4/26 葉桜のしなの鉄道線駅巡り
4/26~27の二日間、信州の駅を巡りました
大阪駅JR高速BT22:20発の青春ドリーム1号が長野駅メトロポリタンに着いたのは定刻より30分以上早い5:38。早速長野駅で軽井沢・長野フリーきっぷを購入ししなの鉄道に乗車します。
長野5:57発普通軽井沢行き2614M(クモハSR112-203)で滋野(しげの)へ。大相撲史上最強の力士と言われる江戸時代の力士・雷電爲右エ門の出身地にある駅で、開業時以来の木造駅舎が現役です。駅舎内にはしげのマツバタクシーが入居し、令和4年3月末までは駅業務が委託されていました。大正12年10月1日開業時の所在地は小県郡滋野村で、昭和33年4月10日に東部町に編入され、平成16年4月1日の合併で東御市となっています。
駅前には昭和2年に建てられた旧:滋野郵便局の建物が残り、古物商店として使われています。
滋野7:17発普通小諸行き616M(クモハSR112-303)と小諸7:31発普通軽井沢行き754M(クモハSR112-302)で御代田(みよた)へ。中山道21番目の宿場町・小田井宿で栄えた北佐久郡御代田町の玄関口で、簡易委託の窓口が設置されています。駅舎はスイッチバック廃止後の昭和46年4月に改築されたもので、内部には「日本一小さいテレビ局」西軽井沢ケーブルテレビが入居しています。明治21年12月1日開業時の所在地は北佐久郡御代田村で、昭和31年9月30日の合併で御代田町となりました。
御代田7:56発普通小諸行き753M(クモハSR111-203)で平原へ。本州以南では珍しい貨車駅舎のある駅で、駅周辺に人家は多くありません。昭和61年4月改築の駅舎はヨ5000形車掌車を改造したもので、台枠にはヨ14364の文字が記されています。大正10年10月10日に平原信号場として開業、昭和27年1月10日に駅に昇格しました。当時の所在地は北佐久郡南大井村で、昭和29年4月1日の合併で小諸市となっています。明治の町村制で南大井村が成立するまでは北佐久郡南大井村が存在しました。駅への昇格にあたっては隣接する北大井村の人々も運動に加わったとのことです。
平原8:17発普通軽井沢行き756M(クモハSR112-203)で軽井沢へ。避暑地・別荘地として名高い北佐久郡軽井沢町の駅で、北陸新幹線の駅が隣接しています。JR時代は信越本線の途中駅でしたが、平成9年10月1日のしなの鉄道への移管にあたっては横川~軽井沢間の廃止で始発駅となりました。しなの鉄道の改札口は新幹線と同じ橋上駅舎内と旧軽井沢駅舎記念館内の二か所あります。旧軽井沢駅舎記念館は平成8年2月に解体された旧駅舎を平成12年4月に復元したもので、平成29年10月27日よりしなの鉄道の駅舎として使用されています。手前に交番が建てられているため、正面から写せないのが残念。この日の軽井沢には濃い霧が立ち込めていました。明治21年12月1日に上田から伸びてきた官設鉄道の終点として開業。当時の所在地は北佐久郡軽井沢村で、翌年の町村制で北佐久郡東長倉村となり、大正12年8月1日の町制施行時に改称して軽井沢町となりました。
軽井沢8:55発普通長野行き2631M(クモハSR111-203)で信濃追分へ。中山道20番目の宿場町・追分宿で栄え、堀辰雄ゆかりの地として知られる追分地区の駅です。標高は957mで、JR以外の普通鉄道では最も標高の高い駅です。明治42年6月25日に追分信号場として開業、大正12年10月1日に駅に昇格しました。駅舎は昇格時に建てられたものです。当時の所在地は北佐久郡西長倉村で、昭和17年5月8日に軽井沢町に編入されました。明治の町村制で西長倉村が成立するまで当地は北佐久郡追分村でした。
