まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

7/5 梅雨空の日田彦山線・後藤寺線駅巡り

7/5~6の二日間、北九州の駅を巡りました。予定では二日とも久大本線の駅を巡る予定でしたが、豪雨により豊後森由布院間が運休してしまったため、7/5は日田彦山線後藤寺線の駅を巡ることに

西小倉駅

前夜21:15に梅田を出たWILLER EXPRESS YJ1554便が小倉駅前に到着したのは定刻より10分以上早い午前5時前。駅前のマクドで朝食をとりつつ時間を潰してから小倉6:31発快速羽犬塚行き4221M(クモハ817-3004)で西小倉へ。鹿児島本線日豊本線の分岐駅で、日豊本線の書類上の起点ですが、列車は全て小倉駅に発着しています。昭和33年3月1日に現在地に移転するまで、小倉駅は当駅の位置にありました。小倉駅移転から16年が経った昭和49年12月14日、二代目小倉駅の跡地に日豊本線の単独駅として西小倉駅が開業、昭和62年10月1日に鹿児島本線ホームが新設されました。平成15年3月29日に半橋上駅舎に改築、同年7月7日より快速停車駅に昇格しています。

城野駅

西小倉6:44発普通大分行き552M(クハ411-1511)で城野(じょうの)へ。日豊本線日田彦山線の分岐駅ですが、こちらも小倉駅にすべての列車が発着しています。明治28年4月1日に九州鉄道の駅として開業。昭和31年11月19日の線路付け替えで日田線(現:日田彦山線)が乗り入れるようになりました。平成26年12月6日に半橋上駅舎に改築。ペデストリアンデッキに接続しているために全貌がつかみにくい駅舎です。

呼野駅

城野7:11発普通田川後藤寺行き929D(キハ147-1033+キハ147-58)で呼野へ。昭和58年まで福岡県唯一のスイッチバックがあった駅で、現在も旧ホームが草に埋もれながら残っています。大正4年4月1日開業時の所在地は企救郡東谷村。明治の町村制で東谷村が成立するまで企救郡呼野村が存在していました。東谷村は昭和23年9月10日に小倉市編入されています。

石原町駅

呼野7:46発普通小倉行き932D(キハ40-2007+キハ147-1058)で石原町へ。カルスト台地平尾台への最寄り駅で、かつては石灰石鉱山への専用線呼野駅との間で分岐していました。駅舎は大正4年4月1日開業時に建てられたもので、増築跡がかつての栄華を感じさせます。駅名は明治の町村制で東谷村が成立するまで存在していた企救郡石原町村に由来しますが、駅があるのはかつての新道寺村です。

志井公園駅

石原町8:02発快速小倉行き3920D(キハ147-54)で志井公園へ。北九州モノレールの終点・企救丘駅に近接した駅で、周辺にはニュータウンが広がっています。開業はモノレールの方が先で、運賃の安いJRに駅を設置されるとそちらに乗客を奪われるとモノレールの運営母体である北九州市は駅の設置に反対しましたが、結局折れて当駅が平成元年3月11日に開業しました。ホームは掘割にあり、階段を登ったところに小さな駅舎が設置されています。今年3月18日に完全無人化されました。

志井駅

志井公園8:31発普通田川後藤寺行き933D(キハ40-8063+キハ147-1044+キハ147-90)で志井へ。ニュータウンから一転して農村部にある駅で、北九州モノレールにも同名駅があるものの大きく離れています。昭和8年10月23日に小倉鉄道の志井停留所として開業。昭和17年6月10日に廃止となるも、翌年2月25日に現在地に移転して再開業しました。駅舎は平成26年3月改築の簡素なものです。当地にはかつて企救郡志井村があり、明治の町村制で企救郡東紫村、明治40年6月1日に城野村と合併して企救郡企救村となり、大正6年10月1日の町制施行で企救郡企救町となりました。企救町は昭和12年9月1日に小倉市編入されています。

