まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅巡り旅~

駅巡りの記録をひたすら載せていくブログです。やたら更新する時と全く更新しないときがあります。

7/6 炎天下の久大本線・鹿児島本線駅巡り

この日は久大本線(久留米~豊後中川)と鹿児島本線筑後エリア)の駅を巡りました

日田駅

日田駅からスタート。ホテルには朝食を食べに戻るので、部屋に荷物を置いての出発です。江戸幕府の九州支配の拠点として西国郡代が置かれた天領・日田市の代表駅で、駅舎は昭和47年6月改築。平成27年3月に水戸岡鋭治氏のデザインで改装されて黒く塗られました。漫画家・諌山創氏の出身地であることから駅の内外に『進撃の巨人』関連の装飾やパネルがあります。

光岡駅

日田5:48発普通久留米行き1824D(キハ200-1105+キハ200-105)で光岡(てるおか)へ。日田市街の西の外れにある駅で、駅前を日田往還朝倉街道が通っています。かつてあった木造駅舎は平成18年12月に解体。当初の計画では代わりの駅舎は建てられない予定でしたが、地元の要望により平成19年3月に「すこやか光岡」と名付けられた駅舎が建てられました。昭和9年6月25日開業時の所在地は日田郡光岡村で、昭和15年12月11日の合併で日田市となりました。元は「三岡」という地名だったところに「光岡」の字をあてたところ、読みが変化したのが地名の由来と言われています。

光岡駅

ホームの様子や入線する列車を撮っていたところ、「家庭不和や戦争を引き起こす組織が~」とブツブツ言っているおっさんに「盗撮するな!警察を呼ぶぞ!」と怒鳴りつけられました。きっと彼の中では自分はディープステートか何かの手先か集団ストーカーとして認識されていたのでしょう。おかしな人に遭遇しては夏の早朝の心地よい空気も台無しです。

筑後大石駅

光岡6:16発普通鳥栖行き1826D(キハ200-1012+キハ200-12)で筑後大石へ。筑後平野の東端部・筑後川が平野部に出てきたところにある駅で、「ふれあいの場 大石」と掲げられた駅舎は平成19年7月改築。昭和6年7月11日に久大線の終点として開業。当時の所在地は浮羽郡大石村で、昭和26年4月1日に浮羽郡御幸町編入御幸町が改称して浮羽町となりました。

豊後中川駅

筑後大石6:57発普通大分(※不通のため豊後森止まり)行き1821D(キハ200-1502+キハ200-201)で豊後中川へ。国道210号沿いにひっそりと存在する駅で、平成27年3月14日改築の駅舎は高塚愛宕地蔵尊をイメージした社殿風デザインです。かつては農協との合築駅舎がありました。昭和9年11月15日開業時の所在地は日田郡中川村で、昭和30年3月31日の合併で日田郡栄村、昭和41年4月1日に町制施行して天瀬町となり、平成17年3月22日に日田市に編入されました。駅名標には「大分県天ヶ瀬町」との表記があり、旧町名とは表記が異なっています。

豊後三芳駅

学生で混みあう豊後中川7:34発普通久留米行き1832D(キハ200-1554+キハ200-554)で豊後三芳へ。日田市街の東部にある駅で、周辺は住宅街です。平成8年頃改築の駅舎は三芳地区コミュニティー消防センターとの合築。昭和9年11月15日開業時の所在地は日田郡三芳村で、昭和15年12月11日の合併で日田市となりました。

田主丸駅

豊後三芳から20分ほど歩いてホテルに戻り、朝食を食べてから日田9:18発普通久留米行き1842D(キハ200-1012+キハ200-12)で田主丸へ。平成17年2月5日に久留米市編入された旧:浮羽郡田主丸町の駅で、河童伝説にちなんで河童の顔の形をした駅舎が建てられています。平成4年4月23日改築の駅舎はふるさと会館との合築で、内部には簡易委託の窓口もあります。

