まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

5/11 新緑の豊肥本線駅巡り その2

豊肥本線駅巡り二日目は豊後竹田周辺の駅を巡りました

滝水駅

豊後竹田6:43発普通肥後大津行き2420D(キハ125-113)で出発し、県境を越えた滝水で下車。平成17年2月11日の合併で阿蘇市となった旧:阿蘇郡波野村の役場最寄り駅ですが、駅周辺は閑散としています。駅舎は昭和3年12月2日開業時のものですが、阿蘇市商工会波野支所が入居しているため、駅利用者が立ち入れるのはホーム側の待合室部分のみです。駅周辺は明治22年の町村制まで阿蘇郡滝水村でした。

竹中駅

滝水7:27発普通豊後竹田行き2421D(キハ125-122)と豊後竹田8:03発普通大分行き4435D(キハ200-3+キハ200-1003)を乗り継いで竹中へ。かぐや姫のリーダー・南こうせつさんの出身地・竹中地区の駅ですが、地区の中心からは離れた大野川沿いの淋しいところにあります。駅舎は昭和59年3月15日改築で、扉のない開放的な造りのせいか内部はお世辞にもきれいとは言えません。

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竹中のことは南こうせつかぐや姫の曲「ひとりきり」でも歌われており、「汽車は行くよ 煙はいて トンネル越えれば 竹中だ」とSL時代の豊肥本線を思わせる歌詞もあります。駅は大正5年9月1日に中判田から伸びてきた犬飼軽便線の終点として開業。当時の所在地は大分郡竹中村でした。竹中村は昭和29年3月31日の合併で大分郡大南町となり、昭和38年3月10日の合併で大分市となりました。

犬飼駅

竹中9:21発普通犬飼行き5424D(キハ200-1105+キハ200-105)で犬飼へ。二ヶ月前に訪問したばかりですが、早くも再訪となりました。さすがに二ヶ月だと大きな変化もありません。前回訪問時の記事はこちら。

sakasegawa3019.hatenablog.com

豊後荻駅

犬飼9:44発普通三重町行き4430D(キハ125-25+キハ125-20)と三重町10:15発普通宮地行き2422D(キハ125-122)を乗り継いで豊後荻へ。平成17年4月1日の合併で竹田市となった旧:直入郡荻町の駅で、特急が停車し、朝には豊後竹田方面への始発列車が設定されていますが、それでも停車列車は下り8本、上り7本しかありません。平成5年5月改築の駅舎は物産館や図書館と合築の「荻駅交流館」になっていて、簡易委託の窓口もあります。昭和3年12月2日開業時の所在地は直入郡荻村で、昭和30年4月1日の柏原村との合併で荻町となりました。「荻」という駅名が他に無いのに国名が冠されたのは、読みが同じ「小城(おぎ)」駅、または字面が似ている「萩(はぎ)」駅との区別のためでしょう。

旧:直入郡荻町役場

荻の街を散策。こちらの古そうな建物は昭和31年に建てられた旧荻町役場で、合併後は竹田市荻支所として平成27年3月まで使われていました。

垣田幾馬翁之像

荻台地は水の乏しさゆえに田んぼをつくることが難しく貧しい土地でしたが、難工事の末に荻柏原井路が開通したことにより、豊かな農業地帯となりました。旧役場前の公園には「通水記念碑」と荻柏原井路の建設に生涯を捧げた柏原村長・垣田幾馬の銅像が建てられています。

緒方駅

豊後荻11:38発普通豊後竹田行き2423D(キハ125-113)と豊後竹田12:12発普通大分行き4447D(キハ200-554+キハ200-1554)を乗り継ぎ緒方へ。平成17年3月31日の合併で豊後大野市となった旧:大野郡緒方町の駅で、九州横断特急も停車します。駅舎は平成元年改築で、緒方町商工会館に併設されています。小さな駅舎ですが、平成28年3月26日まで有人駅でした。大正11年11月23日に三重町から伸びてきた犬飼線の終点として開業。当時の所在地は大野郡緒方村でした。緒方村は昭和25年11月1日に町制施行して緒方町となっています。

