まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

5/10 新緑の豊肥本線駅巡り その1

5/10~11の2日間、豊肥本線の駅を巡りました

武蔵ヶ丘

前夜23:10に三宮BTを出た九州産交バスサンライズ号KT001便が熊本市郊外の武蔵ヶ丘に着いたのは定刻よりも10分早い7:34。夜行バスから豊肥本線に乗り継ぐなら、熊本駅まで行くよりも武蔵ヶ丘で降りて武蔵塚駅まで歩いた方が早い列車に乗れます。

光の森駅

豊肥本線に乗り継ぐだけなら武蔵塚まで歩けばいいのですが、今回は旅名人の九州満喫パスを買いたかったのでもう一駅歩いて光の森へ。熊本市菊池郡菊陽町の境にある駅で、菊陽町の光の森ニュータウンの玄関口です。熊本郊外の中心駅として栄えており、みどりの窓口が設置されています。かつては特急「有明」の折り返し駅でした。

肥後大津で乗換

光の森8:04発普通肥後大津行き1437M(クハ814-5)で肥後大津へ。30分以上待って、8:57発普通宮地行き423M(キハ125-122)に乗り換えます。肥後大津から先は非電化で、普通列車は2~3時間に一本と一気に本数が減ります。令和元年にこの駅を訪れた際、肥後大津から先は不通となっていましたが、令和2年8月8日に運転を再開しました。

いこいの村駅

423Mに一時間近く揺られ、いこいの村で下車。キャンプ場「阿蘇いこいの村」へのアクセス駅で、平成元年3月11日に開業しました。駅前を交通量の多い国道57号が通っていますが、駅前には特に何かあるというわけではありません。駅名の由来になったキャンプ場も1.5㎞離れています。この日は晴れていたので阿蘇山の雄姿を拝むことができました。

瀬田駅

いこいの村10:59発普通肥後大津行き428D(キハ147-104+キハ147-1055)で瀬田へ。大正5年11月11日に宮地軽便線の駅として開業し、大正11年9月に現在地に移転した駅です。移転にあたっては菊池郡瀬田村の村長・西本敬蔵氏が土地を無償提供したとのことで、駅前には西本敬蔵翁頌徳碑が建てられています。駅舎はコンクリート造の簡素なもので、昭和50年代の改築。

内牧駅

瀬田11:55発普通宮地行き425D(キハ147-1055+キハ147-104)で内牧(うちのまき)へ。内牧温泉の最寄り駅で、駅からは阿蘇中岳のゆったりとした姿を望めます。かつては天井の高い個性的な見た目の駅舎がありましたが、熊本地震で被災して平成28年10月3日から解体されました。現在の駅舎は令和2年3月に再建されたもので、ぱっと見プレハブの仮駅舎のようですが、丸窓を配するなどして個性が出されています。大正7年1月25日開業時の所在地は阿蘇郡内牧町で、昭和29年4月1日の合併で阿蘇町となりました。

赤水駅

内牧13:00発普通肥後大津行き430D(キハ147-104+キハ147-1055)で赤水へ。阿蘇ファームランドなど多くの観光施設が集まるエリアにある駅で、特急も停車します。この駅も近年まで木造駅舎が残っていましたが、熊本地震で被災して解体され、令和2年3月に再建されました。内牧同様にプレハブ筐体の駅舎で、こちらは窓がない代わりに山並みが描かれています。

赤水駅 旧駅舎(令和2年10月友人撮影)

熊本地震まで使われていた駅舎は昭和13年4月改築の2代目で、地震による損傷を受け、平成28年11月下旬に解体されました。大正7年1月25日開業時の所在地は阿蘇郡永水村で、昭和29年4月1日の合併で阿蘇町となりました。永水は永草と赤水の合成地名で、明治の町村制までは阿蘇郡赤水村が存在していました。

阿蘇駅

赤水13:49発普通宮地行き427D(キハ200-13+キハ200-1013)で阿蘇へ。阿蘇観光の玄関口で、「ななつ星」も含めたすべての列車が停車します。駅舎は開業時のもので、平成23年3月の改装で黒基調のデザインになりました。駅舎内にはレストラン「坊中亭」が入居しており、この日はここで昼食を取りました。観光地価格ですが、味自体は美味しかったです。駅舎内外には外国人観光客が多く、インバウンドが戻ってきているのを実感しました。大正7年1月25日に「坊中(ぼうちゅう)」として開業。当時の所在地は阿蘇郡黒川村で、昭和29年4月1日の合併で阿蘇町となりました。駅名は昭和36年3月20日に改称。阿蘇町は平成17年2月11日の合併で阿蘇市となりましたが、中心は一の宮に置かれているため、代表駅は宮地駅です。

市ノ川駅

阿蘇15:16発普通肥後大津行き434D(キハ200-1013+キハ200-13)で市ノ川へ。昭和35年3月10日に開業した駅で、当初から無人駅です。ドライブインの駐車場の奥にひっそりと存在しており、ホームからは阿蘇の外輪山を望むことができます。

宮地駅

市ノ川15:33発普通宮地行き429D(キハ200-102+キハ200-1102)で宮地へ。肥後国一之宮阿蘇神社の最寄り駅で、平成17年2月11日に阿蘇郡一の宮町阿蘇町波野村が合併して誕生した阿蘇市の代表駅です。特急「あそ」だけでなく普通列車の大半が折り返す運行拠点駅で、ここから先、豊後竹田までの県境区間には普通5往復、特急2往復しか走りません。赤い大屋根が目を惹く大和棟の駅舎は昭和19年1月改築で、主要駅らしい風格が感じられます。大正7年1月25日に宮地軽便線の終点として開業。当時の所在地は阿蘇郡宮地町で昭和29年4月1日の合併で一の宮町となりました。

豊後竹田駅

宮地16:38発普通豊後竹田行き2427D(キハ125-18)で県境を越えて豊後竹田へ。竹田市の代表駅かつ大分県側の運行拠点駅で、この駅を境に大分方面は一気に本数が増えます。駅舎は開業時のもので、昭和61年の改装で武家屋敷風になりました。瀧廉太郎ゆかりの地の駅であることから、昭和26年より列車到着時に「荒城の月」が流されており、これが日本初の駅メロディーとされています。駅メロディーには珍しく合唱の歌詞付きで、夜に聞くとちょっと怖いかもしれません。

落門の滝

駅の裏手には落門の滝があり、ホームからもよく見えます。荒城の月といい、武家屋敷風の駅舎といい、ホームから見える滝といい、実に旅情を感じさせる駅です。

竹田の街並み

竹田(たけた)は中川氏岡藩七万石の城下町で、駅から稲葉川を渡ったところに古くからの街が広がっています。この日は広瀬神社前のホテルつちやに宿泊。

広瀬武夫

広瀬神社は軍神・広瀬武夫海軍中佐を祀る神社です。広瀬武夫は岡藩士の子として竹田に生まれて海軍に入り、日露戦争旅順港閉塞作戦で戦死しました。行方不明になった部下の杉野孫七上等兵曹を探すために一人で沈みかけた船に戻って戦死したことから、身の危険を顧みずに部下を案じた姿勢が軍人の誉れと評価され、戦前は軍神として神格化されました。境内には終戦当日に自決した陸軍大臣阿南惟幾の胸像があり、こちらも竹田の出身です。

広瀬神社から見た竹田の街

城址へのトンネル

五衛門谷トンネル

竹田はトンネルの多い街で、「レンコン街」の異名を持ちます。中心部近くにもトンネルがあり、山深いところのわずかな平地に城下町が形成されているのが実感できます。またゆっくりと来たいと思える街でした。