3/16 弥生の肥薩おれんじ鉄道・三角線・鹿児島本線(熊本地区)駅巡り
九州遠征最終日となる三日目は肥薩おれんじ鉄道・三角線・鹿児島本線の駅を巡りました
八代5:47発隈之城行き6115D(HSOR-115A)で出発し、まずは肥後田浦(ひごたのうら)へ。平成17年1月1日に芦北町と合併した旧:葦北郡田浦町の駅で、土曜日のみ窓口が営業しています。駅裏には東海カーボン田浦工場があり、かつては専用線が伸びていました。駅舎は昭和49年11月改築。大正14年4月15日に肥薩線の駅として開業した当時の所在地は葦北郡田浦村で、昭和33年4月1日に町制施行で田浦町となっています。
肥後田浦6:35発八代行き6212D(HSOR-104A+HSOR-109A)で肥後二見へ。二見川河口の洲口浜にある駅で、昭和53年10月改築の駅舎は熊本鉄道管理局標準仕様です。大正14年4月15日開業時の所在地は葦北郡二見村で、昭和32年1月1日に八代市に編入されました。跨線橋からは不知火海を望むことができます。
肥後二見6:59発西出水行き6219D(HSOR-101A)でたのうら御立岬公園へ。平成17年3月1日に開業した駅で、設置費用は地元の葦北郡田浦町が負担しました。旧:田浦町役場などに近いことから、利用者は肥後田浦駅よりも多いです。駅名の由来になった御立岬公園にはそれほど近くありません。
たのうら御立岬公園7:16発八代行き6214D(HSOR-106A+HSOR152A)で上田浦へ。不知火海沿いの集落にある駅で、昭和27年10月10日に開業しました。かつては海水浴客で大いに賑わいましたが、現在は利用客も少ないです。駅舎は平成2年4月に解体され、跡地にはログハウス風の駐輪場が建てられています。
駅には一匹の野良犬が住みついており、利用者から餌をもらっています。近づくと逃げるので人を襲うことはないでしょうが、やはり繋がれていない犬というものは怖く、駅の撮影中も噛まれたりしないか気が気ではありませんでした。
上田浦7:49発新八代行き6116D(HSOR108A+HSOR113A)で日奈久温泉へ。日奈久温泉の最寄り駅で、地元住民による「日奈久おきん女会」によって綺麗に管理されています。大正12年7月15日、八代とを結ぶ肥薩線(現在の肥薩線とは別物)の終点「日奈久」として開業。当時の所在地は葦北郡日奈久町で、昭和30年4月1日に八代市に編入されました。駅名は平成16年3月13日の肥薩おれんじ鉄道移管時に改称されています。
日奈久温泉8:12発川内行き6123D(HSOR-152A)で袋へ。熊本県最南端の駅で、鹿児島県との県境が近いです。昭和54年3月27日改築の駅舎は熊本鉄道管理局標準仕様で、肥後二見駅と同型。大正15年7月21日、川内本線の駅として開業。当時の所在地は葦北郡水俣町で、昭和24年4月1日に市制施行して水俣市となりました。駅名は明治の町村制で水俣村が成立するまで存在した葦北郡袋村に由来します。
袋9:22発八代行き6124D(HSOR-103A)で水俣へ。水俣市の代表駅で、駅前通りを真っすぐ行くとチッソ水俣本部に突き当たります。駅舎は昭和27年6月改築で、平成27年4月29日に改装されています。大正15年7月21日に米ノ津から伸びてきた川内本線の終点として開業。かつては肥薩線の栗野とを結ぶ山野線が分岐していましたが、昭和63年2月1日に廃止されています。
水俣9:56発出水行き6227D(HSOR113A+HSOR-108A)で米ノ津へ。鹿児島県最北端の駅で、当駅を起終点とする列車もわずかながら設定されています。昭和60年7月改築の駅舎は鹿児島鉄道管理局標準仕様です。大正12年10月15日に野田郷から伸びてきた川内線の終点として開業。当時の所在地は出水郡米之津町で、昭和29年4月1日に出水町と合併して出水市となりました。
米ノ津10:35発八代行き6126D(HSOR-115A)で肥後高田(ひごこうだ)へ。八代市街の球磨川対岸にある駅で、近くに学校がいくつかあることから利用者が多いです。昭和51年3月改築の駅舎は鹿児島県内でよく見るタイプで、熊本県内にもあるとは思いませんでした。昭和8年7月17日開業時の所在地は八代郡高田村(こうだむら)で、昭和29年4月1日に八代市に編入されています。
