身である旭村の役場は、元は地理的中心である太田に置かれていましたが、昭和15年に交通や商業の中心である小渡に移転。町制施行を経て昭和45年に現在地に移転しました。昨年7月時点での小渡の人口は244人とのことですが、コンビニや温泉旅館もあり、公共施設も集中するなどこの地域の中心にふさわしい景色を見せています。県境近い山間でもちゃんと暮らしがあるんだなという当たり前のことが改めて実感させられます。

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豊田市小原支所(旧西加茂郡小原村役場)

再び険しい山を越えて、今度は小原支所へ。こちらは昭和52年5月31日竣工。前に勢いよく突き出した車寄せが特徴です。庁舎の前には市民憲章(裏には合併前の村民憲章)と二宮金次郎像が立っています。

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豊田市藤岡支所

続いて藤岡支所へ。この辺まで来ると景色もだいぶ開けてきて山を下りてきたことを実感します。藤岡支所は藤岡交流館と合わせて今年3月10日にオープンしたばかりの新しい建物です。昭和43年5月10日竣工の旧西加茂郡藤岡町役場を転用した旧庁舎は跡形もなく消え失せていました。

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三河広瀬駅

役場めぐりはここで打ち切って、旧三河広瀬駅へ。平成16年に廃止された名鉄三河線末端区間の駅で、昭和2年開業時の木造駅舎が保存されています。現在は売店として使用されているそうですが、コロナの影響で休業中でした。駅舎裏手にはホームもそのまま残っており、レールも撤去されていないので今にも列車がやってきそうな雰囲気です。

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下切公民館

続いて西中金駅へ向かう途中、古そうな建物を見つけたので撮影。下切公民館、いつ頃の建物なのかは不明ですがかなりの年季の入りようです。

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旧西中金駅

名鉄三河線のかつての終点・西中金駅へ。昭和3年開業時の木造駅舎が残り、現在は喫茶店となっているようですが、こちらも休業中。歩道拡張工事によりちょっとだけ曳家で移動していますが、概ね現役当時の姿を留めています。当初の計画では線路はこの先足助まで伸びるはずでしたが昭和恐慌や戦争の影響で実現することはありませんでした。利用の少なさゆえに末期は猿投から当駅の間でレールバスが運転され、ギリギリまで経費を削減しながらも営業が続けられていましたが、平成16年4月1日、ついに廃止となりました。駅舎だけは今後も末永く愛されて残ることを祈らずにはいられません。

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鞍ヶ池公園 名鉄ク2313+モ805

午後は保存車を主に巡っていきます。まずは鞍ヶ池公園へ。昭和10年代に製造された名鉄800形2両が屋外展示されています。豊田線開業前の試験列車に使用され、「豊田線を最初に走った電車」である縁から豊田市に寄贈されたという経緯を持つ電車です。

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平芝坂の上公園 名古屋市電1814

続いて平芝坂の上公園(旧豊田市交通公園)へ。D51 849と名古屋市電1814が保存されていますが、バケツをひっくり返したような大雨で撮影も上手くいきません。

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せとっ子ファミリー交流館

豊田市から瀬戸市へ抜け、せとっ子ファミリー交流館へ。詳細は分かりませんが、かっこいいモダニズム建築です。焼き物の街らしく側面には焼き物のレリーフが取り付けられています。交流館になる前はなんの建物だったのでしょうか。

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名鉄モ766

続いて瀬戸市民公園へ。保存車のうち名鉄モ766は瀬戸電気鉄道昭和2年6月に製造した車両で、後に揖斐線に転属して昭和53年8月まで活躍しました。当地に保存されてから40年以上経ちますが、最近は塗り直されていないらしく保存に際して塗られたグリーンが剥がれて引退時に纏っていたスカーレットの塗装が見えています。屋根があるので幸い車体自体の痛みはほとんどないようですが塗装はボロボロ、窓は割れて痛々しい雰囲気です。近所に住んでいたら市役所の方にボランティアでも申し出て補修を手伝うくらいしたいなと思いますが。あと、周りを囲むフェンスがどうにかならないものかと思います。とにかく写真を撮りづらくて仕方ありません。同型車には揖斐町で保存されたものや北恵那鉄道に転じ、その後保存されたものもありましたが、現存するのはこの車両のみという貴重な存在なので、解体されることなく生き残ってほしいと思います。