石田駅

2分遅れの志井8:41発普通小倉行き934D(キハ47-182)で石田へ。住宅街の中にある駅で、平成14年4月の改築まで開業時の木造駅舎が残っていました。昭和31年11月19日に城野までの短絡線が開業するまで、日田線(日田彦山線の前身)は東小倉駅を起点としていました。明治の町村制で企救郡城野村が成立するまで当地には企救郡石田村が存在していました。

一本松駅

石田9:38発普通田川後藤寺行き937D(キハ147-1125+キハ147-182)で一本松へ。平成9年3月22日に開業した駅で、田川高校の最寄り駅であることから学生の利用が多いです。駅前には大きな病院とスーパーがあり、スーパーの駐車場の片隅を間借りしているような印象を受けます。

香春駅

一本松10:32発普通小倉行き946D(キハ147-182+キハ147-1125)で香春(かわら)へ。セメント産業で栄えた田川郡香春町の玄関口で、駅前からは香春岳を望むことができます。香春町五木寛之の小説を映画化した『青春の門』の舞台で、そのポスターなどが駅舎内に掲示されています。駅舎は平成8年3月に建てられたもので、平成7年9月10日に焼失した旧駅舎のイメージを引き継いで女性職員がデザインしたものだそうです。

田川後藤寺

香春10:50発普通田川後藤寺行き939D(キハ147-1033)で田川後藤寺へ。日田彦山線後藤寺線平成筑豊鉄道糸田線の3線が集まるターミナル駅で、田川市の代表駅ですが、昼間は無人となります。明治29年2月5日に豊州鉄道の「後藤寺」として開業。当時の所在地は田川郡弓削田村で、明治40年4月1日に町制施行して田川郡後藤寺町となり、昭和18年11月3日に伊田町と合併して田川市となりました。駅名は昭和57年11月3日に改称されています。駅舎は平成9年3月12日に改築されたもので、待合室は駅の規模の割に狭いです。

後藤寺線

ここからは後藤寺線の駅を巡っていきます。後藤寺線田川後藤寺駅の0番線に発着。単行のキハ40が行ったり来たりするだけの路線ですが、田川市筑豊の中心都市・飯塚市を結ぶ路線だけあって日中でもそれなりに乗車はあるようです。

上三緒駅

田川後藤寺11:14発新飯塚行き1548D(キハ140-2041)で上三緒へ。飯塚市郊外の農地と住宅が混在する地域にある駅で、かつては筑前山野まで貨物支線が分岐していました。駅舎は簡素なもので、交換設備も撤去されています。明治35年6月15日開業時の所在地は嘉麻郡笠松村で、明治の町村制で笠松村が成立するまで嘉麻郡上三緒村が存在していました。笠松村は明治42年6月1日に穂波郡飯塚町と合併し、昭和7年1月20日の市制施行で飯塚市となっています。

船尾駅

上三緒11:50発田川後藤寺行き1547D(キハ140-2041)で船尾へ。かつては石灰石の積み出しで栄えた駅で、駅前では麻生セメント船尾鉱山が今も操業を続けています。駅前をセメント工場のメカメカしい構造物が埋め尽くす様は圧巻で、駅前にセメント工場があるというより駅がセメント工場の中にあるといった方がいいような状況です。大正11年2月5日、九州産業鉄道の終点として開業。九州産業鉄道は麻生グループ創始者麻生太吉麻生太郎元総理の曽祖父)によって石炭・石灰石輸送を目的に創業された鉄道でした。

下鴨生駅

船尾12:19発新飯塚行き1550D(キハ140-2041)で下鴨生へ。嘉麻市唯一の鉄道駅ですが、嘉麻市役所のある稲築から離れているためか代表駅として扱われていません。大正5年2月1日、上三緒と漆生を結ぶ筑豊本線貨物支線上に「赤坂」として開業。大正15年7月15日に船尾から九州産業鉄道が伸びてきて接続したことで後藤寺線の原型が出来上がりました。駅名は昭和31年12月20日に改称。当駅から分岐していた漆生線は昭和61年4月1日に廃止されています。