旧:大野郡緒方村役場

駅前の丘の上には昭和7年4月1日の南緒方村との合併に合わせて建てられた旧緒方村役場が保存されています。木造二階建ての瀟洒な洋風建築で、昭和33年に新庁舎が完成すると公民館に転用されました。昭和40年から平成4年までは豊西准看護学院として使用され、平成9年5月29日に国登録有形文化財となっています。近年は使われておらず、廃墟化していましたが、昨年に改修工事が完了して美しい姿を取り戻しています。

朝地駅

緒方13:21発普通豊後竹田行き4434D(キハ200-1013+キハ200-13)で朝地へ。平成17年3月31日の合併で豊後大野市となった旧:大野郡朝地町の駅で、駅舎内に観光案内所が入居しています。平成5年4月30日改築の駅舎には当初、コミュニティホールが入居していましたが、平成17年に商工会運営のコンビニに、平成25年7月に観光案内所に替わりました。駅舎に寄り添って立つカイヅカイブキの樹には、昭和20年7月31日正午頃に当駅停車中の列車が機銃掃射されて12人が亡くなった時の弾痕が今も残っているそうです。

朝地駅

駅は大正12年12月20日に緒方から伸びてきた犬飼線の終点として開業。当時の所在地は大野郡上井田村でした。駅名は明治22年の町村制で上井田村が成立するまで存在した大野郡朝地村に由来しますが、駅は平井川対岸の坪泉村に設けられました。上井田村は昭和29年12月20日に西大野村と合併して朝地町となっています。

朝地橋

駅がある坪泉と対岸の朝地の間には駅の開業を前にした大正12年11月に朝地橋が架けられました。幅員7.4m、当時の石橋には珍しく、現代の車が充分すれ違えるだけの幅が確保されています。

豊後清川駅

朝地14:02発普通大分行き4449D(キハ200-3+キハ200-1003)で豊後清川へ。平成17年3月31日の合併で豊後大野市となった旧:大野郡清川村の駅で、平成2年6月改築の駅舎には豊後清川簡易郵便局工務店、喫茶店が入居しています。大正11年11月23日に「牧口」として開業。当時の所在地は大野郡牧口村で、昭和30年1月1日に合川村・白山村と合併して清川村となりました。駅名は35年遅れて平成2年11月1日に改称。陸羽西線清川駅と区別するために国名が冠されました。

波野駅

豊後清川14:40発普通豊後竹田行き4436D(キハ200-1012+キハ200-12)と豊後竹田15:00発普通宮地行き2424D(キハ125-122)を乗り継いで波野へ。標高754mにある九州で最も標高の高い駅です。かつては駅舎がありましたが、平成12年8月16日22時10分頃に出火して焼失。利用者が少ないためか駅舎が再建されることはありませんでした。

波野駅

波野村の村名を名乗ってはいるものの、中心には滝水駅の方が近く、駅前は閑散としています。波野村は平成2年にオウム真理教サティアン建設のために土地を取得したことによるオウム真理教国土利用計画法違反事件となり、サティアン建設は阻止されたものの、オウムが土地を明け渡す際に土地を9億2000万円で買い取るという大きな代償を払わされました。

玉来駅

波野16:56発普通豊後竹田行き2427D(キハ125-122)で再び大分県側へ戻り、玉来(たまらい)で下車。日本十大稲荷の一つ・扇森稲荷神社の最寄り駅で、駅舎は稲荷神社をモチーフとしたデザインになっています。県道639号神原玉来線の改良工事に伴い、平成5年3月1日に線路を付け替えて駅舎とホームを移転。駅舎はその時新築されたもので、それほど古くはありませんが、雰囲気は良いです。

玉来駅 旧ホームと大鳥居

移転前のホームは草に埋もれながらも残っています。駅のすぐそばで県道が線路を下を潜っており、この交差部分の改良が駅改築のきっかけになりました。駅は大正14年11月30日に豊後竹田から伸びてきた犬飼線の終点として開業。当時の所在地は直入郡玉来町で、昭和29年3月31日の合併で竹田市となりました。旧玉来町の中心は駅からは少し離れています。

2426D

今回の駅巡りはここまで。ちょっと手ごわい豊肥本線の県境区間もあっさり片付いてしまいました。玉来17:38発普通宮地行き2426D(キハ125-18)、宮地18:37発普通肥後大津行き440D(キハ220-207+キハ200-208)、肥後大津19:38発普通熊本行き1520M(クモハ815-3)を乗り継いで熊本へ。熊本駅前20:45発近鉄バスサンライズ号KT101便で神戸へと帰りました。