筑後吉井駅

田主丸10:02発普通筑後吉井行き1837D(キハ200-204+キハ200-205)で筑後吉井へ。うきは市の代表駅で、特急「ゆふ」も停車します。昭和3年12月24日、久大線の終点として開業。駅舎は開業時に建てられたもので、筑後吉井の街並みに因んで白壁風に改装されています。

筑後吉井の街並み

筑後吉井豊後街道の宿場町として栄えたところで、白壁土蔵造りの街並みは重伝建に指定されています。平成17年3月20日浮羽町と合併してうきは市となるまでは浮羽郡吉井町でした。

うきは駅

筑後吉井10:54発普通日田行き1839D(キハ200-105+キハ200-1105)でうきはへ。平成17年3月20日吉井町と合併してうきは市となった旧:浮羽郡浮羽町の駅で、簡易委託の窓口があります。昭和6年7月11日に「筑後千足(ちくごせんぞく)」として開業。当時の所在地は浮羽郡御幸村で、昭和26年1月1日に町制施行して御幸町となり、昭和26年4月1日の3村編入時に改称して浮羽町となりました。駅名は平成2年5月1日に改称。駅舎は開業時のもので、天井からは燕の糞除けに傘が逆さ吊りされています。

久留米高校前駅

うきは12:06発普通久留米行き1850D(キハ200-5011+キハ200-11)で久留米高校前へ。平成21年3月14日に開業した比較的新しい駅で、令和4年3月12日に無人化されています。周辺は久留米市郊外の住宅地で、久留米高校以外にも多くの学校があります。

筑後草野駅

久留米高校前13:14発普通日田行き1847D(キハ200-204)で筑後草野へ。昭和35年7月1日に久留米市編入された旧:三井郡草野町の駅で、耳野山地北麓の扇状地に位置しています。周辺にはぶどう畑が広がっており、扇状地ということもあって九州というよりは甲信越や福島辺りを思い出させる風景です。駅舎は平成6年6月7日午前2時10分頃の不審火により焼失し、平成8年11月上旬に「草野町観光会館」として再建されました。

久留米大学前駅

筑後草野13:53発普通久留米行き1852D(キハ200-1012+キハ200-12)で久留米大学前へ。久留米市久留米大学の費用負担により平成12年3月11日に開業した駅で、令和2年3月11日で窓口の営業を終了したものの有人駅として出札は行われています。ホームは駅舎より一段低い掘割にあり、駅舎とは階段で結ばれています。周辺には久留米大学御井学舎をはじめとして多くの学校があり、学生向けアパートが多く建つなど学生街らしい雰囲気です。

御井駅

13分ほど歩いて御井(みい)へ。久留米市郊外の住宅地にある駅で、平成14年頃に簡易駅舎に改築されて駅前が掘り下げられています。駅周辺は昭和18年10月1日に久留米市編入されるまでは三井郡御井町で律令国時代に筑後国国府が置かれていたことからかつて「府中」と呼ばれていました。

善導寺駅

御井14:37発普通日田行き1853D(キハ200-12+キハ200-1012)で善導寺へ。減築された木造駅舎の残る駅で、浄土宗大本山善導寺の最寄り駅です。昭和3年12月24日開業時の所在地は三井郡善導寺村で、昭和15年2月11日に町制施行して善導寺町となり、昭和42年4月1日に久留米市編入されました。

南久留米駅

善導寺14:52発普通久留米行き1854D(キハ200-5011+キハ200-11)で南久留米へ。久留米市街の南東部に位置する駅で、平成13年に減築された寄棟造の木造駅舎が残ります。ホームは築堤上にあり、駅舎とは地下通路で結ばれていますが、その通路の上屋も木造の古いもので味があります。駅周辺は大正13年11月1日に久留米市編入されるまで三井郡国分町で、明治の町村制までは御井郡野中村でした。

久留米駅

南久留米15:26発普通久留米行き1856D(キハ200-204)で久留米へ。福岡県第三の人口を誇る筑後地方の中心都市で、有馬氏久留米藩の城下町としての歴史を持つ久留米市の代表駅です。鹿児島本線から久大本線が分岐するだけでなく九州新幹線も停車するターミナル駅で、新幹線開業に先がけて平成22年4月3日より新駅舎の使用が開始されました。ここからは鹿児島本線の駅を巡っていきます。