筑前庄内駅

下鴨生12:54発田川後藤寺行き1551D(キハ140-2041)で筑前庄内へ。平成18年3月26日の合併で飯塚市となった旧:嘉穂郡庄内町の駅ですが、町の中心からは3㎞ほど離れています。大正15年7月15日、九州産業鉄道の船尾~赤坂炭坑間開業に設置されました。

新飯塚駅

筑前庄内13:25発新飯塚行き1552D(キハ140-2041)で新飯塚へ。筑豊本線後藤寺線の分岐駅で、飯塚市役所の最寄り駅です。飯塚市の旧市街は対岸ですが、昭和39年の市役所移転以来、当駅周辺が飯塚市の中心として栄えるようになりました。平成13年8月に半橋上駅舎に改築されています。

西添田駅

新飯塚13:46発田川後藤寺行き1553D(キハ140-2041)で田川後藤寺に戻り、14:13発添田行き951D(キハ147-1125+キハ147-182)に乗り換えて西添田へ。明治36年12月21日、初代「添田」駅として開業した駅で、昭和17年8月1日に改称されました。平成6年改築の駅舎はドーム屋根の立派なものですが、荒れた印象を受けます。駅裏にはオークホール(添田町公民館・音楽堂)があります。

池尻駅

西添田14:38発田川後藤寺行き958D(キハ147-182+キハ147-1125)で池尻へ。田川後藤寺から先では唯一の交換可能駅で、田川郡川崎町の北部に位置します。かつてあった駅舎は平成20年9月に解体され、翌年3月頃に駅舎跡に屋根付きベンチが設置されています。壁もなく待合所というより四阿といった感じです。明治の町村制で川崎村が成立するまで駅周辺は田川郡池尻村でした。

豊前川崎駅

池尻15:24発添田行き953D(キハ147-1044+キハ147-90)で豊前川崎へ。田川郡川崎町の玄関口で、簡易委託の窓口が設置されています。かつては飯塚とを結ぶ上山田線が乗り入れており、柚須原までの柚須原線も計画されていましたが、柚須原線は建設途中で凍結され、上山田線は昭和63年9月1日に廃止されました。駅舎は平成12年9月改築で、ホームは棒線化されて分岐駅の名残はありません。

採銅所駅

豊前川崎15:50発田川後藤寺行き964D(キハ147-90+キハ147-1044)と田川後藤寺15:58発小倉行き966D(キハ140-2067+キハ147-1058)を乗り継いで採銅所へ。大正4年4月1日、小倉鉄道の駅として開業した際に建てられた木造駅舎が残る駅で、旧事務室は香春町の移住・交流施設に改修されています。後藤寺線を巡っていた時は結構降っていたのにここに来て晴れてきたので逆光になりました。撮影するなら午前中の方が綺麗に写りそうです。駅周辺は昭和31年9月30日の合併で香春町となるまで田川郡採銅所村でした。

添田駅

採銅所16:51発添田行き957D(キハ147-1033+キハ147-58)で添田へ。田川郡添田町の玄関口で、昭和60年4月1日までは香春とを結ぶ添田線が乗り入れていました。添田駅は元々添田線(国有化前は小倉鉄道)の「上添田」として大正4年4月1日に開業、昭和8年に「彦山口」に改称されました。昭和17年8月1日の国有化時に「添田」に再改称、同年8月25日に田川線(現:日田彦山線)西添田~彦山間が開業して当駅に乗り入れました。昭和63年3月改築の駅舎は物産館との合築です。

添田駅ホーム

日田彦山線のホームは後から開業した経緯ゆえに駅舎から離れています。添田から先は九州北部豪雨による被害を受けて平成29年7月5日から不通となっており、BRTひこぼしラインとしての復旧が予定されています。

代行バスで日田へ

添田からは18:03発日田彦山線代行バスに乗車して日田を目指します。BRTひこぼしラインの運行開始は8月28日が予定されていましたが、7月10日の豪雨で専用道が崩落する被害を受けており、予定通り開業できるのか心配になります。

日田駅

日田には定刻よりも6分は約19:22着。遅延に備えて日田への到着時刻のみ余裕を持って設定されているようです。この日はプラザホテルフジノイに宿泊。翌日は久大本線の駅を巡っていきます。