まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

8/23 残暑の越後線・弥彦線・信越本線駅巡り

この日も引き続き越後線弥彦線信越本線の駅を巡りました

出雲崎

柏崎5:32発吉田行き121M(クモハE128-103)で出発し、出雲崎へ。三島郡出雲崎町の玄関口で役場も近いですが、本来の港町・出雲崎からは離れた内陸部に位置しています。良寛堂を模した駅舎は昭和56年11月改築で、令和3年3月12日まではみどりの窓口も設置されていました。大正元年12月28日開業時の所在地は三島郡西越村で、昭和32年6月30日に出雲崎町と合併して三島郡出雲町となり、即日改称で出雲崎町となりました。

小木ノ城

出雲崎6:27発柏崎行き122M(クモハE129-120)で小木ノ城へ。地元の請願により昭和33年6月25日に開業した駅で、駅前には当時の郵政大臣田中角榮揮毫の竣工記念碑が建っています。ホーム上にコンクリート造の待合室があり、ベンチは簡素な造りの増築部にのみ置かれています。駅名の由来は近くの城跡。

矢作駅

小木ノ城6:59発東三条行き125M(モハE129-7)と吉田8:06発弥彦行き264M(クモハE129-107)で矢作へ。西蒲原郡弥彦村役場の最寄り駅で、近くには日本一の大鳥居もあります。昭和59年3月31日改築の駅舎は彌彦神社をイメージして柱が朱色に塗られています。駅周辺は明治34年11月1日の合併まで西蒲原郡矢作村でした。

燕駅

矢作8:25発吉田行き265M(クモハE128-107)と吉田8:57発東三条行き229M(クモハE128-115)で燕へ。洋食器の生産で有名な燕市の代表駅ですが、今年3月18日に無人化されています。いくら隣に新幹線駅があるとはいえ、こんな大きな駅を無人化してしまうのはいかがなものでしょうか。昭和43年3月26日改築の駅舎は主要駅らしく大きなもので、その広さが余計に寂しいです。駅裏にはかつて新潟交通電車線の駅がありました。

日本基督教団 燕教会

燕も歩いてみたい街ではありますが、暑いので駅近くの燕教会とその周辺だけを撮影。燕教会はヴォーリズ事務所の設計で、昭和5年に建てられ、39年と45年に増築されています。

西燕駅

燕10:08発弥彦行き228M(クモハE129-115)で西燕へ。昭和29年12月25日に開業した駅で、駅舎の建物財産標には昭和30年3月20日の日付があります。駅舎はモルタルの古いもので、駅前より一段高いところに建っています。

北三条駅

西燕10:30発東三条行き231M(クモハE128-107)で北三条へ。「北」とつくものの三条市の中心部に最も近い駅で、平成9年9月15日に高架化されています。ホームは一本でこじんまりとした印象の高架駅です。

石黒医院旧館

旧:渡辺医院

旧:小出医院

旧:外山虎松商店

駅南側は三条市中心市街で、近代建築も多く残っています。せっかく昼時なので散策の途中にラーメンを食べようと予定していましたが、臨時休業で食べ損ねました。

燕三条

北三条12:13発吉田行き232M(クモハE129-107)で燕三条へ。三条市燕市に跨る上越新幹線との乗換駅で、書類上の所在地は三条市です。弥彦線ホームは1面1線で、利用者の多さの割に無人駅扱いです。

東三条駅

燕三条12:43発東三条行き235M(クモハE128-115)で東三条へ。信越本線弥彦線の分岐駅で、三条市の代表駅です。新幹線停車駅の燕三条を差し置いて三条市内で最も利用者の多い駅で、燕三条からは無くなってしまったみどりの窓口も残っています。駅舎は昭和34年1月26日改築で、平成28年4月15日に三条凧合戦の六角凧をモチーフに改装されています。明治30年11月27日に北越鉄道の終点「一ノ木戸」として開業、越後鉄道(現:弥彦線)乗入れ翌年の大正15年8月15日に改称されました。弥彦線はかつて越後長沢まで伸びていたものの昭和60年4月1日に廃止されています。