信濃追分9:37発普通軽井沢行き2726M(クモハSR112-103)で中軽井沢へ。北佐久郡軽井沢町の役場最寄り駅で、図書館などが入る交流施設「くつかけテラス」が隣接しています。平成24年7月30日使用開始の橋上駅舎はスタイリッシュなスタイル。明治43年7月15日に信越線の「沓掛(くつかけ)」駅として開業、昭和31年4月10日に改称されました。沓掛は中山道19番目の宿場町・沓掛宿に由来する駅名で、隣町・軽井沢の知名度に便乗した現在の駅名よりもよっぽどいい名前だと思います。
中軽井沢10:04発普通長野行き2635M(クハ115-1017)で小諸へ。牧野氏小諸藩の城下町として栄えた小諸市の代表駅で、小海線が分岐しています。昭和25年1月改築の駅舎は戦後の一時期に流行した片流れ屋根のデザインで、高い天井が主要駅らしい風格を感じさせます。明治21年12月1日開業時の所在地は北佐久郡小諸町で、昭和29年4月1日の合併で小諸市となりました。
小諸11:23発普通長野行き2637M(クモハSR111-103)で信濃国分寺へ。しなの鉄道移管後の平成14年3月29日に開業した駅で、令和4年4月1日に無人化されました。駅がある国分地区は古来、信濃国の中心として栄えたところで、平安初期までは信濃国府が置かれ、現在も八日堂信濃国分寺が残っています。江戸時代は小県郡国分寺村で、明治5年5月の合併で国分村となり、明治22年4月の町村制で小県郡神川村となりました。神川村は昭和31年9月30日に上田市に編入されています。
信濃国分寺11:55発普通軽井沢行き2638M(クモハSR112-203)で田中へ。平成16年4月1日に小県郡東部町と小県郡北御牧村が合併して誕生した東御市の代表駅で、開業時のものとされる木造駅舎が残ります。もし本当に開業時のものであれば日本で2番目か3番目、場合によっては一番古い駅舎かもしれません。明治21年12月1日開業時の所在地は小県郡田中村で、翌年の町村制で小県郡県村となり、昭和28年10月1日の町制施行時に改称して小県郡田中町となっています。田中町は昭和31年9月30日の合併で東部町となりました。田中は北国街道の宿場町として栄えたところです。
田中12:13発普通長野行き2641M(クハ115-1223)で大屋へ。明治29年1月20日、日本初の請願駅として開業した駅で、かつては上田丸子電鉄丸子線が乗り入れていました。駅舎は開業時のものですが、郵便局を併設した駅舎への改築のため、5月12日限りで役目を終えます。この駅を最後に見るのが今回の旅の目的の一つでした。この駅についてはヤフージャパンクリエイターズプログラムの方でまとめてみたので、詳細はそちらをどうぞ。
大屋12:58発普通長野行き2645M(クモハSR111-305)で坂城(さかき)へ。埴科郡坂城町の玄関口で、JR時代は特急「あさま」も一部が停車していました。駅裏にはENEOS北信油槽所があり、構内ではタンク車の入れ替えが行われています。駅舎は開業時のものとの説があり、これが本当なら田中駅よりも古いということになります。明治21年8月15日開業時の所在地は埴科郡坂城村で、明治37年7月12日に町制施行して坂城町となりました。坂城は江戸時代は「坂木」と表記され、北国街道坂木宿の宿場町だけでなく板倉氏坂木藩の陣屋町つづいて天領としても栄えました。
坂城13:39発普通軽井沢行き2746M(クモハSR112-202)でテクノさかきへ。工業団地・坂城テクノセンターの最寄り駅で、平成11年4月1日にしなの鉄道移管後初の新駅として開業しました。令和4年4月1日に無人化されています。駅のある南条地区は昭和30年4月1日の合併まで埴科郡南条村でした。
テクノさかき13:54発普通長野行き2651M(クモハSR111-203)で戸倉へ。戸倉上山田温泉の最寄り駅で、しなの鉄道の車両基地が併設された運行拠点駅です。駅舎は昭和48年12月改築で、内部に喫茶店とそば屋があるのが昔ながらの主要駅らしさを感じさせます。明治45年2月11日開業時の所在地は埴科郡戸倉村で、昭和15年4月17日に町制施行して埴科郡戸倉町となり、平成15年9月1日の合併で千曲市となりました。