荒木駅

博多方面からの接続待ちのため4分遅れの久留米15:47発普通大牟田行き353M(クハ814-5)で荒木へ。平成8年3月に改築されたコンクリート打ちっぱなしの駅舎がある駅で、駅裏を九州新幹線の高架が通っています。明治43年4月20日開業時の所在地は三潴郡荒木村で、昭和24年9月1日に町制施行して三潴郡荒木町となり、昭和30年1月1日に安武村と合併して三潴郡筑邦町となりました。筑邦町は昭和42年2月1日に久留米市編入されています。ちなみに荒木町は松田聖子さんの出身地。

415系

駅構内には引退した415系が留置されています。津久見でも見た光景ですが、果たしていつまでこうして置いておくのでしょうか。

羽犬塚駅

荒木16:15発普通大牟田行き355M(クハ814-3)で羽犬塚へ。筑後市の代表駅で、みどりの窓口も設置されていますが、訪問時間帯には既に無人でした。平成21年12月改築の駅舎は九州新幹線の高架下にあります。昭和60年4月1日まで八女市とを結ぶ矢部線が分岐していました。明治24年4月1日開業時の所在地は上妻郡羽犬塚村で、明治29年4月1日に八女郡所属となり、大正4年1月1日に町制施行して八女郡羽犬塚町となりました。昭和29年4月1日に周辺町村と合併して筑後市となってからはその中心として市役所が置かれています。駅前には地名の由来となった伝説の「羽犬」の像があります。

筑後船小屋駅

羽犬塚16:57発普通熊本行き359M(クハ814-6)で筑後船小屋へ。九州新幹線との乗換駅で、駅前広場を挟んで新幹線駅舎と向かい合っています。在来線駅舎は小さなもので、ローカル駅然とした雰囲気です。平成23年3月12日の新幹線開業に合わせて移転改称されるまでは「船小屋」を名乗っていました。昭和3年7月20日開業時の所在地は八女郡水田村で、昭和29年4月1日の合併で筑後市となっています。

南瀬高駅

筑後船小屋17:33発普通大牟田行き361M(クハ814-7)で南瀬高へ。みやま市南部の田園地帯にある駅で、昭和52年3月30日改築の駅舎は南九州でよく見かけるタイプのもの。昭和10年3月23日に「井手ノ上」として開業。当時の所在地は山門郡瀬高町で、平成19年1月29日の合併でみやま市となりました。

西牟田駅

南瀬高18:12発普通久留米行き358M(クモハ815-7)で西牟田へ。筑後市北部の住宅と田園が混在する地帯にある駅で、昭和51年に簡易駅舎に改築されましたが、平成8年の再有人化に際して事務室が増築されました。平成28年3月26日には再無人化されており、駅舎の増築部は無用の長物と化しています。昭和12年5月17日開業時の所在地は三潴郡西牟田村で、昭和28年4月1日に単独町制施行して三潴郡西牟田町となるも、昭和30年3月10日に筑後市編入されました。

肥前旭駅

西牟田18:35発区間快速小倉行き4138M(クハ813-2236)で肥前旭へ。鳥栖と久留米、二つの主要駅に挟まれた影の薄い駅で、快速は停車しません。駅舎は昭和37年3月改築。昭和3年12月23日に「旭信号所」として開業し、昭和9年6月7日に駅に昇格して「肥前旭」に改称されました。開業時の所在地は三養基郡旭村で、昭和29年4月1日の合併で鳥栖市となっています。

鳥栖駅

肥前旭18:54発普通門司港行き2350M(クモハ810-2009)と鳥栖19:18発快速門司港行き4232M(クハ813-2226)を乗り継いで博多へ。乗り換え時間を利用して鳥栖の駅舎を撮影。博多からは20:40発オリオンバス242便で梅田へと帰りました。