田上駅

東三条13:06発普通新潟行き445M(クモハE129-19)で田上へ。南蒲原郡田上町の町名を名乗る駅ですが、役場へは羽生田駅の方が近いです。昭和60年12月3日改築の駅舎内には駅そばを食べることができる「田上駅あじさい売店」があり、小さな無人駅には珍しい駅そばのある駅として知られています。昭和18年9月22日に田上信号場として開業、昭和21年6月5日に仮駅として旅客扱いを開始し、昭和24年5月28日に駅に昇格しました。

保内駅

田上13:41発普通長岡行き440M(クモハE128-15)で保内へ。植木の生産が盛んな三条市保内地区にある駅で、駅舎は平成12年2月29日改築。昭和18年9月20日に保内信号場として開業、昭和24年8月1日に駅に昇格しました。開業時の所在地は南蒲原郡大崎村で、明治34年11月1日の合併までは南蒲原郡保内村でした。大崎村は昭和29年11月1日に三条市編入されています。

矢代田駅

保内14:09発普通内野行き447M(クモハE129-127)で矢代田へ。平成17年3月21日に新潟市編入された旧:中蒲原郡小須戸町の駅で、みどりの窓口も設置されています。駅舎は平成20年6月14日に橋上化。駅周辺は明治34年11月1日の合併で小須戸町となるまでは中蒲原郡矢代田村でした。

加茂駅

矢代田14:35発普通長岡行き442M(モハE129-3)で加茂へ。加茂市の代表駅で、特急「しらゆき」が停車し、みどりの窓口も設置されています。駅舎は昭和34年1月改築で、待合室内にはセルフレジによる無人のキオスクがあります。かつては駅舎内に医院も入居していました。昭和60年3月31日までは駅裏に蒲原鉄道の駅がありました。

羽生田駅

加茂15:13発普通新潟行き449M(クモハE129-15)で羽生田へ。南蒲原郡田上町役場の最寄り駅で、平成20年2月に個性的なデザインの駅舎に改築されています。令和3年1月31日にみどりの窓口が廃止され、今年3月17日に無人化されました。駅周辺は明治34年11月1日の合併で田上村となるまでは南蒲原郡羽生田村でした。

押切駅

羽生田15:43発普通長岡行き444M(クモハE128-16)で押切へ。平成17年4月1日に長岡市編入された旧:南蒲原郡中之島町の駅ですが、長岡市見附市との境界近くにあり、町の中心からは大きく離れていました。駅舎は平成7年3月16日改築。駅周辺は明治34年11月1日の合併までは南蒲原郡神通村で、今でも農協支店名に異表記の「上通」の地名が残っています。駅名の由来は駅がある池之島に隣接する押切新田。

三条駅

押切16:25発普通新潟行き453M(クモハE128-3)で三条へ。三条市街の東南部に位置し、どちらかと言うと「南三条」を名乗った方が良さそうな立地の駅で、風格ある木造駅舎が残っています。市名を名乗るものの、代表駅としての地位は東三条駅に奪われ、駅前も閑散として町外れのような雰囲気です。

北条駅

3分遅れの三条17:06発普通長岡行き446M(クモハE128-15)と長岡17:37発普通直江津行き1344M(クモハE128-134)で北条(きたじょう)へ。毛利氏がかつて拠点とした北条城址の最寄り駅で、駅舎は平成3年12月改築。大江広元の子・毛利季光を祖とする毛利氏はかつて越後を拠点としており、後に中国地方の雄となる安芸毛利氏は越後毛利氏から分かれた一族です。駅舎内には越後毛利氏の説明が貼られていました。駅周辺は昭和46年5月1日の柏崎市編入まで刈羽郡北条町でした。

北条18:35発普通長岡行き1343M(クモハE129-132)で長岡へ。予定では越後広田も降りるはずでしたが行程に無駄が多く、あまりの湿度に嫌気がさしたので涼しい季節に来た時に回すことにしました。長岡駅大手口21:25発Willer EXPRESS SY3691E便で関西に帰りました。