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名鉄デキ202

もう一両の保存車デキ202は、昭和2年5月に製造された凸型電機で、昭和53年6月の貨物廃止まで瀬戸線での活躍を全うしました。日当たりの関係からかモ766ほどではありませんがこちらも結構色褪せています。

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桃花台新交通111

今度は豊田市の工場や倉庫の立ち並ぶエリアへ。工務店の敷地内に桃花台新交通ピーチライナーの先頭車が保存されています。短命に終わった悲劇の新交通システムですが、車両の方は今なお大事にされているようで、塗装も最近塗り直されたらしく綺麗でした。

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名古屋市電1603

続いて刈谷市交通児童公園へ向かいましたが、コロナのためか休園中で外からしか見れませんでした。名古屋市電1603とD51 777が保存されています。

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日本油脂専用線モ101

続いて武豊町長尾児童館へ。敷地内に日本油脂専用線で活躍したモ101が保存されています。そのルーツは都電杉並線の前身である西武軌道線で活躍した大正11年枝光鉄工所製202で、昭和28年5月に鋼体化されて西武多摩湖線モハ106となり、一年足らずでモハ103に改番、昭和36年8月に車体延長の上日本油脂専用線に譲渡されてモ101となり、昭和58年まで工員輸送に活躍しました。撮影に際しては児童館の受付で許可を頂きましたが、ご厚意で色々とお話を聞かせてもらいました。現在、車内はおもちゃ工房の出張所として使っており、車体の補修は工房の方々に行ってもらっているんだそうです。予算が少ない中での維持は大変だとおっしゃっていましたが、当分は残るだろうとのこと。貴重なお話をありがとうございました。

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HSST-03

今度は一時間ほど走り、岡崎南公園へ。リニアモーターカーの試作車HSSTが保存されています。リニアの保存車とはこれまた珍しい存在ですが、この車両は昭和60年の筑波万博と61年のバンクーバー国際交通博覧会、62年の岡崎葵博覧会でデモ走行を行ったものです。博覧会終了後も岡崎に留まり、平成2年8月31日まで180mの軌道を走行していました。

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D51 688

D51 688は昭和17年8月13日製造、米原機関区に新製配置され、中部地方を中心に活躍。昭和48年6月16日に中津川で廃車の時を迎えました。定期的にボランティアによって管理が行われています。

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名鉄モ401

名鉄モ401は一形式一両しかいなかった珍車です。大正15年に美濃電気軌道が製造した木造車がルーツで、昭和27年に2両分の車体を組み合わせて連接車としました。輸送力の大きさゆえに現場や乗客からは好評でしたが、改造費用が高くついたことから増備されませんでした。昭和48年12月に廃車となり、翌年2月に当地にやってきましたが、現役当時の活躍路線は揖斐線谷汲線なので、岡崎とは縁もゆかりもありません。あくまでも想像ですが、岡崎市から保存車両を譲ってくれと話が来たときに、この珍車に思い入れのあった人物が担当者として、この車両を選定したのかもしれません。試作車や珍車の類というのは鉄道会社から黒歴史扱いされることも多いので、よくぞ今まで残ってくれたと思います。

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はしご車

公園内にははしご車も保存されています。車にはあまり詳しくないのと説明板を撮り忘れていたので説明は省略。

 

この後、豊橋まで車を走らせ、返却。豊橋19:32発快速特急新鵜沼行き203(3210)で金山へ向かい、金山駅北口22:40発VIPライナー名古屋1便で東京へと帰りました。