戸倉14:43発普通長野行き2651M(クハ115-1012)で千曲へ。平成21年3月14日に開業した駅で、令和5年3月18日に無人化されました。駅のある辺りは明治の町村制で埴生村が成立するまで埴科郡寂蒔(じゃくまく)村でした。個人的には千曲川沿いのどこにあるのか分からない駅名よりも地名から「寂蒔駅」としても良かったのではないかという気がします。
千曲15:11発普通長野行き1653M(クハ115-1010)で屋代へ。千曲市の代表駅で、平成15年9月1日の合併までは更埴市の代表駅でした。かつて分岐していた長野電鉄屋代線のホームは上屋や跨線橋が撤去されているものの、線路は剥がされていません。昭和61年3月27日改築の駅舎には「千曲市屋代駅市民ギャラリー」および「屋代駅ウェルカムステーション」が併設されています。明治21年8月15日の長野~上田間開通に合わせて開業しましたが、工事の都合で営業を開始したのは一カ月後の9月15日でした。当時の所在地は埴科郡埴生(はにゅう)村で、昭和23年3月1日に町制施行して埴生町となり、昭和34年6月1日に埴科郡屋代町などと合併して更埴市となりました。本来の屋代町は旧:屋代線の東屋代駅周辺にあたります。
屋代15:50発普通長野行き2655M(クハ115-1210)で屋代高校前へ。その名の通り県立屋代高校および附属中学校の最寄り駅で、平成13年3月22日に開業しました。駅舎は高床式の二階建てで、一階には屋代簡易郵便局が入居しています。屋代駅よりも本来の屋代町の中心に近いです。
屋代高校前16:26発普通長野行き1657M(クハ115-1017)で篠ノ井へ。JR篠ノ井線・信越本線との接続駅で、しなの鉄道の列車はこの先信越本線に乗り入れて長野を起終点としています(一部は北しなの線直通)。駅舎は新幹線工事に伴って平成7年9月14日に改築された4代目です。昭和2年1月改築の2代目駅舎は石坂浩二さんが金田一耕助を演じた映画『犬神家の一族』に那須駅として登場。昭和57年4月改築の3代目駅舎は平成6年3月12日の仮駅舎移行までわずか12年しか使われませんでした。明治21年8月15日の長野~上田間開通に合わせて開業しましたが、工事の都合で営業を開始したのは一カ月後の9月15日でした。当時の所在地は更級郡布施高田村で、翌年の町村制で更級郡布施村となり、大正3年4月21日の町制施行時に改称して更級郡篠ノ井町となりました。篠ノ井町は昭和34年5月1日の合併で篠ノ井市となりましたが、昭和41年10月16日の合併で長野市となっています。
篠ノ井17:31発普通軽井沢行き2661M(クモハSR112-305)で西上田へ。上田市塩尻地区にある駅で、かつては駅裏に日本オイルターミナルの油槽所があったため貨物列車が発着していました。昭和8年5月改築の駅舎はハーフティンバーの洋風デザインです。大正9年6月1日に「北塩尻」として開業。当時の所在地は小県郡塩尻村で、中央本線塩尻駅との混同を避けるために「北」が冠されました。塩尻村は昭和29年4月1日に上田市に編入。駅名は昭和31年4月10日に改称されています。
西上田18:21発普通小諸行き668M(クモハSR112-306)で上田へ。長野県第三の都市・上田市の代表駅で、北陸新幹線・上田電鉄の駅が併設されています。駅舎は新幹線工事に合わせて平成6年12月3日に橋上化されました。明治21年8月15日に長野から伸びてきた官設鉄道の終点として開業。当時の所在地は小県郡上田町で、大正8年5月1日に市制施行して上田市となりました。この日は駅前のプラザホテル天神に宿泊。翌日は上田市街を散策してから上田電鉄別所線の駅を巡っていきます。