まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

3/30 桜咲く山陰本線駅巡り(江崎~長門三隅)

この日は山陰本線で最も本数の少ない益田~長門市間の未訪問駅を中心に巡りました

須佐駅

益田を5:56発長門市行き1561D(キハ40-2096)で出発し、須佐で下車。平成17年3月6日の合併で萩市となった旧:阿武郡須佐町の駅で、簡易委託の窓口が設置されています。駅舎は平成14年2月の火災で焼失し、平成16年4月に再建されたもので、「ふれあいステーション須佐」との合築です。訪問時は早朝で施錠されていました。駅前には須佐出身で日本初の鉄道時刻表「汽車汽船旅行案内」を発刊した「時刻表の父」手塚猛昌の顕彰碑があります。駅は昭和3年3月25日に飯浦から延伸してきた山陰本線の終点として開業、昭和8年2月24日に隣の宇田郷との区間が開通したことで山陰本線は全通となりました。

長門大井駅

須佐7:03発長門市行き1563D(キハ40-2002)で長門大井へ。開業時以来の木造駅舎が残る駅で、駅舎の事務室部分にはかつて理髪店が入居していました。訪問時はちょうど桜が満開。春らしい写真を撮ることができました。昭和4年4月24日開業時の所在地は阿武郡大井村で、昭和30年3月1日に萩市編入されています。

木与駅

長門大井7:54発益田行き1562D(キハ47-56+キハ47-1007)で木与へ。午後に折り返し列車が一往復だけ設定されている駅ですが、駅前に人家は数軒で閑散としています。昭和55年7月26日改築の駅舎は洋風の凝ったデザインですが、荒れて古びた雰囲気。国道沿いの潰れた喫茶店の廃墟を思わせます。

木与駅下りホーム入口

ホームは相対式ですが、跨線橋や構内踏切はなく、反対側のホームへは一旦駅の外に出て線路の下を潜らなければなりません。海のすぐそばにあって景色は悪くありませんが、山の影にあるのと駅舎が荒れているのとでどことなく陰気なものを感じる駅でした。昭和6年11月15日、美禰線の木与~宇田郷間延伸時に開業。当時の所在地は阿武郡奈古村で、明治の町村制までは当地に阿武郡木与村がありました。

奈古駅

木与8:40発長門市行き1565D(キハ40-2073)で奈古へ。昨年の4630万円誤送金事件で一躍有名になった阿武郡阿武町の玄関口で、簡易委託の窓口が設置されています。かつては急行停車駅でした。駅舎は開業時のもので、棒線駅ですが廃止された対向ホームが線路も剥がされずに残っています。昭和4年4月24日に東萩から伸びてきた美禰線の終点として開業。当時の所在地は阿武郡奈古村で、昭和17年11月3日に町制施行して阿武郡奈古町となり、昭和30年1月1日の合併で阿武町となりました。阿武町は平成の大合併により、周囲を萩市で囲まれた形となっています。

江崎駅

奈古8:57発益田行き1564D(キハ40-2071)で江崎を再訪。平成17年3月6日の合併で萩市となった旧:阿武郡田万川町の玄関口ですが、駅は町外れにあって駅前は閑散としています。こちらもかつては急行停車駅でした。この駅も棒線化されているものの、旧対向ホームはそのままの姿で残っています。昭和3年3月25日の山陰本線飯浦~須佐間延伸時に開業。当時の所在地は阿武郡田万崎村で、昭和15年11月3日に改称・町制施行して阿武郡江崎町となり、昭和30年4月1日の合併で田万川町となりました。田万崎村は明治の町村制で上田万村・下田万村・江村が合併して誕生した村で、駅は下田万に設置されたものの、隣接する漁村・江崎が駅名に採用されました。

越ケ浜駅

江崎9:57発東萩行き1567D(キハ47-1007+キハ47-56)で越ケ浜へ。昭和35年4月1日に新設された駅で、市街地を見下ろす高台にホームが設置されています。駅名の由来になった越ケ浜は駅の北西にある陸繋砂洲で、平坦さゆえに波が簡単に越え、船も曳いて越えられることからこの地名が付きました。

東萩駅

40分ほど歩いて東萩へ。毛利氏長州藩の城下町で、明治維新の立役者を多く輩出した萩市の代表駅です。萩市街の中心に近く、萩観光の拠点となっていますが、みどりの窓口は令和3年8月31日に廃止されて観光協会への簡易委託になりました。昭和48年7月改築の白壁武家屋敷風駅舎は三階建ての立派なもので、主要駅らしい佇まいですが、列車の本数も少なく駅員もいないため寂しげな印象を受けます。大正14年11月1日、萩から延伸してきた美禰線の終点として開業。当時の所在地は阿武郡萩町で、駅が設けられたのは大正12年4月1日の合併まで阿武郡椿東村だった松本川東岸でした。萩町は昭和7年7月1日に市制施行して萩市となっています。