6/10 三河・遠江をドライブ(保存車・旧郵便局・三河田口駅跡など)

例のウイルスによる騒動もようやく落ち着いてきた6月上旬、友人と共に愛知県東部・静岡県西部をドライブしてきました。

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早朝の豊橋に到着

東京日本橋を22:30に出発した東京VIPライナー名古屋1便が豊橋駅前に到着したのは4:26

さすがに日の長い6月ともなれば4時台でも十分な明るさがあります。こんなに明るいのに街には人影もなく列車も動いていないとなると不思議な感じがします。

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豊橋鉄道3203

6時近くなってようやく路面電車が動き出します。2時間ほど豊橋鉄道東田本線を撮影し続けましたが、ひっきりなしにやってくる電車がどれも学生で満員になる豊橋の朝ラッシュの激しさはなかなかのものです。

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豊橋鉄道ク7202保存車

レンタカーを借りてまずは豊橋市郊外の一幸建設敷地内に置かれている豊橋鉄道ク7202を見に行きました。名鉄7300系を譲り受け、昇圧による渥美線近代化と車両統一に貢献した車両ですが、足の遅さと2扉クロスシートがネックとなり、わずか3年で元東急7200系の1800系に置き換えられて廃車となりました。そんな悲運の車両の割には保存車が多いのも特徴で、確認出来る限り、愛知県豊橋市静岡県森町・大阪府河内長野市奈良県野迫川村に現存しています。豊橋市内のク7202は建設会社の看板としての役目を果たしているようでした。

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田原市赤羽根行政センター(旧渥美郡赤羽町役場)

続いて知多半島を西へ向かい、旧赤羽根町役場へ。庁舎は昭和53年3月7日に竣工したもので、立派な車寄せが特徴。玄関ホールには竣工当時の総理大臣・福田赳夫の揮毫した「赤羽根町役場」の扁額が飾られています。赤羽根町は平成15年の合併で田原市となりました。

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豊橋鉄道デワ11

少し北上し、サンテパルクたはらへ。駐車場に豊橋鉄道の車両が保存されています。そのうち真っ黒なデワ11は、渥美電鉄が開業時に日本車輛で製造した木造単車デハ102がルーツで、戦時中に電動貨車へと改造されて入換用として平成まで生き残っていました。改造されているとはいえ木造単車自体ほとんど残っておらず、かなり貴重な存在といえます。

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豊橋鉄道デキ211

もう一両のデキ211は、名鉄豊橋線の前身である愛知電気鉄道が大正14年に日本車輛で製造したデキ362をルーツとする凸型電機で、昭和59年の貨物廃止後も入換用として残っていました。2両とも模型にしたくなるような好ましいスタイルで、屋外保存の割に状態は悪くなさそうです。

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新旧の泉郵便局

サンテパルクたはらを後に、旧泉郵便局へ。昭和8年に建てられた平屋の旧局舎が現局舎に隣接して残っています。田原市には他に旧野田郵便局も残っていたそうですが、地図を頼りに行ってみると更地で、いつの間にか解体されてしまったようです。

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菊川市役所小笠支所(旧小笠郡小笠町役場)

向きを180度変えて今度は東へ。県境を越えて浜名湖を横目に見てしばらく走り、菊川市小笠支所の旧庁舎へ。定礎によれば昭和45年8月に建てられた旧小笠町役場で、平成17年に菊川町と合併して菊川市となってからもしばらくは支所として使われていました。平成29年に新庁舎に移転してからは閉鎖されているようです。隣接して水道事務所があるので、ひょっとするとそちらの物置として使われているのかもしれません。