肥後高田12:03発出水行き6237D(HSOR-115A)でもう一度たのうら御立岬公園に降りてから、12:30発八代行き6128D(HSOR-109A)で八代へ。肥薩おれんじ鉄道は肥後高田を最後に全駅訪問達成。あまり沿線を歩けなかったのが心残りですが、これは今度来る時の課題としておきましょう。
八代13:04発普通銀水行き5352M(クモハ815-10)で新八代へ。九州新幹線との乗換駅で、平成16年3月13日の新幹線開業に合わせて在来線にも駅が設置されました。在来線の駅舎は橋上駅舎で、一旦駅舎を出ての乗換えとなります。訪問時、在来線窓口は無人でした。
新八代13:32発普通玉名行き5354M(クモハ817-1507)と宇土13:54発普通三角行き535D(キハ147-106+キハ147-105)で三角(みすみ)へ。三角線の終点で、平成17年1月15日の合併で宇城市となった旧:宇土郡三角町の玄関口です。駅舎は明治36年9月5日移転時に建てられたもので、平成23年10月に南蛮風に改装されています。三角線もこれにて全駅訪問達成。
三角14:40発普通熊本行き538D(クモハ821-5)と熊本15:55発区間快速門司港行き354Mで崇城大学前へ。崇城大学の最寄り駅で、傾斜の多い住宅街に設置されています。昭和63年3月13日に「熊本工大前」として開業、大学名の変更から4年遅れて平成16年3月13日に改称されました。学生の利用が多いものの、令和4年3月12日に無人化されています。
崇城大学前16:27発普通銀水行き5358M(クモハ815-5)で西里へ。熊本市郊外の田園地帯にある駅で、駅前には熊本保健科学大学があります。駅舎は無く、歩道橋と一体化した跨線橋によってホーム同士が結ばれています。昭和18年10月1日に「西里信号場」として開業、昭和29年12月10日に駅に昇格しました。当時の所在地は飽託郡西里村で、昭和30年7月1日に川上村と合併して飽託郡北部村となり、昭和43年4月1日に町制施行で北部町となりましたが、平成3年2月1日に熊本市に編入されました。
西里16:59発普通植木行き5360M(クモハ821-1)で植木へ。平成22年3月23日に熊本市に編入された旧:鹿本郡植木町の駅で、簡易委託の窓口が設置されています。駅舎は昭和27年改築。植木町の中心からは離れているため、駅前は閑散としています。明治24年7月1日に九州鉄道の駅として開業。当時の所在地は鹿本郡桜井村で、昭和30年1月1日の合併で植木町となっています。かつては山鹿とを結ぶ山鹿温泉鉄道が分岐していましたが、昭和40年2月4日に廃止となりました。
植木17:21発普通銀水行き5362M(クモハ817-1507)で田原坂(たばるざか)へ。西南戦争の激戦地・田原坂古戦場の最寄り駅で、見える範囲に人家は数軒だけです。ホームは斜面に設けられており、駅舎は少し張り出しています。昭和18年10月1日に「田原坂信号所」として開業、昭和40年10月1日に駅に昇格しました。開業時の所在地は鹿本郡菱形村で、昭和30年1月1日の合併で植木町となっています。
田原坂17:54発普通銀水行き5364M(クモハ815-10)で木葉(このは)へ。玉名郡玉東町の玄関口で、簡易委託の窓口が設置されています。駅舎は平成9年3月18日に放火で焼失して以来、長らく仮駅舎でしたが、平成20年4月に「交流サロンこのは」との合築駅舎が完成しました。とはいえ、駅舎としての機能は非常に簡素です。明治25年4月1日に九州鉄道の駅として開業、当時の所在地は玉名郡木葉村でした。木葉村は昭和30年3月1日に山北村と合併して玉名郡玉東村となり、昭和42年4月1日に町制施行して玉東町となりました。
駅前から坂を上ったところには玉東町役場があります。木造平屋建ての庁舎は昭和25年に木葉小学校として建てられたもので、昭和41年より役場として使用されてきました。昭和59年、平成元年、平成2年、平成12年に増築されているものの、築70年を超えた熊本県内で最も古い庁舎で、建て替えが計画されています。
今回の駅巡りは木葉で終了。木葉18:27発普通銀水行き362M(クモハ817-516)、大牟田18:57発普通鳥栖行き364M(クモハ817-516)、鳥栖19:57発区間快速小倉行き4140M(クモハ813-2221)を乗り継いで博多へ向かい、ラーメンを食べてからハーツバスステーション21:30発ユタカ交通0007号で関西へと帰りました。