玉江駅

東萩12:57発長門市行き1569D(キハ47-1007+キハ47-56)で玉江へ。萩市街の西側にある駅で、萩高校および萩商業高校への最寄り駅であることから学生の利用が多いです。ここもかつては急行停車駅でした。大正14年4月3日、美禰線の長門三隅~萩間延伸時に開業。当時の所在地は阿武郡萩町で、駅が設けられたのは大正12年4月1日の合併まで阿武郡山田村だった橋本川西岸でした。駅舎は開業時のもので、風格を感じさせるデザインなのは萩市の西の玄関として造られたからでしょうか。駅舎内を撮っていると、入ってきた外国人(インド系?アラブ系?)から「スイマセン、駅はドコですか?」と聞かれたので、ホームに上がる階段を教えました。萩城跡へは当駅が最寄りということもあって、少数ながら観光客の利用もあるようです。

萩駅

玉江13:22発益田行き1566D(キハ40-2002)で萩へ。萩市街の南側にある駅で、駅名だけ見れば玄関口のようですが、市の中心へは東萩駅の方が近いです。大正14年4月3日、長門三隅から伸びてきた美禰線の終点として開業。当時の所在地は阿武郡萩町で、駅が設けられたのは大正12年4月1日の合併まで阿武郡椿村だった橋本川南岸でした。駅舎は開業時に建てられたもので、萩町の玄関口だけあってか洋風の立派なものです。平成8年12月20日に国の登録有形文化財となり、復元改修の上で平成10年4月に資料館としてオープンしました。駅として使われているのは左端の部分のみです。

萩駅と井上勝

駅舎前に建つ銅像は「日本の鉄道の父」と呼ばれる井上勝。井上は長州藩士の子として萩城下に生まれ、伊藤博文らと共にイギリスに密航して鉱山技術・鉄道技術を学んで帰国しました。日本初の鉄道である新橋~横浜間の開通にあたっては鉄道頭として活躍し、黎明期の日本の鉄道の発展に尽力しました。また、小野義眞・岩崎弥太郎と共に小岩井農場を設立したことでも知られます。萩駅前の像は青年期の姿で、東京駅丸の内口駅前には晩年期の像があります。

飯井駅

萩14:33発長門市行き1571D(キハ40-2071)で飯井へ。ローマ字表記は「Ii」で、粟生(Ao)駅、小江(Oe)駅、頴娃(Ei)駅と共に世界最短の駅名とされています。昭和39年1月21日に新設開業。当地出身の県会議員・河村定一(麻生内閣官房長官を務めた河村健夫の父)の発案によるものだそうです。

飯井集落

ホームは高台にあり、海に面した飯井の集落を見下ろすことができます。集落の中を流れる水無浴という川が萩市長門市の市境で、駅があるのは萩市側です。

飯井の海岸

飯井の猫

せっかくなので海の方まで行ってみると人が近づいても動じない猫がいました。

三見駅

飯井15:08発木与行き1570D(キハ40-2073)で三見へ。漁村にある駅ですが、海に背を向ける格好で、駅舎は山側を向いています。駅舎は大正14年4月3日開業時のもので、改修の上で「三見駅舎お試し暮らし住宅#さんちゃんち」という宿泊施設として今年3月26日にオープンしました。移住希望者だけでなくワーケーションにも使えるとのことで、6泊7日が7000円。いつか泊まってみたいものです。開業時の所在地は阿武郡三見村で、昭和30年3月1日に萩市編入されました。

玉江駅

三見16:39発益田行き1572D(キハ40-2096)で玉江へ。さっき来たばかりであまり意味のない再訪ですが、列車の本数が少ない上に組み合わせづらいのでもう一度降りることになりました。

長門三隅駅

玉江16:54発長門市行き1573D(キハ40-2073)で長門三隅へ。平成17年3月22日の合併で長門市となった旧:大津郡三隅町の駅です。駅舎は古い木造駅舎ですが、改修されて介護予防拠点施設「はつらつステーション三隅」との合築になっています。待合室は右端のスペースのみですが、利用者数を考えればこれで十分なのでしょう。大正13年11月3日に正明市(現:長門市)から伸びてきた美禰線の終点として開業。当時の所在地は大津郡三隅村で、昭和17年11月3日に町制施行して三隅町となりました。駅舎は昭和7年12月12日に事務室からの出火で全焼したとの記録があるため、翌年辺りに再建されたものでしょう。

豊原神社

豊原神社

駅に着く前、車窓に桜が見えたので、歩いて行ってみました。明治3年に再建された豊原神社で、境内の桜が見頃を迎えていました。

夜の萩駅

長門三隅18:24発益田行き1574D(キハ40-2071)で再び萩へ。これも列車本数の都合によるものですが、駅舎がライトアップされていたので、昼とは異なる姿を楽しめました。

夜の長門市駅

萩19:04発小串行き1575D(キハ40-2002)、長門市19:44発厚狭行き718D(キハ120-323)、厚狭21:03発下関行き3413M(クモハ114-1627)、下関21:44発小倉行き5239M(クハ411-1511)を乗り継いで小倉へ。小倉駅新幹線口22:20発さくら高速バスAT92T便で関西に帰り、学生時代最後の旅は終わりました。