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ねむのき学園のバスと名鉄563

続いて掛川市の山奥にあるねむのき学園入口へ。何もないキツイ山道の先に突然バスと電車が現れるので驚きますが、実は電車の裏手の木の奥に施設があります。バスは昭和55年に日野自動車で製造されたものですが、どこの事業者で使われていたのかは不明。電車の方は昭和31年に北陸鉄道金沢市内線モハ2203として製造されたもので、昭和42年の路線廃止に伴って名鉄に譲渡され、昭和58年まで使用されました。割と最近黄緑に塗り直されたようです。

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豊橋鉄道モ7303

山を下りて周智郡森町へ。フェンスで囲われた広い空き地の真ん中に豊橋鉄道7300系がポツンと置かれています。あまりに酷い雨だったので数枚だけ撮って撤退しました。

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天竜二俣

続いて天竜浜名湖鉄道天竜二俣駅へ。二俣線開業80周年記念入場券を購入。二俣線は良い駅舎が多いそうなのでいつかゆっくりと駅めぐりをしてみたいと思います。

この後、駐車中の車内でコンビニ弁当を食べたのですが、これがこの後の行程にとって良くない事態を招くこととなります。

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浦川郵便局

二俣からは県道295号、9号などを通り、飯田線沿線に抜けて旧浦川郵便局へ。この県道9号というのがとんでもない山道で、睡眠不足に食事後というのが重なって、吐く寸前という感じまでに車酔いしました。飯田線沿いに出るまでつづら折りの山道が延々と続くものですから、本当に生きた心地がしません。でもそんな道でも時折集落が現れて、こんな土地にも生活があるのだなと実感させます。大都市圏で育った私には想像もつきませんが、果たしてどのような暮らしなのでしょうか。

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北設楽郡東栄町役場

またちょっとした山越えをして愛知県に入り、東栄町役場へ。東栄町には飯田線が通っていますが、役場のある町の中心は駅から随分と離れたところにあります。庁舎は昭和32年に建てられた古いもので、閉口になった本郷高校の校舎に機能を移転する計画もあったそうですが、結局実現せず古い庁舎での業務が今日も続けられています。

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三河田口駅跡

さらに山を越えて今度は設楽町へ。結構な山奥に突如現れる立派な田口の市街地を一旦通り過ぎて寒狭川沿いに下り、三河田口駅跡へ。昭和43年に廃止された田口鉄道(豊橋鉄道田口線)の終着駅でしたが、この先さらに山間へと森林鉄道が伸びていました。木材運搬の利便性と、地形の都合で田口の市街地から離れた不便な立地でした。駅舎は廃止後も朽ち果てながら残存していましたが、平成23年8月21日に完全に倒壊したそうです。駅跡地は現在建設中の設楽ダムの底に沈む予定なので、見るなら今が最後の機会でしょう。

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ホーム跡から清崎方面を見る

ダム建設工事に伴って整地されたこともあって、駅の痕跡はほとんど失われてしまいましたが、ホームの縁のコンクリートだけが盛り土の下からわずかに顔を見せています。

昭和40年9月17日の水害によって清崎~三河田口間が不通となり、その後復旧することなく廃止となったため、この駅に列車が来なくなってから実に55年の年月が経つことになります。湖底の底に沈むことになるまであと6年、森林鉄道の痕跡の方も気になるので就活が終わったらまた来たいと思いますが、果たしてその時この駅は立入り可能なまま残っているでしょうか。

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田口鉄道モハ14

三河田口駅跡の次は奥三河郷土館へ。田口鉄道で活躍していたモハ14が保存されています。大正14年の電化時に豊川鉄道が製造した木造電車で、国有化を経て田口鉄道に譲渡され、廃止まで活躍しました。奥三河郷土館は現在休館中で来年をめどに清崎駅跡近くに移転予定で、モハ14もそれに合わせて移設されるとのことです。

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大草トンネル

続いて三河大草駅を目指しましたが、どうやら駅跡は大草トンネルの先の模様、時刻も18:38と暗くなってきている上に懐中電灯もないのでトンネルを越えて駅跡へ向かうのは諦めました。またいずれリベンジすることにしましょう。

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新城市鳳来総合支所(南設楽郡鳳来町役場)

日が暮れる前になんとか山を下り、鳳来総合支所へ。平成17年の合併で新城市となった旧鳳来町役場で、昭和45年竣工。老朽化が進むことから再開発される予定です。

ちなみに合併時の鳳来町長は現新城市長の穂積亮次で、岡山大学北津寮襲撃事件で寮生を殺害し、指名手配された経歴を持つ人物だそうです。

 

この日は来来亭豊川店で夕食を取ってから快活クラブ豊川インター店に宿泊しました。翌日も奥三河方面へと向かいます。

 

4/7 密を避けつつ桜咲く京都丹後鉄道駅めぐり

この日は京都丹後鉄道の駅を巡りました。この日より緊急事態宣言が発令されたので、この日を最後に5月いっぱい、ほとんど出かけることはありませんでした。

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福知山停車中のKTR301

宝塚を7:14発丹波路快速福知山行き2711M(クハ222-6106)で出発し、福知山でタンゴ・エクスプローラー30周年記念企画きっぷを購入してから9:13発普通宮津行き105D(KTR301)に乗車。行こうと思えばいつでも行ける場所にある路線でしたが、ちゃんと乗るのはこれが初めてです。

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公庄駅

まずは5駅目の公庄で下車。築堤上にある無人駅で、ホーム上に頑丈そうな待合室があります。愛称は「渡船場の駅」で、駅のすぐそばを流れる由良川の渡船場に由来するそうです。駅周辺には人家がそれなりにありますが、平成30年度の一日平均乗車人員は0人とのこと。訪問時は桜が満開でした。昭和49年までは駅の西側に北丹鉄道の公庄駅が存在したそうですが、特に痕跡などは残っていないようです。

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福知山市民病院口駅

公庄10:02発普通福知山行き108D(MF101)で福知山市民病院口へ。宮福鉄道北近畿タンゴ鉄道時代は「厚中問屋」を名乗っていた駅で、平成27年のWILLER移管の際に改称されました。一見複線区間の駅のようにも見えますが、ホームのない右側の線路はJR山陰本線です。開業年次が新しいためか、幹線である山陰本線よりも支線である宮福線の方が規格が良さそうに見えます。愛称は旧駅名の「厚中問屋駅

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福知山運転所

次の列車まで一時間ほどあるので、徒歩で隣の荒河かしの木台へ。駅の福知山方には宮福線車両基地である福知山運転所があります。このため、かつては荒河かしの木台止まりの列車も設定されていましたが、平成19年3月ダイヤ改正で廃止されています。

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荒河かしの木台駅

ホームは相対式2面2線で、地下通路により結ばれていますが、駅舎はありません。駅の西側には「かしの木台」というニュータウンがありますが、そちら側には出口が無いので不便そうです。この駅も福知山市民病院口と同様に山陰本線との並行区間にあり、JRからの直通列車は当駅の手前で渡り線を通って宮福線へと乗り入れてきます。

愛称は「かしの木駅」でそのまんまです。

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二俣駅

荒河かしの木台11:19発普通宮津行き107D(MF201+MF101)で二俣へ。駅舎はありませんが、駅入口に公民館が建てられています。愛称は「和紙の里 猿田彦神社前駅」で、ホームの向かいに猿田彦神社の鳥居が見えます。平成30年度の一日平均乗車人員は0人で、公民館の方も人の気配がなく、建物の汚れがやたら目立ちます。

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牧駅

二俣11:50発普通福知山行き112D(MF102)で牧へ。築堤上にある相対式ホームの駅で、駅舎はありません。駅周辺は田園地帯ですが、ホームの位置が高いだけあって見晴らしなかなかのものです。愛称は「サケの遡上駅」で、駅近くの牧川にサケが遡上してくることに由来します。

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大江高校前駅

牧12:28発普通宮津行き109D(KTR301)で大江高校前へ。いかにも鉄建公団線といった趣の無機質な高架駅です。駅名の示す通り府立大江高校の最寄り駅で、通学生の利用があるため宮福線の中間駅では最大の利用者数を誇ります。ただし大江高校までは600mほど離れているため駅から直接は見えません。愛称は「元伊勢外宮駅」

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下天津駅

大江高校前12:56発普通福知山行き114D(MF101)で下天津へ。大江高校前同様に鉄建公団線らしさを感じさせる無機質な高架駅です。愛称は「はななみ峠駅」で、駅近くの瘤木集落にある花並山と花並峠に由来します。訪問時は駅前の桜が満開でした。

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宮村駅

下天津13:28発快速大江山3号803D(KTR302)で宮村へ。築堤上にある相対式ホームの駅で、宮津市街が近いためか建物も多く開けた印象を受けます。訪問時はこの手の駅では珍しく同業者と遭遇しました。宮津市内の駅のため愛称は設定されていません。

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大江山口内宮駅

宮村13:30発快速大江山2号802D(KTR708)で大江山口内宮へ。福知山市大江町宮津市の境界付近の山の中にある駅で、駅前には大江山国定公園案内所のほかに建物はなく、集落は少し離れています。今年2月14日放送の「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」では秘境駅として紹介され、団長安田さんが調査に来ました。

愛称は「元伊勢内宮駅」で、駅近くの皇大神社に由来します。宮福線の駅には珍しくホームは島式です。

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宮津駅

大江山口内宮13:54発普通宮津行き111M(クモハ112-5305)で宮津へ。宮福線宮舞線・宮鶴線の3線が乗り入れる丹鉄のターミナル駅で、駅舎2階には丹鉄の本社も入居しています。北口駅舎は平成2年の宮津線3セク転換時に改築されたもので、宮津市の玄関口だけあって広い待合室を備えています。

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宮津駅南口

小ぶりな南口駅舎は昭和63年の宮福鉄道開業時に建てられたもので、早朝・夜間は閉鎖されます。いかにも裏口といった感じで駅前は住宅街で、商店等はありません。

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西舞鶴駅

宮津15:28発普通西舞鶴行き232D(KTR803)で終点の西舞鶴へ。城下町として栄えた舞鶴市西舞鶴(丹後田辺)の玄関口で、JR舞鶴線との乗換駅です。JRの駅舎は平成11年9月に改築されたガラス張りの橋上駅舎で、西口の片隅に間借りするように丹鉄の駅舎があります。

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西舞鶴に留置されるタンゴエクスプローラー

西舞鶴駅に隣接して丹鉄の車両基地である西舞鶴運転所があり、公道から見える位置にタンゴエクスプローラーが留置されています。車体の錆がひどく、最近はほとんど運用されていないようで今後が気にかかります。

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特急たんごリレー7号

西舞鶴16:37発普通豊岡行き241D(KTR801)で帰途に就きます。宮津で17:11発特急たんごリレー7号福知山行き4006D(KTR8011)に乗り換えて福知山へ。福知山からは18:12発丹波路快速大阪行き2776M(クモハ224-6013)で宝塚へと帰りました。

4/2 密を避けつつ宇野線・山陽本線駅めぐり

この日は密を避けつつ宇野線山陽本線の駅を巡りました

 

宝塚を5:37発普通京都行き1102C(クモハ207-1028)で出発し、尼崎で6:04発快速姫路行き701M(モハ225-310)に乗り換え。大阪環状線内で発報された緊急停止無線を受信したため大阪駅手前で停止したことにより8分遅れで尼崎を発車しました。当初の予定では姫路で7:31発普通新見行き1307Mに乗り継ぐ予定でしたが、遅延により乗り継げなかったので8:01発普通岡山行き1309M(クハ111-2070)に乗り換えて岡山へ。

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早島駅

岡山からは9:41発普通児島行き531M(クハ115-1235)で早島へ。岡山で最も面積が小さく、最も人口密度が高い都窪郡早島町の玄関口で、快速マリンライナーの一部列車が停車します。昭和31年3月改築の駅舎はブロック造りで、訪問時はみどりの窓口が営業していましたが、4月10日を以て営業を終了し、無人駅となりました。駅前には市街地が形成されていますが、駅裏は一面の田んぼです。

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備前西市駅

早島10:15発普通岡山行き530M(モハ114-1155)で備前西市へ。岡山市南区の住宅街の中にある駅で、駅舎はありません。対向式ホームのそれぞれの岡山寄りに出入口が設置されているほか、跨線橋も設置されています。昭和27年まで駅の所在地は旧御津郡芳田村でしたが、今ではマンションや住宅が立ち並び、すっかり県庁所在都市の郊外らしい景観を見せています。3月14日ダイヤ改正からは当駅折り返し列車も一日一往復設定されるようになりました。

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茶屋町駅東口

備前西市10:44発普通児島行き533M(クハ115-1120)で茶屋町へ。宇野へ向かう宇野線と四国へ向かう本四備讃線の分岐駅ですが、特急の通る本四備讃線に直通する列車の方が多いため、宇野線の方が支線のように見えます。駅舎は昭和63年3月の本四備讃線児島開業に合わせて高架化されたもので、構内は島式2面3線です。駅名は昭和47年5月に倉敷市編入された旧都窪郡茶屋町に由来していていますが、町名が「ちゃやちょう」なのに対し、駅名は「ちゃやまち」と異なっています。昭和47年4月までは下津井電鉄が乗り入れており、部分廃止後もホームが残されていましたが、駅高架化に伴って撤去されています。

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八浜駅

茶屋町11:14発普通宇野行き1647M(クハ115-1203)で八浜へ。昭和30年2月に玉野市編入された旧児島郡八浜町の駅で、昭和45年5月に無人化されています。1番ホーム上にはブロック造りの待合室があり、平成28年3月に「瀬戸内国際芸術祭2016」に合わせてアート化されています。イタリア出身の現代アート作家、エステル・ストッカー氏のデザインになるものだそうで、宇野・備前田井・常山も同時にアート化されています。

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彦崎駅

八浜11:46発普通茶屋町行き1650M(クモハ213-7)で彦崎へ。明治43年に「味野(あじの)」駅として開業し、大正3年7月に改称された駅です。八浜と同時に無人化されており、駅舎はありませんが、1番ホーム上に大正7年9月築の木造待合所が、2番ホーム上に昭和46年3月設置のブロック造りの待合室があります。所在地は平成17年まで旧児島郡灘崎町でしたが、合併により岡山市南区となりました。

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備前田井駅

彦崎12:14発普通宇野行き1649M(クハ213-101)で備前田井へ。玉野市の市街地を見下ろす斜面にあるホームだけの無人駅で、ホーム同士は遮断機のない構内踏切で結ばれています。1番ホーム上の待合室は平成28年10月にアート化されました。

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備前片岡駅

備前田井12:44発普通茶屋町行き1652M(クモハ213-7)で備前片岡へ。平成17年3月に岡山市編入された旧児島郡灘崎町の役場最寄り駅ですが、駅舎のないシンプルな無人駅です。開業は昭和14年1月1日ですが、翌年11月1日に営業休止となり、再開されたのは10年後の昭和25年11月14日でした。

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宇野駅

備前片岡13:18発普通宇野行き1651M(クハ213-101)で終点の宇野へ。玉野市の代表駅で、かつては宇高連絡船への乗換駅であったため四国への玄関口として栄えていました。連絡船廃止後の平成6年12月に岡山寄りに移転改築され、再開発が行われたため連絡船時代の面影はほとんど残っていません。縮小・再開発された港町の終着駅という点に稚内駅と似たものを感じるのですが如何でしょうか。

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迫川駅

宇野13:41発普通茶屋町行き1654M(クモハ213-7)で迫川へ。明治43年に「由加(ゆが)」駅として開業した駅で、昭和27年11月に改称されました。由加の駅名は由加神社本宮に由来するもので、駅名標を模した説明板が設置されています。

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由加駅の説明板

何らかの事情で改称された駅は全国に数多くあれど、旧駅名についての説明がある駅となるとなかなか見かけないのが現状です。

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常山駅

迫川14:21発普通宇野行き1653M(クハ213-101)で常山へ。備前片岡と同時に開業、翌年に営業休止し、戦後に再開という同じ経緯を辿った駅で、宇野線では唯一の棒線駅です。待合室は平成28年7月にアート化されました。所在地は玉野市で、昭和29年4月までは旧児島郡荘内村でした。駅名は目の前にある「常山」という山に由来しており、訪問時は中腹の桜が綺麗に咲き誇っていました。

 

常山14:52発普通茶屋町行き1656M(クハ213-7)と茶屋町15:09発普通岡山行き540M(クモハ115-1550)を乗り継いで岡山へ。宇野線の駅はまだ少しだけ残っていますが、次の機会に回すとしましょう。

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鴨方駅

岡山15:36発普通三原行き427M(クハ115-1239)で鴨方へ。旧浅口郡鴨方町金光町寄島町が合併して平成18年3月に誕生した浅口市の代表駅です。開業時の所在地は浅口郡六条院村で、町制施行を経て昭和30年の合併で鴨方町となりました。開業にあたっては六条院と鴨方での誘致合戦や水運衰退を懸念した鴨方村民の一部による反対などで、所在地を六条院、駅名を鴨方とすることで落ち着いたという経緯があるそうです。

駅舎は平成23年3月に完成した近代的な橋上駅舎で、ホームは島式。旧駅舎のあった北口駅前には旧駅舎の上屋に使われていた支柱の一部が保存されています。

なんとも立派な駅舎ですが、4月10日でみどりの窓口の営業を終了、同時に無人化されました。

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西阿知駅

鴨方16:28発普通姫路行き1760M(クハ111-2115)で西阿知へ。平成26年9月7日以来5年半ぶりの訪問です。この駅も4月10日で無人化されるとのことで再訪しました。

昭和28年に倉敷市編入された旧浅口郡西阿知町の駅で、大正9年5月25日開業なので、今年5月25日で開業100周年を迎えました。ただし、駅舎の建物財産標には「大正7年7月」とあるので、駅舎は開業よりだいぶ前に完成していた可能性があります。いずれにせよ100年ものの駅舎ですが、よく手入れされているのでそれほど古さは感じさせません。無人化後も末永く残ることを祈るばかりです。

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万富駅

西阿知16:54発普通岡山行き432M(クハ111-256)と岡山17:34発普通吉永行き722M(クモハ115-1546)を乗り継いで万富へ。縁起駅名として知られる駅で、昭和12年11月改築の木造駅舎が残されています。明治30年の開業以来、所在地は磐梨郡太田村→赤磐郡太田村→赤磐郡万富村→赤磐郡万富町→赤磐郡瀬戸町→岡山市岡山市東区と6度も変化しています。みどりの窓口は令和元年5月31日限りで営業を終了、翌6月1日より無人駅となりました。

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2番線に停車中の工臨列車

訪問時、2番ホームにはDD51 1179牽引の工臨列車が停車していました。普通列車を退避してから発車するのかと思いきや、ずっと停車したままでした。

 

万富からは18:23発普通姫路行き1330M(クハ111-253)、姫路19:26発新快速長浜行き3526M(クモハ223-2048)、尼崎20:28発快速宝塚行き5525M(クモハ320-6)を乗り継いで宝塚へと帰りました。